2010年10月 6日

岸辺のアルバム

僕の家は明るくも楽しくもなく、幸せな家ではありませんでした。おおむかし偶然見たこのドラマ。ここで描かれた、表面上だけ繕って内実が崩壊してる家庭と、頭でっかちでひね曲がった性格の長男が、自分と自分の家庭そっくりで、本当に自分を投影して見ていました。オープニングにちょっと出てきますが、最後に多摩川が決壊して家が流れるんですね。本当に。あれがすごい印象的で、自分の家もああなればいい、って思ってたくらいです。

あの洪水で家が流されるのは実際の災害なんです。その実写映像をドラマで使用許可を得て実際に使ったんですね。長崎洪水のことなんか考えると、今じゃ考えられないですね。ずいぶん後になってから、この流された場所は、東京の狛江市で多摩川の土手だと知りました。それを聴いてから、いつか狛江に住んでみたいと思うようになりました。なんでだかわからない。何かが見つかるかもしれない、そう思ったのかもしれないし、過去の自分を引きずってたからかもしれない。

僕がドラマーから作曲家に転向して、亀田誠治師匠アレンジでリリースとかされてた頃、僕は船橋の一軒家に住んでいました。そこが大家さんの都合で立ち退きになり、急に転居先を見つけなければならなくなったんですね。その時に、ふと「狛江に越したいな」と思ったんです。そうして僕の21世紀は狛江市から始まったんですね。

念願の狛江に引越ししてから、この辺の風景はどこか懐かしさがあるな、と思い始めました。でもその理由がそのときは判らなかったんですね。そんな懐かしさに誘われたのか判りませんが、この土地の空気が気持ちよかったので、僕は毎日チャリで多摩川土手を走る(見回り)ことにしたんです。狛江から上流に行くのは調布のほうに行きます。見回りするようになって知ったのですが、有名なドラマのロケ地が、この辺はたくさんあるんですね。

僕は「戻る」という行為が嫌いなので、帰りは同じ道を戻らずに、必ずグルッと円形ルートで帰りました。なのでどこかで対岸に渡らないとならなかったのですが、是政とか府中とかいろいろルートはあったのだけど、最短の橋が矢野口のところで、それが一番多かったですね。そこで多摩川を対岸の稲城に渡ります。帰りは府中街道、もしくは川崎街道というのですけど、そういう幹線道路を下るんです。たくさんのお店が沿線にあって、いろいろ寄りました。渡ってすぐ、矢野口の交差点にリサイクルショップがあって、そこで見つけたのが遠藤響子さんのカセットでした!もちろん即買い。その店はいつも大音量でFMが流れてて、aikoのおやすみなさいと、ポールマッカートニーのドライビングレインはそこで初めて聴いた。日曜に、たまたま行った時、平日見かけないバイトが居て、若くてヒョロッとした草食系のやつ。んで、なんかレゲエみたいの流れてるんだけど、なかなか、いい感じなので、コレ誰?って訊いた。それが MOOMIN でした。ちょっと下ると、稲田堤にディスクユニオンがあって、そこも毎回寄りました。

その頃僕は、長崎ちゃんぽんをよく食べてたのだけど、それも、稲田堤のリンガーハットですね。そのちょっと先に古本屋があって、時々寄ってました。そこで偶然聴いたのがカプセル。曲は happy life generator。すごい衝撃的だった。でもその時は、カプセルだということも曲目もわからなかった。そんで古本屋から中野島に抜けて多摩川土手に戻る。その道で歌詞とかメロとかコードとか脳内で構築して新曲考えながら狛江に戻る。それを毎日やっていました。

初めて happy life generator のサビを聴いた時のショックは、ほんと計り知れなかったです。いろんなこといっぺんに思って、聴きながら、あー終わる終わるー!って思って、もう一回聴きたくて翌日も翌日も同じ時間に古本屋に行ったわけ。確か2回目の時にコードとメロを簡単に憶えて帰って、どうなってんだー?って家で弾いてみたんだけど、なんか違うなコレって。でも方法論だけでもすっげえので、それは忘れないって思って。
その後、なんで曲目が判明したかっつうとですね、2年後に新百合ヶ丘のビレバンで買い物してた時に、いきなり曲が流れてさ、あーーー!!!って。そんでCDのところに行ったらカプセルってあったんだ。今でも僕にとっては、中田ヤスタカはこの1曲で神ですね。

そんなわけで、町や川やいたるところで音楽があって風も匂いもあって、そういうの毎日、集めて走ってたんだな。
その時は、それがなんなのか気付かずに。そして、この時の経験が去年のシティFMの特集「僕の渋谷は多摩にあった」となるわけです。深いね。

自転車で土手を走りながら、自分の曲のメロやコードやアレンジ歌詞なんかを毎日考えていました。全行程1時間から2時間、途中で寄り道することもあったし、行きの昇りで、何か思いついたら急いで帰ろうと思うから、その時は直帰で1時間くらいかな。その時は帰りも川崎側の土手を下りました。水門や団地を見ながら、すっ飛ばすのは気持ちよかったです。下りだからね、スピードが出るんだね。そんな感じでチャリで作ったんは、ドライブの追っかけコーラスのアレンジ、曇り空、思い出の切れ端とかかな。キタノマルもそうだったかもしれない。
ドライブの、あのコーラスアレンジは走ってる最中で脳内で完結させて帰ってきました。うちに帰って、そのとおりに歌っただけ。(ココにいろいろある。ドライブは真ん中辺りにあります)

思い出のきれはしはすごい時間かかった。何日も出来なかった。どう展開させればいい曲になるのかって、Bメロとかイントロとか5種類くらい考えた。結局イントロは全部ボツになって、最終的には売ってるテイクのグリッサンドになった。あれは元々ふざけて弾いたんだけどね。そのまま使っちゃった。正規レコの時に、本当は弾きなおしたんだけど、元の雰囲気がどうしても出なくて、だからグリッサンド部分だけデモからコピペしたんですよね。歌詞も苦労して、前にココのブログで書いたけど、相鉄線の緑園都市で、仕事の合間に書いたんだ。コウ思い返すと、やっぱり苦労したのはFUSEKIアルバムの前半だよね。だから苦労した思い出が印象強く今も覚えてるわけだよね。それに比べると後半は楽だったと思います。勘が戻ったんだろうと思う。

その後僕は、また仕事が忙しくなったというのもあったし、そうやって何かの力を借りなくても勘が戻ったので、そうして振り返る事はしばらくなくなりました。まあでも、そのときの感覚はたっぷり作品や仕事に反映はされました。
それらの断片はここで聴けるし、完成品はCDやCMになりました。

その後いろいろあって、長崎移住となります。その際に、まあちょっと事情があってですね、最初はナント!野母崎半島の三和!に住んだのですよ!あの山奥で何もないところで、僕は幽閉されていました。楽しみといえば唯一ケーブルテレビがあったことくらい。ケーブルにはいろいろチャンネルがあるんですけど、たまたま見た、NECOとファミ劇というチャンネルで放送してた昔のドラマを見て、僕は驚いたのです!そこでやってた70年代の青春ドラマとか刑事ドラマとかあと、ウルトラセブンとかですよね。そういうのでロケで出てくる景色が全部!狛江と多摩川なんですよ!!これは、東京に住んでない人は判らないと思います!
でも、当時のドラマ、そしてこれは今でもそうなんですけど、CMとかも含めてなんですけど、川の土手とか遠景のマンションとか公園とかそういう景色のほとんどが、多摩川とか調布とか狛江なんですよ。それで気付いたのは、そういうドラマの風景を子供の頃からずーっと見てるでしょ。そうすると、ドラマの風景が刷り込まれて自分の原風景のような感覚になるんです。
それは業界の標準として、ドラマのロケはあそこがいい、とか決まってるわけでしょ。だから必然でそうなる。それは撮影所が調布狛江に多いというのもあります。円谷プロダクションもすぐ近所の世田谷なんです。
そうして僕は昔のそんなドラマを見ながらああ、僕にとっての郷愁がここにあった!と。そう気付いたんですね。それまでは、何故僕が多摩川や狛江の事を自分の故郷のように感じるのか、はっきりわからなかったんです。それが、三和でケーブルで昔のドラマをたくさん見てそれで気付いたってことですよね(余談ですが、後にこのケーブル料金をめぐって裁判になりました。僕が絶対に譲れなかった理由が、これで判るんじゃないかと思います)。

この日記の最初のほうで、僕は、自分の家庭が温かい場所じゃなかったと書きました。共働きで両親は家に居なかったので、学校が終わったら、誰も居ない家にいつも帰っていました。その「誰もいない家」が僕にとって一番居心地の良い家でした。その家で、夕方の再放送のドラマを見ることだけが唯一の幸福だったんですね。だから僕にとって、そういうドラマとその風景が故郷なんだと気付きました。もうひとつ楽しみだった事があります。それがラジオで当時のヒット曲を聴くことですね。その二つの要素が結びついて今の僕の形になったということですね。

そこで前に紹介した、シティFMの渋谷系音楽の紹介特集。ここで言った、僕の渋谷は多摩に有ったんだ、という話は、僕自身の郷愁が多摩にあったんだという話だったんです。

僕は、自分が音楽をやる時に、何か借り物の音楽をやるというのが嫌だったのですよ。何かの受け売りとかじゃなく、ちゃんと自分自身の根底にあるものをやりたいのだ、と。そう思っているんです。しかし、どうも自分の根底に無さそうな音楽に惹かれる自分がいる。それはなんでなんだ??とずーっと悩んでたんですね。それが、ここで全部解決したってことなんですね。誰でもそうだけど、本当の自分自身は自分の中にしかないということです。何かに反応する、ということは自分の中のその要素が反応してるってことですね。しかし案外、自分は気付かないもんです。でも他人は意外に、そういう部分を「魅力」として見つけてくれたり好きになってくれるんですね。だからと言って、そんな自分は嫌だ、という拒否反応もある。自分は自分の理想もあるからですね。だから、多分その人にとって一番いいのは、本人が気付くまで放っておく、ということです。それは永遠に続く戦いなんですね。それでいいんじゃないかな。

狛江の多摩川土手崩壊災害の話から、長ーい旅の後、こんなところに到達した。でもまだゴールじゃない。また明日になったら全然違う事を言ってるかもしれない。そういうもんだね。

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2003年9月 8日

ひとつ抜けた

お知らせしてませんでしたけど
夏ぐらいからやっていた新曲製作の作業が
夏の終りと同時に無事終了しました。
とあるサイトに1週間限定でアップしています。
残念ながらここでの公開はありません。
でも個人的お知り合いで欲しいという方には
早晩行き渡るでしょうからご安心を。

この曲の製作はちょうど
旧システムから新システムへの以降作業と
見事にピッタシ重なっていまして、
そらぁ〜もう大変でしたわね。
でもお陰で、新システムでの
作業の流れが判りやすくなったと思う。
同じ作業を両方で行うわけだから。
テストを兼ねたTo MEリマスターの作業もあったし。
結果的には綺麗に出来たと思う。
作品自体の出来は60パーセントくらいかな。
曲自体は好きだけどね。詰めきれない部分もあって。
なので良い部分を残しつつ、
次に活かしていきたいって感じです。

てなわけで取り敢えず報告。

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2003年8月17日

晴耕雨読

なんてベタなタイトルですけども。
まったくそのとおりでね。
あまりに暇なんで新曲の録音作業が進むんです。
嬉しいような寂しいような。

でも本来は「出」だったはずの日なので
急のキャンセルで録音作業にシフトしようとしても
気分的に盛り上がらないこと甚だしく。
結局、細かい修正作業に明け暮れており。
作業が進んでるのか否か、本人以外わからないような
微々たる修正の連続であり。
だが、それが録音の本質でもあり。
これを機会に当システムを極めようという意気込みで
渋々臨んでいる日々であり。

93年の冷夏の記憶は
今でも鮮やかに残っている。
冷夏以外にも個人的にいろいろ動きがあった年なので。
ひょっとして僕が動き出すと異常気象になるってことある?

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2003年8月 2日

歌手なんです

ちょっと前、腹痛に苦しんでいても
歌を録音してる時だけ痛みが消えるという話をした。

ピアノ弾き語りの練習をしたり
新曲を作って何度も仮歌を入れてたりすると、
だんだん声が枯れてきて、ヘロヘロになってしまう。
そのたび「あー俺も年をとったもんだな」とか思っていた。

こないだ新曲のVocal正規テイクを
ずーっと録音していたんだけど
歌えば歌うほど声が出てきて、
声質もどんどん良くなっていくことに気付いた。
びっくりしましたね(最近こればっか)。
「そうだったっけ???」とか思った。
以前の録音ではあんまりそういう記憶がなかったんで。
思い当たる理由は、ライブに向けての歌の練習で
発声方法とかが変わった、とかそれくらい。

不思議な感覚だったな。
これで良いのかな?
ここで無理して良いのだろうか?とか思った。
良いものも録れたし、
適度なところで切り上げたんだけど。

なんか、ここぞという決め所で
不思議な別の力が働いてるんだろうか。

自分が果たしてこれからどうなっていくのか。
ちょっとゾクゾクする体験だったな。

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2002年6月23日

Missing Link

最近、部屋の整理整頓や掃除などに明け暮れている。
Pianoの鍵盤を磨いたり、各種コード類をまとめたり。
接点のチェックとか、細かいメンテナンスも。
ひょっとしたら、これほどの大清掃は
引越ししてから初めてかもしれないな。

窓ガラスもピカピカに磨いて、まったく透明。
カーテンを開け放し、まるみえ状態で録音作業をする。
これ基本。なかなか楽しいんだな、これが。

何故こんなことをやっているかというと
ひとつは今までの機材を総入れ替えしたこと。
あとは CDリリース以降、途切れてしまった時を
もう一度そこから繋ぎ直そうと思ったからだ。
新機材導入は、良いきっかけになった。

CDをリリースしてから 3ヶ月後ライブ活動休止。
時を同じくして HPの開設&ネットデビュー。
以降、僕の情報発信はインターネットのみとなった。

CDリリース後、僕の活動はますます活発となり
どんどん展開して行くのだろうな、とみんな期待してくれてたと思う。
僕だってそう思っていたよ、そらあ。
だからあんな形で終了してホントに申し訳なかったと思っている。

HP用コンテンツとして
レコーディングからCD発売に至るエピソードみたいなものを
たくさん書き下ろした。
だが肝心な部分が書かれていないことに
気が付かれた人も居るだろう。

実は、実際の CD製作に関することで
書きたい話もたくさん有ったんだけど、ちょっと生々しすぎて
あの時点では書くことが出来なかったんだ。
それに、かなり鬱な話で、心情的にも
思い出すのも嫌、文章にするなんて、もってのほか、
という感じだったから、どっちにしろ書けなかった。
身内では話のネタに出来たけど
事情が事情なだけに、他の場所ではネタに出来なかった。
僕の歌を聴いてくれた人達に対して
直接、事情説明できなかったのは辛かったが
仕方が無かったんだ。

(追記。その後記事にしました→ トラブル in 1999

その後、ネットで知り合った人々と交流を持ったりもしたが
ネット初心者だった僕は、つい本業を明かして登場してしまって
結果的に、何処へ行っても歌やCDのことを訊かれる羽目となり
しまいには嫌気が差し、そんな情けない自分も嫌になり
結局その後、隠遁者みたいになってしまった。

以降の日々は、ネット社会の探求と
Led Zeppelinライブ音源の研究に費やした。
飲んだくれて騒いでたわけでもないから
いわゆる「失われた週末」というほどじゃないけど
まぁ、アレに近い感じも少しあるかな。
その後は Jポップ研究にも突入。
オークションで超豪華(?)BETAビデオデッキを落札し
録り貯めた音楽関係のビデオをチェックしまくった。
山川恵津子さんのコーナーは、その流れで出来たものだ。

曲も創り貯めていたが
レコーディングするのは時期尚早と思っていた。
今、新たなことを始めても半端な形にしかならないだろう
と、そう思っていたからだ。
というより、そう思いたいだけだったのかもしれない。
逃げていたんだろうね。
何処へ向かうのか判らないと方向も定まらないし。

過去にもそういう時はあったから
僕自身はあまり焦ってはいなかった。
まーいろいろ言われたけどねー。
なるべく「柳に風」で受け流すようにして。
実は裏じゃ密かに反撃の準備をしてたりして。
フフフ。

(つづくかも…)

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2002年2月26日

Bass

差し替え部分のレコーディング無事終了。
メロディライン未決定部分の16小節間が
ずーっと仮フレーズのままだったのだが
メロディ決定に伴い
Bassも本チャンに差し替えたわけです。
当たり前ですが、ちゃんと弾くと
とてつもなく聴きやすくなります。

昔はドラマーだった俺だが、現在は
とりたててどの楽器が上手い、ということがない。
曲を創って歌う分にはそれほど弊害も無いけど
楽器を演奏した人なら判ると思うが
あの「演奏」という肉体的な運動は
実に刺激的で、忘れられないものなのだ。
ただ歌うだけも寂しいなぁと思ったり。
それに、自分の曲に自分の熱い演奏が入っていると
実にやる気が出る、というか燃えるんだな、これが。
生命が吹きこまれて行く、というか。
で、楽器演奏という分野を無くしてはいけないな
と感じた俺は
以前から好きだったBassという楽器を選択し、
日々向上に努めることにしたのだ。
本職ではないからテクニック的にはおぼつかないが
それでも独特のタイム感みたいなものは発生し
なかなか心地良い気分にさせてくれる。
そうしてある種の相乗作用により
楽曲自体のクォリティも上がってくるわけです。
いいよね。

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2002年1月29日

タイムズスクエアのイルミネーションを見上げながらココアを聴く

昨晩、さる飲み会催しがあって
声がガラガラの今日であったが
昨日に引き続き
レコーディング中の曲の Dメロを考える。
一昨日、そのDメロの本チャンが一部終了した。
昨日からは、その部分の追加分メロディを考えてるのだ。

それにしても本チャン・レコーディングは気分が締まるね。
緊張感が違う。良いもんだ。

メロディが決定したら
それに合わせて Dメロだけ Bassを弾き直す。
これがまだ残っていたので
アンプのセッティングを変えられなかったのだ。
そういったアナログ的制約は面倒だが、それもまた楽し。

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2001年10月15日

資本主義

なんか、
現状維持というのは即ち
衰退を意味するらしいのだ
そう言われればそういう気もする
今のままを維持すればいいんだ、と思ったとたん
最高でも、そのレヴェルしか出せなくなってしまうのだ
100キロで走る車は
実は200キロくらい出せるから
100キロも余裕なんだよね
100キロしか出さなくて良いと思ったら
100キロ出すのさえ、目一杯になってしまうと
ま、そういうことだろうね

限りなく拡張して行く
危険な思想でもあるけど
日々の進歩のためには重要なんじゃないかな
と、Bassの練習をしながら
そんなことを思ったわけだね
これくらいで良いだろう、
という、中途半端なのが
もっとも危険なのであるな
ふむふむ

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2001年5月 9日

再修理

アンプの電源回りがおかしくなったので
再修理に出す。
今回のトラブルは予定になかったので
「仕事で使ってるから困る」
と言ったら代替機を持ってきてくれた。
以前、DA-88の時も代替を持ってきてくれた。
まぁ
言えばやってくれるのだが
つい普段は言い忘れてしまう。

良いアンプなので是非復活願いたい。

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2001年4月 7日

復活 !

アンプが戻ってきた。
今までは
音をちゃんと出すのに
凄い苦労してたので
あっさり出てしまうのが
なんだか変だ。

今日は「ぽっかぽか」だった。
今週満開なら最高だったのにね。花見。

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