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2010年4月 6日

Une Femme

さっき、ツイターのリスト見てたら、たまたま、以前話したことのある女性作家さんと女性芸術家さんの会話がリストのTLに出てきて、そうしたらお互いに「自分達は中性っぽい」だの「女性っぽくない」だの言ってて、ものすごいびっくりした。

っていうのは、僕は片方の人とは直接やり取りした事があったのだけど、典型的な「女性!」って感じの人だったし、もう片方の人は表面で読める発言でしか判らないけど、やっぱり女性っぽいなあと思っていたので、本人達はそれを認識してないんだ!?って思って。

そんで思ったのは、本人達は「そういう姿」を自分自身の理想として求めているんだってこと。自分はそうありたい、そして他人にもそう思ってもらいたい、ってことなんだって。

そう気付いたときに、過去その片方の女性とやり取りしたとき感じた妙な違和感の理由も、もう一人の人の妙に硬いポストの理由も、全部スーッと理解できた気がしたんだな。


僕も同じだけど、やっぱり、自分が追い求める理想があるでしょ。そうありたい、そうなりたい、っていう姿やスタンスとか信条とかもろもろあるでしょ。そうやって自分を追い込んでいくのはいいことでもあるけど、そこに必要以上に縛られることは、逆に何かを失うことでもあるんだって。

ちょっと以前に「40乙女」というような話で盛り上がったけど、今回の件も、男性女性、という括りも今さらどうなのか、と思うけど、正直に僕は「そう感じて」しまったのだから、そうとしか言いようが無い。必死になればなるほど、逃れたいと思うものからは逃れられなくなるんじゃないだろうか。性的くくりもそうなんじゃないだろうか。意識すればするほど「乙女」であることから逃れられなくなって逆に縛られてしまうのではないだろうか。そんな事を感じた。引き続き考えていこう、これ。

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