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2011年6月28日

非実在アイドル

過去ログは、ちょうど半年前のが現れてくる仕組みなので、自分が半年前に何を考えてたのかが思い出されておもしろいのよね。最近、ココにわざわざ転記することが多いってことは、ちょうど半年前頃、興味深いこといろいろ考えてたって事だと思うので、そこ含めてなるほどと思ってる。

で、今回の分は年末のアイドルイベントについていろいろ書かれてある。


今回の件ではいろいろ反省もした。あと、なぜ僕は女性ヴォーカルに歌を歌って欲しいのか、そもそもそこをもう一度考え直したらどうなのか、ということも思った。

僕の曲はおなのこ向きだと言われてたし、実際おなのこが歌ったほうが人気があると思ってた。でもそれはもう5年も前の話で、今は僕がセルフカバーで歌っていて、その僕のバージョンがちゃんと浸透してて人気もある。ならば、今さらそこに拘らなくてもいいんじゃないか、と少し思ったのだ。

あと今回、東京のリカちゃんを迎えて、彼女のオケと楽曲がすごいしっかりしてたので、ヴォーカロイドの台頭もあるし、5年前と違って僕の出番も無いし、それでじゅうぶんだしって思った。

なんか、いろいろ気のせいなんじゃないかって気付いたんだな。僕のすることはもっと違うんじゃないかって。

今毎日うたれんしてるでしょ。もう完全にアーティストでしょ。この期に及んで今さらアイドルとかそういうの無いんじゃないかって思ったんだな。なんか、もういいやって。苦労ばかりして全然報われないのになんで続けてるのかって思ってさ。


僕の曲が女の子ムキだってコトは、以前ココで音源公開した時にも書いたけど、それも良し悪しで、時と場合と条件によるだろう、ってことなんだろう。「アイドル」などという商売をしようと思ってるコは、自分は商品価値がある、と信じきってる部分がカナリ大きいので、そこの対処を間違うと、相手を無駄に天狗にさせたうえ、切れられてしまうので、ちゃんとしなきゃいかんのだ、ってことは学んだかな。まあアイドルに限らないけど、プライドに実力が伴ってない人の扱いは難しいってことでしょう。何処でもどの時代も誰でも。そして私も。ふふ。

まあそんな流れで、みんなヴォーカロイドに走った気持ちもよく判ります。笑。

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2011年6月22日

裸にしたい

これも過去ログで見つけたいい話。

10ccのFor You And Iという曲があるのだが、友人がいつもそれをピアノ弾き語ってて、何の曲か知らずにいい曲だなあと思って聴いてて、ずいぶん後になって10ccのオリジナルバージョンを聴いたら全然よくなくて相当がっかりしたってことがあった。

その友人は元々Bassで、作曲の勉強をしてていろんなロックやポップスの曲をミミコピしてピアノで弾いてたんだよね。本職Bassだからちょうど今の僕みたいに簡素化伴奏で弾いてたわけ。それがすごく新鮮で、いい曲ってのはシンプルが最も映えるんだなあと気付いたんだな。

今の僕のピアノスタイルは、その友人の簡素スタイルが結構影響あるんだよ。コードひとつひとつを四角いタイルみたいに並べてもちゃんと形になるんだ、っていうすごい発見だった。

それまでの僕は「売ってる最終形=完成形」と考えてた。だからアレンジ嫌いだと曲も聴かなかった。でもそうやって装飾全部取っ払ってみることで必ずしもそうじゃないって気付いて、それ以降音楽をそうやって簡素化して聴く癖がついた。そんでそのままそれが僕の作風になったんだ。

曲の元を構成してる部品にしか興味がなくなったのね。装飾は邪魔だと考えるようになった。それでも、こないだ書いたように幼少の頃の楽器やグルーブの気持ちよさは残ってるから、そこだけは生きてるのね。


ツイッターやってると、誰かの発言がモチーフになったりして、思わぬ事を思い出したり考え付いたりする。前回や今回のこういうのは、そういう一環で書かれたもので、自分自身もすごい興味深いのね。もちろん自分でも、薄々こういうこと思ってやってるわけだけど、具体的に説明したり言葉にしたりってのは、機会がないとなかなかしないからね。

幼児期の自分から辿っていくと、まずメロディに惹かれて歌い始めて、エイトビートがカッケーと思って、あとはアニマルズでペンタトニックってかっこいいなと好きになって、セサミストリートで凝ったコード進行と転調と、あとファンクビートを憶えたんだね。それらが音楽的な素養となり、あとは、音源公開シリーズで書いたように、録音マニアとしての僕、これらが合体して今の作風になっている、ということだと思うのね。


ここで書かれてる、アレンジと楽曲本体は本来まったく違うものだ、という発見は、僕にとっても相当大きな出来事でね、それを知り得たからこそ、その後の僕が大躍進したわけだから、人生にとってもカナリなでかいことだね。

その後も全ての楽曲を素っ裸にして、コードとメロだけにして研究するという作業をずっと続けた。裸にすると実につまらない曲、裸にすると実はいい曲だったと発見する曲、どちらの場合もいい曲、そんないろんなバリエーションがあった。


この経験以降、僕はアレンジだけで売ってるような曲の事を「マネキンの服だけ売ってるみたいな音楽」と呼ぶようになる。人間が居ないわけ。服だけ。それで、ちょうどこういうのを研究し始めた頃、サンプリングという手法が一般化してきて、なんでも既成の音を並べて創る事が可能になったので、実際に演奏しなくても「かっこいい誰か他人の演奏」を貼りあわせて「自分の音楽です」って言い張ることが出来るようになったのね。ピチカート5とかがやったそういうのは確かに新鮮だったけど、僕は「何かを産んでいる」とは思って居なかった。つまり何か別の表現形態だと思って、音楽とは分けて考えてたね。

そういうの好きなヒトも居るだろうし、好みだとは思うけど、例えば僕が大好きな LED ZEPPELIN とかは音響系と言ってもいいようなものだし、その辺どう区分するのか、という問題はあるけど、でも、Zepは演奏してるからね。その辺が、僕とサンプリング系のヒトの棲み分けの境目だと思う。


僕だって服のセンスはないし、スタイリストさんにセレクトしてもらって着たりしてるし、アレンジだって音だって、そういうことなんだろう。ただ僕は、自分自身が「歌うヒト」で、人間のパフォーマンスを主体としてる、という部分がカナリ大きいので、そこは幼児期から歌っててホントによかったと思う。

あちこちで書いてる僕のプロフィール「うたうヒト」というのは、別にチャラけて書いてるわけじゃなくて本音なんだよ。

うたうヒトだから。僕は。

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2011年6月16日

無理解の空しさ

ちょっと昔のポスト見てたら、こんなのが出てきたのでメモとして残しておく。


昨日ステージのあと、ある方と偶然会い深い話をしたのだが、僕の作風とアーティスト性について実に的確に言うのですごいびっくりして、自分の活動や考え方は正しいんだなと自信がついた。

21世紀に入って、僕に迷いが出たのは、マルコポール(ベスト盤)の時にすごい叩かれたのが原因だったわけなんだけど、別に僕のやり方は間違ってない、と言ってくれたのはカナリ大きかったな。そうして到達する考えがまたしても「普通の人は放っておけ」であった。うん。負けへんで。

マルコポールの時に辛かったのは、同世代とそれ以上の人たちからすごい叩かれたことだった。別に若いヒトや普通のヒトに叩かれても叱咤激励に思うだけだけど、同世代には共感して欲しかったから、それをまったく得られず「いい年して何やってんの?」的な言われ方をしたことには本当にショックを受けた。

おまえらこういうの好きだったじゃないか?どうしたんだよ??っていう感じ。あと、メジャーリリースのあとだったのに、いつまでも芽が出ず夢を追って足掻いてるのね…、みたいな哀れみ直言すらあった。この経験以降、同世代以上の人々とは一切付き合わないようになったのよね。

全員にあまり反応なかったなら自分の実力不足だと思える。でも1世代下とか若いコにはすごい喜んでもらったんだ。だから、硬化した心と耳には僕の音楽は響かないんだって、なんか世代に対する絶望感みたいなこと思ったのよね。

まあその叩かれた経験もマイナスばかりじゃないよ。その後、どの方向からどんな叩かれ方をしても大丈夫なように耐性ついたから。これはアーティストとしてとっても重要なことじゃないかなあ。

Zeppelin研究もスペクター極悪人論文もそのためにある。自分の周りに要塞を構築したわけだよ。てめえらなめんなよ、が全ての原点。今ラジオ二つやってたりするんも全部同じ。全方向からの攻撃に備えてるわけだね。

その深い話をしてくれたヒト、ストンズと僕を比較してたのが結構面白かったなあ。80年代頃ヒヨったりワンパターンな事を揶揄するヒトもいたが今はそんな人いないでしょ?って。僕のことも、そういうことでしょ?と言ってたんだね。うむ。

しかもその人は僕と同世代だった。同世代で同意見のヒトに出会えると、すごく心強いね。



いい話だな。
オレにはオレの「一芸」があるんだよ。
負けてたまるかバカやろう。って感じだね。

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