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2012年6月23日

「冬のソナタ」に見るバブル的なもの

ホテル時代末期、だんだんやりたいことがハッキリしてきて、なんか職場も居づらいなーなどと思ってた3年目の冬。
僕を慕ってた職場の後輩が「父の会社が持ってるリゾートマンションが湯沢にあるから、スキーがてら、みんなで遊びにいきませんか」と誘ってきた。その後輩、みんなを誘ったんだけど誰も乗ってこず、結局、僕と2名で行くことになった。なんか、ハブっぽくされたのが昔の自分を見るようで(笑)、僕は付き合ってやることにしたんだよね。

これ言うと道民「以外」のヒトはみんな驚くのですけど、僕は、北海道人でありながら「生まれてから今まで一度もスキーをしたことがない!」という人間でしたので、スキー場に行く、ということが、そもそもどういうことなのかあまり判っていなかった。
行く場所も、行くまでどんな場所か全然知らなかったし、バブリーなことも全然しなかった僕は、リゾートでスキー、という価値観がいったいどういうことなのか、ということもまったく判らずに、ただ車に便乗して行ったのだった。
練馬から関越に乗り越後湯沢方面へ。カーオーディオからはミスチルが流れてた。僕は加藤いづみを持ってきてたので、ミスチルに飽きたら、これを聴こう、と言ってそれも聴いた。

現地に着いたらびっくりした。バブル的リゾートスキー文化という光景がそこに広がっていた。「うわ、ユーミンの世界だ」と思った。これがバブル(の末期でもう終焉だったけど)か、と。バブルが終わりかけて僕は始めて、そのリアルな光景を辛うじて見れたのだ。

後輩のリゾートマンションもすごかった。湯沢の小高い山の上に聳え立つ、10何階建てのマンション。最上階には展望式の温泉があり、24時間入れるようになっていた。ロック式の玄関を入ると、何組もカップルや家族が、スキー板を抱えて行き来してた。スノボーももうあったと思う。
僕らはたったふたりで、マンションの部屋に行き、思う存分ごろごろして、気が向いたら最上階の温泉に行って、湯に浸かりながら、展望窓から湯沢の雪景色をずっと眺めていた。

夜中に目が覚めて、一人でロビーに降りて行き、今までの3年間のホテルの仕事や人間関係について、ボーっと思いを馳せた。誘ったのに誰も来てくれなかった、そんな同僚のことなどを考えながら、「これは、もう終わりということなのかもしれない。もうじゅうぶんやった。曲もたくさん出来た。これはもう、次、ということなんじゃないだろうか」と、そう思った。ここまでやったら、もういいじゃん、じゅうぶん「普通の人」を楽しんだじゃないか、と。そろそろ音楽に戻ろうよ、と。

2泊して東京に戻り、出勤。そして僕は支配人の所に行き、今月一杯で辞めようと思う、と告げ、「今までお世話になりました。」と言った。なぜか後半は涙声になってしまい、その後の言葉を続けられなかった。支配人は黙って頷いてくれた。この支配人も、あまり社員に馴染んでない立場にいた人だが、僕の立場はいつも理解してくれてた。僕はドコでも、どこか普通じゃない人に愛される傾向にあった。

Huyusona2ri


それから10年。僕はまた音楽を中断して、TV局関係の仕事をやっていた。夜10時頃帰宅してBSをつけると、見たことないような不思議な雰囲気のドラマをやっていた。舞台はスキー場。僕はそれを見て、10年前、ホテル時代の後輩と一緒に行った、あのリゾートマンションの光景を思い出し、なんだかすごく胸が熱くなって、そのドラマに見入ってしまった。

翌日、仕事場に行って、海外ドラママニアの女子に、BSのドラマのことを話すと、やはりちゃんと知ってて「ああ、あれおもしろいですよねー、韓国のドラマなんですよ。」と。それが冬のソナタだったわけだね。
それからは、毎週木曜、楽しみに見た。その話を職場の子達とするのが楽しみになった。

Huyusona4nin

冬ソナの風景、スキー場とかのあの感じって、当時リアル放送時でも、日本の10年前?くらいな印象だったと思う。あのドラマにハマった人は、そういう「懐かしい日本の感じ」もあいまって気に入ったのだけと思うけど、まさに僕も、「10年前のあのときのリゾートマンションの風景」を思い出したから、引き込まれたわけで、ある意味ふゆそなファンのオバサマたちと似た感覚で接してたんだと思う。

それからこれ重要なんだけど、僕はバブル的リゾートスキー、というものの経験が「まったく」なく、その後輩と行った、あのときが、たった一度の唯一の経験だったから、今ドラマでそういう風景を見ても、あのたった一回の出来事しか思い出せない。そのことは、とても幸福なことだった、と今になって思ってる。どこにでもあるような風景でも、僕にとっては「たった一度」の思い出なのだ。

そういうことはきっと他にもよくあるでしょうね。人生で遊園地に行ったのが、父に連れられていった幼児期の「たった一度」しかなければ、それは唯一無二の思い出になる。何度も経験できることもいいと思うけど、たった一度、というのはすごいことなだな、と思うんだな。

Huyusonagondora

冬のソナタに出てくるスキー場の場面は、今でも僕にとってエヴァーグリーンだし、貴重な「バブル実体験」の思い出でもある。そして、新しい道を歩き始めたばかりの頃の、自分の気持ちを蘇らせてくれる装置なんだな。

ヨン様なんか誰も知らず(そんな呼び名もなく)、韓流ブームでもなんでもなかった頃のお話。

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2012年6月 7日

虚言女子

長崎羊女子「井塔由梨」さんとのコラボ公開中です。


彼女と出会った流れをメモ代わりに書いておきますね。


8月。ネットで知り合った羊女子と、コラボの為にオフで初対面。
コラボは上手くいったので盛り上がり打ち上げ。

羊女子による「彼氏が居なかったら好きになっています。というか好きです。」発言。

私、いきなり何を言うんだ?と若干引くも、
若年女子が盛り上がった気分で言ってしまう気持ちも判らないではないので、放置。

羊女子、翌日遠方へ帰還。
以降もネット上で親密に絡んでくる。
次第に相手にするのが疲れてくるが、前述の言葉があるため邪険に出来ないので暖かい応対を心がける。

羊女子、ツイッター上で暴言を連発し始める。
私、辟易し始め、コラボ相手としてふさわしくないのでは、と思い、距離を置き始める。

羊女子、その私の変化に気付いたか、FBのチャットで、お詫びとも取れる発言をする。

私、距離を置きつつ、残りの1曲があるためモチベーションを温存する。
親密関係修復のため、長崎の文化について話すなどする。

年末に再会し残り1曲と新曲を完成させる。友好な関係に戻りホッと胸をなでおろす。
ラジオ番組出演が決まる。

元旦にラジオ出演し、コラボの再修正ぶんを追加レコ。

その日の打ち上げで再び!羊女子、「彼氏が居なかったら好きです。」発言。
さすがに嫌気がさしてくる。

羊女子、その後、数日なぜかネット上で沈黙。

帰還前日に最後の再会。
そこで羊女子「彼氏がラジオ放送での親密ぶりに激しく嫉妬し、貴方の音楽性も貶している」と私に告げる。

度重なる不快発言にハラワタ煮えくり返り、関係を終息させてしまおう、と決心。
以降、コラボ完成のみを優先し、その為だけのコミュニケーションに徹する。

モチベーションが著しく下がり、約束期日に遅れるも、何とか無理クリ完成へ。
その苦悩の過程で、一連の経緯をUさんに相談する(他言したのは、ここが初)。

私、コラボが終了したのでツイッターをリムーヴし、スッキリ。

羊女子、なぜか全発言を消し、一時的に姿消すなど謎の行動。

羊女子、ツイッター復帰。
Uさん、羊女子本人に、前述の私の相談内容を伝え(!)真意を質す。
羊女子、「あれはお世辞だった」と返答!

羊女子、私のFBをブロック。
ツイッターをプロテクトにし、「キモイ」発言。しかしバグにより、発言は丸見え。

私、「キモイ」発言で、穏便に終息させようと思っていた気持ちが消滅。
発言が読めてることを告げずに、今までの言動についてメールで強く抗議。

羊女子、その抗議を、同じくプロテクト内で「(笑)」と揶揄。

羊女子、発言が見えてるとは知らず、私に、真面目な内容で返答メール。

私、発言が丸見えであることを告げ、畳み掛けて抗議。

断絶。終了。


という感じ。



★後日談。

はしゃぎすぎて彼氏に怒られたというラジオ番組の動画が残っていたが
羊女子、ラジオ局の社長に直接「消してほしい」とお願いし動画が消える。

私「動画の権利は私にあり、他人が勝手に消すことなどありえない!」と社長に強く抗議
裁判になりかけるが、共通の知人に仲裁され収まる。現在は友好的な関係に戻る。


そんな感じ。


彼女の発言で私が絶対に許せないと思ったのは、私のことを「周りの女子が全員自分を好きだと思ってる勘違い野郎」と言ったことです。私が10年間どんだけ苦労して今の自分を作り上げたと思ってるのか。一生ダイエットも出来ない羊女子には理解不能かもしれませんがね。


というわけで後々まで実にスリリングなコラボでした。
そういうことを踏まえて曲を聴くと、刹那的で一興ですね。

これもまた人生。楽しかったです。ありがとう。

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