2013年4月 4日

「てーげー」がいいという強者の欺瞞

何度も書いた気がしますが、詐欺師や横暴無礼な人間は、まあ居るのはしょうがないとして、そういう人間に対して何も言わないのが、こっちの人々の(特に立場ある人の)一番の問題点だと、これは一貫して5年くらい思い続けています。

陰で悪評三昧の人の話題を振ると、たいていは「そうなんですよねー、でも何故か、しぶとく活動しているのですよねー」などという答えが必ず返ってくる。いやいやいや(笑)、そう思うならまず貴方から、そういう輩を使うのをお止めなさいよ、と思うわけだが、誰も率先して「もう詐欺師とは関わらない」と言わないわけです。

私が一番問題点にしてるのは、その輩の「プロフィール」です。そうしてみんなが黙認してるうちに、その輩どものプロフィールには、次々に自分のやった「偉業」が書き加えられていくのですよ。何も知らない人にとっては、そういう資料で読めるプロフィールと仕事で人物を判断するしかありません。質や人間性は、それでは判断できないからですね。

以前、自分がやった過去不本意だった仕事について、僕が自分の経歴に加えるのを躊躇していたところ、ある知り合いから「不本意でも上手くいかなくとも、やった仕事はやった仕事なのだから、自信を持って加えるべきです」と言われたのです。確かにそのとおりだな、と思いました。
これと同じことを悪用しているのが、そういった詐欺師や横暴な輩どもであると言えます。質や評判は一切気にせず、どんどん経歴に加えていくから、見かけ上の「戦果」が増えていくわけかー、と妙に納得したわけですね。失敗しようが内容が酷かろうが「やった」という事実は事実である、と。その質が判らないまま、どんどんポイントだけ上がっていく。それが「見かけ上の」信用になり、ますます被害者が増える、という悪循環になります。誰かが、この循環をストップさせなければ、永遠に続くのですね。


移住してしばらくの間、僕はココが、沖縄みたいに寛大で「てーげー」な土地柄で、ゆるく成り立ってるのは(個人的に好きじゃないが)悪くはないなあ、などと思っていました。しかし、じっくりいろいろ話してみると、みんながいろんなことについてけっこうな不満を抱いているのがわかりました。
それがわかったとき、県や市や国、という大きなものに対していろんな不満はあるのは、まあやっぱりそうだろうな、とは思いましたが、詐欺師や横暴な人に対しても実はそう思ってるんだ、と知ったのは、実は割りとショックだった気がします。それまでは、そういうのを大らかな気持ちで許すのが土地柄気質だと思ってたからです。
しかしそうではなかった。大らかな土地柄なのではなかった、そういう空気を利用して横暴なことをする人々に対して、気が弱いから文句を言えなかっただけなのだし、メンドクサイから、同調圧力があるから、など様々な理由で、不本意ではあるけど放置してただけなんですね。
ただし、さすがに度を過ぎると行動を起こすというのも聴きました。その行動とは「黙って去る」。それが、こっちの人のやりかたである、ということです。そうして徐々に遠巻きにしていく。これは逆に、とても残酷なやり方だと思いましたし、そうすると前述の「プロフィールに戦果ポイントが増えていく」という状況は改善されません。だから、どんどん新たな被害者が現れるわけです。情報は内輪だけで共有し、身内の恥と考えヨソモノには漏らさない、新たな被害者のことは知らぬ、ということなんですね。被害者が出るたび「あー、またやられたか」と噂してるのもよく聴きました。そこまで判ってるなら、何故、被害が起こる前に忠告しないのか?と、憤りすら感じます。

実は、こういう悪行は悪人だけがやっていることではありません。意外に、文化人と称する人々や知識人もしてしまっていることがあります。僕自身の経験ですが、僕が以前出演してたライブバーのような場所が、実は防音対策も何も一切やっていなかった(!)、ということがあります。開店してから「ライブもやってみたくなった」というのとは違うのです。最初からライブもするつもり満々なのですね。なのにそういった処置を施していない。
自分も出てたから偉そうなことは言えないのですが、やっぱりこれも、最初は僕は、大らかな土地柄だから菓子折りでも持って「すいませんね」と言って済んでるんだと思っていたのです。しかし実際はそうではないのですね。恐らく周囲の住民はハラワタ煮えくり返ってたことだろうと思います。店主は「いや、周りにもご理解いただいてます」と言うかもしれませんが、そういう不満をはっきり言うような人たちではないと僕は思いましたし、ある一軒は危うく訴訟沙汰になりかけた、という顛末でした。
人であれば、避けて遠ざけることもできます。しかしこういった、店や施設というものは、大概、あとから越してきて開店しますから、そうすると住民は逃げられません。それに、騒音ならともかく、それが「音楽」であれば、文化に協力、という名目で、文句も言いづらくなるわけです。その辺は実に巧妙なんですね。そういう「悪気のない」横暴は、そこここであると思います。この辺は自分も含め、常に気をつけておくべきことです。「大義名分」という恐ろしい同調圧力というものの存在を、しっかり認識しておくべきですね。

「てーげー」でおおらかな土地、というのは、言い換えれば、何があっても懲りずに声や態度の大きな人間が、おとなしい人々を踏みつけにして「大らかな土地だから」と言い張って好き放題してる、ということでもあるということです(ジャイアニズム)。

この件については今後も引き続き、しっかり見守って行きたいと思います。


PS
そういえばよく「芸術家はお金に疎い」などと言いますが、これも搾取する側が「そうあって欲しい」と願っているから、そのほうが都合がいいから言っているに過ぎないのですね。そうして芸術家側もいつしか、そういうものだと思い込まされてしまってる部分もあると思います。「てーげーがいい」というのも、それでいいのだ、と住民がいつしか思いこんでしまった結果なのかもしれません。しかしその裏では、それを利用したり搾取している輩が存在していることは、決して忘れてはいけないことだと思います。

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2011年8月15日

音楽に救われてる話

過去ログはいよいよ2月に突入。街はランタンフェスティバルだった。この辺から5月くらいまで、僕の日常が大変なことになっていく。その最初の出来事が、これから紹介するある事件だった。今振り返ると、何かの暗示だったのかもしれない。

これは最初、いつものようにツイッターのログだけ貼ろうと思ったのだけど、それだけじゃ説明し切れる内容じゃないなと思い、どうしようかな、と考えたところ、ふと、そういえばミクシーの日記で、この事を詳しく書いたはずだ、と思い出したので、そのミクシー日記2日分とともに、全部を転載しますね。

【1】
実は最近、安保→ブント→赤軍関係を読み漁ってた。
これはもちろん、先日の連合赤軍の永田洋子氏死亡がきっかけだったけど、あの事件は本当に今でもトラウマで、それはあの有名な「あさま山荘」の中継で、というよりも、その後、母から聴かされた、「総括という名のリンチ」の実態が壮絶だったから、というのがすごいでかい。あさま山荘でぶっ壊したり撃ち合いやってても、テレビ中継じゃ現実味なくて、ネタかドリフか?みたいな感覚しかないけど、その後に明らかになったリンチについては、子供心にドン引きしたからなあ。
これの怖さは、残酷だということももちろんだけど、他ならぬ自分自身が、そういうことは絶対しない、とは「言い切れない」部分にあると思う。思えば、苛めも苛められもあったし、部活内でのシゴキとか、先輩からの説教とか、あとはクラスでも、帰りの会の悪者吊るし上げとか、似たようなことはみんな経験してるでしょ。連合赤軍の総括は、それの延長上で、究極のスタイルなだけだから、そういう意味じゃ、僕らだってさしてかわらん。
あと、当時は、すごいオトナのヒトがやってるんだと思ってたけど、実際は、みんな子どもだよね。若者。

それから、思想面では。
僕らが多感だった時代は、ああいった左系の思想がかっこいいし正しいと、周りの多くのヒトが思っていた。メディアもそうだし、学校での先生とかもそうだし、うちの父も、労働組合の委員長とかやってたので、けっこうバリバリだったんだよね。そういったこと全部踏まえて、僕はたぶん、そういうことよく考えもせず信じてた自分に、なんだかバツの悪さを感じて、なので大人になってからは考えないようにしてた。でも今回、この永田氏の死亡がきっかけで、もういちど、どういう事件だったのか、それから、人はどういう流れで、こんな偏った考えに至ってしまうのか、その辺をじっくり考えてみたいと思ったんだよね。

まず映画が3個あるんですがね、「突入せよ」は、あれは犯人が何考えてるかわからないので。しかし、どんだけ警察に迷惑かけたかは判るけどね。そんで、それ以外の2本が参考になると思うけど、僕が見たのは、いちばんリアルだと言われてる、「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」っていうやつだね。これは「キャタピラー」の監督の映画です。そんで、ココにはリンク張らないけど、ネットでリアルな話が全部読めます。リアルすぎて気持ち悪くなるので張らないし、もういっかい注意しておきます。安易な気持ちで検索して読まないように。そんで、それ読んでから、映画観る。映画は、それなりに脚色と美化と端折りが入ってるから、その辺の知識あった上で見たほうがいいけど、読んでなくても、じゅうぶんすごい。これも、安易に見ないように。トラウマになるよ。
まあそんなわけで、どういう流れでああなったのか。今回やっとなんとなくつかめてきた。興味本位であれ、なんであれ、心の奥にずーーーっと引っかかってるものは、ちゃんとさらいなおして、自分を「総括」したほうがいいね。いつまでも逃げてるのはよくない。心にずっしりと重く、数日気分悪かったけど、それでも、いろいろさらってみて本当によかったと思ってる。

それから、最後に、いちばん僕が今回思ったコト書く。
それは、僕は本当に音楽に救われてるってことだ。さっきも書いたけど、僕にだって、そういう「要素」はあったんだよ。誰だって、しかねない、やりかねないことだった。でも僕の場合、常に「音楽」があって、そっちへの興味とベクトルがハンパないエネルギーだったので、反れずに済んだだけだった。「音楽」という「宗教」で言えば、ぼくだって、じゅうぶん「カルト」なのですよ。それがただ「音楽だったから」助かってるだけ。僕が生きてるのは、音楽のおかげ。それを、今後もしっかり認識して生きて行きたいと思ったね。


【2】
連合赤軍の話の続き。
最後に、自分は音楽に夢中になれたお陰で横道にそれずに、生きられたんだ、ということ書いたけど、それ書いたのは理由があるんです。じつは、連合赤軍関係の話を家で読んでたときに、仕事の打ち合わせがあるので、と、ある社長さんに呼び出されたのですよ。判りましたーということで、出かけてまいりますと、なんと…

ネットワーク商法の勧誘でした…。
まあ、マルチやってる人みんな否定するわけじゃないけど、こっちは、音楽製作で、そんな暇ないですよ。そんなことも判ろうとせずに、自分の都合で巻き込もうとするなんて。それは、ちょうど読んでた連合赤軍の話と一緒じゃん!!って凄く思ったんだよ。そんな暇があるような職業だと思われ、これはずいぶんと、なめられたわけですよねー。しかも、そのとき僕は、別件の約束があって連絡を待ってたのですが、連絡来ないなーと思ってふと携帯見たら…

圏外!!! 地下室で勧誘されて、圏外!

総括される!って思ってすごいビビリました!笑。
まあそんなんで、グッタリして帰宅し、ああ僕は、音楽というものがあることで、いろんな寄り道をせずに、生きて来れてるんだ、と。つくづく思ったわけです。そうじゃなけりゃ、とっくに人生終わってますね。生きててよかったです。これからも生きたいです。

ココまでが日記。今読み返すと、中身にいろんな暗示があるね。この後、自分に大変なことが起こるわけだけど、その前兆というか、いろんな想いが既に読み取れる。

補足として、同時期に書いてた、いつものツイッターの過去ログを貼ります。こっちではぶっちゃけてる。これが本音だと思う。


昨日のマルチ勧誘の話はいろいろ考えさせられた。親の会社潰しちゃった2代目元社長アラフィフ。ヒトってそう簡単には変われないんだよなあって。痛い目いろいろ遭って自分も目が覚めた、とか言ってたけど、マルチ誘ってる時点で、ちっとも目が覚めてないよ、あんた。

こういった危機に遭うたび、僕はつくづく「音楽に救われている」と思うわけだ。もっと突きつめると「歌う」コトで救われている。一歩間違えば僕だってマルチや赤軍やカルトや、そんなことしかねないような人間だと自覚してるが、その対象とエネルギーは全部音楽に向かったのよね。

音楽という意味では僕はじゅうぶんカルトだよ。オレは音楽で生かされてるんだ、ってことだね。

ほんとよくココまで生きてきたわよね…


この最後の「ホントによく生きて来れた」という発言は、このあと、本当の意味で身に染みることになる。

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2011年3月26日

麓のヒト

もう1ヶ月ほど前になるけど、気になる事があって、あるヒトに会いに行った。

いろいろ尋ねたい事があって、初対面なのに関わらず、ぶっちゃけて質問攻めにしたのだが、彼も真摯に応えてくれて、一昨年以来勃発した数々の事件事件その他もろもろ、引っかかってる事が少しクリアになりすっきりした。

僕が今仕事で付き合ってる相手は頑固な人が多く(このオレが言う?笑)、そういう相手に煽られて自分もますます頑固さを強調させられてる気がする。ということを自分も判っているのだが、しかし、自分が馴染めない、または納得いかない、または尊敬出来ないような人や店とは、やっぱりどうしても付き合えないわけで、一人また一人、1店また1店、と距離を置くたび、いつのまにか全部の縁が切れてしまった。

それでも東京なら、友人も仲間も居るから孤軍にはならないけど、田舎じゃたちまちたった一人ですからね、ひとり部屋でもんもんと「あいつ嫌い、こいつウザい、こいつは最低」とか唱えてるうち、本当に世捨て人になってまう。
でも、だからと言って自分も曲げることは出来ないんだ、おまえなんかじゃ嫌なんだーと葛藤しまくってた、この1年ほどだった。

そんなわけで、今の僕には「主観」しかなかった。柔軟性とか客観とかないわけ。それが毎日きつくてきつくてしょうがなくて。誰かマトモな人、この凝り固まったオレの頭をホグシテクレー!と思ってた。

その初対面のヒトは東京に長く住んでたということだった。途中で偶然来訪した上品なオバサマも、東京暮らしが長く、資産家だということだった。そういった方々と、深い話、門外不出な話、つい先ごろ亡くなった仲間を偲ぶ話なんかをぼんやりしたり聴いたりするうち、自分がどんどん癒されてゆくのを感じた。人は同じタイプの人が集まるでしょ。そういうことなんだろうなと思った。

実は尋ねたいことって言うのは、例の放火事件についてなのだけど、そこは僕も関係してる部分もある気がしたので確認に行ったのと、あとは、どうしても納得いかない部分、つまり、そうさせた原因は少なからず男の側にあるのに、本心じゃないにせよ、茶化したり開き直ったり、別な場所で事件後たった2週間でのうのうと営業再開したり、といった厚顔さ、そのくせ文化人面してることが許せない、ということについて見解を聞きたかったということがあったのだけど、そういう部分は彼も同意してくれたように思ったので、ああよかった、マトモな人は普通そう思うはずだ、と少しホッとしたのよね。

特に「茶化す」ということについては僕も非常に気になっていて、関西のお笑いのヒトじゃあるまいし、事件そのものや犯人を揶揄するような、ネタにするような言説を公然としてたのは、こいつらどうなんだ?って正直思ってたし、その辺から、この町に対する思いが急激に冷めてきたのは確かだったね。ちょうどその同じ頃、あるバーに行ったとき、そこにいない別な常連客の悪口を、店の人みんなで言ってたのを聴いた事があって、ああこれは、僕のことも居ないところで何か言ってるなこれは、ってピンと来て、そういう人たちなんだろう、って思って。

なんかそういう狭いところで、瓶詰めのジャムみたいにグチャッとしてる人間関係は、ホントに嫌で、もうやだ、この瓶からオレは脱出させてもらう、おまえら好きなだけ砂糖にマミレテな!みたいに抜けてきた。その交友関係は全部一蓮托生で、業界内に占める割合もカナリ大きかったので、移住してからの人間関係のほぼ80パーセントくらいを、その時点で失った。そうして去年のツアーがあって、悟って今に至るって感じだね。

彼といろいろ話したあと、帰る間際に「その気があるんだったら、面会に行ってやれ」と言われた。あいつもひとりぼっちでかわいそうな奴だったが、こうして心配してくれる奴(おれのこと)が居るなんて、良かったよ、と。


そうだね。

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2011年2月18日

恩知らずなヒト

前回は支払いしない人々について語ったが、「回収」という意味ではお金だけでない部分もある。

昨年、ちょうどツアーから戻った直後の頃のことだ。私がレコーディング&プロデュースを担当していたグループが、福岡の「レコード会社」と称する連中から、まだレコーディング途中である音源を、僕のレーベルからではなく「うちの会社」からリリースしましょう、と甘い声を掛けられる、という事件が起こった。グループリーダーから「可能ならそうしたい」と相談されたとき、僕は耳を疑った。スカウトされたという事実もびっくりしたが、それより何より、そのリーダーが、そういう事が可能だと認識してたこと自体に相当な衝撃を受けた。あまりの衝撃で私はその場で二の句が告げなかった。まさに「恩を仇で返される」である。しかも声を掛けてきたA&R担当者がまた酷く、私がかつて出会ったことのないような極めて常識外れの失礼な人間で、リリース云々が可能かどうか以前の問題として、ちゃんと交渉する気にもさせられないような相手だったのである。このような酷い人間の言葉を、世話になった私よりも優先し、私の元から去ろうと考えたリーダーのオトコ。この事は一生忘れないだろう。

ご存知と思うが、音楽関係の仕事というと、純粋に仕事として様々な事を請け負う以外に、所謂プロダクション的業務というのがある。才能がありそうなタレントを発掘し育てる、という仕事だ。その際もちろん最初はまったくお金は儲からない。つまり先行投資だ。苦労して育てて、才能が発揮されて売れて、初めて投資したお金が戻ってくる。もちろんお金のためではない、素材として何か感じるからこそ育てようと思うわけだが、芸能界を筆頭に、なにかと数年後にトラブルになる事が多いのは、双方の思惑や方向性が違ったりする事が多いからだろう。

私の場合プロダクション業務はやっていないが、来た当初は、この土地の若者を育てたい、という思いがあり、若くてやる気のありそうな奴の相談には積極的に乗り、資金の面は置いておいて、まずやってみよう、とレコーディングなどを請ける事が多かった。もちろんボランティアではないから無償ではない。CDなりなんなり完成後、ちゃんと売り上げ等から返却する、という約束を交わした後、作業に入るわけだ。先述のグループも、そうした若者音楽家集団のひとつだった。

私が面倒をみた人たち、これは男女様々だったが、皆やる気はあるが、率直に言うとクォリティ的にはまだまだ素人同然であった。こちらの考えるレベルには程遠かったり、非常に作業に手間取り、段取りも進まないなど、そういう意味では、プロの仕事よりも数10倍大変である。それでも、若いやつの力になれるなら、と我慢し、根気良くとことん付き合うことも多かった。
みんなは概して、最初のうちはずいぶん腰が低かったのである。自分たちの力量にコンプレックスがあったのかもしれない。ところが、作業が進むにつれ、徐々に自分たちには一端の才能があるもんだ、と勘違いしていくようなのである。つまり、そのような積極的な若者は、そもそも野心の塊のようなもので、実は元々そうした人間性なのだろう。そうして1年も経つと、すっかり町のスター気取りなのであった。
そして、そうしたスター気取りの「アーティストモドキ」になると、一見派手なので、人が寄ってくるようになる。寄ってくる人々の中には同業、というか業界人ももちろん含まれ、様々な美味しい話、派手な仕事が紹介されるようになる。そうすると、地味に僕なんかの面倒を見てもらうよりも、そっちのほうが楽しそうじゃないか、と思うようになるのだろう。

若者の面倒を見る、と言っても、コチラもプロであるから、自分の名前が出る仕事として、クォリティの低いものは発表することは出来ない。素人の若者相手では必然的に時間もかかることになるし、プロデューサとしてOKを出すレベルに程遠ければ、プロモーションもすることも出来ない。ところが、そのように美味しい話に焚き付けられると、なかなかOKを出さない私は「煮え切らない人間」と認識されてゆくのかもしれない。そうして、やっとのことでCD完成、本来であればプロモーション展開、いよいよ投資資金の回収!となった段階で、本人達は、音さえ貰えれば、もう済んだものと考え、そうして費用返済も済まないうちから、さっさと去ってしまおうとするのである。

こうした商売をした人なら判ると思うが、こっちの仕事は「完成後の売るところ」から始まるわけで、純粋に作業費用だけ返済すれば済むという訳ではない。かけた時間や手間は決して戻る事はない。それら「目に見えない部分」に投資した部分を回収すべく、やっと商売として彼らを戦力に使える、という状態になって、みんな居なくなってしまわれたら、それは、言いかたは悪いが「泥棒」である。つまり「踏み台」にされたということである。

レーベルとして若い連中を面倒見ることの気苦労で、一番大変だったのは、みんなのヘマは全部自分の責任になることであった。これは当然と言えば当然なのだが、当初の私は、若者たちの意識について多分に買い被りすぎており、また、東京標準と照らし合わせて、その上達の見込みもずいぶん高く予想していた、ということもあり、したがってずいぶんと楽観的だったと、今振り返って反省している。

前述した、契約や儀理関係での常識の欠如、という部分以外に、パフォーマンス自体の部分でも意識が低く、当初は正直空いた口が塞がらなかった。自分だったら、とてもじゃないが恥ずかしくて人前に出るような意識じゃないだろ、という状態で、本番は何とかなるだろうと思って出て演奏するのである。この意識は演奏レベルにも当然反映されるから、拙い演奏を人前ですることになる。本人が「大丈夫です」というから任せてみたら、こっちが真っ青になった、ということもあった。また素行に関しても、前述のとおり天狗状態の連中については日増しに悪くなる傾向があり、その事で苦情も少なからず耳に入ってきた。
そういったことの諸々も奴ら単独で行っていることなら、恥をかき損をするのは奴ら自身なので自業自得で構わないが、レーベルとして私が引き連れた場合は、私の責任になる。結果、指導不足ということで、関係者その他に「申し訳ない」と謝ることになるのである。

実際に僕は何度も謝った。こんなステージで申し訳ない、こんなレベルで申し訳ない、天狗で申し訳ない…。そうしてイベントごとに謝り続けること。それ自体は、プロデューサ任務として当然のことであるし、それ込みで面倒を見ているつもりだったので、私としては平気だったのだが、後に奴らとトラブルになって気付いたのは、当の奴ら自身は、まったくそんな事を気にもかけていない!ということであった。いや、口では「すいません。がんばります」と言うのである。しかし進歩しないのである。そうして徐々にコチラの精神的負担が増してくるわけだ。そういう流れの中で、唐突な反旗表明となるわけだから、「お前は何様だ!!!??」とぶちきれるわけだ。
そういうわけなので、自分にも一部は責任はあるだろうね。それは認める。私は甘かったし、ずいぶん寛容すぎた。そして、買被りすぎた。ハードルをあげるか、厳しく接するか、どちらかにすればよかったのだ。

モンスターペアレンツだのモンスターゲストだの、昨今いろいろ話題になってるが、私のところのレーベル関係のトラブルも、突き詰めると「これ」なんじゃないかと最近思ってる。というのは、このような諍いの際に、ある女性歌手から「仕事として依頼主に対する態度なのか?」と言われたからだ。
私は、そう言われたとき、その発言にとても違和感を抱いた。言われて気付いたのだが、自分はそれらの依頼を「仕事」と思っていなかった。お金は貰うが、たぶんに「ボランティア」だと思ってたフシがある。先に書いたように、彼ら彼女らは全員未熟で、とてもじゃないがレコーディングなど出来るようなレベルではなかった。支払い分では到底賄えないような精神的負担があった。そこをはっきりせずに「仕事」っぽく請けてしまった自分の甘さもあっただろう。
最初に気付かなかったのか?と疑問に思われるかもしれない。正直、残念ながら、そこまで未熟だと見抜けなかった、途中段階で気付いたが今さら断れなかった、ということだろう。あとは、当人にも「自分は未熟である」という自覚があると思っていたのだ。いつも言うのだが、私は、未熟だったり下手で相手を貶したことはない。その自覚もなく、態度が相応ではないことに憤るのだ。

今の自分には、この土地に溶け込もうとするのは間違いだった、最初のまま「きゃーぶった」野郎として、そのまま貫けばよかった、という反省点がある。あまりに寛容にしすぎて、全員を調子に乗らせてしまった。そこは猛省すべきだろう。もちろん、人と付き合い生きてゆくことにおいて「寛容」ということはとても大切である。しかし、私にとっての音楽とは、そのような生ぬるいものではなく「命を賭けた人生」そのものであり、安易な気持ちで素人と付き合うべきものではなかった。少なくとも、もっともっと、数百倍は吟味すべきだった。そういう意味では、私は「音楽を舐めた」しっぺ返しをくらったのだろう。


この3年で起こったことは、まとめて言えばそういうことばかりだった。何度も書いたように、私が世間知らずだった部分ももちろんある。しかし、東京時代は、そんな交渉もした事がなかったのだ!何故なら、そんな非常識な相手に出会った事がなかったからである。本当に私は幸せすぎた!

最近この事を考え続けている。東京は淘汰の街である。アーティストを目指す奴らは、それこそ数え切れないほど膨大な数がいるだろう。実力ももちろん淘汰の条件のひとつになる。しかし東京で一旗あげようと思うほどの野心のある連中だから、実力だって拮抗している。その場合、そこで淘汰されるのは、半端な考え、礼儀をわきまえない、などの人間性になってくる。そうした行動は必ず本人に返ってくる。そうして結果的に、頑張ってる若者には常識のない奴は少なくなる、ということなわけだ。
翻って、この町の場合、そういう「淘汰される」という機会がない。そもそも「淘汰する」と言っても誰がするのだ?という問題である。それに、そもそも絶対数が少ないのだから、楽しそうに派手にやってれば、注目してくれる。要するに「敵がいない」のだな。であれば、その「敵役」を自分がするしかないだろう、という思いに至ったわけだね。

昨年末のアイドルイベントで、何度目かの「踏み台」事件が起こり、さすがに温厚な自分も「これはブチ切れてもいい」と遂に悟り、この業務からの撤退も決意した。と同時に、今後はどんどん率直にモノを言って行く、というように決めたのである。私は所詮よそ者であり、誰に嫌われても何も怖くはないのだ。私の切れるポイントは「失礼な事をされたとき」である。よく憶えておくといいだろう。

奴らに関して「裏切られた!」とまでは言わない。言わないが、「常に自分本位で非常識な奴らなんだな」とは思い続けるだろうし、また、そんな非常識さを持っていないと生きのこっていけない、という田舎の現実に、心から落胆しているのである。この町の人々は某・仙兵衛氏のようなヒトを悪く言うが、私にしてみれば別に「彼だけ特別」ということはなく「他の人だってさして変わらないではないか」という思いしかない。むしろ仙兵衛氏のほうがマトモだったんじゃないか?という気さえしてくる。恐ろしいことだ。


東京時代は「この人はすごいな」と思う相手が私に頭を下げてきた。こっちに来てからは「なんだこいつ」と思うような相手に私のほうが頭を下げるようになった。そうして気付いたのは、むかしの自分だって、件の若い連中と大して変わらない部分があったな、ということである。これを他山の石として、戒めとして、今後は真摯に精進していきたいね。

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2011年2月15日

払わないヒト

こちらに来て4年経った。「知らない土地に移住も大変だったでしょう?苦労してることとかある?」とよく訊かれるが、最近はこう応えることにしている。

「大変ですね。誰も支払いをしてくれないんです」

実際にこのとおりなのである。制作費、売上金、出演料…。

狭い街で同じ業界だというのに、よくそういう事が出来るなあ、と逆に感心してしまう。そういう図太さというか、無神経さがないと商売はやってられないのだろうか。確かに不景気で大変だが、それは誰だって同じである。あなたが生きるために、私は踏み台にされてもいいということなのだろうか。だとすればすごい話である。

とりあえず今現在の話。ある店のオーナーと交渉真っ最中である。私が手掛けているアーティストさんが居るのだが、その方よりある日相談を受けたところから話は始まった。私と出会う前、その方はCDの全国販売の流通に関して、そのオーナー氏に任せていたというのだが、しばらくしてから、売上金の支払いが滞るようになり、やがてまったく払われなくなった、というのであった。私はそれを聴いてびっくりし、それでは最近の売り上げはまったく手元に来ていないのですか?と尋ねると、詳細文書などを提示され、これこれこういう状況です、と説明を受けた。しかも支払いが行われていないだけでなく、業務そのものも放置され、連絡もとれず、返事もなく、まったく埒が明かないのだという。相談というのは、そのような不誠実なレーベルとは即刻縁が切りたいので、どうにかできないか、ということであった。
私の居た会社もそうであったが、まあ世の中の会社と言うものはとかくそういうものである、といわれればそのとおりなのだが、支払いがあるのに逃げ回ったり、破産や倒産で、掛売りぶんの支払いを全部無かったことにする、というのは常套手段のひとつではあるのだろうが、それにしてもつくづくすごいな、と思ってしまう。しかも、そうされた被害者側も、誰もそれを明らかにしないのだ。これでは、する側が付け上がるばかりだと思った。

こちらの業界人の特徴のひとつとして「外面がいい」というのがある。これは来た当初いろんな人から良く聴かされた。実際に、ツアーなどで来た外のアーティストには金払いもよく評判も上々だったりするのだが、地元の、というか、要するに付き合う相手の顔色を伺い、彼らが気に入らなかったり、これは適当でいいなと思った相手には不誠実に接し、そう扱う、ということも多いのである。これはまさしくデジャブで、私自身がまだ在京だった頃に、コチラの人々にとられた態度とまったく同じなのである。なるほどなあ、と思ったもんだ。

僕がフリーになったとき、一番驚いたのは、音楽家のパフォーマンスに対して、この町の主催側のほとんどのヒトがお金を支払ってくれないことだった。その辺は今となっては、僕も世間知らずだった、ということでもいい気がするが、言い訳ではないが、僕は東京時代は、そんな交渉そのものをした事がほとんど無かったのだ。なので、どこかで演奏して歌ったら、当然数千円でもいただけるものと、当然のように思っていた。また好意で、どこかの知りあいの店で歌ったときでも、飲み物や食べ物くらいは、マスターからでも「おつかれ!ありがとう」と言って出てくるもんだと思っていた。しかしこの町の現実は、全てまったく「なし」!言わなければそのまま、言わず損となるだけである。年に何度も無料出演して機材まで貸したのに、何が悲しくて「すいませんが飲み物1杯くらいは出演者に頂けますか?」とわざわざ交渉しなければならないのだろう。
他にもこんな事があった。重い思いをしてピアノを担いで運び、その店初のキーボード・デイ実施が実現し、みんなが大喜びで参加したライブ。僕のピアノを、出演者みんな、さして気にも留めずに、鍵盤ひっぱたいたり、あちこちガムテープ張りにされるのも、心がチクチク痛んだが、あえて黙って見過ごした。そしてその見返りはマスターからの「ワイン一杯。有料でね」の言葉。そして「ココはそういう店だから」のダメ押し。もう一生来るかと思ったね(実際にそうなった。後に店が放火で全焼した)。

形のないものにお金を払う習慣がない、ということを痛感した、一番最初の出来事をご紹介しよう。もう3年ほど前になる。あるアーティストから連絡をもらった。「某レストランにライブ出演する事が決まってたが、急遽出られなくなったので、代打で出てくれないだろうか」というものだった。そのお店はHTB内にあった(直営ではない)。最初その話を聴いたとき、場所は魅力的だと思ったが、そこまでの交通手段がないし、ちょっと遠いなと思い躊躇したところ、その依頼してきた彼が車で送迎する、と言ってくれたので、それでは話のネタに出てみましょう、ということになり、出演することにした。
誤解されないようにあらかじめ言っておくが、この出演は最初から、その彼には「お店からはギャラが出ません」と言われていた。なので僕は、ノーギャラについては不本意ではあったものの、彼の顔を立てて了承し、納得したうえで出かけたわけだ。
さて、お店に着いて準備をし、お店は開店、僕も歌い始めた。最初は「ギャラが出ない」ということから、客入りも相当苦労してるお店なのだろう、と想像していたのだが、割とお客さんがボチボチ入ってくる。広い店なので、一見閑散とはしていたが、最終的にはそれでも、20名弱くらいは居たのではないだろうか。僕はこの事をちょっと意外に思いはじめ、そうして僕の歌を笑顔で楽しんでるお客さんを見ながら、「これはいったいどういうことなのだろうか」と思い始めた。
みんなけっこうオーダーもしていた。例えばこのお客さん一人一人から、100円のチャージでも取れば、それでも僕は2000円もらえることになる。また、お客さんから採らなくとも、そういう計算で店が僕に2000円でも払ってくれればいいではないか、なのに、これでノーギャラとはどういうことなのだ?と僕は考え始め、次第に腹が立ってきたのだ。
僕の音楽は確かに楽しまれていた。その日のお店の売り物のひとつとして、確実に僕は存在していた。なのに、これについて店側は報酬を払おうという考えさえないのだ。ちょうど僕自身、会社関係のトラブル中だったこともあって、店側が、紹介してくれた彼を騙してるのでは?とまで思った。
ライブが終わったあと、帰路の車の中で、紹介してくれた彼と激しい言い争いになった。「これはどういうことだ?ノーギャラと納得して来たので、今日は請求しない、しかし今日の営業を見る限り、出演者に何も与えないということは、常識としてありえない、即刻改善する事を希望する!」と僕は強く言った。
彼は「良い場所なのだから出られるだけでも良いではないか、店のオーナーは知りあいで経営が大変なことも良く知っているし、それでも人柄や熱意に惹かれ、ノーギャラで請けた、報酬については、こうして送迎までしてるのだし、そこは好意として受け取って欲しい」と答えた。
「そういう問題じゃない、依頼する店側の考え方のことだ、人柄や熱意などと言うものに騙されてアーティスト側が利用されてるだけだろう?たかだか一人100円も何故払えないのだ?ポケットマネーで1000円でも良い、そういう発想自体がない、思いつかないことがそもそも問題だ」と僕は答えた。
結局HTBから家に戻るまでの小一時間、議論は平行線で、分かり合えることはなかった。僕はその後も、彼となんとか分かり合いたいと思ったのだが、結局お互いのスタンスを理解し合えないまま疎遠になった。僕がこちらに来てからの交友関係で、いちばん最初に味わった挫折だった。
僕はこの出来事のあと、しばらく落ち込んで立ち直れなかったが、これは特殊な例だったかもしれない、と思いなおし、また頑張ろうと思った。しかし、それは甘かった、ということだ。誰もが同じ感覚だったからだ。

誤解してほしくないので、ひとつだけ言っておきたい。お金を払え、というのは「お客さん側に言ってるのではない」。お客である以上、払う価値があるかどうかはお客が決めるだろう。
僕が言いたいのは「バーやレストラン側が、アーティストを出演させ演奏させ、それでお金をお客から取っているのに、その収入や、感謝の気持ちを出演者に還元させようという気がまったく無いのはどうかと思う」ということなのだ。そのお店に来たお客のうちの一部は、演奏者や音楽を楽しみに来た客なのである。その演奏者に還元がないということは、納品業者へ支払いしない、と同じことではないか。


こういう出来事が続くお陰で、今の僕はまったく孤独である。最近僕は東京の知りあいによく言う。「東京時代は甘やかされていた。こんなことで苦労したことはまったくなかった。自分は甘かったのかもしれない。でも、これが現実だとしたらすごく悲しいことだ」と。

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2010年3月 7日

ロボットからヒトへ

G.A.W.さんの この記事 っておもしろいよね。

僕はずいぶん前、彼が初音ミクのレビューしてたときから、この人の感性は自分と似ていると思って注目してて、今回も同じだったのでなんだかびっくりした。

結局僕を救ったのは接客業だったな。接客というのはロボットになることだから、自分はどうでもいいわけ。接客マシーンになりきって最高の物を提供すれば良い。そして、それをすることはとても快感だった。何かを演じている感覚、これだ!って思った。

音楽、特にロック系フォーク系みたいのって、自分を晒しだせとか開け、とかいう音楽じゃん。それに、創った作品にも「自分印」つくでしょ。それがとても恥ずかしかったし、他人に悟られるのがとても嫌だった。なので逃げて隠してはぐらかしてばかりいたわけだ。なので他の何かになりきることはとても楽しかったんだ。音楽も同じだった。自分じゃない何か別なものになりきって創っていたんだよね。

その接客業の末期に個人的に転換期が訪れて、本心で本気にならなければならない出来事が起こったのよ。なんていうか悟り。「何かになりきって物を創るという作業はココで限界」っていう地点が来たって、自分で理解できたんだよね。

そうすると、こんどは何かになりきっている事が辛くなってくる。そうして接客もできなくなって、辞めることになった。

自分をさらけ出して好みも影響元もすべて詳らかにすることは、とても勇気が要った。素っ裸で外に出た感じ。でもそうしたときの反応って、叩かれたり嘲笑されたら嫌だなあ、と思ったんだけど、実際そうしてみると、それほどそういうことは起こらなかったし、あったとしても意外に平気だった。そのことに自分もびっくりした。本当に自分がやりたいことやってると、反応ってそれほど気にならないものだなって思ったし、叩かれることも逆にエネルギーになったりするんだなって思った。そこからの5年くらいが一番楽しかった。

その後は前に書いたとおり旧友どもから袋叩きに遭うという仕打ちが待ってるけども、それはまた別な話だと思ってる。もうひとつ乗り越えるべき山があったってことだろう。そう冷静に今は思ってるな。

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2010年3月 5日

創ってる人の顔が見える

自分もかつては「ビーヲタ」だったくせに、近親憎悪とでもいいますか、同族嫌悪といいますか、マニアの人たちがあまりにめんどくさかったので、反動でビートルズの悪口ばかり言ってた時期があった。そのときに一人のビートルズファンから「そうやって今は嫌いなのは分かるけど、ではビートルズ聴いてひとつもいいことはなかった?」と尋ねられて、ちょっと考えて「あー、ある。ビートルズ聴いてなかったら自分はバンドとか楽器とかやろうと思ってなかったと思う。」と咄嗟に答えたんだよね。

その後そのことについていろいろ考えるようになって、そういえばビートルズ聴く前は、世の中に流れてる音楽っていう物すべて、人間が演奏したモノだって気付いてなかったな、いや、気付いてないわけ無いんだけど、例えば、100均で売ってるプラスチックのハコとか、電車の座席のネジ一個とか、そういうものみたいに、どこかの誰かが手で作ってる、っていう感覚があまり無かった。田舎だったからライブとかの生演奏もあまり見る機会なかったし、あったとしても、それと街中やCDで流れる音楽は別、みたいな感覚あったと思う。

ビートルズの音楽やイメージ、キャラクターは全部分かりやすいから、比較的年齢低い頃に出会うでしょ。そうすると、実際に楽器弾いて歌ってる姿、曲を創ってる姿、みたいなクリエイト全般の総体イメージっつか、そういうものを認識させられたっていう初めての経験な人も多かったと思う。もちろん、それが全然違うバンドだったりクラシックだったりする人とか、さまざまだと思うけど、なんていうんだろ、ああいうポップ音楽が素人っぽい人の手作業、手演奏で出来るっていうのは、ちょっと新鮮だったと思う。

昔の歌謡曲からJPOPから、そういう音楽って、映画のサントラ音楽もそうだけど、プロの職人集めて、でかいスタジオか、プロ用設備のプライベートスタジオとかで録るっていうのは、それは今だと分かるけど、メイキング映像とかでも見ない限りはそういうのイメージ沸きづらいでしょ。普通の人は。ビートルズの場合は、今そこで鳴ってる音が実際にこのおっさんが弾いてる、ってちゃんと分かるっていう初体験だったと思う。

なんか、思う思うばかりで、ちっとも確信ぽくないんだけども、少なくとも僕の中では、それらの認識がきっかけになって、自分で何か創ろう、という気分にはなったよね。


まあそういう「人の顔が見える音楽」って暑苦しい音楽でもあるから、その「汗臭さ」が嫌で、その後離れてしまう。テクノとかハウスみたいのを好きになる経緯ってそんな感じだった。自分はドラマーだったくせにドラムは汗かくから嫌いだったし、「人の匂いのするもの」全般が嫌だった時期はあったね。「物創るのは人間」ってのは画期的発見だったけど、人間だから当然人間らしさもあるわけで、性格とか人格とか、生身の人間だから当然あるでしょ。そうすると、楽器や音楽が上手い、っていうのと別に、でも人間性嫌い、みたいな人も当然いるわけ。天才だけど性格最悪、みたいな。僕にとって、その人間性が音楽のイメージにまで影響与えてしまうことはすごく嫌だった。音楽は音楽として、それのみで向かい合いたかったから。人間を排除したい、って思うようになったんだよね。

そう考えるようになってからは、作者のプロフィールとかいろいろ調べる事もあまりよくないことなんじゃないかって思うようになって、だんだん控えるようになったね。別に、音楽と、それを産んだ人の人生なんか関係ないじゃん、って。実はそんなことも無いんだけども。


10年位前から、スーパーで売ってる野菜とかに顔写真がくっついて「これは私が創りました」みたいなキャプション付くようになったけど、それもどうかなって思うこともある。それは僕自身、それがいいと思った時期と、それがウザいと思った時期と、両方経験したからだよね。こんなおっさん作ってる野菜なんか食べたくない、って思う人もいるんじゃないかなあ。

そしてたぶん、音楽も、例えば僕の音楽だって、こんなウザい奴の音楽なんか不快で聴いてられっか!と思ってる人はたくさんいるんだと思う。だからこそ、そんな弊害を越えてまで僕の音楽を聴いてくれる人がいることについては、もう感謝しかないよね。

ありがたい話だ。

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2010年2月23日

野飲み

一人で眼鏡橋のたもとで飲んでる。夜行列車のボックス席で寝るみたいにベンチで寝てる。ランタン祭りの飾りも全部あかりが消えてる。今日は暖かいからこういうことができる。

これからいいことあるんかねぇ。もう「皮残す」みたいなことでいいやんな。やることはやりつくしたやんな。そんな心の言葉が毎日聞こえるんだよ。もぅえんちゃうん?て。確かにそう。

今日も褒められた。ありがとう。でも本当にそう言われたい人からは絶対言われないんだょ。僕が褒められたいんは、認めてほしいんは一人だけ。その願いは一生叶わない。

河の水の流れの音がするなあ。ここが鴨川だったらいいのに。

今日はいいこともあったけど、嫌なこともあったな。知り合いの送別会に誘われてなくて知らないうちに終わってたこととか。別に僕は送別会とかそういう行事モノに積極的に参加するタイプの人ではないんだけど、その彼のことはおもしろくて好きだったので、東京に戻ると聞いたとき、心から残念だと思ったのだ。

去年ここで書いた内容で、放火の話があったと思うけど、その彼との出会いもそれ関連だった。そのとき書いたように僕はその後それ関係のラインとは縁を切ってしまったから会う機会は減ったけど、別ラインとかでたまに仕事であい、相変わらずな感じで話をしてた間柄だっただけに、そこで外されたのはなんかショックだった。気を利かせてくれたのかなあ。いや、そんなこともないように思う。

僕は、自分の存在や歌とかが、「愛されてる」ってほどではないにしても、ちゃんと認められてるとか見てくれてはいるとか、心に留められてはいる、とか、まあともかく空気扱いじゃなければ、どこでもいくのだけど、以前からそのラインの人々は、僕に対してその辺、距離置かれてるな、っていう空気をいつも感じていて、ライブの企画とか持っていっても、やってはくれるのだけど、なにかイチモツありそうな、というか、お義理でやってあげてます感が伝わってくる人々で、そこがすごく僕は辛かった。義理で付き合われてます、という空気が伝わってくることほど辛いものもない。かつてのクラスでのハブ状態とかのこと思い出す。

僕がいつもいうのは、「僕という人はどうでもいい。作品を気に入ってくれたら嬉しい」ということなのだけど、そういう関係から一番遠い、というか、そもそも作品も気に入られてないんだと思った。でもイベントとかやってる以上は、僕の企画とかも請けなきゃいけなくて、ほんとにお義理な感じがするんだな。

ただ、まったくのお義理が嫌かって言うと、実はそうでもない。仕事としてちゃんとしてくれるなら僕はそれでかまわない。

例えば、ライブハウスやライブバーのマスターで、ホントにこの人、音楽とか好きなんだろうか?と言う人がたまにいる。彼らは、お店が儲かり、若い女の子でもたくさん来れば、それで喜ぶタイプだ。そんな店でやるのはいやだ、と嫌うアーティストもいるけど、僕はかえってそういうタイプのほうが、分かりやすくて付き合いやすいのだ。だって相手が求めてるものははっきりしてるから、相手のそこを喜ばせてあげればいいんだから。で、僕のやりたいこともはっきりしてるから、その上で企画を実現させてあげれば、その後もそれはお互い上手くいく。

なので前者みたいに、なんだか好きでもないのに愛想笑いで付き合ってあげてます、みたいな人が一番いやだ。自分のタイプの音楽じゃないし、店にも合わないのでご遠慮ください、とかはっきり言えばいいのに、不承不承請けてる観がものすごく嫌なんだ。

僕はホテルの仕事をやってたので、人の喜ぶ顔には敏感だ。本心から嬉しがってるかどうかって、見れば分かるよ。

まあそんなんで、送別会はぶられた話から、なんだか川のほとりで寝ころんで飲みながら夜空見上げて、いろいろ考えてしまったなあ。結局僕は誰からも愛されてないなあ、とつくづく思った日だった。

Idmaicou

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2010年2月10日

音楽教師と体育教師の結婚

僕プロデュースのライブ第2弾が無事終了。

僕は、自分の音楽性が近いこともあって、音大関係の女性と出会うことも多い。音大出たからといって、その後何か将来が約束されているわけでもなく、そんでまあ音大まで行くとなると、それなりの資産がある家の出なことも多く、結局は周囲から「花嫁修行」的に捉えられ、自然な流れで家庭に入る人も多いだろう。しかし本人の「創作したい欲」は消えるわけではないから、現実のギャップで苦しんだりし、精神的にへたれてくる人も多かった。

こういう人に会うたび僕は、大昔に見た結婚式の事を思い出すのだ。それは音大を出て音楽教師になった女性(先輩)の結婚式だった。相手は同僚の体育教師だった。披露宴には、その女性の音大時代の仲間が多数出席し、ゲスト演奏したりするなど、楽しい宴だった。ところが最後の新郎挨拶で体育教師が放った言葉にみんな唖然とした。その体育教師は全員の前で「家庭に入ったら、今後このような道楽めいたことは妻にはさせない、付き合いも控えてもらうようにするつもりだ。」と言い放ったのだ。

新婦友人一同は、表面上は穏やかな顔をしつつ、内心憤慨してその場を後にした。その後も僕らは何度かそのときの話題を出して「あれはほんとに悲しかった」「彼女は幸せなんだろうか」などと話した。


今その二人の家庭がどうなってるのかは知らない。でも、こういうこれに似た話はその後も良く聴いた。家庭というのはある種の人にとっては未だに封建制なんだろう。

僕はその話をずっと忘れなかった。忘れられなかったね。だから今でも、音大関係の人でなにか沈んでたりする人を見ると、僕に出来ることはないだろうか、と思ってしまうのだった。

僕はボランティアとかそういうことを決してしない人間だけれども、そういうひとには手助けしたい、と思うし、そういう目に見えない部分で傷ついてる人をもっと救うことは大事なんじゃないかって思ってるんだ。

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2009年11月12日

好きな人や物が多過ぎて

ネット上では言葉の絶妙な使い手さんがいろいろ居て、私など到底適わない、と日々思わされたりしています。先日ヒドい出来事があり、どうせ私は悪者ですから、と自己嫌悪に浸っていたところ、思わぬ言葉にハッとさせられました。


見ず知らずの赤の他人からは突然そこまで「好き」と言われると構えてしまう。
身に覚えのない好意は悪意同様に、困る。
今日は知人づてに赤の他人から
「君の文章がずっと記憶に残っています」というメッセージも受け取った。
そういう言葉に託された好意の距離は「ちょうどいい」なとも思った。

通りすがりの赤の他人に突然求愛されても困りますよね。突然刺されて困るのと同様に。
見ず知らずの他人からの過剰な感情は好意も悪意も等しく困る…

by okadaicさん(twitter


この、突然の愛の告白と、突然刺されるのは同じ、という感覚は、まさに今回僕が味わったものです。


好かれるのだから良いじゃないか、というのは、アーティストとして、とか、作品が対象ならいいのですが、
僕個人に対しては、確かに困ります。対象に対して猛進し一途なのは、何かを生み出す場合の原動力になり良いことだと思うけど、そのエネルギーは、自分に対して使うべきで、他人に向けるべきものではないと思います。

ましてや、会ったこともない人とか、さして親しくもない人に、気持ちだけを一方的にぶつけられてくるのは、これは、本当に刺されるのと同じだと、今回つくづく思いました。


そんな自分も、そういう面がもちろんありますよ。
自分がそうであるからこそ、お互いに気を付けたい。

そう思います。

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