2009年11月12日

好きな人や物が多過ぎて

ネット上では言葉の絶妙な使い手さんがいろいろ居て、私など到底適わない、と日々思わされたりしています。先日ヒドい出来事があり、どうせ私は悪者ですから、と自己嫌悪に浸っていたところ、思わぬ言葉にハッとさせられました。


見ず知らずの赤の他人からは突然そこまで「好き」と言われると構えてしまう。
身に覚えのない好意は悪意同様に、困る。
今日は知人づてに赤の他人から
「君の文章がずっと記憶に残っています」というメッセージも受け取った。
そういう言葉に託された好意の距離は「ちょうどいい」なとも思った。

通りすがりの赤の他人に突然求愛されても困りますよね。突然刺されて困るのと同様に。
見ず知らずの他人からの過剰な感情は好意も悪意も等しく困る…

by okadaicさん(twitter


この、突然の愛の告白と、突然刺されるのは同じ、という感覚は、まさに今回僕が味わったものです。


好かれるのだから良いじゃないか、というのは、アーティストとして、とか、作品が対象ならいいのですが、
僕個人に対しては、確かに困ります。対象に対して猛進し一途なのは、何かを生み出す場合の原動力になり良いことだと思うけど、そのエネルギーは、自分に対して使うべきで、他人に向けるべきものではないと思います。

ましてや、会ったこともない人とか、さして親しくもない人に、気持ちだけを一方的にぶつけられてくるのは、これは、本当に刺されるのと同じだと、今回つくづく思いました。


そんな自分も、そういう面がもちろんありますよ。
自分がそうであるからこそ、お互いに気を付けたい。

そう思います。

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2008年1月 4日

正のエネルギー

朝から、過去いろんな人に頂いた応援メールなどを見返していた。「力を貰いました、ありがとう」とか「がんばってください」とか、まぁありがちな内容なのだが嬉しいものだ。 よくオリンピックやなんかでほら、TVあてに応援ファックス送って、とかあるじゃん。こんなん送っても別に何も変わらんのに、と普段は思うんだけど、こうして見ると、いややっぱり変わるかもね、って思うんだよね。

日本人というのは割と悲観的な国民柄で、マイナー(短調)な曲のほうが受けが良いのよね。その傾向が端的に現れてるのがネットだと思ってるんだけど、例えば、直接ライブとかに見に来る人だとね、オレの曲も前向きで明るい曲のほうが受けがいいわけさ。でも、ネット投票とかになると、悲観的でマイナーな曲のほうが凄く点数集めたりしてね、おもしろい現象だと思った。

その話を以前音大出の知人と話したことがあったんだけど、短調の音楽は感情移入しやすいんだよね、とか言ってて、ああそうかもねえ、と。まぁクラシック音楽自体ヨーロッパ中心なんだから、あの辺もまた悲観的地域だからさw、確かにそうかもと妙に納得した。
このブログは毒抜きみたいな部分があって、やっぱり外面で「頑張ります!」とかばかり書いてても疲れるわけで、精神的バランスを取るために始めたんですよ。でも結局オレの資質は変わらないわけでね、負のエネルギー撒き散らすより、正のエネルギー出したほうがいいんじゃないか、ってなるのよね。

ネット始めた頃はそれほど顕著じゃなかったけど、最近、負のエネルギーって凄く蔓延してるなって思って、しかもね、こないだのid:hashigotanさんみたいな、ある意味「センスある負w」っていうのではなくて、ただ、ダラダラと「負」、なんとなく「負」みたいな人が多くて、辟易してた部分もある。もちろんそれも真実だから「オマエラ変だ」とまでは言わないけど、そういう「ネット民性」なんだろね、とは思ってた。

オレもクリエーターの端くれとして、そういう村民に受けそうなマイナー曲というのは書けるだろう。前述したネットで人気の曲みたいなジャンルのヤツ。でもね。今ライブでも実際その曲取り上げてやってるんだけど、やっぱりそういうの歌うとね、自分も暗くなってくるんだよね。そして、「わかるわかる」っていう負の共感エネルギーっていうものが集まってくるのも如実に判る。
そのエネルギー浴びてると、「あーここに埋没するとまずいっ」って凄い危機感覚えるのですよ。

オレらの周りには幸い前向きな人が集まってくれて、負に埋没することはそれほどなく済んでる。それは自分自身も負に溺れないよう気をつけるようになったっていうのもあるだろう。ここで散々書いたように、オレの過去はお世辞にも明るい幼少時代とは言えなかったがね。いつまでもそれ言ってても始まらないからね。

ましてや今は、注目を浴びる立場でもあるわけだし、であれば尚更、「負」ではないよう日々気を付けて居なければならない、それが責任だと思っているよ。

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2007年10月11日

MIDIは消えて良かったと思ってる。

かつてネットではMIDI音楽というのがあった。実はオレもすっかり忘れていて、昨今のニコニコ系権利問題の流れで思い出したのだ。権利団体の規制で、あっという間に(ほんとにあっという間だった)消えた。

MIDI音楽というものがオレは大嫌いだった。個人的意見だと断っておくけども、叩かれるの承知で書くけども、あれは本当にひどい。恐らく耳コピ*1なんだろうけど、コードもめちゃくちゃでメロも適当、改変当たり前。オリジナル作家が聴いたら泣くよ?あれ。私の曲はこんなじゃないっ!!とね。

クリエイター側にとっては、お金の問題というより、勝手に変えられることへの激しい拒否反応というのも、一般の人の想像以上のものがあると思う*2

オレらはオタクだ。ウルトラセブンのことを以前書いたが、要するに細かいんだよ。

サザエさんだってネズミだってロボットネコだって、凄く考えられてデザインが出来てるはずだ。キミの書いたその画は、耳の位置は違う!目の間隔が違う!って思うだろうし、ちょっと神経質すぎねえ?と外野が言ったところで*3、物を創る人間は元来神経質なものなのだ。
もちろんクリエイター本人の気質で、気にしないという人もあるだろう。それはそれで一向に構わない。しかし、それを嫌がる人の存在を無視は出来ない。

数あるMIDI音楽の中には優れたものもある。しかし、当時、一般のサイトから流れて来たあれらの音楽は、耳を覆うばかりのものも多かった。厳密に言えば「間違っているもの」ばかりだった。使用料払えってことではない。完成度のひどさ(というか完成してないが)に苦言を呈している。初めてその曲を聴いた人に「つまらない曲だな」と誤解を与えてしまったら妨害にもなるし。

ほんとに個人的にだけど、あれは規制されて本当に嬉しかった。感謝したよw

そういう意味では、オリジナルの音を切り刻んで作ることが主流になった今の状況は、オレにとっては、もう全然許せる範囲内である。元の音の配列とメロはそのまま(途中で切られてたとしても)生きてるからだ。というか、そもそも変えられないのだからね。

それもあって、今の状況は、個人的には結構静観していられる。

*1:もしくは、下手すりゃ記憶コピーw うろ覚えで打ち込んでるってやつ。楽譜購入して打ち込めば少なくとも音楽的には正しいものに近づくが、普通そこまでしないしね。
*2:いまひとつ実感が沸かない、という人は、あの中国の遊園地を思い浮かべるといい。あのキャラたちのデフォルメ具合がそのまま音楽に当てはまってると思えばいい。
*3:さすがに、子どもには言わないよ。ただし、それを見過ごしてる保護者や大人には遠慮なく言う。さりげなく正しいものに誘導するのがお前らの勤めである、と。

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2007年10月 6日

改良、と言って良くなってたことがない件。

7年位前からネットやってるじゃん。オレ。そうすっと、だいたい途中で、どっかのポータルとか管理画面とかレンタルcgiとか、今回のmixiもそうだけど。たいがい改良とかする時期に出くわすんだよ。そんで結果的に、お~よくなったなー、ってことがほとんどないんだよな。いや別にオレ懐古趣味じゃないけど。なんでわざわざ複雑化することに命賭けるのかわからん。もちろんよくなってるところもあるんだけどね。

こういう分野って今まであんまり接したことなくてさ。だって、たいがい物って使いやすく改良されないか?使いづらくなってどうするって話じゃん。

だから結局ITっていうの?こういう世界って、ごくほんの一部しかスーパーハッカーっていうかさ、プロって結局いないんじゃねえかって思うの。そうだよ。今でもオレなんか所詮ネット産業じゃん、ってバカにしてるよ。だって素人さんの配布してるツールみたいなやつのほうが出来いいじゃん。給料貰ってて、日曜プログラマ以下かよ?ってことでさ。だから、名誉回復のためには、さっさと淘汰されてくれって話だよ。

みんなIT革命だとかロングテーーールとか言ってもさ、結局底辺は使えないもんばかり溢れててさ、それでも本人は寝ずに残業手当も貰わずがんばってるんでしょ?オレが例えばmixiの担当技術者だったら、こんなに叩かれて1週間泣き明かすな。でも回避できなかったんだよね?

どうしたらこれって報われるのかね…?

今回のmixiのリニューアルについて - 専門家に聞く [All About プロファイル]

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2007年10月 2日

HTMLソースやCSSソースに著作権は発生するか?

MIXIのデザイン改悪が話題になっていますが、さっそく有志の方が、強制改良スタイルシートを公開していました。

リニューアル後のmixiを2カラム/750px幅化するユーザースタイルシートを書いてみた : akiyan.com

いやもうほんとに、こういう素早さって感心するんだけど*1、これを今話題の音楽や映像創作物の無断使用に準えるとどういうことになるのかな、と思って権利関係ちょっと調べてみたんだ。

まんまそういうページがあったので紹介します。
HTMLソースやCSSソースに著作権は発生するか?

多分これも決定ではなくて、今後流動的に変わるのだろうし、恐らく小倉さんとか絡んで諸説乱れることになりそうなものなんですが、今のところ、こういうことらしいですね。

もとの情報のほうに権利はあって、見せ方聞かせ方のほうには、権利があまり発生しない、ってのは「歌メロ書いた作曲家」と「編曲家」との関係に似ていて、非常に興味深く思った。

これ例えば、音楽や映像で言えば、ブラウザ上でのイコライジングソフトを配布、みたいなことになるのかな。

例えば、初音ミク音声使用楽曲を、もっと萌えにするイコライジングとか画面加工ソフトとか、そんな感じなんだろうか。

でもプログラミングっておもしろいよね。7年前初めてHTMLソース書いたとき、「リンクって別窓開きか同窓開きかっていうの、こっちで決めるんだなあ(target brankのこと)」って感動したの思い出す。

追記。
諸説あるからこれも貼っとくね。

CSS 著作権 - Google 検索

*1:特にこのセリフが素晴らしい。「幅が広がったためになんとなく置かれたんじゃないか」系のリンクから非表示にしました。←完全に見透かされてるw

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2007年9月 7日

餌付けピラミッド

ミクシとかブログでのコメント方式がどうも苦手な理由が急に判って来た。それはおそらく、全員が書き主(親)にぶら下がって、羽パタパタさせながら、レスくださーい!って言ってるからなんだよな。どんなにコメントのレス数が増えようとも、コメント同士のコミュニケーション皆無。

でもこれに違和感感じるって、従来型の掲示板や2ちゃんねる(久々に正式名称で書くと照れるなw)方式に慣れてしまったからなんだよねえ。親子方式のコメント見ると、オマエラもっと活発な議論の展開とかないの?って言いたくなる。

これの弊害はね、親の提示した話題にコメントしてレスすることを目的にする(ことが多い)から、ほとんどの場合は親を超えられないってことなんだよな。つまりコメントのレベルが親の書いたエントリに比例するってこと。だから、集まるのは似たような人たちばかりなわけでさ。

その親にぶら下がってる限りは、親最高という前提があるから、逆らったりしてもいけないし、虐めてもいけない。外から見ると、なにこいつら皆で褒めあってキモって思う。

ミクシ日記のコメントも基本的にそう出来てる。オレ過去何度も話題広げようと思ってコメしたけど、親がレスくれるだけで広がらないんだよ。

もし万が一ほかのコメヌシからレスがあって話題が広がったりすると、今度は親がいじけるしね。きみらうちの日記で勝手に盛り上がらないでくれる?みたいな、ね。

芸能人有名人のブログって、コメ欄開けてても最近レスしてくれないことも多いけど、それは正解だと思う。これは記帳なんだよ、記帳。

そんで、一般人のブログとかミクシ日記は、レスのある記帳。そんで親は「自分はかまわれてる、愛されてる」って安心するわけだ。

…なるほどねえ。

自分の過去の行いの動機が今わかった、みたいなちょっと新鮮な発見だった。

そうすると、ある場所で親であり、コメントする子供にレスという餌を与えていた人は、また別な場所で、今度は子供となり、レスくださーい、って羽パタパタさせてることが在り得るわけですな。親であった人も、今度は子供となりレスという餌をもらっている。そんで、その親は自分よりも少しだけ大きい親なわけで。そんでまた、その親も別な場所に、少しだけ大きな親がいて、そこでは子供となり餌をもらっている…。

子供は永遠に親を越えられないから、そうすると、どこがいったい最下層なんだろうか、という疑問が湧く。

これを平衡なコミュニケーションだと捉えていないところがオレらしいでしょうw

つまり上下関係がある、と思ってる。思っていますとも。

人はみんな特別なオンリーだとか何とか言ってるが、実際に現実がそうだったら、そりゃあ望ましいけれど、実際はそうでないから、不平不満があるんじゃないのかね?

その最下層で、小さな親を相手に必死に羽ばたつかせて「餌くれー」って言ってる人たちには、オレもおせっかいだからね、「一歩外出れば、もっと良い親がいくらでもいるってば!」と言いたくなってしまう*1

ネットもミクシも、網じゃなくてピラミッドなんだ、と。そういう現実を認めなきゃいつまで経っても変わらないんじゃないかな。自分も。

*1:でも実際は、自分の親って一組しかいないんだよね…

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2007年8月28日

底辺の底上げで焦る私たち。

市井の人々がチラ裏であれ詳細オタク的研究成果であれ、ウェブなんかで発信できるというのは、その分野の底上げのためにはとても良いことだと思っていて、つまり、のほほんとその特殊分野の上に胡坐かいて「大御所でござい」と威張ってた連中が居たわけだよね実際。本当に尊敬できる方ならいいけどね、特にビートルズとかそういう利権がでかい分野は、本当にいくらでも自称大御所はいるからね。そういうの悉く駆逐してくれるってのがウェブの良いところで、それによって、プロの方々の仕事も良くなっていくだろう、っていうのがオレの3年前の自論だったの。

だいたいね。普通の方々のそんな仕事がいくら素晴らしいからって、それに負けてるっつうーのは、プロとは言えないと思うよ。それは例えば、音楽もそうだし、動画もそうだし、2chネタスレとかもそうでしょ。プロはそれでメシ食ってるからプロなんであってさ、素人のアップするそれらコンテンツに負けてる、っていうのがもう信じられないことなわけだし、プロが信用を失うことになるし、一発屋が金鉱発見的山師に見られたり、例の管理団体が巨悪扱いされているのは、オレらとすれば悲しすぎる現実なのよ。

それはひとえにプロというものの仕事に世間の人々が絶望してるからこその扱いに他ならないと思うのよね。

今も昔も、人に勝てるっていうのは、唯一無二だからなのであって、タレント、という言葉のそもそもの意味のとおり、何か持ってなきゃ、それは職人さんでも卓越した技術とかなんでもいいけども、ともかく普通の人に出来ないから、それでメシ食うんだ、っていうその意識が不足してるんじゃねえか、って思うのよ。

どっかのスレッド書籍にしたりとか、それはオマエラ仕事として胸はって、良い仕事したって言えますか、って。それで食っていったり家族食わしたりしなきゃいけないんだろうけど、例えば戦後にヤミ米は食わん、と言って餓死された方が居たって話があるけど、汚い金で買ったメシって、果たして美味いのか?って一度訊いてみたいんであって、それでも彼らは、同じメシに変わりはないって言うのかもしれないけど、オレは嫌だね。

それって役得というか、たとえばAV撮影現場だと裸見れるぜ、っていうのと変わらんっていうかさ。裸見れるからAVの中の人になったのかい?って。まぁそれは少しはそういうのあるだろうけど、そんなんで続くんだろうかって。そりゃあオレも大昔はストリップのバックで演奏なんかして、さして綺麗でもないおねいさんのオマ○コ見れましたが、その為に演奏してたってことは別にねえんだよね。

それを、就職しちまえばこっちのもんだと言わんばかりに、会社のデカイ名前に隠れて好き放題しまくるって、それも利権なんじゃないか、って思うわけだよ。やったー会社のボールペン使い放題だぜ、っていうのと、やったー2chスレ本にし放題だぜ、っていうのとさして変わらんじゃないか。

前どっかで書いたけど、プロとかメインとか、ともかくその中心たる人たちがちゃんとしないと、サブとか、セミプロとか素人とか、その区別がつかなくなるんだってば。

今はね。素人や市井の人々が凄いんじゃなくて、プロの側が凄く無さ過ぎるんだと思うんだ。底辺が底上げされた結果、自称プロだった人たちが全員その底に埋もれちゃったんだよ。

上のエントリで既出の ymScott氏エントリーより。

全員が作者になったら、それはつまり「求められるクオリティの底上げ」に他ならんですよ。芸術作品の評価は相対によるものが少なくないので。

うん。
気付いたのなら、やるなら今だよな。>自分。
まだ間に合うと思うんだけどな。

正規雇用の反対側 - アンカテ

ということで、この関連。まぁ参加のハードルは低いほうが良いんだけどね。ここ昨今の一部の不甲斐なさ(自分含む)から言えば、言われてもしょうがなくはあるね。うん。

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2007年8月16日

【重要】ウルトラセブンに「マン」は付かないっ!!~ヲタク考察。

オレはウルトラセブンヲタクである。
そんな自分を含め、世界中のセブンオタクの人間が世の中で最も忌み嫌う言葉。

それが ウルトラ マン セブン である。 言うまでもないが。

セブンに「マン」は付かない



ウルトラセブン

である。

日頃、ヲタクは痛いよな、とか、おまいらもちつけ、などと冷静を装っているオレだが、今、目の前のオマエが「ウルトラマンセブン」と言ったとき、いきなりぶん殴りたくなる衝動を抑えられるかどうか疑わしい。

同じように、たとえば元チャイドルの有名人の方かなんかが、日記で「ウルトラマンセブン、すっごく良かったですー!感動しましたっ!アンヌ隊員の役は絶対私がやりますっ!」などと書いてたら、身体中の血が燃えたぎり、ハラワタ煮えくり返るのは明らかである*1

しかしオレも少しは大人である。そこを必死でこらえ、冷静に訂正エントリを書きトラックバックでもしようと試みるだろう。

しかし、とろいオレがそんなことをするまでもなく、おそらく同じような仲間が、さっさと同じことを実行に移す。それを見たオレは。仲間が替わりに言ってくれた、と思い満足するだろう。


吉野紗香『GHOST IN THE SHELL』の日記について謝罪

吉野さんには同情を感じつつも、この事件に複雑な思いを抱いてしまうのは、おそらく、叩くほうの気持ちもわかってしまうからである。以前ここで書いた悪気はないということの罪深さってやつだろうか。

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2007年7月29日

匿名な音楽を創る

匿名実名論というのが、未だに飽きもせず続いてるわけだけども、オレの自論は、重要なのはその内容であって、誰が言ったかということではない、というものである*1

さて。

最近になって気付いたのだが、オレの音楽の嗜好も実は似ている。つまり、何処の誰が作ったのか、演奏しているのか、唄って居るのかはわからないが、純粋に音のみで浸透する、というのが理想だと思ってるふしがある。

これはたとえば、CMの(タイアップではない)音楽や、電車バス等で流れる音楽、放送局のジングルみたいなものなど。実はこれらの仕事がオレは大好きなのだ。先日の、大先輩である生方さんのサウンドロゴの話もあるが、もちろんオレだって手は抜かない。一瞬で耳に残る言葉とメロディ、音色、構成、ごく短い10数秒間に存在する音、すべてが計算ずくである。出来上がったときは「やったー」と思うし溜飲下げまくりだしアドレナリン放出。「おつかれ。自分」とささやかな自分褒めを行なう。

そんな代物でも、世の中のほとんどの人が、何処の誰が創って歌っているのか知らない*2。記名性ほとんどゼロ。音のみで評価されてる。これこそ究極のスタイルのような気もするわけだ。

それでも報酬はクライアントさんから頂いている。純粋に、音とそれを構築したという技術に対しての報酬だ。

そうして個人的満足感は、自分のまったく知らないところで、無記名の音が聴かれ歌われている、という事実のみでじゅうぶん得られる。

見過ごされがちだが、覚えられて歌われる、ということは実はすごいことなんである。ある種の刷り込みに近い感覚、というか。人の脳の中に、そうして無意識に浸透する、脳細胞を構築する一部分になる、ということが。

名乗って得になるのなら名乗ればいい。だけど、とりあえずオレは、自分のメロディを口ずさんでる子供の前に行き「それオレが作った」なんて野暮なこと言いたくないけどな。だってその子供は、それからというもの、そのメロディ歌うたびオレの顔思い出すんだぜ?

ちょっと遠慮したいな。


*1:過去ログのある記事で、実際にそういうことを行なって情報の流れを確認した、と書いた。今回、も少し具体的に書いてみるが、つまり非常にマニアックな詳細データを無記名でネット上に大量に流し、それ以前に常識となっていた概念と価値観をひっくり返したのだ。これは痛快だった。今でも思うね。「オマエラできるもんならやってみろ」って言いたいね。笑

*2:オレの音楽はそんなに知られてるのはないが

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2007年4月24日

コンテンツを産む機械

様々なメディア関係の人々と会合続きの日々。

最近はようつべだ、データ販売だ、でIT関連業者のメディア参入も多い。彼らは実に上手くポータルみたいな物を創るし、綺麗にサイトもまとめる。
まあいうなれば、綺麗な陳列棚をたくさん並べた超最新型コンビニみたいなお店を作り、「さあ商品並べてください」ということで、当然コンテンツが不可欠だから、その製作依頼は我々に回ってくる。

まぁ全員がそうではないのだが、そういった方々は概して創作方面への想像力というものがなく、言えばなんでもポンと産めるものだと勘違いしているフシがあり。

まさに「産む機械」と思われているわけだ。

「産む」ということで言えば、確かに、十月十日ではないが、時間をかけて育くめば良い作品は産まれるかもしれない。しかしプロのクリエイターたるもの、そんな10ヶ月も育むような悠長なサイクルで良いのか?と当然思われるであろう。

そう。
実際のサイクルは、はるかに速いスピードになっている。
そして、そうでなければやっていけない。

卓越したプロの仕事はそれに対処しているし、
結果、表面上は確かに

ポンと産んでいるように見える

しかしそれには。


24時間365日アンテナを張り続け、脳をオンにし続け、あらゆる情報を取り入れ、音楽的シナプスを活性化させていなければならない*1

依頼者のイメージを受け、脳の中で音とイメージを探し、これ、これ、これ、と並べ、始まりから終わりまでの流れを簡易的に構築させる。

これは、慣れればほぼ一瞬でできる。

しかしそれには、前述したように、日々のオン状態がモノを言うわけで、それなしには、なしえないと思う。みんながそうだとは言い切れないが、これによる累積ストレスはかなりなものじゃないかと思う。

まあそれは音楽に限らず、どんな仕事でもそうであると思うのだが。

その辺の理解を抜きにして、依頼者側に、まるで魔法のように「チョチョイノチョイ」と出来上がるんだろう、と思われてるとね。そりゃあ仕事ですからやりますけども、両者間に暖かい感情が通うことはないだろう、ということになる。
所詮は人間が作ってるものですからね。より理解してくれる人と組みたいと思うのは当然の感情だろう。

この辺の感情は、今までここで述べて来たこととも繋がる。つまり書籍化による文の引用や、リミックスにおける音源の引用、同一性保持の件にしても、そこになんらかのシンパシーなり、配慮なり、リスペクトなり、なければ、相互理解などありえないってことである。

気持ちよく仕事したければ、お互いその努力が必要なのだ。

その辺が欠けていた為に、件の「産む機械」発言だって叩かれたのだろう。オレだって、「コンテンツを産む機械がこれだけ揃ってるのは心強い」などと依頼主に言われたら、あんまり良い気持ちはしない*2

あんまり決め付けたくはないのだけど、IT土建屋的な方々には、どうもその辺の配慮が欠けている印象が否めなくて、仕事するたび、なんともいえないモゾモゾ感に、なんだか薄気味の悪い思いをする。温度差というか、この人たちには本当に売りたいものとかあるのだろうか?という素朴な疑問が生まれて来るのだ。

その辺にオレはかつての「箱物行政」の姿を見る。

でっかい立派なホールあちこちに建てまくって、さあ演奏してください、と。いやいや。演奏する人を育ててませんから、って話でさ。まず入れるもの創ってから箱作りましょうよ。って。

結局オレ的には、そんな連中に牛耳られるのが嫌だから、必死にネットやらWEB2.0やら勉強したわけで、つまり、「知らない」という極めて単純な理由で、相手より下手にならざるを得ない状況になることだけは、回避したかったというわけである*3


自分が出会う相手と自分のレベルは同一である、とよくいうし、まあこれも一種の自己責任であろう。どうしようもない相手と会っても「いい勉強になった」くらい言えないとな。

ウハウハしていた。

売れればなんでも良かった。

今は廃業している。



*1:よくある、数年のブランク後に曲が書けなくなったー、というのは、つまり、常にオンである状態から外れることで、その回路が劣化した状態である、と考えられる。
*2:もちろんハードではなくクリエイター本人を機械に例えたとして。
*3:そういう意味では、ネット黎明期におけるウォッチングは、今になって随分役立っていると思うよ。ヒキコモリ万歳ですな。

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