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2012年4月24日

「ずっとあなたが好きだった」に見るバブル的なもの

僕はあまりドラマを見ない人だったのだけど、夕方の再放送で時々見たのがあって、そのなかで特に印象に残ってるのが、冬彦さん。「ずっとあなたが好きだった」。これは衝撃的だった。本放送のとき世の中で「冬彦ブーム」というのが会ってオタクが認知された頃だったんだけど、そういう話題性だけで先行して、僕もドラマ見ない人だったので、その程度の認識しかなかった。それが、夕方の再放送で全部見たとき、なんだかすごい悲しくて、このドラマは名作じゃないかって。バカにして冬彦さんとか言ってた人たちは何も判ってない!って思った。あれこそバブル的価値観の崩壊だった。その続編の「誰にも言えない」は、もっと良かった。この2編は続編だから特に際立ったのだけど、この2作の間で、女性の、具体的には賀来千賀子の顔のメイクが変わってるのね。それがすごく印象強くて。前者は80年代バブルだったのだけど、後者の方は90年代になっていた。何かが終わっていく、というイメージがすごくあったね。ちょうどそのとき僕はホテルで働いてた。いろんなものが、信じてた80年代とかバブルとか、経済成長とか、そんないろんなものが、終わっていく、っていうイメージ。それがあのドラマにあった。
あのドラマのロケ地は、確か南大沢だったはず。遅れてきた最後の多摩ニュータウン開発地だね。70年代からの経済成長と、巨大団地とニュータウン的ニューファミリー。その象徴だった多摩ニュータウン。その最後の地、南大沢。

こっちに移住する数ヶ月前、僕は新百合ヶ丘に住んでいて、その南大沢に何度も遊びに行った。今は都立大があるのかな。その、南大沢でアウトレットとかモールとか見ながら、バブルは終わったんだなあ、って思いながら、アルバム「布石」の曲の歌詞を書いてた。


ずっとあなたが好きだった、を再放送で初めて見たのは、ホテルの仕事を始めて1年後くらいのことだった。練馬のアパートを引き払って、嫌な縁を全部切ってバンドも辞めて船橋に転居し、ホテルの夜勤。
当時僕は、自分自身名義の「初のアルバム」を編集中で、夜勤明けで帰宅し、一眠りしたあと、昼過ぎからその作業、という感じの流れ。音に関する作業が終わって、アルバムの全曲解説(長文)をワープロで打っていた。
その「解説執筆」のBGとして流してたのが、たまたま再放送してた「ずっとあなたが好きだった」だったのね。話題作だったし、まあネタとして作業の片手間で見ようか、くらいの感じだった。なのに内容がすごくて、それは、先に書いたとおり、世間での評判と逆で、すごく切ない内容に苦しくてね、冬彦は自分のようでもあり、ドラマ全体に漂う80年代の残り香といい、自分が今編集してる「初アルバム」の主旨(それまでの集大成)とリンクして、なにかこれは「まとめ」なんだな、と。時代が変わって自分が変わって、次へ進める暗示なんだ、と。そんな感じがしたんだな。
再放送が終わるころ、僕の解説も完成し、アルバムも出来た。それで僕は、それまでの自分の過去と決別することができ、「ちゃんと歌ったカバーアルバム」の録音に入るのね。そんで、そのカバー集は「歌が目立つ」という理由で、それまでのどの作品よりもはるかにみんなに受け入れられて、ドラマーでオタクだった僕は、船橋という新しい環境で、歌うホテルマン、という別な自分に生まれ変わることが出来たんだよね。(全曲入り


バブル、ということで、ひとつ興味深い話があって、80年代中盤くらいだと思うけど、深夜ドラマで「桃尻娘」というのをやってたのね。これは監督が中原俊氏。
中原俊氏は出身が日活ロマンポルノということは知ってたのだけど(放送当時ではなくあとから)、今回いろいろ調べてて、なんと脚本のヒト(斎藤博氏)も日活ロマンポルノ出身ということだった。
日活の女優さんで山本奈津子さんという人が居て、練馬のアパート時代の友人が彼女のファンで(笑)、あんまりに「山本奈津子はいい、いい」というものだから、そんなにいいなら見てみようと思って、いろいろ過去の作品までさかのぼって、レンタルで借りて見たのね。そのなかで「百合族シリーズ」ってのがあって、それが実は斎藤氏の脚本だったのだ。その第3作目『OL百合族19歳』が僕は好きでよく見ていた(これの監督はなんと金子修介氏)。内容としては、主人公ふたりが、避暑に軽井沢に行き、大騒ぎ、みたいな内容なんだけど、それが見事に80年代でバブルで、ああすごいなあ。こんな価値観だったなあ、と何度も見返したの覚えてる(注!実はこれは「セーラー服 百合族2」だったことが判明!詳細↓)。

いい悪いは別にして、やっぱり懐かしいんだよね。こういう世界で生きてた人たちなんだ、って。そういうなんというか、僕にとってはリアルな経験時代よりも、あとになってからの対象化時代のほうが、よりいっそう掴めた気がするのね。その渦中に居るときは気付かないいろんなもの、失ってから気付くいろんなことね、そういうのを、過去のエッセンスたっぷりな創作物を見ることで、改めて対象化できる、っていう感じだった。
バンド時代末期の僕はよくそういうことをしてた。山本奈津子好きな友人も、とっくにアパートを出て居なくなってたけど、それでも、彼のその言葉を思い出して、レンタルしてみたりしたわけだから、何か引っかかって興味はあったんだと思った。

俯瞰でみて、対象化する。そこから何かが生まれてくる。時代をよりはっきり描けば描くほど、その作品から、そういうことが読み取れる。そんなことを思った。


これこそバブル。と思いつつ、自分はこんな世界と無縁だったし、でもメディアとして語り継がれたら、これが現実って、後世の人は思ってしまうね。確かに憧れてたけど、実際はこんなことはなかった。でも空気感はよく表してると思う。


PS
上の注釈にも書いたけど、二人の主人公が軽井沢に行って大騒ぎ、というのは「セーラー服 百合族2」でした。僕が好きでよく見てたのはこれです。内藤剛志さんも出ていたので間違いない。いやー記憶というのはあやふやなものですね(註!しかもなななんと、その監督は迷画「デビルマン」を撮った那須博之氏だった!)。

せっかくなので追記すると、軽井沢、という場所、実は僕が通っていたある学校の合宿所があったのです。毎年夏休みに学年みんなで、親睦を兼ねてそこに合宿いく、という行事があったのね。その時の印象がすごく強くて、今でも「軽井沢」というと、その時の学生時代のことを思い出す。
ちなみに、以前ここで書いた「ときめきアクシデント」の記事で出てきた「としまえん」。生まれて初めて「遊園地」という場所に行ったのが、学校の行事で行った「としまえん」で、そのとき以来「ぜったい彼女作ってココに来るんだ!」って思ったって話。翔んだカップル(TV版)エンディングで見てたので、憧れてたんだ、っていう。それも実は、この軽井沢の話と同じ学校のことだった。
そう考えると、僕の「東京文化」との出会いは、全部そのとき、ってことになるね。意外に大きな出来事だったんだな、って思う。

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