2012年2月12日

往復書簡 その3

その2の続きです。
本音の「思考セッション」が続き、新たな広がりへ。
以前から書いていますとおり、ここで読める内容は「決定」ではありません。あくまでリアルタイムドキュメントであり、「思考の現在進行」なのです。どんどん変化もあるし、前言撤回もあるでしょうし、それら含めて公開していく、というのが主旨であり、だからこそ意味がある、ということです。そういう楽しみ方をしていただければ幸いです。

なお、お話し相手である yuhka-unoさんの日記はこちらです。併せて読んでいただくと、また多面的に捉えられるのではないでしょうか。と思います。


*yuhka-uno
元旦にmaicouさんの新曲を聴いて、その後「新春暴論 ――『幸福』な若者を見限ろう」とかいう記事を読み、「はぁ?ふざけんな」と思って、それに反論するエントリを書いたわけですが、書きながら「元旦にああいう歌を聴いて、今こういうエントリ書いてるって、なにこの流れ(笑)」と思いましたよ。
やっぱり、「新春暴論」みたいに、中身はただの逆ギレでありながら、「冷静で頭の良い俺」みたいに見せかけようとして、他人の言葉に乗っかって逃げを打つのって、すごく小さいし格好悪いと思いました。青臭くても、私は自分の言葉で話そうと思いましたね。私、見た目は落ち着いてますけど、中身はこれですから(笑)。
 
その後、朝日新聞の成人の日の社説を読んで、「ああいうエントリ書いたすぐ後でこれかよ!」って爆笑しました(笑)。で、その社説に関して、こういう意見があったんですよね。
 
オヤジによる若者論への違和感 - Togetter
http://togetter.com/li/239343
 
そういえば、以前から、的外れな若者論をぶつのは大抵「オヤジ」で、年長女性はあんまりそういうこと言う人いないよなって思ってたんですけど、これって結局、今の時代が良くなってきてるって感じている人は、あの手の的外れな若者論はしないってことなんですね。それはmaicouさんもそうですよね。
これって、そちらの「音楽村」と一緒なんでしょうね。「オヤジ」は、一見幅を利かせているように見えて、実は絶滅寸前の「恐竜」で、居場所がなくなってきて、病んで若者に絡んでいるんですね。
とすると、以前、無医村村の記事を見たときに感じた、「これって、この国の縮図なのかなぁ」というのは、当たっていたし、「愛と平和の街」は、「街」だけに留まらず、そのまま今の日本にも通じる内容なんですね。
「若者よもっと怒れ」と書かれた朝日の社説を見た時は、「じゃあご要望通り怒って差し上げようか」とも思ったのですが、上の女性の意見を読むと、ちょっと、「オヤジ」がかわいそうな気がしてきて、どうしようかな、という感じです。maicouさんも、今の私みたいな気持ちだったのかなって思ってます。
 
「愛と平和の街」、すごい皮肉なタイトルですよね(笑)。


いろいろ一連の流れはなるほどでしたね。

昨日たまたまですが、うちで歌ってる女子が、Tさんのコラボの宣伝やCMを見て「ムキー」とか言ってるんです。それ聴いたとき、まあインタビューで燃え尽きたというのもあるんでしょうけど、別に何も感じないなあ、って気付いて、ああもう僕の中では、この街の音楽や人々について、どうでもいいんだ、って思ったんですね。
そう、多分同じような気持ちで、看取ってあげましょうというか、もうだから自分の敵とかじゃなくなったって感じなんでしょうね。なんか、お互い「悟り」ましたよねw

タイトル、もちろんわざとつけましたし、僕の性格知ってるヒトなら「きたーー、絶対皮肉だろw」って判ると思ってそうしました。説教臭いようでそうでないようにつくるにはどうすればいいか、けっこう考えましたよ。また2番とか練らないといけないです。でも若いヒトに受け入れられたのは嬉しかったです。別に何か出来るわけじゃないけど、「少なくともキミらの邪魔はせんし、応援を表明しておく」ということでいいかと思いました。悟ったからには、次へも進まないとならないし。

レノン(崇拝される側として)もそうだけど、何かの拠り所を求めるヒトは、つまり弱いからでしょ。何かに縋ってないと怖い。こだわりもそうですね。音楽や食べ物、こうじゃなきゃいかん!みたいなのは、職人はそれでいいでしょうけど、一般人の過度なそれは、ちょっと逆に弱いコなんだなあ、って思います。かつての僕もそうでしたしね。そういうのから開放されて、初めて自由になっていくんだと思うなあ。でもほら、レノンもそうだけど、強い母に育てられると結局、強い配偶者求めてああなってしまう。開放はそうそう簡単にはいかないでしょうね。

なるほど、年齢の件わかりましたw 最初から年上に見られるヒトは年取ってもあまり変わらないというので逆にいいかもですよね。大人になってしまったかつての子役とかみたいになると、ちょっと厳しいですし。

そう、Tさんの脱退ね。確かにそういうお返事を想定してましたよ。具体的にはどっちも明確には言ってないけど、そういうようなことですよね、多分。プラス最新の彼の新譜とか聴くと、内容もそうなっているので正しいと思います。ちなみに、最初に書いた、うちのコがムキーとなったっていうのは、その新譜の宣伝ですね。

>だからリピーターが多いのか!
ああそうだ!自分で書いてて気付かなかったし!

まあ図らずも最後に言ってるしね。今はもうCDも売れないんだしって。だからイイ意味での策士が生き残るんだと思う。悪い意味の策士は秋元かもしれないけど。
こないだも書いたけど、地方のお店とかは、ほぼみんな多かれ少なかれ策士しか居ないでしょうね。

写真載せたけど、こないだ「最近評判の」唐揚げ屋に行ったんですよね。ましゃのご推薦とか、観光客に受けてるとか、今までのこっちの常識で言うとインチキ臭ぷんぷんだったのだけど、思い切って行ってみて、全種類!食べてみたら、ホントに美味しくて、なんか感動しましたよ。これからの新しい店はこうじゃなきゃいかん、むしろもう、こうなっていくでしょ。って。その店も策士的な部分はないことはないけど、実際の唐揚げが美味しかったのだから、言うことないです。これからはそういう時代ですね。嬉しかったです。

*yuhka-uno
私もずっと「観光県」に住んでますから、「天然で策士」になるのもわかる気がするんですよ。何かをやるときに、地元ネタしか思い浮かばないのも。策士的なことをするのも、面白いし楽しそうだなって思います。でも、策士的なもの「しかない」のが問題なんですね。
maicouさんの新曲って、自分の足下から視点を広げて、外に通じるものになるというか、そういう内容なんですね。だとしたら、私もこれからどこでどう生きていくのかわからないですけど、できるだけそういう視点を持つようにしたほうが良いのかな、と思いましたよ。
 
「何もできない」についてですけど。毒親って、「してあげた」っていう気持ちが強いじゃないですか。あとは「心配だったから」とか。そういう気持ちでいるうちは、スタート地点に立ってないんですよね。自分は子供の気持ちを汲み取らずに、自分の欲を一方的に押し付けいていただけだって、それに気付いた時点がスタート地点ですよね。「新春暴論」の人も、社説の人も、その人の専門分野では、普通に尊敬できる人なんでしょうけど、スタート地点に立ててなくて、「親」としてダメなんですね。
 
こういう家庭に育ってきたからこそ、より強く思うことなんですけど、子供の心を育てるのは、親のすごく大事な役目ですね。たとえ経済的に恵まれた家庭に育っても、心を育ててもらっていないと、生きていくのしんどいですし。
あと、私が母を尊敬できない理由の一つが、「変えていこう」っていう意識が感じられないところなんです。母は、父が自分より家事育児にコミットしないことを不満に思っていましたし、父の実家では、男は何もしないでぐうたらして、女ばかりが動いていたので、それで姑(父方の祖母ですね)のことをすごく嫌っていました。でも自分の子供に関しては、私に家事を仕込んで「お姉ちゃん」やらせるのに、弟には全く家事を教えない。親戚の集まりでも、私が何もしないと怒るのに、弟は何もしないでぐうたらしていても、何も言わないんですね。
価値観が変わっていくのって、先駆者がいて、それに影響を受けた人たちが、一人一人、自分の足元から、草の根レベルで変えていって、それで世の中変わっていくわけじゃないですか。とりあえず個人レベルで何かできることって、こういうことかなって思います。
 
解放がそう簡単にいかないっていうのは、個人レベルでもそうですけど、社会レベルでもそうですよね。日本も、戦争が終わって民主主義の世の中になっても、「企業戦士」とか言って、会社が軍隊化してましたし。「成長期」も終わって「反抗期」も終わったんだから、そろそろ解放されてきても良いよなぁって思います。
 
10年後、20年後に、「yuhka-unoちゃんて、全然変わらないよねー」って言われていると良いんですけどね(笑)。服装の迷子だった10代後半の時期よりも、自分に似合うものがわかってきた今のほうが良いと思っているので、30代になる頃には、もっと良くなっていたいですね。


両親が子どもの僕に見せた悪夢というのは今でもトラウマなので、でも、その原因というか大元はドコなのか、って考えると答えは出ないよね。直接的には「母が」ウザかったが、母がウザイ原因は、父の酷さにあり、父の酷さは多分に内弁慶的な性格が災いしてたのだし、そう考えると、僕自身は被害者だが、加害者が誰なのか分からない、というか特定できない。というより、肉親だモノ。特定するのも忍びない。
で、結局僕は結婚も子どもを持つことも拒否した。それしか抵抗、というか、それしか逃れる方法はなかったんだな。

そういうことを考え続けて行きたい、っていうのが僕の活動のひとつな気がするんだよな。

で、実際の「明るくなかった未来」を語ってるアラサーのヒトはたくさんいるのだけど、やっぱり僕が強く心を動かされるのが、親子関係と愛の関係について語ってるヒトなんだな、っていうのがココで判ったことだね。そのどっちも僕にとって最も重要だったからでしょ。だから、その方面にだけ僕の壁が開いてた。他のジャンルは厚く閉じたままだけど。だから、その開いた部分から入ってきたヒトとだけ、交流が出来たんだと思うのよね。

「変えていこう」という意識がないってのは、うちもそうだったので確かにナと思いました。昔は女性は弱くて、というのは発言権とかなかったからですけど、なので、うちの母の場合、暴君の父を相手に、相当きつかったんじゃないかと思いました。まして「看護師」という仕事も持ってて、共働きだったんですから、生きること自体に精一杯だったような気もします。ただ、それと僕自身の受けた被害のことは別になっちゃうんですよね、やっぱり。なので、おっしゃるとおり、僕の足元から変えていく、みたいなことかもないのかも、ですよね。

若いうちって、今週来週すぐ解決してほしい!!って思うじゃないですか。でも実際は、たとえば今回の僕も1年以上かかってますし、植物の成長と一緒で、目に見えるような形では変化はないですよね。それは嫌だ、急ぎたいんだ、ってヒト用にコンサルとか宗教とかセラピーがあるのかもしれない。でも所詮急場しのぎって気がするんだ。もっと確実な方法がいいなって僕も思いました。そう思ってる人種が増えて、開放へ向かう、とそういう感じなのかなあ。

イベントはまた若い子ばかりでしたけど、若いからってわけでもないけど楽しいですよね。ココ最近世間で言われてたこととは正反対に感じます。愚痴ってるおっさんは若者にハブられてるんでしょうね。笑。

あと策士の件はすごい腑に落ちましたよ。観光地じゃないけど、たとえば近所の駄菓子屋のおばちゃんとか、そんな感じでしたね。商売人はみんな策士だもんなああ。

とりあえずまた頑張りますw

*yuhka-uno
maicouさんが「男らしさ」を拒否して生きてきたのって、そういうご両親のことがあったからなんでしょうか。
たぶん、依存っていうのは、変わらないってことなんでしょうね。自分が変わって状況を良くしていくんじゃなくて、自分は変わらなくて、誰かに状況を良くしてもらおうとして、他人を引きずり込むというか。
所詮急場凌ぎの方法って、一番近道なように見えて、それをやっている間、根本的な問題がずっと解決されないままだったりしますから、実は一番遠回りだったりするんですよね。それに、「一気に解決したい!」って思ってる人からすると、一番確実な、ただし地道な解決法が、不確かなものに思えたりするみたいですし。
 
愚痴といっても、なんというか、自然体で自分の弱い部分を出せる人の愚痴だったら、別に良いんですけど、時々「私はあんたの感情のゴミ箱じゃねーよ」って言いたくなる人いるじゃないですか。そういう人は、年齢関係なくうざがられますよね。
まぁ、愚痴ってるおっさんは愚痴ってるおっさん同士で、「居酒屋若者論」でもしといて下されば、という感じですね(笑)。
 
このやり取りのこと、maicouさんが往復書簡で「思考のセッション」と仰ったのが、私には印象的だったんです。私は音楽的なセッションってしたことないんですけど、相手から提示されたものを、一旦自分で受け止めて、今度は自分が提示する、その繰り返しでお互いに良くなっていくことが、セッションってことなのかな、と思いましたよ。
「教えることができない」についてですけど、maicouさんは以前、ボイトレについてのお話で、「教わることができない」と仰ってたことを思い出しました。対等な関係というのは、セッションができる関係ってことなんでしょうか。
 
maicouさんは、私に本音で話すことを求めていると思いましたし、ご機嫌取りが通用しない方だなと思いましたので、私はこのやり取りの中で、できるだけ自分の思ったことを本音で話すようにしていました。そしたら、だんだんリアルでも「お姉ちゃん」じゃなくなってきて、本音が出てきたみたいなんですよ。
ずっとカウンセリング受けてたんですけど、カウンセリングって、どうしてもカウンセラーと上下関係ができてしまうんですよね。カウンセラーのほうが上になってしまう。カウンセリングは、私が「お姉ちゃん」だった頃は上手くいってたんですけど、本音の部分が出てくると、だんだん上手くいかなくなってきたんですよ。対等な関係じゃないことが、マイナスに働くようになってきたんです。それで、「もう私は、カウンセリングという形で自分の心を支える時期は終わったな。これからは、普通の人間関係の中で、自分の心を支えていく時期に来ているんだ」と思って、カウンセリングをやめることにしました。
私はこのやり取りの中で、知らず知らずのうちに、maicouさんに鍛えられていたんだなぁと思いましたよ(笑)。なんか、お互い変わりましたよね。嬉しいです。


僕が半年くらい yuhka-uno さんとお話して思ったのは、似たような意味ですけど、「思考の」セッションが好きなんだなってことでした。元々そうだったんだけど、改めて確認したって感じですね。僕の場合、音楽そのものが刺激になることよりも、こうして思考のやり取りの方が刺激になって、作品つくりのほうに反映されることが今までも多かった気がします。そう考えると、自分の「音楽の引き出し」は既に、ほぼ埋まっていて、そこから何をどのように引っ張り出すか、というきっかけを探しているんだろう、って思いました。
思考のセッションって、直接、脳で触れ合う感じがします。言葉と思考が絡み合って一体化してるような気持ちがしますね。楽器と同じで、言葉を扱うのも多少の訓練は要ると思いますけど、それよりは「本音で言う」ということのほうが重要な気がします。多少稚拙だったり言葉が足りなくても、言いたいことが伝わる、ということのほうが重要じゃないかって思います。歌もきっと同じですね。そして「本音」に上下関係も立場もないし、対等なものですから、それで成り立てるんですね。なるほどなあ。なんかいいお話ですね。

前に、セラピーって、お酒やカラオケと一緒で、その場で解消して問題を忘れさせるだけのものだから、って言ったと思いますけど、結局、もともとの問題は解決しないんですよね。常に逃げ道を探すだけになってしまうって言うか。僕も去年、いろんなセラピストと称するw ヒトに会ってそう思いました。ああこの人たちは何も解決できない人たちなんだなって。だから常に依存症のヒトを探している。彼らは依存症のヒトに「依存して」生きてるのかもしれませんね。シュールだなあw

そんななか、お互い変わったなあって思えることは、すごく救いですね。僕も嬉しく思います。

男らしさについては、もうちょっと考えてみます。たぶん両親のこともあったけど、世間一般の価値観への抵抗、という意味もあった気がするんですね。そこは、同じマイノリティとしての匂いを感じ取った、という気もするんだけど、だとすれば、自分はマイノリティだって、いつ気付いて何故そう思ったか、ってことになるので、そうすると、過去を紐解くのに、もう少し時間が要る気がします。

少女漫画を読み始めたのは中学のときからです。塾の友人が週マ読んでたのね。それがおもしろかった。でも母に言わせると、それ以前の子どもの頃から、「女の子っぽいもの全般」が好きだった、ということらしいので、そうするとドコが原点なんだろうなあって。しかもそれで、普通にストレートなのが謎なんですよね。

棲み分けできるならいい街なんだけどなあ。味噌もクソも一緒なので辛いわけですよね。こっちで「文化に」興味がある人々って、ほぼみんな雑食なんだよね。それは消費側としてはいいかもしれないけど、こっちの立場としては、全部一緒にされるのはすごく嫌だ。墓掘りもエッセイストも漫画家もセラピストも、著名人文化人枠、ということで全部まとめられてしまう。え?そこに僕も入れられちゃうの?勘弁してほしい、っていう感じなんだよね。でも、その枠に入らないと「ただのヒト」になってしまう。なんかそういう、味噌もクソも一緒の土俵で頑張らなければ行けない、っていうのがさ、クラスの中で無理クリ居場所探して、見つからないのでハブにされた、みたいな感覚に近くて、ものすごく日々辛いですね。墓掘りもいいと言う、僕の音楽もいいと言う、みたいなお客さんの感覚に、僕の方が付いていけない。その違和感がずっと払拭されない。そんな2年くらいだったな、って思う。
僕だって常に「絶対上手くなきゃダメ!」とか言う偏屈なヒトじゃないのよ。むしろ逆。オリジナリティがあれば、下手でかまわない、というポリシー。ノイズ系、音響系、大好きだし偏見まったくない。でもそれはあくまでロックやポップスとかに限ってのものでね、まさかそれがジャズにも当てはまるとは、僕は到底想像すらしてなかったしなあ。

*yuhka-uno
そろそろ「総括の総括」という感じですね(笑)。
 
私、セラピーって受けてみたことないですね。「癒やし」みたいな感じなんでしょうか。
依存症の人に依存して共依存状態になってる人っているみたいですね。「イネイブラー」って言うみたいですけど、「面倒見の良いお姉ちゃん」として育った私は、イネイブラー気質があるかもしれないので、気を付けたほうが良いな、と思ってます。
 
ちょっと、長くなるんですけれども。
私は、自分の問題の原因が家族にあると気付いたとき、家族しか接点のない今の状態では、自分は絶対に回復できない、第三者の助けが必要だと思いました。それで母に「カウンセリングを受けたい」と言ったんです。でも母は、「カウンセリング受けて何になるの?」と言いました。私はそれ以上は何も言えず、そのまま無為に何年間か過ごしました。この時期が一番辛かったですね。抑圧されていた家族への感情が湧き出していて、自分の原因がわかっていて、どうすれば良いのかもわかっていたのに、出口がなかった。ただ、ネットで自分の原因について調べて考えることしかできなかったです。
母は、「そんな効果があるかどうかわからないもの、お金の無駄」という考えだったんですね。「この子が自分から言ってるんだから、やらせてみようか」という発想が無いわけです。こういう人だから私がひきこもりになったわけですね(笑)。これが例えば、私がハローワークに行くとか言ったら、母は資金出したと思います。でも私、それができる精神状態じゃありませんでしたから。
 
カウンセリングを受けるきっかけは、母が「あんたはアスペルガー症候群かもしれないから、病院に行って調べてもらったら」と言ってきたことです。私は、母がそう思った理由については、「自分のせいじゃないと思える理由を見つけてきたんだな」と、快く思わなかったのですが、一方で、「これで心療内科というところに行って、カウンセリングが受けられるかもしれない。こりゃ好都合」と思って、行くことにしました。そして、しばらくは母に「アスペルガー症候群かどうかって、そんなに簡単にはわからないから、何回か通う必要があるんだって」とか言って、騙して通いましたね(笑)。
効果は、ゆっくりとですが、確実でした。ある程度自分で分析していましたから、話が早かったです。まず膿を出し切るように家族への感情を吐き出した後は、それまで頭が思い出すことを拒否していた、働いていた時期のことも、冷静に思い出せるようになり、ひとつひとつ、母が植えつけた思い込みを検証していきました。2年足らずで、このやりとりの最初のほうで申し上げた、「これやりたい!」という気持ちから、自分の判断で行動する体験ができたんです。
 
ある程度精神状態が回復してきたからこそ、先生に連絡取ろうと思ったし、ブログで自分の親のことも書けるようになったし、炎上にも耐えられたし(笑)、maicouさんに話し掛けることもできたし、「思考のセッション」もできたんだと思います。maicouさんは、縁切りまくって孤軍になった時期だったそうで、お互いタイミングが良かったんでしょうね。そして、最終的に、maicouさんがカウンセリング卒業のきっかけになって下さったんですね。感謝してます。ありがとうございます。
 
>思考のセッションって、直接、脳で触れ合う感じがします。言葉と思考が絡み合って一体化してるような気持ちがしますね。
 
なにこれえろい。
 
まぁそれはともかく、「オリジナリティがあれば、下手でかまわない」ということは、「本音=オリジナリティ」ってことなのかと思いましたよ。


セラピーね。占いみたいなものだと思います。あなたには、この色があいますよーとかそんな感じ。軽い症状であれば、そういう人に依存、とまではいかないにしても、少し癒されに行くのはいいかもですね。でも、僕の場合「軽度」じゃないですから、向こうも重いんでしょう。なので、縁も切れてしまいましたね。

総括の総括が近い気もするのですけど、実は、このやり取りをするに当たって、もうひとつ重要なこと、話したいな、でも話すと長くなるし、意味があるのかどうか判らない、と思って、横に置いておいた話があるんです。でも、せっかく、書いていただいたので、僕もお返しということで書きますね。

僕がいろいろと開放されるに当たって、実は2冊の本の影響もけっこうあったのですよ。そのうちひとつは、以前ブクマで出てきたと思うのですけど「加藤諦三著・アメリカインディアンの教え」というものです。これは有名だし、今ネット上でいろんな言葉が引用されてますから、あえて細かく書きませんが、親から解放されるのにはずいぶん役立った気がします。
それから、これは重要なんですけど、ビーチボーイズというアメリカのロックグループが居るのですが、そのリーダーで、全ての曲を書きアレンジしプロデュースし、天才と言われたブライアンウィルソンの「自叙伝」というものがあるんです。彼と父親との確執、それによって生まれた美しくも切ない音楽たち、それゆえ精神を壊し、70年代はヒキコモリになります。そこから復活させたのが、精神科医のユージン・ランディというヒト。このヒトはブライアンを依存症から抜け出させることに成功しましたが、その後も関係を切れずに、依存症のブライアンに依存して生きていくようになります。洗脳みたいなもので、たとえば貴乃花の整体師の人が居ましたよね、あんな感じの存在に成ってしまって、結局ビーチボーイズの他のメンバーに裁判を起こされ、やっと開放されます。

その自叙伝、ここで書ききれませんけど、ちょうど yuhka-unoさんが経験された過程みたいなものが、同じように書かれているんですね。みんな同じ過程を経て解放されていくんだな、って思いました。僕自身はカウンセリングを受けたことはないですけど、間接的に、この2冊の本で受けたと同じような状況になったんだろうなって思います。

僕がビーチボーイズを好きになったきっかけは、ロック史上最も有名なボツアルバム「スマイル」の存在を知ったことです。この「スマイル」というのは題材が、アメリカの歴史みたいなことなんですね。で、 加藤氏の「アメリカンインディアンの教え」の中に、「インディアンは、笑いかけると笑い返してくれる。それがお互い敵ではないと認識した合図」みたいに書かれてたんです。で、ビーチボーイズが「スマイル」でインディアンの歌なので、これは共通性があるに違いない、って思ったんですよね。
実際には共通性はそれほどなかったのだけど、リーダーのブライアンのことを知り、彼の生い立ちを深く探っていくことで、加藤氏の本と似たようなことを知ることが出来たわけです。だから、結局、僕にとっては、これは繋がったわけですよね。
ちなみに、お気づきかもしれないですけど、新曲の歌詞の「笑いかけ~」っていう部分は、この話から採ってるんです。あそこから「スマイル」を連想するヒトはほとんど居ないと思うけど、僕の場合「表面上似せる」というリスペクトのしかたでなく、こういう内面で取り入れるんです。なので、以前言ったと思いますけど、表面上だけ似せたエセコピーが嫌いだ、というのは、こういうことに繋がるんです。

僕にとっては、それら2冊の本、それから21世紀になってからはネットのこういうやり取り、それが「外に向かって開いていた窓」だったんだと思うんです。

ヒトは出会うべき時期にちゃんと出会うんだなって思います。昨日もTTさんと久々に話し、そんなことを二人で語りました。脳で触れ合うことはバーチャルセックスにも近いでしょうね。音楽のセッションのことを、よく性行為に例える人が居るんですけど、脳プレイも似たようなものなのかなって思いますよ。僕の「イマジナリーラバー」って曲の歌詞はそういうこと書いてますよね。ぼくは、他人に気付かれずにエロイ歌詞を書く、というのが好きなんですw そういう意味で聴くと、僕の歌詞はどれもエロイと思います。わざとやってます。

本音=オリジナリティか。そうですね。その弟さんとも話しましたが、こっちのヒト、誰も本音で話さないんです。それがすごい嫌だよね、って話して、まあ一般のヒトは、それも処世術でしょうがないからしてて、それでかまわないんだろうけど、音楽するヒトまでそんなっていうのは、僕は納得できない、って言いました。だからハラスメントみたいなヒトと付き合うのが嫌だったわけですから。みんな「何考えてるのかわからない」みたいなヒトばかりなんです。そんななかで、本音主義の僕が出来るわけ無いんです。
でも、TTさんもお店やってて、そこではフレンドリーに笑顔で接してて人気もあるんですよね。ちょっと前の僕みたいでした。僕は、そういう笑顔振りまいて、っていう偽りの生活が疲れてしまったんだろうなって思います。結局僕も「おねえさん」を演じてただけなんですよ。同じですね。
アーティストなら、そんなことする必要ないんです。人気がなくなろうとも、岡本太郎みたいな存在に成ったほうが、たぶん僕にとって精神衛生上いいのだと思います。

そんなこと思いました。

*yuhka-uno
これも、ちょっと関係があるのかわからないんですけど、私はそのカウンセラーなくしては、ここまで回復できなかったわけですから、感謝はしていますけど、やめる時には気まずい感じで終わりましたね。カウンセラーも人ですから、自分が否定されたくないのかもしれません。「これについては、私にとってはマイナスだったと思う」という話ができませんでした。それで私の心が閉じてしまって、これ以上やってもうまくいかないだろうなと思ってやめました。
 
そういえば、歴史上の人物や有名人の言葉を引用して書いてある文章って、表面上引用しただけのものと、「排便的引用」と言いますか、その人が自分の中でその言葉を消化した形跡のある引用って、なんか違うような気がします。前者は、どこか引用文が浮いてるような気がしますけど、後者は、引用文がその人の文章の一部になっているような気がします。
 
叶姉妹の恭子さんが、セックスのことをまさしくセッションだと言っているのを聞いたことがありました。セックスって、裸と裸の触れ合いじゃないですか。「本音=オリジナリティ=裸」かなって思いました。あと、裸といえば、メロとコードとアレンジのお話を思い出しますね。
そういえば、恭子さんは性感帯を尋ねられた時、「脳」って答えていました。思考が好きな人は、脳で感じる人が多いと思います。本来の性行為という意味だけじゃなくて、こういう「思考のセッション」という意味でも。思考が刺激になって充実するわけですし。ということは、一人で思考するのって自慰行為のようなものですね。そして、脳の相性が良い相手と出会うと、脳幹からドーパミンが溢れ出るんですね。
人間って、思考が快感になるように進化した生き物なのかなって思います。以前、タモリ氏が「変態は人間にしかいない。セックスの時にわざわざ縛ったりするのは人間だけ」と言っていたんですよね。たかだか生殖行動に、これだけ色んな演出を凝らすのって、人間だけですし。知的快感と痴的快感は繋がっているんでしょうね。
 
今思い返してみると、若手アナウンサーが京都の老舗で修行するコーナーの、特に和菓子の回は、解放がテーマになっていました。彼が最初に提案した「親感謝和菓子」は、私にとっての「お姉ちゃん」なんでしょうね。女将さんが言った「悪いけど、お利口さん」という言葉は、そういう意味なんでしょう。
そこのご店主、有名な茶人でもあるそうなんですが、ご店主が求めたのは、自分の殻を破って開放された気持ちで作品を創れ、ということだったんでしょうね。そうしないと創作はできない、と。
たぶん、最初の「親への感謝」というテーマが、彼個人の内面の「本音」から来たものだったら、また違ったと思うんですけど、そうじゃないと見抜かれてしまったんでしょうね。だから「お利口さん」と言われてしまったんでしょう。
そう考えると、彼が最初に提案した和菓子が「親への感謝」をテーマにしているというのは、偶然ですけど面白いですね。私のテーマはまさに、親と、「親に感謝すべき」という道徳的価値観からの解放ですから。
maicouさんとのやり取りは、私がこの番組コーナーの感想をブログに書いたことから始まったんですから、この番組も、見るべきときに見た、ということなんでしょうね。私、「ちちんぷいぷい」に救われたんだなぁ(笑)。


なるほどー。カウンセラーもヒトですから、っていうのはそうですよね。学校の先生もそうだけど、人格者なんだろうと思って接してると、そんなことないんだって気付いた年齢のとき、けっこうショックだった気がする。普通に駆け引きするし顔色読んだりするでしょうね。カウンセラー、という商売選んでる段階で、何かヒトの為になりたい、っていう目的があると思うんですよね、そこでまず相手と上下関係が出来るのと、あとは、これ心理学を専攻するヒトでよくいるのですが、自分自身が病んでいてその自覚があるから、自分自身を研究して探りたい、という意識があって始めるヒトも多かったです。その場合、相手も研究対象でしょうし、付き合いが長くなると弊害も出てくるんでしょうね。なんとなく想像がつきます。

脳プレイは、チャネリングとか流行って、その頃、割と浸透した考えなんですけど、当時の僕は、そんなのインチキ臭いと思って信用してませんでした。前に書いた、好きなAV村西とおるは、チャネリングのジャンルのヒトではなかったけど、実際に作品のなかで、それに近いことを描いて魅せてくれたので、他人はどう感じるかわからないけど、少なくとも僕には伝わったので、それで好きだったのかもしれません。セックスなんて心開いた相手とじゃなきゃ出来ないですよ。普段気取ってたりしても、一番情けない顔を相手に見せることになるんです。それはお互いが信頼しあってないと出来ないです。
思考のセッションも同じだと思うんです。僕はココでずいぶん恥ずかしいことも赤裸々に書いた気がします。また、それブログに転載したことで地元民からも恨まれる対称だろうと思います。それでも、そうやって書くことが出来たのは、yuhka-unoさんに本音でいろいろ尋ねて頂いたからで、そうして僕の脳が開いたんだと思うので、これこそセッションだなあって思いますよ。

そっか、その番組のことね。思い出しますね。メソッド、あるいはハック、ホットケーキミックス、そんな安易な提案は却下された、そういうことですね。
お利口さん、という言い方は、音楽でも時々言うのを聴いたことがあります。優等生的ね、とか。メソッドに沿って綺麗に出来てる。及第点はある。でも、何か心を動かさない、というようなときに使いますね。
僕も曲を創り始めてずいぶん経ちます。そういう意味では若手アナのような罠にはまりそうな時期でもあるんです。そう陥らないよう、本音でセッションできる相手を探して、音楽にリアリティを加えるため頑張ってるのかもしれません。

なんだか大河ドラマ的になってきましたね。どこまで行くのか、みものやね、と思いますw

*宇野ゆうか
ちょうど、セックスもセッションも「裸」でやるものなんだな、と思っていたところです。「脳プレイ」においては、「服」っていうのは、建前とか「お姉ちゃん」とかで、「裸」が本音なんだろうな、と。あと、私は音楽のセッションのことはわからないんですけど、たぶん、「失敗したら」とか「下手だと思われたら」とかが「服」なのかな、と思いました。
私は、自分が変わっていっている時期だからこそ、こうしてmaicouさんとお話することができたんだと思うんですけど、どう変わっていっているのかと言うと、脱いで裸になっていく時期なんでしょうね。ブログで親のことをぶっちゃけられたのも、その一貫だったんです。
カウンセリングは、お金払ってサービスを受けるという、割り切った関係なので、その分遠慮せずに話せることもあるんですけど、そういう関係だからこそ脱げないんですよね。やっぱりそれは、他のサービス業の人相手に脱げないのと一緒なんでしょう。だから、私は無意識的に、自分が脱ぐきっかけを探していたのかも、と思います。そして、脱いでしまったら、もうカウンセリングは必要なくなった、ということなんでしょうね。
ブログでもここでも、ぶっちゃけるのはある程度勇気が要りました。でも、ぶっちゃけて良かったと思ってますし、そうする必要がありましたね。ブログのほうは炎上してしまいましたけど、私はもう、万人ウケの「お姉ちゃん」は脱ぎ捨てるんですから、ある程度嫌われても叩かれても、自分自身でいることのほうがずっと大事です。むしろあの時は、炎上しても意外と平気だった自分自身にびっくりでした(笑)。
 
あと、以前から自分でもよくわからなかった自分の性質として、自分に似た価値観を持っていながら、自分にとって興味のないことに人生を賭けているような、そういう人に興味を持つ傾向があったんです。趣味が同じ人に興味を持つというのはわかるんですけど、そこでなぜ、自分にとって興味がないという要素が入ってくるのか、よくわからなかったんですね。「自分に似ている」部分と「自分と違う」部分と、両方の要素を持っている人に興味が沸くというのは、なんとなく感じていたんですけれども。
で、maicouさんが「脳プレイ」のお話をしてくださったおかげで、その理由がわかったんです。それは私が、思考が快感になっている人間だからですね。もちろん、興味の対象が同じ人と話すのは、それはそれで楽しいんですけど、それはあくまでも、例えば「絵」とか「ゲーム」とか、そういう趣味を楽しみたい場合であって、楽しむのが「思考」の場合は、また別のタイプの人、それも、自分にとって興味のないことをしている人のほうが良いんです。正確に言うと、全く興味がないというわけではなく、「もしできたら楽しいだろうけど、哀しいかな、私にはその才能がなかった」ぐらいの要素が一番良いです。その中のひとつが、私にとっては音楽なんですよね。
つまり私は、無意識に脳の相性が良い相手を求めていたんでしょうね。自分と同じ「思考」が好きな人、そして、そこに「自分と違う」要素が入ると、話が広がりやすいですから。だから、私がmaicouさんに興味を持って話し掛けたのは、色々ちゃんと理由があったんだなって思います。
 
そういえば、「高田馬場のテーマ」以外でmaicouさんの曲を初めて聴いたのが、「きみのイマジナリー・ラバー」だったのを思い出しましたよ。あれは何かの暗示だったんでしょうか(笑)。
 
「親に感謝」というテーマは、他人から最も賛同や感動を得やすいテーマのひとつですから、安易だとは思うんですけど、だた、その時の彼にとっては、一生懸命考えて出した案だったとは思うんですよね。彼の「親感謝和菓子」は、学校の読書感想文に似てるな、と思いました。一生懸命、大人に褒められるような読書感想文を書くような。そういうことを、子供の頃から刷り込まれて、それが癖になってしまうんですね。その中でも、「お利口さん」を求められすぎて壊れてしまった人が、「ひきこもり」になるんでしょう。そういう意味では、日本人のほとんどの人は、「ひきこもり」なんでしょうね。
「本気」っていうのは、リラックスしているか一生懸命かという基準ではなくて、解放されているかいないかという基準なんでしょうね。私は、「お姉ちゃん」として他人に気を遣っている時は、一生懸命ではあったけれど、本気ではなかったと思います。こうしてmaicouさんとお話している時は、一生懸命考えている時も、リラックスしている時もありますけど、どちらも「本気」ですね。

すみません、長文書いたあとでまたこんなこと書くのもなんですけど、気付いてしまったことがありましたので。たぶん私、卒業するのはカウンセリングだけじゃなさそうです。もっと色々なものから卒業するみたいです。
私、二次創作イラストサイト持ってて、趣味仲間の人と交流もあるんですけど、こうしてmaicouさんとやり取りしている半年間、放置状態だったんですよね。たぶん、これ卒業なんだと思います。その作品は好きですし、たまに描くこともあるかもしれませんが、少なくとも「交流」はもうしないんだろうなって。なんか私の中での興味がなくなったんです。そして、それはたぶん、趣味の交流だけじゃないんです。中学生時代や小学生時代からの友人の何人かも、たぶん卒業です。興味がなくなってしまいました。皆良くしてくれましたし、楽しかったですし、私の個人的な感情で一方的にこんなことになってしまうんですけれど。
ただ、「興味がなくなった」と言っても、すっきりさようならというわけでは全然なくて、自分が今まで築いてきたものや、大切にしてきたものを、一気に失って、何も持たないまま放り出されるような感覚がして、滅茶苦茶寂しくて悲しくて心細いです。こんなふうになるなんて予想外でした。自分が変わるということは、場合によっては、それまでの人間関係のほとんどを捨ててしまうことになるものなんですね。たぶんこれ、私の人間関係が変わる瞬間なんでしょうね。だから、今は寂しくても、これから新しくて楽しい付き合いが待ってるんだと思います。
なんかもう色々気付きすぎです。


いろいろよかったですね。
何かに気付くときって、必死に崖を登って頂上に着いたら一気に全部見えた!みたいな感覚で、ホントに一気に全部見えるので、そういう感じなのかなと思います。よかったです。
前もチラッと書いたですが、同じ趣味どおし、同業どおしって広がらないんですよね。「全く興味がないというわけではなく」というのは逆に言うと、ちょっと興味があるから、なんとなく想像がつく、ということでもあります。つまり、相手の言ってる異種の話でも、自分の経験やら趣味に当て嵌めて準えることが出来る程度の想像力があれば、話が広がるってことなのかなと思いました。実際僕は、ブライアンウィルソンは同業ですけど、それ以外では、ほとんど自分と関係のない人の話で自分を開いて行ったんですね。でも、まったく興味がなかったか、というと多分そんなことなく、話の内容に惹かれたからこそ、その奥まで入って行こうと思ったんだから、興味はあるってことなんですね。

同業の話で思い出したことがあるんですけど、高校時代の吹奏の部活ナカマや、東京時代の吹奏楽団のトラウマも同じなんですけど、当時の僕は、「音楽をやっている」という共通項で全員が繋がっていて、考えも一緒だと思ってたんです。ジャズをする人に対しても同じです。一緒だと思ってたんです。だから数々の不幸に見舞われたんですね。そんな勘違いをしてたものだから、話が通じない、価値観があわない。吹奏楽やジャズ学校の人と付き合ってるときは、そんなことばかりでした。ホントに辛かったです。
そのあと船橋時代に「JPOPを作る友人」が出来て、初めて「ああ、楽器演奏する人と音楽を創る人の感覚は違うのだ」と気付いたんです。
音楽をやってる、という共通項があるだけで、全然考えも思考も、実は合わなかったんですね。話も通じないはずです。当然のことだったんです。
なので、どこでどう、通じ合うか、似てるか、興味があるかっていうのは、全然判らないものなんだなあ、って。
これは今でも同じですよ。当時の吹奏ナカマとか、多分今も僕の音楽を好きでもないし理解もしてないと思います。むしろ、なんでドラムやめちゃったの?くらいに思ってるはずです。この無力感たるやw

思考は快感ですよね。昔から好きでしたね。ただ、昔は思考ばかりで全然実践(歌ったり作曲したりとか)しなかったので、いつになったらちゃんとするの?って周りからは言われてました。満を持して、というわけでもないですけど、時期が来たら自然にそうしたくなるさ、と楽観的に思ってましたが、実際にそうなったので、自分の予感もまんざらじゃないなあ、ってちょっと思いました。ホテル時代のことですね。
音楽はやっぱり、最終的に「実践」になってしまうので、それで証明できないと、机上の空論のヒトで終わっちゃうんです。その辺がちょっと試練でした。

日本人ほとんどがヒキコモリって面白いですね。それで思い出したんですが、茨城大に行った後輩がある日「最近の同世代の様子をみてると、みんな自分の意思があまりないのです。こんな状況では、ちょっとでも強い意志の持ったリーダーが現れたら、簡単に制覇できちゃいますよ」と言ったんですよ。リーダーになったり仕切ったりするのに、昔ほどのエネルギーも才能も要らない気がする、と。今の状況見てると、そんな彼の言葉を思い出します。「策士」と言っても、昔ほどの「見事な策」がなくとも、ミニ策士みたいにみんななれちゃうのかな、と思います。赤軍やオウムもそんな感じだったのかあ、とちょっと思いました。

コメントでちょっと書きましたが、ちょうど僕がホテル始めた頃、それまでの縁も切ってバンドも辞めて、新しい自分になろうとしたんですね。残った友人は、さっきの「JPOPを創る」友人だけでした。でもそこから、どどどっと開けて行ったんですよね。新しく始めるためには、何かが終わらなくてはならない、ってことだったんだろうと思いました。

それでも5年も経ってからまた、吹奏楽の後輩に再会したり、受け入れてくれた仲間もたくさん居ます。ちゃんと残るべき繋がりは、間が開いても、切れたと思っても、繋がり続けてるものだと思います。


本気、裸、ということで追記ですけど、自分の曲「夏休み」が出来て気付いたことがあって、自分はこれ以前には、音楽について「本気」になったことはあっても、「裸」になったことがなかったな。ってことでした。ご存知の曲の中では、高田馬場とかそうですし、僕らしく、とかもそうですね。もちろん創ってる最中は「本気&裸」と思ってるんですけど、あとになって、夏休みみたいのが出来ると、あああれらは違ったな、と気づくんです。過ぎると判るんです。
それまでの僕は、音楽ですら「裸」になることに躊躇していました。キャバレーやホテルで「本気」になることはできても、「裸」になるには、もうちょっとかかったんですね。この「もうすこしかかった」という話は以前もしたと思います。その話したときには自分も気付いてなかったんですけど、というか当時の気持ちを忘れてしまっていたのですけど、「裸」になるための時間がもう少しかかった、ということなんだと思いました。
ちなみに僕の中で、一番最初に「裸」になったと思ってる曲は「君が好きだよSong」です。その次に創ったのが夏休みです。そこからは、その方向性が変わることはありませんでした。一旦裸になると、次はもう、服を着た状態には戻れないんですね。
僕の「JPOPを書く」友人は、その辺が実に鋭くて、僕が裸になった曲以外は好きではない、と今も言います。高田馬場も好きじゃない、と言ってますw ある意味、真理だなあと思います。

お名前かえたんですね!

*宇野ゆうか
ありがとうございます。今はすごく身軽でスッキリした気分です。服を脱いで裸になって、さらに脱皮したような感覚ですよ(笑)。
「Ever Green MAN」、脱皮前は、正直あんまり気に留めてなかったんですけど、脱皮したら急に聴きたくなって、何度も聴いてしまいました。
 
今運営している二次創作サイトは、初めて作った自分のホームページなんです。そして、私のこれまでのお絵描き人生の中で、初めて二次創作をメインにした時期でもあったんです。交流してくれる人もできて、楽しかったです。ひきこもり時代は、随分これに支えられていました。
こっちは、「興味あるし、とりあえずやってみよう。やってみて合わなかったらやめれば良いんだし」というノリで始めたんです。だから名前も、「とりあえず自分を表すものがあれば、それで事足りるだろう」くらいのノリで付けました。でも結局、自分が思ってた以上にハマってしまったんですよね。
 
自分の萌えキャラを相手が描いてくれたり、その逆をして喜んでもらったりするのは、楽しいです。でも、付き合いがなんだか「褒め合い」みたいになるんですよね。ご機嫌取り型コミュニケーションになってしまうんです。そこがなんか、自分にとってはしんどいということに、気づいてしまったんですね。
私はこのやり取りの中で、maicouさんの音楽を褒めようと思ったことはありません。それは、maicouさんが、形だけ褒められても嬉しくない方だろうと思ったのと、私みたいな音楽について全然知らない人間が、プロの音楽家さんの創ったものを「褒める」なんて、失礼なんじゃないかと思ったからです。だから、結果的には、自分の思ったことだけを言う、という形になりました。
ブログのほうで、私のことを褒めて同意してくれるだけの人がいるんですけど、申し訳ないけど何の刺激にもなりません。それよりも、私のエントリを元に思考している人の言葉のほうが、短い言葉でもずっと刺激になります。結局そういうことなんですね。
ご機嫌取りって、ある意味楽だと思うんですよ。でもそれは最初の一回目だけで、回を重ねるごとに、自分もしんどくなるし、相手も傷つけてしまうことになるんですね。
 
「同人」という世界を知ったのは、中学二年生の頃でした。私が絵を書くのが好きだと知ったクラスメイトが、引きずり込んでくれたんです。それをきっかけに、他の同人趣味の子とも付き合いだしました。いじめは中一の頃が一番酷くて、それ以降も少しいじめは継続してたんですけど、その子のおかげで居場所がありました。初めて本格的な道具で漫画を描いたのも、初めて同人誌即売会に行ったのも、その頃でした。
ただ、高校に行って疎遠になってからは、私は漫画は描き続けましたけど、自分から同人関連に積極的に関わるということはしませんでした。結局私は「絵を描く」ということが好きなのであって、「同人」にはそんなに興味はないんでしょうね。
 
それに、今までの人生を振り返ってみても、自分にとって一番楽だった環境って、同じタイプの人間同士でグループを作って、常にその人たちと一緒にいるような付き合いよりも、タイプの違う人間が入れ代わり立ち代わり入ってきては、雑談して帰っていくような、そういう付き合いだったんですよね。もちろん仲の良い友達というのはいるけど、人間関係が固定化されてなくて流動的になっているような。
ここの雰囲気ってそれに似てます。だから、私はこっちのほうが合ってるんでしょうね。私はこっちがメインだということがわかったので、名前に存在感を持たせようと思って、単なるidネームじゃない名前にしました。
 
今思い返してみれば、私は「お姉ちゃん」の殻が剥がれ落ちた瞬間から、「直感」が働くようになりました。一番最初の直感は、「カウンセリングを受けるべき」でした。そして、これは正しかったです。それからは、何度か直感が働く場面があって、私はその通りに動いて、回復してきたように思います。maicouさんに話し掛けたのも、「今、この人と話すべき」という直感が働いたからで、そしてそれは、やっぱり正しかったんですね。
今回の直感は、「『趣味』の付き合いよりも、『思考』の付き合いをメインにするべき」「二次創作を一旦休止して、一次創作をするべき」です。
 
この直感、母が私の進路を誘導した時も、実は働いていたように思います。「これは嫌だ。私に向いてない」と。でも、「お姉ちゃん」だった私は、それをしっかりと感じ取ることができずに、洗脳されてしまったんですね。だから、本来の自分を抑圧して、偽りの自分で生きているうちは、直感は感じ取れないものなんでしょう。
私は、3歳の頃に弟が生まれたとき、「お姉ちゃん」にさせられてしまって、「自分の人生を自分で決めて行動する」という、精神の肝心な部分の成長が停滞してしまいました。「お姉ちゃん」の殻が剥がれ落ちても、自由になれないし行動できない。3歳児は怖がってその場で蹲って泣くだけなんです。これは私が生きていく上で、一番大きな問題です。でもその分、これからの私の人生、重要なところでこの「直感」が働いて、私を助けてくれるだろうと思います。
 
maicouさんが「カバーばっかりしてるプロ音楽家なんて変」と仰っていたのが、なんとなくわかるような気がします。二次創作はアマチュアがやることですもんね。二次創作しかしないプロ絵描きって、変ですし。それに、二次創作なら、原作が好きな人に見てもらえますけど、一次創作だと、本当に絵が上手かったりセンスが良かったりしないと、見てもらえませんからね。

すみません、色々気付いたので、長いですね(笑)。
 
以前、「いじめと家庭環境が原因で、考える必要に迫られた」と申し上げましたけど、私は結局、考えるのが好きなんだと思います。好きじゃなかったら考えないでしょうね。今から思えば、この「思考が快感」という自分の性質に、私は随分助けられたと思います。あの環境下で、自傷行為に走らず、大した家庭内暴力にも発展せず、そこそこに家事もして過ごせたのは、「考える」ということにエネルギーを向けられたからという面もあるのかな、と思いました。
「時期が来たら自然にそうしたくなる」というのは、私も、ひきこもり回復過程でそう感じていました。そして、その通りになって行ってると思います。
 
そちらの人たちって、表面的にはニコニコして、本音を言わないんですよね。ちょっと、うちの母に似てるのかなって思いました。
母はごくごく「普通」の人なんですよね。典型的な普通の日本人です。母は、本音を抑圧して、日本社会に過剰適応したタイプの人だと思います。母みたいな人はいっぱいいると思います。だからひきこもりもいっぱいいるんでしょうね。精神的には、私よりも母の方がひきこもりだと思います。
そちらは、仮面家庭というか、仮面地域って感じなんでしょうか。
 
そういえば以前、「接客は演技の仕事」というお話をしたのを思い出しました。演技という服を脱ぐ、ということだったんですね。
服を着ている時って、自分が服を着ているということに気付けないんですよね。裸の王様の逆バージョンというか(笑)。服を脱げて初めて気付けるんですね。


いろいろあって、人付き合いの難しさを実感してるところであります。

前に何気なくですが、ツイッターの独り言で、せっかく鳥かごから出て自由になっても、また別な鳥かごに入ってしまうんだ、と書いたら、そんな悲しいことは言わないでくれと反応があったんです。反応があって気づいたんですけど、僕の場合、誰かに、例えば母とかに強要されて「おねえさん」的な何かになったのではなく、自分から進んで、自分が受け入れられたカタチを演じていたのではないか、と思ったんですね。
僕は、親にはもちろん、近所の友達とか親戚とか、そういうあらゆる場所で受け入れられない子ども時代を送りましたので「受け入れられた」ことは破格に嬉しくて、それを忘れず何度も受け入れられたい、褒められたい、と思って、それを繰り返してた気がするのです。そういう子供はよくいますけど、僕はその極端な例じゃないかな。僕はよく、自分の姿やしたいことは、周りの他人が創るんだ、と言うのですけど、このこともそれを実証しています。僕は子供の頃から、常に何かを演じてきたのではないかな。その殻が破れて、素の自分が出て拒否反応があり、また演じる自分に戻る、そんなくりかえしで人生が進んで来た気がします。そうして行ったり来たりしつつ、徐々に自分が形作られて行った、そんな気がしますね。
何か具体的なものを演じろ、と言われるより、何をすれば受け入れられるのか皆目分からず、本当に苦労しました。そのうち実家を出て自由になり、そこからは、自分自身で、何が求められるのか探す日々だった気がします。相当きつい日々だったはずですが、よく宗教や政治運動などに参加もせず、ひとりで居られたもんだと思いますw 自分自身で見つけること、これだけは自分に課してた気がします。他人に頼らない。と。

カタチだけ褒められても嬉しくない、それはイコール、褒めて(っていうのも変だけど)頂くときも本音だ、って判りますから、自分の音楽に言及してもらえると、素直に嬉しいです。構ってもらえてる、という感じがしますw
人は難しくて、僕もそうですけど、場合によっては「決して褒めない」時もあるんです。相手がライバルだったりとか、いろいろ複雑な心境があります。そんで、ずいぶん後になってから「実はあのとき、好きだった」トカ言うんです。誰かが好きという感情って、難しいじゃないですか。ただ単に好き、と言えない、それを認めるのが悔しい、みたいな感覚が、若いときは特にあるんですね。それ以外にも、所属するサークルとの関連性、「あんな奴が好きなの?」って突っ込まれるとか。そうすると、相手に通じない、言いたい言葉や気持ちを伝えないまま関係が終わってしまう。そんな青春時代ばかりだった気がするんです。これは実際に曲にしてるんです。好きだと言えなかった、みんなに何を言われるか怖くて告白できなかったんだ、という歌詞があるんです。これは、仲間のことでもあり、もっと突き詰めると、母親だったりします。母は僕の関係する女性への目が厳しかったですから。あの子は下品で、とか、あの子は気が利くね、とか言って値踏みしていました。そういう「遠隔コントロール」的なことをするんですね。今書きながら気づいたですけど、最終的には「母に」気に入られることが目標だったのかなあ。うーん。

まあそういうことがあって、関連性、という付き合いは僕には無理だ、と。少なくとも自分を素で出せるようにはならない、と。それで千葉への転居を機に全て一旦切って、もういちど「素の自分」が、何とも関係性のない、独立した自分と言う単体が、何を好きか、何をしたいか、誰を好きか、そういうことを自分自身に問いかけて、ひとつひとつ答えを出して行ったんですね。その結果として「夏休み」が産まれたんです。何とも関連性がない独立した自分がやったこと。それがあの曲ですね。そうして僕も直感、というか、人間本来の本能ですよね。それがちゃんと働くようになり、その通りに生きられるようになったんですね。

こっちの人が本音言わない話。よく考えると、どこでも一般のひとはそうかもしれないですよね。じゃあなんで、僕は「こっちの人は特にそう」という印象を持つのか。それは僕の接してる交友関係が、そういうこと言わないはずの交友、だからじゃないかなって思うんです。あとは僕の偏見もあり、田舎の人は素朴だから、みたいな感覚で居たら、大変な目に遭った、みたいなことなのかもしれません。「策士」という言葉にも通じますけど、純朴そうな顔をしてその奥では何考えてるかわからん、といった感触を持つ相手もいっぱい居ましたし、本心も言ってくれず、よそよそしい扱いはずいぶん受けました。つまりそれは、僕が受け入れられてない、ということでもあるんでしょうね。そういうような行動を「天然で」してしまう人々、というのが僕の印象です。悪気がない、だから心の底から傷つくんです。言葉や行動とは裏腹の、本音が丸見えなんですもの。その辺は東京の人にはないものですよね。都会の人はもっと上手く隠すでしょ?それがないんです。本音を言葉で言ってくれたほうが、どれほど救われるか。そんなことを思いました。

あ、補足。

>僕の接してる交友関係が、そういうこと言わないはずの交友、

これは多分(笑)本来ならお互い開くべき関係なはずなのに、相手が開いてない、という印象を持つ、という意味ですね。僕は誰に対しても濃い付き合いしかしてこなかったので、普通の会社仕事ならともかく、音楽についてまで、事務作業みたいなあっさりした付き合いしかなかったのが、ショックだったんだと思う。それでも最初は頑張って溶け込もうとしたが、結局、自分がよそよそしく扱われてる、って2年位前に気付いてしまって、もう無理だってなったんですね。その時になって初めて、自分は東京の人間だ、故郷は東京なんだ、ってすごく実感したということですね。長年東京で頑張って、いろんな縁を繋げて来たから、今のこの地位になれたんだ、と思った、そんで、同じことをこっちでしろと言われても、それはちょっと酷じゃないか、って思ったわけです。そこから僕の絶望が始まった、とw

あと、母は男女関係だけにうるさかったように書いてありますけど、男女どっちもですね。僕の交友関係そのものに、口を出すヒトでした。それとなく、ね。遠隔操作的に誘導する感じですね。「あの子は育ちが悪い」とか「あの子の親はああいう仕事だから」とか、いろいろ言います。それだけならまだいいのだけど、そういう態度を母は、相手の親にも出すんですよね(参観とかPTAの集まりの際とか)。そうするとどうなるか、というと、僕はその対象の友人からいじめられるようになるわけです。当時は気付いてなかったですけど、おそらく友人の母経由で僕の悪口、というか、僕の母に嫌われてることを聞かされてるんでしょうね。そりゃあ、僕も相手に嫌われて当然ですよね。うちの母も意外に策士だったのかもしれないなあw

*宇野ゆうか
今から思うと、カウンセリングをやめたのは、脱皮のほんの前兆に過ぎなかったんですね(笑)。
 
前回、「二次創作を一旦休止して、一次創作をするべき」と言いましたけど、これ、ちょっと違うんです。今までデジタル中心で絵を描いてたんですけど、デジタルを休止して、紙と鉛筆だけで、そして「創作」も休止して、身の回りにあるものとか、写真とか、そういうものを描いてみたくなったんです。そして、ある程度そういうことをやったら、また何か描きたいものが湧き上がって来るだろう、その時は一次創作なんだろうなと、そう思ってるんですね。
前回は、直感が降りてきたばかりで、自分の中で整理がついてなくて、なんで自分がそう思っているのかわからなかったんですけど、たぶんこれも人間関係と一緒で、今まで自分が築いてきたものを、一度崩して、再構築し直すってことなんでしょうね。だから、これもとても寂しいんですけど、今までの自分の「絵柄」とも、ここでお別れですね。
人間関係はともかく、なんで「絵」までそう思うのか、別に好きでやってるんだから好きに描けば良いのに(笑)、とも思うんですけど、自分にとって「絵」は、幼い頃からの大切な一要素なので、自分を再構築するとなれば、そこに「絵」も入ってくるのかもしれません。
思考癖とともに、お絵描き趣味にも、私は助けられたと思います。一人だけでできる楽しみを持っていたから、発狂せずに済んだのかもしれません(笑)。
 
実は、カウンセリングをやめた直接的な原因が「褒められたから」なんですよね。こっちが真剣にぶつかっていったのを防衛されて、自分が優位に立てたと確信できた時点で、「よしよし」って頭撫でられたような、そんな態度を取られたので、「ああ、この人私のこと下に見てるんだな」と思って、それでやめてしまいました。
「褒める」っていうのは、場合によっては、相手を下に見るようなことにもなりますね。思ったことを言った結果として「褒める」ことになるのは良いんですけど、褒めること自体が目的で「褒める」のはご機嫌取りですし、これを、その分野において自分より上の人に対してするのは、ゴマスリみたいで嫌ですし、逆に失礼な気がするんです。ただ、ご機嫌取ってくれないと不機嫌になる人が相手の場合は、意図的に褒める場合もありますけどね(笑)。でも私は、それをする必要のない人のほうが好きです。
それに、「褒め合い」ってアマチュアだからやることなのかな、とも思いますしね。
 
直感って、すごくデリケートというか、ちょっとでも妨害要素があると、掴めなくなってしまいますね。私の場合、「この分野に関しては、相手の方が上だ」と思ったら、直感が拒否していても、従ってしまうという傾向があるんです。母に進路を誘導されてしまったのもそうですね。あの頃は、母のほうが社会のことを知ってる立場でしたから。
ということは、ちゃんと直感を掴めるようになるには、解放されることの他に、自分に自信を持つということも必要なのかな、と思いました。
 
そういえば、母も田舎育ちなんですよ。自分の本音がわからない人なんですよね。無自覚な人に自覚しろというのは難しいです。本人は、認めてしまったら終わり、みたいなところがあるのでしょうし。私を無意識に誘導したあたり、母も「天然で策士」なんでしょうかね。まぁ、母もだいぶマシにはなりましたけどね(笑)。
一人ならまだしも、集団でそういう状態だと、もっと難しいんでしょうね。認めてしまったら、集団の均衡が崩れてしまうような状態なんでしょうか。


こないだブライアンウィルソンのことを思い出してからココ1週間いろいろ聴いてます。僕が「ちゃんと」曲を創りたい、と思ったきっかけはこのヒトとの出会いなので、かなり大きいと言えます。忘れてた曲などがあり、作曲始めた当初の「青臭い」気持ちとか思い出しますねw
僕も家ではもちろん、いろんな曲をコピーして参考にして勉強してたわけだけど、最初のうちは、他人に見せるライブでもカバーやってたんですよね。でも、なんか違う。始めのうちは、オマエが歌うと興ざめだ、イメージが壊れる、とか否定されました。そのうち上達してくると今度は、恐竜的なヒトに喜ばれるようになって、それが最初のうちは嬉しかったですけど、「今度はこういうのやって」とか「こういうのは出来ないの?」とか言われたりするうちに、徐々に「ああ、喜んでるヒトは、僕だから喜んでるのではなく、曲を喜んでるんだ」って気付いたんですね。当たり前なんですけど。もちろんカバーやっても下手でセンスのないヒトもいるんですが、例え上手くても、自分にとってはあまり意味がないような気がする、と思いました。
最近キュレーターって流行ってますけど、カバーの選曲も「キュレーター」的な部分があって、「何を」選んでカバーするか、ということでかなりセンスや主張が反映されます。以前ご覧頂いた、墓掘りのカバー動画、ありましたけど、ああいう「極めて珍しい」曲は喜ばれます。それでも、オリジナル曲が多数あって、その中にあれが混ざってるからピリッと締まるんですよね。そういうこと、いろいろ学びました。
それもこれも、裸になって人前でするようになったからですね(表現がエロイw)。
なので最初のうちは、どんな反応も嬉しかったです。微笑ましく見られてたのかもしれませんね。そのあとCD出すようになってからですもの。叩かれるようになったのは。

絵柄とかと同じように、僕も自分が裸になったあとは、音楽の好み、聴くほうもするほうも全然変わったんです。過去に聴いてたものはしばらく聴けなくなりました。自分がまたいつ、閉じてしまうか、すごい怖かったんだと思う。なので全部封印。趣味とかも本とかも。
あと、創作を一旦休止した、と言う部分は、僕の場合だと、ドラマーやってた時期になると思います。ドラマーやってた時代、ホテル始めるまでですが、その間は、ほとんど曲を書かなかったんです。そこで一旦クリアになったと思います。
いまも、同業のヒトより全然関係ない話をしたほうが頭が冴えてくる、というのは、脳内がぐちゃぐちゃになってくるので、クリアしてるのかもしれません。リセットってほどでもない感じ。

誘導の話は、独り言でもずっと続いてますね。これはもうちょっと考え続けたい気がする。何か考え続けることがある、というのは面倒だなと思う反面、楽しいんですよね。好きなお菓子を食べ過ぎないよう気にしながら、楽しんでかじってる、そんな感じです。

田舎の話、ゆうかさんに言われて、ずっと考えていました。偶然トルコライスの話を見つけて笑いました。あの記事書いたヒト、支局長なんですね。さぞ大変だったことでしょうw
田舎のヒトが無自覚で認めないのは、プライド高いからなんじゃないかなあ。それも自分では気付いてないと思うけど。僕が東京に行って自分を発揮できるようになったのは、土地柄人柄もありますけど、日本で最高の土地に居るんだ、という安心感もあった気がするんです。僕が行ってた小中学校が一貫で国立だったんですよ。市内の名士の子女が集まって、みんな趣味もよかったけど、プライドも高くて、大変と言えば大変でした。そんな中、僕は「普通の」公務員の子どもなので、よくバカにされました。同じ町に居るくせに「田舎モノ」とか言ったりするんです。センス的なものでしょうけど。そんなこともあって、絶対、東京のど真ん中に住んでやる!って昔から思ってたんですね。なんか可笑しいよね。そんな東京が、好きになれたことは嬉しかったですね。もし嫌いだったら、今の僕はなかったでしょうね。

まあそういうわけなので、日本の縮図じゃないでしょうかね。面倒は起こさない、空気嫁、みたいな人々なんじゃないかな。実際そうだってTTさんも言ってましたし。僕はそもそもヨソモノなので、そのTTさん以下の扱いになってしまうのですけど。

そこに住んでいながら、悪く言うって、すごい不健康だと思うんですけど、自分はそこまで悪く言ってるつもりがない、というか、ほとんどのヒトは気付いてないだけなんだと思うんです。
そういえば僕は、何かの趣味の団体、アーティストのファンサイトとかに言って、そのアーティストじゃない別なヒトの話題をするのがすきなんですよ。ファンのヒトって一途で何も見えなくなってる部分があるでしょ?そういう直線的な視線を、少しでも逸らせて多角的に広く出来たらいい、と思ったりするんです。余計なお世話なんだけどね。でも、別なヒトを一旦好きになって、それでまた元に戻ったら、元々好きだった相手の、また別ないい部分を発見して、惚れ直す、とかあると思うんですね。僕はそういう中で、邪魔と思われても、他にもいいヒトは居ますよ、的にわざと言うんです。この土地に来て、わざわざ土地の悪口言うってのは、それにちょっと似てる気がするな、と昨日思いました。実際それで、視野が広がったといってくれるヒトも居るし、そもそもほとんどの住人は、この街から出たことがないんですから、僕みたいな「嫌なヒト」も居る意味はあると思います。だからこそ、あんな歌(新曲)も歌うわけですね。

ずっとビーチボーイズを見てるのですが、思ったのは、まあロックやジャズとかクラシックでもそうなんですけど、だいたい芸術関係者は破天荒で人格壊れてるヒトも多いのですけど、その中でも僕がとりわけ彼らに惹かれたのは、そのブライアンもそうですけど、弟のデニスの壊れっぷりがすごかった、というのもあります。グループのメンバーのうち3名はウィルソン兄弟なんです。兄弟だから、当然家庭環境も同一ですね。父の半端ない虐待は長兄ブライアンが一番受けましたけど、その下のデニスもすごかったらしく、メンバーや奥さんのインタビューでは、人格は常に壊れていた、ということです。デニスは83年に溺死してしまうのですけど(バンドない唯一のサーファーだったのに!)、その際の奥さんの話が実に泣けまして、「彼は最初から精神は死んでいたようなものだった。常に極端に走り、愛を求め続けたヒトだった。他人が喜ぶ顔を見るのが大好きだった」と。
そういう人でありながら、ブライアンも同じですけど、美しい曲を書くんですね。それがなおいっそう悲しいわけです。それまで僕が知ってたロックのヒトは、「ロック」そのままの人生を、そのまま姿や音楽でも表してるヒトがほとんどでした。そんななかで、ビーチボーイズだけは、すごく例外で、音楽自体にはほとんどそれが顕れていない。僕にはそれが、究極のポップだ、と思ったんです。でも、人格が表現物に反映されていないはずがない、じゃあ、それはドコから読み取れるのだろう?というのが興味を持って研究し始めた始まりだったんですね。そうして、彼らの音楽や育ちなどをさらって、自分の人生に準えていくことで、自分自身も解放されて裸になっていったんだと思います。
裸になった結果が、結局僕の場合も「ポップ」だった、というのが面白いのですけど、というのは、裸だということが他人からは見えにくい音楽じゃないですか。ロックとかオザキみたいに壊れてたほうが、より裸でロックに見える、でも、僕の望むことはそういうことじゃない、と。たぶん、ですけど、僕はもっと自分が強くなりたかったんじゃないかって気がします。強く、という言い方も語弊があるかな、甘えたくなかった、という方が近いかな。ゆうかさんがおっしゃってましたね、自分の中の赤ん坊、って。
裸で破天荒だ!っていう表現スタイルは、僕にとっては、「そういうオレを見るのだ!」っていう押し付けが強くて、逆に甘えてるように感じたんだと思うんです。ちょうど、酒飲んで暴れたりするヒトと同じ感じ。僕がしたかったのはそうじゃなくて、自分自身でちゃんとそれらの感情を処理してから、提示したかった、そんな感じだと思いました。

僕が聴き始めた頃、日本でビーチボーイズを聴いてる「ロックファン」のヒトはほとんど居なかった。他のジャンルやバンドは、筋金入りのマニアとかがたくさん居て、恐竜おっさんが仕切ってたり、薀蓄垂れられたり、けっこう邪魔くさかった。
そういう中で、ビーチボーイズだけは、その2流っぽいイメージも幸いして、ダサい音楽というので、誰も注目してなかったのね。だから僕は、ほとんど誰も居ない、誰かの垢もついてない、ほとんどマッサラの道を歩いていくことが出来たのよ。恐竜に支配されなかった音楽だったんだよね。
当時の音楽ファンの間では、ビーチボーイズを認めてるかそうでないかが、お互いを認め合う一種の指標みたいになってた。「最近何聴いてる?」「ビーチボーイズだね」ここで「はぁ??サーフィン好きなの?」と来たら「ああ恐竜さん乙」となり、「おお!いいよね!」となったら、無言でも分かり合えた、みたいになった。

たぶん、だけど、今の日本でビーチボーイズ好きなヒトは30代くらいが一番多いはず。すごく古い音楽なのに、マニアの間で現象になるくらいブームになったのは90年代以降だからね。そういう「新しさ」のなかに、僕は「自由」を見つけたんだと思った。

ゆうかさんの日記を読ませていただいたとき、どこか自分のような感覚も持ちながら、もうひとつ何かデジャブ的なものを感じてたんですけど、それは多分、ビーチボーイズを必死にさらってた頃の自分自身の姿も、そこに読めたからなのかもしれません。
当時と違い、最近はもう、ほとんど彼らの音楽を聴くことはなくなっていました。「本当に」久々に、ちゃんと、耳だけでなく、「心で」聴いた気がしますね。こうしてまた再び向かい合えたことはとてもよかったです。ありがとう。

*宇野ゆうか
今色々と思い返しているんですけど、二次創作サイトを持とうと思ったのが、まず自分のイラストサイトを持ちたいと思ったのと、好きな作品が日本ではマイナーな作品で、ただでさえファンサイトが少なく、さらに自分の萌えキャラをメインで扱っているサイトが、ほぼないと言っていい状態だったので、「萌え不足」だったんですよね。なので、自分でやってみようと思ったというのがありました。
自分で活動してみると、けっこう同種の人たちが見つかるんですよね。向こうから発見してもらったりして。そのうち、数は少ないけれど、自分の萌えキャラを描く人たちが見られるようになったんです。だから、もうある程度自分の中で、萌えが満たされたのかなぁと思います。
 
絵柄や絵の好みが「変わる」というか、ある意味「戻る」気がします。本当はどんな絵が好きだったんだろう、どんな絵を描きたかったんだろう、例えば画像検索して今の自分の絵が出てきたとして、私はその絵をクリックして見たいと思うだろうか、とか、色々考えますね。そう考えていくと、今までかなり「寄り道」してたような気がするんです。まぁ必要な「寄り道」ではあったんですけど、もう必要なくなった、ということですね。
そろそろ自分の本流に戻るというか、絵にしても人間関係にしても、本来あるべき自分の「軸」を作っていく時期なのかもしれません。
なんか不思議な気分ですね。人生の中でこんなことってあるんだなぁ、という感じです。
 
ビーチボーズのお話と繋がるのかどうかわかりませんけど、朝日新聞の社説のオヤジみたいな人からすると、「最近の若者って、何考えてるのかわかりにくいから不気味」という感覚があるのかもしれませんね。「いっそ尾崎豊みたいにしてくれたほうが、わかりやすいのに!」という部分もあるのかなぁ、と思いました。
以前maicouさんが、尾崎豊の影響受けて尾崎スタイルでやり始めた人のこと、「『カリスマ』という服を簡単に着れる装置」と仰ってましたけど、あれって、裸を演じてる状態なのかなぁって思いました。裸スーツを着てるというか(笑)。
maicouさんの場合は、裸を見せつけたいというよりは、さり気なく裸でいたい、という感じだったのでしょうか(どんな表現やw)
 
田舎の人のお話、奈良から出たことがない私も、無自覚に当てはまる部分があるんだろうか、と考えてしまいます。そして、考えた上で浮かび上がってきたのが、父の存在でした。
父は母と結婚する前、船乗りだったんですよ。船舶会社に調理師として勤めて、世界のあちこちを回っていたそうです。もっとも父の場合は、「世界に出てやる!」という目的があったわけではなく、家出みたいなものだったようですが。それでも、自然と視野も広くなったでしょうね。船乗り時代の父の話も色々と聞きました。
そんな父だからこそ、日本や奈良の良さが分かったのかもしれません。子供たちに、あえて鯨を食べさせたり、たまに落語や狂言に連れていったりと、日本の伝統文化的なことに触れさせようとしていました。
兄弟のうち、それを最も面白がっていたのが私なんですよね。父は色々と性格に難のある人ですが、父のそういう部分は、私が意識している以上に、私にとってプラスになっているのかもしれない、と思いました。
 
あと、よくよく思い出してみると、過去に私の直感を阻害した人は、私より知識や能力が上というだけじゃなくて、何かしら、私を自分の思い通りにしようとしている人でした。まぁそりゃそうですね。
逆に、私をコントロールしようとしていない人からは、影響を受けるということはあっても、直感は阻害されなかった、というより、むしろ直感を引き出してくれる人がいたように思います。maicouさんがそうであるように、ですね。


そうそう。戻る!って感じなんです。作曲する友人、2名居たんですけど、彼らに出会ったとき、自分はなんで今まで寄り道してたんだろう?って確かに思いました。他人から見られるイメージ、それを意識するあまり、他人のイメージをコントロールしようとしてたのかもしれません。裸の自分が悟られるのが怖くて、必死に別なものになろうとしてたというか。それは、親や学校の人々に、僕が否定され続けてたからですよね。裸の自分が他者に認められて求められた経験がないから、自然に装って偽るように、演じるようになる。それがいつしか、自分のカラーになっていく。怖いです。
僕が今の音楽性を続けてるのは「自分が聴きたい音楽がこういうもの」だからです。ゆうかさんのお好きなものがマイナーだったので自分で作りたかった、というのと同じように、僕も自分の好きな音楽があまりなかったので、自分でしようと思った。僕の場合オリジナルですけど、音楽なんか、いまやどうしても何かに似てしまうし、デジャブみたいなメロディになってしまうので、広い意味では、JPOPも二次創作の一種なのかもしれないなあと思ったりしています。その辺は過去にもいろいろ考えたことでした。

自分に余裕があると他者も認めることが出来ますよね。心が広いっていうか。狭量なのは視野が狭いからだと僕も思います。北海道時代の僕はそうだったと思いますし、親も同じでした。そして今のこっちの恐竜の人々も同じです。そして、悲しいことに今の僕自身も、そういう風になってるでしょうね。悲しいです。今の僕は、自分が一番嫌いだったような人間に、北海道を出て捨ててきたはずの人格に、戻りそうになってるんです。それがものすごく嫌だし怖いです。
今ふと思いついたのですけど、広い川はゆったり流れてるじゃないですか。それが狭くなると一気に急流になる。地方の感覚ってそんな感じがするのです。巻き込まれて潰されて一人一人の小さな個性なんか、ないのと同じになっちゃうんですね。今後の自分を今は案じてます。次の行動を起こさないとまずいだろうなあと思ってます。

尾崎のことはそのとおりですよね。分かりやすい裸。でも社説のおやじみたいなヒトが、若者を読み取れないのは、ただ単純に感受性の劣化なだけだと思うんだよなあ。
こないだ独り言で書きましたけど、おっさんが増長してくるのは、まわりに下の人しか居なくなってきて、そういう様々なコミュニケーションに関する努力をだんだんしなくなり、その部分の感性が劣化したから、理解できなくなったものについて文句言うんじゃないか、って。たぶん、音楽について僕に絡んでくるヒトは、そんな感じなんだと思う。これも、人生の先が見えて余裕がなくなってきてる、ってことですもんね。その条件は誰でも一緒のはずなんだけど。

新曲は、そんな僕の作品の中では「分かりやすい裸」を演じてるものじゃないかな、って気がしますw

*宇野ゆうか
私は、「お姉ちゃん」で塗り固められた人生の中で、絵は私の自由になるものだったと思っていましたし、確かに自由だったのだとは思います。でも、まさか絵でも、本来の自分を取り戻す作業が必要になるとは、思っていませんでした。その時の自分の状態が、無意識に描くものに反映されるんですね。
アナログからデジタルで描くようになった時のことも思い出してます。アナログ時代は漫画形式で描いてましたから、白黒だったんですね。デジタルだと簡単にカラーイラストが描けますから、描いてみたんですけど、そこで自分が色塗りが下手だということに気付いたんです。だから、ネットで資料探して写真を見ながら描いたり、イラストレーターさんの絵を参考にしてみたりして、徐々に上達していったんです。
ただ、ここ数年は絵柄が固定されてるんですよね。良く言えば安定してるんですけど、まぁ成長が止まったってことですね。ここら辺でまた何かに気付いて、次のステージに上がる必要があったんでしょうね。
 
仲間内で「あんなのが好きなの?」って言われるというお話、よくよく思い返してみれば、学生時代はそういうことあったような気がします。どの芸能人がタイプとか。
それと、先生を好きになってしまったことを誰にも言えなかったのも、そういう部分があったと思います。誰かに言って、その人がうっかりバラしてしまうのを恐れたというのもありますけど、先生を好きになってしまった自分がどう思われるのか、変だと思われるんじゃないのかと恐れていた部分もありましたね。当時、私は友人の恋愛相談にのったりしていて、友人は私に恋愛の相談するのに、私は誰にも相談できない、とか思ってました。
当時は、「既婚のおっさん」を好きになってしまった自分を、なかなか認められなかったです。まぁ、高校生にとっては、先生は十分おっさんでした(笑)。それに、父の浮気のこともありましたしね。でも、「認めたくない」と思うこと自体、認めてしまっているも同然なんですよね。
ずっと自分の中だけに仕舞っていた気持ちでしたけど、ここでmaicouさんにお話したことで、少し楽になれました。まぁ、最後まで片思いで終わったから、キレイな思い出のままでいられる、というのもあるのでしょうけどね(笑)。
 
そちらの人たちが本音を言わない、空気嫁というお話で思い出したのが、少年犯罪のことなんですよね。そういう集団って、必ずどこか、一番弱いところににしわ寄せが行きますよね。もしかして、そういうことなのかな、と思いました。
 
以前、「女の勘」が鋭い理由について、歴史的に女の方が立場が弱かったからという説を聞いたことがありました。立場の強いほうは、相手のことを考える必要がないけど、立場の弱いほうは、相手の都合や考えを読み取り、観察する必要があるからだと。私は、自分と親との関係から考えて、この説は一理あるかもしれないと思いました。
私は、自分より立場が下の人と接する時に、その人の器が見えると思っているんです。誰だって、自分より上の人には、ある程度それなりに振る舞います。自分より下の人と接する時に、本性が現れるんですね。自分が親のことを見抜いていた経験から、自分のことを見抜く人間は、自分より下の立場の人だって思ってます。
 
そういえば、maicouさんの新曲は、「三ツ矢サイダー」とはまた違う感じがしましたね。


なるほど。
最近は目まぐるしく状況というか心境が変わり、どの段階でレスすればいいのかわからなくなりそうですw でも変化はお互いいいことですよね。

固定されているというのは、僕の作風も一緒でしたものね。成長が止まって、とも言えるし、安住して自ら止めたと言えないこともないです。安住の地を探して放浪してたから、一度落ち着くと、次に動き出すのに、多少エネルギーが要るのかもしれません。気持ちのほうは、止まっていてはいけない、と思っているのに踏み出せない。今日もさっきTT氏と話してきたのですけど、やはり、停滞してることについて自分で危機感持つので、無理クリ縁切ったりとか、そういうことで、自分を追い込んでいくのは、習性だろう、ということになりました。
上達の途中で停滞というのは必ず来ますね。その際に「自分は停滞している」と認めることが出来る、というのが「裸」化w の第一歩だったのかもしれない、と思います。それを他人に指摘されたら多分、否定したはずです。自分で気付かなければならなかった。自分で、というところが重要ですね。僕の場合、教えることも教わることも出来ませんし。
他人によく相談される、というのは自分に似てるので、読んで笑いました。そんで、いざこっちが相談しようとすると、周りの人みんな逃げちゃいましたよ。ひどいと思いました。ゆうかさんにとっての先生は、僕にとっては高校のときの、OBのおねえさんだったかもしれません。外に開いた世界は憧れて見えるんだろうな、って、今振り返って冷めて思ってます。

これは独り言でもよかったのだけど、せっかくの旬な話なので、ここで書きます。さっきTT氏のところで話していると、彼の知り合いというヒトがやってきまして、その人は40代と言っていましたが、その人含めて3名で、僕の新曲を聴いたのです。そうしたら聴き終ってから「まさに、僕らの世代が元気付けられる曲だ。すばらしい」って言ったのですよ。僕はもっと若いヒトに反応があると思ってたのでびっくりしまして、まあその人も、自由業なので一般的な40代とはちょっと違う気もしますが、意外でした。それで思ったのは、実のところ、おっさん世代も内心は、おっさん的価値観や説教を嫌だと思ってるんじゃないか、でも誰も言い出す人が居ないから、それこそ空気読んで黙ってるんじゃないか、って思ったんです。成人の日の社説とかも、誰かに媚びた結果としてあんなこと書いてる、と。誰かも確か指摘してましたけど、全体がそんな感じなんじゃないか、って。個人個人ではちゃんとそういうこと思ってるくせに、口に出したり行動起こしたりしない、というのは、なんだかもっと深刻なような気がして、僕のこの新曲は、そういう層にアピールしたら、実は面白いのかもしれない、とか思いましたね。これから、どういう反応があるのか楽しみです。そうそう、今回はサイダーではないですよね。そういう意味でも、新たな一歩かと思います。

マイノリティの勘の話。
そうそう!マイノリティは思考する、というのはそういう流れですよね。忘れないうちにメモしておきます。山田あかねというヒトと、似た話をツイッターでしました。彼女、その発言で叩かれてましたけどね、僕は正しいと思ってたので。 僕が自分がマイノリティと思った、っていうことも考え続けてるところです。ぶつかる壁が多いほど、それを打破するために考えますからね。例の、僕の女性好きの話、その辺に繋がってくる気がします。その辺掘り進んでいくのは楽しみです。

*宇野ゆうか
自分を追い込むために縁を切ったというのは、今回の私がそうでした。カウンセリングをやめたのも、自分を追い込むのが目的でしたし、二次創作関係の交流を絶ったのもそうですね。
たぶんこれらは、「ひきこもり時代のもの」だったのだと思います。ひきこもり時代には私の支えになって必要なものだったのですが、もう必要ありませんよ、ということなんでしょうね。だから、今回の脱皮が、精神的な意味での「ひきこもり期」の終わりなのかもしれません。
 
私の場合、「停滞」を指摘する人が周囲にいない状況なのですが、もしいたとしても、やっぱり認められないんでしょうね(笑)。
色塗りが上達しても、結局絵で一番大事な工程は、下書きから線画までなんですよね。アナログ時代に、漫画や切り絵で「線」が上達して、デジタル時代に「色」が上達して、また「線」に戻っていくんだと思います。
 
そういえば私、自分が相談する相手は、自分より大人の人たちでしたよ。自分に相談してくる同級生とかには、相談しようとすらしなかったです。たぶん、無意識に自分の相談内容を受け止められる相手を選んでるんだと思います。そしてそれは、私に相談して来る人も同じかもしれませんね。
学生時代は、仲間内で「こういうもの・人を好きになるべき」という基準みたいなものがあって、それに振り回されてしまいがちなんでしょうね。特に恋愛とか性とかに関してはそうかもしれません。それもまた、狭い世界で生きているからですね。
 
40代の人がそう言うの、最初は「面白いな」と思ったのですが、だんだん「そうかもしれない」という気がしてきました。私の世代って、最初から明るい未来を信じてなかった世代ですから。むしろ、40代ぐらいの人たちのほうが、明るい未来を信じて、「こんなはずじゃなかった」という気分になった世代かもしれませんね。
それに、若者のほうが、そういう空気とかのしがらみに囚われにくい分、言いたいことが言える立場なのかもしれません。独身で守る家族がないというのは、ある種の強みなんでしょうね。守る家族がいると、なかなか空気を破るようなことはできないでしょうし。
商売相手が若者ではなく「日本のマジョリティ」の人の場合は、「日本のマジョリティ」に対して良いことを言わないといけないから、そこで空気ができてしまうんでしょうね。
もう今までのやり方は通用しないと思っていても、自分と家族を守るために、沈みゆく船から降りられない人が、40代には多いのかもしれないと思いました。それに、40代の人たちは、もしかしたら今の若者よりも、自分の生き方ができなかった世代なのかもしれませんし。
 
勘っていうのは、その人が普段からアンテナ張っていて経験を積んでいる分野で、鋭くなるんだと思います。男性でも、仕事のこととなると勘が働く人は多いですし。人間関係においては、歴史的に女性の方が、アンテナ張って経験積まないといけないような立場だった、ということなんだと思います。


【編集後記】
いまクラシックギターのライブを編集しながら、いろんなこと思い出していた。前にここで書いたけど、吹奏楽をやってると、高校生くらいになると必ず「自称ジャズ通」というヒトが現れて、嫌みな指南をしていく、という逸話があったけど、なんでそれが嫌なのかって言うと、そもそも「吹奏楽」とジャズは関係ないと思うからなのよね。使う楽器は一緒でも、吹奏楽ってクラシックを基本にイギリス系のブラスから発展したものだと思ってるから、そこから派生したデキシーランド系〜の流れは、吹奏楽とは違う亜流だと思ってる。そこは混ぜちゃいけないのよね。そっちするならそっち、こっちならこっち、って明確に線引きがある。なのに、そこを無理強いして、ジャズはこういうもの、とか言って持ち込むヒトって、僕の中では、おっさん的価値観を無理強いして来る人、みたいに同一視して見えたんだと思う。空気読め、とか、オトナの社会はこう、とか、そういう価値観を無理クリ持ち込むヒト。吹奏楽なのに「ジャズはこう!」みたいに無理強いしてくる。それが出来ないと「リズムに乗れないダサイ奴」みたいな空気。それがすごく嫌だったんだろうなって思った。

僕は幼少の頃からロックも聴いてて、別にそういうノリを吹奏楽に持ち込む気は全くなかった。むしろ邪魔。吹奏楽は吹奏楽で別物だから、それをきっちりする、ということ以外考えなかった。なんで、妙なジャズ乗りをしなきゃ行けないのか、理解できなかった。そんなトラウマを今も引きずってるんだろうなって思う。
僕の中では不思議に、橋下みたいなヒトと、無理にジャズを持ち込もうとするようなタイプが同一のように繋がって見える。どっちのヒトも、自分のしたいように世界を変えようとするヒト。それとジャズ愛好家。それが同じように見える。そういうことなんだろうと思ったな。


また例の日が近づくってんで、地元のチャリティライブなどの告知がやかましいのだけど、その出演者の女子歌手のメンバー見て気付いたことがある。
言い方が適切かどうか分からないけど、奴らの集めた歌手系女子って、どこかみんな「お水(昔の銀座系)」っぽい感じがする子ばかりなんだよなって。もっと言うと、歌手をサービス業と勘違いしてる感じって言うか。確かに歌は上手いのだけど、その辺のお店に行けば似たレベルの子はいくらでも居そうだし、っていう。
「芸能系歌手」の悪いところだけ真似しましたって感じのヒトが田舎には多いんだろうって思った。まあ、いまの時代、おっちゃんから金集めないとならないから、それでいいのかもしれないけど、僕はちょっと違うかな。

そんで思い出したのだけど、そういえば昔、世界的笛奏者の大御所先生と学校ツアー周ったときがあってね、その打ち上げで「歌のお姉さん」担当のヴォーカルの子がビールお酌して周ろうとしたら、その先生が「そういうことをしてはいけない!」ってマジメに注意したんだ。海外活動多かったヒトだし、その辺しっかりしてたんだよね。別にその先生だけでなく、周りの同僚も総じてそういう考えだったし、そう考えると、僕の活動は東京では、そういう恵まれた環境でやれてたんだな、と。いま思い返すと幸せだったな、と思う。
だから勘違いしちゃったんだけどね、世の中も同じようにきっと進んでるんだ、って思っちゃったので。実際は、世の中のジェンダー感とか、ホントは全然変わってなかったんだ、って知ったのは最近のことですよ。kobeni_08 さんとかの日記で提示されたのはそういうことだったんだよね。
その辺の考えをまとめたのが「輝くはずだった未来」という話だった。僕らは異次元で生きてた。他所の世界を知らなければ多分幸せだったが、そのままだったら、今の出会いはないんだよなって思うと、現実を知ったことが、僕の新しい一歩の始まりだったんだろうな、って思う。

まあでも何の疑いもなく自分の時代の価値観のまま老いさらばえていく人生というのも幸せなのかもしれない。だって勝ち抜き世代だモノ。

僕が前からこの連中のことをことさら気にするのは、僕も世代的には、そっちにじゅうぶん含まれてて、実際誘われたりしてたからだよね。ちゃんと棲み分けできるなら、そっちはそっちで、どうぞご勝手に、って言える。でも存在感でかいので、どこからでも見える富士山みたいに居られちゃ目障りだ、ってのがあるね。

僕がこっちで好きだと思う業界のヒトは、全員「一匹狼」的存在になっている。そうならないと、耐えられないんだと思う。僕もそういう風に超然としていられたらいいんだけど、そこはまだまだ難しい。仕事関係が整理されて安定してこないと、ひとり立ちはできないのよね。今後の課題はそこでしょうね。

これからは、ひとりひとりの新しい道を。


farewell.


日本復興コンピレーション・アルバム『Play for Japan 2012』

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2011年11月20日

往復書簡 その2

その1の続きです。
充実のやり取りが続いていますので、こちらでまとめて行こうと思います。その1でも書きましたが、ここで読める内容は「決定」ではありません。あくまでリアルタイムドキュメントであり、「思考の現在進行」なのです。どんどん変化もあるし、前言撤回もあるでしょうし、それら含めて公開していく、というのが趣旨です。つまり「思考のセッション」でもあるのですね。そういう楽しみ方をしていただければ幸いです。

なお、お話し相手である yuhka-unoさんの日記はこちらです。併せて読んでいただくと、また多面的に捉えられるのではないでしょうか。と思います。


*yuhka-uno
>またお互いに何かあったら気軽に話せれば。と思いました。
 
もちろん!この一連のやりとりが終わりなのであって、maicouさんとの関係が終わるわけではありませんし。むしろ、そっちは始まりかもしれません。そして、「そろそろ」終わりなので、まだもうちょっとだけ、続くと思います(笑)。maicouさんのことについては、私が言うことはもうあまり無いんじゃないかなぁと思いましたが、私がこのやりとりの中で感じたことについては、まだお話ししたいことがありますので。
 
私はエロは好きだけどセクハラは嫌いで、それは以前からここでもブログでも言ってますけど、そこから色々考えて、「○○が好き」っていうのは、「○○なら何でも好き」ってわけじゃないよな、って思ったんですよね。むしろ、「○○が好き」っていうのは、「私は○○に関してものすごくこだわりがあって、好き嫌いも激しいです」という表明だったりしますし。
服が好きな人は、服なら何でも好きなわけじゃない。絵が好きな人は、絵なら何でも好きなわけじゃない。音楽が好きな人は、音楽なら何でも好きなわけじゃない。むしろ、ものすごくこだわりがあって、好き嫌いも激しい。逆に、何でも良いと思うのは、興味がないってことなんですね。
だから、私がエロについて何でもかんでも受け入れられないのは、むしろ当たり前だ。だって、それが「好き」っていうことなんだから。という結論に至ったんです。
 
で、私は今までの人生の中で、こんなに音楽家さんとがっつりお話したことがなかったわけですが、maicouさんとのやりとりの中で、「ああ、やっぱりそうなんだなぁ」と思いました(笑)。
maicouさんが、ゆずとか猿岩石とかの「フォーキー」が好きじゃない、と仰った時、私が思ったことは、「まぁ、私はああいうのも嫌いじゃないな。かといって、特に好きでもないけど」でした。それは私が寛容ということじゃなくて、要するにmaicouさんほど音楽に興味がないってことです。「好きの反対は無関心」とは、よく言ったものだなぁと思いました。
ある意味、私みたいな人間のほうが、音楽についての許容範囲が広いのかもしれません(笑)。逆に、音楽が本気で好きな人同士のほうが、お互い距離を取らないといけない場面が多かったりするんでしょうね。
 
それから、maicouさんが「嫌い」と仰ったものの中には、私が好きなものもありました。でも、それでmaicouさんに噛み付こうとか(笑)、そんなことは思わなかったし、かといって、じゃあそれを好きでいるのをやめるかというと、そんなことも思いません。
私の中で湧き上がってきた気持ちは、「maicouさんは、なんでそう思うんだろう」というものでした。別にそれで、maicouさんに対する感情が変わるわけでもなかったし、私が好きなものに対する感情が変わるわけでもなかったんですね。
それで思ったことは、「ああ、私が好き嫌いをはっきり言われたときに湧き上がってくる感情って、この程度のことなのね。じゃあ、私が自分の好き嫌いについてはっきり言うのも、この程度のことだよね。だったら私だって、もっと好きとか嫌いとか言っても良いんだ」でした。そういう意味でも、このやりとりの中で、自分の殻が剥がれていったような気がしました。
 
私、「ババアの墓掘り音楽」も「カバーばっかりしてる音楽家」も、結構好きですw


なるほどw

そうね。僕もエロ大好きだけど下ネタが嫌いなんですよ。茶化すことじゃないと思うし、なんか下品なので。まじめなエロ話ならいくらでもします。

音楽の場合は…。誤解されるとあれなので、音楽家でも人それぞれと思いますけど、あんまり今回の僕のようにはっきり好み言う人はいない気がします。商売上弊害があるしね。趣味的に音楽については、今は出来るだけ他人と話さないようにしていますね。おっしゃるとおり、拘りあるぶん、たぶん人とは相容れない部分とかあってめんどくさくなるからですね。
「フォーキー」についてはちょっと思うことあって、つまり「フォーク」って団塊世代の音楽なんですよ。当事そういうのを回顧する風潮があって(3丁目がどうのとかいう)、それが嫌だったんですね。それを知らない世代は、普通に「音楽」として受け取っただけだろうけど、当時の空気も知ってた僕は「旧価値観の象徴」みたいに思えて、なんだか嫌でした。そして、それに乗らされるのも。だから、実はゆずや猿岩石の音楽そのものが嫌いだったわけではないんですね。あくまで仕事として、それに乗るのは遠慮させてくれ、って話だったと思います。
ねえ…。いろいろめんどくさいですねw 自分のコト振り返っても、音楽は趣味だった時代が一番楽しかったです。

好き嫌いについては、これは僕の特徴かもだけど、「言う相手によって」明確に反応が変わります。調子いい、と言われたらそれまでですけど、yuhka-unoさんがそう言うのだったら、それは素直に「いいよね」って思えます。たぶんそれは、ただ単純に純粋に「好きです」って言ってるからだと思います。政治的意図がないっていうかw 多分ほとんどの人はそうですよね。とてもいいことだと思います。

最近うたれんしてて、自分の曲歌うのって苦しいのね。だから、感情を消してロボット的に演じて歌ってるので、自分の曲なのに、内容について最近はあんまり鑑みることがないのだけど、今日さっき、どういう内容なのだろう、とか改めて噛み締めつつ歌ったら、ちょっと重いので、ああやっぱり歌に気持ち込めてるよねえ、って思ったな。創作って苦しいものだから、それを歌うときくらいは開放されたいって思うからね。歌っていうのは他人に聴かれて初めて成就するもので、生んだ段階では何物でもない、ただの自分の心情吐露の日記に過ぎない感じがするのよね。
うん。やっぱり歌うことですべては救われてる。それはすごく思った。さっき。

*yuhka-uno
私、下ネタも結構好きですw でもやっぱり、下ネタなら何でも好きかというと、それは絶対に違いますね。まずセクハラと下ネタは別物ですし、排泄物系と艶笑とは違いますし、やっぱりあんまり下品で安易な下ネタは嫌ですし。「上品な下ネタ」が理想です。うわーめんどくさいw
 
二人で横丁の風呂屋に行ったり、髪が肩まで伸びたら結婚しようとかが、団塊世代の「フォーク」という認識で、だいたいあってますか?
そういえば、私にとっては、檀れいの金麦妻のCMが「旧価値観の象徴」みたいで嫌でしたね。あれ三丁目より嫌ですw
 
政治的意図w まぁ私の場合は、音楽の好みを語ったところで、特に損得があるわけでも、商売上弊害がある立場でもないですしね。
 
そうそう、フレッド・アステア好きですね。子供の頃、家の近所にTSUTAYAができた時、父が私に勧めたのが「雨に唱えば」だったんですよ。どっぷりハマってしまって、レンタル期間中何度も繰り返し見ました。それ以来、「紳士は金髪がお好き」とか「マイ・フェア・レディ」とか「踊らん哉」とか、そういう映画を借りて見ましたね。たぶん、私の音楽の好みは、こういう路線なんだと思います。
 
maicouさんのことは、最初は「親からの抑圧を受けて育った人らしい」「何か私に似たものを感じて下さっているらしい」というところから入ったんですよね。音楽家さんだと認識したのはその後からでした。
正直、このやりとりを始めた時は、ニコニコ動画の「高田馬場」しか聴いていなかったんです。私とmaicouさんの共通項は「音楽」じゃなくて「人生」だと思ってましたから。でも、話を進めていくうちに、「ああ、この人にとっては『音楽』が『人生』そのものなんだ。これは聴かないで話を進めるわけにはいかないな」と思って、少しだけYoutubeとかで聴かせて頂きました。なんか、三ツ矢サイダーみたいに爽やかでびっくりしましたw


そうですね。下ネタって言ってもいろいろあるな。気持ちが通じてる相手なら、どんなことでも許せんるんじゃないか、って気がしてきたw 元々僕はそういう人でした。すごい厚くて高い壁が他者のと間にあり、それを超えて仲良くなれた人とは、どんなことでもOKみたいなことは多いです。僕は一人っ子ですしw

そうそう。フォーク。合ってます。金麦ねー。あれもそうですね。
僕そもそも、ジャンルとかにそれほど偏見あるほうじゃないんです。好きなら何でもします。ただ、政治的意図()、つまり流行ってるからこれしようとか、墓堀音楽で老人騙そうとか、そういう意図があることが嫌いなんですね。これは、子供のころ親から押し付けらてたら嫌いになった、とか、そういう感覚と似てます。他人(自分が認めてない)から何か言われてするのが嫌だったんです。

僕、見た目も爽やかなのでwww
いろんな人が寄ってきます。それが迷惑なので、身体中にハリネズミみたいに棘を生やして、オレにかかわるなーオーラを常に出すんです。その一環として「ジャズはクソ」とか「カバーは認めない」とか言うんです、多分。でも本心では、心許した相手には「いいよねー」って意外に簡単に言っちゃいますね。昔ある人に「お前は調子がいい」と言われたことがあります。僕のことを嫌いな人は、そういう風に見えるだろうな、って思いました。

それも含めて、音楽が先にあると話すのも難しいかと思ったし、それ抜きの関係っていうのも貴重かと思いました。ただ、自分が「生んだ」音楽だから、自分の一部であることには変わりなく、理解するヒントにはなるかもです。爽やか路線は、あれこそ僕の「多摩川系」そのものだから、ルーツですよね。

昔はもっとハードで重くて暗い歌も多かったんです。最近、僕が関係する若い子に、昔のヘビーな曲すごくいいじゃないっすか、とか言われるので、また復活するようになりました。マザーっぽい、親のコト歌った曲もありますよ。

映画の趣味いいですね。

とか。素直に「いいですね」と言える自分も、いいですね。笑。

*yuhka-uno
>つまり流行ってるからこれしようとか、墓堀音楽で老人騙そうとか
 
ジャンルそれ自体が嫌なんじゃなくて、そういう意図で行動するのが嫌なんですね。そういえばチャリティーに関してもそうでしたよね。
 
Youtubeで聴きましたから、maicouさんの「見た目」も見ましたよw
動画見ながら、リアルでmaicouさんと接する人は、「爽やか系音楽家・唐川真さん」から入るのかと思うと、逆から入った私が、なんか不思議な感じがしました。ネットって内面から入るんですね。それが良い場合も悪い場合もありますけど、私とmaicouさんの場合は良かったのでしょう。
まぁ、聴いた後の今だって、ほとんど「音楽抜き」の関係みたいなもんだと思いますけどねw やっぱり今でも、「音楽家・唐川真さん」よりも、「私と似た部分があるmaicouさん」という認識のほうが大きいですし。
ただ、「それぞれの夏休み」は、私の中で、maicouさんがお亡くなりになった時に聴く曲の候補第一位に設定されましたw
 
下ネタに関しては、例えば、私が好きなマックス・ラーベという歌手は、本番ではいつも髪を撫で付けて燕尾服かタキシード着て、スマートかつエレガントな雰囲気を醸し出してるんですが、日本公演の時、楽曲紹介で「ドイツでは、白アスパラガスは春の象徴です。象徴するのは春だけじゃないけど…」と言いました。こういう下ネタはわりと好きですw


なるほど。
いろいろ考えまして、アカウントの話題で昨日書いたとおり、結局そういうことなんですね。

「夏休み」が録音し終わって完成した直後の気持ちは今も凄く覚えています。なぜかわからないのだけど、涙が止まらずに延々半日泣いてたんです。そのとき思ってたのは「こういうことか。こういうことだったのか」というのと、あともう一個は「こんなの創ってしまってどうしよう…」でした。完成したあの曲を聴いて、これは自分にとってものすごく大きな存在になるってわかっていました。で、そのときの僕には、あの曲の存在感にふさわしい人間としての存在感、というか価値はないと思ってたんです。つまり分不相応の曲を書いてしまった、どうしよう、って感じだったんです。

とはいっても、自分の作品として書いてしまったから、それは宿命として逃れられないんですね。だから、あの曲をしっかり歌えるような、それにふさわしい「表現者」になること、それがその後の僕に課せられたコトだったと言えます。大変でしたけど。
やっぱり歌というのは、それを歌っていい人間かどうかってのは、僕はあると思うんですよ(プロ的に)。当時の僕は、自分の人間性や存在感よりも、作品レベルのほうが傑出してしまったので、その対処にすごく苦労したっていう事だったと思います。それが、当時より小さくはなったけど、今も続いてるって事じゃないかな。

誤解はしてほしくないんですけど、僕の「爽やかそうな」歌詞にしろ曲にしろ、ちゃんと聴くと、ふんだんに毒が入ってるのですけど(だから自分も歌えるのです)、それは普通のヒトは気づかないんです。おまけに、表面上のサウンドやメロディが親しみやすいもんだから、けっこうヒトの耳を惹きやすい。それで、実際の人間がこんなですからw それで引かれてしまう、という感じなんじゃないかな。

爽やかな「曲」の歌詞に、毒や主張を込める、というやりかたはポールウェラーというヒトに学びました。そういうブリティッシュな捻くれ具合がいいな、と。

だから、そういう意味では、自らそういう反応を引き出すように、こっちが仕向けてるとも言えるのですよね。けっこう意地悪いw

まあというわけで、こっちの僕を先に知っての「夏休み」は、知らないヒトとは別な感じで響くのではないでしょうか。

なんだか自分語りになってしまいました。

下ネタ。うんうん。そういうのいいですね。上品と言うかウィットのある感じが好きです。でも時に壊れてとてつもなく下品なコト言いたくなります。仲間内(僕がわざと言ってると気づいてくれるような仲の)では、そういうこと言ったりします。
飲んで酔った時でも、酔っ払いおやじの「真似」したりします。そういう真似して気づくのは「楽だ」ってことでした。酒飲んで下品になったりダラーってなるのは、ずいぶん楽です。だからみんなそうなるんだね。これは真似してみて気づいたことでした。
前に、お酒とエロは大人の嗜み、とおっしゃってましたけど、そういう意味では、みんな子供になってるんでしょうね。「赤ちゃんがえり」だ。

*yuhka-uno
「そろそろ終わり」とか言いつつ、まだ書くこといっぱいあるw
 
そもそも、maicouさんを「音楽家」だと認識しても、maicouさんの音楽を聴かなかったのは、正直「音楽」の部分にはあまり興味なかったからなんですよね。「たぶん、この人の音楽は、私にとって興味ある路線じゃないんだろうな」と思っていました。すみません、私、「墓掘り音楽」が好きな人ですからw
そして、それは実際に聴いてみてもそうでしたし、一方で、ああいう人生を生きて、ああいうことを考えている人が創った、こういう音楽なんだ、とも思いました。
私は、政治的意図(笑)から「墓掘り音楽」をやるmaicouさんより、自分に正直に生きようとして、自分の音楽に人生かけてるmaicouさんのほうが、絶対好きなんですよね。たとえ私に、maicouさんの音楽の良さや意図がわからなかったとしても、です。
 
「辛口で暗くて本音バリバリの濃い」maicouさんは、苦手だ嫌いだという人もいる一方で、そこが魅力的だと感じる人も沢山いるのだろうな、と思います。
そして、それは私にも言えることなんでしょうね。私は「良いお姉ちゃん」をやめて、元来のマイペースな私を取り戻して行こうと思いました。「良い人」じゃなくて良い。「魅力的な人」であればそれで良いんだと。幼稚園の頃、別室で一人で絵を描いていたマイペースな私は、苦手だ嫌いだという人もいるでしょう。でも一方で、見方によってはなかなか面白い子だと思います。
もしmaicouさんが、万人受けしない、マイペースな私のほうが良いと感じて下さるのなら、それはmaicouさんにとってもそうなんだと思います。
 
maicouさんの音楽を聴いて、大きく分けて三ツ矢サイダーがポカリかで迷ったのですが、「なんか炭酸強そう」と思いました(笑)。同じ爽やか系飲料水でも、ポカリみたいに、抵抗なく飲めて、すんなり体に浸透していくような、そんな感じじゃないような気がしたので。それで「三ツ矢サイダーみたいに爽やか」と言いました。なんでそう思ったのか、自分でもよくわからなかったのですが、maicouさんの説明を聞いて、わかったようなわからないような気がしました(笑)。
 
私は、兄弟で下ネタを言い合って育ったようなものですねw
私、下戸なんですよ。だから、お酒飲んでセクハラしたりする人のことを「酒の席だから」「しょうがないから」と思えないんです。こっちはずっと素面なんですから。
「大人の嗜み」は理性が伴うものだと思います。もちろん、ちゃんと嗜めるようになるまでには失敗もありますし、失敗はある程度お互い様なんですけど、一方的に赤ちゃんプレイに付き合わされるのは勘弁ですね。
 
自分語りして下さいw
そもそも私が話しかけて始めたことですし。


なるほどー。爽やかと言っても癖があるから三ツ矢サイダーというのは、それはいい言い方ですね。今後使うことにしようw 言われる感想の中で、まだ「爽やか」ならいいですけど、イコール「安易で産業的」と言われることも多いから、そうじゃねえよ、という感じでいいです。似非ロックばかりの中では、僕みたいなものこそロックだ、みたいに自負してるところもあるんです。僕は反逆の人なので。笑。

僕は勝手に思ってるのですけど、レノンは「墓堀音楽」ってバカにしたけど、実は好きだったんじゃないか、って気がします。それは僕も同じです。好きですから。
ただ、自分がするものじゃないし、レノンにしてみりゃ、同じバンドの相棒に、そんなのされた日には、おいおいバンドのアイデンティティは違うだろ?と突っ込みたくなると思います。ノスタルジーの中にある音楽や思い出は、他人に触れられたくないって思いますし、なんだか心の中に無理クリ入り込まれたみたいで、なんか嫌なんですよね。その嫌悪感の表明として(つまり僕にとっての全身の棘のような)「墓堀音楽(ケッ)」みたいに精一杯揶揄してみせてるんじゃないか、てそう思いました。
そういえば僕は、自分に似てる音楽をする人が嫌いなんです。よく他人に「これ貴方に似てるから好きだと思うよ」などとアーティストを薦められますが、それ、ものすごく嫌ですw

僕は音楽と同じくらい、「文章」というものに惹かれるんですけど、それもやっぱり「形や形式」として整っているものより、感情ぶちまけ型のほうが好きなんですね。あと、これ理由がよくわからないのですけど、本心で書いてる人と、なにか形式に囚われて書いてる人は不思議に見分けが付きます。見分けがつく、と僕が勝手に思い込んでるだけかもなんですが。

ご存知かわからないですけど、むかしはてな界隈にはしごたんという人が居たんです。僕は彼女の書く直情的文章が好きでした。ありむくんも同じような感覚を受けます。そしてyuhka-unoさんも、僕の中では一緒なんです。

文章の場合「墓掘り音楽」に当たるものはなんなのか、よくわからないですけど(天声人語風とかよく言ってましたが)、そうではない文章のほうが、僕の心の中に直結してきて直接感情に響くんです。まるでそれは、音楽のように見えるんです。文章なのに。なので、僕も整ってるようなものより、ちゃんと気持ちのまま書かれたものが好きなんですよね。
教わったりノウハウで当てはめたものは、それなりのレベルにはなるでしょうけど、心に響く表現物にはならない気がするんです。多少いびつでも、本心からのもの、それが人の心を動かす気がしました。僕が最初からyuhka-unoさんの書くものに惹かれたのも理由はちゃんとあるんだなって、思っています。

*yuhka-uno
微炭酸か強炭酸かでも迷ったんですけど、「微」じゃなくて「強」のような気がしました。爽やか系強炭酸飲料だと。本当に、なんでそう思ったのか、自分でもわからないんですけどね。
 
はしごたん、なんとなく覚えてるんですけど、あの頃はまだはてな界隈に浸かっていない時期だったので、かなり記憶が朧気ですね。でも確かに、私以上に直情的だったという記憶があります。
 
私、結構整ってる文章好きですね。「春琴抄」とか(笑)。歌でも、「夜来香(佐伯孝夫)」とか「胸の振子(サトウハチロー)」とか好きです。
オペラ座の怪人の「Music of the Night」も好きですね。韻を踏んでいるところとか、色々な意味を含ませているところとか。
 
でも、そういう整った文章って、よっぽど文章能力がないと書けませんからね。難しい言葉を使えば良いというものではなくて、難しい言葉ほど、その言葉をよく理解して扱えるほどの文章能力が必要とされますから。そこまで文章能力がない人が真似したって、できるもんじゃないので、文章能力そこそこの人は、難しい言葉を無理に使おうとせず、自分にとってわかる・扱える言葉だけを使って、素直に書いたほうが良いと思うのです。
なので、そこそこの文章能力の私は、あんな感じの文章になりました(笑)。
 
整っているとかいないとか以前に、書きたいことがあるかないかというのは大きいな、と思いました。だとしたら、私が読書感想文や志望動機を書くのが苦手な理由がわかります。書きたいことがないからです(笑)。
 
「墓掘り文章」についても考えてみたんですけど、「いざ行かん若人よ」とか「日毎夜毎、我に語りかける君の声よ」みたいなのがそうかな、と思ったのですが、これは「墓掘り文章」というより「墓掘り詩」ですね。
 
>そういえば僕は、自分に似てる音楽をする人が嫌いなんです。
これも、「他人に触れられたくない」からですか?

あれから色々と考えているのですが、もしかして、簡単に「ジャズ好き」「ジャズいいよね」と言ってしまうと、「じゃあジャズやってよ」ということになりかねないので、「うちはジャズ屋じゃありませんから!求められてもしませんから、ジャズは他所でお買い求め下さい」みたいなところがあったりするのでしょうか。


ありがとございます。いろいろ思い出してたんですけど、僕は自分が認められてなかった時代、自分の「声」を褒められた事がなかったのです。耳障りだとか高い声が単に出るだけとか酷い事言われまくってて、まあ傷つきましたw
そんなことがあったので、僕が曲を書く人に転向して大手の事務所からスカウトされたときも、アーティストじゃなく作家さんになるものだと思って、すっかりそのつもりで事務所に行ったのですよ。そうしたら、ディレクターのヒトやスタッフのヒトが「良い曲だし声も良いしね(!)、自分で歌うべきですよ」と言われて腰を抜かすほどびっくりしたのですよ。僕の場合は、ですので、多分大変珍しいケースだと思うのですが、アマチュア時代は周りの誰も良いと認めてくれなくて、僕を認めてくれたのは全員プロのヒトだったんです。だから、僕の歌うヒトとしてのキャリアはアマチュア時代が全くないわけですね。
それで、その認められる前まで、僕の声が嫌だとみんなが言ってたその理由は、今回yuhka-unoさんが言われた「強炭酸」に通じてるんじゃないかって思ったのですよ。多分僕は、声に癖があって、その癖のある声に合った楽曲を自分で書けなかっただけなんだと、そのとき思いました。
プロの人々に絶賛されたのは「夏休み」でした。癖が強くて特徴的な部分をメロディで逆に活かして創ったわけですよね。だからみんな、すごいいい、と言ったのだと思いました。おもしろいなあ。

ジャズの件はそう思います。東京時代はそんな事なかったんですけど、こっちのヒトは「音楽」だというだけで全部一緒くたにするんです。それに、プロで活動してる音楽家が、僕以外ではジャズかクラシックしかいません。そんななかで孤軍奮闘して、お前もジャズやれとか言われたら、それは死に近いです。これでも生きるのに必死なんですw

>これも、「他人に触れられたくない」からですか?

ああなるほど。そうかもしれないですね。音楽って個人的なものだと僕は思ってるので。無闇に他人と「想い」を共有したくない、っていう排他的な感覚は常にありますね。
あとは、自分に似てるヒトを聴いても刺激にも参考にもならないんです。なので普段は僕は自分がするのとは全然違うもの聴いてるし、それよりも映画とか本とかもいいし、音楽は仕事だけでじゅうぶん、って感じですね。たぶん、そういう理由で僕は同業者と付き合わないんだと思うのです。同じ事考えてるヒトと付き合っても広がらないし。

>自分にとってわかる・扱える言葉だけを使って、素直に書いたほうが良いと思うのです。

そうなんです。そのほうが心が強く動かされます。音楽も似た感じですよね。時に整ってないような表現のほうが心を打つ場合があるので、自分でもそのバランス、つまり「完成させすぎない」ということは常に意識してます。

いろいろ掘るとどんどん出てきますね。墓堀りじゃなくて、自分の心を掘ってる気がします。楽しいので大丈夫ですw

*yuhka-uno
「高田馬場」以外でmaicouさんの音楽を初めて聴いたのが、たぶん「きみのイマジナリー・ラバー」だったと思うんですけど、そういえば、第一印象で「なんか、特徴的な声の人だなぁ」と思いました。確かに、あの声じゃなかったら、「強炭酸」とは思わなかったかもしれません。
「それぞれの夏休み」が完成したとき「こういうことだったのか」と思われたのは、声のことも含めてですか?
 
maicouさんの場合と違うかもしれませんが、今の私もまさに刺激を受けている状態です。以前、ブログで自分の母のことを書いた時、叩かれもしましたが、一方で「文章が上手い」とも言われて、それは素直に嬉しかったです。maicouさんが私の文章に惹かれたと言って下さったのも。
でも、コメント欄で褒められすぎてしまって(笑)。有難いんですけど、なんか嬉しくないんです。全然刺激にも参考にもならないし、なんか分不相応な褒められ方してしまっている気がして。例えばこうしてmaicouさんとやりとりしているほうが、ずっと充実感あります。
 
私は、難しい言葉を無理して使うと、かえって自分の文章能力のなさが浮き彫りになってしまうと思うんです。難しい言葉は、高級画材や高級食材のようなもので、それを使えば良い絵や料理ができるかというと、決してそういうわけではないですし、かえって腕のなさがバレますからね(笑)。
 
思うんですけど、一口に音楽といっても、作詞能力と作曲能力って、また別物ですよね? あと、聴く能力と演奏する能力も。たぶん、演奏する時には聴く能力って必要だと思うんですけど、聴けたからといって演奏できるわけでもないですし。


なるほど。
「そうだったのか」というのはいろんな意味でした。思い通りすればよかったんだ、ということですね。元々やりたいことをやりたいようにやればそれでよかったんだ、みたいな。あと、あの曲では初めて女のヒトにコーラスを歌ってもらって、それが僕の音楽歴でも凄い重要だったんです。僕は他人が好きではありませんでしたので、自分の音楽にも他人を参加させるということは、それまでほぼ皆無と言ってよかったんです。それが、あの曲でその子に参加してもらって、それで曲の完成度が劇的によくなって、また、そのコがちゃんとやってくれたお陰で、僕も「これはちゃんと仕上げたい」という強い気持ちが生まれ、結果的にあそこまで昇華されたんだと思うんですね。そのもろもろの過程が全部「ああ、わかったよ!」って感じだったんですよね。それあでは、他人の血が混ざるって、不純物になるという感覚だったので、これは今までにない経験でしたね。ホントに。
僕はその歌ってくれた彼女に「この曲は二人の卒業式だから」って言いました。卒業制作。それまでは、そんな儀式とか全然興味なかったのだけど、気持ちが通じ合う相手となら、それを共感できるんだ!って気づいたんですね。僕に足りなかったのは、相手に対して開いた心、共感だったんだと。
そんなもろもろがあって、今の製作のノウハウ的なものの最初はあの曲で全て掴んだんですよ。凄い経験だったと思います。

ただ、前回も書いたように、僕もあの曲は当時の自分にとって分不相応だと思っていました。それに重くもあった。1曲しかできないんじゃマグレだし、ただのビギナーズラックで、それは仕事にならないです。ホントに大変だったのはそれからです。免許取っただけじゃ何かのプロになれるわけじゃない、ということを心の底から痛感しましたね。

文章の上手い下手で思いましたけど、僕がこっちのヒトの同業に心動かされないのは、辺に小さくまとまってるから、という気もしました。田舎で閉鎖されてると、大きな未完成品よりは、小さな完成品を求める傾向があるんですよね。「地方レベル」っていうのはそういうことなんじゃないかなあ。そこだけで成り立ってるもの。特化されてるもの。僕はそういうのが嫌なんだと思う。
文章ということで言えば、僕が嫌いな部類のものに、増田で時折見られるエッセイスト気取りの翻訳文みたいなものがあります。ちょうど、ツイッターで何か気の利いたこと言おうとする人に似ています。あれなんなんですかね、春樹かなにかなんでしょうか。普通に言いたいことを書けばいいのに、何でわざわざ気取った比喩なんか交えて、似非文化人の講演みたいに書きたがるのか、僕はよくわかんないです。
本心からの真摯な文章が全然心を打つし伝わっていきますよね。僕はそういうものに、自分の創作意欲も刺激されます。僕がいつも求めて探してるのは、本当の言葉なんです。

ちょうど、作詞のお話がでましたよね。実はですね。僕はずっと外国の音楽しか聴いてなかったので、日本語で歌うこと自体が、ものすごくハードル高かったんです。何を言ってもリアルで気持ち悪い、嫌だー、ってなりました。いまの僕の歌詞は、だから、僕が自分で歌って堪えられるものになってます。さっき書いたように、インチキくさいこととか、物語風のとか、僕はなんだか嫌なのですよ。本心を生臭くない言葉で、さりげなく心の隙間に入るように書きたい、っていう。それがいまの作風に落ち着いたかなって思います。
あとこれは常に意識してる重要なことなんですけど、「音楽」である以上は、歌詞のほうで目立つのは卑怯だ、っていう感覚あります。歌詞で勝負したい気持ちは、それはいいことですけど、それ重視するあまり、曲のほうが適当なヒトも多いのです。ちょっと意地悪な言い方すれば、「曲が適当でいいっていうなら、じゃあ歌じゃなく朗読でもしてろ」っていつも思います。僕の場合、歌詞がいいのが書けたら、曲もすごくよくなります。そういう相乗作用で互いの完成度が高まっていくのだから。一人コラボみたいな感じだと思いました。

*yuhka-uno
初めて他人を参加させるのが相乗効果になった瞬間だったのでしょうか。一気に色んなものを掴んだ曲だったのですね。maicouさんのこれまでのお話を振り返ると、良いものができたり、何か掴んだりしたときって、心が開いた時なんだなぁと思います。
maicouさんの人生の時系列では、キャバレー時代のあとにホテル時代があったのでしたね。「それぞれの夏休み」が完成したのは、いつ頃のことでしょうか。
 
>エッセイスト気取りの翻訳文
 
私は単純に、「この人、普段そういう本を好んで読んでるんだろうな」とだけ思っていました(笑)。2chに入り浸っている人の文章が、2chっぽくなるのと同じように、その人が普段から読んでいる文章が、その人の書く文章に出ているんだろうと。
 
私は学生時代が一番本を読んでいた時期で、学校の図書室と公共の図書館に入り浸っていました。その頃はまだネットの世界に接していなくて、個人的趣味でちょこちょことノートに文章書いてたんですけど、その文章は、当時読んでた本に影響受けまくってました。似非文化人的文章も、翻訳的文章も、気取った比喩もやってたと思います(笑)。
当時はまだ、色んなものから影響を受けて、吸収する時期だったんでしょうね。私の今の読書量は、当時に比べて激減しているのですが、今のほうが、そこそこの文章能力なりに、文章が安定しているような気がします。でもそれは、影響受けまくった時期があったからこそなのかなぁと、今思いました。
 
ネット以前は、文章を仕事にしている人以外は、学校の授業でしか文章書いてないという人も多かったのではないかと思います。そういう人たちがネットをやりだすようになって、文章を書くようになると、私が10代の頃にノートと鉛筆でやったようなことを、今ネット上でやることになるのかもしれません。
こうしてmaicouさんとやりとりして、私も昔のことを色々思い出しました。
 
私は聴いている音楽の絶対量は少なかったのですが、好みの音楽の内訳が海外よりでしたから、日本語の歌はあんまり受け付けませんでしたね。かといって、演歌もそんなに魅力的とは感じませんでした。明確に日本語歌詞を受け付けたのは、椎名林檎が最初だったと思います。
 
>何を言ってもリアルで気持ち悪い、嫌だー、ってなりました。
 
これは、外国語なら「音声」として認識されるけど、日本語は「言語」として認識されるので、外国語だとすんなり耳に入ってくるけれど、日本語のほうは、歌詞の意味に意識が取られてしまって、すんなり耳に入りにくいとか、そういうことでしょうか。
なぜこう思うのかというと、私がそうだからなんですけど(笑)。


そうですね。なんだかいろいろ思い出しますねー。
夏休みはホテルを辞めた1年後でした。その1年間コンビニバイトやってたんです。心を開いて誰かと気持ちを共有するっていうのは、さかのぼると高校時代の吹奏楽コンクールになると思います。ただしそのときは、僕は自分のせいで、それが「できなかった」んです。できなかったけど、そういうことが可能なんだ、ってことはなんとなく理解して、でも自分自身がその段階に至るまでにまた月日がすごく流れてしまったということなんです。だから、夏休みで共演した彼女に「これは僕らの卒業式だから」と言ったわけですね。

ネット上の文のこと。なるほど!わかりました。今は、ノートにチョコチョコ書くような文がネット上で公開されちゃうから気になるわけですね!僕だって曲創り始めのころの作品は酷いものです。だから公開なんかしないけど、増田はすぐ書けちゃうからなあ。なんとなくイメージで、ネット上に公開するような覚悟のある人は、それなりの「気合w」があるもんだと思ってしまうから、「へ?」ってなるんですね。なるほど、違うんですね。
でもニコ動なんかで上がってる一般人のヒトの曲とかも、けっこういいのもあるんだよなあ。ネットはそういう意味でも面白いんですよね。

外国語はまさにそのとおりです。日本語の歌を「聴く」ほうは、それほど抵抗があったわけではないですが、自分で書いた歌詞を歌うとなるとまったく別で、それこそ、心を開いてしまわないと、歌えなかったですね。作品力の向上は、その覚悟にも関係してると思います。覚悟が出来たからまたひとつ上に上がれた、ということなんではないか、と。

*yuhka-uno
ホテル業の後ということは、もうかなり心が開ききった状態の時にできた曲だったのでしょうか。だとしたら、心が開いて、制作のノウハウを全部掴んで、「免許」取って、色んな意味で「卒業」だったのですね。時系列としては、その後に大手事務所からのスカウトですもんね。
 
「山田ズーニー」で検索しましたら、ちょうどこの記事が出てきました。
http://www.1101.com/essay/
この中で子供たちがやってる模写は、「ごっこ遊び」なんだなぁと思いました。子供は「ごっこ遊び」の中で自分を表現しますから。
ということは、私が昔ノートと鉛筆でやってたことも、「ごっこ遊び」だったのかもしれません。小説家ごっこやエッセイストごっこですね。そういえば、私は今でもこの手の「ごっこ遊び」をしていました。訳詩家ごっこです。恥ずかしいのでどこにも公開していませんが(笑)。
 
増田って匿名ですから、「気合w」のハードルが低いですしね。それに、「似非文化人の講演」みたいな文章を書いたりする人も、それはそれで、その人なりに気合を入れて書いているのかもしれませんし。
学校で習ってきた文章の書き方って、思っていることをどうやって文章に表すかではなく、いかに思ってもいないことを「上手いこと」書くかなので、どうしても表面的なテクニックに傾倒してしまいがちだと思うんですよ。それが上手く文章を書くということだと思ってしまうと、上手く書こうと気合を入れた結果として、「似非文化人の講演」になってしまうのかなぁと思います。
ネットは、学校の読書感想文などとは違って、自分の思っていることを書けるから良いですね。
 
私は、自分が創った歌を人前で歌うという経験は、幼児期以降全くないわけですが、自分がやることを想像してみると、これは非常に恥ずかしいことだと思いました。そもそも人前で歌うということ自体が、非常にハードルの高いことなのですが、自分が創った歌を歌うよりも、まだ他人が創った歌を歌うほうがマシな気がします。
もしかして、他人が創った歌を歌うほうが、まだ「覚悟」のハードルが低いんでしょうか。


面白いことに、なかなか一筋縄では行かなかったんです。
せっかくなので、長々書いてしまいますが、ホテル業のあと1年かかったのは、自分を取り戻す時間だったと思います。全力で初めて仕事をして、それで結果初めて自由にできたわけですけど、今度はその快感に溺れて、そういう自分を演じるようになってしまったんですよ。ホテルの仕事は、言ってみればマシン的というかロボットみたいなものですね。自分の心で感じたままを表現する、という仕事ではないです。それを音楽に当てはめると、見た目華やかな芸人みたいになってしまうのです。何かを装ってるような。調子に乗ってしまったんでしょうね。
ホテルを辞めて以降、僕自身もとんとん拍子に行くと思ってたんだけど、確かにそれなりの評価は受けるんだけど、なんか回りも生暖かい対応だし、プロになるんだぜとかいって吹いてるただの痛いヒト、みたいな扱いだった気がします。それで、なかなか上手くいかないので、何故なんだぜ?みたいに考え続けてるうち、そういった葛藤やら何やらを全て製作にぶつけて、1年後に花開いたんですよね。
何か物を作るというのは、それくらい難しいものだったって言うことなんだと思う。ホテルで自由に行動できるノウハウを得たからといって、ホテル辞めればただのヒトです。「接客」に替わるだけの自分の本筋を自力で見つけなきゃいけない。自分の中で「ホテル業」に替わる「何かの業」を作り上げるための期間だったというか。
ホテル時代は、何をすればいいかわかってますから、それを演じてればよかった。キャバレーのバンドもそうです。曲は予め在って、それを演じればいいだけです。
自分でそれをする場合、そのオリジナル(スタンダードな曲とかホテル業とか)を生むところから始まるわけです。その際に、中身が無ければただの上っ面なんです。張りぼての看板みたいなものです。きらきらの服着て「いえー」とか言ってれば芸人ぽくは見られるでしょうけど、中身が無いんです。
なので、その1年で、僕は自分が本当に言いたいことは何か、自分自身の深層にアクセスしてずっと探り続けたんだと思います。そうして「本当に」言いたいことが発見できたとき、サウンドのレベルも相乗で、その域に初めて達した、ってことなんだろうな、と。
その1年はホントにホントにいろんなことを考え抜きましたよ。避けてた過去のことも全部しっかり思い出して、自分は何をしたかったか、何から始まったか、一つ一つチェックしました。ちょうど、前に出てきたレノンの原始療法みたいなものでしょうか。自分の欲してるものの一番の大元を辿るんです。そういう過程を経て、吹奏楽のコンクールのこととか、成就しなかった恋のこととか、憧れたまま叶わなかった夢とか、そういうことをひとつひとつ思い出して整理して、解決していったんです。
そんで辿り付いた結論は、僕がしたかったことは東京に出てすぐにしたかったことと、ほぼ同じだ、ってことでした。当時は若くて技術も稚拙だったし、そんなの古いとか、受け入れられないよとか、大勢のヒトに叩かれたりで、誰にも認められずダサいと笑われて挫折したけど、でも、したいことは同じだ、って。
この結論は意外だったんですよね。もっと斬新で新しく刺激的なことをしなきゃいけないのか、と思ってた。でも違っていました。あと、ちょうど時代的に一回りして、僕が若い頃したかった音楽が、また世の中で流行り始めてきたんですよね。だから結局、僕はまったく自分を偽ることなく、若い頃したかった、自分自身の本流の音楽に立ち返って、そのまんまを再現し、結果的にそれが一番完成度が高い、と認められたわけです。

いろいろこうして振り返ると、いろいろ幸運でもあったような気もしますけど、すごい紆余曲折ありますね。長い試行錯誤の末にたどり着いてる。ただ、ホントの意味で幸運だったと言えるのは、僕が何かを装ったり偽ったものではなく、「本当にしたかったこと」で認められた、というのは、それだけはよかったと思います。
僕はこのことを他人に言うときいつも「初めて両想いが叶った」って言います。ホントに好きな相手に、ホントの本心で告白して、初めて「イイですよ」と受け入れられた、という。人生初の経験だったからです。

そんな過程を経てるものねえw 増田の文とか「ケッ」って思ってしまいますのも当たり前のような気も致しますわね。笑。

人前で歌うこと。恥ずかしいですね。覚悟のハードルが高ければ高いほど、生まれるもののクォリティもあがるでしょうね。
僕が、プロ初心者のヒトのカバーを嫌うのは、そういう本来しなければいけない葛藤やら、越えるべきハードルを下げて逃げてる気がするから、だと思う。自分がしたのと同じ苦労をオマエもしろ、と言うわけではないんだけど、やっぱり、本心の言葉が好きなんですよ。たとえば yuhka-unoさんの文のように。だから、個人的好みから、そうしたものを推奨するし、僕が関わってるヒトには、そういう僕の方針をわかって欲しい、って思ってるんだと思う。それを最近ことさら強調するのは、この土地で、そういうことをしつこく言う人が僕くらいしか居ないからです。僕はいまは、嫌われるくらいでちょうどいい、と思ってますw

PS
昨日、会ったおねえさん、京都出身で、ダンナ氏の都合でこっちに来たのね。そういう意味では、僕もお互いヨソモノどおしで、ちょっと話が合ったりする。僕も関西に居たことがあるし、ちょっとずつ何か近いのは、ちょっとだけど安心感があるな。
んで、昨日は、この土地の気質について話して(意外にも、今まではあまり話題にならなかった)、ほかの田舎に比べても、こっちはかなり特別な気質だって最近特に感じるって言ってた。かなり保守的とも言ってたな。そんで地元の古い商店街やそれに関わる古い考えのオサーンな人々がメンドクサイ、って言ってったので、それは僕の故郷も一緒だって言った。僕の故郷も昔すごく景気がよかったので、その当時偉かった人たちの2代目とかがその癖が抜けなくて、町の中心部をシャッター街にしてしまった。いまこっちの商店街もそうなりそうでやばくなってる。とか、まあそんな感じ。

ヨソモノだから無責任にいろいろ言うんだろ、って言われそうだし、今まではおとなしくしてたんだけど、そんなことないよね。よそ者だからいろいろ見えて、いろいろできて、何か変えれるんで無いの。
こっちのヒトは地元が好きすぎてたまらないのね。そんで宗教みたいになってるわけだ。だから僕は「沈む船」なんだって言ってるのよね。そういう狭い考えからまず抜けないと、って思う。
京都も観光地だし、保守的ってきくし、そんな京都のヒトからそんなこと言われるのは、ちょっと意外だったなあ。
いい土地だし、普通のヒトもみんなイイ人なんだよなあ。でもそういう人は黙ってるだけで何もできないから。
僕がどんどん深く関わるにつれ、そういう中心部の人々の地元至上主義みたいな考えに触れることが多くなって、つまりそれは、僕も中心部にどんどん入り込みつつあるということなので、これからが本領だよな、といよいよ思う。

*yuhka-uno
そうか、接客業って演技の仕事ですもんね。演技の自分から本心の自分に戻る必要があったんですね。
創作って、その時の自分の状態がモロに反映されるものなんですね。だとしたら、以前maicouさんが、「音楽は仕事だけでじゅうぶん」と仰ったのも、なんだかわかる気がします。自分の状態が問題なんですね。
ホテル後の一年間は、ある意味ひきこもり期間だったのでしょうか。自分を見つめなおし、構築し直すという意味で。
 
ちょうど「個性を伸ばす」ということについて考えてたんですけど、「個性を伸ばす」って修行なんだな、と思います。よく「個性を伸ばす」というと「好き勝手させる」と勘違いする人いますけど、そうじゃなくて、全然楽なことじゃないよ、と思うんですね。自分に向き合うのって、しんどいですもん。
 
>僕が何かを装ったり偽ったものではなく、「本当にしたかったこと」で認められた
これ、そうじゃなかった場合のことを考えると、怖いですね。
 
私は今まで、自分の文章について、それほど意識していなかったんですよね。今回色々と思い出して、自分の文章にも、それなりに私の歴史があるし、その時の私の状態が反映されているんだなぁと思いました。「良いお姉ちゃん」のままだったら、今のような文章は書いてなかったでしょうし。
 
あと、たぶんですけど、京都の「保守的」と、そちらの「保守的」は、違うんじゃないかなぁと思います。うまく言えないんですけど、京都は保守的とはいえ「動いてる」感じがしますね。ちゃんと流動しているというか。停滞してるという意味での「保守的」じゃないような気がします。


そう。いまもそうして、一定サイクルで開いて吸収する期間と、それを熟成する期間が交互になるんです。自分の中で溜まってくるんでしょうね。言いたいことやしたいことが。そのサイクルを掴んだのが最初のそのときだったんだと思います。

>自分に向き合うのって、しんどい

これはまさにそうです。自分もしんどいです。だから楽なほうに逃げたくなるし、サイクルの「開いた期間」時期って社交的で楽しいので、それがそのまま続いたりもしてしまいます。
そういう逃避の時期に、たとえば山田ズーニーさんとか、ここでのいろんなヒトとの会話とかで、ずごーんと心を射抜かれて、「自分は何をしてるのだ?自分本来に戻れ」って言われるわけですね。自分が逃げていると必ず、その後にはそういう出会いがあります。無意識のうちにそれを探してるともいえるんでしょう。
創作ってのは脱皮と一緒で、一定の数まとめて作品を生み出すと、それ以前とはなにか別な人間になった気がするんです。ステージが上がるっていうか、オトナになるって言うか。その触媒を常に探していて、見つからないとだんだん病んでくるじゃないかって気がする。
今ちょうど自分は創作期に差し掛かっているので、そんなことを感じます。なので今ココでこうして出会えたこともシアワセだったと思っています。

>私の歴史があるし

そうそう。そういえば、音楽の「アルバム」っていう言い方は、そのとおり「写真のアルバム」と同じ意味で使われ始めたらしんですよ。なので、歩んできた歴史だと思います。文章でも、小品集みたいな感じのものですね。エッセイとかなのかな。

保守的のこと。そっか。京都も一度住んでみたいって思ってるんですよね。たぶん今以上に大変な気はするけど、得るものも大きい気はするな。町の規模も違うし上下左右から出入りや流通がありますものね。

*yuhka-uno
なるほど、そういうサイクルが創作そのものなんですね。
確か、maicouさんは以前、「創作ってしんどいから、歌う時くらい解放されていたい」という趣旨のことを仰ってたなぁと思い出しました。
でも本当にすみません。正直なところ、そのサイクルで思い浮かぶものが「排便」しかないです(笑)。たぶん、山田ズーニーさんのあの記事を読んだ後だったからでしょう。「排便」の例えがあったもので。
そう考えると、私の文章にも、幾分それに似たものがあるのかもしれません。「排便」的な何かが(笑)。
 
>音楽の「アルバム」っていう言い方
 
戦前戦後の流行歌に興味を持った時に思ったのは、「音楽って、タイムカプセルなんだな」ということでした。その時代の人の感覚が、そのまま残っているんですね。
これは冗談半分ですけど、私は、「古いものの良いところは、『昔は良かった』と言わないところ」だと思ってるんです。やたら美化されるでもなく貶められるでもなく、当時のそのままの姿を見れるのが面白いですね。それは個人の歴史についてもそうですね。
私は、子供の頃から描いてきた絵や文章を、なるべく残してあります。私のアルバムだし、タイムカプセルですね。
 
京都は、大阪とも違いますし、奈良とも違いますね。いち奈良県民としては、京都は「お隣さん」という感じです。顔見知りだし行き来もあるけど、内部事情まではよくわからないという。
もしmaicouさんが京都の住人になった時は、どんな感じなのか、ぜひ聞かせて頂きたいものです。その時は画面越しではなく、直接「京都uzeeeee!」ってなってるmaicouさんを見に行きますね(笑)。
 
縦社会では、縦社会での「認められ方」というものがあるんだと思います。体育会系の人たちがmaicouさんのことを「厳しい」と感じたのは、その人たちにとって、maicouさんが、自分たちの社会での「認められ方」が通じない人だったからなのかな、と思いました。


ちょっと話が遠回りするんですが、僕は自分の曲が好きだし、本当にやりたいことだ、と言ったけども、ひとつだけ不本意なところがあるのです。それは曲のアレンジに「分かりやすい記号が入ってる」ことなんですね。
分かりやすい記号ってのは、具体的には「このヒトはどんな音楽が好きだったかという影響元」がはっきり分かる要素、ってことです。僕にとっては、それも「音楽本来ではない」付加要素なので、正直あんまりそういうやり方は好まないのだけど、それを曲に含めることで、圧倒的に食い付きが違う。
それも、その「食い付き」は、一般のヒト、というよりはマニアックなヒトや業界人に対してのアピール度が破格に増すのね。自分に仕事をくれたり、世界を広げていくのは、そういうマニアックな人や業界人だから、そういう人向けにアピール度があると言うのは、つまり「戦略的」なのね。それが僕は「ちょっと不本意だな」って思ってやってる。
でも、いま結局、認められるのはそういう方向性なので、つまりぶっちゃけて言うと、マニアックだったり業界のヒト、」とか言っても、本業の担当者、つまり直接製作に携わってる部門のヒト「以外」、例えば営業のヒトとかは、音楽について、全員が全員、大していい耳や感覚を持ってる、というわけじゃないんです。そういう感覚、と言うよりは、その素材を使ってどう売り込んでいくかとか、そういう感覚に長けてるから、そういう人になってるわけだから、そこで「わかりやすい記号」の入った作品のほうが、興味を持つんでしょうね。

幸い、僕はたくさんの音楽を聴いて研究してきましたから、そういう「歴史的」な音楽にはすごく詳しいですけど、自分がそれをする際に「記号としての時代感」を自分のアイデンティティの代理として使用するのは、ちょっと違うと思う、って思ってて、でも所詮みんなそういうことなんだな、ってちょっと落胆した部分があって、そういうことを「等身大メモリー」という曲で歌ってるんです。
一生懸命がんばって、音楽家という世界に一歩足を踏み入れたけど、その世界は自分が思ってたのとはちょっと違った、という感じです。みんな古いものや歴史を「大切にしてる」んじゃなくて、自分が何かを言いたいための道具にしてる、という感覚です。
そうね、たとえば、(最近の映画なのに)モノクロの映画とか、わざとセピアにしてる写真とかでしょうか。そういう戦略ってずるいなって思うんですね。

だから、yuhka-unoさんが古いものについてそうおっしゃったことは、すごく納得したし、ああ自分の思ってることは合ってたんだ!と思いました。「等身大」の歌詞の内容は、まさにyuhka-unoさんが言ってることとほぼ同じことになってると思います。

でもこれは非常に難しい、というか微妙な問題で、例えば僕の「曲そのもの」はちょっと昔っぽい懐かしいスタイルだと思うのですよ。そういう部分に「なんか懐かしい感じでイイね!」って感じてくれるのは嬉しいし、別にかまわないのだけど、アレンジや音なんかで、わざと時代感を出した物に仕上げるのは、ちょっと作為的であざといなと思うのです。
ちょっと前にピチカートファイブの研究をして、そのことについてブログ書きましたけど、結論として、彼らの音楽(というか小西氏のコンセプトやアレンジ)について好ましく思わなかった部分というのもそういうことでした。
平和やチャリティをしたいために音楽をする、というのと、ある特定の時代の空気を着たい為にわざと似せた音楽をする、というのは、僕の中ではどこか似た部分を感じます。ちょうど「排便w」に例えるなら、こういうやりかたは排便じゃ「ない」気がする。したくてしたわけじゃなく、受けるから、という理由でわざと排便した、というような。
これは難しい問題なので、今後も考えて行きたいなって思いました。

縦社会の話、そっか!通じないからわからないし怖いんだ!例えば厳しい師匠なんかもそうですが、そういう縦社会の、下の立場の人って「父親的なもの」の代理として、そういうのを使うってよく言いますよね。「父親」だから甘えてるんですね。僕は実力でしか判断しなかったから、どう甘えても何をしても通じない僕は、それは相手にとっては恐ろしかったでしょうね。でも、僕の要求は至極単純なんですよね。練習して上手くなってね、という、ただこの一点に過ぎないんです。すごく簡単なのに、そういう人たちは出来ないんだな。へー。なるほどなああーー。

京都ね。こっちに移住したくらいですから、そんな誘われると次には、あっさり行っちゃいますよ。そんで、また誰も相手にしてくれなくて切れてる自分が見える気がします。まあしかし、それも本望かな。笑。

*yuhka-uno
「わざと排便した」っていう表現がなんかツボに来て、画面の前で爆笑しましたwww
 
http://karakawa.cocolog-nifty.com/egm/2011/06/post-06f0.html
曲とアレンジについては、このお話ですよね?
色々と考えてみましたが、やっぱり難しいです。なので、とりあえず今思ったことだけ書きますね。
 
私は、三丁目とか金麦とかの「昔は良かった」系が、「なんだかなぁ」と思っているのですが、もし私が何十年後かの未来人だったら、今の時代のことを、「ああ、この時代は高度経済成長期への回帰があったのね。不景気が続くとこういうふうになるのね。面白いなぁ」って感じると思います。まぁ、そういうことも含めての「タイムカプセル」なんでしょうね(笑)。
 
一方で、現代人が古いことをする行為が嫌いかというと、全然そんなことはなくて、むしろ大好きなんです。マックス・ラーベは20~30年代のスタイル、ディタ・フォン・ティースは40年代のスタイルを実践している人ですし。
私の好きな年代だということは、否定できないんですけど、なんで好きなのかということを考えると、両方とも変な「押し付けがましさ」を感じないからだと思います。
 
結局私は、自分で決めたいんだと思います。古いものも今のものも、それを良いと思うか悪いと思うか、好きと思うか嫌いと思うかは、私が勝手に思うことですから。だから、「昔は良かった」なんて言って押し付けないで欲しいんですね。
それは人もそうですね。自分より上の立場の人であっても、誰を尊敬するのかは自分で決めたいんです。だから、体育会系とは相容れないですね(笑)。
 
年月が経つと、変に美化されるものもあれば、当時は「等身大」に見られなかったのに、年月が経って再発見・再評価されて、そこで初めて「等身大」に見られるものもありますよね。それは面白いと思います。
 
体育会系の縦社会って、上の人に対する「ご機嫌の取り方」があって、その「ご機嫌の取り方」を心得ておけば、可愛がってもらえるんでしょうね。上手く甘えて「愛いヤツよのう」って言ってもらうみたいな感じで。
そういう社会の人の、「上」の人に対する接し方は、まず「この人はどうご機嫌を取ったら良いんだろう」という発想なのかもしれない、と思いました。でもmaicouさんには、それが通じないってことですよね。
 
おいでやす、京都(笑)。


そうそう。僕が「等身大メモリーズ」というメッセージを強く言いたかった頃は、ちょうどそういう古いものを「昔はよかった産業」として押し付けてる風潮だったんです。
この辺は歴史の説明になるのですけど、90年代の前半あたり、あまり知られてない昔のアーティストの音楽なんかが一挙にCD化されて大量に売られ始めたんです。タワーとかWAVEとかHMVが出始めた頃ですね。それで当時ちょうどCDを買おうとしてた若者たちがみんな、そういう過去のCDを、新譜と同じように大量に買い込んで「古いけど新しい」と言って聴いてたんですね。それまでの音楽界というと、知識や造詣が深いほど偉いとされ、ロックマニアなおっさんが「こんなのも知らんで。若造がケッ」とか言って、音楽に詳しくない若者に説教してたんですよね。それが、そういうマニアックな旧譜の大量CD化で、そういうマニアおっさんが知らない音楽が大量に一般化してしまった。つまり、そういうのを買って聴いてた若者に勝てなくなってしまったんです。と同時に、あまり情報の無かった時代に「すごい」とされてたものなどの価値が、それほどでもない、というか、ほかにも同等のいいものはいくらでもあった、というように変化して多様性が生まれたんです。
僕はそういう変化を90年代を通して見続けて、これはいい風潮だな、これで時代が変わっていくな、というボンヤリした感覚を持ちました。そしてそれは事実になりました。
僕の「等身大メモリーズ」という曲は、そういう旧感覚に囚われてる人々への引導の意味も含めてました。恐竜あっち行け、みたいな感じですね。

親に厳しく何かを強制されてると、そこから開放されたとき反動で、その真反対路線に振り切れて、その後は、またその逆(つまり親からの強制路線)に戻り、やっと自分自身の中道を見つける、というような流れになる気がします。ちょうど、以前おっしゃってたような「反抗期」ですね。その最後の「中道に戻る」というのが「自分で決めた」路線ということな気がします。
僕も、フラットな感覚で自分自身で何をしたいのか決めたかったんですね。振り切りでも反抗でもなく、本当は何をしたい?って、ずっと自分に問いかけてました。そして今がある気がしますね。
それで出た結論が、結果的に親や誰かの決めた路線と一緒だったとしても、それは事実として受け入れなきゃいけなくて、そうだからこそ、初めてそこで親と自分の関係に向き合うことが出来たんだと思います。そして多摩川系路線に行くわけですね。

こっちの町が平和一辺倒(に見える)ということで、体制派が嫌いな僕は、それをすることは出来なくなりました。素直になれ、と言われてもなれません。笑。他人と同じことは出来ません。きっと、どこかよその町に行って初めて、平和について改めてじっくり考えるのではないかな。そんな気がします。その「どこかよその町」が京都かどうかはわかりませんw


と書きつつ改めて思ったけど、やっぱりいい時代に生きてるよね。少なくとも僕は、今まで生きてたどの時代よりも、今が一番生きやすい。
そう思ってるからこそ、今のこっちの若者に「20年がんばれ」って言ってるんだろうね。

*yuhka-uno
以前、価値観の変動期として、「ネット以前とネット以後」というお話をしましたが、音楽界では「CD以前とCD以後」という現象があったということなのでしょうか。それ面白いですね。新しい媒体が出てくると、そんなふうに変わるんですね。
そういえば以前、「若者の活字離れの嘘」みたいなテーマで書かれた記事を読んだことがありまして、そこのコメント欄で、「上の世代の人に『読書しています』と言うと、やたら読んでない本を探られたりすることがあるので、『本は読んでいません』と答えるようにしている」という内容の意見があったのを思い出しました。
「こんなのも知らんで。若造がケッ」っていうのも、「昔は良かった」の一種ですね。ああいうのって、昔の「作品」を認めて欲しいんじゃなくて、「自分」を認めて欲しいんでしょうね。
もしかして、電子書籍が普及すると、恐竜絶滅時代が到来したりするんでしょうか。だとしたら、電子書籍、良いかもしれませんね(笑)。
 
最近のエントリにも書きましたけど、私はやっぱり、他者基準ではなく自己基準で生きたいんですよね。以前お話した「アスリートと奴隷拳闘士の違い」ってやつです。自分のやりたいことが、結果的に親が望んだことと同じだったのは、私の中ではアスリートです。やってることは同じように見えても、動機が全然違うんですよね。
バブル以前は、他者基準の時代だったと思うんです。今はだんだん自己基準の時代になってきていると思いますね。今はまだ、他者基準が植え付けられてしまった親世代の呪縛が残っているものの、良い時代だと思います(笑)。
 
>素直になれ、と言われてもなれません。笑。
 
それ、とっても素直だと思います(笑)。


その後いろいろ考えたのですが、そういえば僕は、家庭環境(親子の確執を除く、金銭など実務的面)もそうだけど、分かりやすい形での努力とか苦労とかも、あまり経験がなくて、それで「努力して這い上がれ」派の人々からはずいぶん揶揄されたりバカにされたりしたな、と思い出しました。
これは、橋下やワタミのヒトのような人種にリーダーシップを取らせちゃいかん、という誰かの発言を見たから思ったんだけど、底辺から這い上がったヒトは、それを他人に強制する傾向があるって話で、ああ、僕が不得意だった昔の恐竜おっさんは、みんなそういう感じだったのかもしれないな、って思いました。
とかく苦労話は、他人にすると喜ばれるんですよね。僕も、そのことにやがて気づき、今は「他人用」に盛った「苦労話」を時々することがあります。でも実際は、プロとして当たり前のことをしただけで、「苦労して成り上がってやったぜ」なんて思ったことないです。繋がった「縁」のことは、すごいな、神の導きだな、って思いますけど、それは努力や苦労とはちょっと違う気がするな。
そういう点で、僕は常に「自己基準」で行動していたので、今の感覚に合うんじゃないかなって思いました。

ココ最近、請けたいくつかのライブPAの仕事が、割と層が若目で、そこで会うお客さんも好ましい人々が多く、ココ1年くらい自分が町で会った嫌な人々とは一線を画す感じがあって、ああ自分が知らん場所で、まだこんなに普通の人々がいるんじゃないか、ってすごく安心した部分があります。また、そのお客さんの中には旧知のヒトなども混ざっているのですが、僕の顔を見つけると、みんな一様に「元気なんですかー?」などと嬉しそうに話してくるんですよね。そんなこといろいろ思って、そういえば、こっちに来てすぐの頃も、こういう感じの人々とよく仕事をしていたなあ、などと考えていました。

結局、こっちの「音楽村()」などというものに限って、20年前的恐竜社会なのであり、なんとなく目立つ形で存在してるから、それが全てのような気がして嫌気が差してましたが、実際は、あっちの人々のほうが既に居場所がなくなりつつあり、それについて足掻いてる状況なんじゃないかって思ったんですね。

そんな場所に「苦労知らずの」僕が顔を出したら、そら、20年前みたいに揶揄されて叩かれるのは当たり前なんですね。酒癖やセクハラもそうですけど、奴らの頭の中は、当時と変わっていないんです。そして、滅び行くだけの層なんだなって。
「業界の常識」として、音楽家だからといって、いまどき傍若無人だったり、酒飲んで暴れるとか、そんな時代じゃねえんだよ、と。それが普通だと思ってるのは、20年前の価値観のキミらの頭の中だけなんだよ、と。

そんなことを思ったら、ちょっとだけ哀れみの感覚が沸きました。でもしょうがない、自分たちが変われなかったんだもんね。

なるほどなああ。

*yuhka-uno
私もあれから色々考えたんですが、「こんなのも知らんで。若造がケッ」とか「昔は良かった」とかの押し付けがましさは、尊敬して欲しいのは作品じゃなくて自分なんだな、ってことだと思ったんです。その時代のスタイルや作品の素晴らしさや権威を、自分の承認欲求を満たすために利用しているんですね。だからやたら美化してしまうんだと思います。どれくらい美化されているかが、それを美化している人の承認欲求の大きさを表しているんですね。
私、半田健人は結構好きなんですよね。それは、彼が「作品愛」に溢れているからだと思います。マックス・ラーベやディタ・フォン・ティースもそうですね。その時代のスタイル、作品、それを創った人に対するリスペクトがあるんです。
 
「『努力して這い上がれ』派の人々」って、たぶん、苦労していればしているほど偉い、と考えているんでしょうね。それはもしかしたら、知識や造詣が深いほど偉いというのに、似ているのかもしれません。
私は、個人の努力ももちろん必要ですが、環境要素って大きいと思うんですよ。「縁」とか「運」ですね。たしか、仏教では「縁」って環境要素のことなんですよね。「『努力して這い上がれ』派の人々」って、環境要素を軽視する傾向があると思うんです。だから、わりと環境の変化に弱かったりするんじゃないでしょうか。
 
そういう「自分は努力して実力で這い上がってきたんだ」と思っている人に限って、変に権威主義的だったり、自分のご機嫌取ってくれる人を可愛がったりするような気がします。
逆に、「自分は運が良かった」と思っている人のほうが、自分についても他人についても、ご機嫌取りじゃなくて実力で判断しているように思いますね。
 
知識や造詣が深いことや、その人がしてきた苦労は、それそのものはその人の財産ですし、十分尊敬に値する要素なのに、承認欲求が強過ぎて、逆に尊敬されないようなことをしてしまうのは、すごく勿体ないことしてるなぁと思います(笑)。
本当は若者だって、年長者の知識や経験に触れたいって思ってるんですけどね。ただ、誰に聞きに行くのかは、やっぱり自分が決めたいってことです(笑)。
 
そちらでも、哺乳類の生息場所があったということなんでしょうか。だとしたら何よりです。
 
まとめありがとうございます。一度「終わり」と言って、感想を述べたら、そこからまた話が広がってしまったので、これはもう、どちらかが飽きるまで続くんじゃないかと思えてきました。なので、飽きたら言ってください(笑)。


うん。承認欲求ですね。そのことはレノンがよくインタビューで言っていました。オレなんか崇拝するナとか、人の曲をだしにして自分語りするな、って、既に昔から彼は言ってたんですね。偶像になるのは嫌だ、と。あんな人が言うからそれはそれは説得力あります。
まあ誰でも、褒められたい、とは思ってるんでしょうけど、それは強制するものじゃないんだけど、誰も褒めてくれなかったら、褒めて欲しいっていう欲求は溜まってくるんでしょうね。それよりなにより、自分もそうやって上を褒めて媚びてきた苦労があるから、それをしない後輩はサボってるように思うのかもしれません。

僕も褒めて欲しいですがw 自分の中でレベルに達してない、と思うものについて褒められるのは、なんだか背中が痒いです。自分で気づかない良い点を他人が気づいてくれる、ということもありますけど、それに甘えるのはとってもよくないので。

この1週間、いろんな人と会いましたよ。哺乳類、いましたねw まあでも、恐竜は恐竜で、したいこともあるんだと思いますよ。多様な価値観があっても別に全然かまわない、と思うのですけど、「恐竜」と言うだけあって、でかくて目立ちますから。そこはしっかり、対抗していかないと、僕の存在の意味そのものがないです。「野党」派なんですw

飽きたら、というか、なんとなく編集後記とかあとがきの対談的な感じですよね。リラックスしていいのじゃないかと思います。

*yuhka-uno
>自分もそうやって上を褒めて媚びてきた苦労があるから、それをしない後輩はサボってるように思うのかもしれません。
 
ああ~これは多分にあるでしょうね…。そういう人って、強い者のご機嫌を取って、上手く「世渡り」してきたことを自慢にしたりしますから…。
 
私も褒められたいし、承認欲求はあります(笑)。「褒められたい」「助けて欲しい」「甘えたい」という、個人的な欲求を自覚できれば良いんですよね。説教したりする人って、その自覚がなくて、「お前のためにやってるんだ」みたいな意識だから、嫌なんですね。
なんというか、「自分のプライドを満たしつつ甘える権利」を手に入れるために、一生懸命になってる人っているよなぁと思います。そんな権利、どこにもないんですけどね。プライドなんか捨てて、素直に「褒められたい」って言えたら良いんですけど。
 
たぶん、人って「褒められたい」というよりは「認められたい」んじゃないのかなぁと思います。他人を誘導するための褒め方とか、自分にとって都合の良い評価軸でしか他人を見ていない褒め方とか、やたら持ち上げられているときや、ご機嫌取りされている時の褒められ方って、あんまり嬉しくないですもん。
 
「裸」と「服」のお話については、以前、「言語は第二の遺伝子」という言葉を聞いたことがあったのですが、上の世代から受け継がれて、排除したり否定しようと思ってもできない、自分の中にずっとあるものというのは、なんか「遺伝子」っぽいなぁと思いました。「裸」のほうに宿るという意味でも。
 
あれから、ご機嫌取り型コミュニケーションについて色々考えてたんですけど、よく考えたら、体育会系縦社会だけでなく、私の母みたいな、他人に嫌われないための気遣いも、言ってみればご機嫌取りなんですよね。
「相手のご機嫌を取る」ことと、「相手を尊重する」ことは、全然違うんですけど、母はどうにも、「相手を尊重する」ということが、あんまりできない人みたいです。
私はご機嫌取りができないし、無理にすると気疲れするので、ご機嫌取り型コミュニケーションには馴染まないんですけど、一方で母のような気遣いに慣れさせられてしまっているところがあって、そこが自分でも嫌だなぁと思います(笑)。
ネットやっててわかったことは、結局私が付き合いを持つのは、変な気遣いやご機嫌取りをしない人だということです。ネットって内面から入りますからね。やっぱり、私はそういう人間なんだということですね。
 
充実した一週間をお過ごしになったのですね。ライブ成功したそうで、何よりです。


「言語は第二の遺伝子」の話ですけど、そういえば、昔の音楽が復活してきた90年代、僕はなんだかその状況が嬉しくて、「これこそ僕の本領だ!やっぱり血は争えないなあ」と知人に言ったところ、揶揄たっぷりに「へー。血ですか。貴方は黒人か何かですか。それは知らなかった」などと言われたんですね。
それは、確かに言うとおりですけど、何か僕は納得がいかず、鬱々としたことを思い出します。
その彼、それ以外でも、どこか冷笑的な奴で、結局それがきっかけで縁を切ってしまうのですけど、必然だった気がします。何か事をマジメに起こそうとする場合、冷笑的な人間が周りに居ると、それは絶対に上手くいかないんですね。僕の場合ですけど。

それで、話は戻るけど、遺伝子みたいなもの、という言葉にすごい腑に落ちました。僕は当時そう思ったんです。確かに。すごいね。

橋下うかっちゃいましたね。結局みんな石原もそうだけど「強い父」みたいの望んでるんでしょうね。

ご機嫌取りって、ご機嫌取られる側は、ご機嫌取ってればスムーズにことが運ぶように、上手に持っていきますよね。あれは実に上手いなあ、と見ていて思います。昔のプロデューサーとかでも多いですが、支配欲というか、やっぱり自分の意見を通して自分がやりたいことするためには、なんでもしますからね。映画監督とかもそうでしょうね。どこの世界でも「○○天皇」という言い方があります。黒澤が有名ですが、特に昔はみんな似たような感じでした。
もちろん一流の人ならそれもアリあろうな、という前提は僕もどこかで持ってる部分があります。それを許せるかそうでないかは、出来た作品レベルで決められるでしょうね。でもだからと言って、井上ひさしみたいな酷いDVを許せるかって言ったら、ちょっと難しいかもしれない。

そういえば小姑(すっかりこの呼び名)、一度の離婚歴があるのですが、別れた理由は相手のDVだそうです。でも心の中で「ああ、こいつならされそうだわ」と思ってしまいました。僕はDVしない代わりに自分が倒れたわけですね。

そう考えると、褒められたい、以外にも、自分の意見を通したい、という欲求もありそうです。それが極端になって、自分の考える世界観だけで周りを構築したい、となり他者を排除、というようになっていくのでしょうね。なるほどなあ。

さっきの話で気づいたのだけど、こっちは「大真面目」な人が多すぎやな、って思った。息が抜けません。年が上の人たちの中に、自分を客観的に見れる人が居ないんだな。そういう視点が欠けてるので一緒にやっていけなかったんだと思った。
僕がこっちに来てすぐの頃、ある人から「こっちの音楽やってる連中は、すぐになんでも、”あの人のプレイはすごい”とか”あの人は神や”とか、すぐ美化して神扱いして言う奴が多いから、気をつけたほうがいい」と言われたんですよ。その後、いろいろ付き合ってみて、確かに実際そういう面ありますね。他人についてやたらそう言うってことは、まさに、自分を認めて欲しい、ということの裏返しですね。なるほど。よくわかりました。

みんな忘れてるかもだけど、僕がこっちに来る直前くらいに小学生の事件が立て続けに2件起こって、いったいどうしたんだ長崎、みたいに話題になったのよね。ちょうど同じ頃から僕はこっちの人と関係ができたので、その話題もちょっとしてて、そんな何もない派手な土地でもないのに、なんだろう、とか、閉鎖的ってことがあるのかなあとか、話したこと覚えてる。あと、おっさんの人がよく言ってたのは、こっちは条例で風俗禁止なので、そういう店がないのでみんな溜まるんでしょ、とか。わたし、風俗経験が一切ないので(笑)どういう店のコト言うのか今ひとつ実感わかないのだけど、発散できる場所がないっていうのは、そんなに悪影響なのかな、とかボンヤリ思った。あれから数年たったんだね。犯人と同世代のコたちと今の僕も実際に付き合いがある。不思議な感じがする。機会があったら、同世代のああいう事件、どう思った?って訊いてみるのもいいかもしれない。あと、閉塞的な気分だった?とか。

*yuhka-uno
当選しちゃいましたねー。橋下サン見てると、若い頃の石原サンと、周りの受け止め方って、こんな感じだったのかもしれないと思います。旧来的なものをぶっ壊してくれる、若くて勢いのある人、というふうに見られていたのかなぁって。実際はどうだったのか知らないんですけどね。
 
>ご機嫌取ってればスムーズにことが運ぶように
 
ああ!これすごい納得です。でもやっぱり、それこそ死ぬまで一流の人しか、受け入れられないんでしょうね。一時期成功したとしても、その後環境の変化に適応できなくなると、やっぱりただの老害になってしまいますし。
逆に、ご機嫌取る側には、「目的を達成するためなら、ご機嫌だっていくらでも取ってやるぜ!」って人もいますよね。これも、自分がやりたいことをするためなら何でもするってことなのかなぁ、そしてこういう人の中には、将来ご機嫌取らせる側になる人もいるのかなぁ、と思いました。そうならない人ももちろんいるんでしょうけど。
 
>自分の考える世界観だけで周りを構築したい
 
母はまさしくそんな感じです。「普通・常識」という枠の中に安住しようとするんですね。母にとってこれは「牙城」なんだと思います。「牙城」を崩されることが、すごい不安なんですね。
やっぱり、体育会系縦社会と、他人に嫌われないための気遣いって、心理の根っこが一緒なんですね。
 
井上ひさし、確か学生時代の国語の教科書に載ってましたね。平和運動やっていながら、一方でDVやってたことについて、色々考えてしまいます。
 
CMといえば、他の地域の電気保安協会のCMって、全体的に真面目なんですね。関西電気保安協会だけギャグ路線で、明らかに異質です。
あと、子供の頃から聞いてるCMソングって、かなり刷り込み効果があるんですね。関西人の音楽の遺伝子には、かに道楽のテーマが組み込まれているようです(笑)。
 
少年犯罪のこと、私は覚えてますけど、それが両方とも長崎で起こった事件だったってことは、忘れていたというか、正直あんまり意識してなかったです。奈良でも、進学校に通う少年が自宅に放火した事件がありましたね。
長崎で少年で閉塞的というと、未成年にコンドーム売るの禁止する条例があったのを思い出します。


【Intermission】

いいですよねー。
「墓堀り」についてはちゃんと説明が必要と最近感じました。こういうのは全然大好きです。
でも80年代日本では、特有の「音楽学校的日本ジャズ」というジャンルがあって、その辺リアルだった僕には、またいろいろ感じるものもあるんです。その辺、話すと長くなるので略しますが、ともかくこういうのは基本は好きなんです。僕も。

*yuhka-uno
「音楽学校的日本ジャズ」…? どういうものなのか全然想像つきませんw
「墓掘りジャズ」とそうじゃないジャズ、「墓掘りシャンソン」とそうじゃないシャンソンがあるという感じなんでしょうか。


お返事ありがとうです。

一言で言うとメソッドとしてのジャズ、という感じでしょうか。80年代、ジャズの学校が流行ったんですよ。僕もそこの知り合いがたくさん居ます。
もちろん個性があって出世したアーティストもたくさん居ます。でも「メソッド」だから、適度の才能でもある程度の形が出来てしまうんですね。そういう人が他の何にもなれず、ホテルのラウンジとかピアノバーとかで演奏したりするんですね。お客として楽しむのは「おしゃれ」でいいのですけど「音楽をしてるサラリーマン」に過ぎないので、その人たちを音楽家と呼んでしまうのは、僕は個人的にあまり納得できないんです。同じように、僕のキャバレー時代も音楽家じゃ「なかった」と思います。

メソッドかそうでないか、っていうのは聴くと判ります。メソッドだけの人は東京じゃそんな仕事しかないから、こっちに戻ってくるとかそういうことになりますね。

シャンソンも同じかな。過去の焼き増しで手習いっぽく「歌ってるだけ」みたいな人がけっこう居るんです。そういう歌手の人、シャンソンだけでなく、歌謡曲のカバーとかもよく歌ってますね。

東京に居ると、この両者の関係がはっきり棲み分けされてるので、みんなわかって聴いてるんですけど、やっぱりこっちじゃみんなわからなくて、まあ、僕がそれをどうこう言う問題じゃないんですけど、楽しんでるならいいんだろうけど、指導的目で見ると、つい「なんだかなあ」って思ってしまうんですね。
何もなければ考えずに済むのだけど、今日みたいに(新聞記事見たりして)視界に入ると、もう不快で一日むかむかするんですw

もう困った性格ですね…。もちろん僕は被害者だったから、と言うのもあるんですけどね。往々にして加害者のほうが逞しく生きていますね。どの世界でも。はぅ。

*yuhka-uno
ありがとうございます。「カバーばっかりしてる音楽家」って、そういう人のことなんでしょうか。表現物が「排便」という形で出ていないというか(笑)。
 
加害者は、他人を踏み台にしたっていう自覚がないから、逞しく生きられるんでしょうね。まぁ、とりあえず今のところは、私もなんとか頑張って生きてみようと思います。


ありがとございます。最近いろいろ愚痴って心苦しいです。
そうそう、そんな感じ。「表現してる」とも思えない。なんか偏見なんだけど、他人の作ったものに乗っかってるわけだから、よほどの主張とか自分カラーやリスペクトでもいいけど、そういうのがない限りは排便じゃない気がするんですよね。
まあでも、かれらのしたいことは、「音楽やジャズをより身近に」ってことなので、大物がめったに見られないこんな田舎では、それもじゅうぶん意義はある気はします。僕は個人的に、仲間だと思えない、ってだけで。

小姑さんはちゃんとオリジナルだし排便だと思います。ただ、その為に周りを傷つけて平気、だというのは、地方での活動の難しさから病んでしまった、という点は同情できるけど、それでも、彼女の活動の為に僕や、それ以外の他人も踏み台にされる、というのはやっぱり納得いかなかったなあ。

難しいですよね。
うん。頑張って生きてみる!しか言えないですね。


*yuhka-uno
最初、maicouさんが「カバーばっかりしてる音楽家」のことを仰った時、私が思い浮かべていたのって、クラシック音楽の演奏家だったんですよ(笑)。だから、「え?なんで?」って思っていました。
一流の演奏家って、原曲を吸収して消化して排便しているってことなんでしょうか。
 
たぶん、maicouさんのお話って、私にとって吸収要素になっているところがあると思うんですよ。いつか何らかの形で、消化して排便させて頂くことになるかもしれません(笑)。


クラシックって作曲家主体なので、作曲家が作品に込めたメッセージを演奏家が研究の成果、もしくは独自の解釈としてとして提示してみせる、というものですね。よほどじゃない限り「譜面そのもの」の変更はないんです。
ジャズの場合、その自由さを悪用して、和音もメロディも「解釈」と称して改悪されることが多く、たくさんの劣化コピーを聴かされることになります。でも「ジャズという雰囲気」に騙されて劣化コピーだと気づかない人もたくさんいて、そこが僕は抵抗あるんです。
あと、クラシックの曲は訓練しないと書けないですけど、ジャズやポピュラー音楽ってハードルがそれほど高くないから、頑張ればオリジナルはすぐ出来ると思うのですよ。そういう音楽でありながらそれをせず、劣化コピーに甘んじた活動をしてる、というのは、どうも認めがたいんですね。こんなこという僕も相当頑固ですけどねw

そうですか。少しでもお役に立てたら嬉しいですよ。僕もずいぶん自分の中で固まってきている感じがします。僕の排便もきっとあります。音楽というカタチで。


*yuhka-uno
実際には改悪や劣化コピーであるものを、「こういう音楽なんです」みたいな感じで提供していることが多いから、ということでしょうか。
ジャズって、「なんかよくわかんないけどオシャレな感じ」がしますもんね。私も全然わかってないですw
 
今のところは、次回のmaicouさんの排便を見るために、頑張って生きようと思いますw


その後、こないだの古いCMの話から、いろいろ歩いたり書いたりしつつ考えてたのですが、たとえばうちの近所に「本場讃岐で修行し免許をもらった」と称するうどん屋があるのですけど、高い割りに美味しくないんですね。ただ、話によると「本当に」美味しい讃岐うどん屋もあるようなんですが、手打ちで「麺が無くなったら閉店」みたいな店なので、僕みたいに通常の時間に食事をする習慣が無いヒトにとっては一生食べられませんし、そもそも何故長崎にきてわざわざ讃岐うどん?と思うから、僕はあまり興味も無いんですね。それより近所の定食やとか場末っぽい中華屋に行ったりしますよね。そうでなければ、味の確証がある(知ってるから)リンガーとかチェーン店に行きますね。
たとえば香川県のヒトが来て、こっちの讃岐うどんと称するものを食べたら「こんなもの、讃岐うどんじゃねえ!」と怒るかもしれません(僕は蕎麦については時々そう思いますw)。
ともかく、せっかくこっちに来たのだから、こっちの土地臭バリバリなものを味わっておきたい、というのが僕の感覚ですね。
でもこっちにいてずっと地元から出ないヒトにとっては、こっちに居ながら「讃岐の味」と「都会の空気」っぽいものに憧れて味わってみたい、と思うじゃないですか。そういう意味での「ぽい」というのが、音楽にも当てはまるんじゃないかって思ったんですよね。僕は東京生活が長く、ピンきりでいくらでもどんなものでも触れて楽しむことが出来ました。だからわざわざ「それっぽいもの」を見たり聴いたり味わったりせずとも、本物のほうを知ってるし、別に長崎で讃岐うどんなんか食べるようなことには興味が無いわけですね。でも、一生ココから出ないヒトにとって、もしくは他所に興味が無いヒトにとって、またはこの土地最高!みたいなヒトにとっては、そういう他所の風習は「それっぽいもの」でじゅうぶんなんじゃないかなって思いました。

来て4年も経ってしまったから着たばかりの頃の感覚をずいぶん忘れてます。唐人屋敷のこといろいろ検索してて見つけたブログの中に面白い話が書いてありました。旅行で来たヒトがこっちのヒトに「観光したいからオススメの場所教えて」と尋ねたら、市内にオススメなんかない、五島とかそっちのほうに行け、って言われた、って。ああ!僕もそうだった!と思いました。こっちのヒトに「観光地のオススメ」を尋ねてもみんなそう言うんです。オススメなんか無い、しょぼいから、と。
振り返ると、僕はそういう人に呼ばれて移住してきて、影響を受けて、期待に応えてもっと本格的なものを、と気張って、今のような感じで頑固になってしまったんじゃないかって気がします。
田舎のCMやTVの音楽なんかが古くて味わいあるように、別に「なんちゃって讃岐」でもいいと言うヒトもたくさんいるわけだし、それを「そっちの讃岐はインチキ。こっちの讃岐のほうがもっと本物に近い!」とか言っても、それはどっちも似たものどおしって言うか、不毛な争いのような気がしますね。それよりは「インチキ讃岐なんかより、近所のボロ中華屋のちゃんぽんのほうが数百倍美味いんだぜ」と言ってやりたい気分です。

そんな感じの思考の流れでした。長いw

井上ひさしの件は、僕はずいぶんショックでしたよ。まあ僕だってロック好きだし、相応アーティストでは、変人虐待男尊女卑など、枚挙に暇が無いようなくらい酷い人間ばかりです。昔はそれも破天荒でいい、みたいな風潮だったけど、今後は厳しくなるんでしょうね。それでも僕はどうしても音楽優先に考えてしまうので、たとえば玉置なんかは、酷いなと思いつつも、でもあの才能(実際にすごく上手いヒトです)のこと思うと複雑だ、というのが正直なところです。まあでもだからと言って、玉置の代わりが居なかったか、と言われるとそうでもない、好きなヒトには申し訳ないけど、彼がたとえ登場しなくても、代わりの上手いヒトはいくらでも世に出る機会はあると思いました。そう考えると、井上ひさしも同じですね。今みたいな世の中で、彼のようなヒトが登場する機会が無かったとしても、また別な才能が代わりの世の中に出てきたんじゃないか、って気はします。
と言うか少なくとも僕はそう思いたい。芸術とか言っても絶対的なものじゃないんだから「生んだヒトそのものの崇拝」なんか、しちゃいけないんだ、と思いたい、って言う感じかな。難しいですけどね。

*yuhka-uno
うーん、日本でイタリア料理とかフランス料理とか食べるのに似てるんでしょうか。それの国内版みたいな(笑)。イタリア人に「こんなのイタリア料理じゃない!」とか言われても、日本料理ばっかり食べるのも飽きますし、たまには「なんちゃってイタリアン」とか食べたくなりますね。まぁ、「本格」と銘打っておきながら、高い割に美味しくないとなると、流石にムカつきますけど(笑)。
自分のところに、ちゃんと本物だって面白いものだってあるんだってことが、わかってるかどうかってことなんでしょうか。
 
その人の生み出したものとした行為について、分けて考えられたら、と言う人もいますけど、でも実際には、行為と生み出すものは地続きだったりするし、そうそう割り切れるもんでもないですね。
色々と難しい。でも少なくとも、島田紳助の暴行事件の時みたいに、周りが変に庇うのは、かえって本人のためにならないということだけは、確かですね。


そうそう。そんな感じですね。
そういえば私、Led Zeppelinの大マニアで(有名な研究サイトも書いてる)大好きなんですが、ある年齢以上の音楽ファンとかプロのミュージシャンからも、物凄く評判悪いです。古いブルースからパクリまくりだし、ただやかましく、歌もキーキーわめくばかりで酷い、という評価ですね。実際それは僕も認めます。でもサウンドの構成とかにハンパないオリジナリティがあり、唯一無二のサウンドで今やヴィンテージ扱いの殿堂入りですからね。もとはパクリでも、それくらいなら最終的に認められるということなんでしょうね(僕はもとのブルースもたくさんちゃんと聴きました)。
その、Zeppelinが評判が悪い話ですけど、僕は実際に音楽の世界で仕事をしてたとき、いろんな同僚や先輩に「あんなインチキな音楽、ケッ」と言われましたw そういう部分は世代関係なく、自分の分野にストイックな人なら持ってる拘りでしょうね。芸に厳しい人が寛容だと逆に気持ち悪いです。関係のない他人の前でそういうことむやみに言ったりしないだけでね。でもそれは、あらゆるものがある東京だから成り立つので、こっちのふにゃふにゃ讃岐が本物と思ってる人を、うまく騙して楽な商売してるようなことには、やっぱり苦言は言いたくなっちゃうんだろうなあ。
スパゲティに関しても日本オリジナル料理ですよね。アレンジで本物とは違う美味しいものになってしまう、というのはZeppelinとも似ています。

クリエイターのDVやジェンダーな話は、ホントいろいろ考えさせられますよ。今の時点での気持ちで言えば、今までのことはしょうがないだろう、という感じです。今までが江戸時代みたいなもので、そういう時代に普通とされてた倫理観を、今の倫理観に当てはめて計ることは無理があるって。ただ、そういう偉人伝みたいに奇麗事ばかり伝えるのは、もうやめなきゃいけない、一面ではこういう非人道的な人間でもあった、ということも含めて、もう教えていくべきだ、としか言えないですよね。
紳助みたいな「現在進行」でのものについては、その過去の倫理観を当てはめる必要はないですよね。どんなに優れた人であろうが、そこは苦言するべき、でいいと思ってます。それこそ、まえのセクハラの話のように。

*yuhka-uno
なるほど。古くて良いものと、ただの流行遅れが違うように、明太子スパゲティやナポリタンと、ただの劣化版讃岐うどんは違うってことですね。
この前、ジャズのお話で、実際には改悪や劣化版でしかないものを、ジャズの持つ「なんかよくわかんないけど、オシャレな感じ」という雰囲気で誤魔化して提供するのって、「なんか詐欺っぽいな」って思ったんですよね。「本場讃岐で修行し免許をもらった」と称して、高い割に美味しくない劣化版讃岐うどんを提供するのも、詐欺っぽいですね。
明太子スパゲティやナポリタンは、ああいう料理だっていう前提があるから、詐欺じゃないですね。「本場イタリアンじゃないのはわかってるけど、明太子スパゲティが食べたい!」って思いますもん。Led Zeppelinもそんな感じなんでしょうか。「もとのブルースが良いのはわかってるけど、Led Zeppelinが聴きたいんだよ!」みたいな。
 
>そういう偉人伝みたいに奇麗事ばかり伝えるのは、もうやめなきゃいけない
 
ああ、これは本当にそう思います。そういうことですよね。
そういえば私は、父が車の中でビートルズの音楽をかけていたので、私の世代にしては、ビートルズの存在を早い頃から知ったほうなのかもしれないんですけど、知ったからといって、じゃあ興味を持つかっていうと、特にそういうわけでもなかったんです。流行りのJ-POPより、なんとなく好きだとは感じていましたけど。まぁ、そもそもあんまり、音楽自体にそれほど興味を持っていませんでしたし(笑)。
Motherが衝撃だったのは、内容に共感したから、というのももちろんあるんですけど、それまで「なんかすごい音楽家らしい」という、漠然としたものだったジョン・レノンの認識が、「生きてた人」に変わったからなんですよ。生身の人間の存在を感じたんです。それでジョン・レノンの人生に少し興味を持って、ネットで調べたりしたんですね。
だから、その人がどんなに凄かったのかを知らない世代にとっては、偉大な存在とかカリスマとかじゃなくて、生身の一人の人間としての取り上げ方のほうが、興味が持てるということもあるんじゃないかなって思います。


熱くなってヘイトジャズみたいになってたので落ち着いて考えてました。
何のジャンルを演奏するにしろ、どんな食べ物屋を運営するにしろ、結局「人」なんだと思うのです。たとえば小姑やセクハラ野郎と同じような世代で年齢の人でも、東京で活躍の人でマトモな感覚の人は大勢居ます。むしろそうじゃないと生き残ってない。古いジャズの人だから、80年代音楽学校系だから、というよりは、ただ単に本人がアップデートし損なって着いて行けてない、ってことに過ぎないんだと思いました。
小姑はよく僕に言ってたんです。今どきジャズなんか滅び行くジャンルで誰も聴かないし、自分の活動場所もどんどん消えてゆく、こんな化石みたいな音楽なんか生き残れないのかなあ、と。でも、こっちに戻って10年間、姫様扱いされて時代錯誤な活動でそういうイメージを与えてたのは本人なんです。その10年でネットも一般化したしパソコンで制作できるようになったし、それらのおかげで使う費用だって半分くらいになってるのに、自分はそういう事に全然馴染もうとせず、いまだに10年前の感覚のまま、しかもそのときでも古めかしかった姫様スタイルで継続しちゃって来たのだから、それは自分の責任なんですね。そんな時代遅れでお金にならないようなものを、わざわざ姫のわがままに付き合ってまで、誰も売りたいと思わない、だからみんな自然に距離を置く、ますます小姑、居場所なくなり切れる、みたいな悪循環だったんだろうなって、想像できます。僕はまだ一生懸命耐えたほうだと思います。
僕と別れてすぐに、小姑は、僕の天敵女子歌手とコラボを始めました。この歌手もいつの時代の人だ?ってくらい錯誤な感じの人で、似た者どうしは惹かれ合うってホントだな、と思ってるところです。
まあ僕も人の事は言えないです。彼女たちの中に、他ならぬ自分の「もうひとつの未来の姿」を見てしまったからこそ、急いで逃げなくては、沈む船から脱出しなければ、と焦って行動したのかもしれません。

80年代メソッド系については、もうひとつ個人的にあります。それは、当時のジャズの人々が、もうほぼ全員と言ってもいいほど、ポップスやロックをバカにしてたんです。差別ですよね。完全に、自分たちがやってるジャズという音楽より、一段下に見ていました。クラシックの人もそういう傾向はあったけど、それほど酷くもなく理解もあったし、僕もクラシックは好きだったし、ジャズの人々とは全然違う人種でしたね。そういう過去のトラウマと言うか、積年の恨みがあるんですね。笑。そんな時代から月日は過ぎて、やっと通常の立ち居値になってきてホッとしてたのに、こっちじゃ相変わらず根強い上に時代錯誤の化石がのさばってるから、もうストレスフルでしょうがない毎日です。

昨日ちょうど市川森一さんが亡くなり、いろいろ思い返していたんだけど、僕がこっちに来て、地元の人と話すとき、何かのとっかかりで、こっち出身の有名人とかの話するじゃないですか。そうするとほとんどの人がよく言わないんです。反応も鈍いし「痛い人、変な人」みたいな扱いなんです。福山もそうですね。こっちでファンという人に会った事がない。
僕の故郷の出身と言うとカルーセルマキとかですよw それで「あいつは変な奴」とか言うなら判るんですが、こっちは偉人有名人たくさん居るのだけど、みんなすごい冷たい感じがしました。そのくせ「龍馬が愛した」とか「ましゃの縁の店」とか売ってたりするんです。
市川さんもやっと最近「蝶々さん」とかそういう故郷の事をとりあげて認められつつあったところですけど、それでも随分遅きに失したな、という想いはあります。僕が好きだった時代劇にしろ、そういうのに憧れてきても、当の地元の人が連れない感じでは、これはどうにもならないなって思いました。そのくせ自分の町が大好きで(と思い込もうとしてて)、プライドが高いので、すごく付き合うのが難しいですね。そういう「個人」はよく居ますけど(上司とか同僚に当たると大変w)、街の重責に当たる人々が概してそんな感じだと、これは困ったなあという感じですね。
奈良はさんまとかですよね。あとは僕が好きな佐伯ヒナ子とかもそうですね。そういえば思い出したのだけど、僕が中学時代好きだったコが奈良に!転校して行ったんです。今何してるんかなあ、とときどき思い出します。

そうそう、人間らしさと言うか、それこそ「等身大」です。人間くささを発見して初めていろいろ知る気になりますよね。だから僕は、ヒトにもそうあってほしいんですね。もちろん自分もそれを目標にしてるんです。いい話ですよね。ありがとうーございます。笑。

*yuhka-uno
生き残れていないのはジャンルじゃなくて自分だ、ってことでしょうか。
「姫様スタイル」や「時代錯誤な活動」というのが想像つかないのですが、具体的にどんな感じなんでしょうか。
 
奈良出身の有名人といえば、さんまの他には、城島茂や堂本剛がいますね。堂本剛はすごく「奈良愛」が強い人ですね。最近、奈良をテーマにした新曲の広告が、電車に貼られていました。
でも、よく言わないとか、反応が鈍いとか、そういう感じはあんまりないと思います。個々人の好みはあるでしょうけど。私が小学生ぐらいの時は、普通に「剛と光一、どっちが好き?」っていう会話してましたし、普通にファンの人もいると思います。さんまの話も普通にしますね。
ただ単にその人のことを知らないから、反応が鈍いということはあっても、冷たいというのは、感覚としてはよくわからないです。福山も故郷を捨てたみたいな感じでしたし、出ていった人はそんなふうになるんでしょうか。
佐伯日菜子、調べてみましたら、大和郡山市の出身なんですね。城跡と金魚の町ですね。


ありがとうございます。
そっか。具体的に判りにくいですよね。
ちょうど今、バブルのときのことを書いたブログを僕も読みましたが、判りやすいように言うと、あの中の業界人みたいな感じじゃないかなあ。あと僕が思い出すのは、よく慰問活動などするヒトとかも、ちょっと時代錯誤のヒトが来たりしますよね。姫スタイル、ってのはドレス着てステージに出てくるような人みたいな、フジコヘミングみたいな感じの人というか。あの人はクラシックですけど、それをジャズでやってる感じと言うか。

生き残れてないのはジャンルじゃなくて自分、というのはそのとおりなんですけど、例えば僕のやってるような音楽だって「古臭い」んですよね。しかも業界も不景気で経済的にも崩壊しています。だから10年前と同じことしてて生き残れるなんか思ってないし、頑張ってるわけですけど、こっちの化石な人を見てると、この10年それを怠った、というか地方に居るのでそこに気付かないまま、ただ10年過ぎて10年分古くなってしまった、という感じなんです。今の時代にわざわざそれを見に来るようなお客さん、というのは、ただノスタルジーなだけじゃないでしょうか。
そう、例えば、例のCMがあったじゃないですか。あれは何十年も前のがそのまま流れてるから、楽しんだり笑ったりできるわけだけど、もし今、CM製作を依頼されて、あれと同じようなものを「ネタ」じゃなくマジメに作ったとしたら、それはちょっとありえない感じがすると思います。それが通用しちゃってる世界、と言えばいいでしょうか。でも実際は「通用してる」んじゃなく、大御所がコネで続けてしまってるので、新感覚の後輩の入り込む場所が空いてない、というのが現実だと思います。ネコに鈴をつける人が居ない、という感じかな。
だから、本当なら、東京で活動して戻ったような人は、そういうことに目ざとく気付いて、地方もローカル孤立化しないよう是正していかなくてはならない、という役割があるはずなのに、実際は逆で、古くて自分が無理しなくても生きられるから、古い状態のまま安住しようとしちゃうんですよね。都会に着いて行けなかったから、田舎に戻ってのんびりする、みたいな。もちろんそれでも全然いいんだけど、隠居した老人なら別にかまわないけど、そういう人が第一線で居られてしまうのは困ると僕は思ったし、そんな人に協力するのは、そんな彼らをますます延命させてしまうことになり、よくない、って気付いたってことなのです。

いま書きながら、自分の違和感を説明するのにどう言ったらいいのか、すごい難しいな、と思いながらいろいろ考えてました。また、それほどまで嫌わなくてもいいのに、他人のことだし放っておいてもいいのに、とも思いました。でも、その違和感がハッキリしないことには、自分自身も今後どうすればいいのか迷ってしまうし、浦島の玉手箱みたいに、ふたを開けたらあっという間に老人(年齢的なものじゃなく感覚として)、みたいなことになるのは嫌だと思ったんです。
それに、じっくり考えましたけど、やっぱりバブルのような人がそのまま生き残ってるのは良くないんじゃないか、って思ったのです。こっちに来て4年ですけど、僕が関わって失敗した人々は、みんなそういうバブルの感覚を残した人々ばかりでした。残酷なようだけど、みんな淘汰されただけなんですね。もちろん僕はそれに忠告もしてたんだけど、頑固だしイケイケだから聴かないんですよ。なので自業自得なんだって今は思ってます。そして僕も、そういう人々に関わるのは無駄なんだ、と気付いちゃったって事ですね。

剛くんも奈良なのかー。みんな悪く言わないのは、やっぱり「余裕」ですよね。だって大都市近県ですもの。見捨てられてないし、人々も行き来の自由がある。日本の西端とは違いますよね。たぶん、みんな、こっちの人、卑屈なだけなんじゃないかなって思います。
僕が親や過去のしがらみから解き放たれることが出来たのは、様々な経験もありますけど、もうひとつは大都市東京で生きているんだ、という自信や余裕もあったと思います。同郷の知人友人は、合わなかったりやっていけずにみんな故郷に戻りました。僕だけが生き残り、術を見つけたんですね。そういうことも大きかった気がする。

その、やっていけずに故郷に戻った人々、それが今こっちにいる音楽家、ですよね。僕は目的が有って来たのだから、そもそも彼らと合うはずもなかったのだよなあ…。なんだか寂しいですね。

僕が今、ココまで必死に尖っているのは、東京に戻ったときにちゃんとやっていけるように、感覚が鈍らないように、と考えてのことだと思う。だから、混ざったりしないよう常に気を張っている。
常にそんな状態では疲れてしまうでしょう?と思われるかもだけど、幸いなことに、若者は感覚が大丈夫なので、僕にもそういう安住の環境は少しあるんだよね。
もちろん、僕が目ざとく、そういう「新感覚の」若いコをちゃんと選んで付き合ってる(というか面倒見てる)ということもあるでしょうね。
そして、そういう「新感覚のコ」は、概して「こっちじゃ馴染めないコ」だったりもするわけです。

僕が居る意味はこれなんだろうなって思った。

*yuhka-uno
ありがとうございます。「姫スタイル」っていうのは、わがままとかだけじゃなくて、文字通りお姫様みたいな格好ってことでもあるんですね。とすると、滅んでいっているのは、音楽のジャンルそのものよりも、バブル的な手法ってことなんでしょうか。
 
私は音楽業界のことはサッパリなんですけど、今の時代って、多様化しているから、爆発的な流行が起こりにくい一方で、致命的な流行遅れというのも、あんまりなくなってきているのかなって思います。私みたいに、J-POPよりもむしろ墓掘り音楽のほうが好きだという若者だっていますし。ネット普及以前は、私はどうにも「近頃の若者」から外れているなって思ってましたけど、ネット普及以後は、私みたいな若者も、それほど珍しくなくなりましたから。
でも、墓掘り音楽に馴染みやすい私でも、バブル的な手法は古いと思います。まぁそもそも、私が好きな音楽って、バブル期よりももっと古いものですし(笑)。
 
一つ疑問に思うことがあるんですけど、バブル期のフランスに対する認識って、実際のフランスじゃなくて、やたらめったら美化と憧れでコーティングされた「おフランス」だったんですよね。もしかして、バブル期のジャズやシャンソンも、そういうコーティングがあったんでしょうか。
 
私ぐらいの世代の奈良人だと、さんまより先に堂本剛を挙げる人も多いんじゃないかと思います。彼、奈良市観光特別大使なんですね。ここ最近は、奈良でのコンサートも精力的に行なっているみたいです。
出ていった人に対して冷たいってことなんでしょうか。だから、福山みたいに出ていく人は、「故郷を捨てる」ような感覚になるんでしょうか。


そうすね。例の90年代CD復活以降は時代遅れというのはそうそう無くなりました。
思ったのだけど、僕は仕事がら、いろんな音楽をいろんな環境で聴くので、いいもの悪いもの時代遅れやそうじゃないもの、ピンきりで聴きますけど、それが一般の人々、例えば yuhka-unoさんもそうですけど、そういう方々の耳に届く場合には、すでに淘汰されて届きますから、古臭いとか時代遅れ、って言っても、ちゃんと「センスある墓堀り」になってるわけで、なので「本当に遅れてる感覚」というのを耳にする機会がないから、実感として判らないんじゃないかって気付きました。
今までいろいろ出した例では、やっぱり、讃岐の話が一番判りやすいかなって思いました。

ネット以降は、趣味の多様さのフラットさが判りやすく見えるようになりましたけど、90年代から、「近頃の若者っぽくない」趣味の人は数多く見受けられるようになってきてて、なので僕は、若者が墓掘りを聴いてると言っても、さして驚いたりしないのですけど、当の「近頃っぽくない」本人は、自分と同種の人がネットで見えやすくなって安心できる時代だろうなって思います。それは僕も、別なジャンルですけど、そう思います。
ただこんど、そういう趣味の表明をすると、そういうの昔好きだった恐竜を呼び寄せてしまう、という恐れもあるんですねw 「へー若いのに感心やね。どれどれ、おじさんがレクチャーしてあげようぞ」とかなったら最悪なので、僕は、例えば自分がビートルズマニアだとか、絶対に明かしませんで隠しています。

おフランスね。サブカル時代、90年代とかはそんな感じだったかな。でもジャズやシャンソンがコーティングだったのは、60年代くらいが発祥で、それこそ、僕の父の同期のTBSの人ね、彼の世代とかが銀座に繰り出し、ジャズやシャンソンでクラブ(イントネーション違うほうの)でホステスとお酒のみ、みたいな。
そういう60年代文化を、御洒落という事でもう一回復刻させたのが90年代サブカルですよね。渋谷系とかのあれですね。あの時代のものは「おフランス」という感じじゃないですよね。
バブルの頃の「おフランス」ってレストランとかショッピングモールとか、そういう箱物系で顕著だった気がしますよね。実際僕もよく洒落乙なバーでワイン飲んだりしてましたよ。僕はどちらかと言うと、バブルのときの音楽って、民族系と言うかワールドミュージックな傾向があった気がします。景気がよく金も合ったので、逆に精神的なもの求めたのかもしれません。

この街出てく人は、必ず悪口言って去るのですよ。なのでこっちでも悪く言われるんですね。だから「捨ててった」という感覚になるんでしょう。でも、捨てられるようなことしたのは、町のヒトのほうなんですけどね。僕も今は凄くその気持ちがわかります。
僕は今年のいろんな経験で思ったのだけど、こっちで何かする場合「完全に支配する」くらいの勢いじゃないとダメなんだと気付いたんです。大勢翼賛的というか、大きなものに巻かれてしまうから、反主流に転落した場合、存在の意味さえ失くしてしまうのです。雑魚扱いと言うか。とっても残酷な街です。
だから福山も、ああやって絶対的な権力と圧倒的人気という、誰にも有無を言わせぬようなパワーで君臨するカタチでの凱旋以外は出来なかったでしょうね。半端は許されません。怖いねw

*yuhka-uno
「センスある墓堀り」っていう表現が、なんか面白いです(笑)。そういえば、マックス・ラーベは、「現代風にアレンジするのではなく、できるだけ当時のままを再現している」と言っているんですけど、「現代人から見てあまりにも古臭く感じるものは省いている」とも言っていましたね。
確かに、その年代の音楽なら何でもというわけではないですね。「通」の人なら、私が古臭いと感じるものも、「くさや」とか「このわた」みたいなもので、味わえるのかもしれませんけど、私には無理ですね(笑)。
古いことをやっていても、その古いことをやっている自分を客観的に観る視点が必要で、その客観的に観る自分は、「現代人」にアップデートしておかないと、浦島太郎になってしまうんですね。
 
あと、ブログ更新しました。
記事内にも書いてある通り、私の場合、同種の人が周囲にいなかったとか、それ以前の問題でしたね(笑)。
 
「おフランス」というのは、実像からかけ離れた「高級なもの」扱いされてしまう、みたいな意味で言いました。一昔前のフランス発のブランド品の扱いとかもそうですね。ブランド化してしまったものって、偽物が出回りやすいですから。
ジャズの人たちが、ロックやポップスをバカにしていたということは、当時、ジャズがすごく「高級なもの」扱いされてたのかなって思ったのです。「おフランス」みたいに。かえってややこしくなってしまいましたね。すみません。
 
福山雅治みたいに、故郷を捨てるような気で出ていく若者のことについて、私はこの記事を思い出しました。この記事を読んだ時は、もしかしたらこれは日本の縮図なのかもしれないなって思いました。

 
「文化不況」というサイト、面白かったですね。色々思うことがありました。


>ジャズがすごく「高級なもの」扱い

ああ、わかりました!そういうことですね。
これは微妙に違うんです。当時も既にジャズは「古い」音楽でした。ヒットするのはロックとか歌謡曲とかニューミュージックですね。そんな中で「ジャズ」をやってる、というのはやってるほうも見るほうも「選民意識」があった様に思います。クラシックも同じだけど、こういう音楽を聴いてる自分が偉い、というような。
そんな中で、クラシックのほうは「やってる自分が偉い」という人は、そうそう見受けられなかったのですが、ジャズについては当時はまだまだ「自分はレベルの高い音楽をやっている」という意識がすごくあったと思います。それは逆に、さっき言ったように徐々に居場所がなくなっていくことへの反動のような気もします。強い相手(JPOPのような)に「あんなくだらないもの」と言って自分を保つ、というような。
当時でも、バンドブームで、インディーズであろうが、バンドのライブにはライブハウスに、それなりのお客さんが来た時代でした。ジャズのライブなんか高いし、小難しいんじゃないか、というイメージも強くて、みんな敬遠してました。結局、ジャズの生きる道は、ホテルのラウンジとか、何かのお洒落な付属品、というようなところしかなくなったんですね。つまり、食えなくなっちゃったんです。
僕がキャバレーをやってたころは、ちょうどそういう、ジャズの時代の終わりのことでした。だから、僕みたいな「ジャズなんか嫌いだ」という人も入り込めたんですからね。
今でも、ジャズ畑の人(特に年長の人々)の気持ちを支えてる、大部分は「プライド」だと、僕は思ってます。本人は否定するでしょうけど、僕はそう感じてるってことです。そしてその「プライド」部分が、よりきつくて食いっぱぐれる地方都市において、歪(いびつ)なカタチで顕著になりやすい、ということなんじゃないな、って。だから僕は、精神的に病んでるヒトと出会ってしまった、ということに過ぎないんだなって気付いたのです。たまたまそれがジャズ音楽家ではあったけど、それ以前に、自分の居場所がなくなって病んでしまった、という人だった、と。それが小姑。セクハラ野郎は、もともと営業マンだったこともあり、こだわりもプライドも(表面上)露にせず、より判りやすくレベルの低いカタチで提示して、どうにか生きようとしたんだと思います。でも、そもそも自分を偽ってるから、鋭いヒトには「あの人は何考えてるか不気味だよね」と言われるし、僕もそういう「本心」の探れないところが凄く嫌だったし、そして日々そんな状態だから、酒によって日ごろの鬱憤が爆発し、セクハラや酒癖として現れるんでしょうね。そういう意味では、その彼も病んでるんですね。だから、僕は合わなかったし、楽しくもなかった、ということだったんだろう、と思いました。その辺の詳細は、先の別エントリーで書きました。

ということで、では僕は居場所があるのか、と言われると、僕もないんですけど、僕は「オリジナル曲」を創りますから、例えて言えば岡本太郎w みたいなもので、居場所が有ろうとなかろうと、作品は生んでいくわけです。そうすると、貧乏だし仲間も居ないけども、精神的に病むことはそれほどないですね。実感として、自分はそれほど「病んできた」という実感もないです。特にキャバレー~ホテル以降は、ずいぶん好きなように生きたと思います。それは、周りの人々のお陰でもあります。感謝してもいいですね。これはw

僻地の医者の話、僕も以前読んだ記憶があります。恐ろしい話です。こっちもまったく一緒で、散々書きましたけど、偉い人や有力者、また出世コースの役人様とかもかな、こういう人たちが他者を排除してるんですね。
一般市民には責任はありません。弱い人々だから大勢に長いものに巻かれてるだけなんですね。いじめっ子側についてしまう生徒みたいなものです。今の僕は、この田舎業界で「あの人に関わると他のヒトから変な目で見られるので、遠めにしておこう」というような存在に既になってると思います。でも幸い、さっきも言ったように、僕のしてることは、自分自身でできることですから、それをしてる限りは生きていけそうな気はします。そして、それを評価してくれるのは、そんな有力者の恐竜どもじゃない、新感覚のお客さんですもの。悲観はしてないです。

墓堀りの件、そんなかんじですねw 「ただ古臭い」ひとは、田舎の商店街にある洋品店みたいに、ネタとして面白がられるだけになってしまうのですね。そうなってしまうのは自分の責任ですもの。
僕は小姑の代理人に最後に出したメールで「彼女の孤独死を貴方が看取ってください」と書きました。それが僕の言える精一杯のことだったと思います。

雨に歌えば、か。なるほどー。優れたものは時代の流れにも耐えて生き続けて行きますよね。レベルが高かったということでしょね。50年代のアステアとか見るとすごく思います。その影では既に消えてしまった山のような駄作もあったはずです。そんな中、現代に残ったものは、時代の変化でも鑑賞に耐えうるレベルだったんだ、と。
これも淘汰、ですね。

補足なんですけど、こっちでバンドする場合、結局若い学生のジャズの演奏家しか居なくて、そいつらと組んだのですが、意外に楽しかったんですよね。
そのあと、去年の3月、北海道ツアーに行って、札幌で同じようなジャズの若者を後輩に集めてもらって、即興ライブにしました。そのあとみんなで飲んだとき、僕が思ってた、ココでいろいろ書いたジャズに対する偏見ね、それを正直に言って、どうなるかと思ったけど上手くいってよかった、と言ったところ、確かにそういう偏見やプライドはある、でもそれは年長者に顕著で、今の時代、20代の若者は、ジャズだから、JPOPだから、みたいな偏向はなくて、普通に楽しくやってますよ、だから大丈夫だと思いますよ、と言われました。
なので、やっぱりそこも「恐竜」なんですねw 古い連中が、偏見を持ち、囚われてる、僕はそれに振り回されて勘違いしてた、と言うことでもあったと思います。

最近ジャズまた流行ってるみたいですよね。若者のジャズならきっと楽しいと思いますよ!

*yuhka-uno
なんか、ジャズの人たちも、自ら敷居を高くしてしまったようなところがあったんでしょうか。もともと「下流」から発祥したものが、時代を経るとともに「上流」になって、いつのまにか敷居が高くなってしまって、敬遠されて衰退していくものってありますもんね。
これって、着物の世界に似てるような気がしました。旧来的な呉服屋さんは、敷居が高くなってしまって敬遠されている一方で、若い人の間では、普段着として着るリサイクル着物やアンティーク着物を好む人が増えてきているみたいですし。
 
あの無医村地区の話が当てはまるのなら、若者が故郷を捨てる気で出ていくのも、地元の人が出ていった人に冷たいのも、多様化できないのも、「君臨」する形でないと存在できないのも、過疎化が進むのも、全部納得ですね。
井戸が埋まった時に、「とりあえず『よそ者』のせいにしておけば、一番波風が立たない」というふうになった話が、maicouさんの体験と似てるのかなって思いました。
 
淘汰で思い出したんですけど、私が「昔は良かった」っていうのが嫌いな理由の一つが、「いつの時代だって、良いもの悪いもの、ピンからキリまであるでしょ。良いものだけが今の時代に残ってるってことなんだから、そりゃ昔のものは良く見えるよ」ってことなんですよね。それも確かに理由にありました(笑)。
 
何かしら「排便」ができないと、「便秘」になって病むってことでしょうか(笑)。それも、できれば公の場に発信するような形で。


そうですね。
ジャズとは言うけれど、その進化の過程で、楽器の演奏スペックを至上に高める、という目的が生まれて、そうすると、以前言ったドーパミンですよね。内容はともかく、演奏自体に意味を見つけるようになってくる。あとは、高度なメソッドに沿って臨機応変にセッションすることも、すごい快感ですよね。これも前に言ったけど、難しい道を曲乗りで乗りこなすみたいなところがありますね。そういうことを繰り返していくと、簡単なものを軽視、というか、物足りなく感じて来るんだと思うのです。
その辺で、墓掘り系と、演奏至上主義のジャズが棲み分けられてしまったんじゃないかなって思います。墓掘り系は、言い換えれば「古典」なんですよね。古典をするヒト自体が少なくなったんでしょうね。

ロックやポップって、簡単なものをしっかり演じることでうねりが生まれる音楽なので、そういう部分がジャズ系とは合わないんですよね。あとは、ポップって「歌」じゃないですか。歌って、いいメロディじゃないと受け入れられないし名曲にならないから、いくら楽器が上手かろうがメソッドを乗りこなせてようが、「鼻歌でもいいメロディ」のものには絶対敵わないんです。
優れたプレイヤーは、本業がジャズであろうと、しっかりロックの理論でリズムで演奏できるんです。日本でも外国でも、スタジオでレコーディングしている演奏者は、ほとんどそういう人だと思います。
そこまで至れなかった半端なヒトが、自分理論を振り回して他ジャンルのヒトを乱してるんじゃないか、って思います。そういう人の内心には「ロックやポップスよりジャズのほうが高等だ」という意識があって、そういう行動をしてるんじゃないかな、と。
で、こういうことは20年前には東京でもよくあったのだけど、自然淘汰されたり、自分も成長してきて、そんな人種と会わなくなって、なので、すっかり沈静化した、と思ってたのですけど、こっちに来たら、そういう意識がすっかり20年前なので、げげげー、なんだこれはー、20年前の価値観いやん、みたいにゲッソリしたんですね。

文化人を自称するような人種は、やっぱりお洒落で上流なモノに惹かれると思うのですよね。そういう、田舎スノッブを満足させるためにこっちのジャズはあると思う。
地方では、そういう意識を一回りさせて「むしろ簡単なポップにこそ真髄がある」みたいな考えまでは至ることが出来ないのです。普通に「大衆に迎合するダサいヒト」に見られてしまうので。
だから、ジャズはむしろ、そういう人々に利用されてしまった、ってことなんじゃないかなあ。そんなことを個人的に想像してみましたよ。

そうだなあ。よそもの。
また一昨日くらいに、僕の噂話をしているという情報が耳に入りました。用とか確認したいことがあるなら、普通に直接言って来ればいいのに「今のMaicouさんは、こんな感じらしいので近寄らないほうが」みたいなことを、みんなで遠巻きに言ってるらしい、って。もうアホかと。そうやってウォッチングしてるほうが楽しいですからね。それならそれでもいいか、と。ホント気持ち悪い人たちですよ。ふぃー。

うん。徐々に便は溜まってきますよ。満を持して大放出すると気持ちよさ数億倍じゃないですか。それを楽しみにしているのですよw

*yuhka-uno
すみません、以前私がここで貼った「Ted Weems - You're The Cream In My Coffee」みたいなのは、「古典」のほうという理解で合ってますか?
 
自分個人単位で自信が持てない人は、ナントカの威を借る狐のように、自分の「属性」で自尊心を得ようとする傾向があると思うんですけど、「そこまで至れなかった半端なヒト」っていうのは、そういうことなんでしょうか。それが、東京のほうでは、どんなジャンルをやっているかより、結局「人」だという時代になっているのに、地方じゃそうじゃなかったってことなんでしょうか。
「田舎スノッブ」というのも、以前maicouさんが仰ってた、地方の人は基本的にミーハーで、自分で決められない、価値基準を外側に置いてしまうというのと、関連しているんでしょうか。
 
居場所がない、というお話、maicouさんの状況とはまた違うと思うんですけど、「あれ?そういえば、私も居場所ないんじゃね?」って思いました(笑)。まぁ、一時期は本当に居場所がなかったですけど、今では徐々に自分を取り巻く環境が改善されつつあるのを感じます。こうしてmaicouさんとお話ししている間にも、私を取り巻く環境が少しずつ変わっていきました。まず私が変わって、私の変化と共に、家族も少しだけ変わってきた感じです。良かったです。


先日、高校までこっちで、いまは他所に住んでるヒトと話したのだけど、やっぱり、出てからいろんなこと見えたって言ってた。結局、ミーハーなものしか求められてない、というか、この田舎で生き延びる術として、軽くないとやっていけない、という事情を悪用して、適当な技術で音楽性でも派手にやれば受け入れられる、それをみんな実践してるんだろうね、という話になりました。
セクハラさんにしろ、例えば本職は管楽器なんだけど、最近になって笛とか(酷く下手です)、ピアニカとか、そういうお遊びレベルの雑用を始めたりするんですね。僕らなんか、こんなことでプロでやっていけるの??って思っても、やっていけちゃう。なんてチョロイ街なんだ、ここは。って。僕がこっちに来て思ってた違和感は、まさにそこに集約されるので、ああそのとおりだな、って思いました。
基本的に、一般人はみんなミーハーなんだと思うんですね。それ自体は悪くないと思うのです。でも、する側がそれ利用して、みんな知らないのをいいことに、それに甘んじて稼いでいたのでは、一向に良くならない。結局、僕みたいな他所から来た人にバカにされてしまうんです。ふにゃ讃岐なんですね。
僕はそういう商売、どこか「100均」的だなって思いました。いいもの、便利なものあるんですけど、そのレベルでしかないんだ、っていう。「威を借る狐」ということで言えば、100均で買える「威」なんでしょうね。

こっちのトルコライス有名店で「きっちんせいじ」ってとこがあるんだけど、これは発祥の店じゃないのね。しかも、他のメニューはともかく「トルコライス」は美味しくない。しかし店の外観に、路面電車(本物)の一部を使って観光名所みたいにして、集客して、有名店になった。
こっちの音楽家で全然上手くもないのに人気を博してたり著名だったりするヒトをみると、この店のことを思い出すのよね。結局ヒトは味とかで来るわけじゃない、観光地なんだし、話題やネタになった方がいいと思ったら、やっぱりここでしょ、ってなる(発祥の店はちょっと離れてる)。
そう考えると、別にそういうことを売りにした店とか、ドコでも良くあるし、普通のヒトにはそれでいいんじゃん、と思ってね、田舎にそういう音楽家しかいなくなって、別に誰も困らないんだから、って。
ただ、だからって僕も同じにすることはない。僕は路面電車なんか客寄せで構えなくなって、もっとたくさんいいことができるでしょ。きゃつらと僕は別なんだから、って。そう思えたのは大きいなと。

でも思ったのは、そういうことに対して憤り感じて頑固一徹みたいになると、狭い町なのでお客さんとの距離も近いし噂もあっという間に広がりますし、頑固なヒトで付き合いづらいから、という評判が立つと、一瞬でハブですよね。こっちで潰れた人はみんなそういう過程を経て終わるんですね。なるほど、と思いました。
頑固でありながら、偏屈でもなく人当たりもいい。こういう人になれば生き残れるし、勝てるでしょうね。僕がそうしていく、というわけでもないけど、ちょっと考えてみようかな、と昨日思いました。

サブカルというジャンル、これがまさに「属性で自尊心」を売り物にした文化でした。もともとそういう部分はみんな持っていますね。なので、それを悪用する方が悪いのではないか、ってなんとなく思います。時代は変わってきているのに、まだそれが有効と思って続けてしまっている人々、という感じでしょうか。ひょっとしたら、個人個人では気付いたり「ちょっと違うよね」と思ってたりするでしょうね。でも地方では、その数自体少なくて同意者にも出会えないでしょうから、外に現れる形としては、ミーハーな人しか見えない、ということになってしまう。だから、そういう存在が自分以外に居る、ということにも気付かず、孤独になってしまう、みたいな。

いろんな人と通じ合って話して、居場所が徐々にできてくる。とてもいいことですよね。残念ながら、同じ街にはそういう人は居らず、既に出て行ったヒトか、こういう場所で出会った方、に限られてしまうのですけど、それでいいんだと思いました。

*yuhka-uno
>頑固でありながら、偏屈でもなく人当たりもいい。こういう人になれば生き残れるし、勝てるでしょうね。
 
セクハラの人や田舎スノッブのお話で、「レベルを下げることと、敷居を下げることって、全然違うよな」って思いました。レベルは下げないけど敷居が低い人ってことですか?
 
「トルコライス」が美味しくないお店、画像検索してみました。面白い外観ですね。まぁ観光客にとっては、どの店が美味しいのかわかりませんし、場所や知名度や外観のわかりやすさで選ばざるをえないところがありますよね。リピーターを増やしていくやり方じゃなくて、観光客の一見さんに特化したやり方なんですね。
 
例えば、地元のチームを応援する、そのチームが勝ったら嬉しい程度の「属性の自尊心」なら良いと思うんです。でも、その自尊心が先鋭化していくと、排他的になったりして、おかしなことになっていきますよね。
都会っていうのは、様々な場所があって、しかも可視化されているということなんですね。「ここに行けば、自分と同種の人間がいる」というのが見えやすいというか。地方では、見えないどころか、そもそもそういう場所すらないんですね。
たぶん、個人個人では気付いていたとしても、周りがそういう環境だと、自分からは言い出しにくいしやり出しにくいですよね。もし何か言ったとしても、そもそも他に同種の人間がいるとはわからないし、自分一人だけかもしれないって思いますから。


ありがとう。そうそうそんな感じ。
こないだ話した「ちょろい街」という視点がツボで、それはそのヒトが街を出て行ったから言えることで、例えば僕が「釧路はクソ」というのと似てる、そう思ったのです。
ちょろいから、誰から仕切ろうとすれば簡単にできる。音楽家も同じで、化石ジャズ連中はおそらく誰かに仕切られてるんです。で、僕は、仲間に入れなかった、はぶられた、というよりは「仕切られなかった」が正解だって気付いたんです。仕切ってるヒト、まあ一般的に「賢い」というのかもしれませんが、策士な感じですよね。そこはさすがの実力と思いました。
僕みたいな偏屈なヒトが、それとは相反する、親しみやすい曲を書けて、爽やかな(笑)親しみやすい外見であることは、神がくれたプレゼントだと思ったんですよね。昔は嫌でしたけどね。もっとストーンズみたいに悪者面に生まれたかったw でも今は、これがいいのかもしれない、と思いました。
レベルは下げずに敷居を下げること。これは最強だって気がします。

>光客の一見さん

ああそうだ。そのとおりですね。一回だけ騙せればいい。確かにそういう気がします。ただ、地元で通うヒトもそれなりに居ます。マスターもいいヒトらしいし、そういう意味じゃ、こっちの人みんなに言えるんですけど、意図せずにみんな小さな策士なんだな、って。あくどい、というより天然でそうなってるんです。そうやって生き残ってきた歴史があるから、自然にそうなった。これは気質だと思います。この街の、なのか、地方全般か、観光地にありがちか、その辺は僕はまだ判らないですけど。
食べ物の味とか音楽もだけど、はっきり言って個人の好みじゃないですか。それはじゅうぶん判った上で、でもトルコライスにしても、僕だけでなく舌の越えた地元のヒトも、あんなところで食べるな、元祖じゃないし、もっと美味い店教えてやるから、と言います。
他所から来たヒトが一番最初にあそこでトルコライスを食べて、「ああこんなもんか…」って思われちゃったらやっぱり損ですよね。別なトルコ食べてたら全然印象違うかもしれない。淘汰のレベルが都会と違うんですよね。って思います。

そっか。可視化っていうのはでかいですね。外に一回出たヒトは、存在を知っていますが、出ないままのヒトは可視化されてないと、ないものと考える。あるかもしれない、とかは、そもそも思いも寄らない、ってことですよね。

サッカーの例えはそのとおりと思います。地方ではどれに関してもそういうことですね。

インチキというものの真の概念が理解できたのは、千葉夢と魔法ランドとの出会いが大きいと思う。別に僕が好きで通ったわけじゃない。そうでなくて、友人知人が大量にバイトしてたの。もとはバンドの縁だったんだけど、最初に一人がバイトで入ってから芋づるで、知り合いがみんな入ってしまったの。
それ最初知ったとき「あんなんインチキじゃん。そんなところで働くなんて」って思ったのね。でも、徐々に哲学とか理念がわかってきて、あと、友人が目に見えて変わってきたので、すげー宗教みたい、と思ったのだけど、でもそれは悪いことじゃないと思った。
そして、音楽とかするときにおける、エンターテインメント性というものの基本は、案外これなんじゃないかって気付いたんだよね。
それまで僕は、音楽などにそういう付随要素があるのが嫌いだったから。でも、大勢のヒトを一瞬で騙して(いい意味で)、何かのメッセージを判りやすく伝える方法、これのヒントがあるだろう、と。それ悪用したのはヒットラーだけど、「いい意味で騙してくれる」のであれば、それは、騙されるヒトにとっては「一瞬の夢」でも現実でしょ。そういう、ショービジネスの基本を、その友人たちから学んだ。それはホテルの仕事の前だったけど、僕のホテルでの仕事にも多分影響あると思う。自分は自分のやりかたを見つければいいのだ。そう思ったんだろう。

*yuhka-uno
以前、「音楽の遺伝子」というお話をしましたけれど、容姿なんてモロに遺伝子ですよね。排除しようとしてもできないから、受け入れるしかないですね(笑)。
私は、見た目が実年齢よりずっと上に見られることがコンプレックスで、でも今では「大人っぽく見られるのも、悪くないよな」って思えるようにはなったんですけど、そうすると今度は、見た目の落ち着きに中身が伴っていないんじゃないかというコンプレックスを抱えることになってしまいました(笑)。
見た目はある程度誤魔化せても、中身は誤魔化せませんからね。まぁ、こういう自分を受け入れられるようになるのは、10年後20年後なのかもしれないと思います。その時に中身が伴う人間になることができれば良いな、と。
 
トルコライスのお話については、私も同じことを思いました。観光で行く人って、そのお店のトルコライスが「こんなもん」だと思わずに、トルコライス自体を「こんなもん」だと思ってしまうよなって。
そういえば最近、奈良のお酒で、パッケージを正倉院模様にしたら、売上が7倍に伸びたという話を聞きました。その時は単純に、「へぇ!パッケージって大事なんやなぁ」と思ったのですが、よくよく考えてみれば、中身あってのパッケージですよね。裸と服のお話みたいに。
ただ、奈良の場合は、もとはすごく良いものなのに、見せ方がイマイチで惜しいなぁと思うことが多いです。裸は良いけど服がダサイ、という感じで(笑)。
京都は、裸も服も良いですよね。センス良いなぁと思います。たぶんそれは、観光客相手の商売でも、競争が激しくて淘汰されていってるからでしょうね。そして、あれだけの一大観光地だと、本当に良いものは観光客には教えたくないということがあるでしょうね(笑)。
千葉夢と魔法の国には行ったことないんですけど、あそこってリピーターがすごく多いそうですね。観光客が一回行って「ああこんなもんか…」で終わらない。「騙し」のレベルが相当高いんでしょうね。


いやー。笑。3日間廃人でした。インタビューのページ見られましたか?でもやりがいはありました。最後の一仕事、みたいな感じでした。
このお返事いただいてからずっと、見た目が上に見える、ってどんな感じなんだろう、とずっと想像していました。例えば、背が大きかったりすると、中身より大人に見られて、大人っぽい言動を暗に期待されたりしますよね。それはそれで大変だろうなって思いました。
僕の場合、いま若く見られますけど、僕の人生一貫して若いのでw 例えば子どもや中学時代から「幼い」とか言われてましたので、それが今も続いてるだけなんですよね。それも遺伝子です。お酒が強いのも。不思議です。

パッケージの話は、そういうことよくあるだろうな、と思ってはいたけど、そうやって具体的に聴くと、ああなるほどなあ、と思いました。中身とともにパッケージという、イメージと言うか夢まで買っているのでしょうね。
僕は今一緒にやってる若いコに、中身が上達すれば外見も変わるんだ、って言っています。あと、京都の話し、おもしろい。その話聴いて、みんな僕には隠してるんじゃないか、とか邪推しました。ほら、トルコライス美味しい店を教えてくれたって言うヒトも、僕の音楽が好きで気に入ってくれて、それで好意で、親しくしてくれてそういうこと言ってくれるのだから、一元さんにはわからない部分も、この町もあるのかもしれない。表面上は凄くやさしいけどね。

まあただ、「せいじ」にしろ誰にしろ、頑張ってはいるのかもしれません。だから多分あれが限界なんですよね。それプラス、他人の意見も受け入れないから、ああなる。なんか残酷です。セクハラーさんも頑張ってますよ。TさんとコラボCD出すらしいし、良いことだと思います。僕がこうやって叩き続けることで、叱咤されて伸びることは今も期待してますね。敵が居なくなったら、ああいう商売はダメなんですよ。なので僕は今後も、ダメ出しし続けると思いますw

そう。夢の国は、この僕が行っても、本当に凄いと思いましたから、本当に日常を忘れますから、逆に、帰宅すると現実の悲しさに泣きそうになりますよ。
僕は、夢とか魔法じゃなく、現実そのものが素晴らしくなって欲しい、って願ってるから、だからホントは、ああいうのがなくなって、現実社会が楽しくなればいいのですよね。難しいよなあああ。

*yuhka-uno
燃え尽きた感じですか?(笑)
インタビュー記事拝読致しました。なんか、これまでmaicouさんとお話したことが、色々繋がった感じがしましたね。90年代に若者たちがCDカゴ買いしてたお話とか。あと、maicouさんが小西氏のコンセプトやアレンジを好ましく思わなかった理由と、その方が辞めてしまった理由って、共通した部分があるのかなぁと思いました。このやりとりの一番最初の方でmaicouさんが仰ってた「出来合いのホットケーキミックス」って、こういうことなのかな、と。
「ミー・ジャパニーズ・ボーイ」の動画も見ましたよ。単純に「面白いなぁ」って思いながら見ました。ああいうのが「策士」なんですね(笑)。
 
私、身長は中の上くらいですけど、顔も体型も細身で縦長といった感じなので、実際の身長より高く見えるみたいですね。あと、声が低いほうなんだと思います。だから、余計に落ち着いて見えるんでしょうね。それに私は「お姉ちゃん」ですし(笑)。仰る通り、大人の振る舞いを求められがちですね。まぁ、成人しか買えないものを買う時に、年齢確認を求められたことが一回もないので、その点では楽ですよ(笑)。
逆に、母は年齢よりずっと若く見えますね。人生一貫して若いみたいです。よく友達や先生から、若くて綺麗なお母さんだと言われましたよ。私は父親に似たんですね。
maicouさんは、声が高いですよね。maicouさんの創る歌もそうですよね。
 
意図して観光客に教えないのと、単純に地元の人しか知らないのとは、また違うと思いますが、たぶん、田舎の場合は、後者のほうが多いんじゃないのかなって思います。まぁわかりませんけどね(笑)。
 
>逆に、帰宅すると現実の悲しさに泣きそうになりますよ。
 
だからリピーターが多いのか! 夢と魔法の国怖いです!w


【intermission 3】


*yuhka-uno
バブル期の女性って、なんかすごい派手でブランド品持ってて華やかなイメージだけど、実際のところはどうだったんだろうね。
コギャル時代の女子高生と一緒で、表層的なものしか取り上げられてなくて、実際にはそうじゃない人も沢山いたんじゃないのかな、とか思って。
 
というか、マスコミが取り上げる女性像って、今でも、「流行に敏感でファッションとショッピングが好きな若い女性」か「主婦」かの、どっちかって感じがする。


当時僕が出入りしてたのは下町の方だったし、バンドしてる子もみんな貧乏だったりで、そう考えると服装とか外見は今とそう変わらない印象がありますね。でも世間の考え方が「イケイケ」だったので、そういうのに影響受けた「バブル」っぽいコもいました。でも僕らからすると、遠めに「ネタ」扱いして眺めてた気がします。

それは別として、営業や仕事そのものはたくさんあって楽でしたよ。ギャラの払いもよかったし、お客さんもたくさん来てくれて、けっこう楽しかったなっていう印象でした。でもそれは、ただ単に当時の僕らが若かったから、というのもある気がしますね。あと、みんなお金持ってたので機嫌がよかったです。これが一番大きいかも。

そう考えると「バブル特有の」恩恵は受けたかどうなのか、微妙かなって思った。

*yuhka-uno
経済的には余裕があったので、そういう面では気持ちにも余裕があった時代だったのでしょうか。
ただ、私みたいに「モテ」に縁がない女にとっては、会社に勤めても結婚しか逃げ道がないような環境とか、恐怖だなwと思いまして。


このこと考えてたとき、こないだたまたまシンデレラエクスプレスの動画みたのですよ。CMもだけどユーミンの曲が好きでした。

こうやって未婚のときは美化してドラマみたいに仕立て上げて、でもそうやって煽るだけ煽っておいて、成就の先は誰も用意してあげなかったのね。確かに、その先は「幸せな結婚」という選択肢だったのね。

メディアや社会の人って、常に「お金使ってくれる人々」が好きなんだと思うんです。煽ってお金になってたから、それで続けてたのね。いま「若者の~離れ」とか言ってるのも同じですよね。お金使わない人々は「敵」なんですよね。すごい考え方だなあって思う。
当時の知り合い女子とか、会社は3年で辞めることが通例になってる!とか言って、3年経ってどこに行こうか、結婚するしかないのか、とか言っていましたね。結局、辞めたあと生保のセールスになっちゃった。それくらいしか、一般女子の仕事先がなかったんでしょうね。何か手に職あるひと、たとえば美術部だったコは、そういうデザイン関係とかに行ったりもしたけど、ごく一部だった気がします。それでも、お金はあったからなあ。自分がなくても世間にはあったから、気分的に楽だったと思います。だから「自分探し」とかできたんだろうね。

なんか、いろいろ過去のこと思い出して、複雑な気分ですわよw

*yuhka-uno
なるほど、「若者の煽り離れ」なんですねw 趣味が多様化した時代だから、ジャンル内での煽りはあるかもしれませんけど、若者全般に対する煽りが、なかなか通用しない時代なんでしょうね。
もしかしたら、趣味が多様化したことの他に、これまでの煽りが幻想だったってことに、皆気付いてしまったっていうのもあるのかなぁと思いましたよ。夢から覚めたんでしょうかね。


それまでは、価値観を他人がいくつか提示して、そこから選ぶ、みたいな方式だったのが、すべてのなかから無限に選ぶことが可能になったという感じなのかもですね。親鳥から餌を貰ってた小鳥の状態から巣立って独立したのでしょうか。そう考えると、若者の方が全然オトナなんですよねw

*yuhka-uno
若者がオトナというよりは、時代がオトナになってきたのかな、と思います。バブルという「反抗期」を過ぎて。
「すべて」とは言っても、一人の人間が見聞きして接することのできる範囲は限られていて、結局は自分に縁があったものの中から選びとるわけですが、ネットが普及するということは、今までより格段に縁が増えるということなんでしょうね。だからmaicouさんともこうして出会うことができたんですね。
 
こういう時代なんだから、生き方だってもっと多様化しても良いと思うんですけどね。たぶん、これからはそうなっていくんでしょうけど。


その3 に続く!

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2011年10月13日

往復書簡 その1

というわけで予告どおり。
私 maicou と id:yuhka-uno さんとの「往復書簡」をこちらでマトメました。

超ロング書簡なので読み応えあると思いますし、むしろ無理して読まなくともいいかもしれませんが、一応あげておきますね。お相手の方(yuhka-unoさん)の発言は引用にしています。

それから、やり取りしてゆく途中から、徐々に当初とは考えが変化してくる部分もあります。初めのほうの部分だけ読んで、結論を想像してしまうのは、ちょっと違うかもしれません。そういうことを考慮しつつ、ゆっくり読んでいただければ(現在進行中なので、どんどん追加していきます)。


【往復書簡】
最近 yuhka-uno さんの一連のエントリをざっと読んで、僕がこの土地に来てからの苦悩の原因は、ほぼそこに書いてあるとおりの感じなんだなあ、と思った。
成人してからの僕の成長の歴史は、彼女のブログで提示されてる様々な問題を、自分で気づき、対処法を見つけ、環境もそれに合わせ、歩んできたものだった。その過程で付き合う人間も自ずと変化し、自分自身の仕事レベルも向上し、なんとか望みのスタイルで仕事が可能になったのだ。

コチラに移住して起こったのは、それら全部をチャラにされる、ということだった。すべては自分が成長を始める前の状態に戻ってしまい、もう一度頭からやりなおしになってしまったのだ。それでもまだ、気持ちや経済的に余裕があり、しょうがないなあ、などと思ってるうちは良かった。だんだん現実が僕の生活を侵食するようになると、自分も「赤ちゃんがえり」してしまい、コントロール不能に陥ってしまった。ココ1年の僕は「町全体から苛められている」という妄想?で本当に死にそうな気分が続き、実際3月に倒れてしまった。

先月、あるヒトの理解をきっかけに、そうした負の連鎖がちょっと止まった気がした。それ以降に出会って話した相手は、一昨日会った新聞記者さんも含め、(自分的に)マトモなヒトばかりだった。真っ暗闇のトンネルの中、妖怪みたいなものが追って来るみたいな恐怖感に煽られて、出口はどこにあるんだー?みたいに闇雲に走ってたら、チラッと光るものが見えて「あ、あそこ、もしかしたら出口?」みたいに思った感じ。

やっぱり自分自身で掴んだ、自分自身のコントロールのノウハウは、何にも代え難いし、それでよかったんだってことよね。この土地にはこの土地のやり方があるんだからって言われて、それへの順応を強いられたら、それはイコール自分自身のキャリアも全部失ってしまうことなんだ、って。

なるほどなあ。

こないだ新聞のヒトといろいろ話して気づいてメモってたんだけど、今思い出したので。
結局、僕はなんでこっちの同業(?)とソリが合わないかっていうと、そもそものモチベーションの元が違うんだってことなのよね。普通表現活動しようとするヒトって、自分の中から何か沸いてくるとか、せずにはおれない、とか、何かそういう自分の中から沸くモチベがあるのだけど、そういう人はみんな出て行ってしまうからね、こっちに残ってまでそういう事するヒトって言うのは、その意味付けが別なところ、たとえば平和を訴えたい、とか、ヒトの心になにかしたい、とか、そういう余計な意味付けがくっついてるのよ。僕は元々そういうのが大嫌いなので、なんつうか、表現活動に何か別な意味付けするのって、すごい胡散臭くて嫌なのね。だけど、こっちのヒトほとんどそうではないから、ほとんどの活動が、そういう別な運動との連動で行われてるので、特に震災以降は、もうほとんどそれなので、僕はする事がないのよ。いや、してもいいけど、開店休業っていうか、誰も見ない聴かない、っていう状態で相手にされない。それが3月以降の今の僕に起こってる事です。
なんつうか、商業主義が全て正しいってことじゃないけど、大きなマスに伝達されていくのに資本って重要で、それは健全だっていう意識が僕の中にあって、それは元道民時代にホッキョウソ的アカに染められた反動でもあるのだけど、だからCM制作みたいに、ちゃんと受け皿がある上での表現活動上で、何かの気持ちを込める、実際に今回のCMの歌詞には僕の震災への気持ち入ってますけど、そういうことなら喜んでするんだけど、こっちじゃどうもそうじゃないし、それしない僕なんかはマイノリティどころか、完全にハブで音楽家扱いもされてない雰囲気すらあり、ああ、もうダメなんだなあ、って絶望してた半年だったんだよね。
という事をメモ代わりで描いておくわ。

*yuhka-uno
もしかして、先日私がブログで、京都の老舗で修行するアナウンサーについて感想を書いた時(編註:これ のこと)、「今また元に戻りそうでやばいが。」というブコメを下さったのって、こういう理由ですか?


ありがとうございます!そうですね。近いと思います。
なんというか、自分が勝手にそう思ってしまう癖があるのですが、過干渉されると、前(本来向かうべき相手)ではなく、うしろ(干渉する相手)を向いてしまう癖があります。それは育ちでそうなるんですね。

その癖を僕はもう自分はわかってるので、であれば、そういう人々の輪の中に自分が入らなければそれでよく、その解決法は東京では可能でしたが、地方ではそれが出来ないんだ、とわかったんです。それが判るまでは、苦しくてつらくて、それでも一生懸命それらの人々に混ざろうとしたのですが無理で身体を壊し、友人に相談し、やっと「それは不可能です」と言われて気づいたんです。
月日は経ってても、それは変わらないのだと気づきました。変わらないものなんですね。それが自分には一番ショックでした。

バイトや会社勤めと違って、嫌だって言っても辞めて逃げるわけにはいかない。きついなあ。若い連中には頑張ってほしいから、その為に僕も、もう少しだけ堪えてやってやるんだって思うしかない。だってここで僕がキモイとか言って逃げたら、ますます奴らの思い通りの街になっちゃうよね。それを阻止するのが僕の役目よね。じゃないと、なんのためにわざわざ2000キロも故郷から離れたところに移住したのか、意味が無くなってしまう。

*yuhka-uno
私はてっきり、和菓子屋編で大吉アナが最初に提案した「親に感謝の気持ちを表す和菓子」が、「平和を訴えたい、とか、ヒトの心になにかしたい」という動機から作る作品ってことなのかなぁと思ったんです。
で、「焼肉を模した和菓子『叙々苑』」や、その後大吉アナが作った「ポッキーを木の枝に見立てた和菓子」が、「自分の中から何か沸いてくるとか、せずにはおれない、とか、何かそういう自分の中から沸くモチベ」から作る作品ってことなのかなぁと思いました。
 
maicouさんは以前から、「表現活動に何か別な意味付けするのって、すごい胡散臭くて嫌なのね。」と仰ってて、その言葉の意味が、私はよくわからなかったんです。
で、あの番組を見たときに、大吉アナが最初に提案した「親に感謝~和菓子」を、私は「気持ち悪いなぁ!」って思ってしまったんですよね。ああ、テレビ的な「いい話」の演出だなぁ、と思って。24時間テレビ的な感じの。
テレビって「いい話」の演出大好きで、「いい話」にまとめておけば良いと思ってるのかもしれないけど、現実に生きている人は、そんな「いい話」ばっかりで生きているわけじゃないんだよ、と思ったんですね。
で、maicouさんの「胡散臭い」「気持ち悪い」って、もしかしてこういうことなの?と思ったんです。


ああ、そう言われるとそれもそうですね。悲しいことに私もちょっとメディアに足突っ込んでた関係で、そういうことはあるのもしょうがない的に見過ごすようになってしまったな。たとえば24時間とかあるでしょ。個人的には好きではないけど、かと言ってことさら否定する気にもなれない。ただ、それを安易に解釈したヒト、たとえば地方局とかどこかのサークルの大将とか、そういうヒトが真似すると一気に陳腐になる、ということはあります。その大吉というヒトも、テレビ的にこうだろみたいな安直な発想だったという胡散臭さが伝わってしまったのかもですね。
ちょうど、このことも新聞のヒトと話したのだけど、私レノン&オノの平和運動は、そのやり方は認めているんですよ。というのは最初に始めたきっかけのインタビュー発言があって「私たちは有名人で何をやっても注目され叩かれるということはわかっていた。どうせ全てを監視されるのだから、じゃあそれを平和のプロモーションに使おうと思った。私たちは平和を宣伝しているのだ」と明確に言っていて、なるほどと思ったんですね。

話がちょっとずれてしまったけど、コメントで返したほうに関しては、やっぱり向く方向が僕は違ってたんだと思う。自分が音楽その他の行動をするということについて、意味づけが難しく、こうすれば親(或いは上司など)は喜んでくれるかしら的に常に顔色伺った活動しか出来なかったんですよ。それが、ホテル業を3年間することで、サーブということの意味というか、何の為にそれをするのか、っていう方向性がはっきりわかったわけです。お客さんはわがままで、次から次に要望を出し、自分の言う事を聴け!といい続けます。そんな時、親や上司のことなんか考えてる暇なんかなくて、それこそ自分のコートに打ち込まれるタマを返す、ということだけに集中するしかなく、初めて自分自身の表現がそこでできたわけです。
そうやって一度開いた心は、そう簡単には閉じませんから、そこでつかんだノウハウをそのまま創作に応用して、どんどん本当の言葉を打ち出すようになったんですね。本心を言おうとすると、せっかくの「本心」を安易な音楽に載せるのはもったいないと気づくようになり、音楽性もよりいっそう、自分自身に近づいていく、という相乗作用になったわけです。そういう意味では、 yuhka-unoさん が書かれてる、本当の言葉こそが心を打つ、ということは本当だと思います。本当の言葉を稚拙なメディアに載せたくないし、逆に安易や嘘の言葉を、素晴らしい音楽に載せるのももったいない。どれかひとつ本気になることで、それが波及して影響しあい、他のものも本物になっていく、ということになると思いました。

今は安易で手ごろなライフハックだのノウハウだの様式だのがありすぎるんですね。出来合いのホットケーキミックスみたいに、自分がちょっと手を加えるだけで出来上がってしまう、そしてそれを自分の発想だと言えてしまうような状況ですね。ホットケーキミックスって自分で加えるのは卵と牛乳でしたっけ?大吉さんにとって「親に感謝」が牛乳だったんでしょ。でも親方は「ばか者、ゼロから作らなければ意味がねえんだよ」的に言ったのではないかな、という気がしました。

*yuhka-uno
ジョンとヨーコの平和運動にそんな背景があったなんて、初めて知りました。なんというか、有名人であることのマイナス面を利用した、すごく前向きな開き直りがあったんですね。
それなら確かに、もしあの平和運動の手法を、有名人でもない、背景のない人が表層だけ真似したとしたら、陳腐なものになってしまう気がしますね…
ちょっと話がズレるんですが、私にとってのジョン・レノンの代表曲って、「Mother」なんですよね。私は母親に抑圧されていたので、母親に感謝する内容の歌が気持ち悪くて受け付けないんです。初めて聴いた時は衝撃で、「ジョン・レノンって、こんな歌を作ってたのか!」と思いました。愛と平和のジョン・レノンとは違う、ものすごくシンプルかつ現実的な内容でしたから。
例の番組の「親に感謝~和菓子」も、自分の個人的事情から特に敏感に反応してしまった、というのもあるかもしれません。世間じゃ親子や家族は、何でもかんでも「いい話」にされてしまいがちですから。
 
ライフハックやノウハウは、それを扱う側にもある種の姿勢が求められるというか、「良い人」「良い親」「できる人」「頭の良い人」という自己イメージを補強するために使ってしまうと、良い結果にはならないんだろうなぁと思います。例えば、「女を気持ち良くさせる究極のテクニック」みたいなタイトルの本を読んで、その本の通りに彼女とセックスしようとする彼氏、みたいなことになるんじゃないかと。
そういう自己イメージを振り払った、現実の自分に気付いて認めないと、スタート地点にも立てない。気付いた瞬間は、そのシンプルかつ残酷な現実に、かなり痛い思いをしますけど、一旦認めてしまえば楽になれるものかもしれません。
誰だって最初から良い親になれるわけがないし、最初からできる人になれるわけでも、頭が良い人になれるわけでもない。本当の良い親は、今の良い親になるまでに、色んな過程を経たから良い親になっているわけで、「過程を経る」というところをすっとばそうとすると、その間成長すらしない、ということにもなりえるんですよね。
 
私自身、過程をすっとばしたために成長が停滞した人間で、親から、年齢に合わせた育てられ方をされず、子供なのに大人並みの役割を背負わされるということが度々ありまして、20歳頃に「私、しっかり者のお姉ちゃんじゃない。自分の人生を自分で選択して生きていく能力が3歳児並みに育ってない」という現実に気付いて、「うわあああああ」ってなりました。かなり痛かったですが、それでやっとスタート地点に立てました。3歳児からでも自分を育て直していくしかないですね。
まあホットケーキぐらいなら、ホットケーキミックスで作ってしまっても良いですけど、「自分自身」とか「人生」とかは、出来合いホットケーキミックスばかり使っていると、その間成長が停滞してしまうんでしょうね。
 
ホテル業のお話は、親や上司がどう思うかなど考える暇もないほど追い込まれたことによって、「とにかく、その場で、自分の判断で動く」という状況になった。その結果、自分の中から親の存在が消えて、自分自身として存在できるようになった、ということでしょうか。
以前から思っていたのですが、もしかしてmaicouさんは、私に対して、何か似た部分を感じて下さっていますか?


ありがとうございます。そう、似てると言うか、その後、新エントリとか読ませていただいて、ちょうど僕がホテル業で目覚めた頃、時期として15年位前で、自分が歌うようになった頃ですが、その頃の自分と似た感じかなあと思っていました。気づいてからが始まり、というのはその通りですね。最初は僕も散々いろんな人にいろんなこと言われましたが、ああみんな何かに縛られてるんだなあ、と思うようになった。

よく人に言うのですが、ホテルともうひとつ僕にとっては目覚めるきっかけがあって、それはキャバレーのバンドの仕事だったんです。僕はそれまでは、音楽というものはちゃんとリハをして、みっともない未完成のものなど他人に見せてはいけない、と思っていたし(今もそうですが)、自分が納得イカない状態でするのを拒否してたんです。ちょうど、母が外面いいので、不完全な状態を他人に見せないためにいろいろ手段を講ずる、という話に似ていました。
ところがキャバレーのバンドというのは、当日に歌手が来て譜面もらって、ほとんど浚う時間なしに演奏しなくてはいけない、また、その歌手のバック以外の時間ではジャズのインストを演奏するのですが、僕だって全曲知ってるわけじゃなく、突然「次はこれ」と言われて知らない曲が始まったりするんですね。
その「いい加減」なやり方に最初は納得できず「急に言われたって譜面準備してないし」とふてくされてたんですが、バンドのリーダーのオッサンがとても厳しい人で(ジャズバンド系はみんなそうだけど)、ともかくこれでもかこれでもかというくらい僕に文句を言うわけです。僕の担当楽器はドラムだったのですが(バンドでは極めて重要パート)、例えば「ドラムなんか音程がないんだから、譜面なんか準備できてなくても頭から適当に始めておいて、プレイしながら準備とかすればいいんだ!」とか、曲なんかだいたい想像でどうなるかわかるだろ!判らなくてもいいんだ、まず演奏始めろ、とか無茶っぽいこと言うわけで、しかもそのやり取りが行われてるのは、全部本番のステージ上です。
そんな半年を過ごすうち、気づいたことがたくさんあって、整ってるとか整合性っていうのは、あとから付いてくるのであって、それより重要なこと、例えば音楽なら「途切れない、すぐ始める」とかそういう基本部分ですね。そういうことを身体で吸収したわけです。適当に準備なしで演奏してましたから、他人の目(というか耳)には、時には無茶苦茶だったろうし、みっともない僕の姿も多数見せたでしょう、でもいつまでも同じじゃありません(成長できなくて同じヒトもいるけどw)、それを繰り返すことで、ちょっとずつ、なんというか、ろくろで陶器作ってるみたいに、形になっていくんですね。そうか、これはドキュメントなんだな、と思ったというか。それに他人は、そこまでひとのことなんか気にしてないんだ、というのも分かったんです。完璧かそうじゃないかってのは、あくまで自分基準なので自己満足に過ぎないのだ、ってこと。

そんな経験と、その後のホテル業(もしかしたらバンドの経験があったからホテル業でも発揮できたのかもしれませんが)で、内輪からの視線など気にする場合じゃない、さして重要じゃない、という段階に至ったんだと思います。

内輪からの視線を気にしなくなってくると不思議と失敗も減ってきますね。自分が自由にやったら、こんなに失敗なくスムーズに出来るんだ!というのは大変な驚きでした。それまでは自分はまったく何も出来ないダメ人間だと思い込んでたので。

こないだも少し書いたけど、こっちの土地柄もあって、震災以降は感謝だの愛だのなんだの、僕にとっては耐え難い状況が続いてます。どんな状況であろうと(例え相手が死んだとしても)、親に対する引っ掛かりとかそういう感情は消えないし、何を思ってもいいんだ、ってことを僕は言い続けていきたい、と思います。非常に困難ですし、食いっぱぐれる寸前ですが。お利巧ちゃんな歌だけは決して歌わない、ということは思っていたいと思います。

追伸。書き忘れた。僕もマザーは衝撃的だった。当時彼は原始療法と言って、人生の中で「一番最初に味わった苦痛」を探り当てる、という療法をしてたようです。それで記憶を探って掘り起こして、そもそもの苦悩は、親が去ったことだ、と思い当たった、ということですね。あれが収録されてるアルバム全体も、そういう内面を暴露したものばかりで、僕は名盤だと思ってます(サウンドもシンプルでいいのです)。

*yuhka-uno
maicouさんとは過程が違うのですが、私も似たような体験をしました。
私は仕事で躓いたことから、自分の判断能力を全く信じられなくなって、働けない状態になり、自殺願望と、親が原因だと気づいてからは、親への殺意が加わって、色々とどん底でした。
で、カウンセリングを受けて、膿を出し切るように親への怒りを吐き出して、今までの自分の躓きを見直しているうちに、「あれ?もしかして私の判断能力って、そんなに悪くないんじゃね?」と思うようになったんです。それまで母に対してうっすらと感じていた「それ違うんじゃない?」は、結構正しかったのかもしれない、と。それまで、「対母用行動パターン」で行動していたから、うまくいかなかったんですね。
その後、精神状態が回復してきたので、そろそろバイトをしようと思い、求人情報を眺めていたら、偶然私の興味にドンピシャな内容のバイトがあったんです。それは、以前の母なら良い顔をしそうにない内容でした。「これやりたい!」と思った私は、それまでの私からは考えられないくらいの行動力を発揮しました。まぁ引きこもりでしたから、再び社会に出ていく上で、世間の引きこもりに対する目線が怖かったんですが、その時はそんなことはほとんど気にならなくなっていたんです。行動しながら、行動している自分にびっくりしていました。初めて自分の体を自分で動かしているような、すごく身軽な感じがしました。と同時に、ああ、私にとって、親ってこんなに重かったんだ、と思いました。
まぁ結局そのバイトでは不採用で、その後更に精神的な二度目の山場が襲ってきまして(精神状態が回復してくると、それまで脳が思い出すことを拒否していた記憶が蘇るというやつです)、またしばらくカウンセリングに専念しなければならなくなったのですが、あの体験は、「私は自分の判断で行動できる」ということを実感し、「これやりたい!」という気持ちを取り戻した瞬間でした。
 
なんというか、その場その場で完全に仕上げたものを出そうとするよりは、仕上がりが良いものも悪いものも未完成なものも出して、全体的、長期的に良くなっていこうとすることが、自分を成長させるコツなのかなぁと思いました。母は、「失敗」や「間違い」を非常に恐れる人で、失敗がないように間違いがないようにと予防線を張った結果、まぁ、私の子育てに大失敗しましたねw
考えてみれば、私は、自分を全部さらけ出して切磋琢磨してる人のこと、そんなに格好悪いとか思わないよな。人間が生きていく上で、誰でも当たり前にする失敗なんだから、ということを思っていたのですが、maicouさんの体験談を読んで、「ああ、やっぱりそうなんだなぁ」と思うことができました。
 
「Mother」は、確か当時は「狂ってる」とか言われて、放送禁止とかになったんでしたっけ。今もビートルズ(とその後のソロ活動)の曲は、様々なメディアで、街中で流れていますが、「Mother」が聞こえて来ることはまずないですね。現代でもあまり放送されてないんじゃないでしょうか。
私の中学時代の英語と音楽の教科書にも、ビートルズの曲が載っていたんですが、確か「イマジン」とか「ヘイ・ジュード」とか「Let it Be」とかだったと思います。たぶんその教科書を作っている世代の人たちは、これらの曲は教科書に載せても、「Mother」を載せたくはないかもしれませんね(笑)。でも、もし仮に、教科書に「Mother」が載ったとしたら、それを聴いて救われる子供もいるかもしれない、とも思います。
「Mother」を聴いた時の正直な感想は、「母親に感謝する気持ちなんて、大多数の人が共有できるやん。大多数の人と共有できない気持ちを歌った歌こそ、この世に存在していて欲しい」でした。まぁ、母親に感謝する歌を作っている人も、一生懸命作っているわけで、そこは申し訳ないんですけれど、でも、親に感謝するという、ものすごく「正しい」表現だって、誰かを傷つけるものになりえるし、大多数の人にとって「狂ってる」表現でも、それに救われる人間もいるんだ、とも思いますね。
「Mother」を初めて聴いたのは、「桑田佳祐の音楽寅さん」という番組でした。彼はよりによって、「母の日スペシャル」にこの歌を歌っていました(笑)


その後もいろいろ考えてるけど、資本主義って健全なんだなって思う。いや、勝手に資本主義とか思ってるけど、実際どういうのが厳密に資本主義なんだかわからないけど、ともかく東京生活長くて、民間の事業が多くマトモだった、という感覚に慣れちゃった身からすると、こっちに多くみられる、何かに結びついた形とか事業とか、心がどうの平和がどうの、とかいう音楽活動とか、もう全部胡散臭くて堪えられなくてさ。ふぇ~って感じよ。
面白いのは、僕の両親がバリバリの公務員だったってことなのよね。その家庭に育った僕が、そういうもの一切、胡散臭いと感じるというのは、やっぱりそんな親(の横暴さ)を見て育ったから信用できないし、そんなものたちに比べると、東京で経験した、民間の「お金のため」というのが、どんだけ健全に見えたかってコトなんだよね。
いやだなあ。民間に頑張って欲しい、やっぱり。お金稼ぐ表現活動に徹したい。それがオレは健全だと思うからだ。

*yuhka-uno
「商」業か「公」業かの違いってことでしょうか。


なるほど。そんな感じかなと思います。
その後もいろいろ考えてるけど、地方で民間企業なんかそもそも成り立ちえなくて、そんななかで創作活動するとすると、誰かに飼われなければならない、まあパトロンですけど、その相手が僕の場合、お役所じゃイヤだって思うということだと思います。
元来潔癖症なので、「公」というからには公平なジャッジで採用お願いします、と思うじゃないですか。でも実際は、担当に気に入られるかどうかがカギになり、その「担当」と言うヒトに、人格的な面でどうも好ましい相手が居ない気がするんですね。そんなヒトのさじ加減ひとつで何事も決まるって言うのが、どうにも納得いかん。
偏見かもと思いますが、東京と地方ではやっぱり違うと思うんですよね。「公」が一人勝ちの世界だから、結局ソ連とかみたいなことなんでしょうね。

*yuhka-uno
なんというか、環境が「ムラ」なんでしょうか。
そちらの土地は確か、過疎化が進んでいるというニュースを見たことがありますが。
なんだか、ドロドロ、ネトネトしたものに絡め取られてしまっているのかな…と思っていました。
 
以前お話した時の、
 
「だから昨日のCMみたいに、ちゃんと受け皿がある上での表現活動上で、何かの気持ちを込める」
「たとえば24時間とかあるでしょ。個人的には好きではないけど、かと言ってことさら否定する気にもなれない。」
「私レノン&オノの平和運動は、そのやり方は認めているんですよ。」
 
これ、全部maicouさんが仰るところの資本主義なんですね。


ムラというか、僕が思ったのは「町全体がひとつの大きな組織」ということでした。だから、棲み分けが非常に難しくて、主流じゃない人はまるで会社のハブみたいになってしまうんですね。
また、活動的な人は街を出てく傾向も高く、こっちには比較的大人しい人々が残っているので、そんな町を誰かが制覇しようとすれば比較的簡単に可能なんですね。そういう意味でも、一つのカラーに統一されてしまう傾向はあると思いました。その「カラー」というのが「資本主義」的じゃない、と僕は感じてるってことだろうなあ。

*yuhka-uno
おおう…私、大人しくて行動範囲狭いタイプなので、ドキリとしましたw
なるほどそれで「ソ連」なのですね。
もしかしてその環境って、家庭内ハブ状態で、親に順応させられることを強いられた、アダルトチルドレンに似ていますか?


ああ、なんというか、政党内でただの投票要員というか、そういう感じで似ていますねw (意味不明)。お客さん、というか。
そういうヒトをコントロールして動かすのが得意な人は居ますので、そういう人たちにコントロールされちゃうんでしょうね。

*yuhka-uno
その「ひとつの大きな組織」が、平和とか感謝とか心とかの活動をしているということでしょうか。


そういうのが認められる傾向が強いので自ずとそういう形になったということでしょうね。hiroshima nagasaki ですから無理もないのだけど、ことさらそこに拘ってる印象があります。にしては hiroshima ほど徹底もしてない印象があって、要は金がないんだと思うんですが。ともかく、本心ではどうなんだろうと疑問に思ってても、その方針に従っておけば大義名分が出来て、文句はいいづらくなります。

こっちでは8月9日の記念日(他にも水害の日とか)にはサイレンが鳴ったりするのですが、去年だったかな、ある市民がその時間、商店街アーケードを歩いてたらしく、そのことをツイッターで発言してて、「サイレンが鳴ってるのに黙祷もせず平気ではしゃいで歩いてる人々。いったいなに考えてるんだろう?」と。それを読んだ時に、ああこうやって、他のことは考えてはいけない風潮になっていくんだな、と思ったんですよね。
他にも、ココで多分切れてたと思いますが、3月頃に市内大御所さんの打ち上げに出てて、その写真をアップしたら、FBで公然と非難されて、怒りのあまり再び倒れかけたことがあります。そいつはフリーの報道カメラマンでした。使命感が歪な形で反映されるんですね。そうして誰も異を唱えられなくなってくる。
大きな組織や家族は誰かがまとめてるからそうなるわけですが、それは誰かが醸し出す空気なんでしょうね。

なんつんだろ。平和にしろなんにしろ、僕は「自分で選択」したいんだよね。チャリティもそうだけど、こっちでそれすると、なんとなく風潮だから、という理由になってしまう。付和雷同っぽいというか。僕が今こっちで感じてる息苦しさはそれなんだよ。自分がしたいと思うことが全員の主張や空気と同じだった場合、自分で選択した、という気分になれないのよ。気分になれなきゃできない。そんないいわけすんな、って言うかもだけど、僕は出来ないんだよ。誰かに強制されたとか、皆がするからとか、そういう空気だから、という理由でするのは一番かっこ悪いの。だから乗れないんだと思う。
たぶん、いま自分がしたいことするには、この土地を離れるか、まったく僕の存在を消してしまう以外にないの。で、今すぐ離れられないから、存在を消すという方向で今進んでるのよ。町のすべての音楽活動やめてメディアやめて、まずみんなに僕の存在を一旦忘れてもらうこと。他のこの町の同業者とは違うんだ、っていうか、つまり同業じゃない、あんな人々とオレは違うんだ、という状況にまず置いて、そこから無の状態で選択したいの。
そういうことなんでしょ。

*yuhka-uno
年がら年中「自粛」「不謹慎」という空気で、震災後は更にその空気が強くなった、という状況なのでしょうか。
そして、「自粛」しない人、「不謹慎」な人は、「非国民」扱いされるということですか?


そうそう。僕がメディアと近いから、というかそういう仕事なので、特にそう思うのかもだけど、少なくともメディア、アート、お店、役人系施設、ほぼ全てはそういう傾向だと思っていいと思う。
一般市民がどう考えてるのかは、正直わからない。ただ、知り合いの中には、こういう町の風潮いやだ、と言うヒトも少なからず居るんだけど、それは表立っては言えないし、メディアで言うとかは、もってのほかって感じでしょうね。
今思ったのだけど、非国民、というような積極的排除なら、まだマシじゃないかな。静かに排除されてゆく、という感じがすごい恐ろしいです。誰も何も言わない。ただ、だんだん遠巻きになってゆく、という感じかな。

補足だけど、表現系のヒトって、自分が言いたいことや語りたいこと、表現活動の意味を常に探してると思うのね。この町には、そういう題材がたまたまたくさんあり、それにみんな乗っかって表現してた人が多かったもんだから、それに慣れて麻痺してるんだと思うのよ。
それに加えて、この災害で、なんの衒いもなくチャリティ突入みたいなことだと思う。

前も言ったけど、自分の街が好きだなんて、すごいシアワセなことなんだよ。僕は自分の出身地が好きだったこともいいと思ったことも一度もない。それ以前に、何も特徴のないただの野蛮な町だったし、観光客もスルーする魅力のない街だったから。ホントにただ単に自分の家があっただけに過ぎない。
そういう意味じゃこっちの人はすごく幸せなの。いろんな題材が揃ってて、それについて語ったりするだけで、どんなことでも出来るでしょ。だから麻痺しちゃうんだよね。

*yuhka-uno
「平和タブー」…?
でもそういう空気になってる状況って…うーん、あんまり「平和」っぽくない気がします。
既に自分のidページでも書きましたが、何を思っていても良いし、好きな歌が歌えるし聞ける、もっと風通しの良いものが「平和」なんじゃないかなぁ、と思いました。
 
表現系のヒトの、ある種の「答え」が、そちらの町には用意されているということでしょうか。
「自分はこれをすればいいんだ!」と思わせてくれるものが。


そうですね。矛盾するようだけど、平和について考える機会が多いが故に、自分で何かしようとすると、それ以外の題材を思い浮かぶのが難しい、というような印象を受けます。他にも軍艦島とかいろいろ題材はあるからネタには困らないんでしょうけど、それで受け入れられるからと安心してしまうのかもしれません。
もちろん、何でも言ってもいいんですよ。いいのだけど、受け入れられやすいのがそういう内容のものだから、みんなそうなる、ということでもありますね。

思い出したんだけど、この土地の若い音楽家集めてコンピでも創ろうか、と思って企画した時に、そういう「土地&平和ネタ」は僕も食傷気味だったし、そう思っているアーティストも居るはずだから、と思って、この土地らしく「ない」普通のアーティストを集めようと思ったんですね。そうしたら、この土地のコンピなんだから、この土地らしさを含んだものにして欲しい、というような遠まわしな意見をされて、やっぱりそういう風に突っ込まれるのか、めんどくさいなあ、と思って、その企画はやめてしまいました。そんで今は別な企画考えてますけどね。結局難しいんですよね。

ダイアリ読みましたよ。そうそう。平和について考え慣れてるが故に、行動も早いでしょ。他の土地と比較したわけじゃないけど、みんなの動きは素早かったと思いますよ。そんな中で、ぼくは音楽でそんな事をする気もなかったし、そういう事をしたい為に音楽をやってたわけじゃないから、そういう素早い他の人々の動きに、どこか不自然さを感じたんだと思う。と、同時に、普段は見えなかったけど、結局本当のところは、そういうことがモチベーションになってる表現者が多いんだな、って今回気付いてしまったわけで、それの落胆が一番大きいです。
人それぞれ意見はあると思うけど、第一義の動機は音楽であってほしい、が僕の理想なんですよね。特に、その後あるチャリティの手伝いをちょっとだけして、その内容が酷かったので、ますますそういう思いを強くしました。
そういう意味で、こっちの人々のいろんな本音が全部明らかになって、よかったという気はしますね。

*yuhka-uno
うう、奈良という観光地に生まれ育ち、行動範囲が狭く、大人しいタイプの人間である私も、そういう面があるかもしれませんね…
でもそういえば、長崎はネタのバリエーションが豊富ですよね。天草四郎に蝶々婦人にじゃがたらお春に丸山遊郭に、坂本龍馬ゆかりの地でもあるわけですし。考えてみれば、一点集中的なネタが有名な土地は多くあっても、ネタのバリエーションという点に関しては、これほど豊富な土地も珍しいですね。
 
すみません、「コンピ」というのは、「コンピレーション・アルバム」のことですか?
あと、「この土地のコンピなんだから、この土地らしさを含んだものにして欲しい」と言ったのは、公の担当のヒトですか?
「受け入れられやすいのがそういう内容のもの」ということは、逆に言えば「そういう内容のものでないと受け入れられにくい」ということなのでしょうか。
 
ダイアリ読んで頂いてありがとうございます。確かにあの時、長崎の人は行動が早かったですね。
maicouさんは、例えば、こういった災害が起こった時は、何よりもまず支援、音楽は一旦置いておく。支援が落ち着いてから、音楽に戻る、という姿勢を取る人については、どう思われますか?


ありがとうございます。そうです。コンピレーション。プロではないが才能ある人はたくさん居ました。そういうヒトを集めて外に紹介したかったんです。土地の特異性「抜き」で。でも難しいなと思った。意見されたのは公の人ではないけど、町を代表する重鎮の漫画家さんです。しかし彼だけでなく他のヒトも似た意見だろうと思ったし、その彼も参加予定だったので、計画そのものをボツのほうがいいと判断しました。

支援については難しいのですけど、僕は故郷より、今の土地より、東京生活が人生で一番長いんです。なので東京住民という意識が今もあって、なので、こんな大変な時に東京に居られずに他所で眺めていた、ということに、ものすごく負い目があります。あんなにお世話になった東京に何も出来なかった、という想いが強くて、そういうことも、今回の葛藤の理由のひとつになってると思います。
それで、前にも書いたとおり、僕はそういうことを言いたいが為に音楽をしてるわけではないので、もし支援したとして、音楽という形じゃなく、それ(仕事ですから)から派生した何らかの利益や、或いは余った時間とかですかね、そういうことのほうで貢献したいと思います。だから、まず先に支援、というほうが、僕のしたいことに近いです。本業で経済活動をして、その上がりで支援する、という形ですね。音楽ではしないと思います。

僕はもともとバンドでドラマーで、ドラムの仕事もしていました。その合間で自分の曲も書いたりしてたのですが、どれも中途半端で形になってるものは少なかったんです。

それが、95年の阪神大震災があって、僕は大阪にも住んでましたからすごいショックだったんですね。それまでは、人間が生きてて、人生の途中でいきなり人生そのものが消えてしまうような天災とか、あんな大きなものはなかったんですよね。
あの経験で、自分はいつ死ぬかわからんのだ、と。心の底から思いました。そのとき、自分が今死んでしまったとして、自分の人生はこれでよかったとか、僕の人生の証はこれです、とか他人に提示できるものはあるだろうか?と思ったとき、全然なかったんですよ。中途半端な曲の断片とか、ドラマー時代のライブの記録くらいしか。
これはやばい、と思って、それ以降は、自分が明日死んでも後悔ないように、が毎日のポリシーになったんです。

先日、新聞記者のヒトと話したとき、同じ話になりました。阪神淡路から15年も経って、当時のこと忘れてるヒトも多いんですね。僕は、当時そう思ったんだ、だからアルバムが完成したし、メジャーにスカウトされたし、それより何より、クォリティの高い作品が生まれたこと自体、僕にとっては一番素晴らしいことtだったんだ、と。やっと自分の「遺言」が出来たんだ、と。そう言いました。
今回の出来事でも似たような事をいう表現者は多かった、とその彼に聴きました。僕の基本は、あくまで「自分」なんですね。題材豊富で平和教育の町に生まれて、逆に麻痺してるんじゃないか、っていう思いがすごい強いんです。そういう動きと、自分自身の考えが、混ざることが出来なかった、ということだと思ってます。でも、みんな「善意から」だとは思うのですよね。それがまた罪深く辛い部分です。悪気がない人を責めることは難しいです。

あ、最後の段、判りにくいので。つまり、その新聞の彼は他所の土地ではそういうことをよく聴いた、と言いました。この土地のヒトがそういうことを主題にしてたのかは確認しなかった。でも居ない気がする。「自分」じゃなくて、平和とかそういうことの為に自分が何ができるか、を基本に考える「自称表現者」が多いからです。でも実際は、隠れた部分で僕と同じことを思ってる人は多いと思うのです。そういうサイレントマジョリティっていうか、そういう意見を救い上げたい、というのが僕のしたいことなんですね。

>「そういう内容のものでないと受け入れられにくい」

これは、つまりマイノリティは生きにくい、ということなんです。もちろん受け入れられないってことはないんですが、共感は多くないと感じました。単純計算で、東京で100人なら、こっちじゃ1人とか?つまり生きていけないんです。お客さんが居ません。そういう状況が続くと難しいのですよ。シャッター街みたいなもので、誰も来ないところで活動してても、それ続けるモチベーションは、果たしてどれだけのヒトが持ちうるだろうか、って思います。

*yuhka-uno
maicouさんのお話を読んでいて私が思うのは、「支援としてどうか」を基準に考えた場合は、私は「支援を受ける側にとって良いかどうか」がまず優先で、「支援する側の気持ち」はその次だと思うんですね。
なので、そちらの土地の人たちがとった行動、支援、チャリティー運動というのは、「支援としてどうか」という視点で考えると、それが被災者のためになったのなら、良いことだったのだろうと思います。
 
ただ、私は、人間は自分の人生を豊かにするために努力するのであって、誰かを感動させるとか、そういうことのために生きるのではない、と思っています。
「親に心配かけるな」というのは、ある種の美徳ですが、子供は親に心配かけないために存在しているのではなくて、自分の人生を生きるために存在しているんだぞ、と。それは、私の母が非常に心配症であったために、進路に介入されて誘導されてしまった、というのがあるから、そう思うのですけれど。
同じことをするにしても、奴隷剣闘士として生きるのではなく、アスリートとして生きる、ということです。
 
もちろん、自分自身として生きる、自分の人生を豊かにする生き方とは何かについての結果が、他者を支援する仕事だった、という人はいるわけで、私はそういう人生はとても良いと思います。
 
平和のために生きることが目的なのではなく、自分自身として生きることが目的なのであって、そのためには、自分の生きる基盤が平和であることが必要だ、ということなのかな、と思いました。
 
そちらの土地の人は、自分自身のためではなく、平和のために生きてしまっている、平和のための表現になってしまっている、ということなのでしょうか。


結局そういうことなのかもしれません。
僕の場合、さすがに、まだ若いアマチュアのヒトにまで「アスリートで居ろ」的なことまでは、さすがに言いませんが、プロと称するヒトまでそういう感じだったことについて、かなり落胆しました。一人一人にキモチを確認したわけじゃないですけど、僕にはそう見えたわけで、結局、生きやすい道、受け入れられやすい道を選んだ結果、そういうことになってるんだろう、と思いました。
親については、何度も書いたけど、似てますよね。誘導されたり妨害されたりいろいろあって、実家を出るまでは自分自身の生き方をするのが非常に難しかったです。それの解消はホテル業まで続いたってコトですね。

僕が良く言うことの中に「この町の人は、この街を元気にしたいと良く言うのが嫌だ」というのもあります。今思ったのだけど、これも似てるかもですね。町の為にやってるんでしょ?だから続かないし、無理するし、ちっともよくならない。あくまで基準は「自分なんだ」ということが、感覚としてあまり判らないんじゃないかと思います。それは、自分の道や題材を苦労して探さずとも、何でも揃ってる土地ならではの不幸なのかもしれません。

もういっこ思い出したことがあるんだけど(半年前のことだから徐々に思い出してくるw)、それまで僕は、この土地の取引先とか同業者とかにいい目に遭ってなかったでしょ。ギャラの支払いをばっくれられるとか、不義理なことされるとか、あとは隣人の犬の糞尿放置のこともあります。そういう酷い目に散々遭って来て、ものすごく不快だったし理不尽な思いはたくさんしたけど、それでも、そういう適当な人柄の土地柄なんだし、もうちっと付き合ってやるか、的に思ってたのが、今回のチャリティの素早さと、目を輝かせて平和や反原発に燃えてる姿を目の当たりにして「え??」って思ったんだよね。お付き合いのある近所の私はどうでもいい、と。遠方の被災者や原発については熱心にすぐ行動し、金も惜しまないけど、僕には何も払うものもしてやることもない、と。それが、その感覚がすごいと思ったのね。言葉にならなかったです。まじで。絶句。そんでそのまま、市内の同業とは音信不通になったままです。ラジオ番組もやめてしまったし、契約解消してもらった音楽家も居るし、ともかく、すべてが信じられなくなった、というところが始まりだったんですね。

*yuhka-uno
奴隷拳闘士とアスリートというのは、私なりの例えでして、そうするのが「普通」だから、「常識」だから、「道徳」だからしている、という人と、自分がしたいからした結果として、大多数と同じになった、という人との違いですね。
私の中では、前者が奴隷拳闘士、後者がアスリートです。結果的にやってることは同じだけれど、動機の違いです。
 
自分の人生を豊かにするために生きた結果として、他者を支援したり、平和活動をする人は、それを他人に押し付けたりしないし、変な空気を作らないと思うんですね。
「平和タブー」というか、「自粛」「不謹慎」みたいな空気になるのは、自分がしたいからじゃなくて、しなければならないからそうしているんじゃないのかな、と思いました。
そういう変な空気を作る人は、大抵、しなければならないと思ってそうしているし、その空気に安住していたりする人ですから。
 
ただ…私は、戦争になるのも、独裁政権になるのも、集団の空気でなるところが大きいと思うんですよね。だから、空気に飲まれ、空気を客観視できない状態って、本当に戦争や独裁政権の抑止力として適切なんだろうか、と思います。
 
maicouさんが、ご両親はバリバリの公務員だと書かれているのを読んだ時も、「あ、私に似てる」と思いました。生き方がご両親とは全然違うんですね。
私の母は、「普通」「常識」に安住する人で、その子供の私がこうですからねw
 
ご近所さんの、maicouさんのことはどうでもいいけれど、震災の支援は熱心だというお話、私は、自分の両親のことを考えますね。二人とも、他人にはとても親切ですが、私にはあんまり親切じゃありません。
母は昔、「子供のためなら死ねる」と言ったことがありました。父は、他人を助けることそのものが仕事になっているような人です。
子供と他人、ご近所さんと遠くの被災者という違いはあれど、その心理は似ているのかもしれません。
人は、自分が「良い人」「正しい人」という自己イメージを持てる行動には、死ぬほどのエネルギーすら投じることができても、我が身を省みることは難しいようですね。そしてそれは、私もそうかもしれない。悲しいことですが。
 
それから、「この町を元気にしたい」と言っていた人は、具体的に、「これこれこういう方法でこの町を元気にしたい」と言っていましたか?


なるほど。
空気に関しては僕もまったく同じに感じます。こうやってやり取りしながら思ってたのですが、こっちの普通の市民はそこまでいろいろ考えてるだろうか?と考えました。前に書きましたが、考えてるというよりは流されやすい人かもしれません。そして、何らかの表現活動をするうヒトに影響を受けやすい。そして、表現活動を起こすヒトのモチベーションが、ほとんど場合「平和関係」なので、結果的に目立つ部分でそういうカラーになりやすい、そしてそれがまた空気となり、広まってゆく、と。そういうことなんじゃないかと思います。

街を元気に。具体的にと言うか、上記にも関係しますが、何か事を起こす人は、たいがいそう言うんですね。商売してるヒトも居ますし、PR活動してるヒトも居ますが、だいたいは「町の特長を生かす」活動なんです。題材が地元ネタだったり、食材も地域の特長を生かしたり、と。いうなれば「外向け」で「観光的」ですよね。中のヒト向けじゃない。僕が一番最初、旅行でこっちに来たとき、みんな、それはそれは親切でした。他の人もみんなそう言います。で、実際住むと手のひら返しなんですね。皆が外を向いてる町なんだと思いました。

見過ごしがちだけど「教育」はかなりでかいよね。ずーっと子供の頃から平和教育されてる(らしい)ので、もともとそういう気質に全員育ってるでしょうね。もちろんそれは悪いことではない。しかし他の見方、他の考え、他の価値観が、外の世界にはあるんだってこと、一般市民にはわかりづらいのではないのかな。

*yuhka-uno
私は、自分で考えるような教育を受けてきたわけではありませんし、生まれてからずっと奈良に住んでます。そういう意味では、そちらの「普通の市民」とあんまり変わらないかもしれません。
私が色々と考えるようになったのは、多少は元々の気質もあるかもしれませんが、いじめに遭ったのと、家庭環境が影響していると思います。
私の元来の気質は、母と全く似ていませんでしたから、ひきこもりになりはしたけど、色々考える必要に迫られました。もし私の気質が母に似ていたら、私は普通に働いてはいるけれど、母のような「普通」「常識」に安住する人生を送っていたかもしれません。
 
平和教育の中身がどうなのかな、と思います。
私自身が受けてきた戦争についての教育は、「こういうことがあったんですよ。だから戦争は良くないですよ」という内容のものがほとんどで、「じゃあどういう流れでこういうことになったんだ」という部分は、あんまり教わっていないですね。
そちらの人が、どういう内容の教育を受けてきたのかはわかりませんが、もし、ただ上から下へ平和を洗脳するばかりで、「自分自身もまた、そういう空気に加担してしまうかもしれないのだ」という、自分自身のこととして考える教育をしていないのならば、それでは「平和」を「普通」「常識」「道徳」としてしか認識できないのでは、と思います。
 
私は、いじめや家庭内虐待の構図について色々と考えているうちに、「ああ、これは国家規模の集団心理と同じだ」ということに気がついたんですね。それで自分自身とリンクしたんです。
まぁ私も、そういう戦争のあれこれについて、詳しく知っているとは全く言えないのですけれど。
 
そちらの「街を元気に」については、なんだか、日本に来た外国人が、観光客として来るには良いけれど、住むとなると、「空気」が存在して息苦しい…という話を思い出しました。
「皆が外を向いている」というのは、あくまでも観光客、お客さんからの視線であって、maicouさんがなさろうとした、地元の才能ある人を外に紹介する、という意味での「外を向いている」ではない、ということでしょうか。
maicouさんは、東京や大阪にお住まいだったとのことですが、東京や大阪と長崎では、それほどまでに「ウチとソト」の落差が激しいんでしょうか。


平和について、というか、こっちはもう直接的なホロコースト被害者で、その関係者子息も山ほど存命してますから、完全にほぼ全員「当事者として」の教育だと思います。観念的とかそういうことではなく、もっと直接的なんじゃないかなあ。それを言い換えると「普通」とも言えるかも、なので、そういう感じになってしまうかもですね。

外向きの件については、話すと長いのですが、結局こっちのヒト、というか地方のヒトほとんどだと思うのですが、ミーハーなんですね。有名人とか人気があるとか偉いとか、そういう付加価値に弱いんですよ。逆に言うと、自分の価値観が信じられない、もしくは「無い」ヒトが多いと思う。なので、他者かよそ者に評価してもらう以外に、自分が承認されたと思えない、という感じ。もちろん、誰でも他人に評価してもらってこそ、嬉しいだろうし、自分の価値もわかるんでしょうけど、それの欲求の強さが東京とかの比じゃないですね。
だから僕も、結局、商売として外の評価を付加する以外に思いつかなくて、なので自分がいいと思ったものを、一旦外に紹介し評価を受け逆輸入する、という形にしたかったんです(これについてはあるヒトからのアドバイスもあったのです)。
だから、僕も実は、前回自分で書きながら気付いてたんだけど、商売人が街をよくしたいと言って外向きな商売してるのと、同じ事を僕もしようとしてたんですね。ただ僕の場合、土地の特性を売りにしてたわけじゃなくて、個人個人の才能を売りにしたかったって事です。
自分で評価できない、東京のヒトがこれをどう感じるのか、自分では判らない、他者の評価がすごい気になる、というのはけっこうみんな言います。プライド高いんですけど、実は不安と劣等感で一杯、みたいな感じを受けました。だからこそ、ことさらに「この町の素晴らしさ」を主張するのでは?という話に、先日新聞記者のヒトとも話しました。

東京大阪は違いますね。まず大阪は、強烈な2番目意識があり東京を敵対視してますので、自分らが最高だと思ってますから、気にしてないですよね。攻撃したり馬鹿にしたりしますけど、そこに劣等感もあるのかもしれないけど、でも他人や東京からの評価は気にしてる、という印象は僕にはなかったなあ。
東京は、僕の経験上は完全にないです。昨日実はこのこと考えてたんだけど、たとえば「墨田区のよさをみんなに伝えたい!」とか、そんなこと思うヒトがどんだけいるか?ってこと考えて、いやー自分の付き合いの中じゃいなかったなあ、と思ってました。自分の街や地域は愛してると思います。それは感じます。でもそれを、こっちの人みたいに強調してない、っていうか、別に外向きなことは気にしてない。それは最初から開けてるからでしょうね。
70年代くらいまでだと、海外で評価されたいとか、そんなこというのは日本人だけだ、などという意見もよく見かけましたけど、今ってそんなにないですよね?そんな当時の風潮に、この町の感覚も似てるんだろうか。
僕は、音楽にしても、別に普通の人はJPOPでじゅうぶんだろうと思うし、何も卑下してないです。

あともういっこ。家庭のことで思い出したのだけど、僕は自分の「名前」がすごくキライでした。名前のように誠実に生きろ、みたいなことを親から強要されたからです。名前こそ、親の欲望が反映されてる最たるものですよね。

*yuhka-uno
ああそうか、自分が受けた平和教育の感覚で考えてしまっていました。でもそれを考えると、もしかしたら、奈良の平和教育は、他県に比べると「ぬるい」のかもしれませんね。私が受けた平和教育は、普通の歴史教育プラス広島への修学旅行の事前・事後学習でした。
私が奈良で聞いた戦争当時の話は、大阪大空襲の時、西側の山向こうが赤く燃えて、山の稜線が黒く浮かび上がっていた、という話や、文化財を疎開させた、というものですね。
 
大阪は、東京に対する劣等感はありますね!ただ、東京のことを気にしてはいますが、東京からどう見られるかではなく、東京をどう見てやろうかという姿勢だと思います。
東京で、「墨田区のよさをみんなに伝えたい!」というヒトがいるのかという例えは、ものすごくわかりやすいです(笑)。東京はもうみんなが知ってる土地ですから、わざわざ外向きを気にする必要がないのですね。
 
そう考えてみると、東京からどう見られるかを気にするかどうかなのかな、と思いました。
そういう意味では、奈良も東京からどう見られるのかは、あんまり気にしていないような…
私は、物心ついた頃には既に不況だったので、それ以前の日本の感覚というものは、肌で感じたことがないのですが、一昔前は、「日本人には個性がない」と言われていましたよね。そちらの土地は、その時代の日本に似ているかも?と思いました。
 
名前のお話でまず私が思ったのは、「本名だったんだ」でした。すみません(笑)。
「誠実に生きろ」というのは、誰に対して、何に対してなんでしょうね。
 
私、自分の名前はけっこう好きなんですよ。私の本名は綺麗な名前です。まぁ、名前負けしてるかもしれませんがw
でも、3歳の頃に弟が生まれて、私は両親から、名前ではなく「姉ちゃん」と呼ばれるようになったんです。それからの私の人生は、「私」ではなく「姉ちゃん」という役割で生きることになってしまいました。
最近、私は母に対して「『姉ちゃん』ではなく、名前で呼んで」と要求して、母は私を名前で呼ぶようになりました。母は呼び慣れていないし、私も呼ばれ慣れていませんが、まぁこれから慣れていくでしょう。


>その時代の日本に似ているかも?と思いました。

これはまさしくそのとおり!僕はこっちに移住してしばらくしてから「ここは20年前の東京だ」と気付きました。そう考えるとすべて納得がいき、いろいろ不快なことも我慢できる、と思ったんです。すべてにおいて20年前の東京なんです。ものすごくヒト付き合いで苦労した当時のことを思い出し、全部そう対処すればいいと思いました。でもそれは大変なストレスになって(だって同じ苦労をもう一回してるんですから!)、結果的に今に至るというところです。
でもほら、未来人じゃないけど、20年後どうなってるかを知ってるのは僕だけでしょ?そうしたら、今この土地で「20年前の感覚であるが故」苦労してる若者とかに手助けしたいと思うじゃないですか。そういうことからいろいろ始まったんです。

ああ、役職で呼ばれるとそういう風になりますよね。呼ぶほうの希望がやっぱり含まれてますよね。
そうです。本名なんですよ。自分は嫌でしょうがなく、音楽活動に際して何度も変えたいと思いましたが、他に思いつかなかったのと、他人に言わせれば「かっこいいじゃないか」ということらしいので、しょうがなくこのままなんです。今でも嫌ですw

*yuhka-uno
そちらの人が観光客に対して熱心だというお話、私は正直、「すごいなぁ」と思ったんですよね。と言いますのも、奈良の人って、観光客に対して、そんなに熱心じゃないんですよ。
京都のような徹底した「おもてなし」があるわけじゃない、大阪みたいにサービス精神旺盛な商売っ気があるわけじゃない、良くも悪くもノンビリ、マイペースなんです。
奈良の商人を表す言葉で「大仏商法」というのがあるんです。これは、「東大寺の大仏様さえあれば、熱心に商売しなくても人は来るから、立って忙しく振舞わなくても、大仏様のように座ったまま商売ができる」という意味なんです。そんなに良い意味じゃないんですね。
奈良人の間からは、もっと観光客を意識したほうが、とか、もっと熱心にPR活動したほうが、とか、そんな声が昔から上がってるんですけど、結局マイペースのままなんです。
まぁ、去年は遷都1300年の節目でしたから、そこそこ本気出しましたけど。100年に一度本気出す町なのかもしれませんw
 
だから、maicouさんの「この町の人は、この街を元気にしたいと良く言うのが嫌だ」という言葉、最初は「???」だったんですよ。「良いことじゃないの?」と。
でも…「20年前の東京」かぁ…
今の時代は不況ですけど、私は、今の時代に生まれて良かったと思ってます。価値観の問題で。
かつては、「日本人には個性がない」と言われていましたけど、個性は昔から、ちゃんとありましたからね。
 
maicouさんは、20年前のご自身と、長崎の現代の若者に、似たものを感じていらっしゃるのでしょうか。
ご両親がmaicouさんに期待した「誠実に生きる」というのは、もしかして、親とか世間様に対しての「誠実に生きる」なんでしょうか。「誠実に生きる」という言葉は、良い意味で使われますけど、これも親が利用する「美徳」「道徳」になりえるんでしょうか。


>20年前のご自身
これ判りにくかったですね。20年前の世の中で自分が生きにくかったように、今のこの土地で生きにくいと感じてる若者に「20年後は多分よくなってると思うから堪えてろ」と応援したい、ということですね。
20年前の僕は、日本の世の中が今のように変化するとは気付いてなかった。なので一生涯自分は報われず苦労するのか、と絶望しかなかったわけだけど、実際は世の中が変化して、まあ今でも大変ですが、昔ほどじゃなくなった。それを今苦労してる若者に言いたい、ってことですね。そんで逆に、いまの価値観にあわせて生きてる人々は、20年後には苦労してるはずだから、ということも言ってあげて、気分を楽にさせてやりたい、という感じです。この予想が何処まで当たるかわからないけどね。僕も今が一番好きですよ。

観光に熱心なのは、こんな日本の端にあって、しかも日本で下から2番目に不景気な県ですからね、そうしないとやっていけないんでしょう。奈良は京都のすぐ横だし通勤圏だろうし。こっちで言えば福岡と佐賀の関係のようなものでしょうね。佐賀は取り得が何もないとよく言われますけど、福岡の隣なのでぜんぜん都会っぽいというか、こっちとは違います。
こっちも、ホントなら中の人が豊かにならなければ気持ちも景気も上がっていかないと思うのですが、他所向きな顔ばかりしてるんですよね。だから誰も本音も言わずつまらない。創作物も然り、という感じです。

誠実に生きる。これは最終的には自分に対して、ということなんだと思います。嘘つくなとか散々言われましたが。子供の頃、友達に「名前と行動が全然違う!そんな名前、嘘じゃん!」となじられた事があります。子供の頃は誰からも褒められたことがなかった。親にはちゃんとしろちゃんとしろ、と言われ続けたけど、納まりきれなかったです。それでも親は常に外面だけはよく、ずいぶんあとになってから知り合いに、家庭内の酷さを話したところ「あんな穏やかそうな父と優しそうな母なのに!想像付かないねえ…」と絶句されました。
結局よく判らないのだけど、親の希望としては、外面的に自分のこの名前のように生きろ、ということだったのかもしれない。でも僕のほうは、自分自身に嘘を付かない、という生き方をしてきてしまったな、と今は思います。

*yuhka-uno
これは以前から思ってたことなんですけど、まぁ私の偏見も入ってるかもしれないんですけど。一昔前は、「良い学校→良い就職先→良い人生」というレールが、今より強固に存在していたんですよね。で、その時代のスタンダードな生き方、その時代の「普通」「常識」に浸かって生きてきた人ほど、今「昔は良かった」「近頃の若者は…」って言ってるような気がします。
逆に、そういうレールに乗ってこなくて、スタンダードから外れた生き方をして、自分の生き方を自分で作ってきた人は、今の時代にイキイキしてる人が多いような気がするんです。そういう人と話してると、「ああ、この人若い頃は、『定職にも就かずにフラフラして…』とか言われてきたんだろうなぁ」って思うことが多いです。
 
今の時代においては、もう「良い学校→良い就職先→良い人生」は、過去の成功体験だと思うんですよね。でも、親がその生き方しか知らないと、もう通用しなくなった方法で子供を育てようとしてしまいますから。若者のひきこもり問題は、その辺りにあると思います。
今の若者は、世間的な「安定した職種」観より、自分にとってどうかを基準にしたほうが良いと思います。だから、今の若者は、スタンダードから外れた生き方をしてきた人の話を聞いたほうがいいんじゃないの、と思うんですね。
 
私は、九州は宮崎しか行ったことがありませんので、福岡と佐賀と長崎の立ち位置がどうなっているのかが、よくわからないんですけど、以前、あるテレビ番組で、「関西での奈良の立ち位置は、関東での埼玉みたいなもんですよ!」と言ってる人がいまして、まぁこの例えは、だいたいあってると思いますw
奈良は、関西圏内よりも関西圏外のほうが、逆に評価が高いんじゃないかと思いますね。
 
創作物がつまらないというのは、自分の本音に自信がない、ということでしょうか。「こういうのやりたい!」がない、というか。
 
私は、両親に依存はされましたが、「誠実に生きろ」とは言われたことがなかったです。私の母が要求する「気遣い」が、実は他者が望んでいることを考えて行動する「気遣い」ではなく、、母の思い描く気遣いを考えて行動する「気遣い」だった、というのに似てますかね?
私は、「良い子」の殻が剥がれ落ちてからは、親に嘘をついたり本当のことを話さなかったりする一方、自分に正直になってきたと思います。子供に嘘つかれたくなかったら、子供から信頼される努力をして欲しい、と思いますね。


そうですね。まずスタンダードの件はその通りで、プラス、ジェンダーとかそういった意味での様々な昔の価値観が根強く残ってると言うこともあります。「九州男児」という言い方があるように、今でもけっこう残ってるので、まずそういう部分が根本から変わらないと、家庭や親も変わらないでしょうね。新しい価値観や考えがこの土地に入って来ても、そういう風習が邪魔して浸透しにくい部分は多分にあったかと。あと僕は北海道の人間ですから、「家」とか「祖先」とか「土地」とかへのこだわりも、ずいぶん僕とは違うと感じました。そこら全部含めて、なかなか改革は長く掛かるのではないかなあ。

創作物がつまらない、というのもずいぶん身も蓋もない言い方なんですが、あくまで僕個人の価値観で言えば、と断っておきますけど、何を歌っても結局注目されていくのは平和関係か地域性関係なんですね。プロではないヒト、目立たない部分で活動してるヒトの中には、個性的な人がけっこういるんだけど、目立つ部分の人々が前者なので、結局イメージはそうなってしまうってことですね。他に言いたいこと、したいことはないのかよ!?と突っ込みたくなる。
まあ、もっとちゃんとした人は福岡や東京などに出て行ってしまうでしょうから、残ってる人は自ずとこういう人、というのはあるでしょう。あとは経済的に居ざるを得ないヒト。そういう後者的な不本意な人に協力したいんです。僕は。

ちょっと話が変わるけど、福山ってこの町がすごい嫌いで出て行って、悪口もずっと言ってたんだよね。なので地元からすごい嫌われてた。僕がこっちに来てすぐ、そういう福山のインタビューを読んで、それまではなんとも思ってなかったんだけど、それ以降福山の気持ちがわかるようになった。それは僕自身の故郷のこともあるし、そして今は、福山と同じ、この土地についても共感できます。2年位前かな、こっちの美術館で福山写真展というのがあって観に行ったんだけど(しかも、たまたま来てた父と一緒に行った!)、けっこうグッと来ましたよ。やっと客観的に捉えられるようになったか、って。そんで去年大イベントやって。今後も福山は大変だと思います。ここまででかいことやったら、そうそう落ちぶれるわけには行かないです。そんなことになったら、こっちの連中になに言われるか。火を見るより明らかだわw

うちは家庭のしつけが大変厳しかったんですよね。そして常に名前の通りに言動する事を強要したんだと思います。変なことするから怒られると思って逃げようと思っても、それは名前に反する行動だから、それも後ろめたさが常に付きまとい、ともかくマトモな10代ではなかった。何を言っても無駄だから、一人暮らしで親元を離れるまで、本心は言わなかった。
yuhka-uno さんは親から期待された行動をできてたのでしょうか。僕は常に期待され強要されましたが、結局は不可能でした。それで行動が不可解になり、その理由を第3者から理解されない北海道時代だった。やっと実家を出て、本当は自分は何がしたいのか探るようになって今に至る。なので、実家を出てからが本当の人生なんですね。だから年齢も実家出た年を0歳にして計算したりしていました。

もう一個思い出したので補足なんだけど、こっちはネタが多いだけでなく、非常に催事とかお祭りが多いんです。なので常に何かの祭りの準備を、1年中町中でしている感じで、子供の頃から否応無しにさせられてるヒトも多いでしょうね。もちろん祭りだから輪を尊重するし決まりごともたくさんある。その厳しさや多さは、他の都市の、町内会のしきたりどころじゃないと思います。そういういろんなしがらみや決まりごとでガチガチなんじゃないかと思う。例え参加しなくとも、存在は常に意識してしまいます。そうすると常に外面を気にする家庭のように、町全体がなってしまうでしょうね。それは思います。

見えないしがらみの力があった場合、見えてない場合、もしくは逆らえない場合はそれに従った形での自己表現しか出来ないでしょ。そして、そこから開放された場合、今度は反動でその逆に行くんでしょ。どっちにも振り切った形での表現がしばらく続いた後、やっと中道状態に戻ってきて、フラットに見て、本当の自分は何をしたいか、ということが見えてくる。ココまで至るのがすごい大変で時間も掛かるんですよね。だから僕は、実家を出たところがゼロ歳だ、ということにして人生をそこから始めたんだ、と想定しました。それでずいぶん楽になりました。

*yuhka-uno
ああ…「九州男児」かぁ…
ネットのどこかで、九州はジェンダー観が30年遅れてるって記事を読んだような気がします。「九州男児」って、そちらの人にとっては、プライドとかアイデンティティーとかになってる感じですかね?
「家」「祖先」「土地」へのこだわりは、奈良にもあると思います。うちはそういうのはゆるいほうですけど、他所の家にはあるところもあるみたいですね。
 
福山って、福山雅治のことですよね?
「福山 長崎」で検索したら、この記事が一番上に出てきました。
http://www.oricon.co.jp/news/entertainment/66373/full/
 
>yuhka-uno さんは親から期待された行動をできてたのでしょうか。
全然できてませんでしたよ!できなかったからひきこもりになりましたよ!w
まぁ、ある意味できる性格だったほうが怖かったかもしれません。できるということは、母のような人間になるということですから。もし母のような人生を送って、結婚して子供が生まれたら、子供が私のようになっていたかもしれない。それを考えると、色々ボロボロな人生ですけど、まだ良かったかもしれません。
 
うちの場合は、「期待」というより「依存」されたという感じです。両親は話し合いができない夫婦で、母は「お父さんは全然協力してくれない。私ばっかりしんどい思いして…」という不満を抱えていました。その不満が私に向けられたんですね。母は私に対して、自分と同レベルの大人、例えば父に求めるようなことを求めてきました。でも子供にそれを求めるのは無理ですから。今から思えば、できなくて当たり前なんです。でも当時の私は、「お母さん働いてて、しんどいんやから、ちょっとは協力してよ~」と言われると、罪悪感から何も言えなくなってしまいました。
子供の頃、母は「○○ちゃんは、あんなに家のお手伝いするんだって」と言ってきたので、私は自分のことを「ぐうたらな子」だと思っていましたが、今から考えると、これって、いわゆる教育ママが言う、「○○ちゃんは、あんなに成績良いんだって」と同じですね。


なるほど。九州男児の件は、こっち来る前まではもっと「ごるぁー」みたいな野蛮なあれなのかと思ってたんだけど、博多方面とは違って、口ばかりでヘタレだという印象があります。というか、実はみんな女性に弱いんですよね。口では偉そうに強面なこと言いますが、女性には最終的に逆らえない、でも口では馬鹿にする、みたいな印象です。つまり最終的にコントロールしてるのは女性側だと思います。なので持ちつ持たれつで保たれてる文化なんじゃないかなという印象を、個人的には思いました。
こないだからいろいろ書いてるけど、こういうある意味偏った、というか極端な印象を僕が持つのは、やっぱり「地元のメディア業界」に少し足突っ込んだからだと思うのです。普通の人はいいヒトも多いし、何も考えてない人も多い。でもなんとなく根底に流れてる空気みたいなものがあって、それを濃縮して極端にしたのが「業界」だと思うのです。それを最近気付いてきて、なので、そんなに不快なら、その「業界」とやらに関わらなければいいのだ、と思ったということなんですね。ホントならメディアって最先端なイメージがあるのに、これは東京も一緒だけど、一番古臭い価値観なのは実はメディアのほうだね。情けないよね。

福山のインタビュー、そうです。そのとおりです。かれは「色男」だったし、こっちじゃ生き難かったと思いますよ。舐められないように悪ぶったりとかしてたんじゃないかなあ。今でもこっちじゃ、顔や立ち振る舞いから「生理的に受け付けない」という女性も多いし(逞しいヒトが受けるので)、その辺の溝は埋まることはないだろうと思います。

依存の話。そうそう。僕もずっとその話しようと思ってたんですが、常に両親間の諍い、というか沈黙のパワーゲームに挟まれてると、どっちかの味方に付くよう暗に強制されないですか?「おとうさんは、あんな人だよ。ダメだねえ。おまえは私の気持ちがわかるよね?」みたいな。
そんな生活をずっとすごし、他人の顔色を伺う癖が付きました。派閥や仕事場、今の業界もそうですけど、必ずどっぷりつからずに、引いて見て、誰と誰がどういう関係で、誰がどういう風に評判が悪く、お互いに誰が悪口言い合ってて、最終的にどっちに付くのが一番とくか、みたいなことばかり気にしてしまうので、ものすごく疲れるんですよね。そういうこと考えずに、自分がこれだ!と思った好きな事を好きな相手とできれば、どんなにいいかと思いますが、これは非常に難しい。東京時代はこういうしがらみから抜けられたのですごく良かったんですよね。だからホテルにしろバンドにしろ、本気が出せた。こっちじゃ無理ですね。皆が見ていて、何かあれば揶揄する、悪口言う、ハブにする、ですから、何も出来ません。そして、またそれをみんな僕にも言って来ます。他人の悪口を僕に言うんですね。僕は、他人の悪口を聴かされるのがすごいきついんです。その相手が悪いイメージで脳内に浸透してしまうと、もうちゃんと接することが出来ないのですよ。

今年の頭くらいだったかな。3月に揉めて関係切った音楽家のヒトに直接言われました。「あなたは、そもそも他所から来て目立つヒトなんだから、みんなが悪い意味で注目してるんだから、下手なことはできないのよ?」と。これは自分にとっては最悪な環境ですね。町全体が「家庭」と一緒です。ホント、どうしようかって今思ってますよ。

*yuhka-uno
「博多方面とは違って」ということは、同じ九州県内でも、地域によって九州男児の特色が違うということでしょうか。なんか、女性の手のひらの上で転がされてるような感じですかね?
 
私、家庭環境は色々ありましたけど、土地という点に関しては、特に「根底に流れてる空気」に触れることなく、のほほんと暮らしてきましたね。こっちは古い土地だから、そういう空気もあるにはあると思うのですけれど。
「業界」「メディア」にも、私今までの人生でほとんど関わって来ませんでしたので、よくわからないんですけど、もしかして「業界」って、外面良くて内側はドロドロの最たるものなんでしょうか。
あと、今wikiで調べてみたら、奈良県と長崎県って、県の人口も県庁所在地の人口も人口密度も、そんなに変わらないんですね。
 
なんか、福山雅治って、九州出身ってイメージないですね。
福山雅治のインタビュー、「僕は長崎に可能性を感じられなかった」「やりたいことがやれないと思っていた」というのは、音楽的な面だけじゃなくて、そういう「色男」的な面もあるかもしれないんですね。
 
>どっちかの味方に付くよう暗に強制されないですか?
あるあるあるあるwww
うちの両親を兄と妹に例えるなら、兄(父)は私に対して「ねぇねぇお母さん、僕こんなことしたの。すごいでしょ?」と自分語りしてきたり、母親(私)に何かプレゼントして、私が特にいらないものでも、私が期待通りの反応をしなければ、不機嫌になって拗ねたりする子供のような感じです。
実際の子供が親にこれをやるのは可愛いんですけどね。親が子供にこれをやるのは、子供にとっては恐怖なんですよ。
母は母で、父に合わせるしかない私に対して「やっぱり私よりお兄ちゃんのほうが可愛いんでしょ!」と思ってる妹、といった感じでした。母は表面上は「子供が父親につこうと母親につこうと、子供の自由」と言ってるんですけど、根底はそうじゃないから、言葉や態度の端々に出るんですよね。無自覚なだけにタチが悪い。
私は、そういう両親の精神的お守りをしているような感じでした。更に弟たちのお守りをさせられることもありましたね。一家のしわ寄せが私に来るような構造になっていました。
両親の依存から逃れられる立場だった弟は、スクスク成長して、立派に社会人になりました。まぁこのこと自体は嬉しいです。私は半分あいつらの親みたいなもんですから、親心ですね。でも弟たちは、色々背負わされてひきこもりになった私を、怠け者のダメ人間扱いしました。もうやりきれなかったです。
他人の顔色を伺う癖は、ありますね。私、初めての場所では、借りてきた猫みたいにおとなしいです。すぐには心を開けないですね。
 
http://kasega.way-nifty.com/nikki/2009/09/-ii-1-2014.html
↑これもしかしてmaicouさんもですか?
あと、maicouさんは、他人の話を聞かされることに慣れているというか、慣れさせられているところがありますか?
 
>「あなたは、そもそも他所から来て目立つヒトなんだから、みんなが悪い意味で注目してるんだから、下手なことはできないのよ?」
なんかこれ、しがらみのある家庭に嫁いできた嫁に、小姑が言うセリフみたいですね…


同じ九州でも全然違うようですよ。一般的な九州男児ってそのまま博多のイメージじゃないのかな。ヒトも多いし上京組もたくさんいるだろうし。ちょうど、あれです。話題になってる「嫁が中国人」の話があるじゃないですか。あれとか、ダンナは九州男児って感じがするね。
女性の手のひらってほどでもないのだろうけど、M気質なのか、女性にガミガミ言われることを喜んでるフシはありますし、基本的に頭が上がらないので逆らわず言うこと聴きますね。なので、音楽家でも女性が圧倒的に強いです。なので、みんな悪い意味で我侭だと感じます。
そうだなあ、業界と言ってもピンきりだけど、悪い部分だけで言うと、仰るとおりだと思います。ただ一流どころ、トップになると、そういう悪い面があったとしても、それを補って余りある、はるかにお釣り来るくらいの素晴らしい宝物がありますから、気にならないんですね。つまり逆に言うと、こっちはそうじゃないってことです。あまり言いたくないですけどw
あと、地方ならでは、ということで、東京からの帰郷組と、ずっと地元のみの人の価値観の違い、上京したと言っても学校や弟子入り程度で数年居ただけなのか、僕みたいに、どっぷり住んでたかの違いもあります。そういうあらゆる価値観の違いも、創作物や活動のクォリティによって淘汰されてゆくのが東京ですが、地方はそれもないので、誰も判断出来ない。上京帰郷組が我侭言ってるだけなのか、どっちが正しいのか、とか客観的判断が誰も出来ないんですよ。そうすると、集客もしくは人気、メディアで目立つ、とか、そういう判りやすいことでしか判断できなくて、中身のクォリティ関係なく、派手なことやった人が勝つようになる。などと言うと、こっちだけじゃなく日本全体の特徴な気もしますけどね。それが地方の場合はより判りやすく現れるんでしょうね。

そうそう、その記事ブクマしました。自分のことだーー!と思って本当に驚きました。僕はホントによく人に相談されました。まあ僕も、基本的にヒトが好きだし、いろんな話聴くのも、創作のねたにもなるし好きなんですけど、でも駆け引きとか他人の悪口いわれるのはきついです。去年から今年にかけて契約してた音楽家がまさにこのタイプで、結局僕は受け入れきれずに3月に倒れましたから。
yuhka-unoさんの弟さんのように、誰かが吸収してくれるので本人はリッパになり、吸収したこっちは酷い目に遭ったうえ、それをだらしないとか、不甲斐ないなどと言われてはたまったもんじゃないですよね。お気持ちはすごい判ります。

その小姑みたいなせりふを言ったのも、その女です。まあでも、それについては、多かれ少なかれ、誰でも思ってると思います。今振り返ると、ですけど、僕はずいぶんバッシングされてたと思いますよ。表面上はみんなニコヤカなので、気づいてなかったんです。最近気づいたんです。いろいろあって気付いちゃったんですね。ああそうだったのか…。と。あんまりですね。

*yuhka-uno
なるほど、考えてみれば、同じ関西でも色々ですしね。京都以外の一般的な関西人のイメージが「大阪人」であるように、一般的な九州男児のイメージも「博多人」ってことなんですね。
「業界」については、母体が大きいと、作品のクオリティで判断されるけど、狭く人間関係が濃密な環境では、クオリティ以外のところで決まってしまう、ということでしょうか。判断できる人がどれほどいるかの違いというか。
もしそうなら、これが「日本全体の特徴」でもあるということは、日本全体でも母体が少ないってことなんでしょうか。
 
私もあの記事は、「自分のことだーー!」でしたよ。
特に「誰もそれを評価しておらず、にもかかわらず、患者に依存し、患者の気遣いを湯水のように消費してきたこと」の部分は、もうその通り!でしたねw
私もよく人に相談されましたね。特に高校時代は、当時は無意識だったんですけど、先生=親、私=姉、他の生徒=弟、というふうな、モロに私の家庭環境を反映した立ち位置になっていました。先生から頼まれて、他の子の相談にのったり、レポート手伝ってあげたり、先生の作業の手伝いしたりしましたね。
当時はその環境に不思議と居心地の良さを感じていましたが、今から思えば、先生がちゃんと私に振り向いてくれていたからですね。私は母のことを「振り向いてくれない人」と思っていたんです。家の手伝いも弟の面倒見も、やって当たり前のことで、褒められることもありましたが、ものすごく頑張ってなんとか要求に応えられた時しか、褒められなかったです。先生はちゃんと「やってくれてありがとう」「助かった」と言ってくれる人でしたから。まぁそれが普通の反応なんでしょうけどw
私は母に振り向いてもらいたくて、無意識に「良い子」になったけど、それが満たされなかったんですね。あの学校は私にとって、満たされなかったものが満たされる場所だったんだと思います。
 
その小姑セリフの人って、自分の集団に新しい人が来ると、まず自分のところに引き込もうとして、相手が引き込まれてくれない人だとわかると、手の平返すタイプなんでしょうか。


そうですねえ…。日本も昔は狭い中で成り立って勝負して、あとは縁や繋がりを優先する感じだったし(これは今もだけど)、そういう古くてマイナスな部分を未だ残してるのが地方の業界という気がしますね。競争がなく、客観評価もなかったら、たとえば学生の飲み会で人気者になるような、その程度のレベルでも成り立ってしまうんですね。僕もそうだし、あと上京経験者デモドリ組とかだと、とてもじゃないけど、そんなレベルの低いことで人気者になろうとか、恥ずかしくて出来なくなるんですよ。もっと上を知ってしまうと、いろいろ悟ってしまうんでしょうね。なので出戻り組の人はみんな冷めてます。それをジモティの人は、スカしてるだの偉そうだの、いろいろ言いますが、そうじゃなく恥ずかしくて出来なくなるんだと思う。なので、出戻りの人は出戻り組で固まってしまいます。もしくは一人になってしまう。
今でも海外崇拝のヒトとかだと、日本で人気者になることは恥ずかしい、と思ってる「高尚な芸術家」って居そうじゃないですか?それのすごい低レベルが行われてるっていう感じだと思います。
こういう価値観って、一度そうやって表に出た人しか判らないでしょ。一般の市民は何も知らない。だからシアワセだと思う。僕らは「この程度で??」と思っても、みんなはそれでいいと思ってるんだから、その夢をわざわざ壊すのも無粋だろ、という気持ちもあります。多分僕だけじゃなく、出戻り組の大多数がそう思うから、そうやって一線引いて冷めてみてるんでしょうね。何も言わないのが吉と判断するのでしょう。大人だから。僕は黙ってることが出来なかったって事です。だってわざわざ2000キロ離れた土地に来て、何もせずに帰るとか出来ないなあって思って。
(補足。これは選民主義ということではなくて、なんつか「まだ仮免じゃないすか!そんな状態で公道走るとか、ないから!」ってこっちは思っても、仮免くらいで「僕らはこれでじゅうぶんですから」と言ってみんな去ってしまうのね。そうすると、僕の本意でもないし、実績としても厳しい。若者の役に立てた、というより、このレベルは「上手く利用されちゃいました」だと思うんだよね。それが大変まずい、と思ったってことなんだよな。だから、そんな仕事は、そもそも請けちゃいけなかった。これが教訓ですね。)

その先生みたいに、自分を有効に使ってくれてありがたく思ってくれる人だといいですよね。僕の場合、仕事だったということもありますが、金払ったんだから要望どおりやれ、みたいな輩が多く、ホントに閉口しました。ずいぶん踏み台にされたなあ、と思ってます。つまりこっちの気遣いに依存されてたんですよね。こっちが黙ってるとどんどん付け上がってきた。ひどかったです。
他人を心地よく有効利用できるヒトって人間が大きいって事じゃないですか。そういう先生のような人に出会えれば、今後は変わるんでしょうけどね。僕も。

小姑の人は、やっぱり出戻りなんだけど、僕と同じようにこっちに幻滅して、あらゆる同業者と喧嘩して縁を切ってしまったヒトです。僕が会ったときは既にそういうヒトだったのでわからないのだけど、以前はそういう、自分が利用できないとわかると手のひら返すような人だったのかもしれません。手のひら返すというか、自分が失礼なことされた、と感じると絶対許さない人だな、というのは感じました。でも他人が自分をどう言っているかは気にしてるんですね。本人はそんなことないと否定してますけど、気にしてます。親のピアノ教師も相当に厳しかった人らしいので、そう育てられたんでしょうね。かわいそうといえばかわいそうな人です。
ピアノと作曲家としての才能はあると思います。そういう意味では、こっちでは唯一僕がマトモだと思った人なんだけど、偏屈すぎて、あとやっぱり、だんだん好意に依存されるようになってきて、僕はそれが耐えられず切りました。人間性は最低でした。でも彼女の気持ち、そうなってしまった理由とか想像が付くので、ちょっと残念でした。でも僕の器じゃなかったんでしょう。彼女も、またもっと別な大きな人間に出会えばいいと思います。

*yuhka-uno
>たとえば学生の飲み会で人気者になるような、その程度のレベル
この例え、なんかすごくわかりやすいような気がしますw
私、自分の絵の上手さについて聞かれた時に、「地元中学では成績優秀者だけど、進学先では落ちこぼれくらいの上手さ」って答えてるんですけど、それに似てるんでしょうか。
判断できる人間がいるかいないかって、すごく大事なことなんですね。判断できる人間がいるから、競争する必要に迫られるってことなんでしょうか。
 
私を心地良く有効利用してくれた先生は、今まで私が出会った教師の中では、一番目か二番目くらいに良い先生でした。相談に乗るのがすごく上手かったし、皆に頼りにされてましたね。人間が大きい人だったと思います。
 
「小姑の人」とmaicouさんは、立場が似ている部分があったのですね。
私が思ったことは、やっぱり、相手に依存しすぎると、自分も相手も傷つけてしまうんだな…と。私の親もそうでしたから。私に依存して、私をボロボロにして、私の心を離れさせてしまいましたからね。
私も、母のことをかわいそうな人だとは思います。でも今の私には、母のことを思いやっている余裕は、ちょっと無いですね。まず私は私自身を助けなければいけないので。
 
私がひきこもりから脱出していくにあたって考えたことは、依存先を分散させて、複数の人に少しずつ甘えさせてもらうことでした。一人の人に、カウンセラー役も親役も友人役も求められないということは、親を見ていて思いましたから。その高校時代の先生にも連絡を取って、自分の状況を説明して、助けを求めました。その先生は、私の精神的な親ですね。


>「地元中学では成績優秀者だけど
これならまだマシなほうで、それ以下の自覚のないヒトも多数居ます。あと「飛び道具」で目立てる世界なので、細かい部分がめちゃくちゃなのに早弾きしたりとか派手なプレイしたりとか、ともかく本質の「音楽」という部分がないがしろにされても通用するのが、自分としては悲しいですね。これは、厳しい事を言ってしまうと、聴く側だけでなく、演奏するほうも気づいていないから直せない、が正解だと思います。

そんな状況のこの土地の生活の中、良心かと思われた小姑さんと付き合いを始めた、という感じですね。でもお互い、他のエクスキューズがないもんだから、頼り頼られで1年経ち、また震災のことなどもあって限界に達したんでしょうね。そう分散できなかったから起こった悲劇でした。

昨日もまた、市内の重鎮音楽家が酔ってセクハラしまくる、という話を聞き(うち一人はうちのレーベルのコだった)、そんなのばっかりしかいないのか、とがっかりしてたところです。別に僕は、極端な潔癖症というわけじゃないんですよ。業界と関わって、ある程度のことなら見過ごすという免疫もあるつもりだけど。悲しいですね。

*yuhka-uno
>細かい部分がめちゃくちゃなのに早弾きしたりとか派手なプレイしたりとか
ああ…そういう意味での「学生の飲み会レベル」なんですか。
私、自分がどの程度の実力なのかを把握できるのも、人間の能力のうちなのかなぁと思っていたのですが、それは頭の良さだけでなく、音楽とか、あらゆる能力について言えることなんですね。
その人たち、「音楽」をやりたいんでしょうか。それとも別の何かをやりたいんでしょうか。
 
「小姑の人」とは、他に依存の分散先が無い状況だったということなのでしょうか。
思ったんですけど、maicouさんと「小姑の人」との関係と、maicouさんと私との関係って、なんか、真逆なような気がするのですが。私、音楽はサッパリですし、ずっと地元に住んでます。でも、家庭環境などで共通点があるのですね。
 
私、酒と煙草とエロスは、大人の嗜みだと思うんですよね。
「ボク酔っ払っちゃったから、理性吹っ飛んで、セクハラしちゃうんだよ~許してね~」っていうのは、大人じゃないです。
私が「年取るのって怖いな~」と思うことの一つは、誰も自分に注意してくれる人がいなくなることなんですよね。その重鎮音楽家さんも、誰も注意してくれなくなっているんでしょうか。狭い人間関係なら尚更ですよね。ああはなりたくないです。


今日、知り合いの店に行っていろいろ話してきました。節操なかったり酒癖悪いというのも、あの年齢じゃありがちでしょうがない、そんなのいちいち構うとまたあなた倒れるからw 放っておくのがいいよ、そんな人なら自然に評判も落ちて行くだろうし、と言われました。まあ普通はそうなんですよね。僕も、関係ないヒトなら放っておくかもしれません。でも、同業者で狭い街で、みんなに見られてる中、そんな醜態さらして、そいつの彼女さん(僕の知り合いです)も詫びて歩いてて、ホントにかわいそうで、それでも、まあまあ酒の上でだから見過ごしてやれって、僕はどうしても納得いかないなあ。
この潔癖症は母譲りなんですよね。母はよく汚らわしいだの言ってましたよ。

そういうこと含めて、音楽がしたいのか、といわれると微妙なんですけど、音楽はしたいんだと思いますよ。それは判るんですが、音楽とか楽器演奏って、肉体と脳波と合致してすごい快感、というかドーパミンが出るものでしょ?そうすると、それに誤魔化されて、適度な快感のところで、「もうこれでいい」って止まっちゃうんですよ。そこの見極めの差が伸びるヒトとの差を生むんじゃないかな、と思う。本人は「超気持ちいいーw」ってなってるから、わからないんでしょうね。
こっちの土地の特徴で、ジャズのヒトがすごい多いんですよね。僕はジャズをやらないし、素人の適当なジャズが大キライなので、そもそもそこからして合わないんですよね。ジャズは楽器演奏主体で、ある意味快感の音楽なので、そういう意味でもみんな似てますね。それが全体の雰囲気にもなってると思う。(いま急に思いついたが、ナンシー関いうところの「工藤静香の絵」みたいなものなんだろうね。こっちがいくら「おいおい」と思っても需要があるし、本人もそれでいいと思ってるんだから、どうしようもないんだよな。ナンシーの、静香か鶴太郎、どっちの絵がいいか、という発言は見るたび可笑しい。識別能力には乏しいがアートに浸っていたい、よく判らないけどジャズの雰囲気が好き、というヒトに有効なんだろう。)

似たものどおしは、分かり合えるとものすごく近しくなるけど、一度喧嘩すると、取り返しが付かないっていうじゃないですか。僕と小姑はそんな感じだったんだと思います。僕から見ると、彼女は「変わる前の自分」みたいでした。ずっと昔の僕のような位置で止まってるんです。そのお互いの違いが、だんだん苦しくなってきたんでしょうね。
むしろ気付いて変わろうと思える人のほうが希少だと思います。そこに共通点があるので、こうしてyuhka-unoさんとは、今のところ(笑)お話できてるのではないでしょうか。

*yuhka-uno
別に潔癖性じゃなくても、納得いかなくて当たり前だと思いますけど。
本気で酔った時の記憶がない人は、酔ってる時の自分の行為を知ったら、反省してやめますけど、その重鎮音楽家は、自分が酔ってる時に何をしているのか、わかってるんですよね。彼女さんにも言われてるでしょうし。
酒飲んでる時にやった自分の行為を、本気で恥ずかしいと思うのなら、次から飲みませんから。
 
私、楽器演奏で快感を感じたこと、ないですw
楽器演奏は本当に苦手ですから、快感の片鱗すら感じたことありません。それを考えると、「超気持ちいいーw」ってなれるだけ、ちょっと羨ましい気もしますねw
表層だけかっこつけたいのかな、と思ったんですけど、「バイクに乗りたい」とかに似てるんですかね?仮免の例えといい。
快感に浸りきってしまわないのが、伸びる人と伸びない人との差なんでしょうか。
 
まあ変わろうとするか安住するかって、本当に紙一重ですね。油断すると安住しそうになるw
そもそも最初の「気付き」が最難関ですからね。そこが一番しんどいです。そして、気付いていないうちは気付いていない自分に気付けないという。


そうなんですよね。今までも自分の醜態のことは判っていて、何度も禁酒したり今後は改めるだの言ってたらしいんだけど、小姑さんに言わせると(全員知り合いですからw)、何度繰り返しても直らない悪癖だということなので、そういうヒトなのでしょう。ただ、これは何処でもそうだと思うのだけど、本業や創作に才能ある人は、そういう人柄含めて許してしまう、という風潮があって、僕もそこは、破天荒な芸術家ならしょうがないかな、と思う部分もあります。でも、酷ですけどこの方の場合、この地元レベルなのでそれが許されてるのであり、小姑や僕みたいな在京経験者には、到底見過ごせないような感情になると思います。それが、あるヒトから見れば潔癖すぎる、とも言われてしまうんでしょうね。でも、ホントにそのとおり、「当たり前」のことなんですよねえ…。困りましたね…。

うんうん。バイクに乗りたいというのと似てる気がします!曲乗り(?)みたいのすると受けるじゃないですか。そういう感覚なのかなあ。好きでやってるのなら、文句言う筋合いでもないんだけど、実際にそれでお金稼いで人気があるのを見てると、ちょっと穏やかな気分でも居られない、というのが正直な気分ですね。

ぼくは、このやり取りはすごい有意義に感じてます。そのうちブログにまとめたいけど、いいですか?

本当に音楽がしたいのか?で思い出したんだけど、2年くらい前まで僕が面倒見てた人たちみんな、メディアに出る事にすごい拘ってた。僕にいろいろコネがあると知って、あの番組にはでられませんか?とか新聞取材はないですか?とか、全国発売できますか、とか、そういうことに異常にこだわり持ってたように思う。そら僕だって、そういうものに取り上げられれば嬉しいけど、なんつかメディアの力って即席でインチキだという印象が強くあって、そんなバブリーなことじゃなくて、しっかり本文の音楽のほう固めていきましょうよ、とりあえずまだ全然「仮免」だし、と思ってたんだけど、そうじゃないのよね。
その、新聞に載ったとかTV(ローカル)に出られた、トカ、そういうことがひとつひとつ、すごく大きい、というのはホントに田舎なんだわココは、と思ったことでした。悪いとは言いませんけど、僕はだめなんです。それがなに?みたいに思うヒトなので、全然重視してなくて、なので、揉めたのはその辺の感覚や方針のズレもあったと思う。
その僕と分れた人たち、今は新聞やTVに出たトカ言って一喜一憂してますけど、別に当時から音楽性が進歩してるようには思えない。その辺も「もともと低かったモチベーション」の弊害なんだと思った。

その辺が前に書いた、地方の人は基本的にミーハー、につながるんです。メディアに出てる、とか新聞に載ってた、とか、そういうことで判断して、価値が決められてしまうんですね。そのことでは今も、僕はずいぶん傷つけられた、と思ってます。自分は厳しすぎるのかもしれないですけどね、でも、一旦上がった感覚を下げて、聴こえないフリとか出来ないんですよ。気付いてしまったら、もう戻れない、というようなことですね。無理解に囲まれるのは心底苦しいです。

*yuhka-uno
もし仮に、ここで醜態晒したら、確実に干されてキャリアが断たれるっていう環境だったら、その重鎮音楽家の人、お酒飲んでてもセクハラしないんじゃないでしょうか。
致命的にならない、許されてしまう環境だから、やめないんじゃないのかなぁと。
それに、どんなに才能ある人でも大物でも、やられた側にとって嫌なのは同じだと思いますね。
こう考えてしまうあたり、私はmaicouさんより潔癖かもしれませんw
私の両親は、性的なことに関しては、そんなにうるさくはなかったんですけどね。
 
まぁ、地元ローカルメディアに出るって、全然大したことじゃないですよね。その辺で暮らしてる普通の人だって、何かの拍子に出れるもんですから。
伸びる人と伸びない人との差って、自分よりレベルが下の人から持ち上げられることに快感を感じるか、自分よりレベルが上の人から刺激を受けることに快感を感じるか、という違いもあるんでしょうかね。後者の人は、自分のレベルに見合わない持ち上げられ方されると、むず痒くなると思います。
 
>ぼくは、このやり取りはすごい有意義に感じてます。そのうちブログにまとめたいけど、いいですか?
どうぞどうぞ。そう感じてくださっているなんて、嬉しいです。
こんなに突っ込んだ質問しても良いのかなぁとか、maicouさんの事情もよくわかってないのに、私の意見を言って良いのかなぁとか、色々考えてましたから、正直安心しましたw


そう言われて僕も調べたんですけど、AMはひとつしかないんですね。TV局と一緒になったTBS系列。毎日系列は全国に展開したのが速かったので何処にでもあるし、利権も古いのが残ってますよね。しかもひとつしかないとは。文化放送とかニッポン放送とか聴けないわけか。それもすごい。鎖国ですね…。

そうなんです。コミュニティはすぐ出られますね。地域密着が売りですので。それでも、僕の故郷のように、メジャー並みにしっかりしてるところと、こっちの某局のように学生サークルレベルのまでピンきりですね。こっちは、コミュFMみたいな弱いレベルだと、土地の形状的に電波が狭い範囲しか届かないので、聴いてるヒトも町の中心部のごく一部になってしまって、果たして意味があるんだろうか、と思うこともあります。

そうそう。夢壊すようで無闇にはあまり言わないようにしてるのですけど、いまCDの全国販売とか「メジャーデビュー」に見せかける方法とかって、手続きとお金で簡単に出来るんですよ。それを僕らは知ってるので、「全国リリースです!」とか「メジャーデビューしました!」とか言っても、なんか恥ずかしいというか、そういうこととてもじゃないけど言えないんですけど、こっちに来たらみんなそういうことセールスポイントにして売り込んでるので、こういう商売の仕方があるんだなあ、田舎じゃ何でもありだな、と思ってました。そういうステイタスはすごい重要なんですね。実際は売れてもないし儲けもないし、いいことないんだけど、本人達にとっては、その「名声」こそが「いいこと」なんでしょうね。繕うのは外面だけ。そういうこともあって、こっちの連中とは気持ちが離れてしまいました。

*yuhka-uno
鎖国www
なるほど、鎖国してる国に住んでる人って、「知識人」でない限りは、自分の国が鎖国しているということが、わからないということですね(笑)。
 
>実際は売れてもないし儲けもないし、いいことないんだけど、本人達にとっては、その「名声」こそが「いいこと」なんでしょうね。
うーん、ブランドロゴが大事で中身が無い感じが、確かにバブリー…
そういうところも「20年前の日本」なんですね。
maicouさんが「上手く利用されちゃいました」って仰ってたの、なんとなくわかる気がしてきました。
外見だけ繕っていると、自分の中で積み上がっていくものがないでしょうね。
 
ところで、この機会なのでお聞きしたいことがあるのですが、maicouさんが「自分は音楽家になるんだ」とはっきり思われたのは、いつ頃のことですか?
また、親と自分がかみ合わないというか、親が自分の個性や適性を無視しているというようなことを、はっきりとわかったのは、いつ頃のことですか?


知らないということは楽で楽しい人生が送れるということもあるので普通のヒトにとってはそれでもいいでしょうけど、あまりに、そういう一般人の無知を利用する商売が多いので、呆れてしまうのですよね…。僕もずいぶん寛容なほうだと思いますけど(例えば小姑に比べれば)、それでもこういう話はちょっとイラつきます。まあ、関わらないのが一番と悟ったので、今後は少し穏やかに過ごせることを期待したいw

音楽家、かあ。中学くらいにロック聴き始めて、こういうものになりたい、と漠然とは思いましたが、「歌うような自分」になるには、かなりの試練があったので、身の程的に無理かなと思ってて(こっちの人と違うのでw)、なので具体化したのはホテル時代、感覚が目覚めて、書き溜めた作品が充実し始めてからですね。なので、やっぱり自分自身が親のことでいろいろ気付いて、変わり始めてからです。

親とかみ合わない、というのは、たとえば父が剣道とか習わせたり、そういう不向きなことさせられてたので、細かいことではずっと思ってた気がします。あと、僕はものすごく落ち着きがなく情緒不安定だったので、常に「ちゃんとしなさい」と言われたし、あとは友人関係かな。母に言われて一番覚えてることは、あの人と付き合っちゃだめ、こういう友達と付き合いなさい、と常に言われ続けたことです。だから、僕は自分が好きだったり、楽しかった相手とは遊べませんでした。友人関係、後には異性関係もですけど、母の目に適う人でなければダメだ、という意識がずっと付きまといました。これは今もだね。よく悪口もいってるし。
なので、一人暮らしして、この部分が自由になったのは、僕の人生にとって相当大きいですね。

ジョンレノンの、「母」ではなくミミ伯母さん、育ての親ですけど、この人はすごく厳しくてうるさいヒトだったようなのです。オノの前の妻、シンシアの書いた自伝があるのですが、このミミオバサンのことがすごくキツイ性格だったと書いてます。彼女のお眼鏡に適わないと全てがダメだった。と。レノンもそれを煩いと時には思いつつ、でも実は自分を強制してくる女性に依存する癖があるんじゃないかって、シンシアは書いてました。なので、オノさんもそういうキツくてカッチリして、いろいろ縛る感じのヒトなので、その部分もレノンは惹かれたんじゃないかって言ってましたね。
それ僕も、判る気がします。母の性格や存在がウザいと思ってても、でも実は似たような異性に惹かれてしまう、という部分はあると思います。僕は実際、よく異性に振り回されますしw

*yuhka-uno
私の親は、習い事を強制するということもなく、というよりは、ほとんど習い事らしい習い事をさせませんでした。私たち兄弟も、特に習い事をやりたいとも思いませんでしたので、不都合は感じませんでした。今から思えば、単に母がお金を出し渋る性格だったから、習い事をさせなかったんだと思いますけどね。
友人関係についても、特に口出しされるということもありませんでしたね。
私は、弟と扱いが違うということについては、不満を持ってはいたものの、今時親が離婚してる家庭なんて珍しくないし、「気遣い」についても、当時はああいうふうにするもんだと思い込んでいましたし、うちは他所の家よりも寛容で、自分はちゃんと愛されていると思っていました。
例えばmaicouさんみたいな、親が子供の意思に反して習い事をさせたり、交友関係に口出ししたりする家の子の話を聞いて、「かわいそうだなぁ」「うちはああいう家じゃなくて良かった」と思っているような子供時代でしたね。それは私の母自身もそう思っていたと思います。自分はああいう母親とは違うんだと。結局違わなかったんですけどね。
maicouさんの場合は、もうずっと「ああ!一人暮らししたい!自由になりたい!」と思ってらっしゃったのでしょうか。
 
ジョン・レノンの場合は、ミミ叔母さんが厳格な人で、実母のジュリアが自由奔放な感じの人なんですよね。ジョンが音楽の道を進むことについては、ミミよりジュリアのほうが理解があって、ジュリアがジョンに楽器演奏を教えたんでしたっけ。
そのお話を聞いて、オノ・ヨーコという人は、ジュリアとミミの特性を併せ持った人なのかなぁと思いました。加えて、ジョンにとっては、自分に振り向いてくれて、愛情を与えてくれる人だったんでしょうかね。
 
私が人生で初めて恋に落ちた人は、あの、私を有効利用してくれた、高校時代の先生でした。当時の私は、私の反抗心を無意識に抑圧する父に対して不満を感じていたのですが、異性の先生に無意識に求めたものが、「父親」ではなく「母親」だったあたり、やっぱり私にとってのラスボスは母だったんだなぁ…と思いますね。
私は、うちの両親のドロドロを見た後だったので、告白するとかそういうことは、特に何もしませんでした。まぁ、先生が独身だったら、告白したかったですけどね。今となっては、良い思い出です。


なるほど。
小学一年から両親が共働きになり、実家に居て一人の時間が出来るようになったんですよね。最初はそれはもう大泣きして死ぬかと思うほどの寂しさでしたが、そのうち、一人だと好き勝手出来る、と気づいて、それからはその時間が楽しみになったんですよ。下校してから両親が帰宅するまでの間、2時間くらいかな、それが毎日の唯一の楽しみになりました。音楽やその他の趣味も、その時間に全部自分の中に芽生えたものだと思います。一人で反芻して培養する時間があったんですね。恐らく親がべったりだったら、そういう余裕はなかったはずなので、結果的に、両親共働きで留守だったことが、僕の人生を救ったんだと思います。どんなに厳しく縛られても、そこで開放できたから生きて来れたんだと思う。それがなかったら、ホントにいま何も出来てなかったと思う。怖いですね。

オノの件はそんな感じですね。ミミはレノンが成功しても全然喜ばなかったそうです。おまけにプライベートではデビュー前に既に結婚してたので、家庭にも縛られて、自由な時間は全然なかったみたいで、世の中ではレノンが天才だった、ということになってますけど、そんな天才も、おそらくマッカートニーが居なかったら仕事として続けてく精神力はなかったと思います。バンドの音楽的実務は全部ポールが仕切ってました。

ほとんどのヒトにとって、レノンにとってのポールやオノのような人には出会えないんですよね。なので、一人で閉塞して進めないんだと思う。僕もそうでした。
誰かに出会えなくても、僕や yuhka-uno さんのように自分で気付けるのはまれだと思います。大概はよく自分のことも判らずに、他人に対して連鎖を繰り返すんだと思う。そうやって世の中は何世代も続いてるんだなあ。すごいなと思う。逆に言うと、そうやって鑑みる余裕もなく続くから、人間の種が継続してるのかもしれない。そんなこと考え始めたら繁殖とか出来ないよなあ、と思うので。笑。

先生は、よい出会いでしたね。
僕は、人間である限り、なんらかの恋愛感情こそが、キモチが大きく動き出すきっかけになると思ってるんです。そういうことがあって初めて、今までにないような感情が沸き気持ちが動き、自分を鑑みたり何か前向きになろうとか、それまでとは全然別な感情が生まれるじゃないですか。人間としてなにか気付けるときがあるとすれば、そこか、あとは自分の子どもが生まれたとか、それくらいじゃないかと思う。普通は先に恋愛があってから子どもがあるわけですから、人生の中での一番最初の精神的な目覚めは恋愛であると言っても過言じゃないと思う。僕はそう考えて、いまでも、そういう内容に拘って歌ってるんですよ。恋愛は自分の内面について考えることだから、そうすると、前に書いた、平和がどうとか言ってる割に犬の糞放置かよ?みたいにはならないでしょ。そういう外向きのモチベーションでは、所詮それレベルなんですよ。自分が大好きな相手が出来たら、たとえばそんな放置なんか出来ないと思いますよ。人間が精神的に最大スペックを発揮するのが恋愛だから、それが大事なんだ、ってことなんですよね。そして、恋愛は他者をはじめて認めて認め合って、それで成立するものです。それは「平和とか繋がり」というものの最小単位になるので、そこがとても大事なんだ、と。そういうことなんです。
ということなので、僕も恋愛が自分を救ったし、 yuhka-unoさんも、その先生との出会いは何かのきっかけになったのかと思いました。

*yuhka-uno
私も両親共働きで、最初は学童保育に行ってたんですけど、そこの居心地があんまり良くなかったんですね。なので、学童保育をやめて家にまっすぐ帰れるようになった時は、「やったー!」でしたw
もともと一人で遊ぶのが好きな子だったので、全然苦にはならなかったですね。絵を描いたり本を読んだりテレビを見たりして過ごしました。もちろん友達と遊ぶのも楽しいですけど、私は絶対一人の時間が欲しくなるんですよね。
そういえば、ひきこもりになる前よりも、ひきこもりになってからのほうが、自分の中で精神的に積み上がっていったものが多いような気がします。ひきこもりになる前は、無意識に母が「NO」と言わない範囲内でしか、自分の行動を選択していない時代だったので、そういう意味では、間接的に親の干渉を受けている時代でしたね。
考えてみれば、私も、今までの人生で、一人でいた時間に精神を解放させていましたし、反芻して培養していたような気がします。だとすれば、ひきこもっていた時期って、私にとっては、無駄に過ごした期間ではなく、むしろ、自分の中で何かを養う時期だったんだろうかと思いました。
 
私は、一緒にいる人の能力を伸ばすのも才能のうちなんじゃないかな、と思います。と言うのも、母が能力を潰すタイプの人だからですね。天才が才能を発揮できるのは、「他人の能力を伸ばす才能」を持った人に出会えたからというケースは多いんじゃないかと思っていました。
ジョン・レノンにとってのポールやオノ・ヨーコは、そういう出会いだったんでしょうかね。
 
私は、自分でもわからないままに、徐々に徐々に人生の歯車が狂っていって、自分でもわからないままに、ひきこもりになりました。ネットで心理系のサイトを調べているうちに、自分がこうなってしまった理由が一気にわかる瞬間があったんですね。だから、ネットがなかったらと思うと本当に怖いです。一生、わけがわからないまま、立ち直れなかったかもしれません。
今でも「もしかしたら、私は家族に使い捨てにされたまま、一生自分の人生を生きられないまま終わるんだろうか」という不安を感じます。でも、親のことを色々と気付いて、自分が変わっていくと、人生も変わっていくものなんですね。ちょっと安心しました。
 
恋愛について、maicouさんがそのように思われるということは、maicouさんの人生の中で、恋愛がものすごく大きな出来事だったのでしょうね。
うちの親も、恋愛はしていて、子供が生まれているわけですよね。その犬の糞を放置する人も、一応恋愛はするんでしょう。だとしたら、変わる人と変わらない人との違いって、何なんだろうと思いました。子供が生まれた時点では気づけなくても、成長していく子供に気づかされるということもあると思うんですけど、子供に気づかされることを拒否し続けるような親もいますからね。
だとしたら、恋愛は自分が変わるチャンスなんだろうか、と思いました。人生の中で自分が変わるチャンスは色々あって、恋愛はその中でも、多くの人にとっては大きなチャンスなんじゃないだろうかと。そのチャンスを掴めるかどうかの違いなのかな、と思いました。


そうですね。僕のその、放課後の2時間、も重要なヒキコモリ培養時期だったのだろうと思います。当時は気付かなかったのですが(子どもだったし)、それは自分が曲を創るようになって、そうだったのかと思ったんですよ。そういうことをブログで書いたのがこれですね。
http://karakawa.cocolog-nifty.com/egm/2010/10/post-d42a.html

そうそうネットですね。気付いて歌うようになってから、また別な出来事があって10年前に再びヒキコモリになったんですけど、それを救ったのは、僕もやっぱりネットでした。その成果が最近の活動に繋がってます。追い込まれると、何か小さな突破口を見つけられる、というその繰り返しなんだなあ、と最近思ってます。

そうですね。恋愛。あとは以前 font-da さんとちょっとやり取りしたんだけど、ある監督のAV(!)作品に出会ったのも大きかったです。恋愛の延長として。親との確執があるヒトって、性に関することも汚らわしく思うことが多くないですか?それを救ってくれたという感じです。

そんな事を含めて、恋愛について、常に考えてなくとも、その根底にある気持ちの変化的なもの。それを何かに付け思い出すことで、自分が正常に保っていられる、というようなことなんだと、僕はそう思ったのでそれを実行してるんです。あ、いや、実際に「遊んでる」ということじゃなくて、それを作品に必ず含むことは最低条件として常に考えているって感じです。あまり重要視しないヒトも多いけど、人間である限り、実はすごいでかい要素なんだ、と言い続けたい、ってことですね。

こないだネットである文を読んで「おー」と思ったんですけど、子どもにとって一番いい親とは、お互いの配偶者を愛することだ、というのがあって、子どもを愛するんじゃなく、夫婦が向き合って愛し合ってることこそが、子どもに一番いいのだ、というのは、なんとなく判っていたことではあっても、改めて文字にして読んだのは、すごい新鮮でした。僕の言ってる、恋愛至上主義、というのも、そこに繋がると思いました。

追伸なんですが、こっちの音楽家について、なぜそこまで糾弾するかというと、自分自身のトラウマのことが大きい、と思ったんですね。

これまでずっと話したように、僕は自分が思ったとおりの行動が出来ず、頭の中で素晴らしい事を考えても、それを実現したり実行する力もなかったし、その方法も知りませんでした。また、子ども時代はキョドっていたので、それら含めて、とても痛い奴で何も出来ないやつ、という見方を殆どのヒトからされてて、心の中では「そんなことない、おれはホントはすごいはず。でも証明できないだけなんだ!」とずっと叫んでいました。
たまにそういう僕の素質を見抜いてくれて、伸ばしてくれるヒトもいました。yuhka-unoさんの先生のような人ですよね。僕の人生でも時々そういうことがあり、ピンポイントで能力を発揮できるときがありました。そういうときの周りの反応は、すごい意外だった、というもので、でも褒められる、というよりは不気味がられるほうが多かったです。
そんな故郷での生活が続き、実家時代を終えひとり暮らしになりました。そこからが自分の人生だ、と思ったという話はしましたけど、それ以降の自分の生きる目的は「ホントは自分はすごい、ということの証明」のみになったんです。

そういう流れで、自分はヒトからずっと認められなかった、みんな表面上だけで判断して、自分の深層まで興味を持って接してくれるヒトが居なかった、そしてそれは、結局大人になって、こんなに時が経っても、こうやって田舎に来て、また同じなんだ、何十年経っても人は全然変わらない、みんな僕のことを表面上でしか見ないし、どうせよそ者だし、なんか恵まれてそうな雰囲気の僕なら多少痛みつけてもいいだろ、的な空気も感じるし、そうして僕から搾取して踏み台にして去っていき、そんなことしながら地元のベテランのように振舞っている、という現実が、本当にがっかりするんです。

でもそれは、何度も言ったように20年遅れてるから、つまり、僕の子ども時代のようなことが、今こっちで起こってるんだとしたら、世代的に、子ども時代の僕を理解しなかった仲間やオトナと、いまのベテランどもが同じなんですよね。そう考えると、今はこうだけど、20年後へ期待を持つことは出来る。そう思うしかない、と言う感じなんです。

ある意味、長い人生でどん底時代と、もてはやされた時代と両極端を経験した感じじゃないですか。僕自身はまったく変わってないのに、他人の態度だけ変わるんですね(あ、自分が変わってないってのは自分の中身のことで、外への出し方は変わったわけだけど)。
そういう意味じゃ、トラウマから開放されて救われたと思っても、また別の試練が来るんですね。正念場はそこからだった気がする。その辺は、今後もしっかり心の準備しておいても損はないと思いました。希望を未来に繋いで。

*yuhka-uno
偶然なんですけど、最近、「日本のホームドラマを振り返って、家族観の変化を見よう」みたいなテレビ番組を見まして、そのドラマがちょっと取り上げられていました。父、母、姉、弟という家族構成で、家族がそれぞれ問題を抱えてしまうのだけれども、表面上普通の家族のように振舞っていて、弟が家族の問題を表面化させる役割になる、みたいな内容ですよね?
maicouさんが「東京住民」という意識を持っているのは、単に東京に一番長く住んでいたからというだけでなく、自分の精神を養う時間に見ていたドラマが、東京を舞台にしたものだったから、というのもあるのでしょうか。
 
性に関しては、うちはそんなにうるさくはなかったので、子供の性を縛り付ける親がいるというのは、正直なところ、知識として知っていても、感覚として理解しているわけではありません。
まぁ、性に関する葛藤が全くなかったのかというと、そういうわけでもないですね。性が汚らわしいとかよりは、性に対する価値観の面での葛藤です。そのことに関して、以前記事を書きました。
http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20101208/1291809081
今から思うと、エロスと、上品さと、自分の「これがしたい!」という気持ちで生きるということを両立した女性が、思春期の私の目の届く範囲にいれば良かったと思います。私がDita Von Teeseを好きなのは、そういう理由ですね。
 
Motherもそうですし、801やBLが救いになる人もいるわけで、思わぬものが、親や世間からの押し付けから救ってくれることがあるものですね。というか、世間の価値観の押し付けから救うものが、ある意味「世間ズレ」したものになるのは、当然ということなのかもしれませんね。
 
恋愛については、私にはまだまだわからない部分が多いです。「子どもにとって一番いい親とは、お互いの配偶者を愛することだ」という言葉も、私にとっては、すんなり飲み込める言葉ではありませんし、考えれば考えるほど、わからなくなってしまいます。
ただ、最近、両親は最初から合わない夫婦だったのであり、父にとっては、今の恋人のほうが合う女性だったということを知ったのは、不思議なことですが、自分にとって救いではありました。それまで私は、恋愛関係になるということは、別れる可能性を高めるもので、友人関係のほうが、細く長く付き合えるのではないか、と思っていましたから。自分にとって本当に合う相手なら、最後まで別れずに付き合えるのかもしれないと思えたのですね。

私は、元来マイペース人間なのに「気遣い」や「良いお姉ちゃん」を要求されていたので、上手く振る舞える時と振る舞えない時との差が激しかったです。
あの先生との関係に居心地の良さを感じてはいたものの、完全に良かったのかというと、そうでもないのんですね。私は母によって、「忙しい目上の人に迷惑をかけてはならない。むしろ助けてあげなければならない」という意識を植え付けられていて、それに背くことに罪悪感を感じるのです。今でもその意識はなかなか払拭できていません。
先生は、私の話もよく聞いてくれて、私に気を使ってくれたので、私は先生の頼みを断れない苦しさを感じていました。今なら、親と子、教師と生徒では、それぞれ立場も責任も役割も違うということがわかりますが、当時はそれがわからなかったのです。
後に先生に助けを求めた時は、罪悪感を振り払うのに苦労しました。
 
上手く振る舞えている時というのは、大抵、ものすごく頑張って「良いお姉ちゃん」をして、それが何とか成功している時でした。当然、成功していない時も多いわけなんですね。
ひきこもりになる前、働いていた時は、全く自分に向いていない職種ばかりを選んでいたのに加え、常にビクビクオロオロしていて、全然上手く振る舞えませんでした。
カウンセリングを受けて初めて、「普通の人は、多少他人より多く失敗しても、できるようになろうと挑戦する人に好感を持つ」ということに気付いたんですね。
「良いお姉ちゃん」がしんどくても、「良いお姉ちゃん」以外に自分の立ち位置を確保する術を知らないから、それに妙な居心地の良さも感じるんです。これからは、自分がしんどくならない立ち位置を見付けていく必要があると思っています。
 
>自分が変わってないってのは自分の中身のことで、外への出し方は変わったわけだけど。
最近、自分の根底の部分って、そんなに変わらないもので、生き方が上手くなるとしたら、外への出し方が変わることなのかも、というようなことを思っていました。


なるほど。そんな番組があったのですね。あと、自分の精神が目覚めた時期に、そういうドラマを見てたから、東京住民のようなかんじがする、というのは鋭いと思いました。もともと空想癖がありドラマやアニメの中に自分も住んでるような気分なことも多々ありましたから、まさに「住民」気分だったんじゃないでしょうか。あと、いまの土地についても、昔見てた時代劇が実は長崎が舞台のものでして、そう言われれば江戸時代の長崎については自分の故郷のような感覚あります。この話すると、よく笑われるんですけど、時代劇に憧れて来た、というのはよほど不思議らしいですねw

性についてですが、女性も、一般的な女性観、というものがあるでしょうけど、男性も同じですね。マッチョじゃなきゃいかん、とかジェンダー系でもいろいろあります。そのどれもがイヤだったので、僕は絶対に「男性っぽく」振舞わなかったんです。だから、ゲイのヒトからよく誘われた。違う、僕はまったくストレートだから、と言っても、同性にも異性にもなかなかその姿勢は理解されなかったんです。こっちで福山が受け入れられづらいのと、なんとなく似ています。僕はいつも、実際の年齢より10くらい若く見られるんですが、それも男性的なものを拒否してたおかげで、おっさん化が遅れたのではないか、といま思ってます。
こっちが20年遅れてる、というのはこういう部分も大きくて、今のような自分でも、同年代で東京では普通に接してくれるヒトがたくさんいたのだけど、こっちは非常に難しくて同年代で気質が合うヒトも殆ど居ないし、ホントに20年前に戻ったみたいで、すごく話しにくい感じでした。若いコは男性も女性もそんなの気にしないので、まだ楽なんです。そこだけ救いです。

どんな場合も、子どもにとってオトナのサンプルは両親ですから、夫婦間に愛がない家庭に育つと、自分も男女間の愛をどう育んで良いのか、その方法がわからないんですよね。僕の場合も、相手から好かれるんじゃない限りは、すごく難しかったです。いまはもう結婚とか無理だろうと思ってます。

うちの母は、なんと13人兄弟!のちょうど真ん中でして、当時としては美形でスタイルも良かったこともあって、上の兄弟や、社会に出てからも(看護士だった)、職場の上の立場のヒトにすごく重用されたようです。まじめだったし。
それがあるのか、僕にも「年上のヒトに認められるように、付き合う相手も年上にしなさい」と常に言ってましたね。実際の自分はまったく逆になってしまった。もちろん最初はそうしようと思ったのですが、子ども時代から、年上の人たちにどうも邪険にされるんです。かわいくなかったんでしょうね。結局、その後も僕は、年上から反感を買い続ける人生でした。人間的に、だけじゃなく、僕の提示する方法論とかも相手にされないんです。そんな時代が長く続き、90年代中盤になっていきなり価値観がひっくり返って、僕のような価値観が認められると、今度は逆に、それまでブイブイ言わせてた連中がみんな退場していきました。それと入れ替わるように僕の音楽家生活が始まったわけなので、内心「そらみろ」と思ってましたね。あの頃、証券会社や銀行とかが潰れてったじゃないですか。両親はそれがすごいショックだったらしく、当時僕にシミジミ言ってきました。「お前の生き方が正しかったのかもしれないねえ」と。

ものすごく頑張って「良いお姉ちゃん」をしてる、というのはとてもよく判る感覚です。僕もそんな感じでした。すごい不本意なんだけど、一生懸命やってる。それストレスになる。ホテルやる前まではまさにそんな感じでした。そうそう。他人は自分が思うほど、こっちのことは気にかけてないものなんです。

なんだか自分の話しばかりで申し訳ないんですけど、そういえば僕は自分に自身が付く前までは、自分の曲の音源がどれも自分の声(ヴォーカル)が小さかったんです。自分の声が目立つのが嫌だったんですね。みんなに言われました。「なんでアンタの曲は全部歌が小さいの?」と。それは、声がキライだったし、歌も下手だったし、恥ずかしかったし、といろいろ理由があったんですが、ともかく歌が聞き取りにくかったんです。でも、そうやって自分が吹っ切れたあと、思い切ってみんなが言うように、歌のボリュームを大きくして聴きやすくしたんですよ。もちろん下手だし、声もキライなままでしたが、まあ何を言われてもイイや別に、と開き直ったんです。そしたらですね、それまでの反応と180度変わったんですよ!みんなが「これいいね」などと言って、僕の音楽を聴いてくれるようになったんです。さして実力は変わっていないのに、堂々としただけでまったく変わったわけです。この経験は今も忘れられません。他人というものは、失敗したとか下手だとか言うより、そのキョドった様子に一番拒否反応を示すんだ、と。別に常に完璧な自分である必要はない、そのままでいいのだ、と。
そういろいろ振り返ると、あの時代の僕は相当目覚めて変わったんですよね。そういうことが人生においてあるんですよね。おもしろいです。

*yuhka-uno
あれから恋愛について色々考えたんですけど、自分はどうも「恋愛関係」というものに、何かひっかかりを持っているな、と思いました。エロスとかセクシーとかについて「汚らわしい」という感覚はそんなにないし、「恋愛感情」そのものにも嫌悪感はない。ただ、恋愛関係と、それをベースにした夫婦関係には、何かもやもやしたものを感じていますね。たぶん、自分で恋愛を体験する前から、両親の関係を見て、「恋愛関係の行き着く先とは、所詮ああいうものだ」という印象を抱いてしまったんでしょう。
 
以前、おそらく私の親世代くらいの人が、草食系男子について話しているTogetterを読んだんですけど、「どうしてこうなってしまったのか」「若者は責められないよね。私たちの育て方に問題点が」みたいな視点で話してて、「結局、草食系男子=ダメ前提かよ」と思ったんですよね。
そもそも「マッチョじゃなきゃいかん」という価値観に無理があって、バブル崩壊以降、その価値観が薄れて来て、無理してマッチョになる必要性がなくなってきたんだから、もともと潜在的にいた人が可視化されただけなんじゃないの、と思うんですね。
これって、寿司屋でサビ抜きを頼む若者が増えたって話と似てると思います。年長者は「若者の味覚がおかしくなった」と言いますが、私からすると、年長者(特に男性)の「スイーツは女子供の食べ物。サビ抜きを頼むのは格好悪い」という価値観のほうが謎なんです。もともとどの世代にも、ワサビ苦手な人はいるんじゃないの、と。
私はマッチョが苦手なので、今の時代に生まれて良かったですw
 
山一証券が潰れたのは、小学生の時だったと思います。阪神大震災も地下鉄サリン事件も小学生の時でした。阪神大震災は「体感」として記憶に残っていますが、証券会社や銀行が潰れるというのは、小学生にはピンと来ない話で、テレビを見て「なんかよくわからんけど、大変らしい」と思った、という感じですね。小学生は、クラスメイトのお父さんが職を失うとか、親が節約に一生懸命になっているとか、そういうことで不景気を実感してしました。あの頃の大人たちが、個人レベルでどう不景気を実感したのか、どう価値観が変わっていったのか、私はよく知らないわけで、そういうお話はすごく面白いです。
親世代の方法論や成功体験が裏目に出るというのは、機能不全家庭だけでなく、今の日本社会は全体的にそうだと思うんですよね。だから私は、今の社会は機能不全社会だと思っています。
 
「普通の人は、多少他人より多く失敗しても、できるようになろうと挑戦する人に好感を持つ」というのも、「他人は自分が思うほど、こっちのことは気にかけてない」というのも、自分の視点から他人を見た時のことを考えると、当たり前なんですよね。
母は、「世間様」の前で私が何かを「やらかす」ということを、必要以上に気にしていました。でも、大人になってみると、子供が何か「やらかす」ということなんて、子供なんだから当たり前のことなんですよね。気にしていたのは私の母だけ。当たり前のことがわからなかったんですね。
音楽家さんでも、歌うの恥ずかしいとか思うものなんですね。もしかして、その経験は、以前「ボイトレって何のためにするのか判らない」と仰っていたことと、関係ありますか?


なるほど。
僕の場合、もともと子供の頃から「おんなのこ」好きだったんですよ。性的な意味だけじゃなくて存在そのものが大好きだった。性同一性ナントカではないんだけど、おんなのこになりたい、と思うような子どもだった。親にどんなに規制されても、おんなのこと音楽だけは、それを止めることが出来ないくらい好きだった。だから、それを原動力にナントカ乗り越えた部分があったと思います。それがなかったら、こんなに何度も蘇ったりしないと思うのです。僕も何度も挫折やヒキコモリ繰り返しましたので。そういう意味では、そういう欲求が少ないと、恋愛関係に意味を見つけにくいのかもしれないな、って思いました。

ああそうか。最初からダメ前提ね。確かにそうだと思います。今が普通なんですよね。でもそう思ってない人がブツブツ言う。そして20年遅れてるこの町の壮年どもも、そういう、と。
ちょうど、昨日までおくんちでしたよ。逞しい男たちがヤグラとか担いで一日じゅう町中練り歩き、見物人もみんな付いていきます。マッチョじゃないとありえないですよね。そんな中、ぼくみたいなヘナチョコは、どう考えているのだろう?といつも考えます。
別にどっちも主流じゃなくていいから、お互い存在を認めればいいのにねえ。

95年頃はすごい事件が多かったですね。サリンに震災に、大規模倒産ブーム。ちょうど今と似た感じでした。僕はあのときの経験があるから、とっさに「これで価値観がまったく変わるだろう」って思いました。3月にトラぶって市内の同業者と縁切ったのは、直接はいろいろ被害に遭ったからですけど、間接的には、こういう古いやり方は震災を機に通用しなくなるから、見切るべき、という咄嗟の判断が働いたんです。
95年の震災は関西でしたけど、それ以外はすべて東京で起こったことで、マッチョ&バブリーな考えが一気に葬られやすかったんだと思います。あと人口比的に、あのころ成人した人たち、団塊ジュニアで人口多いんですよね。それもあって、一気に古いヒトが外に追い出された感じでしたよ。あの頃の20代のヒト、みんなすごい勢いあって元気だった。古い価値観はそこで一掃された気がします。そんな彼らがいま30代中盤だね。今も勢いありますよね。でも日本が変わったのか、というと yuhka-unoさんの視点ではどうなんでしょう。僕は少なくとも95年には劇的に変わったと思ってるので、それ以前よりは少しは良くなってるはずと思ってます。

こっちじゃそういう変化の経験ないからね。どこかで起こってる対岸の火事みたいな感じだったんじゃないかなあ。だから変化がないまま20年前の価値観が継続している。そしてそれは今回も一緒ってことです。遠く離れた場所で起こってる大惨事。胸は痛めててみんな何かしたいと思ってるんですけど、なんか違う。そんな違和感があります。

ボイトレかあ。難しいんだけど、偏見も持って欲しくないので言いづらい部分もあるのだけど、結局そういう何かの精神的習い事って宗教じみてこないですか?ボイトレだけでなく、僕はパーカッション専攻だったのだけど、その先生も「師範」みたいな感じで精神論から始まるんですよね。あとヨガ的な身体鍛える的なことも。
そのどれも確かに当たり前で重要視すべきなんだけど、イチローじゃないけど、僕はそれは、完全に「データ」だと思ってるので、そういうやり方で叩き込まれるのは、ちょっと違うんですよね。
あと、やっぱり実際にするのは「自分」だから、自分自身の感覚に気付いて伸ばしていかないとならないわけで、それは習ったりするものではない、という感じでしょうか。気付くのは自分だから。ヒトに教わるものではない。すべてが「自分基準」なんですよ。恥ずかしいとかそういうことも、アーティストである以上は「自分で気付いて直していかないと」ならないってことですね。

スパルタだったバンドマスターのおっちゃんは、具体的にどうしろと言わなかったし、精神論でも責めてこなかった。ただ単純に「おい maicou、音楽ってそういうことじゃねえか?オレはそう思うよ?」と言うんです。これは効きましたよ。僕のプレイスタイルや演奏に対する態度は、音楽を優先していないではないか、という指摘だったと僕は捉えました。まず最初に「場」があって、そこに自分を提供する、と。何をどう提供するかは、それが必要か不要か、そういうこと含めて「自分で」考えなければならない。
同じことはホテルでも起こりましたね。「自分で」考えるわけです。
なので、歌う場合も「自分で」どう歌うのか考えなければならない、という感じでしょうか。なので、当初恥ずかしかった、というのは、そういうレベルに自分が達してない、と認識してたのもあったと思います。結局、気にする部分が違ってたので上達しなかったんでしょうね。
あと、やっぱり僕みたいに押さえつけられて生きてきた人は、「誰かに教わる」ということが出来ないのですよ。指示や指導されると反感が沸くんです。だから、バンマスのおっちゃんのように「相手に自分で気付かせる」というやり方はすごい効きますね。逆に、気付かない人は振り落とされちゃうわけなので非情といえばそうなんだけど、プロの世界なんだから、それは当然でしょ、ってことなんでしょうね。

*yuhka-uno
「おんなのこになりたい」かつマッチョ的振る舞い拒否だと、確かに今の時代の価値観のほうがずっと良いでしょうね。そういう男性のジェンダー観が変化してきたのって、本当にここ最近のことですよね。
私は「恋愛」と「お付き合い」と「セックス」は、また別のものだよなぁと思うんです。「恋愛」していなくても「お付き合い」や「セックス」をすることもあるし、逆に「恋愛」していても「お付き合い」や「セックス」をしないこともありますから。
バブル期って、「お付き合い祭り」「セックス祭り」になってた時代、というイメージがあるんですよ。「お付き合い」や「セックス」を、大してしたくない人までしないといけないような、そんな価値観になってたのがバブルなんでしょうか。
私は、エロスは好きなんですけど、「お付き合い祭り」や「セックス祭り」に参加したいとは思わないんですよね。
maicouさんにとっての恋愛の大切さと、バブル的性価値観って、全然違うものですよね?
 
実は「おくんち」というものをはじめて知りました(笑)。ちょっと画像検索とかしてみたんですけど、かなり大規模なお祭りなんですね。なるほど、これじゃ朝5時から花火も上げるわけですね。まぁ、私はそういうのがあったら、見物しに行くとは思いますけどw
でも、マッチョが「主流」というのは嫌ですね。
 
バブル崩壊についてもちょっと調べてみたんですけど、数字としてのバブル崩壊と、体感としてのバブル崩壊って、時間的にズレがあったんですね。とすると、体感的バブル崩壊が、95年前後ということだったんでしょうか。
団塊ジュニアというと、「就職氷河期で割を食った人たち」という印象だったんですけど、一方では古い人を追い出した面もあったんですね。そんな世代交代現象があったなんて、知らなかったです。ちょっとイメージ変わりました。
私の世代では、バブル前後の価値観の変化って、例えばああいった「草食系最初からダメ前提」とかを見て感じるものですね。リアルタイムの体感はないけれど、ああいうメディアとか大人の話を見聞きして、「ああ、変わったんだなぁ」と感じています。
私が今までに体験した価値観の変化といえば、「ネット以前とネット以後」くらいですかね。ネットの普及は、バブル以後の価値観を加速させたんじゃないかと思うんです。
この震災によって価値観がどう変わるのか、どの程度変わるのか、私にはまだよくわからないんですよね。もしかしたら、私が初めて体験する価値観の変動期なのかもしれません。
 
ボイトレって、素人はもう既にある程度偏見持ってるような気がします(笑)。
私、精神論根性論というのは、手段が目的化していることと、考えるのを怠けることだと思っているんですよね。だから、「自分で気づく」ということは、自分で考えるということだし、なぜそれをするのか、あるいはしないのかを、やってる本人が理解しているということなのかな、と思いました。
 
>僕のプレイスタイルや演奏に対する態度は、音楽を優先していないではないか
この一連のやりとりの最初の方で、チャリティーに参加しないのはなぜか、というお話をしたときに、「その行為は、音楽を優先しているのか否か」が、maicouさんの中で、指針というか軸というか、そのようなものになっているのかな、と思ったのですが。


「お付き合い祭り」「セックス祭り」とは言い得て妙ですね。確かに、あの煽り方はそれを奨励してますね。
うん確かに恋愛重視というのは自分ならではの考え方ですね。それを重視してないヒトにとっては、あまり伝わらないかも知れない。でも僕の歌詞の場合、それを他の関係、友人とか先輩後輩、親子とか、そう準えても意味が通るように書いてるので、きっかけに過ぎないのかもしれません。聴くヒトによっては、例えばバブリー恋愛祭り思想の人はその思想の中で捉えるだろうし、そうじゃない人もいるだろうし、受け取る側の内面での違いになって来るでしょうね。一旦外に放たれたメッセージは、もう受け取るヒトの持ち物だと僕は思ってるから、なんにせよ、何か思ってくれることは僕はうれしいです。
こないだツイッター見てたらある女性の面白い発言があって、一回セックスしたくらいで付き合いたいとか言うな、セックスは好きだけど男女交際はイヤだ、っていうのがあって、ああ確かにそうだ、行動が限定されちゃうもんなあ、と思ったんですよ。ひょっとしたらステディという考え方自体キリスト教的で、日本じゃもう古いのかもしれません。

団塊ジュニアのことで思い出したのですけど、その世代がこっちになぜか居ないんですよ。同業者には居ませんし、お客さんとしても居る気配がしません。人口多いはずなのに、みんなどこで何してるんだろ?ってずっと思ってました。
最近ネットで知り合った、長崎出身の執筆家さんが居て(長崎に関する対談。その1その2)、その彼はその世代ですね。書いてた話の内容そのものも、典型的なあの時代の人の感覚で、懐かしく思いました。ああいうフリーダムな感じのヒトがこっちでは表に出ません。逆にいうと、みんな外に出てってるのかもしれないな。保守的な人だけ残って堅実に働いてるんでしょうね。音楽もせずに。氷河期だったしなあ。
ただ、やっぱり勢いがある世代だから、旧世代を追い出しても、今度は彼らなりの価値観を数で押し切る、みたいな部分もありますよ。なのでホントに恩恵受けてるのは、そのちょっと後の人たちですよね。 yuhka-unoさんとかの世代なのかな、と思ってます。
バブルの実際との意識のズレ、っていうか、みんなまだ認めたくなかったんじゃないかなと思う。僕は当時幕張新都心にいたんですけど、開発や企業進出、分譲の計画とかって、何年もかかるじゃないですか。バブル時代に計画されたものが、まだ94年くらいまで継続してたんですね。建築されてたり造成されてたりとか、目に見える形で。だから、まだ大丈夫に違いない、むしろそう思い込みたい、みたいな感じだった気がします。
バブル末期の幕張新都心の様子、すごく明確に憶えてます。この場所は○○の本社ビル、ここはナントカモール、というように空き地に建物が建つ計画があったのに、一向に埋まらずに、スカスカのままなんです。だだっ広い未来的新都心で、スカスカの空き地があちこちにある、というあの空気感、というか、そこに吹いてた風みたいなものの感覚は、忘れられません。あれこそバブル終了の実感でした。
そんで、銀行潰れて、やっと皆が現実を認めた、という感じだった気がします。

ネットは大きいですよね。1999年からの僕はネットがなければ存在し得なかったです。そこで全ての新しい出会いがあり、今の活動はそこから繋がってるんです。当時ちょうど成人した位の世代が、いちばんよく判ってると思います。そう、団塊ジュニアの、あと世代ですよね。そこはさっきの恩恵の話に繋がります。

うん。マニュアル化は怠けることだもんね。手習いの中年とか素人さん向けにはいいんでしょうけど、僕はそういうヒトを相手にしてないから厳しくなっちゃうんですよ。それに、やっぱり実践あってナンボなんですよ。だから精神論云々よりまず、やってみろ、と思うんです。こないだもここでボイトレの話になったけど、なら、うちでレコーディングしようって答えたけど、それは本気です。自分でどんどん実践して気付いてかないとね。実践が一番楽しいし。 yuhka-uno さんも、うちで録ってみないですか?笑。

音楽を優先、というのはその通りですね。僕はですね、歌がうますぎるヒトが嫌いなんです。楽曲を殺してしまうからです。全ての人は、音楽に傅くべき、と言ったら大げさなんだけど、やっぱり主体は音楽のほうにあるべき、って思うんです。音楽を大事にした上でのパフォーマンスなら全然よいのですけど、たまに「どうだー上手いだろう?」みたいな歌手って居るじゃないですか。それも「手段が目的化」ですよね。自分はそれが嫌だ、ってことなんですね。

たとえば、松崎しげるならいいけど、布施明じゃいやだ、的なことです(いや、どっちもちょっと違う気もするw)。

*yuhka-uno
世の中、様々なことに情熱を費やす人がいますから、「お付き合い」や「セックス」に情熱を燃やす人もいるわけで、それは良いんです。でも、バブル的性価値観って、そうじゃないよな、と思うんですよね。「お付き合い」や「セックス」を沢山するのが「普通・常識」になってしまっている。だから「草食系」な若者が異常に見えてしまうんでしょうね。
ステディな関係が良い、という人も、まだまだ沢山いると思います。ただ、そうじゃなくても良いというふうになってきたんでしょうね。それは、「お付き合い祭り」「セックス祭り」に参加しなくても良いというふうになってきたのと、同じだと思いますね。多様化したんでしょう。
 
田舎って、都会に出ていかないと就職先がないですからね。就職氷河期だったら特にそうだったんでしょうね。奈良だと、特に西側は大阪のベッドタウンですから、大阪で働いて奈良に住んでいる、という人も多いですけど、長崎だと、県から出ていかないといけないのかもしれませんね。
もしかしたら、団塊ジュニア世代って、影響持って勢いがあったところと、逆に全然いなくなってて影響なしというところと、二極化しているんでしょうか。
私の世代だと、あんまり数で押し切れる感じがしないですね(笑)。ネットと今の価値観の時代に生まれて本当に良かったです。
 
あの悪名高い「私のしごと館」がある関西文化学術研究都市も、未来的な綺麗なビルが建っているものの、土地がスカスカなんですよね。WTCの辺りもそうかもしれません。幕張新都心は、それの大規模版みたいな感じなんでしょうか。
そういえば、90年代の後半はまだ、バブルの残り香があったような気がします。「シャネラー」とかはそうかもしれませんね。
 
バンマスのおっちゃんの言葉が効いたのは、もともとmaicouさんが「音楽を優先させたい」という気持ちがある人だったからなのかな、と思いました。たぶん、そうじゃない人には言っても効かないんでしょうね。
「歌がうますぎるヒトが嫌い」と関係あるかどうかわからないんですけど、以前、「奥様お手をどうぞ」という曲をYoutubeで検索していたとき、私はどうにも、菅原洋一という人の歌い方が受け付けないな、と感じてしまいました。
 
>yuhka-unoさんも、うちで録ってみないですか?笑。
こんなとこで勧誘してどうするんですかw


そういえばメディアに煽られて恋愛祭りしてた人たちのこと、友人が「発情」と呼んでて笑ったこと思い出しました。バブルの頃だったな。なるほど、後から見ると相当異常に映ってたんですね。多様な価値観の存在を許されるのはとても大切なことですね。そうじゃないと、ソ連になってしまいます。

団塊ジュニアが二極化してるというのは、面白い視点だと思いました。今日、街を歩いてて、ちょうどそれくらいの年齢のヒトがマイホームパパっぽい感じで家族と歩いてたんですが、そういえばあの世代って、そういうオシャレな家族主義っぽいの好きだったような気がして、大人しい人は地方に残ってマイホーム人間として生きてるのかもしれない、と思ったりしました。それはそれで、僕の価値観でもないんだよなあ。うーん。居場所ないです。笑。

僕は音楽のことをよく憶えてますが、90年代後半、フォーキーとか言って貧乏臭い音楽が流行ってきたんですよね。僕のCDが出たときは、その時代だったんです。なんだか嫌でしたw その翌年に林檎とか宇多田が出てきて、ちょっとホッとしたの憶えてます。

>効いたのは

ああなるほど。もともと自分の中にある価値観だったから反応したということですね。そう考えると、うまく出会ったものですね。その仕事はもともと知人に紹介されたのですが、その知人はバンマスのおっちゃんを凄い嫌ってました。下手だしセンスもない、最悪だ、と言ってたので、そんなおっちゃんの下で演奏なんか出来るだろうか、と最初思ったんです。ところが、確かに凄くキツイヒトでしたが、前書いたように、いちいち言うことが的確で、僕はすっかり矯正されましたね。ちなみに、嫌ってた知人のほうは(担当はSAXだったけど)、全然上手くならなかった。最近も人づてに、今も下手なままだった、と聴き、なんだかげんなりしたところでした。そういうチャンスを生かせるのって、なんかタイミングですよね。

>勧誘して

まあ是非。笑。

*yuhka-uno
「発情」wなるほど。当時の恋愛祭りに乗らなかった人には、そう見えたのですね。
私は「反抗期」だと思いました。
以前、たぶん60代半ばくらいの男性が書いてるブログを読んでいたんですけど、その人が子供の頃は、童貞処女で結婚するのが当たり前、自慰行為をすると脳が溶ける、女に性欲は無いと言われていたそうです。その人は農村出身だから、都会より価値観が遅れていたかもしれないんですけど、すごい抑圧された時代だったんですね。
バブル期の性価値観って、その真逆みたいなもんじゃないですか。「反抗期」になっていた時代なのかなぁと思いました。現代になって、だんだん自分主体になって、多様化してきたのかと思います。だから、性価値観が自分主体の時代になるまでには、「反抗期」を経る必要があったのかもしれません。
 
あれから団塊ジュニアの二極化について考えていたのですが、団塊ジュニア世代だけでなく、私の世代や、もうちょっと下の世代も、二極化の傾向が継続中なのではないかと思いました。やっぱりまだ過渡期なんだと思います。
まぁ、第三次ベビーブームが来なかった団塊ジュニア世代で、マイホームパパになっているというのは、幸せなことなのかもしれませんが。都会より田舎のほうが婚姻率が高いのも、二極化に関係があるのかもしれませんね。
 
音楽アンテナの鈍い私は、90年代後半のフォーキーというものが、ピンと来ないんですけど、林檎と宇多田は、私、モロにその世代ですねw
私は流行に疎い子でしたけど、椎名林檎は好きだと感じていました。特に「真夜中は純潔」は印象に残っていますね。
 
キツイけど的確な人って、ある意味怖いですね。雷でピシャーンと撃たれるように図星つかれそうでw
そうそう、maicouさんの「全ての人は、音楽に傅くべき」発言を読んで、私は正直、「maicouさんだって、十分宗教の人やん!w」と思ってしまいました。すみませんw
ただ、maicouさんの場合は、信仰の対象が音楽そのもので、「音楽=神」なのかな、と思いました。「ボイトレの先生=神」「布施明=神」は違う、ということなのかなぁ、と。
 
>まあ是非。笑。
哀しいかな、そもそも長崎に行く金すらないw
今のところは、自分自身の経済力を安定させることをまず頑張ります。


反抗期。なるほど。そうそう。
何かの価値観を強制され続けると、そこから開放されたとき、今度は反動で正反対に振り切ってしまうのですね。僕も、両親から解放されたとき、彼らとは正反対の価値観で行動し始め、やりきって飽きたあとに、ようやく本当にしたかったこと、中道的路線になったという感じでした。それもちょうどホテルの頃の時期だったんですよね。いろんなことがリンクして結果として今のようになってると思いました。それらの関連に主従とかはなくて、どれも均等に影響及ぼしあって相乗作用として起こった出来事だった、と思ってます。

その下の世代もそうかー。うん。確かにそういう気がします。まだまだ比率的には上の世代がどどどーんと居座ってますもんね。ところてんみたいに押し出されていくにはもうちょっと時間がかかるのかも。
そうそう。こっちは適齢の女性が余ってるらしいです。男性が少ないんですね。そうだった。統計的にも証明されてるんでした。かと言って女性の仕事もないし、みんな結婚したがってるし、そりゃ、アラフォーくらいになったら病んで来てヒトに絡みたくもなるでしょうね。そういうヒトに僕は去年たくさん絡まれたんだな、と今思いました。

僕が覚えてて、好みじゃない音楽性というと、ゆずとか猿岩石とか松たかことかそういうアコギ系の静かな感じのもののことでした。そういうのを当時、業界やメディアの人が「フォーキー(フォークっぽいってことらしい)」と呼んでたんです。浸透しなかったですけどね。そういうのを僕も強制されそうになって、嫌だなあと思ってました。今の若者は、こっちじゃそんな人ばかりになっちゃいましたけどね。路上系。

宗教ってのはまさにそのとおりなんです。笑。
半年前、マルチの勧誘と赤軍の話を書いたときに、そのこと言ってるんですけど、僕の場合、そういう宗教的弱さは常にあるんですよね。自覚してるんです。ただそのエネルギーが、音楽に向かったおかげで、変なことにハマらずに済み、生きのこれた、という感覚です。
他にも、去年だったかな、ありむ君とかと表現規制のことで、ココでやり取りしたのをまとめた長編ブログがありますけど(yuhka-unoさんも登場してますね)、宗教であれ規制であれ、ヒトを何かの方法でコントロールしたい、という欲求は常に心のどこかに沸いてしまいます。自分が親にされた事を否定しつつも、他人にはしてしまいそうになる。また、そういうことを僕の代理でしてくれそうな「ビッグブラザー」に頼りそうになってしまう。そういう自分が怖いです。だから、そこを一番今は気をつけてる感じ。特に音楽は、すごい効果的なプロパガンダだから、取り扱い注意なんですよね。すぐ利用されちゃう。

>ある意味怖いですね

そうなんですよ。このおっさん、僕の心を全部読んでるな、とすぐにわかりました。蛇に睨まれたカエルとはこのことですね。たぶん、それ以前にも、僕みたいな人にたくさん会ったんでしょうね。ひねくれたプライドが、その人自身が持ってる素質を潰してる、という例は、いくらでもありそうです。宗教も、最初はそういう開放なんでしたっけ?似てますよね。ホントに僕は紙一重だと思ってます。

「ボイトレの先生=神」で思い出したけど、僕の一番好きなジョンレノンの言葉があるんです。「水泳の先生は泳ぎ方を教えただけ。泳ぎ方を教わったのだから、あとは泳げばいい。先生のことは忘れろ」って。これはアイドルや世代の象徴として凄まじい個人崇拝を受けたヒトならではの重い言葉だと思いました。
僕は今、カバーと言うものを殆どしないんです。自分が歌う曲は、ほとんど自分の創った曲です。既にある誰かの有名曲を、僕が歌うことの意味を見つけられないんですよ。僕がジャズのヒトを嫌いなのは、カバーばかりするからなんですよね。まあ、それだけ「有名なスタンダード曲」というものの持つ魅力や力が強いのかもしれないし、それは「音楽至上主義」という僕の考えとも合ってる気もするんだけど、なんかでも、所詮、他人が創った曲じゃないか、と思うと興ざめなんですよね。この辺は、まだ自分でも理由がよく掴めてません。
あ、あと、こういう話は、プロ的なレベルの目線で言ってるので、普通のヒトに当てはまることではないです。プロの音楽家、といいながらカバーばかりって、それは変じゃないか、って思うってことなので。

そういえば、20年前のジェンダー感、という話で思い出したのですが、僕が若い頃、業界の人たちと上手くやっていけなかったのは、いわゆる業界内のジェンダー観は、世の中の状況に輪をかけて酷かったから、というのも大きかったと思いました。みんな野蛮で粗野で、ホントに「現場」みたいだったし。そしてみんな酒癖が悪く、下っ端の立場で飲み会なんか行けるわけがなかったし。
若い頃も何度かチャンスはあったし、何かになろうと思えばなれた気がするんだが、ライブ会場やらスタジオやらで出会う人々がみんなそんな感じで、僕には付いていけなかった、ちょっと無理だって思ってました。いつかリベンジしたいなあとは思ってましたが。

ちょうど95年に友人がメジャーデビューして、そういう業界にそうとう久々に顔を出したんですね。そうしたら、すっかり様子が変わっていて、非常識な人もいないし、みんなマジメだし、粛々とプロの仕事が進められていて、すごいびっくりしました。僕も礼儀正しく接してもらって、すごいなあ、世の中は変わったんだなあ。とつくづく思ったんですね。僕が伸びたのはその時期だから、それもすごく僕の頑張りを後押ししてくれた要員としては大きいように思います。棲んでもいい世界だ、とそう思ったってことなので。

こっちにきて「20年前の東京だ」と思ったのは、一般的なものだけじゃなくて、業界内の様子のほうが原因としては大きい気がしました。だって、僕の直接の現場はそこなんだモノ。そこが「20年前」では付いていけるはずない、逆に古いタイプのアーティストにとっては、昔みたいなのでやりやすいはずです。

そういう要素があって、すごい古い人たちが滅びずに生き生きやってるんだと思った。多勢に無勢なんですよね。僕が一人で「そんなやり方古いんだー」と言っても通用しないんですね。その辺の無力感が今の僕にとっては凄く大きいんだ、とそう感じました。なるほどなあー。

*yuhka-uno
上の世代が追い出されて世代交代した分野もあれば、逆に「お偉いさん」として君臨している分野もあるわけで、そういうところに関しては、20年前と変わらない、旧い体質が残っていますよね。「老益」というのもあるんですけど、誰も彼もが「老益」になれるわけじゃないですから。
今はまだ過渡期だから、バブル崩壊以降の世代は二極化しているんでしょうね。その二極の間にひきこもりはあるのかも。これは、私自身がそうだからそう思うんですね。以前、ブログで似たようなことを書きました。
http://d.hatena.ne.jp/yuhka-uno/20110801/1312205399
仕事もないし結婚したいのにできないとなると、キッツイですね。そういう人たちって、時代の犠牲者なのかもしれませんね。
 
猿岩石!懐かしい(笑)。今や毒舌キャラとして再ブレイクしている有吉も、あの頃は「風に吹かれて」とか歌ってたんですねぇ。ゆずは「路上系の星」みたいな感じですよね。なるほど、ああいうのを「フォーキー」と言うんですね。
やっぱり、そういう業界って、自分がやりたくない傾向の歌を強制されるとか、そういうのあるんですか? maicouさんの場合だと、当時流行っていた「フォーキー」をさせられそうになっていたところに、宇多田や林檎が出てきたので、やらなくて済んでホッとした、ということでしょうか。
 
表現規制についての議論をした頃の私は、有村さんのこともmaicouさんのことも、他の人たちのことも、まだそんなに知らない時期でしたね。
今から振り返って思うのは、自分が過去に感じた驚異を何とかするために、私が一番したいことって、たぶん、世の中の価値観や認識を変えていくことなんですね。こう言うと、何とも壮大ですが(笑)。それもまた、コントロールといえばコントロールなんですけど。
 
ジョン・レノンみたいなカリスマって、本当に「神」扱いされますもんね。実際にそういう人のことを「神」って言ったりしますし。
私、教育の理想系って、その部分を教われば、後から自分でいくらでも応用できる、というものだと思うんですけど、それと似てますか?
あと、宗教で言えば、「音楽=神」だとするなら、歌手や演奏者は、神と人とを繋ぐシャーマンってことなのかとか、そんなことを考えました。


なるほど。日記、最近のですね。
僕のほうは必死に親の押し付けから逃げて、なんとかこんな遠くまで来たから、ちょっとホッとしてる部分もあるし、今は時代も変わったから、僕ほど苦労するヒトも少なくなってるだろう、なんて楽観的に考えてたけど、全然そんなことないんですね。何度も言うけど、この事実はホントにびっくりするんです。日本は変わってきた、と思いながら、でもまだ変わってない、とか、ホントはどっちなんだと思う毎日です。それが「二極化」ってことなんだろうなあ。

やりたくない傾向、というか、こういうのはどうか?みたいに提示されて暗に要請されることはありますね。別に無理にしなくてもいいけど、今求めてるのはこういう路線だから、書いてくれたら嬉しいね、みたいなことは言われます。有能な兵士ですよ。結局w
もっとも、これはピンきりなので、もっとひどいところでは、具体的に元曲(全米の今の話題曲とか)を提示されて、こういう風にして、と言われる場合もある、と聴きます。パクリの仕方にもセンスというものがあって、露骨にばれるヒトと、そうじゃなく上手く創るヒトと居ます。後者は重宝されるでしょうね。
僕は当時は作家だったから強制はされなかったけど、無理にそういう路線やらされて売れずに消えてしまったヒトも居そうだなあ。もっともそれは、本人の意志が弱い、ということにされて自己責任的な感じでも言われます。難しいですけど、不本意に強制されて消えてしまうようなヒトは所詮そのレベルかもしれないな、などと冷たいことも思います。厳しい世界ですもの。
ウタダや林檎はかっこいいので単純に好きでしたよ。やっぱり、自分以上の才能の持ち主に惚れるわけです。それに、ああこれで次の時代も安心だ、みたいに嬉しくなります。若い世代で才能ある子が居るのは、どんな場合もすごくいいことだと思う。そんな彼らが世の中を変えてくれるんだもの。僕らが出来ることは、邪魔しないで、キミらはすごい、と、ちゃんと意思表明して認めることだって思ってます。

表現規制の話、あの議論って一見ごちゃごちゃですけど、みんな実は同じこと言ってるような気もしますよね。いいやり取りだったと思います。


>シャーマンって
これまさにそうです。僕はイタコとか言ってました。教会とかでもそうですよね。ちょうど昨日そういう話したんですよ。
僕はクリスチャンではないけど、こっちの土地柄は多いし、僕自身も興味はあったので(欧米の音楽はほとんどがキリスト教を下地にしてるので)、ゴスペル的な曲を創ったりしたんですよね。それをすごく気に入ってもらって、嬉しかったんですよね。
クリスチャンではない僕が、自分をイタコ的に捉えてゴスペル調の曲を書き、それが本家クリスチャンに喜んでもらえる、という図式は、すごく面白いと思いました。これこそ、「音楽教」なのかもしれないぞ、って。ちょっと思った。

そうそう。応用できます。音楽もそうです。「準える」とか「共感」とかは、つまり応用ってことなんですよね。僕は常々言ってるのだけど、もしあなたが何かの音楽を聴いて何かの感情が目覚めたとしても、それは「生まれた」んじゃなくて、元々あなたの中に存在してた感情に「気づいた」だけだ、って。だから、その気持ちは「僕が与えたもの」じゃなくて、「あなたのもの」なんだ、と。受け売りとかじゃなくて、元々自分のものなんだ、と。そう言います。音楽って、デジャブの積み重ねで出来てるんですよね。

今思うと、昔から僕は、下品なことが嫌いで、純粋主義で潔癖症だったし、すごく神経質だったと思う。

僕が基本、宅録ですべての楽器を自分で出来るようにしたのも、他人を加えたくなかったからなのよね。昔は20年前の感覚の下品な人が多かったから、いくら上手くても、自分の分身みたいな、作品に加えることなんか絶対出来ない、って思ってた。

それが今の仕事でも繋がってて、下品だったり無神経だったりする人とは、真剣な仕事はできなかった。僕が認められた仕事は、常に全力でやった仕事だけだったけど(誰でもそうだと思うけど)、その「全力を出す」ということが出来るのは、一人のときか、自分が「この人なら共演してもいい」と思える相手の場合だけだった。

そういうスレスレで今も生きてるんだなあ。だからしっかり世界を守っていかないと、ってことなんだな。

*yuhka-uno
私は、高度経済成長期が「成長期」なら、バブル期は「反抗期」で、今は「挫折期」なんじゃないかなぁとか思ってます。環境が変わって、それまでの方法が通用しなくなると、環境に適応しようとするのではなく、それまでの成功体験にしがみつく方向に行くのは、よくあることですし。そういう場合って、これまでの方法をより強化することになりますよね。
人間にも、挫折すると、脱皮して成長して先へ進む人と、退行したり過去にしがみつく人とがいるように、変わったところと変わってないところ、色々あるのかもしれません。
 
上手くパクれたり、求められている路線の曲を作れるのが、有能な兵士ってことでしょうか。うーん、それはそれですごいかもw
宇多田や林檎って、やっぱりすごいんですね。私には「どの程度すごいのか」がよくわからないわけですが、「Automatic」や「本能」は今でもよく覚えていますし、あれから結局二人とも、時代を引っ張る人になりましたね。
「今求めてるのはこういう路線」じゃなくて、「今流行ってないけれど、実は求められている路線」を提示できる人って、すごいですね。
 
最近テレビで、ドレミは古いラテン語の聖歌が元になっていて、ドはDominusのドだと知って、「へぇ~!」って思ったんですよね。そういえば、中学か高校の頃の音楽の教科書に載っていた音楽の歴史年表に、グレゴリオ聖歌とか、キリスト教関係のことが沢山載ってたなぁと思い出して、西洋音楽をやるということは、間接的にキリスト教文化に関わるということなんだなぁと思いました。
キリスト教や音楽に関わらず、芸能って宗教起源のものが多いですしね。
あと、「音楽教」的価値観では、シャーマンは神より偉くなるべからず、ってことなんでしょうか。
 
人間って、やっぱり、自分の内側にあるものに、より反応するんだと思います。自分が何か経験すると、それまで何とも思っていなかった表現を、「いいなぁ」と思うようになったりしますもんね。恋愛とか特にそうかもしれません。
 
「共感」については、思うところがあるんですけど、今回の震災では、被災者を励まそうとか勇気付けようとか頑張れとか、そういうことを言う人が沢山いて、たぶんそういう内容の音楽を作った人もいたと思うんですけど、私はそういう言葉や音楽を聞きたいかというと、全然思わないんですね。本当に説得力のある言葉は、実際に体験した人の中から生まれてくるものだと思いますから。
こういう時、体験していない人間が何か言うとしたら、自分の心を掘り下げて、自分の内側から出てきた気持ちを、できるだけ素直に言ったほうが良いんじゃないかと思いました。私は、そういう言葉のほうが共感できそうな気がしますから。
「何か気の利いた言葉をかけてあげなきゃ!」と思ってしまうのはわかるけど、それは何か違うと思いますね。そんな「気の利いた言葉」なんて、体験していない人間の内側には無いんですから。


なるほど。変化に適応できるヒトが生き残り、そうでないヒトが淘汰される、というのは恐竜時代みたいですね。そういえば、私の好きなアーティストのうち複数のヒトが20年位前に「恐竜絶滅時代の到来に備えるべき」と言ってて、今の世界の価値観は滅ぶのかもしれない、と漠然と考えていました。自分で気づいてませんでしたが、今思うと、現在はそれですね。ロックーアーティストでも、今残ってるヒトと消えたヒトははっきり分かれています。そういうことに鋭いから、やっぱりアーティストやってられるんだろうなあ。

そうそう。グレゴリオ聖歌とかいいですよ。あそこで聴かれる独特の和音感覚というのは、日本人ではなかなか持ってるヒトいなかったんですね。そういう「技術的側面」としても、若い世代ほど勘がいいんです。それもあって、僕は古い世代が嫌なんだろうな、と思ってました(日本人の場合です)。

昨日独り言で書きましたが、こっちの人って一貫して不幸なんですよね。それは歴史的に影落としてる気がします。そういう意味では、他人の不幸ごとに共感してる、といえばしてるのかもしれません。でもそんな土地でも、そうじゃ「ない」人もいるでしょう。少数派に常に目を向けていたい、という僕の気持ちが、その辺に反映してる気がします。
町のプロの音楽家と仕事すること、それは縁も出来るしお金にもなるし、生きていくのに必要だったかもしれない。でも、僕までそこに与して仲間になってしまうことは、裏切りになるような気がしたんです。それだと、少数派を「多数派の中で認めてあげる」になっちゃうんですよね。そうでなくて、独立して対等な別世界がある、という形が、自分が望んでることなんだろうなって思いました。

引き続きいろいろ考えてみます。
最新の日記よかったです。


たまたまこないだ、自分のまとめブログ読みながらツイターで考えてたんだけども、結局、こっちの土地柄って、観光客に凄く親切な市民、でもボロボロの家があちこちにあり、豊かな生活でもなく、外面をよくすることだけに一生懸命で、住民の幸せは誰も考えてない、それが現実な土地、ってことなんじゃないかって思ったのね。
そう考えると、2年前に外海町に行ったときに思った、迫害されたクリスチャンと、苦しい風土と耐える人々と、それを私費で救ったドロ神父と、遠藤周作が思ってたことと、そういうこと、もろもろ繋がってきて、結局、いまだに試されてるというか、耐え抜いてる土地なのではないかと。
常に歴史上、何かの踏み台にされている。広島のドームは残ったのに、こっちの天主堂は米の圧力で壊されてしまったとか(クリスチャンの施設に核攻撃は非難される恐れがあったため)、出島開国だって、日本の端っこだから何かあっても切り捨てられるし、みたいな理由だったらしいし、そう考えてくと、今までは怒りとかの感情ばかりだったのが、なんか不憫になってきてさ。
たとえば、みんながお互いの悪口言い合ってるのだって、それは自分が不幸だからでしょう。僕だってそうだったわけだから。そんな町でありながら、観光客や訪問者にはニコニコしてるんだよ。そういうの何とか直さないと、良くないってすごく思ったなあ。今でも迫害されてる町なんだよ。

こういうことは旅行者で来てたんじゃ、絶対わからなかった。ほかにもこういう土地はあるだろうね。住民が幸せじゃないと、本当の幸せはヒトにも分けてあげられないのではないだろうか。

2年前、外海町に急に思いついて行ったとき、何かありそうな気がするって思ったんだよね。やっぱり「何かあった」よね。こういうことだったんだな。

*yuhka-uno
確かに今の時代は「恐竜絶滅時代」だと思います。氷河期が来て、もう「巨大なもの」の時代じゃなくなってきたんですね。これからは、哺乳類の小動物が進化していく時代なんでしょう。恐竜でも、小さいものだと、生き残って進化して、鳥になったりするかもしれませんが。
 
ブログ読んで頂いてありがとうございます。maicouさんの、開き直って歌のボリューム大きくしてみたら、周囲の評価が変わったというエピソードは、私にとっても「デジャブ」でした。私も、開き直れた時は、拍子抜けするくらいに上手くいったりするんですよね。あのエントリは、maicouさんのお話と、最近見かけた「いじめ後遺症」の記事を思い出して書きました。
 
maicouさんの中では、土地のこととご自身のことについて、何か答えが出た感じですか?


そうですか。お役に立てた感じは嬉しいです。僕もこのやり取りをきっかけにもう一度いろんなことを考え始めて、忘れてることや、自分でも気づいてないこととか、たくさん思うことがありました。
本来付き合うべきじゃなかった人々と、こっちで付き合ってしまったのも、過去のそういう嫌なことなどを忘れてしまってたからだし、そういう意味でも、最近はずいぶん感覚が鈍ってたな、と反省しました。感情抑えたり丸くなるのがオトナじゃないんですよね。最近の僕はずいぶん本意じゃないことをやりすぎて、言動も自称オトナな他人に合わせることも増えて、いつのまにか、それで普通だというように慣らされつつあった気がします。でもやっぱり、僕は「おっさんくさく」なるのは嫌なんだなあ、って改めて思いました。笑。

土地のことねー。ずっと考えてます。一昨日インタビューしたことも併せて。ずいぶん不幸を背負ってしまった土地なんだなとか、昨日写真で張った殉教とか、秀吉の時代なんですよね。位置的に交易が盛んな土地は、それだけで苦難や波乱も、他の土地に比べて半端なく多かったでしょうね。

むかしウルトラ系を調べてたとき、初期のメインライターの人々が沖縄のヒトで、本土と沖縄の立場や苦悩などを、ウルトラシリーズの脚本に込めたことを知って、ちょっと「へー」と思ったのですが、もう一人のライター、市川森一さんが長崎の諫早のヒトでクリスチャンだったことを思い当たったとき、ああこれは何か共通点があるのかも知れない、と考えるようになりましたよ。
ちなみに円谷プロも、僕の住んでた多摩川の近所にあり、まさにロケ地そのものです。だから僕は、ドラマの世界だけでなく、ウルトラの世界にも住んでたのかもしれません。そこから、彼らのメッセージを受け取ってたとか。それらが全部リンクして、今こっちで何かの形になろうとしてるような気もします。

僕が来た4年前と今は、こっちの状況もずいぶん変わったなって思います。こっちはこっちで観光&平和で生きてくことにシフトしていくと思う。そうして、それらの代弁表現者として、こっちの音楽家も存在してるのならば、それに関しては、もう僕はすることがありません。それが結論ですね。僕は地元のヒトじゃないし、そういうことは本来の住人がすべきことです(僕は、そういうタイプの音楽家のことを「紙芝居やさん」と呼んでました)。

ぼくは、そういう土地の体勢に含まれたくないと思ってるヒトを助けてあげて、いろいろ任務を果たして、また去っていくんだと、そんなことを思いました。そのためには、もう少しだけ、知ることや、やることが残ってる感じです。

*yuhka-uno
この前のmaicouさんの書き込みを読んで、最初は色々書こうかと思ったんですけど、でも、もう私が書くことは何もないような気がして。そして、なんかすごく嬉しかったです。私自身、このやりとりの中で色々気付いたことが沢山あって、それはmaicouさんにとってもそうだったのかなぁと思って、やっぱり話しかけてみて良かったと思いました。
 
高校時代の定年近い先生が、「年取ると丸くなるって言うけど、私、全然丸くならない!」と言っていたのを思い出しました。でもその先生は、厳しいけど面白かったし、ちゃんとした先生でした。
「感情抑えたり丸くなるのがオトナじゃない」というのは、その通りだと思います。酒に酔ってセクハラしたりしないのがオトナです。
 
一本柱鳥居や二十六聖人殉教の像の写真を見たとき、maicouさんは、はっきりとした意図を持って、その場所に行ったのかな、と思いました。
maicouさんにとって、長崎は、時代劇の舞台という繋がりだけじゃなかったんですね。東京と共に、人生の中で住んでおくべき場所だったんですね。
私は、このやりとりはそろそろ終わりかなぁと感じています。maicouさんはどうですか?


26seijin


はい。終わり、と言ってしまうのも寂しいのでw またお互いに何かあったら気軽に話せれば。と思いました。

これは言い忘れてたのだけど、こないだはてこさんと偶然話した、方言の件はすごく自分に当てはまりました。僕は実家を出てから故郷出身のヒトとは一切縁を切ったんです。仕事先に偶然いたとしても距離を置いたりしていました。地元の「言葉」を聴かずに過ごせたというのは、過去から開放されるのにはものすごく役立った気がします。完全に「標準語のヒト」になることで、生まれ変われたんですよね。
そして、そういうことが可能だった自分の環境や経済状況とかについて、ありがたかったなあと思います。でもそれは親のおかげだったんだけどね。僕は自分を不幸だとばかり思ってたけど、実際はそうでもないのかもだなあ、と思えたのも、このやり取りのおかげだった気がします。

また何か発見があるたび、ここで話していきますね。その際にでも、また気が向いたら適当に突っ込んでください。


【intermission】
どうもです。とりあえずブログ、仮でまとめたのですが、長いw
でもすごい充実しています。ありがとうございます。

読み返すと、お返事するので精一杯で
yuhka-uno さんの発言で読み飛ばしてる部分とかもありました。
もう一回じっくり読んでみますね。

*yuhka-uno
私は、このやりとりを通して、自分の生き方について考えていますから、私も滅茶苦茶充実してます。
今ちょうど、自分の中で色々変わっていっている時期と重なったからかもしれませんけど、段々自分の殻が剥がれていくような感覚がしていますね。以前はここまで自分のことをあけすけに出すことはなかったんですけど、「まぁ、いいかw」という感じになってきました。
特に、自分の中でひきこもり期間を肯定できたことは大きかったです。無駄に過ごしたわけではなくて、むしろ自分自身を構築するための、充実した期間だったんだな、と思えました。世間ではひきこもりは「怠けてる・甘えてる」と言われていて、私もそれを内面化していましたけど、私は怠けていたわけでも甘えていたわけでもないし(というか、逆に家族に甘えられていましたし)、むしろ「戦い」に近い状態だったわけで、別に世間からどう思われようと、私は私のことを悪く思う必要はないよな、と思いましたね。
 
>読み返すと、お返事するので精一杯で、yuhka-unoさんの発言で読み飛ばしてる部分とかもありました。
 
「読み飛ばす」というのも、その時のmaicouさんの反応のうちだと思います。逆に、私が先生に恋をした話は、予想以上にmaicouさんに食いつかれてしまいましたし(笑)。あの時の反応で、maicouさんにとって、恋愛はすごく重要なんだということがわかりました。人って、その時その時に、自分にとって重要だと感じる部分に反応するんだと思います。
最初に質問した時は、こんなに沢山答えて頂けるなんて思いませんでした。すごく感謝してます。


その2 に続く!

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