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2011年5月25日

特殊メイクとか

一度、僕とレコーディングをしてから、いろいろあって僕の元を離れた人たち。そんな人々の噂はその後もいろいろ僕の元に入ってくるわけですが、みんなレコーディングにすごい苦労してるようです。

ココでずっと音源上げてましたが、聴いてもらうと判るように、僕は多重録音マニアで、録った音は素材に過ぎず、それをその後どのように加工して遊ぶか、ということが僕にとって重要だったりします。

まあそういうことは、DJや最近のデスクトップアーティストでも出来ることですが、僕がその彼らと異なるのは、自分自身が「うたう作曲家」なので、それをより「音楽的に」綺麗に仕上げてしまうことが、まあ「売り」と言いますか、特技になっていることだと思います。

やっぱり僕も音楽をしている人間である以上は、完成品は「音楽的に美しく」仕上がるのが真理、みたいな部分があります。そうすると、録音した作品の中に「音楽的に不整合」な部分があると、どうしても「修正」したくなっちゃうんですね。

どれを持って「不整合」とするかは、人それぞれの美意識とかセンスとかになってくるのでしょうけど、音楽的、ということで言えば、基本的には「音程」とか「リズム」になってくるでしょうね。もっと突っ込める相手であれば「そこのコードは違う」と言うこともあります。

そういう部分をリリースに当たり、私の場合ほとんど直してしまうのです。というか、直さないと気持ち悪いので、そういうものを「自分の仕事」として発表したくないので、自分のためにもそうする、ということですね。

コードは直せないだろう?と言われるかもですが、演奏をMIDIデータで録っていた場合は、構成音をチャチャチャっと変えれば、コードは変更できます。プレイはそのまま、鳴ってる和音だけ変わるわけです。

そうして、うちで録ってリリースしたものは、多かれ少なかれ、そういった加工された音になってるわけです。

こういうことを「よくない」というヒトも多いですが、僕の場合「売られてる商品」という意味では、多少の「メイク」は不可欠だと思ってるんですね。また、僕がそういう加工をすることで、お互いに経済的、時間的に、負担もずいぶん軽減されるのです。

ということで、リリースされる「音」ということでは、それは決して悪いことではない、という信条の元、僕はそれらを実行してたのですが、最近その弊害を、想像してたのとは別な意味で感じるようになったのです。

それは最初書いたように、僕のところでレコーディングしたヒトが、みんな他所に行って苦労してる、と聞いたからですね。つまり、他所の人はそこまでの特殊メイクをしてくれませんから、全部ほぼ「素っ裸」になってしまう訳です。そうすると、レコーディングの際に「完璧な」演奏をしなくてはなりません。

やったことのある人なら全員判ると思いますが、レコーディングで完璧に近い演奏をする、というのは並大抵の意識では出来ません。


僕の元を離れた人たちの、そういう苦労を最近になっていろいろ耳にし、何でもかんでも簡単に請け負ってしまうのは、よくないことなんじゃないか、って気づいたんです。

もちろん僕は、ぜんぜん悪気はなく、依頼主のためになることであれば、それこそ写真館に飾られる写真のように、簡単に美しく仕上げてあげることが仕事だ、と思って頑張っていました。

でも今振り返ると、それは依頼主のため、でももちろんあるのですが「不整合な音楽は堪えられないので直す」という、自分自身の快感のためにやったことでもあり、結局僕は「僕のために」それをしてたんだ、と思ったんですね。


以前いろいろグチをここでも書きましたが、僕とやってる人はみんな徐々に態度が変化してくるんですけど、それは僕が「簡単に」特殊メイクで綺麗にしてしまうので、彼ら自身が自分の力量を勘違いしてしまうからなんじゃないか、と気付いたんですね。もちろん口では僕に感謝の言葉も言うし、自分の実力も判ってるような事を言うのですけど、やっぱり人間ですので、お客さんとかにチヤホヤされちゃうと変わっちゃうんですね。

ここで何か言ってやりたい気持ちもなくもないですが、みんなもやっと今になって認識してるはずですので、言うまでもない気がしますね。。


大切なものは失って判るものです。それをみんな知ってるようで、でもやっぱり、実際に経験しないとなかなか理解は出来ないものですね。

ヒト付き合いは深いねえ。人生は永遠に勉強ですね。

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