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2010年3月22日

脱ぐ

というわけで、別な場所に書いてたログをココに結構移動した。おもしろかった。たった半年くらい前のことなのになんだか、違う人?っていうくらい自分が変わっている。過渡期なのかもしれない。
今日の作業で特に興味深かったのは id:kobeni_08 さんと交わした、働く人の権利の話と、ダンナを家に置いて出かけるのに料理作って置いておかなきゃいけない話のやり取りの部分だった。

その会話をしてた頃、まるで玉手箱開けたウラシマみたいに、一気に現実に引き戻されるような出来事が連続して起こって、ちょうどそれとリンクしてそのやり取りがあったんだよね。簡単に言うと未来に絶望、ここで言う未来っていうのは、昔から見た未来、つまり現在のことなんだけども、そういうことなんだね。
その時も書いたように、え?そんなことも知らなかったのか、呆れた、と言われれば返す言葉がないのだけど、実際知らなかったのだからしょうがないのだ。

若い頃は漠然と「未来はきっと良くなる」と信じていたので、そうじゃない現実にはカナリショックだった。特にショックだったのは、労働者の権利のほうではなくて、ダンナの料理のほうの話題だった。本当に「え?いつの話?昭和の話?」って思ったので。そこから今現実に僕が見ている、この地方都市の価値観へ繋がっていき、その直前に起こった40娘との様々なトラブルなどもあって、それまでの交友関係一旦リセット、というところまで辿り着くのだ。

いまのぼくは、そこからすれば随分立ち直っている。失った交友関係のかわりに新しい付き合いも始まったし、ラジオやツアーを通じて自己肯定もできた。当時ほど悲観もしてない。まあ、もう半年も経ってるしね。

僕にとって重要なことはなんでも「済ませる」ってことなんでしょうね。済んだら客観。僕が過去に書いた自分の曲を「いい曲だよねー」などと他人の作品みたいな褒め方をするように、済んだことは全部、誰か別な自分がやったこと、みたいに思えるわけだ。僕はそれをよく「脱いだ服」に例える。今まで着てた服を脱ぐ。そこに置く。そのまま置いて新しい服着て去る。みたいな感覚。僕の曲もそんな感じで存在してる。今後もそうやって進んでいくんだろうな。

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