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2011年6月22日

裸にしたい

これも過去ログで見つけたいい話。

10ccのFor You And Iという曲があるのだが、友人がいつもそれをピアノ弾き語ってて、何の曲か知らずにいい曲だなあと思って聴いてて、ずいぶん後になって10ccのオリジナルバージョンを聴いたら全然よくなくて相当がっかりしたってことがあった。

その友人は元々Bassで、作曲の勉強をしてていろんなロックやポップスの曲をミミコピしてピアノで弾いてたんだよね。本職Bassだからちょうど今の僕みたいに簡素化伴奏で弾いてたわけ。それがすごく新鮮で、いい曲ってのはシンプルが最も映えるんだなあと気付いたんだな。

今の僕のピアノスタイルは、その友人の簡素スタイルが結構影響あるんだよ。コードひとつひとつを四角いタイルみたいに並べてもちゃんと形になるんだ、っていうすごい発見だった。

それまでの僕は「売ってる最終形=完成形」と考えてた。だからアレンジ嫌いだと曲も聴かなかった。でもそうやって装飾全部取っ払ってみることで必ずしもそうじゃないって気付いて、それ以降音楽をそうやって簡素化して聴く癖がついた。そんでそのままそれが僕の作風になったんだ。

曲の元を構成してる部品にしか興味がなくなったのね。装飾は邪魔だと考えるようになった。それでも、こないだ書いたように幼少の頃の楽器やグルーブの気持ちよさは残ってるから、そこだけは生きてるのね。


ツイッターやってると、誰かの発言がモチーフになったりして、思わぬ事を思い出したり考え付いたりする。前回や今回のこういうのは、そういう一環で書かれたもので、自分自身もすごい興味深いのね。もちろん自分でも、薄々こういうこと思ってやってるわけだけど、具体的に説明したり言葉にしたりってのは、機会がないとなかなかしないからね。

幼児期の自分から辿っていくと、まずメロディに惹かれて歌い始めて、エイトビートがカッケーと思って、あとはアニマルズでペンタトニックってかっこいいなと好きになって、セサミストリートで凝ったコード進行と転調と、あとファンクビートを憶えたんだね。それらが音楽的な素養となり、あとは、音源公開シリーズで書いたように、録音マニアとしての僕、これらが合体して今の作風になっている、ということだと思うのね。


ここで書かれてる、アレンジと楽曲本体は本来まったく違うものだ、という発見は、僕にとっても相当大きな出来事でね、それを知り得たからこそ、その後の僕が大躍進したわけだから、人生にとってもカナリなでかいことだね。

その後も全ての楽曲を素っ裸にして、コードとメロだけにして研究するという作業をずっと続けた。裸にすると実につまらない曲、裸にすると実はいい曲だったと発見する曲、どちらの場合もいい曲、そんないろんなバリエーションがあった。


この経験以降、僕はアレンジだけで売ってるような曲の事を「マネキンの服だけ売ってるみたいな音楽」と呼ぶようになる。人間が居ないわけ。服だけ。それで、ちょうどこういうのを研究し始めた頃、サンプリングという手法が一般化してきて、なんでも既成の音を並べて創る事が可能になったので、実際に演奏しなくても「かっこいい誰か他人の演奏」を貼りあわせて「自分の音楽です」って言い張ることが出来るようになったのね。ピチカート5とかがやったそういうのは確かに新鮮だったけど、僕は「何かを産んでいる」とは思って居なかった。つまり何か別の表現形態だと思って、音楽とは分けて考えてたね。

そういうの好きなヒトも居るだろうし、好みだとは思うけど、例えば僕が大好きな LED ZEPPELIN とかは音響系と言ってもいいようなものだし、その辺どう区分するのか、という問題はあるけど、でも、Zepは演奏してるからね。その辺が、僕とサンプリング系のヒトの棲み分けの境目だと思う。


僕だって服のセンスはないし、スタイリストさんにセレクトしてもらって着たりしてるし、アレンジだって音だって、そういうことなんだろう。ただ僕は、自分自身が「歌うヒト」で、人間のパフォーマンスを主体としてる、という部分がカナリ大きいので、そこは幼児期から歌っててホントによかったと思う。

あちこちで書いてる僕のプロフィール「うたうヒト」というのは、別にチャラけて書いてるわけじゃなくて本音なんだよ。

うたうヒトだから。僕は。

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