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2011年7月16日

とある「女子」歌手の策略

さて。

この土地で、個人的に非常に仲の悪い女性歌手が居ます。「なんで仲が悪いの?」とよく訊かれるので、いつも「向こうが嫌ってるから」と自虐を込めて答えるのですが、それ以上の具体的なことは言ったことがありません。

別にそれでもいいと思ってたのですが、最近また訊かれるようになり、ただ意味もなく、感情で毛嫌いしてる、と思われるのもあれなので、きっかけになった出来事を書いておこうと思います。


この土地に縁ができ、ある会社のツテで、こちらでの初ライブが実現する直前のことでした。僕のサイトに掲載されていた連絡先からメールをくれたヒトが居ました。それが、その「女性歌手」です。

内容は「ちょっとお伝えしたいことがあるので是非会いたい」ということでした(当時はまだ、お互い東京在住)。この手の商売はとかく怪しい人が多いので、当然私は警戒しましたが、わざわざネットで検索して「会いたい」まで言って頂けるのだから、何か特段の理由でもあるのかもしれないとも思いまして、お返事をしまして「どういうことなのですか?」と尋ねますと、「長崎でのライブについて、ちょっと忠告したいことがあるのです」と言うのですよ。

この時点で私は「お互いいい歳でオトナなのに、なにを忠告するというのだろう、まあオレ若く見られるし、新人と思われたかな」などと思いました。ここで以前からいろいろ書いてたので知ってる方も多いと思いますが、実はその数年前、CD「マルコポール」が自称オトナの良識派という人々に散々貶される、というトラウマ事件がありまして、そういう余計な世話焼きはコリゴリでしたので、またかよ!と思い、一気に警戒心が高まりました。

とは言うものの、今から初めてライブをする土地に関して、忠告がある、というのも気になることではありますね。結局私は、警戒心よりも、それに対する興味のほうが勝ってしまいまして「会って話を聞くくらいならまあいいか」と思い、アポを取って会うことにしたわけです。

初めて会ったのは下北沢のカフェだったと思います。雨の日でしたね。下北にしたのは理由がありました。私の友人の作曲家が下北に住んでおり、その女性と会う前に、この件について相談してたんですね。いちおう、こういうことがあった、何かあったら頼む、と言っておいたわけです。

ということで、その友人と話した後に、彼女に会いました。当時の彼女の印象は、今とほとんど変わりません。こういうヒトが今も居たんだなあ、という感じです。で、肝心の話の内容なのですが、「あなた(つまり私)が今付き合っているあの土地の人々はインチキなので近づかないほうがよい」というものでした。

私の経験上「誰彼がインチキである」とわざわざ忠告する人は、その人自身が一番インチキである、という持論がありまして(正義感の塊なのかもしれませんが)、そんなこともあり私の中の警戒心は一挙に高まりまして、即座に「この人は私とは決して合わないと思う」と感じました。

その後も彼女の話はほぼ一貫して、この土地の業界関係者(彼女が知りうる範囲での)についての酷評でした。私は彼女の話を聴きながら、なんとなく小学生時代のクラスの女子どおしの争いとか、帰りの反省会の「今日、A君がこんな事をしていました。良くないと思います!」みたいなことを思い出していました。まさに「女子」なんです。

そんな、マイナス気分になる話をたくさん聴かされ、雨の中、ぐんなりした気分で帰宅しました。


そんな彼女の話、真に受けることはない、と思ってはいたものの、影響は受けるでしょ?その後の初長崎ライブで、土地の人々に接待されたり、打ち合わせしたり、いろんな会合がありましたけども、彼女の「忠告」が頭から離れず、どれも上の空で、まったく楽しめなかった。誰かと話していても「こいつは信用できるのか?」「こいつが、あの女子の言ってたインチキ野郎か?」などと常に勘ぐりながら接することになり、ホトホト疲れてしまいました。

そして、私をこうして振り回し、活動に水を注した彼女のことは、同業として「許せない」と思うようになったというわけなんですね。


私が言いたいのは、誰が個人的に誰を嫌いだろうと、信用できなかろうと、それは自由だし勝手だが、それに、他人まで巻き込んで強制して押し付けるな、ってことです。私達は皆、いいオトナで経験も判断力もあり、そんなことは誰かに言われなくても、ちゃんと判断できるはずですし、それで失敗しても、それはそれでまたひとつ学習したな、ってことじゃないですか。

今思うと、彼女がしたかったのは私を「自分の傘下に入れること」だったんだろうと思います。下北沢のあと、また2度くらい話す機会があって、それを強く感じました。私の為じゃないんです。自分を守る為なんだなあって。あの人たちは悪い子だから、自分の側につきなさい、ってことですね。派閥。グループ。ホントに「小学生」です。

その後は、ふたりともほぼ同時期に、こちらに移住(彼女は帰郷)し、また様々なことが起こるのですが、それはまた別の機会に(いや、別にそれは書かなくてもいいか)。


あれから5年くらい経ちました。人はそうそう変わらないので、今でも彼女は同じままだと思います。

おもしろいことに、私はこちらに移住してから、彼女と似たようなタイプのヒトに深く関わることになりました。音楽的には非常に尊敬できるヒトで、その一点だけは彼女と異なりますが、それ以外の気質については、共通点が多いと思います。

そんな似たものどおしの二人がなんと!コラボする、ということになったようで、因縁を感じます。まあ、ある意味楽しみでもありますが。いいものが出来る事を祈っています(補足:結果として「いいもの」にはなりませんでした。残念ですが仕方がないです。私がとやかく言うことではありませんね)。

でもそれは、できれば、私とは関わりのない、目の届かない、遠く距離を置いた世界で行われるのが望ましいです。

Good Luck.


追記。
その後なんとなくこのこと考えてたんだけど、その女性歌手、この土地に私を関わらせたくなかったのかもしれない。自分の故郷を乱すな、穢すな、的な。排他的な何か。

だって、私がこの土地に関して、凄く怪しいのではないか、という偏見を持ったのは、この出来事が発端で、今もそれは払拭されていない。つまり、その女性歌手が、この土地はインチキです、と私に吹き込んだ、ということなので、それはそれですごいなあと思った。自分が認めたもの、正しいと思ったものだけを、自分の故郷に置いておきたいわけでしょ。だから最終的には彼女は、私そのものを、無意識のうちにここから排除したいと思ってるのかもしれない。だとすれば、なんと空恐ろしい考え方なのだろう。

そうして私を排除しておきながら、自分は散々悪口を言っていた相手と、ちゃっかりその後も仕事してたりするわけで、意味がわからない。それで、本人の歌の作風が、あんな様子なわけで。私が彼女の事を「腹黒で信用出来ない」と言う理由が判るだろう。


【追記 その2】
一応書いておくけど、このことについては、彼女に直接、注意したことがあるので。陰でこうして悪口を言っていると思われるのも嫌なので、それは明言しておきます。「そんなことを言う貴女こそ僕は信用できないと思った」と。彼女に伝えた。まあでも、そのことで彼女が理解したようには、僕には思えなかった。

言って理解できるような人間なら、とっくに直ってるはずなので、おそらく今後も変わることは無いでしょう。実際、彼女は移住後にも、自分のブログ等で、同業者と思われる他人の悪口をよく書いている。そう、ちょうど今僕がココでこうして書いているように(面白いことに、その彼女のコラボ相手という人もブログで悪口を書く人なのだw)。

因果応報。というのが僕の結論だね。

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2011年7月15日

うたう

このツイッターの過去ログはちょうど半年くらい前のものだ、と書いたけど、何で半年前のを転載してるのか、っていうと、これより後になると見られなくなってしまうから。なので消える前に、いい発言は残しておこう、ということなのね。
まあそういう仕組みは置いておいて、半年前の頃、何かの啓示があったらしく、けっこういいのが残ってるので、こうして転載記事も増えるということです。

ということで引き続き、自分の創作に関しての発言が続いてる。いいね。


こっち来てよかったこともある。自分の中の「歌うヒト」欲が明確になったことだ。他人の録音をすればするほど、こんなのは自分ではない、自分は歌う人間だ、という気持ちが強くなり、自身のライブ活動を続けることに拘った。これは東京時代には無かった。なぜなら

録音物を公開して売るだけで、音楽家と思われてたからだ。今思えばそれは、ものすごく恵まれてたと思う。いまどき、表で歌ったりもせずにアーティストと思ってもらえることなんかないだろうし、今後もないだろうね。しかし

それは録音物軽視ということじゃない。レコードは遺作であり遺書であり墓である。一生残る自分の生きた証でメッセージ。その道は決して外れないが、ヒキコモリ体質の僕を引っ張り出して、ライブ活動させる気にさせてくれたことには感謝してるね。

狛江にもライブバーがあった。一度出る寸前の気持ちまで行って店に顔を出したが、最後の一歩が踏み出せずライブしなかった。まあ狛江でやっても誰が来るのかって話はあるだろうな。伊勢原の人は来てくれるって言ってたけど。だったら町田とかでもよかった気がするよな。

そういえば町田の連絡通路でピアノ弾いてたあんちゃんは元気かな。ピアノで路上って当時はまだ珍しかった。CDもちょこちょこ通行人が買ってたな。韓国のヒトだった気がする。

狛江でしなかった理由思い出した。あのとき新譜が無かったからだ。「FUSEKI」の制作に入ってなかったんだ。過去の曲するだけなのに、わざわざする意味ないなって思ったんだ。

マルコポールの批判のリベンジになるアルバムが自分のためにも急務と感じてて、それをライブ再開の絶対条件と考えてたんだ。当時。そうだったなあ。

僕はアーティスト名は本名だが、やっぱりそれはそういうキャラを演じてたんだと思う(途中で漢字になってるけど、それはあまり、キャラ問題とは関係ない)。ハルカゼさんが「むし」という名前で世界を創ってたのとどこか似てると思った。

らじおから今井みきのピースオブマイウィッシュが流れてる。これも黄金のカノンだよねえ。サビのコードでそのままエバグリが歌える。というか、ココから取ったような気もするw

僕の曲創りはアカペラの鼻歌ストックDatテープに無数に入ってるメロを元にしてコード付けてく事が多い。メロは素人でもできる。だから昔のも使えるが、コードを付けるのはプロの仕事だと僕は思ってるので、自分の成長までコード付けを待っていたんだよね。

20年前の自分と今の自分のコラボみたいな感じ。一本線でしかなかったメロが、コード付けによって、スパーンと世界が広がるダイナミクスはほんとエクスタシーに匹敵する。この快感だけのために生きてると言ってもいいような。

全体をそう作るわけじゃない。あるものはサビがそうだったり、あるものはAメロがそうだったりする。他の部分はそれをモチーフに現在進行の自分がつけてく。そうして自分の中で時空を超えた感じになってく。

僕の曲が自分の全時代を反映してるのはそういう理由なんじゃないかと思う。僕自身、自分の曲を「これはちょっと古い」とか「これは未熟」とか思う事がほとんどないので。

ええことやなあ…


ここまで。
人は何かと対峙したりすることで、自分がよく判る、見える、ということがあるね。僕の好きなロバートフリップの言葉で「嫌いな相手にわざわざ会いに行くこともある。そうすると自分自身のことがよくわかり、進むべき道もわかる」というのがある。逆境であればこそ、掴むものもたくさんあるってことだ。半年前の自分が掴んだのは、そういうことだろう。他人の世話ばかりしているうち、自分の欲求が確かなものとなっていった過程が吐露されてるのね。

あとライブ活動に関するポリシーもココではっきりさせてる。主体はあくまでレコーディングにあり、それの成就のためライブ活動がある、という今の僕の考え方が、ここでも別な言い方で書かれてるね。新譜がないなら、つまり、売る商品がないなら、する意味はないのだ、ということ。これが基本スタンス。

1月の東京ツアーに出るのはこのちょっと後だね。1月の東京は楽しかった。その理由がここで少し垣間見れるわけだな。なるほど。

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