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2011年2月18日

恩知らずなヒト

前回は支払いしない人々について語ったが、「回収」という意味ではお金だけでない部分もある。

昨年、ちょうどツアーから戻った直後の頃のことだ。私がレコーディング&プロデュースを担当していたグループが、福岡の「レコード会社」と称する連中から、まだレコーディング途中である音源を、僕のレーベルからではなく「うちの会社」からリリースしましょう、と甘い声を掛けられる、という事件が起こった。グループリーダーから「可能ならそうしたい」と相談されたとき、僕は耳を疑った。スカウトされたという事実もびっくりしたが、それより何より、そのリーダーが、そういう事が可能だと認識してたこと自体に相当な衝撃を受けた。あまりの衝撃で私はその場で二の句が告げなかった。まさに「恩を仇で返される」である。しかも声を掛けてきたA&R担当者がまた酷く、私がかつて出会ったことのないような極めて常識外れの失礼な人間で、リリース云々が可能かどうか以前の問題として、ちゃんと交渉する気にもさせられないような相手だったのである。このような酷い人間の言葉を、世話になった私よりも優先し、私の元から去ろうと考えたリーダーのオトコ。この事は一生忘れないだろう。

ご存知と思うが、音楽関係の仕事というと、純粋に仕事として様々な事を請け負う以外に、所謂プロダクション的業務というのがある。才能がありそうなタレントを発掘し育てる、という仕事だ。その際もちろん最初はまったくお金は儲からない。つまり先行投資だ。苦労して育てて、才能が発揮されて売れて、初めて投資したお金が戻ってくる。もちろんお金のためではない、素材として何か感じるからこそ育てようと思うわけだが、芸能界を筆頭に、なにかと数年後にトラブルになる事が多いのは、双方の思惑や方向性が違ったりする事が多いからだろう。

私の場合プロダクション業務はやっていないが、来た当初は、この土地の若者を育てたい、という思いがあり、若くてやる気のありそうな奴の相談には積極的に乗り、資金の面は置いておいて、まずやってみよう、とレコーディングなどを請ける事が多かった。もちろんボランティアではないから無償ではない。CDなりなんなり完成後、ちゃんと売り上げ等から返却する、という約束を交わした後、作業に入るわけだ。先述のグループも、そうした若者音楽家集団のひとつだった。

私が面倒をみた人たち、これは男女様々だったが、皆やる気はあるが、率直に言うとクォリティ的にはまだまだ素人同然であった。こちらの考えるレベルには程遠かったり、非常に作業に手間取り、段取りも進まないなど、そういう意味では、プロの仕事よりも数10倍大変である。それでも、若いやつの力になれるなら、と我慢し、根気良くとことん付き合うことも多かった。
みんなは概して、最初のうちはずいぶん腰が低かったのである。自分たちの力量にコンプレックスがあったのかもしれない。ところが、作業が進むにつれ、徐々に自分たちには一端の才能があるもんだ、と勘違いしていくようなのである。つまり、そのような積極的な若者は、そもそも野心の塊のようなもので、実は元々そうした人間性なのだろう。そうして1年も経つと、すっかり町のスター気取りなのであった。
そして、そうしたスター気取りの「アーティストモドキ」になると、一見派手なので、人が寄ってくるようになる。寄ってくる人々の中には同業、というか業界人ももちろん含まれ、様々な美味しい話、派手な仕事が紹介されるようになる。そうすると、地味に僕なんかの面倒を見てもらうよりも、そっちのほうが楽しそうじゃないか、と思うようになるのだろう。

若者の面倒を見る、と言っても、コチラもプロであるから、自分の名前が出る仕事として、クォリティの低いものは発表することは出来ない。素人の若者相手では必然的に時間もかかることになるし、プロデューサとしてOKを出すレベルに程遠ければ、プロモーションもすることも出来ない。ところが、そのように美味しい話に焚き付けられると、なかなかOKを出さない私は「煮え切らない人間」と認識されてゆくのかもしれない。そうして、やっとのことでCD完成、本来であればプロモーション展開、いよいよ投資資金の回収!となった段階で、本人達は、音さえ貰えれば、もう済んだものと考え、そうして費用返済も済まないうちから、さっさと去ってしまおうとするのである。

こうした商売をした人なら判ると思うが、こっちの仕事は「完成後の売るところ」から始まるわけで、純粋に作業費用だけ返済すれば済むという訳ではない。かけた時間や手間は決して戻る事はない。それら「目に見えない部分」に投資した部分を回収すべく、やっと商売として彼らを戦力に使える、という状態になって、みんな居なくなってしまわれたら、それは、言いかたは悪いが「泥棒」である。つまり「踏み台」にされたということである。

レーベルとして若い連中を面倒見ることの気苦労で、一番大変だったのは、みんなのヘマは全部自分の責任になることであった。これは当然と言えば当然なのだが、当初の私は、若者たちの意識について多分に買い被りすぎており、また、東京標準と照らし合わせて、その上達の見込みもずいぶん高く予想していた、ということもあり、したがってずいぶんと楽観的だったと、今振り返って反省している。

前述した、契約や儀理関係での常識の欠如、という部分以外に、パフォーマンス自体の部分でも意識が低く、当初は正直空いた口が塞がらなかった。自分だったら、とてもじゃないが恥ずかしくて人前に出るような意識じゃないだろ、という状態で、本番は何とかなるだろうと思って出て演奏するのである。この意識は演奏レベルにも当然反映されるから、拙い演奏を人前ですることになる。本人が「大丈夫です」というから任せてみたら、こっちが真っ青になった、ということもあった。また素行に関しても、前述のとおり天狗状態の連中については日増しに悪くなる傾向があり、その事で苦情も少なからず耳に入ってきた。
そういったことの諸々も奴ら単独で行っていることなら、恥をかき損をするのは奴ら自身なので自業自得で構わないが、レーベルとして私が引き連れた場合は、私の責任になる。結果、指導不足ということで、関係者その他に「申し訳ない」と謝ることになるのである。

実際に僕は何度も謝った。こんなステージで申し訳ない、こんなレベルで申し訳ない、天狗で申し訳ない…。そうしてイベントごとに謝り続けること。それ自体は、プロデューサ任務として当然のことであるし、それ込みで面倒を見ているつもりだったので、私としては平気だったのだが、後に奴らとトラブルになって気付いたのは、当の奴ら自身は、まったくそんな事を気にもかけていない!ということであった。いや、口では「すいません。がんばります」と言うのである。しかし進歩しないのである。そうして徐々にコチラの精神的負担が増してくるわけだ。そういう流れの中で、唐突な反旗表明となるわけだから、「お前は何様だ!!!??」とぶちきれるわけだ。
そういうわけなので、自分にも一部は責任はあるだろうね。それは認める。私は甘かったし、ずいぶん寛容すぎた。そして、買被りすぎた。ハードルをあげるか、厳しく接するか、どちらかにすればよかったのだ。

モンスターペアレンツだのモンスターゲストだの、昨今いろいろ話題になってるが、私のところのレーベル関係のトラブルも、突き詰めると「これ」なんじゃないかと最近思ってる。というのは、このような諍いの際に、ある女性歌手から「仕事として依頼主に対する態度なのか?」と言われたからだ。
私は、そう言われたとき、その発言にとても違和感を抱いた。言われて気付いたのだが、自分はそれらの依頼を「仕事」と思っていなかった。お金は貰うが、たぶんに「ボランティア」だと思ってたフシがある。先に書いたように、彼ら彼女らは全員未熟で、とてもじゃないがレコーディングなど出来るようなレベルではなかった。支払い分では到底賄えないような精神的負担があった。そこをはっきりせずに「仕事」っぽく請けてしまった自分の甘さもあっただろう。
最初に気付かなかったのか?と疑問に思われるかもしれない。正直、残念ながら、そこまで未熟だと見抜けなかった、途中段階で気付いたが今さら断れなかった、ということだろう。あとは、当人にも「自分は未熟である」という自覚があると思っていたのだ。いつも言うのだが、私は、未熟だったり下手で相手を貶したことはない。その自覚もなく、態度が相応ではないことに憤るのだ。

今の自分には、この土地に溶け込もうとするのは間違いだった、最初のまま「きゃーぶった」野郎として、そのまま貫けばよかった、という反省点がある。あまりに寛容にしすぎて、全員を調子に乗らせてしまった。そこは猛省すべきだろう。もちろん、人と付き合い生きてゆくことにおいて「寛容」ということはとても大切である。しかし、私にとっての音楽とは、そのような生ぬるいものではなく「命を賭けた人生」そのものであり、安易な気持ちで素人と付き合うべきものではなかった。少なくとも、もっともっと、数百倍は吟味すべきだった。そういう意味では、私は「音楽を舐めた」しっぺ返しをくらったのだろう。


この3年で起こったことは、まとめて言えばそういうことばかりだった。何度も書いたように、私が世間知らずだった部分ももちろんある。しかし、東京時代は、そんな交渉もした事がなかったのだ!何故なら、そんな非常識な相手に出会った事がなかったからである。本当に私は幸せすぎた!

最近この事を考え続けている。東京は淘汰の街である。アーティストを目指す奴らは、それこそ数え切れないほど膨大な数がいるだろう。実力ももちろん淘汰の条件のひとつになる。しかし東京で一旗あげようと思うほどの野心のある連中だから、実力だって拮抗している。その場合、そこで淘汰されるのは、半端な考え、礼儀をわきまえない、などの人間性になってくる。そうした行動は必ず本人に返ってくる。そうして結果的に、頑張ってる若者には常識のない奴は少なくなる、ということなわけだ。
翻って、この町の場合、そういう「淘汰される」という機会がない。そもそも「淘汰する」と言っても誰がするのだ?という問題である。それに、そもそも絶対数が少ないのだから、楽しそうに派手にやってれば、注目してくれる。要するに「敵がいない」のだな。であれば、その「敵役」を自分がするしかないだろう、という思いに至ったわけだね。

昨年末のアイドルイベントで、何度目かの「踏み台」事件が起こり、さすがに温厚な自分も「これはブチ切れてもいい」と遂に悟り、この業務からの撤退も決意した。と同時に、今後はどんどん率直にモノを言って行く、というように決めたのである。私は所詮よそ者であり、誰に嫌われても何も怖くはないのだ。私の切れるポイントは「失礼な事をされたとき」である。よく憶えておくといいだろう。

奴らに関して「裏切られた!」とまでは言わない。言わないが、「常に自分本位で非常識な奴らなんだな」とは思い続けるだろうし、また、そんな非常識さを持っていないと生きのこっていけない、という田舎の現実に、心から落胆しているのである。この町の人々は某・仙兵衛氏のようなヒトを悪く言うが、私にしてみれば別に「彼だけ特別」ということはなく「他の人だってさして変わらないではないか」という思いしかない。むしろ仙兵衛氏のほうがマトモだったんじゃないか?という気さえしてくる。恐ろしいことだ。


東京時代は「この人はすごいな」と思う相手が私に頭を下げてきた。こっちに来てからは「なんだこいつ」と思うような相手に私のほうが頭を下げるようになった。そうして気付いたのは、むかしの自分だって、件の若い連中と大して変わらない部分があったな、ということである。これを他山の石として、戒めとして、今後は真摯に精進していきたいね。

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