2014年12月15日

中田氏と日向文と塩対応

「塩対応」という言葉がある。アイドル島崎遥香さんの「そっけない態度」を表現する言葉として一気に知られるようになったが、もともとは、彼女にかぎらず、そういった対応全般を指す近年のスラングである。この言葉を聴いた時、その遥香さんの態度も含めて、どこか他人と思えないような親しみを感じた。ちょっと長くなるが、そのことについていろいろ書いていきたい。

長崎に住んでいた僕が関東に戻り、ちょうど1年が過ぎた10月の初めくらい。やっと作業スケジュールに空きができ、かねてから計画していた「東京ライブハウス巡り」を実行することにした。首都圏を7年間離れていた身としては、果たしてその間の東京の音楽はどうなっているだろうか?ということは、ずっと気になっており、長崎在住時代からツイッターや知人からの繋がりで、幾人かのアーティストさんをチェックしていた。上京後は、まずはその方々を手始めに通ってみることにしよう、とずっと楽しみにしていたので、時間が空いて遂にそれができる!ということでずいぶん嬉しかった。
そのチェックしていた内の一人が「日向文」という子だった。ネットで音源を聞く限り、彼女の歌の、特に音感が素晴らしく、それが生でもちゃんと再現されているか、そのことにとても興味があった。そういうわけで、まずは手始めとして彼女を見に出かけることにした。場所は下北沢のライブハウス。行き慣れた場所だったので楽勝だなと思っていたところ、なんとその日、運が悪いことに井の頭線が事故で止まってしまい、渋谷から直接行けない、ということになった。しょうがないので新宿に向かいそこから小田急で行くしかない、と。ちょうど夕方のラッシュ時で、僕のような人が大勢居り、駅も山手線も激混みで、あまりの大変さに心が折れそうになった。ライブはスタンディングなので、その前に余計な体力を使わないで温存する、というのはライブ参加時の鉄則。こういう想定外のことは普段以上に堪えるのだ。しかし、せっかく日向文を見るのだから、と自分を奮い立たせ、普段の4倍近くの時間をかけてやっと下北沢に到着した。イベントは出演者が沢山おり、対バンを何組も見なければならない。しかし、さすが東京、どの対バンも上手かった。期待は上がる。そうして遂に日向文の登場。…声も音感も「そのまま」だった。これはすごいな、と思った。こんな音感の子、少なくとも長崎には居なかったし、他にもどれだけ居るかどうか。苦労して観に来た甲斐があったというものです。。と報われた気がした。その後僕は、物販に居た彼女に話しかけ、CDと缶バッジを購入、また来ますね!と言い、ライブハウスを後にした。
と、ここまではいい話なのですが、その後、彼女をもう一度見に行った時から、なんとなく訝しげな態度を取られるようになり、なんとなく自分が邪魔にされているような感覚を受けるようになった。いやー気のせいだよ、とも思ったが、しかしツイッターの発言も、エアリプで誰かを揶揄してるようである。まさかそんな、自意識過剰すぎるんじゃないの?と自分でも思い、気にしないようにしていたが、ある日の発言で、コレは明確に僕に対する揶揄だ、と気づいた。いやどう見てもこれは僕に言っている…。と。これは電波でも勘違いでもない、明らかに僕だ、と。そう理解したのである。
僕も普通の人間ですので、彼女にそうされたことはそれなりに傷つき、また、彼女にそうまでさせた僕の言動は何だったのか、それほどうざい言動をしてただろうか、いや、親しげに話しかけたし、それがうざかったんだろうな、いやでも、それにしても過剰反応じゃないか、などと自問自答する日々が続いた。あんなに苦労して下北沢まで行ったのに、それはないだろう、と憤りもあったし、全て綯い交ぜになって悲しみすら湧いたのだった。
僕がこのことで思ったことは、実はそれだけではなかった。それは他ならぬ自分自身のことだった。実は僕自身、自分のライブに足を運んでくれた方に対して、常に暖かいとは限らなかったのである。いろんな人が見に来てくれたが、やはり「合わない」相手というのは居るのである。その時に僕はどうしていたかというと、この時の日向文とまったくそっくりな塩対応をしていたのだ。自分が過去に、散々そうしてきて「客を選ぶような」態度をとっていた。そうしていざ自分がブーメランを喰らい、される立場になってみると、これはキツイなあ…と初めて思ったのである。僕は日向文を責められるだろうか。自分だってさんざんそういう態度を、お客さんに対してやっていたではないの?自分がやってきたことを彼女もやっただけだよ、と。ということは彼女と僕は似てるとも言えるじゃないの。責められないでしょ、と。

冒頭で書いた、僕が島崎遥香さんに親近感を持った、というのもそういう理由だったのですね…。日向文の場合と同じく、まるで自分のことのように思えたのだろう。

さて、そんな晩秋。話はいきなり飛ぶが、2014年12月に公示された衆議院選挙。久々の首都圏選挙に参加できるというので、気持ちは上がっていた。とある神奈川県の私鉄駅に行ったときの話。駅に向かって歩いて行くと、ノボリがたくさん立って声高に演説している人がいる。おお!誰か居る!誰だろう、と近寄ってみると中田宏氏であった。中田氏はメディア露出が多く、所謂「有名人候補」である。そんな人が、平日の午後に歩いているような一般人に対して、何を言うのだろう。そう思っていると、いきなりニコニコと彼が近づいてきて握手を求められた。そして「今回の争点はどんなことだと思いますか」「アナタが一番重視してる争点はなんですか」などと尋ねてきた。僕は僕なりの考えを述べた。その僕の考えは、中田氏とは異なっていたようで、一瞬渋い顔もしたものの、うまく話をまとめあげ、ともかく迷ってるなら自分に1票を!と力強く何度も言い、力強く握手を何度もしてきた。その間、終始ニコニコもしていた。
ほんの3分くらいの時間だったが、彼と接してみて、特に怪しいともインチキ臭いとも思わなかったし、案外ちゃんと普通に話すものなんだなあ、と感じた。そしてもうひとつ感じたことがあった。この感じはデジャブだ、どこかで似たような経験というか感覚がある。それは何だったかな、ということだった。この感じに似たものがあるぞ、と。
そうして思いついたのは、アイドルの対応だったのである。そうだこれはアイドルだ!と。アイドルは常にニコニコし「頑張りまーす」と言い、握手する。まさに「候補者」と一緒なのである。1票が欲しいから塩対応なんかあり得ない。ニコニコして不快なことなんかなにもないよ、という顔をして、お願いします!と訴えるのである。選挙の候補者はアイドルでもある!
なるほど!AKBの人気投票を「総選挙」というのも理に適ってるわけだ。候補者はアイドルと一緒なのだから。…中田氏にはいいことを教わった。アイドルというものが何であるのか、その一つが自分の中で判った気がした(アイドルPなのに、判ってなかったw)

そんなことがあり、再び、日向文と塩対応について考えた。中田氏やアイドルの対応、日向文や僕の対応、まあ例外として「アイドルなのに塩対応」の島崎遥香さんという大物も居るけど、大体は前者2つのパターンだろう。どっちが正しいんだろうか。どっちが自分向きなんだろうか。どっちが「自分に嘘をついてない」言動なのか。その後も暫くの間、暇さえあればそのことを考え続けたが、どうしても答えは出なかった。
ただひとつ、される身としては、塩対応されるとちょっと悲しい、ということだけは理解した。そうしてとりあえず、僕は僕自身が冷たい対応をした過去のお客に対して、少しだけ「申し訳なかった」という気持ちが湧いた。今後どうするかわからないけど、とりあえず「僕は」気持ちのいい対応をしたいな、と。
そういえば僕は、前の仕事が接客業でホテルマンでもあったのである。中田氏やアイドルの対応は、まさしくこれであった。プロ対応。少なくともそれが僕の中で「正しい」と思ってる接客対応である。ホテルやお店でプロ接客対応ができるのに、ライブのお客さんに対して出来ないはずはない。少なくとも僕は、今後はそうしていきたいな、と思ったのである。…出来るかわからないけどw

日向文さん、中田宏さん、とてもよい発見が出来ました。
ありがとうございました。というお話。


Nakadahinata
手前の缶バッジが日向文グッズ。

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2011年2月15日

払わないヒト

こちらに来て4年経った。「知らない土地に移住も大変だったでしょう?苦労してることとかある?」とよく訊かれるが、最近はこう応えることにしている。

「大変ですね。誰も支払いをしてくれないんです」

実際にこのとおりなのである。制作費、売上金、出演料…。

狭い街で同じ業界だというのに、よくそういう事が出来るなあ、と逆に感心してしまう。そういう図太さというか、無神経さがないと商売はやってられないのだろうか。確かに不景気で大変だが、それは誰だって同じである。あなたが生きるために、私は踏み台にされてもいいということなのだろうか。だとすればすごい話である。

とりあえず今現在の話。ある店のオーナーと交渉真っ最中である。私が手掛けているアーティストさんが居るのだが、その方よりある日相談を受けたところから話は始まった。私と出会う前、その方はCDの全国販売の流通に関して、そのオーナー氏に任せていたというのだが、しばらくしてから、売上金の支払いが滞るようになり、やがてまったく払われなくなった、というのであった。私はそれを聴いてびっくりし、それでは最近の売り上げはまったく手元に来ていないのですか?と尋ねると、詳細文書などを提示され、これこれこういう状況です、と説明を受けた。しかも支払いが行われていないだけでなく、業務そのものも放置され、連絡もとれず、返事もなく、まったく埒が明かないのだという。相談というのは、そのような不誠実なレーベルとは即刻縁が切りたいので、どうにかできないか、ということであった。
私の居た会社もそうであったが、まあ世の中の会社と言うものはとかくそういうものである、といわれればそのとおりなのだが、支払いがあるのに逃げ回ったり、破産や倒産で、掛売りぶんの支払いを全部無かったことにする、というのは常套手段のひとつではあるのだろうが、それにしてもつくづくすごいな、と思ってしまう。しかも、そうされた被害者側も、誰もそれを明らかにしないのだ。これでは、する側が付け上がるばかりだと思った。

こちらの業界人の特徴のひとつとして「外面がいい」というのがある。これは来た当初いろんな人から良く聴かされた。実際に、ツアーなどで来た外のアーティストには金払いもよく評判も上々だったりするのだが、地元の、というか、要するに付き合う相手の顔色を伺い、彼らが気に入らなかったり、これは適当でいいなと思った相手には不誠実に接し、そう扱う、ということも多いのである。これはまさしくデジャブで、私自身がまだ在京だった頃に、コチラの人々にとられた態度とまったく同じなのである。なるほどなあ、と思ったもんだ。

僕がフリーになったとき、一番驚いたのは、音楽家のパフォーマンスに対して、この町の主催側のほとんどのヒトがお金を支払ってくれないことだった。その辺は今となっては、僕も世間知らずだった、ということでもいい気がするが、言い訳ではないが、僕は東京時代は、そんな交渉そのものをした事がほとんど無かったのだ。なので、どこかで演奏して歌ったら、当然数千円でもいただけるものと、当然のように思っていた。また好意で、どこかの知りあいの店で歌ったときでも、飲み物や食べ物くらいは、マスターからでも「おつかれ!ありがとう」と言って出てくるもんだと思っていた。しかしこの町の現実は、全てまったく「なし」!言わなければそのまま、言わず損となるだけである。年に何度も無料出演して機材まで貸したのに、何が悲しくて「すいませんが飲み物1杯くらいは出演者に頂けますか?」とわざわざ交渉しなければならないのだろう。
他にもこんな事があった。重い思いをしてピアノを担いで運び、その店初のキーボード・デイ実施が実現し、みんなが大喜びで参加したライブ。僕のピアノを、出演者みんな、さして気にも留めずに、鍵盤ひっぱたいたり、あちこちガムテープ張りにされるのも、心がチクチク痛んだが、あえて黙って見過ごした。そしてその見返りはマスターからの「ワイン一杯。有料でね」の言葉。そして「ココはそういう店だから」のダメ押し。もう一生来るかと思ったね(実際にそうなった。後に店が放火で全焼した)。

形のないものにお金を払う習慣がない、ということを痛感した、一番最初の出来事をご紹介しよう。もう3年ほど前になる。あるアーティストから連絡をもらった。「某レストランにライブ出演する事が決まってたが、急遽出られなくなったので、代打で出てくれないだろうか」というものだった。そのお店はHTB内にあった(直営ではない)。最初その話を聴いたとき、場所は魅力的だと思ったが、そこまでの交通手段がないし、ちょっと遠いなと思い躊躇したところ、その依頼してきた彼が車で送迎する、と言ってくれたので、それでは話のネタに出てみましょう、ということになり、出演することにした。
誤解されないようにあらかじめ言っておくが、この出演は最初から、その彼には「お店からはギャラが出ません」と言われていた。なので僕は、ノーギャラについては不本意ではあったものの、彼の顔を立てて了承し、納得したうえで出かけたわけだ。
さて、お店に着いて準備をし、お店は開店、僕も歌い始めた。最初は「ギャラが出ない」ということから、客入りも相当苦労してるお店なのだろう、と想像していたのだが、割とお客さんがボチボチ入ってくる。広い店なので、一見閑散とはしていたが、最終的にはそれでも、20名弱くらいは居たのではないだろうか。僕はこの事をちょっと意外に思いはじめ、そうして僕の歌を笑顔で楽しんでるお客さんを見ながら、「これはいったいどういうことなのだろうか」と思い始めた。
みんなけっこうオーダーもしていた。例えばこのお客さん一人一人から、100円のチャージでも取れば、それでも僕は2000円もらえることになる。また、お客さんから採らなくとも、そういう計算で店が僕に2000円でも払ってくれればいいではないか、なのに、これでノーギャラとはどういうことなのだ?と僕は考え始め、次第に腹が立ってきたのだ。
僕の音楽は確かに楽しまれていた。その日のお店の売り物のひとつとして、確実に僕は存在していた。なのに、これについて店側は報酬を払おうという考えさえないのだ。ちょうど僕自身、会社関係のトラブル中だったこともあって、店側が、紹介してくれた彼を騙してるのでは?とまで思った。
ライブが終わったあと、帰路の車の中で、紹介してくれた彼と激しい言い争いになった。「これはどういうことだ?ノーギャラと納得して来たので、今日は請求しない、しかし今日の営業を見る限り、出演者に何も与えないということは、常識としてありえない、即刻改善する事を希望する!」と僕は強く言った。
彼は「良い場所なのだから出られるだけでも良いではないか、店のオーナーは知りあいで経営が大変なことも良く知っているし、それでも人柄や熱意に惹かれ、ノーギャラで請けた、報酬については、こうして送迎までしてるのだし、そこは好意として受け取って欲しい」と答えた。
「そういう問題じゃない、依頼する店側の考え方のことだ、人柄や熱意などと言うものに騙されてアーティスト側が利用されてるだけだろう?たかだか一人100円も何故払えないのだ?ポケットマネーで1000円でも良い、そういう発想自体がない、思いつかないことがそもそも問題だ」と僕は答えた。
結局HTBから家に戻るまでの小一時間、議論は平行線で、分かり合えることはなかった。僕はその後も、彼となんとか分かり合いたいと思ったのだが、結局お互いのスタンスを理解し合えないまま疎遠になった。僕がこちらに来てからの交友関係で、いちばん最初に味わった挫折だった。
僕はこの出来事のあと、しばらく落ち込んで立ち直れなかったが、これは特殊な例だったかもしれない、と思いなおし、また頑張ろうと思った。しかし、それは甘かった、ということだ。誰もが同じ感覚だったからだ。

誤解してほしくないので、ひとつだけ言っておきたい。お金を払え、というのは「お客さん側に言ってるのではない」。お客である以上、払う価値があるかどうかはお客が決めるだろう。
僕が言いたいのは「バーやレストラン側が、アーティストを出演させ演奏させ、それでお金をお客から取っているのに、その収入や、感謝の気持ちを出演者に還元させようという気がまったく無いのはどうかと思う」ということなのだ。そのお店に来たお客のうちの一部は、演奏者や音楽を楽しみに来た客なのである。その演奏者に還元がないということは、納品業者へ支払いしない、と同じことではないか。


こういう出来事が続くお陰で、今の僕はまったく孤独である。最近僕は東京の知りあいによく言う。「東京時代は甘やかされていた。こんなことで苦労したことはまったくなかった。自分は甘かったのかもしれない。でも、これが現実だとしたらすごく悲しいことだ」と。

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2010年12月15日

普通の生活

子供の頃から変わった奴だと言われ、実際、変なことばかり好きだった僕は、音楽でも、ヒトがしないようなこと、面白いこと、かわったこと、というようなものばかり追いかけて創っていました。人と違う事をする、というのはすごい重要だと思ってたんです。

でもある日、とある事件をきっかけに、音楽してるヒトが大嫌いになってしまい、今までの関係が全部うんざりしてしまって、そういう生活と縁を切ろう!と決心します。

そんでやったのがホテルの仕事だね。3年間やりました。

その職場で僕は、同僚やお客という、人生初と言えるくらい大量の「普通の人たち」と触れ合ったわけです。「普通」と言ってもみんなが同じように普通、では無いんですね。みんなそれぞれの「普通」があって、毎日毎日そういう人との付き合いです。

それまで自分は音楽をしてることに誇りを感じてましたが、そんなことはまったくないな、とそのとき気付きました。

思えば自分はずいぶんと「音楽教だったな」と反省もしたし、世の中には、音楽なんかよりも大切なものがたくさんあって、みんなそれぞれ、そういう自分だけの宝物を大事にして生きてるんだって、そういうことに気付いたんですよね。

その3年間で創った作品が「ひつじ Songs」と、「to YOU」というアルバムになりましたが、その収録曲を友人が聴いて「こういう"普通に"いい曲というものを書けることの重要さがやっとわかりましたね」と言ったのは嬉しかったですね。


普通ってすごい大切なことなんだよね。

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2010年11月21日

勝負スーツ

昨日ある結婚式があり、余興として呼ばれて演奏参加してきた。こういうものに呼ばれて出る場合いつも着るスーツというのがあって、今回もそれを着ようと思ったのだが、今回はいつもの「仕事」ではなく、自分がプロデュースする子の妹の結婚式、という多分に濃いつながりだったので、いつもの15年落ち(!)のスーツではあんまりかな、と思い、こっちに移住する直前に新調した良い方のスーツを着ようと思って引っ張りだしたわけだが、そのときに試着してみて、どうかなと思って鏡に映したりしながら、ポケットに携帯を入れようとしたら入らない!は?と思って、もう一度入れようとしても、するっと落ちてしまう。なんだ?と思ってポケットを確かめると、なんと仕付け糸が付いたままだった!つまり僕はこのスーツを、創って以来一度も着た事が無かったのだ!

そんなことがあって、なんかいろいろ思いを馳せてしまって、創ったときの事を思い出したりして、新天地だから新調していくかね、みたいな当時の思いとかさ、珍しく母も買い物に着いてきたな、とか、まあいろいろな。

しかし現実は、一筋縄じゃ行かないのっぴきならない事態が続発して、結局、新調した「勝負スーツ」を一度も着る事が無く4年過ぎてしまったわけだ。しかも、一度も着ていなかった、ということすら忘れてたわけである。おまけに、こっちに来てからのストレスなんかで腹が見事にきつくなってた。そんな思いを抱えながら初めてのスーツを着て出かけたよ。

会場について控え室で自分の姿を映してみた。いつもの結婚式用おざなりスーツじゃない、オンタイムな自分がそこに居た。4年前に描いてた希望とかそういうのが、少しだけ甦ったような気がしたな。

Suitskara


Chibouseikokekkonl

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2010年11月 3日

数学的演奏

プロの音楽の演奏って、数学的で肉体的なものがまずあって、その後に解釈とか感情みたいなものが入ってくると僕は思うのね。その前提のほうを端折ると限界が来ると思う。逆に、既に前提部分が出来てるのに、気持ちいいからって、その前提にいつまでもこだわるのも良くない。難しいね。

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2010年8月22日

映像版たんぶら

私は昔からTV番組を録画しまくり、好きな場面だけ編集して残しておくという癖があって、それがすごい年月分たまってて、今になってみると、日記の代わりになるし、折々の気持ちの変化を辿るのにすごい便利なタンブラみたいな存在になってる。
膨大な量あるし、しょっちゅう見返すわけじゃないけど、例えば今回みたいに何か一段落したとか、次の道を探すとか、そういうときに一気に見返すのね。

日記みたいに文章にまとめられてると確かにわかりやすいけど、逆に文字で示されるぶん、想像力わかないでしょ。映像で場面場面ピックアップされてるもの見ると、その時の自分がなに考えてたのかとか、間接的に判るって言うか。
あと、当然だけど、リアル時にその場面残した自分と、今の自分は感覚異なってる部分もあるでしょ。そうすると、感情も変わると言うかね、当時とは違うもの見えたり思いついたりするのもおもしろい。

映像残してるその基準とかって、その時々でやっている仕事とか作業とか会ってる人とか好きな相手とか、そういうので全部変わる。つまり、自分の思いの変遷を追体験しながら、でも今の自分ならこう思った、みたいな再発見もある。もう一度人生繰り返してるみたいな、トリップ感があるわけだ。

膨大な量あるから毎回毎回全部を見通すわけでもない。今回は90年代から始めた。音楽を始めてから一旦休止してまた再開して壁にぶつかって、でも立ち直って。いろんなドラマの切れ端とかアイドルタレント出てくる。風俗ファッション流行とか全部わかるし、そうそう、そういうこと考えながら自分の作品に生かしてきた、とか、そうそう、この頃はこういう子がタイプだったとか全部わかる。

そうしてもう一度、自分の中で思いでも再構築するし、再構成するし、一旦ばらして組み立てなおして、また似たようなものが出来るかもだけど、似てるようで少し違うみたいな、そういう上がる気持ちになってくる。なんか、部品として散ってた過去のイメージが、ひゅーっともう一度集合してくる、みたいな感じになるわけだね。

自分が歩いた同じ道を歩いては来てるんだけど、見返すたびに拾うものが違うみたいな。
そんな感じといえば判るかな。。

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2010年6月 7日

りせっとー。

ツアーから戻って以降、自分を抹消したい気分がずっと続いている。誤解して欲しくない。死にたいわけではない。抹消。自分の存在を人々の記憶から一旦消したい。全員に僕を忘れて欲しい、ということだ。

こっちに移住して4年。ライブなどでいろんな事を言われたが、いちばんショックだった言葉は「あなた、その実力で、何故こんなところにいるの?」だった。罵倒されたり下手と言われるよりショックだった。

先日、あるラーメン屋に行った。僕が面倒を見ていているアーティストを連れて行った。「歌も歌ってるんです」と自己紹介すると、そのラーメン屋、早速「自分の友人の娘の誰それがTVに出てメジャーデビューで…」と言い始める。僕は「ああ、またか」と。こっちでそういう話をすると、ほぼ必ず「自分の知り合いが有名人で」話になる。あーあ。って感じ。だから何?そんで、決まったようにみんな、この街を元気にしたい、と言う。だからまず、うちの製品を福山(!)に売り込んで、有名にしてもらって、とかおっしゃる。へー。それ、この街、じゃなくて、お前が元気になりたいだけちゃうんか、と。まあ確かに、人が元気になれば街も元気になるかも知らんが、それならまず、自分の知り合い(の知り合い)が有名人とか、そいうこと言うのはもう辞めないですか?と。そんなこと自慢できるなら、オレだって有名作曲家とか知り合いくらいおるわ。

僕の感覚としては、知り合いが偉い、という自慢は恥ずかしいこと、というのが根底にいつもあった。しかし、そんな自分もこっちに来てから、やたら自分の知り合いの「有名人」の話題を出す事が多くなった。自分で気付いてた。自分の知り合いが有名人。ああなんて恥ずかしい、みっともないんだろう、と思っていながらも、言ってしまってる自分がとてもいやだった。でも、商売上の営業の現実は全部それ。自分の知り合いが、ツテが、って。相手も大真面目だから、案外そういう単純なことが凄く効く。

僕はずいぶん汚れてしまった、と感じた。とりあえず全部脱ぎ捨てたい。気持ちの悪い感覚、全部捨て去りたい。真っ白になって、もう一度、確実に進んで生きたい、そう思った。

ツアーやってよかったよね。持つべきものは友達とファンだったね。
ありがとう。大感謝だわね。

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2010年4月23日

生活習慣

博多は事変を見に行ったのだけど、ある意味ご当地なだけあって内容は凄かった。ネタばれよくないなので、この辺にしておきますが、よかったです。
ところで今回の1泊二日の旅でいちばん身に染みたのはちゃんとした生活は凄く大事ってことだった。いつもはヒキコモリの作業で、まあ喉のこともあるから早寝早起きはしてるけども、食事とか玄米フレークとか、ジャンクな外食とか、飲みに行った時のつまみとかじゃないですか。
それが、ちゃんと昼はランチプレートとか、おそばとか、そういう「普通の」食事するだけで、ものすごく美味しい!わけですよ。なんだか感動してしまって、普段からこういうのちゃんと食えよ、と。つくづく思ったわけですね。そんで、なんだか気分もいいわけだ。豊かな食事が豊かな人格形成になるって身を持って実感したなあ。

博多名物ポテトハウス


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2010年4月 4日

川崎市の鉄道ゴミ輸送

僕は長崎に来る前に10ヶ月だけ川崎に住んだのですが、そこでびっくりしたのは、ゴミの分別がほとんどないことでした。川崎ジモティの友人にその件聴いたところ、なんでも焼却炉が強力なので、金物以外は一緒に燃やせるんだ、と。そんなんだすげーな、と思いましたが、昨日、京浜工業地帯の貨物鉄道路線調べてて、こんなものを発見!とても感動しました!

http://homepage1.nifty.com/yswww/JRF/eigyou/KawasakiGomi.html

トラック輸送は環境に悪い。ゴミを鉄道貨物で運ぼう。沖の埋立地にでかい焼却炉作って、そこで全部処理しよう、って。そのための苦労も書いてあるよね。

何か新しいこと、過去に例が無いものをやるときの、その熱意だよなー。

あと、その貨物線ですが今も現存しています。

http://www.kanarin.co.jp/topics/021001/topics0210.html

晴海もそうだけど埠頭に縦横無尽に張り巡らされてる鉄道線路って、なかなか、萌えるものがあります。太陽にほえろのロケとかでもたくさん出てきたよね。

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2010年3月26日

粗食主義

最近は家飲みが多かったのだけど、昨日の生放送の後、ツアー後の挨拶まわりを兼ねてはしごして飲んだ。白い恋人と自分が出た新聞の詰め合わせおみやげは受けたので嬉しかった。

そんでホント久々に、飲んだ後ラーメン食って帰る、などというベタな事してみたのだけど、送別会シーズンってこともあるんだろうけど、まだ木曜なのに、結構な大人数の人々が、夜中12時過ぎにもかかわらずうろうろしてて、ラーメン屋に並んだりしてるのは、心底仰天してしまった。日本は景気が悪いはずではなかったの?よくわからないなあ。

あと思ったのは、どう考えてもそんな食生活健康に悪いですね、って。僕は久々だったけど、まあみんなも久々だったのかもしれないけど、これ普通の会社員で週一とかでやってたら死ぬわって思った。30代からは粗食にしてかないと、もしくは、いいものを少量とかにしないと、若者の感覚で「オトナ食い」してたらピザへの道まっしぐらよね。気をつけないとね。

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