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2011年8月18日

寛大なヒト

ずいぶん後足で砂をかけるような真似をして去ってきた、かつてのバイト先がありました。そこは古本屋でした。
ちょっとした行き違いから店長夫婦と揉め、話し合いの途中で「もういいですので。」と一方的に解雇通告をされてしまい、僕はそれに納得が行かず暴言を吐き、傷を広げてしまい、修復不能の関係になってしまったのです。当時は「自分は間違っていない!」と思っていました。

僕の特徴は、そんな事をしておきながら、そんな自分のしたことに、あとあと後悔し、ずっと悩み続けることです。「あんなことしなきゃ良かった…」「いや、相手も酷かったのだからやって当然だった!」などと、ずっと考えてしまうのです。そして、その古本屋の店長のコトも、ずっと何かというと思い出して、考えたりしていました。


先週、ふとメーラーをいろいろみてると、下書きのところに書きかけのメールがありました。なんだろうと思ったら、2年前に、その古本屋の店長宛に書いたメールでした。

内容は、当時の僕は人生経験が浅く、店長の気持ちがわからなかった、いま自分で、いろいろ事業などするに当たって、初めて気苦労が理解できた、人と接したり、使ったりすることの難しさとか、当時は分らず、ずいぶん酷い事をしたし、言ったりしたと思う、お詫びします、と書いてあった。

日付は1年半くらい前でした。何があったんでしょう。笑。
まあ、何かがあったんでしょうね。ピンと来るヒトもいるかもですが。

そんなメールの下書きを発見して、当時の店長のことや、1年半前の自分の事などいろいろ思って、このメール、出してみようかな、と思って、先日送ってみたんです。

もちろん返事なんか来るわけないじゃん、と思ってたし、来たとしても「ああ、あの時のおまえか、まったく酷いやつだった」と怒るかと思ったのね。

それが、さっき返事が来て、内容はまあ書かないけど、人生にはそんなこともある、きみだけじゃなく、様々なヒトが当店でバイトし通り過ぎていった、過ぎたことだから忘れて、店のことは楽しい思い出として過ごしていって欲しい、とか書いてあるんです。

実は、昨日もあるヒトに、あるメールをしたところ、「見てるひとはちゃんと見てるはずだから、看過しておけ」的な御返事を頂き、なんだかずいぶん、気が楽になったような感じがありました。


僕の性格として、なにか疑問や矛盾、問題なんかがあると、ついとことん追求してしまうのです。粘着系なんですよね。それが、芸術や音楽方面に発揮されれば、その研究成果や効果も絶大でしょうが、人間関係や社会に向けられると、大変なことになってしまいますね。


僕は知らないうちに、いろんな事を背負いすぎて潰れかけてたのかも知れません。

背負いすぎて掴みすぎて、あらゆる物を持ちすぎてたために、新しいものを掴めるような余裕すらなかったんでしょう。だって、あまりに持ちすぎてたら、もう持ちきれませんから。

それは過去も一緒ですね。

自分で、等身大メモリーという曲で、そういうこと歌ってるじゃないですか。それなのに、自分自身は、それをなかなか実行できないんですね。

あれは自分に対する戒めの歌なんだろうな。自分に言ってる。そういえば、「To ME」というアルバムに入ってるわ。

なるほど。

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2011年8月15日

音楽に救われてる話

過去ログはいよいよ2月に突入。街はランタンフェスティバルだった。この辺から5月くらいまで、僕の日常が大変なことになっていく。その最初の出来事が、これから紹介するある事件だった。今振り返ると、何かの暗示だったのかもしれない。

これは最初、いつものようにツイッターのログだけ貼ろうと思ったのだけど、それだけじゃ説明し切れる内容じゃないなと思い、どうしようかな、と考えたところ、ふと、そういえばミクシーの日記で、この事を詳しく書いたはずだ、と思い出したので、そのミクシー日記2日分とともに、全部を転載しますね。

【1】
実は最近、安保→ブント→赤軍関係を読み漁ってた。
これはもちろん、先日の連合赤軍の永田洋子氏死亡がきっかけだったけど、あの事件は本当に今でもトラウマで、それはあの有名な「あさま山荘」の中継で、というよりも、その後、母から聴かされた、「総括という名のリンチ」の実態が壮絶だったから、というのがすごいでかい。あさま山荘でぶっ壊したり撃ち合いやってても、テレビ中継じゃ現実味なくて、ネタかドリフか?みたいな感覚しかないけど、その後に明らかになったリンチについては、子供心にドン引きしたからなあ。
これの怖さは、残酷だということももちろんだけど、他ならぬ自分自身が、そういうことは絶対しない、とは「言い切れない」部分にあると思う。思えば、苛めも苛められもあったし、部活内でのシゴキとか、先輩からの説教とか、あとはクラスでも、帰りの会の悪者吊るし上げとか、似たようなことはみんな経験してるでしょ。連合赤軍の総括は、それの延長上で、究極のスタイルなだけだから、そういう意味じゃ、僕らだってさしてかわらん。
あと、当時は、すごいオトナのヒトがやってるんだと思ってたけど、実際は、みんな子どもだよね。若者。

それから、思想面では。
僕らが多感だった時代は、ああいった左系の思想がかっこいいし正しいと、周りの多くのヒトが思っていた。メディアもそうだし、学校での先生とかもそうだし、うちの父も、労働組合の委員長とかやってたので、けっこうバリバリだったんだよね。そういったこと全部踏まえて、僕はたぶん、そういうことよく考えもせず信じてた自分に、なんだかバツの悪さを感じて、なので大人になってからは考えないようにしてた。でも今回、この永田氏の死亡がきっかけで、もういちど、どういう事件だったのか、それから、人はどういう流れで、こんな偏った考えに至ってしまうのか、その辺をじっくり考えてみたいと思ったんだよね。

まず映画が3個あるんですがね、「突入せよ」は、あれは犯人が何考えてるかわからないので。しかし、どんだけ警察に迷惑かけたかは判るけどね。そんで、それ以外の2本が参考になると思うけど、僕が見たのは、いちばんリアルだと言われてる、「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」っていうやつだね。これは「キャタピラー」の監督の映画です。そんで、ココにはリンク張らないけど、ネットでリアルな話が全部読めます。リアルすぎて気持ち悪くなるので張らないし、もういっかい注意しておきます。安易な気持ちで検索して読まないように。そんで、それ読んでから、映画観る。映画は、それなりに脚色と美化と端折りが入ってるから、その辺の知識あった上で見たほうがいいけど、読んでなくても、じゅうぶんすごい。これも、安易に見ないように。トラウマになるよ。
まあそんなわけで、どういう流れでああなったのか。今回やっとなんとなくつかめてきた。興味本位であれ、なんであれ、心の奥にずーーーっと引っかかってるものは、ちゃんとさらいなおして、自分を「総括」したほうがいいね。いつまでも逃げてるのはよくない。心にずっしりと重く、数日気分悪かったけど、それでも、いろいろさらってみて本当によかったと思ってる。

それから、最後に、いちばん僕が今回思ったコト書く。
それは、僕は本当に音楽に救われてるってことだ。さっきも書いたけど、僕にだって、そういう「要素」はあったんだよ。誰だって、しかねない、やりかねないことだった。でも僕の場合、常に「音楽」があって、そっちへの興味とベクトルがハンパないエネルギーだったので、反れずに済んだだけだった。「音楽」という「宗教」で言えば、ぼくだって、じゅうぶん「カルト」なのですよ。それがただ「音楽だったから」助かってるだけ。僕が生きてるのは、音楽のおかげ。それを、今後もしっかり認識して生きて行きたいと思ったね。


【2】
連合赤軍の話の続き。
最後に、自分は音楽に夢中になれたお陰で横道にそれずに、生きられたんだ、ということ書いたけど、それ書いたのは理由があるんです。じつは、連合赤軍関係の話を家で読んでたときに、仕事の打ち合わせがあるので、と、ある社長さんに呼び出されたのですよ。判りましたーということで、出かけてまいりますと、なんと…

ネットワーク商法の勧誘でした…。
まあ、マルチやってる人みんな否定するわけじゃないけど、こっちは、音楽製作で、そんな暇ないですよ。そんなことも判ろうとせずに、自分の都合で巻き込もうとするなんて。それは、ちょうど読んでた連合赤軍の話と一緒じゃん!!って凄く思ったんだよ。そんな暇があるような職業だと思われ、これはずいぶんと、なめられたわけですよねー。しかも、そのとき僕は、別件の約束があって連絡を待ってたのですが、連絡来ないなーと思ってふと携帯見たら…

圏外!!! 地下室で勧誘されて、圏外!

総括される!って思ってすごいビビリました!笑。
まあそんなんで、グッタリして帰宅し、ああ僕は、音楽というものがあることで、いろんな寄り道をせずに、生きて来れてるんだ、と。つくづく思ったわけです。そうじゃなけりゃ、とっくに人生終わってますね。生きててよかったです。これからも生きたいです。

ココまでが日記。今読み返すと、中身にいろんな暗示があるね。この後、自分に大変なことが起こるわけだけど、その前兆というか、いろんな想いが既に読み取れる。

補足として、同時期に書いてた、いつものツイッターの過去ログを貼ります。こっちではぶっちゃけてる。これが本音だと思う。


昨日のマルチ勧誘の話はいろいろ考えさせられた。親の会社潰しちゃった2代目元社長アラフィフ。ヒトってそう簡単には変われないんだよなあって。痛い目いろいろ遭って自分も目が覚めた、とか言ってたけど、マルチ誘ってる時点で、ちっとも目が覚めてないよ、あんた。

こういった危機に遭うたび、僕はつくづく「音楽に救われている」と思うわけだ。もっと突きつめると「歌う」コトで救われている。一歩間違えば僕だってマルチや赤軍やカルトや、そんなことしかねないような人間だと自覚してるが、その対象とエネルギーは全部音楽に向かったのよね。

音楽という意味では僕はじゅうぶんカルトだよ。オレは音楽で生かされてるんだ、ってことだね。

ほんとよくココまで生きてきたわよね…


この最後の「ホントによく生きて来れた」という発言は、このあと、本当の意味で身に染みることになる。

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2011年8月 1日

音楽について「語る」と言うこと

過去ログも佳境になってきている。ちょうど半年くらい前に、とある「強力な出会い」があったからだね。

この土地に来てからというもの、たくさんの「音楽家」に会ったけども、ちゃんとした音楽の話が出来たためしがなくて、こっちには、そういう話が出来る相手なんか居ないんじゃないか、と半ば絶望してた4年だった。そんなこと思ってた時に、すごい偶然で出会えたので、これはもう運命だったとしかいえないだろうな。

ということで今回は、作曲家ツツミさんの事を語っている。


ツツミさんはウタダをすごいって言ってたらしい。僕はどうだったか?と尋ねられたので、単純に歌をコピーして歌おうと思って出来なかったので、難しい悔しいと思った、と応えた。

ツツミさんは完全に仕事と割り切り「自分の音楽」というものをした事がない、言っていたらしいのだけど、僕が聴くと全部ツツミさんのメロでコードなんだよなあ。それを「計算で」やっていたと言うなら、じゃあなんで全部好みだったんだろう?という疑問がわく。僕の好み=大衆の好みだったってこと?

ぜんぶ狙って、あのコードとメロだったとすると、それはそれですごい。「気持ちいいから」ではなく「これが受けるから」やってたってことだよね。ポテンシャル高すぎだよね。

僕は自分が気持ちいいことしかやってない。そういう意味では僕は、職業作曲家が計算で生んだ音楽を気持ちいいと感じ、再現して浸ってるってことでしょ。結果的に、自分は気持ちいいが作品として職業的に成り立ってもいる、という音楽になってると言う、不思議なことなわけだな。面白いよな。

そうすっと、以前ここで言った、作家の気持ちにリンクする、というのも勘違いって事になるだろう。ただの片思いだ。でも表面上は違いが判らないのだ。

まあただ「気持ちいい」にも種類があるからね、音として気持ちいい、仕事として完成度高くて気持ちいい、人が簡単に演奏出来ないの書いてざまみろと思って気持ちいいw とか。どれでも「気持ちいい」ことにはかわらん。

話変わって、レノンブライアン流派、マッカ筒美流派、というのがあるって話があって、それは拓郎流派と陽水流派との違いにも通じて、というような、暗号のような会話もした。

ツツミさん、拓郎のこと一目置いてたらしいのだけど、それは同じ流派だったからか、違う流派だったからなのか、ぼくらは意見が分かれた。


意見が分かれた、で終わりになってるけど、この後ちゃんと本人の話を発見して結論が出てる。私も意地悪だから、ここには書かない。読んだ皆様で考えてみてはいかがでしょう。笑。

作曲と言うものは、もちろん仕事でもあるけど、ある種の美学だと思っていて、それはある領域まで達することが出来た者だけが、楽しむことの出来る「至高の嗜み」みたいなものなんだよね。優れた職人芸であり、計算しつくされた仕事であり、極めて数学的なものである。声を出して何かの啓示を待ってたところで、いい音楽など出来やしないのだ。

もちろん私だって、まだまだ極めてない領域。今後も目指し続けるんだよ。もちろん。

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