2013年4月 4日

「てーげー」がいいという強者の欺瞞

何度も書いた気がしますが、詐欺師や横暴無礼な人間は、まあ居るのはしょうがないとして、そういう人間に対して何も言わないのが、こっちの人々の(特に立場ある人の)一番の問題点だと、これは一貫して5年くらい思い続けています。

陰で悪評三昧の人の話題を振ると、たいていは「そうなんですよねー、でも何故か、しぶとく活動しているのですよねー」などという答えが必ず返ってくる。いやいやいや(笑)、そう思うならまず貴方から、そういう輩を使うのをお止めなさいよ、と思うわけだが、誰も率先して「もう詐欺師とは関わらない」と言わないわけです。

私が一番問題点にしてるのは、その輩の「プロフィール」です。そうしてみんなが黙認してるうちに、その輩どものプロフィールには、次々に自分のやった「偉業」が書き加えられていくのですよ。何も知らない人にとっては、そういう資料で読めるプロフィールと仕事で人物を判断するしかありません。質や人間性は、それでは判断できないからですね。

以前、自分がやった過去不本意だった仕事について、僕が自分の経歴に加えるのを躊躇していたところ、ある知り合いから「不本意でも上手くいかなくとも、やった仕事はやった仕事なのだから、自信を持って加えるべきです」と言われたのです。確かにそのとおりだな、と思いました。
これと同じことを悪用しているのが、そういった詐欺師や横暴な輩どもであると言えます。質や評判は一切気にせず、どんどん経歴に加えていくから、見かけ上の「戦果」が増えていくわけかー、と妙に納得したわけですね。失敗しようが内容が酷かろうが「やった」という事実は事実である、と。その質が判らないまま、どんどんポイントだけ上がっていく。それが「見かけ上の」信用になり、ますます被害者が増える、という悪循環になります。誰かが、この循環をストップさせなければ、永遠に続くのですね。


移住してしばらくの間、僕はココが、沖縄みたいに寛大で「てーげー」な土地柄で、ゆるく成り立ってるのは(個人的に好きじゃないが)悪くはないなあ、などと思っていました。しかし、じっくりいろいろ話してみると、みんながいろんなことについてけっこうな不満を抱いているのがわかりました。
それがわかったとき、県や市や国、という大きなものに対していろんな不満はあるのは、まあやっぱりそうだろうな、とは思いましたが、詐欺師や横暴な人に対しても実はそう思ってるんだ、と知ったのは、実は割りとショックだった気がします。それまでは、そういうのを大らかな気持ちで許すのが土地柄気質だと思ってたからです。
しかしそうではなかった。大らかな土地柄なのではなかった、そういう空気を利用して横暴なことをする人々に対して、気が弱いから文句を言えなかっただけなのだし、メンドクサイから、同調圧力があるから、など様々な理由で、不本意ではあるけど放置してただけなんですね。
ただし、さすがに度を過ぎると行動を起こすというのも聴きました。その行動とは「黙って去る」。それが、こっちの人のやりかたである、ということです。そうして徐々に遠巻きにしていく。これは逆に、とても残酷なやり方だと思いましたし、そうすると前述の「プロフィールに戦果ポイントが増えていく」という状況は改善されません。だから、どんどん新たな被害者が現れるわけです。情報は内輪だけで共有し、身内の恥と考えヨソモノには漏らさない、新たな被害者のことは知らぬ、ということなんですね。被害者が出るたび「あー、またやられたか」と噂してるのもよく聴きました。そこまで判ってるなら、何故、被害が起こる前に忠告しないのか?と、憤りすら感じます。

実は、こういう悪行は悪人だけがやっていることではありません。意外に、文化人と称する人々や知識人もしてしまっていることがあります。僕自身の経験ですが、僕が以前出演してたライブバーのような場所が、実は防音対策も何も一切やっていなかった(!)、ということがあります。開店してから「ライブもやってみたくなった」というのとは違うのです。最初からライブもするつもり満々なのですね。なのにそういった処置を施していない。
自分も出てたから偉そうなことは言えないのですが、やっぱりこれも、最初は僕は、大らかな土地柄だから菓子折りでも持って「すいませんね」と言って済んでるんだと思っていたのです。しかし実際はそうではないのですね。恐らく周囲の住民はハラワタ煮えくり返ってたことだろうと思います。店主は「いや、周りにもご理解いただいてます」と言うかもしれませんが、そういう不満をはっきり言うような人たちではないと僕は思いましたし、ある一軒は危うく訴訟沙汰になりかけた、という顛末でした。
人であれば、避けて遠ざけることもできます。しかしこういった、店や施設というものは、大概、あとから越してきて開店しますから、そうすると住民は逃げられません。それに、騒音ならともかく、それが「音楽」であれば、文化に協力、という名目で、文句も言いづらくなるわけです。その辺は実に巧妙なんですね。そういう「悪気のない」横暴は、そこここであると思います。この辺は自分も含め、常に気をつけておくべきことです。「大義名分」という恐ろしい同調圧力というものの存在を、しっかり認識しておくべきですね。

「てーげー」でおおらかな土地、というのは、言い換えれば、何があっても懲りずに声や態度の大きな人間が、おとなしい人々を踏みつけにして「大らかな土地だから」と言い張って好き放題してる、ということでもあるということです(ジャイアニズム)。

この件については今後も引き続き、しっかり見守って行きたいと思います。


PS
そういえばよく「芸術家はお金に疎い」などと言いますが、これも搾取する側が「そうあって欲しい」と願っているから、そのほうが都合がいいから言っているに過ぎないのですね。そうして芸術家側もいつしか、そういうものだと思い込まされてしまってる部分もあると思います。「てーげーがいい」というのも、それでいいのだ、と住民がいつしか思いこんでしまった結果なのかもしれません。しかしその裏では、それを利用したり搾取している輩が存在していることは、決して忘れてはいけないことだと思います。

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2013年2月14日

微笑みのない国

前回の「社交辞令の国のヒト」の続きです。

いま街ではランタンフェスティバルというのをやってて(九州弁で言うと”あってて”)、大勢の他県のヒトが来訪してる。そんな流れで、知り合いと接客の話になり、思い出したことがあるので、書いておこうと思う。

僕が6年前、こっちに来てびっくりしたのは、接客の人がみんな笑わないことだった。本人は一生懸命接客してるようなのだが、みんな顔が笑ってなくて。僕は、こう見えてw 当時はけっこう愛想のいい人だったので「お客として」買い物したときにも、ちゃんとお店のヒトに対しても微笑んで「ありがとうー」と言ってたのだ。でもこっちじゃ、そう言って笑いかけても反応がない。そういうのが続いて、自分は嫌われてるんじゃないか、と思うようになった。そうして何年も経ち、僕も笑わなくなってしまった。このように、表情を失くして行くヒトが、実は多いのかもしれない。

だんだん笑わなくなってくるのかも、ということを思ったのは、去年こちらで大学生や若い人たちと多数触れ合う機会があって、そうしたところ、みんな表情豊かでニコニコ笑っていたのを見たからだ。しかし、こういう人たちは町の一般の店、コンビニ、ドラッグストアにはいないのだ。異なる人種で棲み分けされているのか。もしくは、徐々に表情を失って行くのか。その辺はわからない。

ともかくそれが。こっちの人は接客でも笑わないんだなー、というのが、この街に関しての、僕の第一印象だったのだ。


このように書いてると、それは前回のエントリーと矛盾するんじゃないの?と思われるだろう。
僕もそう考えて、どういうことだ??と考えてみた結果、以下のような仮説が導き出された。


実は、6年間住んで、ひとつ気付いたことがあるのだ。そういったお店の人たち、知り合いになら微笑んで返す、ということだった。店の知り合いになると、ニコニコするんだよね。ああそうなのか、という感じはした。
つまり僕のイメージとしては、「店の人にとって特別」な人には、愛想振りまく。例えば、知り合い、お金使う人、仲良くしておくと自分にとって有利な人、有名人とかもろもろ。つまりここでも、前回書いたような「調子がいい」というのがキーワードになってくる。

つまり、僕が「調子よく扱われてた」頃は、僕自身がお店のヒトや、話す相手にとって「何かの利益があった」ヒトだったのではないか、と。僕のたたずまいや立場、態度なんかに、そういうオーラがあって、相手は僕に調子よく振舞って「くれてた」のではないか、と思ったのだ。それならつじつまが合う。そして、実際に僕が、その相手にとって、さして有益ではない、とわかった時点で、もしくは、メンドクサイと思った時点で去ってしまうわけだね。そこで僕は「最初のニコニコした態度はなんだったの?」と、憤りを感じることになる。それが、「ずいぶんみんな調子がいいじゃないか」という印象に繋がったということだね。そう考えると「なるほどですねー(こちらの言い回し)」と思ったね。

観光客にも凄い親切、というのは、ここに繋がるんだよね。街の印象をよく思って欲しいから。「ホントのお客さん」だから。つまりひっくり返せば、自分の顔見知りでもない「普通の街のヒト」は、ただの内輪で、「お客さん」ではない、という考え方なのかもしれない。そういう考えは、突き詰めると、自分の家族や隣人はどうでもいい、遠くの被災地が大事、という考えにも繋がっていくような気がする。


僕は子供の頃に、そういう風な基準で、自分が散々、親や他人から邪険に扱われた経験をしてるから、そのような扱いは今でも、すごく「不当に」感じるし、だからこそ、基本的にそういう区別がない、都会やホテルの接客が、スゴク好きだったし、マックみたいに、日本中どこに言っても、マニュアル化されている接客が、一番優れたシステムだと思っていた。今もその価値観はかわらない。それが僕の「ホテルマン」としての、ポリシーだったから。
だから、そのように、相手によって態度が変わることについて、納得できなかったんだと思う。
(いろいろ参考に→ 都会と田舎の比較の話が出るととりあえず絡みつく / 24時間残念営業


そういえば、去年の僕の新曲「愛と平和の街」の中に「笑いかけて~スマイリング」っていう部分があるのだけど、それって、このことを歌った歌詞だよね。気付いてなかったけど。もちろんアメリカンインディアンの教えや、ビーチボーイズのスマイルのこともあっただろう。でも、そもそも、その歌詞を書こうと思った根底には、こっちの人たちが、みんな微笑んでくれなかった、という経験があったからなんじゃないか。そんなことを思ったわけだね。

深いね。


愛と平和の街。

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2012年10月23日

社交辞令の国のヒト

なんかいろいろ思ったので、ダラダラ書いてみようと思う。

社会人になり日々生活してると、いわゆる「社交辞令」というものの必要性を感じるようになるだろう。それが「オトナの世界」というものかもしれない。
ところが僕の場合、子ども時代から社交辞令の存在を、嫌でも突きつけられるような目にいろいろ遭っていて、だから世の中は社交辞令だけで出来ている、というのが常識、みたいに思っていた。

それに疑問を持ち始めたのは高校時代。部活の友人から「おまえは調子がいいな」と言われ、社交辞令じゃなく、本心でホントにしたいことや言いたいこと、そして誘う相手を選び、本当に実行したいと思うことだけをしたほうがいい、と忠告を受けた。その友人がそんなことを言った裏には、部活の中でも社交辞令がはびこっていたから、音楽をするのに(吹奏楽部だった)、そのようなものは邪魔じゃないか、という、その彼の純粋な思いが始まりだった気がする。
確かに、心を開いて満身の演奏活動や表現活動をするには、社交辞令なんか不要だろう。その時はそう思った。だから、それ以降、自分の環境の影響で社交辞令が多くなっていた自分自身の言動を、見直して気をつけるようになったのだ。
その後は大学。やっぱり調子がよく、社交辞令が上手い先輩はいた。周りのオトナもそういう人が多かった。今振り返ると、関西は多かった気がするね。まあそんな環境でも、自分と判りあえる親友が数名でき、その彼らとは本音で話したから、特に息苦しい思いはなかった。

その後東京に出ると、寮生活が待っており、そんな特殊な場所では社交辞令もクソもないから、みんな赤裸々だった。おもしろいのは、寮生活がそんなだったおかげで、逆に寮の外の一般社会では耐性ができ、社会人楽団の人たちとは普通に気持ちいい話し方ができるようになり、好感を持たれるようになった、ということだ。
今振り返ると、このときに完成した東京時代の「社交的な性格」が今の僕の「アーティストイメージ」の基本になっており、今の僕を「爽やかな印象の人」と思ってみてる人は、この「東京社会人モード」で僕が接することが出来た相手なんだろうと思う。今も同じだが、相手が不快な存在でなければ、僕は、このモードで居ることができる。だから、僕のことを「すごく不快な人間だ」と感じる人がいたら、たぶん、その人は僕に不快感を与えてるはずだ。不快感には不快感で返す、という癖があるのかもしれない。自然にそうなってるので、自分はあまり意識してないんだけどね。

大阪時代と同じように、東京でも音楽の仲間ができて、その中では、本音で話そう、ということが前提になり、そういう仲間だけで自然に固まった。高校時代に気付いて以降は、一貫してそういう交友関係を求め続けた、ということだろうと思う。それは、バンド時代、営業時代、キャバレー時代、ホテル時代、音楽家時代、と続いた。そういう環境に、すごく長い期間居続けて、世の中もそういうものだと、勘違いしそうなくらい、そういうことに慣れてしまっていた。もちろん僕も常識はある。社交辞令で接しなければいけない相手には、ちゃんとそうしたし、今でもそうしてると思う。

そんな年月が過ぎて、長年住んだ東京を離れて、この町にやってきたわけだ。土地は変わったが、仕事相手には、もちろん一般社会人として常識ある接し方を心がけたし、特に問題も起こらなかった。ところが、一般人や音楽仲間への対処に、ものすごく苦労するようになった。一言で言うと、その種類の人々が「本音」で話してるのか、「社交辞令」で話してるのか、僕にはまったく判断がつかなかったからだ。それまでの長い社会人生活で、一般人や仕事上の付き合いは社交辞令な会話、音楽仲間や近い関係には本音、というように使い分けの術を習得してたはずだったのだが、肝心の「見分け」ができなければ、それが応用できない。こっちの人々は、旅行者やヨソモノには(その立場でいる段階は)きわめて優しく、どう見ても、すべて本音で言ってるようにしか見えず、僕はとても困ってしまった。全員を疑うわけにはいかない。しょうがないから、すべて言葉どおり信用することにした。結果として、相手の言ってることすべてを真に受けて、泥沼にハマってしまった僕の数年間が始まったわけだ。

去年あたり、やっとその泥沼から抜け出せそうになったとき、僕はある人に「こっちの人々は基本、全員、調子がいい」と言ったことがある。この土地の人々の特徴として「旅人には優しい」というのがある。これは、この土地に限らないかもしれない。観光客の多い有名観光地とかは、そういう傾向があるかもしれない。旅の人には、気持ちよく帰って欲しい。そういうことだろう。僕自身、旅で来てた頃は、大変暖かく接しられたし、手厚い歓迎もされた。まあ誰でも、客人には「いいところ」を見せたいと思うのだろうが、この土地のそのレベルは、過去いろいろ経験した中でも、最高レベルに近い気がする。外向けにはすごくいい顔をする。しかし、実際に住んでみると、そのにこやかな笑顔と優しい言葉は、全部「そのとき限りのもの」だったと気付くのだ。

ホテルマンをやってた僕が今思うのは、こっちの人はみんなが「接客業」をやってるみたいな生活を送ってるんだろう、ということだった。確かにホテル時代の自分もそうだったが、お客さんにはよい接客を心がけるが、従業員同士は割りとどうでもいい。そう、ちょうどユニホームみたいな。ベルボーイ、フロント係、レストランのメイドさん、料理長、支配人、その他もろもろ。みんなコスチュームを纏ってるときは、ビシッとカッコよく決まっていて、そういう役割を演じてまっとうしているのだった。コスチュームを脱いだ、その人々はだらしないし、放屁しながらタバコ吸い、競馬新聞を読んだりしている。しかし、コスチュームをまとって「ようこそ」と言ってる限りにおいては、とても素晴らしくカッコいい人なんである。

ホテル時代の経験を通じて僕が感じたのは、そういう表の顔と裏の顔が違うのは、ある意味「プロっぽくて」面白いのだけど、それは(そのとき僕が目指してた)音楽家とは、だんだん遠くなってくるのではないだろうか、ということだった。3年勤続して、その末期に思ってたのはそういうことだった。このまま、表の顔だけになってしまう自分はやばい。そういう危機感だったのだ。

そんなもろもろで、今の現状を準えてみると、自分が置かれてる状態はホテルマンに接客されてた状態であり、何かの誘いや、褒め言葉も、交友関係の潤滑油というか、「お客様、素敵なお召し物で…」というものと同質な、社交辞令だったのだろう、とわかる。それを、本音として受け取ってしまった僕が、バカといえばバカだったのかもしれない。


もうひとつ気付いたことがある。社交辞令を言う立場と言われる立場がある、ということだった。これはある種マウンティングにも似ており、苛めっ子と苛められっ子の関係にも似ている。
僕が子どもの頃、社交辞令を言われて傷ついたのは、僕が「言われる立場」だったからだ。「誘われる立場」と言い換えればもっとわかりやすい。誰かが僕に誘いかけることによって、何かの関係が始まる。僕は「待ち」の状態、というわけだ。
なので、立場が逆、つまり、僕のほうが誘う立場になると、今度は僕のほうが、安易に声をかけたりしないように気をつけなくてはならない立場となるわけだ。これが、高校時代の友人に注意されたことだろうと思う。高校生になり、部活仲間の友人も対等になる。そうすると、こっちから誘いかけておいて「ああ実は、あれは社交辞令だった」などと言えなくなる、ってことだね。そんなことを繰り返してたら「うそつき」になってしまう。自分がされてても、他人にそれをやってはいけない、特に立場が変わってからは。そういうことだったのだろう。

似たような事例として「ハラスメント」がある。弱い立場のヒトが吠えるから、それも時には毒抜きになるが、強い立場の人が弱い立場のヒトに対して同じことをすれば、たちまちハラスメントになる。高校時代の自分は、知らぬうちに「社交辞令ハラスメント」をしていたのだろう、いや、そうなってしまう立場にいつのまにか「なっていた」、ということだろうと思う。
僕はこっちに移住してから、一貫して弱い立場に在ったと思う。常に誰かから依頼を受ける立場だったし、受け入れる立場だったし、ヨソモノで遠慮しなければならない立場でもあった。そういう立場では、相手のほうが常に優位なので、何かの言葉や誘い、お世辞など、すべてが、下手すると僕にとっては「ハラスメント」になってしまう、ということだったのだ。僕はこの町のカーストで、一番下層にいたのである。少なくとも僕の中では、そう思い込んでるフシがあって、だからこそ、調子のいい誘いや、無遠慮なお世辞に切れたのであり、苛められている、という感覚がずーっと抜けなかったのである。相手は何気ない気持ちで言ったのだろう。でも、この土地での僕は、前述したとおり、まるで子ども時代のようであり、何も頼るものもなく、すべてを信頼して真に受けなければ、やっていけなかった。素朴な笑顔で「お世辞」を言われたら、それを疑うことなんかできないじゃないの。ニコニコ「今度遊びに行きましょ?」と言われたら、その言葉に嘘はないだろう、と思ってしまうでしょ。

でも今の僕は、そういう経験をしたから、今後は全員の言動を疑ってかかります、信用なんかしません、と言うような気分ではない。どんな目に遭おうとも、これからも100にひとつくらいの「本音」を探して、いろんな人と接し続けるだろう。そういう自分の生きかたでいいと思ってる。そんな僕はシアワセだし、バカかもしれないし、まあでも、根っからそういう「アーティスト()」なんだと思う。

それでいいのだ。


続き

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2012年4月 5日

なまえ

いまや知ってる人もいないと思うけど、このブログの元は、はてなダイアリで書いていた「songs」というブログでした。 それなりにいい記事も書いたと思います。たくさんブクマも付いたりしたし、知名度も上がってきました。そして3年ほど過ぎ、「ああ、もう卒業だな」と思える段階が訪れて、ログを保存し、ブログの方は閉めてアカウントも休眠させて消えてしまったのです。ということで、ココのブログ記事のうちいくつかは、その中の「これは公開しておきたい」と思ったものの転載なんですね。

そんな経緯もあって、ここのブログを開設したとき、ブログタイトルをどうすればいいのか、なかなかいい案が思いつかなくて、そらそうよね、ブログを移設して新設するたびにタイトル変えれば、やがてネタも尽きるというものです。何を付けても、どうも違うんだよなあ、と思うのばかりでした。ちょっと前につけたパッセンジャー(アントニオーニの映画タイトルから)は、なかなかいいと思ったのだけど、あれは主人公が死んでしまうしw それに検索でも似たようなのがたくさん出て、判りにくいと思っていました。その後は林檎のタイトルにしましたが、これもネット上に存在してて、あまり個性的ではない、と思ってました。そんで結局、いっそ原点に返りシンプルな「Songs」でいいではないか、と思ったわけです。それプラス、僕のブログに特徴の「長文」。それを合わせて「Songs & Words」というのがいいかと思いました。

Back To Original ってことですね。
割と気に入っています。いかがですか?

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2011年8月15日

音楽に救われてる話

過去ログはいよいよ2月に突入。街はランタンフェスティバルだった。この辺から5月くらいまで、僕の日常が大変なことになっていく。その最初の出来事が、これから紹介するある事件だった。今振り返ると、何かの暗示だったのかもしれない。

これは最初、いつものようにツイッターのログだけ貼ろうと思ったのだけど、それだけじゃ説明し切れる内容じゃないなと思い、どうしようかな、と考えたところ、ふと、そういえばミクシーの日記で、この事を詳しく書いたはずだ、と思い出したので、そのミクシー日記2日分とともに、全部を転載しますね。

【1】
実は最近、安保→ブント→赤軍関係を読み漁ってた。
これはもちろん、先日の連合赤軍の永田洋子氏死亡がきっかけだったけど、あの事件は本当に今でもトラウマで、それはあの有名な「あさま山荘」の中継で、というよりも、その後、母から聴かされた、「総括という名のリンチ」の実態が壮絶だったから、というのがすごいでかい。あさま山荘でぶっ壊したり撃ち合いやってても、テレビ中継じゃ現実味なくて、ネタかドリフか?みたいな感覚しかないけど、その後に明らかになったリンチについては、子供心にドン引きしたからなあ。
これの怖さは、残酷だということももちろんだけど、他ならぬ自分自身が、そういうことは絶対しない、とは「言い切れない」部分にあると思う。思えば、苛めも苛められもあったし、部活内でのシゴキとか、先輩からの説教とか、あとはクラスでも、帰りの会の悪者吊るし上げとか、似たようなことはみんな経験してるでしょ。連合赤軍の総括は、それの延長上で、究極のスタイルなだけだから、そういう意味じゃ、僕らだってさしてかわらん。
あと、当時は、すごいオトナのヒトがやってるんだと思ってたけど、実際は、みんな子どもだよね。若者。

それから、思想面では。
僕らが多感だった時代は、ああいった左系の思想がかっこいいし正しいと、周りの多くのヒトが思っていた。メディアもそうだし、学校での先生とかもそうだし、うちの父も、労働組合の委員長とかやってたので、けっこうバリバリだったんだよね。そういったこと全部踏まえて、僕はたぶん、そういうことよく考えもせず信じてた自分に、なんだかバツの悪さを感じて、なので大人になってからは考えないようにしてた。でも今回、この永田氏の死亡がきっかけで、もういちど、どういう事件だったのか、それから、人はどういう流れで、こんな偏った考えに至ってしまうのか、その辺をじっくり考えてみたいと思ったんだよね。

まず映画が3個あるんですがね、「突入せよ」は、あれは犯人が何考えてるかわからないので。しかし、どんだけ警察に迷惑かけたかは判るけどね。そんで、それ以外の2本が参考になると思うけど、僕が見たのは、いちばんリアルだと言われてる、「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」っていうやつだね。これは「キャタピラー」の監督の映画です。そんで、ココにはリンク張らないけど、ネットでリアルな話が全部読めます。リアルすぎて気持ち悪くなるので張らないし、もういっかい注意しておきます。安易な気持ちで検索して読まないように。そんで、それ読んでから、映画観る。映画は、それなりに脚色と美化と端折りが入ってるから、その辺の知識あった上で見たほうがいいけど、読んでなくても、じゅうぶんすごい。これも、安易に見ないように。トラウマになるよ。
まあそんなわけで、どういう流れでああなったのか。今回やっとなんとなくつかめてきた。興味本位であれ、なんであれ、心の奥にずーーーっと引っかかってるものは、ちゃんとさらいなおして、自分を「総括」したほうがいいね。いつまでも逃げてるのはよくない。心にずっしりと重く、数日気分悪かったけど、それでも、いろいろさらってみて本当によかったと思ってる。

それから、最後に、いちばん僕が今回思ったコト書く。
それは、僕は本当に音楽に救われてるってことだ。さっきも書いたけど、僕にだって、そういう「要素」はあったんだよ。誰だって、しかねない、やりかねないことだった。でも僕の場合、常に「音楽」があって、そっちへの興味とベクトルがハンパないエネルギーだったので、反れずに済んだだけだった。「音楽」という「宗教」で言えば、ぼくだって、じゅうぶん「カルト」なのですよ。それがただ「音楽だったから」助かってるだけ。僕が生きてるのは、音楽のおかげ。それを、今後もしっかり認識して生きて行きたいと思ったね。


【2】
連合赤軍の話の続き。
最後に、自分は音楽に夢中になれたお陰で横道にそれずに、生きられたんだ、ということ書いたけど、それ書いたのは理由があるんです。じつは、連合赤軍関係の話を家で読んでたときに、仕事の打ち合わせがあるので、と、ある社長さんに呼び出されたのですよ。判りましたーということで、出かけてまいりますと、なんと…sweat01

ネットワーク商法の勧誘でした…。
まあ、マルチやってる人みんな否定するわけじゃないけど、こっちは、音楽製作で、そんな暇ないですよ。そんなことも判ろうとせずに、自分の都合で巻き込もうとするなんて。それは、ちょうど読んでた連合赤軍の話と一緒じゃん!!って凄く思ったんだよ。そんな暇があるような職業だと思われ、これはずいぶんと、なめられたわけですよねー。しかも、そのとき僕は、別件の約束があって連絡を待ってたのですが、連絡来ないなーと思ってふと携帯見たら…

圏外!!! 地下室で勧誘されて、圏外!

総括される!って思ってすごいビビリました!笑。
まあそんなんで、グッタリして帰宅し、ああ僕は、音楽というものがあることで、いろんな寄り道をせずに、生きて来れてるんだ、と。つくづく思ったわけです。そうじゃなけりゃ、とっくに人生終わってますね。生きててよかったです。これからも生きたいです。

ココまでが日記。今読み返すと、中身にいろんな暗示があるね。この後、自分に大変なことが起こるわけだけど、その前兆というか、いろんな想いが既に読み取れる。

補足として、同時期に書いてた、いつものツイッターの過去ログを貼ります。こっちではぶっちゃけてる。これが本音だと思う。


昨日のマルチ勧誘の話はいろいろ考えさせられた。親の会社潰しちゃった2代目元社長アラフィフ。ヒトってそう簡単には変われないんだよなあって。痛い目いろいろ遭って自分も目が覚めた、とか言ってたけど、マルチ誘ってる時点で、ちっとも目が覚めてないよ、あんた。

こういった危機に遭うたび、僕はつくづく「音楽に救われている」と思うわけだ。もっと突きつめると「歌う」コトで救われている。一歩間違えば僕だってマルチや赤軍やカルトや、そんなことしかねないような人間だと自覚してるが、その対象とエネルギーは全部音楽に向かったのよね。

音楽という意味では僕はじゅうぶんカルトだよ。オレは音楽で生かされてるんだ、ってことだね。

ほんとよくココまで生きてきたわよね…


この最後の「ホントによく生きて来れた」という発言は、このあと、本当の意味で身に染みることになる。

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2011年7月16日

とある「女子」歌手の策略

さて。

この土地で、個人的に非常に仲の悪い女性歌手が居ます。「なんで仲が悪いの?」とよく訊かれるので、いつも「向こうが嫌ってるから」と自虐を込めて答えるのですが、それ以上の具体的なことは言ったことがありません。

別にそれでもいいと思ってたのですが、最近また訊かれるようになり、ただ意味もなく、感情で毛嫌いしてる、と思われるのもあれなので、きっかけになった出来事を書いておこうと思います。


この土地に縁ができ、ある会社のツテで、こちらでの初ライブが実現する直前のことでした。僕のサイトに掲載されていた連絡先からメールをくれたヒトが居ました。それが、その「女性歌手」です。

内容は「ちょっとお伝えしたいことがあるので是非会いたい」ということでした(当時はまだ、お互い東京在住)。この手の商売はとかく怪しい人が多いので、当然私は警戒しましたが、わざわざネットで検索して「会いたい」まで言って頂けるのだから、何か特段の理由でもあるのかもしれないとも思いまして、お返事をしまして「どういうことなのですか?」と尋ねますと、「長崎でのライブについて、ちょっと忠告したいことがあるのです」と言うのですよ。

この時点で私は「お互いいい歳でオトナなのに、なにを忠告するというのだろう、まあオレ若く見られるし、新人と思われたかな」などと思いました。ここで以前からいろいろ書いてたので知ってる方も多いと思いますが、実はその数年前、CD「マルコポール」が自称オトナの良識派という人々に散々貶される、というトラウマ事件がありまして、そういう余計な世話焼きはコリゴリでしたので、またかよ!と思い、一気に警戒心が高まりました。

とは言うものの、今から初めてライブをする土地に関して、忠告がある、というのも気になることではありますね。結局私は、警戒心よりも、それに対する興味のほうが勝ってしまいまして「会って話を聞くくらいならまあいいか」と思い、アポを取って会うことにしたわけです。

初めて会ったのは下北沢のカフェだったと思います。雨の日でしたね。下北にしたのは理由がありました。私の友人の作曲家が下北に住んでおり、その女性と会う前に、この件について相談してたんですね。いちおう、こういうことがあった、何かあったら頼む、と言っておいたわけです。

ということで、その友人と話した後に、彼女に会いました。当時の彼女の印象は、今とほとんど変わりません。こういうヒトが今も居たんだなあ、という感じです。で、肝心の話の内容なのですが、「あなた(つまり私)が今付き合っているあの土地の人々はインチキなので近づかないほうがよい」というものでした。

私の経験上「誰彼がインチキである」とわざわざ忠告する人は、その人自身が一番インチキである、という持論がありまして(正義感の塊なのかもしれませんが)、そんなこともあり私の中の警戒心は一挙に高まりまして、即座に「この人は私とは決して合わないと思う」と感じました。

その後も彼女の話はほぼ一貫して、この土地の業界関係者(彼女が知りうる範囲での)についての酷評でした。私は彼女の話を聴きながら、なんとなく小学生時代のクラスの女子どおしの争いとか、帰りの反省会の「今日、A君がこんな事をしていました。良くないと思います!」みたいなことを思い出していました。まさに「女子」なんです。

そんな、マイナス気分になる話をたくさん聴かされ、雨の中、ぐんなりした気分で帰宅しました。


そんな彼女の話、真に受けることはない、と思ってはいたものの、影響は受けるでしょ?その後の初長崎ライブで、土地の人々に接待されたり、打ち合わせしたり、いろんな会合がありましたけども、彼女の「忠告」が頭から離れず、どれも上の空で、まったく楽しめなかった。誰かと話していても「こいつは信用できるのか?」「こいつが、あの女子の言ってたインチキ野郎か?」などと常に勘ぐりながら接することになり、ホトホト疲れてしまいました。

そして、私をこうして振り回し、活動に水を注した彼女のことは、同業として「許せない」と思うようになったというわけなんですね。


私が言いたいのは、誰が個人的に誰を嫌いだろうと、信用できなかろうと、それは自由だし勝手だが、それに、他人まで巻き込んで強制して押し付けるな、ってことです。私達は皆、いいオトナで経験も判断力もあり、そんなことは誰かに言われなくても、ちゃんと判断できるはずですし、それで失敗しても、それはそれでまたひとつ学習したな、ってことじゃないですか。

今思うと、彼女がしたかったのは私を「自分の傘下に入れること」だったんだろうと思います。下北沢のあと、また2度くらい話す機会があって、それを強く感じました。私の為じゃないんです。自分を守る為なんだなあって。あの人たちは悪い子だから、自分の側につきなさい、ってことですね。派閥。グループ。ホントに「小学生」です。

その後は、ふたりともほぼ同時期に、こちらに移住(彼女は帰郷)し、また様々なことが起こるのですが、それはまた別の機会に(いや、別にそれは書かなくてもいいか)。


あれから5年くらい経ちました。人はそうそう変わらないので、今でも彼女は同じままだと思います。

おもしろいことに、私はこちらに移住してから、彼女と似たようなタイプのヒトに深く関わることになりました。音楽的には非常に尊敬できるヒトで、その一点だけは彼女と異なりますが、それ以外の気質については、共通点が多いと思います。

そんな似たものどおしの二人がなんと!コラボする、ということになったようで、因縁を感じます。まあ、ある意味楽しみでもありますが。いいものが出来る事を祈っています(補足:結果として「いいもの」にはなりませんでした。残念ですが仕方がないです。私がとやかく言うことではありませんね)。

でもそれは、できれば、私とは関わりのない、目の届かない、遠く距離を置いた世界で行われるのが望ましいです。

Good Luck.


追記。
その後なんとなくこのこと考えてたんだけど、その女性歌手、この土地に私を関わらせたくなかったのかもしれない。自分の故郷を乱すな、穢すな、的な。排他的な何か。

だって、私がこの土地に関して、凄く怪しいのではないか、という偏見を持ったのは、この出来事が発端で、今もそれは払拭されていない。つまり、その女性歌手が、この土地はインチキです、と私に吹き込んだ、ということなので、それはそれですごいなあと思った。自分が認めたもの、正しいと思ったものだけを、自分の故郷に置いておきたいわけでしょ。だから最終的には彼女は、私そのものを、無意識のうちにここから排除したいと思ってるのかもしれない。だとすれば、なんと空恐ろしい考え方なのだろう。

そうして私を排除しておきながら、自分は散々悪口を言っていた相手と、ちゃっかりその後も仕事してたりするわけで、意味がわからない。それで、本人の歌の作風が、あんな様子なわけで。私が彼女の事を「腹黒で信用出来ない」と言う理由が判るだろう。


【追記 その2】
一応書いておくけど、このことについては、彼女に直接、注意したことがあるので。陰でこうして悪口を言っていると思われるのも嫌なので、それは明言しておきます。「そんなことを言う貴女こそ僕は信用できないと思った」と。彼女に伝えた。まあでも、そのことで彼女が理解したようには、僕には思えなかった。

言って理解できるような人間なら、とっくに直ってるはずなので、おそらく今後も変わることは無いでしょう。実際、彼女は移住後にも、自分のブログ等で、同業者と思われる他人の悪口をよく書いている。そう、ちょうど今僕がココでこうして書いているように(面白いことに、その彼女のコラボ相手という人もブログで悪口を書く人なのだw)。

因果応報。というのが僕の結論だね。

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2011年7月15日

うたう

このツイッターの過去ログはちょうど半年くらい前のものだ、と書いたけど、何で半年前のを転載してるのか、っていうと、これより後になると見られなくなってしまうから。なので消える前に、いい発言は残しておこう、ということなのね。
まあそういう仕組みは置いておいて、半年前の頃、何かの啓示があったらしく、けっこういいのが残ってるので、こうして転載記事も増えるということです。

ということで引き続き、自分の創作に関しての発言が続いてる。いいね。


こっち来てよかったこともある。自分の中の「歌うヒト」欲が明確になったことだ。他人の録音をすればするほど、こんなのは自分ではない、自分は歌う人間だ、という気持ちが強くなり、自身のライブ活動を続けることに拘った。これは東京時代には無かった。なぜなら

録音物を公開して売るだけで、音楽家と思われてたからだ。今思えばそれは、ものすごく恵まれてたと思う。いまどき、表で歌ったりもせずにアーティストと思ってもらえることなんかないだろうし、今後もないだろうね。しかし

それは録音物軽視ということじゃない。レコードは遺作であり遺書であり墓である。一生残る自分の生きた証でメッセージ。その道は決して外れないが、ヒキコモリ体質の僕を引っ張り出して、ライブ活動させる気にさせてくれたことには感謝してるね。

狛江にもライブバーがあった。一度出る寸前の気持ちまで行って店に顔を出したが、最後の一歩が踏み出せずライブしなかった。まあ狛江でやっても誰が来るのかって話はあるだろうな。伊勢原の人は来てくれるって言ってたけど。だったら町田とかでもよかった気がするよな。

そういえば町田の連絡通路でピアノ弾いてたあんちゃんは元気かな。ピアノで路上って当時はまだ珍しかった。CDもちょこちょこ通行人が買ってたな。韓国のヒトだった気がする。

狛江でしなかった理由思い出した。あのとき新譜が無かったからだ。「FUSEKI」の制作に入ってなかったんだ。過去の曲するだけなのに、わざわざする意味ないなって思ったんだ。

マルコポールの批判のリベンジになるアルバムが自分のためにも急務と感じてて、それをライブ再開の絶対条件と考えてたんだ。当時。そうだったなあ。

僕はアーティスト名は本名だが、やっぱりそれはそういうキャラを演じてたんだと思う(途中で漢字になってるけど、それはあまり、キャラ問題とは関係ない)。ハルカゼさんが「むし」という名前で世界を創ってたのとどこか似てると思った。

らじおから今井みきのピースオブマイウィッシュが流れてる。これも黄金のカノンだよねえ。サビのコードでそのままエバグリが歌える。というか、ココから取ったような気もするw

僕の曲創りはアカペラの鼻歌ストックDatテープに無数に入ってるメロを元にしてコード付けてく事が多い。メロは素人でもできる。だから昔のも使えるが、コードを付けるのはプロの仕事だと僕は思ってるので、自分の成長までコード付けを待っていたんだよね。

20年前の自分と今の自分のコラボみたいな感じ。一本線でしかなかったメロが、コード付けによって、スパーンと世界が広がるダイナミクスはほんとエクスタシーに匹敵する。この快感だけのために生きてると言ってもいいような。

全体をそう作るわけじゃない。あるものはサビがそうだったり、あるものはAメロがそうだったりする。他の部分はそれをモチーフに現在進行の自分がつけてく。そうして自分の中で時空を超えた感じになってく。

僕の曲が自分の全時代を反映してるのはそういう理由なんじゃないかと思う。僕自身、自分の曲を「これはちょっと古い」とか「これは未熟」とか思う事がほとんどないので。

ええことやなあ…


ここまで。
人は何かと対峙したりすることで、自分がよく判る、見える、ということがあるね。僕の好きなロバートフリップの言葉で「嫌いな相手にわざわざ会いに行くこともある。そうすると自分自身のことがよくわかり、進むべき道もわかる」というのがある。逆境であればこそ、掴むものもたくさんあるってことだ。半年前の自分が掴んだのは、そういうことだろう。他人の世話ばかりしているうち、自分の欲求が確かなものとなっていった過程が吐露されてるのね。

あとライブ活動に関するポリシーもココではっきりさせてる。主体はあくまでレコーディングにあり、それの成就のためライブ活動がある、という今の僕の考え方が、ここでも別な言い方で書かれてるね。新譜がないなら、つまり、売る商品がないなら、する意味はないのだ、ということ。これが基本スタンス。

1月の東京ツアーに出るのはこのちょっと後だね。1月の東京は楽しかった。その理由がここで少し垣間見れるわけだな。なるほど。

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2011年6月28日

非実在アイドル

過去ログは、ちょうど半年前のが現れてくる仕組みなので、自分が半年前に何を考えてたのかが思い出されておもしろいのよね。最近、ココにわざわざ転記することが多いってことは、ちょうど半年前頃、興味深いこといろいろ考えてたって事だと思うので、そこ含めてなるほどと思ってる。

で、今回の分は年末のアイドルイベントについていろいろ書かれてある。


今回の件ではいろいろ反省もした。あと、なぜ僕は女性ヴォーカルに歌を歌って欲しいのか、そもそもそこをもう一度考え直したらどうなのか、ということも思った。

僕の曲はおなのこ向きだと言われてたし、実際おなのこが歌ったほうが人気があると思ってた。でもそれはもう5年も前の話で、今は僕がセルフカバーで歌っていて、その僕のバージョンがちゃんと浸透してて人気もある。ならば、今さらそこに拘らなくてもいいんじゃないか、と少し思ったのだ。

あと今回、東京のリカちゃんを迎えて、彼女のオケと楽曲がすごいしっかりしてたので、ヴォーカロイドの台頭もあるし、5年前と違って僕の出番も無いし、それでじゅうぶんだしって思った。

なんか、いろいろ気のせいなんじゃないかって気付いたんだな。僕のすることはもっと違うんじゃないかって。

今毎日うたれんしてるでしょ。もう完全にアーティストでしょ。この期に及んで今さらアイドルとかそういうの無いんじゃないかって思ったんだな。なんか、もういいやって。苦労ばかりして全然報われないのになんで続けてるのかって思ってさ。


僕の曲が女の子ムキだってコトは、以前ココで音源公開した時にも書いたけど、それも良し悪しで、時と場合と条件によるだろう、ってことなんだろう。「アイドル」などという商売をしようと思ってるコは、自分は商品価値がある、と信じきってる部分がカナリ大きいので、そこの対処を間違うと、相手を無駄に天狗にさせたうえ、切れられてしまうので、ちゃんとしなきゃいかんのだ、ってことは学んだかな。まあアイドルに限らないけど、プライドに実力が伴ってない人の扱いは難しいってことでしょう。何処でもどの時代も誰でも。そして私も。ふふ。

まあそんな流れで、みんなヴォーカロイドに走った気持ちもよく判ります。笑。

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2011年5月25日

特殊メイクとか

一度、僕とレコーディングをしてから、いろいろあって僕の元を離れた人たち。そんな人々の噂はその後もいろいろ僕の元に入ってくるわけですが、みんなレコーディングにすごい苦労してるようです。

ココでずっと音源上げてましたが、聴いてもらうと判るように、僕は多重録音マニアで、録った音は素材に過ぎず、それをその後どのように加工して遊ぶか、ということが僕にとって重要だったりします。

まあそういうことは、DJや最近のデスクトップアーティストでも出来ることですが、僕がその彼らと異なるのは、自分自身が「うたう作曲家」なので、それをより「音楽的に」綺麗に仕上げてしまうことが、まあ「売り」と言いますか、特技になっていることだと思います。

やっぱり僕も音楽をしている人間である以上は、完成品は「音楽的に美しく」仕上がるのが真理、みたいな部分があります。そうすると、録音した作品の中に「音楽的に不整合」な部分があると、どうしても「修正」したくなっちゃうんですね。

どれを持って「不整合」とするかは、人それぞれの美意識とかセンスとかになってくるのでしょうけど、音楽的、ということで言えば、基本的には「音程」とか「リズム」になってくるでしょうね。もっと突っ込める相手であれば「そこのコードは違う」と言うこともあります。

そういう部分をリリースに当たり、私の場合ほとんど直してしまうのです。というか、直さないと気持ち悪いので、そういうものを「自分の仕事」として発表したくないので、自分のためにもそうする、ということですね。

コードは直せないだろう?と言われるかもですが、演奏をMIDIデータで録っていた場合は、構成音をチャチャチャっと変えれば、コードは変更できます。プレイはそのまま、鳴ってる和音だけ変わるわけです。

そうして、うちで録ってリリースしたものは、多かれ少なかれ、そういった加工された音になってるわけです。

こういうことを「よくない」というヒトも多いですが、僕の場合「売られてる商品」という意味では、多少の「メイク」は不可欠だと思ってるんですね。また、僕がそういう加工をすることで、お互いに経済的、時間的に、負担もずいぶん軽減されるのです。

ということで、リリースされる「音」ということでは、それは決して悪いことではない、という信条の元、僕はそれらを実行してたのですが、最近その弊害を、想像してたのとは別な意味で感じるようになったのです。

それは最初書いたように、僕のところでレコーディングしたヒトが、みんな他所に行って苦労してる、と聞いたからですね。つまり、他所の人はそこまでの特殊メイクをしてくれませんから、全部ほぼ「素っ裸」になってしまう訳です。そうすると、レコーディングの際に「完璧な」演奏をしなくてはなりません。

やったことのある人なら全員判ると思いますが、レコーディングで完璧に近い演奏をする、というのは並大抵の意識では出来ません。


僕の元を離れた人たちの、そういう苦労を最近になっていろいろ耳にし、何でもかんでも簡単に請け負ってしまうのは、よくないことなんじゃないか、って気づいたんです。

もちろん僕は、ぜんぜん悪気はなく、依頼主のためになることであれば、それこそ写真館に飾られる写真のように、簡単に美しく仕上げてあげることが仕事だ、と思って頑張っていました。

でも今振り返ると、それは依頼主のため、でももちろんあるのですが「不整合な音楽は堪えられないので直す」という、自分自身の快感のためにやったことでもあり、結局僕は「僕のために」それをしてたんだ、と思ったんですね。


以前いろいろグチをここでも書きましたが、僕とやってる人はみんな徐々に態度が変化してくるんですけど、それは僕が「簡単に」特殊メイクで綺麗にしてしまうので、彼ら自身が自分の力量を勘違いしてしまうからなんじゃないか、と気付いたんですね。もちろん口では僕に感謝の言葉も言うし、自分の実力も判ってるような事を言うのですけど、やっぱり人間ですので、お客さんとかにチヤホヤされちゃうと変わっちゃうんですね。

ここで何か言ってやりたい気持ちもなくもないですが、みんなもやっと今になって認識してるはずですので、言うまでもない気がしますね。。


大切なものは失って判るものです。それをみんな知ってるようで、でもやっぱり、実際に経験しないとなかなか理解は出来ないものですね。

ヒト付き合いは深いねえ。人生は永遠に勉強ですね。

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2011年3月26日

麓のヒト

もう1ヶ月ほど前になるけど、気になる事があって、あるヒトに会いに行った。

いろいろ尋ねたい事があって、初対面なのに関わらず、ぶっちゃけて質問攻めにしたのだが、彼も真摯に応えてくれて、一昨年以来勃発した数々の事件事件その他もろもろ、引っかかってる事が少しクリアになりすっきりした。

僕が今仕事で付き合ってる相手は頑固な人が多く(このオレが言う?笑)、そういう相手に煽られて自分もますます頑固さを強調させられてる気がする。ということを自分も判っているのだが、しかし、自分が馴染めない、または納得いかない、または尊敬出来ないような人や店とは、やっぱりどうしても付き合えないわけで、一人また一人、1店また1店、と距離を置くたび、いつのまにか全部の縁が切れてしまった。

それでも東京なら、友人も仲間も居るから孤軍にはならないけど、田舎じゃたちまちたった一人ですからね、ひとり部屋でもんもんと「あいつ嫌い、こいつウザい、こいつは最低」とか唱えてるうち、本当に世捨て人になってまう。
でも、だからと言って自分も曲げることは出来ないんだ、おまえなんかじゃ嫌なんだーと葛藤しまくってた、この1年ほどだった。

そんなわけで、今の僕には「主観」しかなかった。柔軟性とか客観とかないわけ。それが毎日きつくてきつくてしょうがなくて。誰かマトモな人、この凝り固まったオレの頭をホグシテクレー!と思ってた。

その初対面のヒトは東京に長く住んでたということだった。途中で偶然来訪した上品なオバサマも、東京暮らしが長く、資産家だということだった。そういった方々と、深い話、門外不出な話、つい先ごろ亡くなった仲間を偲ぶ話なんかをぼんやりしたり聴いたりするうち、自分がどんどん癒されてゆくのを感じた。人は同じタイプの人が集まるでしょ。そういうことなんだろうなと思った。

実は尋ねたいことって言うのは、例の放火事件についてなのだけど、そこは僕も関係してる部分もある気がしたので確認に行ったのと、あとは、どうしても納得いかない部分、つまり、そうさせた原因は少なからず男の側にあるのに、本心じゃないにせよ、茶化したり開き直ったり、別な場所で事件後たった2週間でのうのうと営業再開したり、といった厚顔さ、そのくせ文化人面してることが許せない、ということについて見解を聞きたかったということがあったのだけど、そういう部分は彼も同意してくれたように思ったので、ああよかった、マトモな人は普通そう思うはずだ、と少しホッとしたのよね。

特に「茶化す」ということについては僕も非常に気になっていて、関西のお笑いのヒトじゃあるまいし、事件そのものや犯人を揶揄するような、ネタにするような言説を公然としてたのは、こいつらどうなんだ?って正直思ってたし、その辺から、この町に対する思いが急激に冷めてきたのは確かだったね。ちょうどその同じ頃、あるバーに行ったとき、そこにいない別な常連客の悪口を、店の人みんなで言ってたのを聴いた事があって、ああこれは、僕のことも居ないところで何か言ってるなこれは、ってピンと来て、そういう人たちなんだろう、って思って。

なんかそういう狭いところで、瓶詰めのジャムみたいにグチャッとしてる人間関係は、ホントに嫌で、もうやだ、この瓶からオレは脱出させてもらう、おまえら好きなだけ砂糖にマミレテな!みたいに抜けてきた。その交友関係は全部一蓮托生で、業界内に占める割合もカナリ大きかったので、移住してからの人間関係のほぼ80パーセントくらいを、その時点で失った。そうして去年のツアーがあって、悟って今に至るって感じだね。

彼といろいろ話したあと、帰る間際に「その気があるんだったら、面会に行ってやれ」と言われた。あいつもひとりぼっちでかわいそうな奴だったが、こうして心配してくれる奴(おれのこと)が居るなんて、良かったよ、と。


そうだね。

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