2011年7月15日

うたう

このツイッターの過去ログはちょうど半年くらい前のものだ、と書いたけど、何で半年前のを転載してるのか、っていうと、これより後になると見られなくなってしまうから。なので消える前に、いい発言は残しておこう、ということなのね。
まあそういう仕組みは置いておいて、半年前の頃、何かの啓示があったらしく、けっこういいのが残ってるので、こうして転載記事も増えるということです。

ということで引き続き、自分の創作に関しての発言が続いてる。いいね。


こっち来てよかったこともある。自分の中の「歌うヒト」欲が明確になったことだ。他人の録音をすればするほど、こんなのは自分ではない、自分は歌う人間だ、という気持ちが強くなり、自身のライブ活動を続けることに拘った。これは東京時代には無かった。なぜなら

録音物を公開して売るだけで、音楽家と思われてたからだ。今思えばそれは、ものすごく恵まれてたと思う。いまどき、表で歌ったりもせずにアーティストと思ってもらえることなんかないだろうし、今後もないだろうね。しかし

それは録音物軽視ということじゃない。レコードは遺作であり遺書であり墓である。一生残る自分の生きた証でメッセージ。その道は決して外れないが、ヒキコモリ体質の僕を引っ張り出して、ライブ活動させる気にさせてくれたことには感謝してるね。

狛江にもライブバーがあった。一度出る寸前の気持ちまで行って店に顔を出したが、最後の一歩が踏み出せずライブしなかった。まあ狛江でやっても誰が来るのかって話はあるだろうな。伊勢原の人は来てくれるって言ってたけど。だったら町田とかでもよかった気がするよな。

そういえば町田の連絡通路でピアノ弾いてたあんちゃんは元気かな。ピアノで路上って当時はまだ珍しかった。CDもちょこちょこ通行人が買ってたな。韓国のヒトだった気がする。

狛江でしなかった理由思い出した。あのとき新譜が無かったからだ。「FUSEKI」の制作に入ってなかったんだ。過去の曲するだけなのに、わざわざする意味ないなって思ったんだ。

マルコポールの批判のリベンジになるアルバムが自分のためにも急務と感じてて、それをライブ再開の絶対条件と考えてたんだ。当時。そうだったなあ。

僕はアーティスト名は本名だが、やっぱりそれはそういうキャラを演じてたんだと思う(途中で漢字になってるけど、それはあまり、キャラ問題とは関係ない)。ハルカゼさんが「むし」という名前で世界を創ってたのとどこか似てると思った。

らじおから今井みきのピースオブマイウィッシュが流れてる。これも黄金のカノンだよねえ。サビのコードでそのままエバグリが歌える。というか、ココから取ったような気もするw

僕の曲創りはアカペラの鼻歌ストックDatテープに無数に入ってるメロを元にしてコード付けてく事が多い。メロは素人でもできる。だから昔のも使えるが、コードを付けるのはプロの仕事だと僕は思ってるので、自分の成長までコード付けを待っていたんだよね。

20年前の自分と今の自分のコラボみたいな感じ。一本線でしかなかったメロが、コード付けによって、スパーンと世界が広がるダイナミクスはほんとエクスタシーに匹敵する。この快感だけのために生きてると言ってもいいような。

全体をそう作るわけじゃない。あるものはサビがそうだったり、あるものはAメロがそうだったりする。他の部分はそれをモチーフに現在進行の自分がつけてく。そうして自分の中で時空を超えた感じになってく。

僕の曲が自分の全時代を反映してるのはそういう理由なんじゃないかと思う。僕自身、自分の曲を「これはちょっと古い」とか「これは未熟」とか思う事がほとんどないので。

ええことやなあ…


ここまで。
人は何かと対峙したりすることで、自分がよく判る、見える、ということがあるね。僕の好きなロバートフリップの言葉で「嫌いな相手にわざわざ会いに行くこともある。そうすると自分自身のことがよくわかり、進むべき道もわかる」というのがある。逆境であればこそ、掴むものもたくさんあるってことだ。半年前の自分が掴んだのは、そういうことだろう。他人の世話ばかりしているうち、自分の欲求が確かなものとなっていった過程が吐露されてるのね。

あとライブ活動に関するポリシーもココではっきりさせてる。主体はあくまでレコーディングにあり、それの成就のためライブ活動がある、という今の僕の考え方が、ここでも別な言い方で書かれてるね。新譜がないなら、つまり、売る商品がないなら、する意味はないのだ、ということ。これが基本スタンス。

1月の東京ツアーに出るのはこのちょっと後だね。1月の東京は楽しかった。その理由がここで少し垣間見れるわけだな。なるほど。

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2011年6月22日

裸にしたい

これも過去ログで見つけたいい話。

10ccのFor You And Iという曲があるのだが、友人がいつもそれをピアノ弾き語ってて、何の曲か知らずにいい曲だなあと思って聴いてて、ずいぶん後になって10ccのオリジナルバージョンを聴いたら全然よくなくて相当がっかりしたってことがあった。

その友人は元々Bassで、作曲の勉強をしてていろんなロックやポップスの曲をミミコピしてピアノで弾いてたんだよね。本職Bassだからちょうど今の僕みたいに簡素化伴奏で弾いてたわけ。それがすごく新鮮で、いい曲ってのはシンプルが最も映えるんだなあと気付いたんだな。

今の僕のピアノスタイルは、その友人の簡素スタイルが結構影響あるんだよ。コードひとつひとつを四角いタイルみたいに並べてもちゃんと形になるんだ、っていうすごい発見だった。

それまでの僕は「売ってる最終形=完成形」と考えてた。だからアレンジ嫌いだと曲も聴かなかった。でもそうやって装飾全部取っ払ってみることで必ずしもそうじゃないって気付いて、それ以降音楽をそうやって簡素化して聴く癖がついた。そんでそのままそれが僕の作風になったんだ。

曲の元を構成してる部品にしか興味がなくなったのね。装飾は邪魔だと考えるようになった。それでも、こないだ書いたように幼少の頃の楽器やグルーブの気持ちよさは残ってるから、そこだけは生きてるのね。


ツイッターやってると、誰かの発言がモチーフになったりして、思わぬ事を思い出したり考え付いたりする。前回や今回のこういうのは、そういう一環で書かれたもので、自分自身もすごい興味深いのね。もちろん自分でも、薄々こういうこと思ってやってるわけだけど、具体的に説明したり言葉にしたりってのは、機会がないとなかなかしないからね。

幼児期の自分から辿っていくと、まずメロディに惹かれて歌い始めて、エイトビートがカッケーと思って、あとはアニマルズでペンタトニックってかっこいいなと好きになって、セサミストリートで凝ったコード進行と転調と、あとファンクビートを憶えたんだね。それらが音楽的な素養となり、あとは、音源公開シリーズで書いたように、録音マニアとしての僕、これらが合体して今の作風になっている、ということだと思うのね。


ここで書かれてる、アレンジと楽曲本体は本来まったく違うものだ、という発見は、僕にとっても相当大きな出来事でね、それを知り得たからこそ、その後の僕が大躍進したわけだから、人生にとってもカナリなでかいことだね。

その後も全ての楽曲を素っ裸にして、コードとメロだけにして研究するという作業をずっと続けた。裸にすると実につまらない曲、裸にすると実はいい曲だったと発見する曲、どちらの場合もいい曲、そんないろんなバリエーションがあった。


この経験以降、僕はアレンジだけで売ってるような曲の事を「マネキンの服だけ売ってるみたいな音楽」と呼ぶようになる。人間が居ないわけ。服だけ。それで、ちょうどこういうのを研究し始めた頃、サンプリングという手法が一般化してきて、なんでも既成の音を並べて創る事が可能になったので、実際に演奏しなくても「かっこいい誰か他人の演奏」を貼りあわせて「自分の音楽です」って言い張ることが出来るようになったのね。ピチカート5とかがやったそういうのは確かに新鮮だったけど、僕は「何かを産んでいる」とは思って居なかった。つまり何か別の表現形態だと思って、音楽とは分けて考えてたね。

そういうの好きなヒトも居るだろうし、好みだとは思うけど、例えば僕が大好きな LED ZEPPELIN とかは音響系と言ってもいいようなものだし、その辺どう区分するのか、という問題はあるけど、でも、Zepは演奏してるからね。その辺が、僕とサンプリング系のヒトの棲み分けの境目だと思う。


僕だって服のセンスはないし、スタイリストさんにセレクトしてもらって着たりしてるし、アレンジだって音だって、そういうことなんだろう。ただ僕は、自分自身が「歌うヒト」で、人間のパフォーマンスを主体としてる、という部分がカナリ大きいので、そこは幼児期から歌っててホントによかったと思う。

あちこちで書いてる僕のプロフィール「うたうヒト」というのは、別にチャラけて書いてるわけじゃなくて本音なんだよ。

うたうヒトだから。僕は。

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2011年4月20日

落穂ヒロイン

畳み掛けるように。続きも2セット。

sun落穂ヒロイン 1996 (Remaster 2011)

解説。Gleaning 1996 (Remaster 2011) by karakawa_makoto

こないだのカセット宅録実験デイズは終わり、デジタルの8トラックレコーダによる制作になりました。ここからはもう、実験じゃなくて、曲創りの研究です。研究、研究、また研究です。

機材がデジタルに変わったからと言って、テープには変わりありません。すべてを全部演奏するんです。そして曲構成やアレンジ、コードなど変更するたびに全部演奏しなおし。これは、ものすごく訓練になりました。

解説書いてますが、どれも、正式発表されてる曲の、試作品です。どれがどれの元かなあ、と思って聴くのもいいし、最初はこんなダサメロだったのか、と笑ってもいいです。


sunもう一個。
Sabbatical 21 (Remaster 2011)

解説。Sabbatical 21 (Remaster 2011) by karakawa_makoto

こっちはその10年後。

テープ時代が終わって、いよいよパソコン上でソフトを使うようになりました。今までの多重録音のノウハウがまったく使えず、本当の意味での、ゼロからの再出発でした。

ようやく一人前の音が出るようになってきた頃のテスト曲をいくつかアップしてます。これらはどれも、当時実際にあちこちで公開しました。たとえば、最初の2曲、りかこのテーマは、伝説のスパムメール「井川りかこ」さんのをイメージして作った架空のテーマ曲です。

他もラジオやイベントで実際使ったものです。仕事として実験しながら、上達していけた、夢のような時代でした。そんな環境を与えてくれたみんなにはホント感謝したいです。


個人的に、りかこのテーマ2については、すごく思い入れあります。この頃、既に僕は「BABY BABY」と「FUSEKI」を録り始めてたんですね。でも曲を創りながら、どうしても、僕の作風っていうか、なんかつかめないのよ。イメージと違うのよ。なんかどれも、僕の曲じゃない気がするって思いながらやってて、それが、りかこのテーマ2を創ったとき、途中で出てくる、あるコードに「ああ、このコードだ!これがオレだ!!」と。

思い出したんですね。

あのコード感を思い出したことで、僕の中の迷いが全部消えて、その後は、どんどん曲がかけるようになって行ったんです。みんなには迷惑だった、スパムメールのりかこさんですが、僕にとっては、目覚めさせてくれた女神なんだねw


夏休みが待ち遠しい、はインストですけど、実は元歌は、「放課後が待ち遠しい」という歌入りバージョンなんです。これはいい曲なので、次のアルバムで多分収録します。

最後の湾岸船橋。あの雷雨の音は本物です。船橋に住んでたとき、すごい雷雨が来て、この音、録りたい!!と思って、マイク出して録りました(よく落雷しなかったもんだ…)。雷の音のダイナミクスって独特じゃないですか。やっぱり一度は録ってみたいと思ってので。それと、何故か同じトラックに入ってたギターやピアノをリミックスし、ループを足してクラブミックスにしました。気に入ってます。


[m:71]今までのアルバムはこちらで。
http://itunes.apple.com/jp/artist/id263632161
http://itunes.apple.com/jp/artist/id328787547

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2011年4月19日

オタクレコーディングの冒険

さて。私というヒトはいつもゴタゴタ文句ばかり書いてるわけではありません。笑。

ちょっと理由がありまして、仕事の合間に、ぶっ通し3日間かけて、過去の音源を根こそぎさらいなおし、リマスター公開する、という事をしました。時代としてはドラマー時代。もちろん作曲の仕事もしていないし、シンガーソングライターでもなかった、単なる若者の頃です。

僕は子供の頃から「録音」ということに興味があって、自分で録った音が再生されて不思議な作用になったり、多重録音で一人がバンドのようになったり、またサウンドコラージュで絵画的になったり、とか。そういうことが大好きだったんですね。また、昔からヒト付き合いが苦手だったので、バンドを組まなくとも一人多重録音でバンドサウンドを創れることにも、とても惹かれました。

元々僕はずっと吹奏楽をやっていました。その部活の仲間に音源を公開するところから、僕の音楽表現活動は始まったのです。そういう内輪受けから、コミカル路線、CMジングル系試作、そしてポップな曲を書くようになるまでの歩みが「音として」確認できるのが、このコンピなんです。

多重録音のクォリティ、というのは多分に、機材スペックに左右されます。もちろん自分ならではのノウハウがあり、この限られた条件で、これだけの音を創れる人は居ないぜ、と自負はしてましたが、それでも、後半、TASCAM244のカセット4トラックで出来ることはやりつくした感じがしました。ちょうどその頃、adat や DA88 といった、デジタルマルチトラックが出始め、乗り換えるときが来た、と感じました。その際に、せっかくだから記念に「244の最高スペック」の音でアルバムを創り、さよならしよう、と思いついたんですね。そんで題材はロックンロールのカバーにしました。このリストの後半に入ってる数曲のカバーは、そういう経緯でやったものです。

解説にも書いていますが、その最後のロックンロールカバー集の時に、僕は「自分がこれからやっていくのは歌手としてだ」と決意しまして、鬼のように歌を練習したんですね。英語の歌いまわし、特にロックンロール系の早口なのは難しいのですが、それも必死にミミコピしました。また、基本的に「ピンポン録音はしない」と決めてたので(ダビングは音が劣化するから)、どの曲も楽器は3個しか使えません。なので、すべての楽器を完全にジャストで合わせられるよう、これも必死に練習しました。僕はドラマーだったし、ソロ楽器というものが弾けないのです。それだけは難しかったですが、その代わりアンサンブルの鬼となるべく、完全リンクを心がけました。人力クォンタイズと言ってもいいです。

そうしてカバー集を公開したところ、それまでのオタクコミカル路線とは比べ物にならないくらいの反響がありまして、その時に「ああ、やっぱり、ヒトが聴くのは歌なんだ…」と思ったんですね。歌です、歌。歌がマトモになっただけで、こんなに反応があるんです。この経験は僕の人生を変えたし、無事オタク路線からの卒業、244の卒業、新たな第一歩、というように、次の展開へと進めたんですね。そういう意味でも、自分自身の成長の記録なんだと思います。

解説を読む by karakawa_makoto

もっと詳しい解説を読む


いくつか意味不明なのがあると思うので補足しますと、244はアナログテープ(カセット)なので、ひっくり返して逆から再生する(リバース)という事が出来ます。例えば「ドリンキングジミー」みたいな曲で、ギターをそのように録り、ドローンに見立てたりしたんですね。これは面白い発想だったと思います。あと、ケンタッキーというのは、吹奏楽部でやってたドラムマーチですね。それを声だけでやった「アカペラ版」、その数年後にTR606で完全プログラムした「打ち込み版」と2種類入ってます。これは楽しかったです。


このあと僕は、東京練馬から湾岸船橋に引越し、ホテルマンをしながら、DA88で「ちゃんとした」ポップ曲の制作に入り、今でもライブレパートリーになってる代表曲を次々書くことになります。それらは正式に全部 iTunes などでリリースされています。

http://itunes.apple.com/jp/artist/id263632161
http://itunes.apple.com/jp/artist/id328787547

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2010年10月 6日

岸辺のアルバム

僕の家は明るくも楽しくもなく、幸せな家ではありませんでした。おおむかし偶然見たこのドラマ。ここで描かれた、表面上だけ繕って内実が崩壊してる家庭と、頭でっかちでひね曲がった性格の長男が、自分と自分の家庭そっくりで、本当に自分を投影して見ていました。オープニングにちょっと出てきますが、最後に多摩川が決壊して家が流れるんですね。本当に。あれがすごい印象的で、自分の家もああなればいい、って思ってたくらいです。

あの洪水で家が流されるのは実際の災害なんです。その実写映像をドラマで使用許可を得て実際に使ったんですね。長崎洪水のことなんか考えると、今じゃ考えられないですね。ずいぶん後になってから、この流された場所は、東京の狛江市で多摩川の土手だと知りました。それを聴いてから、いつか狛江に住んでみたいと思うようになりました。なんでだかわからない。何かが見つかるかもしれない、そう思ったのかもしれないし、過去の自分を引きずってたからかもしれない。

僕がドラマーから作曲家に転向して、亀田誠治師匠アレンジでリリースとかされてた頃、僕は船橋の一軒家に住んでいました。そこが大家さんの都合で立ち退きになり、急に転居先を見つけなければならなくなったんですね。その時に、ふと「狛江に越したいな」と思ったんです。そうして僕の21世紀は狛江市から始まったんですね。

念願の狛江に引越ししてから、この辺の風景はどこか懐かしさがあるな、と思い始めました。でもその理由がそのときは判らなかったんですね。そんな懐かしさに誘われたのか判りませんが、この土地の空気が気持ちよかったので、僕は毎日チャリで多摩川土手を走る(見回り)ことにしたんです。狛江から上流に行くのは調布のほうに行きます。見回りするようになって知ったのですが、有名なドラマのロケ地が、この辺はたくさんあるんですね。

僕は「戻る」という行為が嫌いなので、帰りは同じ道を戻らずに、必ずグルッと円形ルートで帰りました。なのでどこかで対岸に渡らないとならなかったのですが、是政とか府中とかいろいろルートはあったのだけど、最短の橋が矢野口のところで、それが一番多かったですね。そこで多摩川を対岸の稲城に渡ります。帰りは府中街道、もしくは川崎街道というのですけど、そういう幹線道路を下るんです。たくさんのお店が沿線にあって、いろいろ寄りました。渡ってすぐ、矢野口の交差点にリサイクルショップがあって、そこで見つけたのが遠藤響子さんのカセットでした!もちろん即買い。その店はいつも大音量でFMが流れてて、aikoのおやすみなさいと、ポールマッカートニーのドライビングレインはそこで初めて聴いた。日曜に、たまたま行った時、平日見かけないバイトが居て、若くてヒョロッとした草食系のやつ。んで、なんかレゲエみたいの流れてるんだけど、なかなか、いい感じなので、コレ誰?って訊いた。それが MOOMIN でした。ちょっと下ると、稲田堤にディスクユニオンがあって、そこも毎回寄りました。

その頃僕は、長崎ちゃんぽんをよく食べてたのだけど、それも、稲田堤のリンガーハットですね。そのちょっと先に古本屋があって、時々寄ってました。そこで偶然聴いたのがカプセル。曲は happy life generator。すごい衝撃的だった。でもその時は、カプセルだということも曲目もわからなかった。そんで古本屋から中野島に抜けて多摩川土手に戻る。その道で歌詞とかメロとかコードとか脳内で構築して新曲考えながら狛江に戻る。それを毎日やっていました。

初めて happy life generator のサビを聴いた時のショックは、ほんと計り知れなかったです。いろんなこといっぺんに思って、聴きながら、あー終わる終わるー!って思って、もう一回聴きたくて翌日も翌日も同じ時間に古本屋に行ったわけ。確か2回目の時にコードとメロを簡単に憶えて帰って、どうなってんだー?って家で弾いてみたんだけど、なんか違うなコレって。でも方法論だけでもすっげえので、それは忘れないって思って。
その後、なんで曲目が判明したかっつうとですね、2年後に新百合ヶ丘のビレバンで買い物してた時に、いきなり曲が流れてさ、あーーー!!!って。そんでCDのところに行ったらカプセルってあったんだ。今でも僕にとっては、中田ヤスタカはこの1曲で神ですね。

そんなわけで、町や川やいたるところで音楽があって風も匂いもあって、そういうの毎日、集めて走ってたんだな。
その時は、それがなんなのか気付かずに。そして、この時の経験が去年のシティFMの特集「僕の渋谷は多摩にあった」となるわけです。深いね。

自転車で土手を走りながら、自分の曲のメロやコードやアレンジ歌詞なんかを毎日考えていました。全行程1時間から2時間、途中で寄り道することもあったし、行きの昇りで、何か思いついたら急いで帰ろうと思うから、その時は直帰で1時間くらいかな。その時は帰りも川崎側の土手を下りました。水門や団地を見ながら、すっ飛ばすのは気持ちよかったです。下りだからね、スピードが出るんだね。そんな感じでチャリで作ったんは、ドライブの追っかけコーラスのアレンジ、曇り空、思い出の切れ端とかかな。キタノマルもそうだったかもしれない。
ドライブの、あのコーラスアレンジは走ってる最中で脳内で完結させて帰ってきました。うちに帰って、そのとおりに歌っただけ。(ココにいろいろある。ドライブは真ん中辺りにあります)

思い出のきれはしはすごい時間かかった。何日も出来なかった。どう展開させればいい曲になるのかって、Bメロとかイントロとか5種類くらい考えた。結局イントロは全部ボツになって、最終的には売ってるテイクのグリッサンドになった。あれは元々ふざけて弾いたんだけどね。そのまま使っちゃった。正規レコの時に、本当は弾きなおしたんだけど、元の雰囲気がどうしても出なくて、だからグリッサンド部分だけデモからコピペしたんですよね。歌詞も苦労して、前にココのブログで書いたけど、相鉄線の緑園都市で、仕事の合間に書いたんだ。コウ思い返すと、やっぱり苦労したのはFUSEKIアルバムの前半だよね。だから苦労した思い出が印象強く今も覚えてるわけだよね。それに比べると後半は楽だったと思います。勘が戻ったんだろうと思う。

その後僕は、また仕事が忙しくなったというのもあったし、そうやって何かの力を借りなくても勘が戻ったので、そうして振り返る事はしばらくなくなりました。まあでも、そのときの感覚はたっぷり作品や仕事に反映はされました。
それらの断片はここで聴けるし、完成品はCDやCMになりました。

その後いろいろあって、長崎移住となります。その際に、まあちょっと事情があってですね、最初はナント!野母崎半島の三和!に住んだのですよ!あの山奥で何もないところで、僕は幽閉されていました。楽しみといえば唯一ケーブルテレビがあったことくらい。ケーブルにはいろいろチャンネルがあるんですけど、たまたま見た、NECOとファミ劇というチャンネルで放送してた昔のドラマを見て、僕は驚いたのです!そこでやってた70年代の青春ドラマとか刑事ドラマとかあと、ウルトラセブンとかですよね。そういうのでロケで出てくる景色が全部!狛江と多摩川なんですよ!!これは、東京に住んでない人は判らないと思います!
でも、当時のドラマ、そしてこれは今でもそうなんですけど、CMとかも含めてなんですけど、川の土手とか遠景のマンションとか公園とかそういう景色のほとんどが、多摩川とか調布とか狛江なんですよ。それで気付いたのは、そういうドラマの風景を子供の頃からずーっと見てるでしょ。そうすると、ドラマの風景が刷り込まれて自分の原風景のような感覚になるんです。
それは業界の標準として、ドラマのロケはあそこがいい、とか決まってるわけでしょ。だから必然でそうなる。それは撮影所が調布狛江に多いというのもあります。円谷プロダクションもすぐ近所の世田谷なんです。
そうして僕は昔のそんなドラマを見ながらああ、僕にとっての郷愁がここにあった!と。そう気付いたんですね。それまでは、何故僕が多摩川や狛江の事を自分の故郷のように感じるのか、はっきりわからなかったんです。それが、三和でケーブルで昔のドラマをたくさん見てそれで気付いたってことですよね(余談ですが、後にこのケーブル料金をめぐって裁判になりました。僕が絶対に譲れなかった理由が、これで判るんじゃないかと思います)。

この日記の最初のほうで、僕は、自分の家庭が温かい場所じゃなかったと書きました。共働きで両親は家に居なかったので、学校が終わったら、誰も居ない家にいつも帰っていました。その「誰もいない家」が僕にとって一番居心地の良い家でした。その家で、夕方の再放送のドラマを見ることだけが唯一の幸福だったんですね。だから僕にとって、そういうドラマとその風景が故郷なんだと気付きました。もうひとつ楽しみだった事があります。それがラジオで当時のヒット曲を聴くことですね。その二つの要素が結びついて今の僕の形になったということですね。

そこで前に紹介した、シティFMの渋谷系音楽の紹介特集。ここで言った、僕の渋谷は多摩に有ったんだ、という話は、僕自身の郷愁が多摩にあったんだという話だったんです。

僕は、自分が音楽をやる時に、何か借り物の音楽をやるというのが嫌だったのですよ。何かの受け売りとかじゃなく、ちゃんと自分自身の根底にあるものをやりたいのだ、と。そう思っているんです。しかし、どうも自分の根底に無さそうな音楽に惹かれる自分がいる。それはなんでなんだ??とずーっと悩んでたんですね。それが、ここで全部解決したってことなんですね。誰でもそうだけど、本当の自分自身は自分の中にしかないということです。何かに反応する、ということは自分の中のその要素が反応してるってことですね。しかし案外、自分は気付かないもんです。でも他人は意外に、そういう部分を「魅力」として見つけてくれたり好きになってくれるんですね。だからと言って、そんな自分は嫌だ、という拒否反応もある。自分は自分の理想もあるからですね。だから、多分その人にとって一番いいのは、本人が気付くまで放っておく、ということです。それは永遠に続く戦いなんですね。それでいいんじゃないかな。

狛江の多摩川土手崩壊災害の話から、長ーい旅の後、こんなところに到達した。でもまだゴールじゃない。また明日になったら全然違う事を言ってるかもしれない。そういうもんだね。

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2010年3月31日

かもまゆ卒業ソング iTunes 配信!

年度末であります。

お別れ、新天地へ歩き出す方も多いでしょう!寂しさと期待と、いろんな気持ちが交差しますよね。そんな3月にぴったりの曲。唐津で活躍中の「かもまゆ」加茂麻由美さんの、卒業ソング「未来へ」が iTunesで配信開始されました!
http://itunes.apple.com/jp/album/id363956056


この曲は実は、去年の僕の番組「サウンド見聞録」でデモをご紹介したものなんです。この放送のために、わざわざうちでデモ録りをしていただきました!

今日は特別に、そのラジオ用デモ音源も含む、この番組を、皆さんにも公開しようと思います!

前日はシェボンゾのセッションがあって、夜遅くまで楽しんでいました。そんな翌日のハードななか、かもまゆさんに歌っていただき、出演いただきました。そんなんで、心なしか私が元気がないですが気にしないで、かもまゆさんの音楽を是非お楽しみくださいな。

かもまゆさんの音楽を聴いて、いろんなことを思い出す方も多いと思います。

僕自身の音楽もそうですけども、一瞬でも、そういう心の奥底のなにかの気持ちがこの音楽で一瞬でも蘇ってくれたら、そして、また明日から歩き出せるような、そんな音楽をこれからも皆さんに提供できたら、と思います。

音楽はすごいんだよね。

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2010年2月18日

昔の自分に戻るみたいで嫌だったけど

ココ最近、自分のレーベルの子のライブの際には、ギターとかじゃなくドラムで参加するようになった。元々僕はドラマーは仕事としてやってたこともあったので、歌う以外では、なにかのアスリート系プレイヤーだとすると、それほど卓越してるってほどでもないけど、一応ドラマーなんだよね僕は。

ただ、たとえば自分の作風がネタ系からポップ系に進化して、それ以前に戻りたくなくなってしまったように、もう自分はシンガーソングライターなのだから、ドラマーなんか昔の自分なんだ、過去なんだ、って思って、話題に触れたくもないような時代の話だった。

それにほら、よくあるけど、昔の自分の感覚、なんだか嫌いだった自分に戻ってしまうようでいやだって言うのもあるでしょ。過去の自分の否定。中二病。

あとは、最近気付いたのだけど、おもしろいんだけど、たぶん今の自分は過去のドラマーだった自分に嫉妬してるんだって思った。ドラム叩いてるのがよかったとか、人に言われてたでしょ最初のうち。ちがう!僕は歌うの!あんなの嫌々やってたの、ドラムなんか好きでもなーんでもないの!って言うことで、歌う自分のほうが冴えないことを誤魔化してたんだよね。

まあでもね、一度は封印しないと、やっぱり別な道は拓けなかったと思うよ。器用貧乏っていうか、二兎を追うものは、って言うじゃん。やっぱり表現者として、創って歌う以外の道を全部封鎖したからこそ、エクスキューズみたいなものをあえて全部排除したからこそ、創って歌う人として開花できたんだと今でも思ってるから。

まあそんで、いろんな子プロデュースするようになって、やっぱりレコーディングだけじゃなくて、何かイベントあったら自分も演奏に参加したいやん。その時に今までは、わざわざ Bass と Drum の人とか頼んでたわけよ。でもそうすっと、自分はなにやる?ってなってギターとか弾いてたんだけど、やっぱりなんか「舞台上のお客さん」なんだよね。バンドに自分要らないって言うか。そんでいろいろ考えたときに、ああそっか、自分がドラムやればギャラだって払うこたねえし(笑)、楽しく出来んじゃね?みたいな事を思いついた。

その時に一番思ったのは、そのさっき書いた過去のこだわり。なんかまたドラムやり始めて、こっちのほうがいいとか思って戻っちゃうんじゃないの?自分、とか。んで恐る恐るやり始めたら、これが意外に楽しいわけですよ。ヒキコモリレコーディング作業の息抜きにもなるし、なんか大丈夫だった。

あと、ライブでやってみると、やっぱり「ドラムの姿もいいね」と言われた。でも不思議に「ちがう!オレは歌う人だし!!」とかなかったよ。なんか嬉しかった。それは、自分が歌う人として確立した世界でドラムやったからだって思った。昔は「ドラマーだった人が歌も始めてみました」だった。それが「今は歌ってるけど、ドラマーで活躍してたこともある」に変った。なんか嬉しかったよね。

いまは、そこも営業戦略としてじゅうぶん役立つってわかったので、積極的に何かできる場面があったらドラマーとしてやるようにしてる。

過去を否定し続けてたのに、ふと認めるときも来るんだなって思った。人生って長いね。そういうもんだね。

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2010年2月15日

非モテ非コミュっこの逆襲

昨日は、僕がプロデュースしてるバンドが独自で企画した、バレンタインライブだった。出演は僕含めて全員男子のグループで、お客様はみんなチョコ持参、どのメンバーが一番チョコもらったか、最後に発表!みたいなベタなw イベントだった。

僕が参加した理由は、出演だけでなくPA等の音響設備を提供しなければならなかったから。なので半分はスタッフだったんだけど、僕も歌えということで歌ったのね。どう考えたって僕にチョコなんかないし、そもそも一人だけ場違いだから、と思ってたんだけど、なんか義理、でもないけど、ファンチョコみたいなものを数個いただけて、意外だったし嬉しかったな。まあネタとして、というかオチとして僕がゼロ!でもじゅうぶん良かったのですが。

前々からブログでは書いてたけど、高校時代までの僕は本当に悲惨な生活を送ってた。でも僕は自分を天才wと信じて進み続け、自分に何が足りないのか、いろんな修行をしながら必死に探し続け、結果的にいまこうなってる。

今の僕はどの歳でも「奇跡の○歳」と言われ、若い人たちのイベントにも呼ばれ、違和感なく過ごしたりしてる。声も外見も水準を死守するため毎日節制とかしてる。

今それが、(たとえ必死だとしても)出来てるのは、高校時代までの不遇の経験があったからこそだし、自分としては頑張った成果なんだから、これくらいの還元はあっていいじゃない、と思ってる。

僕は常に同性の、特に同年代以上から疎ましがられる存在だった。高校時代までは、性格が先輩からかわいがられるタイプじゃないってのもあったし、明らかに普通と違ってたので煙たがられてたんだと思う。

それが大人になってくると、別な意味で叩かれるようになってきて、自分としてはその理由がなんなのかよくわからなかったのだけど、去年ある女性に言われたのだけど「あなたはすごい妬まれてるはずです。その歳でその外見でその声で曲で、同年代からするとホント嫌ですw」と。

その女性にそう言われたとき、ちょうどこないだラジオで言ったけど、僕がある系列の曲を発表し始めると、過去の友人がみんな離れて、僕のこと叩いたり意見するようになった、って。そのことを思い出した。

10年前CDを発売して、喜んでくれたファンの方たちもたくさん居たんだけど、旧来の知り合いがみんな文句言ってきたのは、そういうことだったのかな、と思ったりした。でもそんなの当時の僕は分からないから、本当に傷ついたんだよね。そのトラウマを10年引きずったんだ。そして今回のアルバムになるんだけどね。

僕の中では、今も自分は高校時代までの非モテ非コミュのヒキコモリという感覚と変ってない。こういうことにいちいち傷ついたり、なんでだー?って憤ったりするってことは、そういうことなんだろうなあ。


チョコたくさん嬉しかった。

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2010年1月24日

どん底という幸福感

http://www.stickam.jp/video/179678572

昨日の生放送動画です。チャットでご参加ありがとうございます。僕の創作の歴史を辿る番組もいよいよ佳境でして名盤「ひつじ Songs」の完成に至る話になりました。番組でも語っていますけど、アルバム完成は「今まで生きてきて一番幸せ」な出来事だったにもかかわらず、気持ち的には、本当にどん底でした。

その理由が分からないのです。達成したところが想像以上に行き過ぎてしまい、その事実を自分で受け入れられなかったこと。燃え尽き症候群により、その後の生きる標みたいなものを見つけられなかったこと。

とまあ、いろいろあると思うのですが、まあ簡単に言うと、途方に暮れてしまったんですね。


そうね、例えれば、みんなで山を登っていたのに、気がつくと周りに誰も居なくて、たった一人だった、という感じです。あのなんともいえない感覚は今も忘れられないと思う。

まあそんな感じで、アルバム完成後、ボーっとした1ヶ月を過ごしましたが、徐々にまた復活してきます。そして代表曲を連発していくんですよね。今回はその直前の流れまで語っています。


前回の特集もいいです。
http://www.stickam.jp/video/179658519

その前もいいです。
http://www.stickam.jp/video/179637698


はからずも、ですけど、こうして自分の歴史を追体験することにより、僕は自分自身のクリエイティヴィティを再発見しました。まさに、「僕はココに居る」ということなんですね。

今後も道は続いてゆきます。続く限りは歩くということです。みなさんありがとう。

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「名誉ある」孤立

いろいろリンクする流れがあって、番組のこともあって、僕の考えがまとまりつつある。いい傾向だと思う。

僕が感じてる違和感のひとつに、音楽は「人と」しなくちゃならない、という部分があります。

原稿書きも絵描きも一人でする作業でしょ。でも音楽は「基本は」そうじゃない。僕はそれが苦手なんですね。音楽も自分だけを反映させたものにしたいわけです。純粋主義。だから多重録音してるでしょ。でも録音はそれで出来ても流通その他になると、必ず他の人が関わってくるでしょ。そうするとどんどん「汚れて」くる。それがいい場合もあります。でもそれは、奇跡的に素晴らしい才能が集まった場合でしょ。そんなことあるんだろうか、というのが大きな疑問。そして、その才能の人と僕が、気が合うかどうか、というのもマンにひとつの確立くらいじゃない?

それは僕みたいな泡沫にとって、あまりにも無いものねだりな事です。ほとんどの場合はどんどん汚されて、純度が下がってゆく。妥協して完成度も下がってゆく。それはいいことだとは「僕は」思えない。

だから孤立しています。仲間とか「音楽ムラ」からです。でもそれはきっと「名誉ある」孤立なんです。つか、そう思うしかねえよ、と。

まあただ、そういったすべても自己責任、つまり、自分の活動その他が不甲斐ないせいで、そういう仕事しか出来ない、ということはあると思う。

結局自己を磨いて上がっていく以外の道はないように思います。

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