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2011年2月15日

払わないヒト

こちらに来て4年経った。「知らない土地に移住も大変だったでしょう?苦労してることとかある?」とよく訊かれるが、最近はこう応えることにしている。

「大変ですね。誰も支払いをしてくれないんです」

実際にこのとおりなのである。制作費、売上金、出演料…。

狭い街で同じ業界だというのに、よくそういう事が出来るなあ、と逆に感心してしまう。そういう図太さというか、無神経さがないと商売はやってられないのだろうか。確かに不景気で大変だが、それは誰だって同じである。あなたが生きるために、私は踏み台にされてもいいということなのだろうか。だとすればすごい話である。

とりあえず今現在の話。ある店のオーナーと交渉真っ最中である。私が手掛けているアーティストさんが居るのだが、その方よりある日相談を受けたところから話は始まった。私と出会う前、その方はCDの全国販売の流通に関して、そのオーナー氏に任せていたというのだが、しばらくしてから、売上金の支払いが滞るようになり、やがてまったく払われなくなった、というのであった。私はそれを聴いてびっくりし、それでは最近の売り上げはまったく手元に来ていないのですか?と尋ねると、詳細文書などを提示され、これこれこういう状況です、と説明を受けた。しかも支払いが行われていないだけでなく、業務そのものも放置され、連絡もとれず、返事もなく、まったく埒が明かないのだという。相談というのは、そのような不誠実なレーベルとは即刻縁が切りたいので、どうにかできないか、ということであった。
私の居た会社もそうであったが、まあ世の中の会社と言うものはとかくそういうものである、といわれればそのとおりなのだが、支払いがあるのに逃げ回ったり、破産や倒産で、掛売りぶんの支払いを全部無かったことにする、というのは常套手段のひとつではあるのだろうが、それにしてもつくづくすごいな、と思ってしまう。しかも、そうされた被害者側も、誰もそれを明らかにしないのだ。これでは、する側が付け上がるばかりだと思った。

こちらの業界人の特徴のひとつとして「外面がいい」というのがある。これは来た当初いろんな人から良く聴かされた。実際に、ツアーなどで来た外のアーティストには金払いもよく評判も上々だったりするのだが、地元の、というか、要するに付き合う相手の顔色を伺い、彼らが気に入らなかったり、これは適当でいいなと思った相手には不誠実に接し、そう扱う、ということも多いのである。これはまさしくデジャブで、私自身がまだ在京だった頃に、コチラの人々にとられた態度とまったく同じなのである。なるほどなあ、と思ったもんだ。

僕がフリーになったとき、一番驚いたのは、音楽家のパフォーマンスに対して、この町の主催側のほとんどのヒトがお金を支払ってくれないことだった。その辺は今となっては、僕も世間知らずだった、ということでもいい気がするが、言い訳ではないが、僕は東京時代は、そんな交渉そのものをした事がほとんど無かったのだ。なので、どこかで演奏して歌ったら、当然数千円でもいただけるものと、当然のように思っていた。また好意で、どこかの知りあいの店で歌ったときでも、飲み物や食べ物くらいは、マスターからでも「おつかれ!ありがとう」と言って出てくるもんだと思っていた。しかしこの町の現実は、全てまったく「なし」!言わなければそのまま、言わず損となるだけである。年に何度も無料出演して機材まで貸したのに、何が悲しくて「すいませんが飲み物1杯くらいは出演者に頂けますか?」とわざわざ交渉しなければならないのだろう。
他にもこんな事があった。重い思いをしてピアノを担いで運び、その店初のキーボード・デイ実施が実現し、みんなが大喜びで参加したライブ。僕のピアノを、出演者みんな、さして気にも留めずに、鍵盤ひっぱたいたり、あちこちガムテープ張りにされるのも、心がチクチク痛んだが、あえて黙って見過ごした。そしてその見返りはマスターからの「ワイン一杯。有料でね」の言葉。そして「ココはそういう店だから」のダメ押し。もう一生来るかと思ったね(実際にそうなった。後に店が放火で全焼した)。

形のないものにお金を払う習慣がない、ということを痛感した、一番最初の出来事をご紹介しよう。もう3年ほど前になる。あるアーティストから連絡をもらった。「某レストランにライブ出演する事が決まってたが、急遽出られなくなったので、代打で出てくれないだろうか」というものだった。そのお店はHTB内にあった(直営ではない)。最初その話を聴いたとき、場所は魅力的だと思ったが、そこまでの交通手段がないし、ちょっと遠いなと思い躊躇したところ、その依頼してきた彼が車で送迎する、と言ってくれたので、それでは話のネタに出てみましょう、ということになり、出演することにした。
誤解されないようにあらかじめ言っておくが、この出演は最初から、その彼には「お店からはギャラが出ません」と言われていた。なので僕は、ノーギャラについては不本意ではあったものの、彼の顔を立てて了承し、納得したうえで出かけたわけだ。
さて、お店に着いて準備をし、お店は開店、僕も歌い始めた。最初は「ギャラが出ない」ということから、客入りも相当苦労してるお店なのだろう、と想像していたのだが、割とお客さんがボチボチ入ってくる。広い店なので、一見閑散とはしていたが、最終的にはそれでも、20名弱くらいは居たのではないだろうか。僕はこの事をちょっと意外に思いはじめ、そうして僕の歌を笑顔で楽しんでるお客さんを見ながら、「これはいったいどういうことなのだろうか」と思い始めた。
みんなけっこうオーダーもしていた。例えばこのお客さん一人一人から、100円のチャージでも取れば、それでも僕は2000円もらえることになる。また、お客さんから採らなくとも、そういう計算で店が僕に2000円でも払ってくれればいいではないか、なのに、これでノーギャラとはどういうことなのだ?と僕は考え始め、次第に腹が立ってきたのだ。
僕の音楽は確かに楽しまれていた。その日のお店の売り物のひとつとして、確実に僕は存在していた。なのに、これについて店側は報酬を払おうという考えさえないのだ。ちょうど僕自身、会社関係のトラブル中だったこともあって、店側が、紹介してくれた彼を騙してるのでは?とまで思った。
ライブが終わったあと、帰路の車の中で、紹介してくれた彼と激しい言い争いになった。「これはどういうことだ?ノーギャラと納得して来たので、今日は請求しない、しかし今日の営業を見る限り、出演者に何も与えないということは、常識としてありえない、即刻改善する事を希望する!」と僕は強く言った。
彼は「良い場所なのだから出られるだけでも良いではないか、店のオーナーは知りあいで経営が大変なことも良く知っているし、それでも人柄や熱意に惹かれ、ノーギャラで請けた、報酬については、こうして送迎までしてるのだし、そこは好意として受け取って欲しい」と答えた。
「そういう問題じゃない、依頼する店側の考え方のことだ、人柄や熱意などと言うものに騙されてアーティスト側が利用されてるだけだろう?たかだか一人100円も何故払えないのだ?ポケットマネーで1000円でも良い、そういう発想自体がない、思いつかないことがそもそも問題だ」と僕は答えた。
結局HTBから家に戻るまでの小一時間、議論は平行線で、分かり合えることはなかった。僕はその後も、彼となんとか分かり合いたいと思ったのだが、結局お互いのスタンスを理解し合えないまま疎遠になった。僕がこちらに来てからの交友関係で、いちばん最初に味わった挫折だった。
僕はこの出来事のあと、しばらく落ち込んで立ち直れなかったが、これは特殊な例だったかもしれない、と思いなおし、また頑張ろうと思った。しかし、それは甘かった、ということだ。誰もが同じ感覚だったからだ。

誤解してほしくないので、ひとつだけ言っておきたい。お金を払え、というのは「お客さん側に言ってるのではない」。お客である以上、払う価値があるかどうかはお客が決めるだろう。
僕が言いたいのは「バーやレストラン側が、アーティストを出演させ演奏させ、それでお金をお客から取っているのに、その収入や、感謝の気持ちを出演者に還元させようという気がまったく無いのはどうかと思う」ということなのだ。そのお店に来たお客のうちの一部は、演奏者や音楽を楽しみに来た客なのである。その演奏者に還元がないということは、納品業者へ支払いしない、と同じことではないか。


こういう出来事が続くお陰で、今の僕はまったく孤独である。最近僕は東京の知りあいによく言う。「東京時代は甘やかされていた。こんなことで苦労したことはまったくなかった。自分は甘かったのかもしれない。でも、これが現実だとしたらすごく悲しいことだ」と。

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