天然を必然にして数値化したヒト~松任谷由実
荒井由実時代から、一応リアルタイムで知っていた身分で、雑感を語ってみる。荒井時代のヒット曲はルージュの伝言とあの日に帰りたいで、僕も当然チャートなどでうっすら存在を知ったものだが、当時はそれほど魅力に感じていなかった。ずいぶんあとになってからふと興味が湧き、あるツテでファーストアルバム「ひこうき雲」とセカンドの「ミスリム」を聴き、その瑞々しさと斬新さにハマったけども、そのとき既に本人は「松任谷」であり、それ名義での活動から観れば、一般的には「過去の天才少女」ということに過ぎなかったように思う(あくまで個人的な印象と、僕の周りの人々の反応から見た感想です)。荒井時代の天才少女ぶりと比較すると、当時の松任谷の活動も存在も地味であったし、なにより音楽家としての信頼度が、同時代の所謂「ニューミュージック系」人気アーティストに比べると、どこか危うく薄いような印象があった。たとえば松任谷由実が何かの音楽を担当した、と聴いても、正直ピンと来なかったし、当時人気の、例えばゴダイゴなどに比べても、松任谷の立ち位置は「サブ」という存在に過ぎなかったように思う。まさに「ラーメン屋のテレビで見るような音楽ではない」のであった。
さて、そんな昔話は僕の故郷時代の話で、上京してから僕の意識は一変するのだ。北海道と違って、松本隆的世界観や、ユーミンの音楽観が、東京の風景や空気に想像以上にハマることに気付いた僕は、それら(ティンパン系)アーティスト達のヘヴィリスナーになった。彼らの描いてる世界は、あくまで本州以南の世界観であり、北海道に通用するものではまったくなかった。季節感もまったく違ったし、匂いも色彩もまったく違った。東京で初めて聴いたそれらの楽曲が、とてつもなくリアルに聴こえることに僕は大変ショックを受けた。世間的に浸透しているとか、そんな下世話なことはどうでもいいのであった。ともかく作品として完成していること、それがすべてだった。そのとき僕は、田舎モノにはわからない音楽や文化というのは確実にある、と悟った。そして、音楽家を目指していた僕は、そういう「ジャパニーズ・スタンダード」を知らなければ日本で生き抜いていけない、と強く思い、そこから10年余り、洋楽ロックから離れ「JPOP」というジャンルを聴き続けることになる。
東京に出て改めて聴いた松任谷由実は全てが新鮮だった。荒井時代とは違う、何か別な世界がそこにあった。最初は気付かなかったが、やがてそれは「計算」ではないか、と思うようになった。と言っても、凡人が言うところの計算じゃないのだ。彼女ならではの「自己分析」による計算なのだ。荒井時代に人々を魅了したもの、それを踏まえつつ、天然ではできないようなもの、綿密に計算されて、巧みにユーミン色を混ぜつつ「生産」していく。彼女の「自己分析」は他者に比べて抜きん出ており、彼女自身が発見した「公式」に当てはめて、それプラス、前述のニューミュージック系他者、または往年の歌謡曲などといった下世話成分も研究成果として加味したうえで、徐々に、全国に通用する「ユーミンブランド」というスタイルを完成させていったのであろう。個人的には、松田聖子と麗美に書き下ろしていた時代に、それは完成したのではないかと思っている。最初の、いくばくかの天然が入った作品から、末期にはちゃんとしたジャパニーズスタイル(ABCABCDCC)になっているのが見事である。そこで彼女は何かを掴んだのであろう。そして自身のアルバム「NO SIDE」~「DA・DI・DA」で自己名義としても完成するのだ。
そこからのユーミンは、みんなご存知のとおり。何かの音楽を担当、と言われても「ああユーミンならだいじょうぶ」と言わしめる存在になった。そのころには、かつてのニューミュージック系な人々は居なかった。結局、生きのこって継続したのはユーミンだけなのである。
いまの僕は荒井時代より松任谷時代のほうがはるかに好きである。そこには、簡単には枯れないぞ、というような気概があるし、計算があるし、それでも消し去れない天然があるし、なにより本人の努力の結果が作品として透けて見えるのが素晴らしいのだ。彼女は荒井時代の自分に溺れることなく、それを冷静に分析し、どのように展開させて継続すれば「仕事」になるか研究したのだ。天然は限界がある。彼女が目指したのは、それに根ざした生産なのだ。曖昧で不安定な「天然」とか「天才」とかいうものに惑わされず、きちんとした数値にして、安定生産を図りたかったのではないか。彼女の実家は「呉服屋」という「商家」である。売れるものを商品としてしっかり創り続けること。それには、もう枯れたとか、今日は気分がのらねえ、などと不安定なロック気質ではだめなのだ。彼女(と正隆氏)が目指したのは安定した「システムとしての天才ユーミン」なのであろう。それに当って、荒井時代の自らを分析し数値化し、工業生産化したのだ。そう考えると、非難されがちなバブル時代の「ミリオン」という数字も大変意味深く感じるだろう。僕が「ちょっと別な意味での」天才、として、今も彼女を尊敬して止まないのは、作品力だけではなく、そういった理由もかなり大きいのである。
もしJPOPの作曲家を目指すのであれば、松任谷時代の彼女の作品を順に聴き進んでいくことは、とても勉強になるはずだ。彼女がどうやって「JPOP」を作っていったか、その過程が全て見えるからだ。松任谷由実はJPOPを発明したアーティストのひとりであるといってもいい。JPOPの成り立ちの歴史が、彼女一人の作品を聴くだけでわかるなんて、すごいじゃないの。
以前書いたもの。「オレが選ぶユーミンベスト10」
http://karakawa.cocolog-nifty.com/egm/2005/04/10-b690.html
【追記】
ツイッターで、アルバムごとの印象などを語ったログが出てきたので、参考のために貼っておきます。貴重なリアルタイムの感想ですね。
- 30年間好きで居続けるって、たとえば僕は「ナイトウォーカー」とかの曲も、今も当時とまったく変わらない熱量で好きだけど、そういうことだもんね。
- あとは、「ずっとそばに」とか「時間の国のアリス」とかかな、当時ので今もそのまま好きなのは。そのまま、というのが重要なのね、途中で変わらなかった、ということだからね。そいうのってすごい不思議なんだよなー。
- これも84年かー。是非とも本人に歌って欲しかったんだけどなー。残念ながらセルフカバーがないのだ。他はけっこうあるのに。>麗美 愛にDESPERATE
- 84年あたりのユーミン本人はヴォイジャーとノーサイドなので、僕はどっちも後追いだからリアルでは知らないのよ、残念。
- なので当時で知ってる曲と言うと、その前の「ナイトウォーカー」になってしまうんですね。でもあれはホントにずっと好きだった曲のひとつ。貴重かも。
- 今はずいぶんユーミンにも慣れてシャッフルで出ても聞き過ごせるんだけど、それでも「ナイトウォーカー」と「よそゆき顔で」だけは、惹き付けられてしまうなあ。
- 昔はユーミンをそうやって聞き流すとか、とんでもねえ、って思ってたから。ちゃんと正座して聴くもんだっていう。
- あまり人には言ったことないけどね、2000年代の僕の神様がaikoだとすると、その前まではユーミンだったんだよ。
- 当時はホントにたくさん好きだった。歌詞も全部バイブルだったし、歌詞とメロディとコードで感じるバーチャルリアリティなんだから、感受性がないとユーミンの歌はわからないの!とまで言ってたんだよ僕はw
- その話を最後にした相手は、母の介護で引退したコラボ女子だったか…。いま思い出した。96年だ。そこまではそう思ってたんだ。。
- そのあと琴線に引っかかったのが、2001年に「夢の中で」なんだよな。5年後だ。それも後追いだったけど、それはよかったんだ。スユアの波で3曲だけ。久々に歌いたくなったんだよな。アルバムで3曲歌えれば僕はじゅうぶんだったよ。ユーミンだ、よかった、て。思えたから。
- aikoもそうだけど、ゆーみんも音楽的に分析したことがほとんどない。歌とメロディと歌詞だけ。分析すると終わってしまう。。という意識がすごくあって。だから神様なのだけど。
- 後追いで知ってすごく好きになったのは、「潮風にちぎれて」と「ヴォイジャー(曲)」だった。ちょっと地味だけどじわじわ来るのが好きだったんだな。
- あとは「トロピックオブカプリコーン」とかもすきだった。後追いは耳が肥えてるから、リアルみたいに好きになるわけには行かないけど、それでもそういうのは、今聴いてもいいって思えたんだよな。
- 90年代からだと不動の名曲「サンドキャッスル」があるので、そこは揺らがないけど、ほかにも小品で好きなのがけっこうあったよ。「この愛に振り向いて」とかはかなり好きだったと思います。
- 「サンドキャッスル」はね、バンドのレコーディングの帰り、大晦日だったんだけどね、車の中でFMで流れたのを聴いて「ユーミンだーー帰ってきたーー」って思ってすごく感動した。やっとこういう曲創ってくれたんですね、って。
- 10年ぶりくらいだったんじゃない?ああいうの書いたのが。つまりそれは10年経ってバブルが終わってしまったので、っていう悲しい現実でも合ったのだけど。っていう情報は後追いだけどw
- それまではずっと聴いてなかったの。でもそれで嬉しくて、そこから春よ来いのアルバムまでリアルでちゃんと聴いたんだよ。だからあそこの数枚は、リアルに自分の人生に重なってていろんな思い出があるな。
- それ以外では何度もいうけど、「昨晩」はホントにアルバム丸ごと好きで、何度聴いたかわからない。あまりに聴きすぎてそのあとは聴けなくなってしまった。それは飽きたとかじゃなくて重くなってしまったのね。
- いまでも、それこそ正座して聴かなきゃいけないアルバムみたいに思ってるところがある。ずっと気を抜けないんだモノw
- 「ランチタイムが終わる頃」ね。これもずっと変わらずに好きな曲じゃないかな。これら3曲は、どれも歌って気持ちがいい、というのがあるの。それがかなり大きいと思う。
- U-miz って私けっこう聴いてたんだなって気付いた。これ嫌いじゃなかったと思う。ヒット曲だけど「真夏の夜の夢」も好きだし。
- ティアーズで生演奏中心にけっこう戻って、昔っぽくていいとか思ったのだけど、その後のU-mizでは、上半身だけ人間(ドラムが)とかそういう組み立てになってて、最初は「なんだこれ??」みたいに思ったんだよな。でも慣れたら、いいかもって思えてきた不思議なアルバムだった。
- その後のダンシングサンは音は普通だった。同時代のほかのJPOPと同じというか。でもU-mizはちょっと違ったんだよ。それが当時は「?」となり聴き込み、それが今になって割といいなと思うのかもしれない。
- ちなみに上半身ナマっていうのは僕もよくやりました。打ち込みでスネアとハットだけ抜かしておいて、それだけを自分でプレイしてオーバーダビングするっていうの。楽しかった。私キック苦手だったのでちょうどよかったんですよw
- 話は戻りますが、音やアイディアとかでおもしろいなーって思って聴いたのが、U-mizが最後だったんじゃないかなって思う。
- アラームアラモードもちょっと音が違うアルバムなんだよね。1曲目以外はそれほど好きなのはないんだけど、音が気持ちいいので、よく聴いたのだった。単純に音がよかったからだね。ホントに。
- 真夏夜夢っておもしろい曲でさ、上半身ドラムもそうだけど、ギターも、当時外国人とかでばりばり手数多いミュージシャンみんな使ってた時代に、いきなり鈴木茂氏で、でもそれが妙に引っかかるとか、そういう違和感と、でもヒット曲っていう不思議なマッチングが今でもおもしろく思うんだよ。
- 普通、大ヒット曲っていろいろ完璧じゃん、なのにあれは違うんだよ、それまでのユーミンの流れでいえば、いくらでも完璧に出来たはずなのに、なんでいきなり荒井時代みたいなスカスカにしたかなー、と思ったんだよな。えーコケルんちゃうん?って心配したんだもんw でもヒットしたからすごい。
- こういう感想は、リアルで追ってたからこそのものなので、この数枚は追っててよかったなって思います。いいときに追ってたなって思う。たまたまだったけど。まあでも耳と感覚に引っかかったから追ったんだとは思うけど。
- それに比べると「春よ来い」は嫌いではなかったけど、みんながいい、いい、好き好き言ってたので、ああなんか、そういう消費されちゃうのか、それで花道かーって思ってちょっと寂しく思ったよね。で、僕もそこで追うの辞めちゃったのだし。
- ユーミンで、アルバムに2曲もミリオンとかありえないので、すごく終了感があったのだった。駆け込み需要みたいなさ。。
- そんな90年代の前半から後半へのつなぎでした。
- そういえばアラームアラモードだけ、後追いだけど、他のよりちょっと先に聴いたのは、当時、別冊少女フレンドで「ユーミンの曲を題材に描く」というシリーズがあって、それで「3Dのクリスマスカード」があったからなのね。へー、そんなクリスマスソングがあるんだ、と思って聴いてみた。地味だったけど嫌いじゃなかったよ。
- 思えばその辺からがバブルだったんですね、たぶん。なるほど。
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