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僕の家は明るくも楽しくもなく、幸せな家ではありませんでした。おおむかし偶然見たこのドラマ。ここで描かれた、表面上だけ繕って内実が崩壊してる家庭と、頭でっかちでひね曲がった性格の長男が、自分と自分の家庭そっくりで、本当に自分を投影して見ていました。オープニングにちょっと出てきますが、最後に多摩川が決壊して家が流れるんですね。本当に。あれがすごい印象的で、自分の家もああなればいい、って思ってたくらいです。
あの洪水で家が流されるのは実際の災害なんです。その実写映像をドラマで使用許可を得て実際に使ったんですね。長崎洪水のことなんか考えると、今じゃ考えられないですね。ずいぶん後になってから、この流された場所は、東京の狛江市で多摩川の土手だと知りました。それを聴いてから、いつか狛江に住んでみたいと思うようになりました。なんでだかわからない。何かが見つかるかもしれない、そう思ったのかもしれないし、過去の自分を引きずってたからかもしれない。
僕がドラマーから作曲家に転向して、亀田誠治師匠アレンジでリリースとかされてた頃、僕は船橋の一軒家に住んでいました。そこが大家さんの都合で立ち退きになり、急に転居先を見つけなければならなくなったんですね。その時に、ふと「狛江に越したいな」と思ったんです。そうして僕の21世紀は狛江市から始まったんですね。
念願の狛江に引越ししてから、この辺の風景はどこか懐かしさがあるな、と思い始めました。でもその理由がそのときは判らなかったんですね。そんな懐かしさに誘われたのか判りませんが、この土地の空気が気持ちよかったので、僕は毎日チャリで多摩川土手を走る(見回り)ことにしたんです。狛江から上流に行くのは調布のほうに行きます。見回りするようになって知ったのですが、有名なドラマのロケ地が、この辺はたくさんあるんですね。
僕は「戻る」という行為が嫌いなので、帰りは同じ道を戻らずに、必ずグルッと円形ルートで帰りました。なのでどこかで対岸に渡らないとならなかったのですが、是政とか府中とかいろいろルートはあったのだけど、最短の橋が矢野口のところで、それが一番多かったですね。そこで多摩川を対岸の稲城に渡ります。帰りは府中街道、もしくは川崎街道というのですけど、そういう幹線道路を下るんです。たくさんのお店が沿線にあって、いろいろ寄りました。渡ってすぐ、矢野口の交差点にリサイクルショップがあって、そこで見つけたのが遠藤響子さんのカセットでした!もちろん即買い。その店はいつも大音量でFMが流れてて、aikoのおやすみなさいと、ポールマッカートニーのドライビングレインはそこで初めて聴いた。日曜に、たまたま行った時、平日見かけないバイトが居て、若くてヒョロッとした草食系のやつ。んで、なんかレゲエみたいの流れてるんだけど、なかなか、いい感じなので、コレ誰?って訊いた。それが MOOMIN でした。ちょっと下ると、稲田堤にディスクユニオンがあって、そこも毎回寄りました。
その頃僕は、長崎ちゃんぽんをよく食べてたのだけど、それも、稲田堤のリンガーハットですね。そのちょっと先に古本屋があって、時々寄ってました。そこで偶然聴いたのがカプセル。曲は happy life generator。すごい衝撃的だった。でもその時は、カプセルだということも曲目もわからなかった。そんで古本屋から中野島に抜けて多摩川土手に戻る。その道で歌詞とかメロとかコードとか脳内で構築して新曲考えながら狛江に戻る。それを毎日やっていました。
初めて happy life generator のサビを聴いた時のショックは、ほんと計り知れなかったです。いろんなこといっぺんに思って、聴きながら、あー終わる終わるー!って思って、もう一回聴きたくて翌日も翌日も同じ時間に古本屋に行ったわけ。確か2回目の時にコードとメロを簡単に憶えて帰って、どうなってんだー?って家で弾いてみたんだけど、なんか違うなコレって。でも方法論だけでもすっげえので、それは忘れないって思って。
その後、なんで曲目が判明したかっつうとですね、2年後に新百合ヶ丘のビレバンで買い物してた時に、いきなり曲が流れてさ、あーーー!!!って。そんでCDのところに行ったらカプセルってあったんだ。今でも僕にとっては、中田ヤスタカはこの1曲で神ですね。
そんなわけで、町や川やいたるところで音楽があって風も匂いもあって、そういうの毎日、集めて走ってたんだな。
その時は、それがなんなのか気付かずに。そして、この時の経験が去年のシティFMの特集「僕の渋谷は多摩にあった 」となるわけです。深いね。
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自転車で土手を走りながら、自分の曲のメロやコードやアレンジ歌詞なんかを毎日考えていました。全行程1時間から2時間、途中で寄り道することもあったし、行きの昇りで、何か思いついたら急いで帰ろうと思うから、その時は直帰で1時間くらいかな。その時は帰りも川崎側の土手を下りました。水門や団地を見ながら、すっ飛ばすのは気持ちよかったです。下りだからね、スピードが出るんだね。そんな感じでチャリで作ったんは、ドライブの追っかけコーラスのアレンジ、曇り空、思い出の切れ端とかかな。キタノマルもそうだったかもしれない。
ドライブの、あのコーラスアレンジは走ってる最中で脳内で完結させて帰ってきました。うちに帰って、そのとおりに歌っただけ。(ココ にいろいろある。ドライブは真ん中辺りにあります)
思い出のきれはしはすごい時間かかった。何日も出来なかった。どう展開させればいい曲になるのかって、Bメロとかイントロとか5種類くらい考えた。結局イントロは全部ボツになって、最終的には売ってるテイクのグリッサンドになった。あれは元々ふざけて弾いたんだけどね。そのまま使っちゃった。正規レコの時に、本当は弾きなおしたんだけど、元の雰囲気がどうしても出なくて、だからグリッサンド部分だけデモからコピペしたんですよね。歌詞も苦労して、前にココのブログ で書いたけど、相鉄線の緑園都市で、仕事の合間に書いたんだ。コウ思い返すと、やっぱり苦労したのはFUSEKIアルバムの前半だよね。だから苦労した思い出が印象強く今も覚えてるわけだよね。それに比べると後半は楽だったと思います。勘が戻ったんだろうと思う。
その後僕は、また仕事が忙しくなったというのもあったし、そうやって何かの力を借りなくても勘が戻ったので、そうして振り返る事はしばらくなくなりました。まあでも、そのときの感覚はたっぷり作品や仕事に反映はされました。
それらの断片はここ で聴けるし、完成品はCDやCMになりました。
その後いろいろあって、長崎移住となります。その際に、まあちょっと事情があってですね、最初はナント!野母崎半島の三和!に住んだのですよ!あの山奥で何もないところで、僕は幽閉されていました。楽しみといえば唯一ケーブルテレビがあったことくらい。ケーブルにはいろいろチャンネルがあるんですけど、たまたま見た、NECOとファミ劇というチャンネルで放送してた昔のドラマを見て、僕は驚いたのです!そこでやってた70年代の青春ドラマとか刑事ドラマとかあと、ウルトラセブンとかですよね。そういうのでロケで出てくる景色が全部!狛江と多摩川なんですよ!!これは、東京に住んでない人は判らないと思います!
でも、当時のドラマ、そしてこれは今でもそうなんですけど、CMとかも含めてなんですけど、川の土手とか遠景のマンションとか公園とかそういう景色のほとんどが、多摩川とか調布とか狛江なんですよ。それで気付いたのは、そういうドラマの風景を子供の頃からずーっと見てるでしょ。そうすると、ドラマの風景が刷り込まれて自分の原風景のような感覚になるんです。
それは業界の標準として、ドラマのロケはあそこがいい、とか決まってるわけでしょ。だから必然でそうなる。それは撮影所が調布狛江に多いというのもあります。円谷プロダクションもすぐ近所の世田谷なんです。
そうして僕は昔のそんなドラマを見ながらああ、僕にとっての郷愁がここにあった!と。そう気付いたんですね。それまでは、何故僕が多摩川や狛江の事を自分の故郷のように感じるのか、はっきりわからなかったんです。それが、三和でケーブルで昔のドラマをたくさん見てそれで気付いたってことですよね(余談ですが、後にこのケーブル料金をめぐって裁判になりました。僕が絶対に譲れなかった理由が、これで判るんじゃないかと思います)。
この日記の最初のほうで、僕は、自分の家庭が温かい場所じゃなかったと書きました。共働きで両親は家に居なかったので、学校が終わったら、誰も居ない家にいつも帰っていました。その「誰もいない家」が僕にとって一番居心地の良い家でした。その家で、夕方の再放送のドラマを見ることだけが唯一の幸福だったんですね。だから僕にとって、そういうドラマとその風景が故郷なんだと気付きました。もうひとつ楽しみだった事があります。それがラジオで当時のヒット曲を聴くことですね。その二つの要素が結びついて今の僕の形になったということですね。
そこで前に紹介した、シティFMの渋谷系音楽の紹介 特集。ここで言った、僕の渋谷は多摩に有ったんだ、という話は、僕自身の郷愁が多摩にあったんだという話だったんです。
僕は、自分が音楽をやる時に、何か借り物の音楽をやるというのが嫌だったのですよ。何かの受け売りとかじゃなく、ちゃんと自分自身の根底にあるものをやりたいのだ、と。そう思っているんです。しかし、どうも自分の根底に無さそうな音楽に惹かれる自分がいる。それはなんでなんだ??とずーっと悩んでたんですね。それが、ここで全部解決したってことなんですね。誰でもそうだけど、本当の自分自身は自分の中にしかないということです。何かに反応する、ということは自分の中のその要素が反応してるってことですね。しかし案外、自分は気付かないもんです。でも他人は意外に、そういう部分を「魅力」として見つけてくれたり好きになってくれるんですね。だからと言って、そんな自分は嫌だ、という拒否反応もある。自分は自分の理想もあるからですね。だから、多分その人にとって一番いいのは、本人が気付くまで放っておく、ということです。それは永遠に続く戦いなんですね。それでいいんじゃないかな。
狛江の多摩川土手崩壊災害の話から、長ーい旅の後、こんなところに到達した。でもまだゴールじゃない。また明日になったら全然違う事を言ってるかもしれない。そういうもんだね。
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