2010年10月 6日

岸辺のアルバム

僕の家は明るくも楽しくもなく、幸せな家ではありませんでした。おおむかし偶然見たこのドラマ。ここで描かれた、表面上だけ繕って内実が崩壊してる家庭と、頭でっかちでひね曲がった性格の長男が、自分と自分の家庭そっくりで、本当に自分を投影して見ていました。オープニングにちょっと出てきますが、最後に多摩川が決壊して家が流れるんですね。本当に。あれがすごい印象的で、自分の家もああなればいい、って思ってたくらいです。

あの洪水で家が流されるのは実際の災害なんです。その実写映像をドラマで使用許可を得て実際に使ったんですね。長崎洪水のことなんか考えると、今じゃ考えられないですね。ずいぶん後になってから、この流された場所は、東京の狛江市で多摩川の土手だと知りました。それを聴いてから、いつか狛江に住んでみたいと思うようになりました。なんでだかわからない。何かが見つかるかもしれない、そう思ったのかもしれないし、過去の自分を引きずってたからかもしれない。

僕がドラマーから作曲家に転向して、亀田誠治師匠アレンジでリリースとかされてた頃、僕は船橋の一軒家に住んでいました。そこが大家さんの都合で立ち退きになり、急に転居先を見つけなければならなくなったんですね。その時に、ふと「狛江に越したいな」と思ったんです。そうして僕の21世紀は狛江市から始まったんですね。

念願の狛江に引越ししてから、この辺の風景はどこか懐かしさがあるな、と思い始めました。でもその理由がそのときは判らなかったんですね。そんな懐かしさに誘われたのか判りませんが、この土地の空気が気持ちよかったので、僕は毎日チャリで多摩川土手を走る(見回り)ことにしたんです。狛江から上流に行くのは調布のほうに行きます。見回りするようになって知ったのですが、有名なドラマのロケ地が、この辺はたくさんあるんですね。

僕は「戻る」という行為が嫌いなので、帰りは同じ道を戻らずに、必ずグルッと円形ルートで帰りました。なのでどこかで対岸に渡らないとならなかったのですが、是政とか府中とかいろいろルートはあったのだけど、最短の橋が矢野口のところで、それが一番多かったですね。そこで多摩川を対岸の稲城に渡ります。帰りは府中街道、もしくは川崎街道というのですけど、そういう幹線道路を下るんです。たくさんのお店が沿線にあって、いろいろ寄りました。渡ってすぐ、矢野口の交差点にリサイクルショップがあって、そこで見つけたのが遠藤響子さんのカセットでした!もちろん即買い。その店はいつも大音量でFMが流れてて、aikoのおやすみなさいと、ポールマッカートニーのドライビングレインはそこで初めて聴いた。日曜に、たまたま行った時、平日見かけないバイトが居て、若くてヒョロッとした草食系のやつ。んで、なんかレゲエみたいの流れてるんだけど、なかなか、いい感じなので、コレ誰?って訊いた。それが MOOMIN でした。ちょっと下ると、稲田堤にディスクユニオンがあって、そこも毎回寄りました。

その頃僕は、長崎ちゃんぽんをよく食べてたのだけど、それも、稲田堤のリンガーハットですね。そのちょっと先に古本屋があって、時々寄ってました。そこで偶然聴いたのがカプセル。曲は happy life generator。すごい衝撃的だった。でもその時は、カプセルだということも曲目もわからなかった。そんで古本屋から中野島に抜けて多摩川土手に戻る。その道で歌詞とかメロとかコードとか脳内で構築して新曲考えながら狛江に戻る。それを毎日やっていました。

初めて happy life generator のサビを聴いた時のショックは、ほんと計り知れなかったです。いろんなこといっぺんに思って、聴きながら、あー終わる終わるー!って思って、もう一回聴きたくて翌日も翌日も同じ時間に古本屋に行ったわけ。確か2回目の時にコードとメロを簡単に憶えて帰って、どうなってんだー?って家で弾いてみたんだけど、なんか違うなコレって。でも方法論だけでもすっげえので、それは忘れないって思って。
その後、なんで曲目が判明したかっつうとですね、2年後に新百合ヶ丘のビレバンで買い物してた時に、いきなり曲が流れてさ、あーーー!!!って。そんでCDのところに行ったらカプセルってあったんだ。今でも僕にとっては、中田ヤスタカはこの1曲で神ですね。

そんなわけで、町や川やいたるところで音楽があって風も匂いもあって、そういうの毎日、集めて走ってたんだな。
その時は、それがなんなのか気付かずに。そして、この時の経験が去年のシティFMの特集「僕の渋谷は多摩にあった」となるわけです。深いね。

自転車で土手を走りながら、自分の曲のメロやコードやアレンジ歌詞なんかを毎日考えていました。全行程1時間から2時間、途中で寄り道することもあったし、行きの昇りで、何か思いついたら急いで帰ろうと思うから、その時は直帰で1時間くらいかな。その時は帰りも川崎側の土手を下りました。水門や団地を見ながら、すっ飛ばすのは気持ちよかったです。下りだからね、スピードが出るんだね。そんな感じでチャリで作ったんは、ドライブの追っかけコーラスのアレンジ、曇り空、思い出の切れ端とかかな。キタノマルもそうだったかもしれない。
ドライブの、あのコーラスアレンジは走ってる最中で脳内で完結させて帰ってきました。うちに帰って、そのとおりに歌っただけ。(ココにいろいろある。ドライブは真ん中辺りにあります)

思い出のきれはしはすごい時間かかった。何日も出来なかった。どう展開させればいい曲になるのかって、Bメロとかイントロとか5種類くらい考えた。結局イントロは全部ボツになって、最終的には売ってるテイクのグリッサンドになった。あれは元々ふざけて弾いたんだけどね。そのまま使っちゃった。正規レコの時に、本当は弾きなおしたんだけど、元の雰囲気がどうしても出なくて、だからグリッサンド部分だけデモからコピペしたんですよね。歌詞も苦労して、前にココのブログで書いたけど、相鉄線の緑園都市で、仕事の合間に書いたんだ。コウ思い返すと、やっぱり苦労したのはFUSEKIアルバムの前半だよね。だから苦労した思い出が印象強く今も覚えてるわけだよね。それに比べると後半は楽だったと思います。勘が戻ったんだろうと思う。

その後僕は、また仕事が忙しくなったというのもあったし、そうやって何かの力を借りなくても勘が戻ったので、そうして振り返る事はしばらくなくなりました。まあでも、そのときの感覚はたっぷり作品や仕事に反映はされました。
それらの断片はここで聴けるし、完成品はCDやCMになりました。

その後いろいろあって、長崎移住となります。その際に、まあちょっと事情があってですね、最初はナント!野母崎半島の三和!に住んだのですよ!あの山奥で何もないところで、僕は幽閉されていました。楽しみといえば唯一ケーブルテレビがあったことくらい。ケーブルにはいろいろチャンネルがあるんですけど、たまたま見た、NECOとファミ劇というチャンネルで放送してた昔のドラマを見て、僕は驚いたのです!そこでやってた70年代の青春ドラマとか刑事ドラマとかあと、ウルトラセブンとかですよね。そういうのでロケで出てくる景色が全部!狛江と多摩川なんですよ!!これは、東京に住んでない人は判らないと思います!
でも、当時のドラマ、そしてこれは今でもそうなんですけど、CMとかも含めてなんですけど、川の土手とか遠景のマンションとか公園とかそういう景色のほとんどが、多摩川とか調布とか狛江なんですよ。それで気付いたのは、そういうドラマの風景を子供の頃からずーっと見てるでしょ。そうすると、ドラマの風景が刷り込まれて自分の原風景のような感覚になるんです。
それは業界の標準として、ドラマのロケはあそこがいい、とか決まってるわけでしょ。だから必然でそうなる。それは撮影所が調布狛江に多いというのもあります。円谷プロダクションもすぐ近所の世田谷なんです。
そうして僕は昔のそんなドラマを見ながらああ、僕にとっての郷愁がここにあった!と。そう気付いたんですね。それまでは、何故僕が多摩川や狛江の事を自分の故郷のように感じるのか、はっきりわからなかったんです。それが、三和でケーブルで昔のドラマをたくさん見てそれで気付いたってことですよね(余談ですが、後にこのケーブル料金をめぐって裁判になりました。僕が絶対に譲れなかった理由が、これで判るんじゃないかと思います)。

この日記の最初のほうで、僕は、自分の家庭が温かい場所じゃなかったと書きました。共働きで両親は家に居なかったので、学校が終わったら、誰も居ない家にいつも帰っていました。その「誰もいない家」が僕にとって一番居心地の良い家でした。その家で、夕方の再放送のドラマを見ることだけが唯一の幸福だったんですね。だから僕にとって、そういうドラマとその風景が故郷なんだと気付きました。もうひとつ楽しみだった事があります。それがラジオで当時のヒット曲を聴くことですね。その二つの要素が結びついて今の僕の形になったということですね。

そこで前に紹介した、シティFMの渋谷系音楽の紹介特集。ここで言った、僕の渋谷は多摩に有ったんだ、という話は、僕自身の郷愁が多摩にあったんだという話だったんです。

僕は、自分が音楽をやる時に、何か借り物の音楽をやるというのが嫌だったのですよ。何かの受け売りとかじゃなく、ちゃんと自分自身の根底にあるものをやりたいのだ、と。そう思っているんです。しかし、どうも自分の根底に無さそうな音楽に惹かれる自分がいる。それはなんでなんだ??とずーっと悩んでたんですね。それが、ここで全部解決したってことなんですね。誰でもそうだけど、本当の自分自身は自分の中にしかないということです。何かに反応する、ということは自分の中のその要素が反応してるってことですね。しかし案外、自分は気付かないもんです。でも他人は意外に、そういう部分を「魅力」として見つけてくれたり好きになってくれるんですね。だからと言って、そんな自分は嫌だ、という拒否反応もある。自分は自分の理想もあるからですね。だから、多分その人にとって一番いいのは、本人が気付くまで放っておく、ということです。それは永遠に続く戦いなんですね。それでいいんじゃないかな。

狛江の多摩川土手崩壊災害の話から、長ーい旅の後、こんなところに到達した。でもまだゴールじゃない。また明日になったら全然違う事を言ってるかもしれない。そういうもんだね。

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2006年1月12日

ポッドキャスト特別企画 ~ リハビリの軌跡 4「緑園都市」

いよいよ第4弾。
今回は 想い出のきれはし です。

 

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この曲の録音製作の様子は、実は
ここの日記(正確にはメモライズ日記)で書いていたのです。
今回の企画を機に、自分もちょっと振り返ってみたいと思ったので
カテゴリにまとめてみました。→Recording Daze 1

 

これを読むと、意外に早い時期に録音開始してるということが判る。
当初はDA88を使用していました。
つまり、この曲の録音途中で、DA88のデジタルテープ録音から
MacG4のHDDレコーディングに移行しているわけです。
で、今までここでご紹介した、試験運用やマスタリングなどの時期を間に挟み
機材慣れした上で、改めて正規レコーディングに入ったということなのです。
そういう意味でもすごい紆余曲折な曲なんですよね。

 

今回まとめたカテゴリ記事で判りますが
すごく時間をかけて慎重に作業している感じ…
というよりは、ただの煮え切らない状態だったのかも。
機材周りの調整から始まり、エフェクター、Bassの弦や音質追求とか。
読んで思い出したけど、確かに
アレンジ違いバージョンも大量に創りました。
ほんとにリミックスみたい。
それくらい、現場感覚ってやつを忘れていたってことだと思います。
ライブ後初の本格録音だったし。
腕も頭も鈍っていて、ちゃんとした判断力も鈍っていた、と。
「本当にこれでいいのか??」とか必要以上に悩んで立ち止まることが多く、
優柔不断状態でなかなか次へ進めなかったんだと思います。

 

ホントにリハビリだねえ。

 

あとは、HDDレコーディングになった今だから判るんだけど
DA88の「テープ録音」が修正のしづらい一発録音だってこともあると思う。
DA88のパンチイン、パンチアウトは優秀で、とっても綺麗につながるんだけど
いかんせん、8mmテープなので。
やっぱり何度も必要以上にやり直せない。
テープにも機材にも、とっても負担をかけてしまうので。
そんなんで取り扱いに気を使っているということも大きいと思います。
それでも、エラーとかで止まったり大変でしたね。

 

ということで、この曲はDA88時代に
既にカラオケの8割くらい出来上がっていました。
Mac導入の際に、その6トラック分(たぶん)のオケをHDDに移動、
冷たい夏や少年の10月の作業のあと、満を持してボーカル録音に入ったのです。

 

日記によると、Dメロの歌の録音はDA88でやったようだ(記憶にない笑)。
HDDで追加したのは、そこ以外のメインボーカルとハモリ。
あとはオルガンなどのキーボード類です。

 

そのメインボーカルを録り始めたのは、
ヒキコモリからの帰還後、仕事を再開してから。

 

ワンコーラス分の歌詞は既に出来てたんだけど、
残りの部分の歌詞が出来なくて、仕事中もずっと考えてました。
そんで、仕事でたまたま「緑園都市(相鉄線)」に行った時に
なんとなく全体のイメージがつながって残りの歌詞がパーっと書けた。
緑園都市も、ある種ニュータウンだもんなあ。
季節も春で暖かくて。
絵に描いたようなシアワセな郊外の暮らしと。
翻って。夢を失って、でも諦められずにあがいている自分との対比。

 

この曲を聴くと、今でも「緑園都市」の
あの時の、街の風景が目に浮かんできます。

 

歌詞ということでは、この曲では
故意に「ら抜き言葉」を使ってみたことも思い出します。
それまでは、けっこうその辺の言い回しは気を使ってたんだよな。
でも、この曲であえてやってみたんだ。
なんか吹っ切りたかったのかも知れないね。

 

創った当時はいっぱいいっぱいだったんで気付かなかったのですが
この曲に込められた想いってすごいなと最近思う。
とてもつらかった自分を思い出して、なんだかジーンときてしまうのです。
個人的キモは、2番のBメロ「明日への階段を~」のうしろで
ほのかに聴こえてくるハモンドオルガンの音。
ここはすごく気持ち込めたと思う。でも控えめなの。切なー。

 

なんか究極のナルだよね(笑)。
でもほんとにつらかったからなあ。歌ってすごいと思います。

 

さて。感傷に浸っててもしょうがないので笑
聴きどころなどを書いておきましょう。

 

これはなんと言っても、デジパフォのオートフェーダーを駆使した
Dメロ部分(早口になるところ)のパンニング・ディレイですね。
並べてみたの~みたの~R みたの~L、と左右に揺れるディレイ効果)
当時はDA88時代のイメージを極力変えたくないと思っていたので
この曲のミックスではあまり凝ったことをしないようにしてました。
んで、Dメロの部分だけ、ちょっと実験的にこういうことをしてみたのです。
これは手動ミックスでは無理です。チャンネルも足りないし。
曲全体は、それまでの僕のイメージから外れていないんだけど
いきなりこのDメロの部分だけスパーンと広がっている。

 

あとは、マイナーのサビがずーっと続くのに
最後の最後でコードがメジャーになるところかな。

 

この2ヶ所がこの曲の「希望」なのです。
全体は切なく暗くつらいんだけど、でも将来の希望に繋げてるんだよね。
これがあるので「救われるなぁ」って思います。

 

今回はたくさん語りました。
やっぱりこの曲の完成が僕にとってはかなり大きかったってわかる。
他の作業も大事だったけど、これは「新曲」だったから。
これがあって「To ME」も創れて。
それで次へ進むきっかけをつかんだのだと思う。
そういう意味では、この曲一曲で
アルバム10曲分くらいの意味があると思ってます。

 

長々と読んでくださった皆様。ありがとう。
次はいよいよHDDレコーディングオンリー時代へ突入。
また次回をお楽しみに!です。

 

緑園都市

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2005年11月25日

ポッドキャスト特別企画 ~ リハビリの軌跡 3

冷たい夏

 

特別企画第三弾。
「冷たい夏」も他でDLできるのですが
一応こちらでも上げておきます。

 

ポッドキャスト登録は下のバナーを iTunes にドラッグでどうぞ。

 

 

この曲に関しても こちら に詳細解説があるのですが
改めて取り上げたいと思います。

 

さて前回の「少年の10月」で、まず歌録れ、話はそれからだ、と書きました。

 

もうひとつ、僕が僕である真髄だと個人的に思っているのは
ミックスなんですね。僕が構築する独特の空間というか。
これが出来なければ、というかHDD上でも再現できなければ
ちゃんと出来たとは言えない、と思っていました。

 

で、上記詳細解説でも書いたとおり
うまい具合に素晴らしい素材が残っていたわけです。
これを元のミックスそっくりに再現すること。
かつて僕が構築したサウンドの色を全て再現すること。

 

冷たい夏ニューミックスで心がけたのはそれだけでした。

 

やることはリミックスだけで、新しい音は足す必要がなかった。
なので、ミックスのみに作業を集中できました。
DP3のオートフェーダーとかエフェクトのセンドリターンの流れとか。
マスターフェーダーの使い方とか。
バウンスのためにはどこまでデータを入れればいいのか、とか。
何度も細かく数値を入れ直したり。

 

あと、それら全てをかけたときのCPUの負担具合も。
ともかくあらゆることを試したのです。

 

詳細解説で書いたとおり、1番Aメロの歌がフラットしていて
聴きづらかったんだけど、これはオートチューンで修正できた。
これけっこう感動しましたね。
初めは、こういうのってインチキなんじゃないか、って少し思った。
でも、歌い直すより、やっぱり当時の歌を生かしたかった。
だからこれでいいんだ、と割り切りました。
雰囲気はそのまま残っているのだから。
結果的にとても満足しています。

 

これも DA88 から移動した音源なので
楽器も含めて全部手弾き録音なんですね。
なので、タイミングがずれてたりする箇所もあった。
せっかくなので、それもこまめにチェックして
不自然にならない程度に、ほとんど直しました。

 

この辺もこの曲で試したかったことなんです。

 

どれくらい手を入れるべきか、あるいは入れないべきか。
自然のまま放置しておくか、修正するか。
その辺の程度の見極め方ですね。
サジ加減と言うか、その感覚をつかむ。

 

「冷たい夏」は曲自体かなり入り組んだ構成なんで
そういった素材としては素晴らしいものだったと思います。

 

無事出来上がったときは感動したもん。これ。
また自画自賛だけど。笑

 

あと、ミックス出来上がって
他の曲と並べてプレイバック聴いた時に、
この曲だけ破格にダイナミックレンジが違うことに気付き
一緒に聴いてた h-wonder氏と大爆笑したのを覚えています。
ミックスの全行程でアナログ介在なしって。すげえ~と。笑
HDDレコーディング恐るべしー。と思いました。

 

 

この曲の出来が上手く行って、上機嫌になったんで
To ME のリマスターCDを作ることにしたんですね。
そういう意味では「冷たい夏」はけっこうキーになる曲だったと思います。

 

本当によかったです。

 

 

ということで、次はいよいよ新しい段階に進みます。
お楽しみにね!

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2005年10月26日

ポッドキャスト特別企画 ~ リハビリの軌跡 2

少年の10月

 

特別企画第二弾。
「少年の10月」はよそでもDLできるのですが
一応こちらでも上げておきます。

 

 

(下のバナーを iTunes にドラッグで Podcast に登録できます)

 

 

さて。
デジタルテープを使ったDA88のシステムに限界を感じ
遂にPowerMacG4でのHDDレコーディングへの乗換えを決意。
とりあえず「お試し」ということで、アレンジャーHW氏から
システムをそっくり丸ごと譲り受け、作業を開始しました。
(インターフェイスはMOTU。G4にはデジタルパフォーマ3が入っていた)

 

 

まったくのゼロから開始するのはちょっと大変だったし
DA88で使っていた 8mmビデオテープから
多数の素材を移さなければならなかったのもあって
まず作業はDA88とMacのシンクロから始めました。
この場合は DA88→Mac だからDAがマスターでMac側がスレーブとなる。
ビットレートあわせたりサンプリング周波数合わせたり
いろいろしなければならないことがありました。
どれも初めての作業でしたが、おもしろかったです。
サンプリング周波数変えると音程が変わったり
DA88でヴァリスピード変えると、Mac側の曲の速度も変化したり。
デジタルメディアのおもしろさを、たくさん味わった。

 

8mmテープから移動した素材は、ほとんど過去の完成品でしたが
唯一「少年の10月」だけは、メインヴォーカルが入ってなくて未完成品だった。

 

これは、こちら でちょっと書いたとおり
もともと東放学園実習用に創ったカラオケだったからなのです。
なので、最初創った時から
これにリードヴォーカルを入れるつもりがなかったんです。

 

で、僕の真髄としてはやはり「歌うたい」であるし
その作業がちゃんとできなければ始まらない、と。
まず唄録れ、話はそれからだ、ということで
この「少年の10月」カラオケバージョンに歌を入れることにしたのです。

 

そもそもそういうテスト的な企画で始まったので
これの唄録りではいろいろなことを試しました。
もちろんAutoTuneもかけたし、ファイルも細かくシフトとか
修正とか、ともかくできること全部やったな。
使い倒さないとツールは覚えないし。

 

それでDP3の可能性とか、エフェクトの色具合とか
ミックスの感じとか、いろいろ掴んでいった。
自分の演奏を目で見るファイルや波形として実際見たのも
この曲が初めてだった。
なるほど、なるほどー、って感じでおもしろかったな。

 

 

ということで、一通り好きなことをやりつくして
それで、次への作業に進んでいったわけですね。
あくまで「実験」と思っていたので発表の計画はなかったのさ。

 

それが ここ で書いたとおり「To ME」のリマスターの時に
「そうだ。これボーナストラックにしよう!」と急に思いついて
めでたく公開の運びとなったわけです。

 

 

以前から僕のことをご存知だった方には
僕の代表曲は「少年の10月」だ、と今でも言われます。
でも、これはスタジオバージョンが長らく存在せず、
ライブでしか聴けない曲だったんです。
そのスタジオバージョンが完成して、
みんなにも聴いてもらえるようになった、というのは
すごく良かった、と今思う。
新たに出逢った人とかも「To ME」収録のこの曲を聴いて
イイ!と言ってくれたり。

 

自分の中では、古い曲だしと思って
正直この曲に対する興味は薄れてました。
それが、新しい人たちに聴いてもらったことで
自分の中でのこの曲の位置がまた新しくなった気がしたのです。

 

そういう意味では「To ME」に収録して本当に良かった、と。

 

つまり、この時に作業しといてよかったな、と。
このシステム移動の時にテストでこれを使ってなければ
恐らく「少年の10月」は完成してなかっただろう。
それはホント。大げさじゃない。私リメイクってしない人だしぃ~。笑

 

ということで、HDDレコーディングでよみがえった曲、ですね。

 

 

それではまた次回。

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2005年10月18日

ポッドキャスト特別企画 ~ リハビリの軌跡 1

Drive to 1996

 

ポッドキャスト特別企画第一弾。
実はこの企画はココログが ポッドキャスティングジュース を始めた時に
すぐに思いついたのですが、なかなか時間がなくて出来なかったのです。
そうこうしているうちに、いろんな人がポッドキャストを始めてしまって
ポッドキャスト自体、さして珍しくもなくなってしまいました。

 

まあそんな感じで、タイミングを激しく逸した企画ではありますが
時流に流されない私としては我が道を歩んでいくことにします。笑

 

興味のある方は是非この下のバナーを
iTunesにスルッとドラッグしてPodcastに登録してみてください。
順位が上がるかもしれません。

 

 

ということで、企画の説明。
10年間使用してきたデジタルマルチトラックテープレコーダの
レコーディングシステムが、不調だったり、
時代の趨勢がHDDレコーディング主流となってきたり、
まあその他いろいろあって、乗換えを決意したことは
以前もここで何度か書きました。

 

ちょうどその乗り換え時期は
自分の作曲活動のリハビリ期間と重なっていて
その期間に製作した作品は、そのまま
試行錯誤と成長の記録になっているんですよね。
それを製作順に解説しながら公開しよう、と。
まあそういう企画です。

 

 

曲の解説
で、初回の今日は一番上に置いてありますが
「Drive To 1996」。
これは、こちらの 解説 で書いたとおり
DA88(デジタルマルチ)の走行トラブルでイントロにノイズが入ってしまったもの。
幸い、そのノイズはミックスの「力技」で消すことが出来たんだけど
このトラブルが、DA88を見切った直接のきっかけになり
その後のHDDレコーディング移行を決意させたものでもあるのです。

 

ということで「Drive To 1996」は
DA88で録音した最後の曲となったのですね。
歌詞も Say Good Bye♪~ だもんな。
アルバム「To ME」の本編を締めくくる曲でもある。
たわいない曲なんだけど結構重要な位置にあるんだなあ、と。
改めて思いました。

 

 

ということでいかがでしたでしょうか。
次回はいよいよHDDレコーディングに突入。
お楽しみにしていてください。

 

昔の曲は以前のとおり、
こちらの ポッドキャストで不定期にアップしています。
そちらのほうも是非宜しくです。

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2003年9月 8日

ひとつ抜けた

お知らせしてませんでしたけど
夏ぐらいからやっていた新曲製作の作業が
夏の終りと同時に無事終了しました。
とあるサイトに1週間限定でアップしています。
残念ながらここでの公開はありません。
でも個人的お知り合いで欲しいという方には
早晩行き渡るでしょうからご安心を。

この曲の製作はちょうど
旧システムから新システムへの以降作業と
見事にピッタシ重なっていまして、
そらぁ〜もう大変でしたわね。
でもお陰で、新システムでの
作業の流れが判りやすくなったと思う。
同じ作業を両方で行うわけだから。
テストを兼ねたTo MEリマスターの作業もあったし。
結果的には綺麗に出来たと思う。
作品自体の出来は60パーセントくらいかな。
曲自体は好きだけどね。詰めきれない部分もあって。
なので良い部分を残しつつ、
次に活かしていきたいって感じです。

てなわけで取り敢えず報告。

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2003年8月17日

晴耕雨読

なんてベタなタイトルですけども。
まったくそのとおりでね。
あまりに暇なんで新曲の録音作業が進むんです。
嬉しいような寂しいような。

でも本来は「出」だったはずの日なので
急のキャンセルで録音作業にシフトしようとしても
気分的に盛り上がらないこと甚だしく。
結局、細かい修正作業に明け暮れており。
作業が進んでるのか否か、本人以外わからないような
微々たる修正の連続であり。
だが、それが録音の本質でもあり。
これを機会に当システムを極めようという意気込みで
渋々臨んでいる日々であり。

93年の冷夏の記憶は
今でも鮮やかに残っている。
冷夏以外にも個人的にいろいろ動きがあった年なので。
ひょっとして僕が動き出すと異常気象になるってことある?

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2003年8月 2日

歌手なんです

ちょっと前、腹痛に苦しんでいても
歌を録音してる時だけ痛みが消えるという話をした。

ピアノ弾き語りの練習をしたり
新曲を作って何度も仮歌を入れてたりすると、
だんだん声が枯れてきて、ヘロヘロになってしまう。
そのたび「あー俺も年をとったもんだな」とか思っていた。

こないだ新曲のVocal正規テイクを
ずーっと録音していたんだけど
歌えば歌うほど声が出てきて、
声質もどんどん良くなっていくことに気付いた。
びっくりしましたね(最近こればっか)。
「そうだったっけ???」とか思った。
以前の録音ではあんまりそういう記憶がなかったんで。
思い当たる理由は、ライブに向けての歌の練習で
発声方法とかが変わった、とかそれくらい。

不思議な感覚だったな。
これで良いのかな?
ここで無理して良いのだろうか?とか思った。
良いものも録れたし、
適度なところで切り上げたんだけど。

なんか、ここぞという決め所で
不思議な別の力が働いてるんだろうか。

自分が果たしてこれからどうなっていくのか。
ちょっとゾクゾクする体験だったな。

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2002年6月23日

Missing Link

最近、部屋の整理整頓や掃除などに明け暮れている。
Pianoの鍵盤を磨いたり、各種コード類をまとめたり。
接点のチェックとか、細かいメンテナンスも。
ひょっとしたら、これほどの大清掃は
引越ししてから初めてかもしれないな。

窓ガラスもピカピカに磨いて、まったく透明。
カーテンを開け放し、まるみえ状態で録音作業をする。
これ基本。なかなか楽しいんだな、これが。

何故こんなことをやっているかというと
ひとつは今までの機材を総入れ替えしたこと。
あとは CDリリース以降、途切れてしまった時を
もう一度そこから繋ぎ直そうと思ったからだ。
新機材導入は、良いきっかけになった。

CDをリリースしてから 3ヶ月後ライブ活動休止。
時を同じくして HPの開設&ネットデビュー。
以降、僕の情報発信はインターネットのみとなった。

CDリリース後、僕の活動はますます活発となり
どんどん展開して行くのだろうな、とみんな期待してくれてたと思う。
僕だってそう思っていたよ、そらあ。
だからあんな形で終了してホントに申し訳なかったと思っている。

HP用コンテンツとして
レコーディングからCD発売に至るエピソードみたいなものを
たくさん書き下ろした。
だが肝心な部分が書かれていないことに
気が付かれた人も居るだろう。

実は、実際の CD製作に関することで
書きたい話もたくさん有ったんだけど、ちょっと生々しすぎて
あの時点では書くことが出来なかったんだ。
それに、かなり鬱な話で、心情的にも
思い出すのも嫌、文章にするなんて、もってのほか、
という感じだったから、どっちにしろ書けなかった。
身内では話のネタに出来たけど
事情が事情なだけに、他の場所ではネタに出来なかった。
僕の歌を聴いてくれた人達に対して
直接、事情説明できなかったのは辛かったが
仕方が無かったんだ。

(追記。その後記事にしました→ トラブル in 1999

その後、ネットで知り合った人々と交流を持ったりもしたが
ネット初心者だった僕は、つい本業を明かして登場してしまって
結果的に、何処へ行っても歌やCDのことを訊かれる羽目となり
しまいには嫌気が差し、そんな情けない自分も嫌になり
結局その後、隠遁者みたいになってしまった。

以降の日々は、ネット社会の探求と
Led Zeppelinライブ音源の研究に費やした。
飲んだくれて騒いでたわけでもないから
いわゆる「失われた週末」というほどじゃないけど
まぁ、アレに近い感じも少しあるかな。
その後は Jポップ研究にも突入。
オークションで超豪華(?)BETAビデオデッキを落札し
録り貯めた音楽関係のビデオをチェックしまくった。
山川恵津子さんのコーナーは、その流れで出来たものだ。

曲も創り貯めていたが
レコーディングするのは時期尚早と思っていた。
今、新たなことを始めても半端な形にしかならないだろう
と、そう思っていたからだ。
というより、そう思いたいだけだったのかもしれない。
逃げていたんだろうね。
何処へ向かうのか判らないと方向も定まらないし。

過去にもそういう時はあったから
僕自身はあまり焦ってはいなかった。
まーいろいろ言われたけどねー。
なるべく「柳に風」で受け流すようにして。
実は裏じゃ密かに反撃の準備をしてたりして。
フフフ。

(つづくかも…)

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2002年2月26日

Bass

差し替え部分のレコーディング無事終了。
メロディライン未決定部分の16小節間が
ずーっと仮フレーズのままだったのだが
メロディ決定に伴い
Bassも本チャンに差し替えたわけです。
当たり前ですが、ちゃんと弾くと
とてつもなく聴きやすくなります。

昔はドラマーだった俺だが、現在は
とりたててどの楽器が上手い、ということがない。
曲を創って歌う分にはそれほど弊害も無いけど
楽器を演奏した人なら判ると思うが
あの「演奏」という肉体的な運動は
実に刺激的で、忘れられないものなのだ。
ただ歌うだけも寂しいなぁと思ったり。
それに、自分の曲に自分の熱い演奏が入っていると
実にやる気が出る、というか燃えるんだな、これが。
生命が吹きこまれて行く、というか。
で、楽器演奏という分野を無くしてはいけないな
と感じた俺は
以前から好きだったBassという楽器を選択し、
日々向上に努めることにしたのだ。
本職ではないからテクニック的にはおぼつかないが
それでも独特のタイム感みたいなものは発生し
なかなか心地良い気分にさせてくれる。
そうしてある種の相乗作用により
楽曲自体のクォリティも上がってくるわけです。
いいよね。

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