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2010年2月23日

野飲み

一人で眼鏡橋のたもとで飲んでる。夜行列車のボックス席で寝るみたいにベンチで寝てる。ランタン祭りの飾りも全部あかりが消えてる。今日は暖かいからこういうことができる。

これからいいことあるんかねぇ。もう「皮残す」みたいなことでいいやんな。やることはやりつくしたやんな。そんな心の言葉が毎日聞こえるんだよ。もぅえんちゃうん?て。確かにそう。

今日も褒められた。ありがとう。でも本当にそう言われたい人からは絶対言われないんだょ。僕が褒められたいんは、認めてほしいんは一人だけ。その願いは一生叶わない。

河の水の流れの音がするなあ。ここが鴨川だったらいいのに。

今日はいいこともあったけど、嫌なこともあったな。知り合いの送別会に誘われてなくて知らないうちに終わってたこととか。別に僕は送別会とかそういう行事モノに積極的に参加するタイプの人ではないんだけど、その彼のことはおもしろくて好きだったので、東京に戻ると聞いたとき、心から残念だと思ったのだ。

去年ここで書いた内容で、放火の話があったと思うけど、その彼との出会いもそれ関連だった。そのとき書いたように僕はその後それ関係のラインとは縁を切ってしまったから会う機会は減ったけど、別ラインとかでたまに仕事であい、相変わらずな感じで話をしてた間柄だっただけに、そこで外されたのはなんかショックだった。気を利かせてくれたのかなあ。いや、そんなこともないように思う。

僕は、自分の存在や歌とかが、「愛されてる」ってほどではないにしても、ちゃんと認められてるとか見てくれてはいるとか、心に留められてはいる、とか、まあともかく空気扱いじゃなければ、どこでもいくのだけど、以前からそのラインの人々は、僕に対してその辺、距離置かれてるな、っていう空気をいつも感じていて、ライブの企画とか持っていっても、やってはくれるのだけど、なにかイチモツありそうな、というか、お義理でやってあげてます感が伝わってくる人々で、そこがすごく僕は辛かった。義理で付き合われてます、という空気が伝わってくることほど辛いものもない。かつてのクラスでのハブ状態とかのこと思い出す。

僕がいつもいうのは、「僕という人はどうでもいい。作品を気に入ってくれたら嬉しい」ということなのだけど、そういう関係から一番遠い、というか、そもそも作品も気に入られてないんだと思った。でもイベントとかやってる以上は、僕の企画とかも請けなきゃいけなくて、ほんとにお義理な感じがするんだな。

ただ、まったくのお義理が嫌かって言うと、実はそうでもない。仕事としてちゃんとしてくれるなら僕はそれでかまわない。

例えば、ライブハウスやライブバーのマスターで、ホントにこの人、音楽とか好きなんだろうか?と言う人がたまにいる。彼らは、お店が儲かり、若い女の子でもたくさん来れば、それで喜ぶタイプだ。そんな店でやるのはいやだ、と嫌うアーティストもいるけど、僕はかえってそういうタイプのほうが、分かりやすくて付き合いやすいのだ。だって相手が求めてるものははっきりしてるから、相手のそこを喜ばせてあげればいいんだから。で、僕のやりたいこともはっきりしてるから、その上で企画を実現させてあげれば、その後もそれはお互い上手くいく。

なので前者みたいに、なんだか好きでもないのに愛想笑いで付き合ってあげてます、みたいな人が一番いやだ。自分のタイプの音楽じゃないし、店にも合わないのでご遠慮ください、とかはっきり言えばいいのに、不承不承請けてる観がものすごく嫌なんだ。

僕はホテルの仕事をやってたので、人の喜ぶ顔には敏感だ。本心から嬉しがってるかどうかって、見れば分かるよ。

まあそんなんで、送別会はぶられた話から、なんだか川のほとりで寝ころんで飲みながら夜空見上げて、いろいろ考えてしまったなあ。結局僕は誰からも愛されてないなあ、とつくづく思った日だった。

Idmaicou

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2010年2月18日

昔の自分に戻るみたいで嫌だったけど

ココ最近、自分のレーベルの子のライブの際には、ギターとかじゃなくドラムで参加するようになった。元々僕はドラマーは仕事としてやってたこともあったので、歌う以外では、なにかのアスリート系プレイヤーだとすると、それほど卓越してるってほどでもないけど、一応ドラマーなんだよね僕は。

ただ、たとえば自分の作風がネタ系からポップ系に進化して、それ以前に戻りたくなくなってしまったように、もう自分はシンガーソングライターなのだから、ドラマーなんか昔の自分なんだ、過去なんだ、って思って、話題に触れたくもないような時代の話だった。

それにほら、よくあるけど、昔の自分の感覚、なんだか嫌いだった自分に戻ってしまうようでいやだって言うのもあるでしょ。過去の自分の否定。中二病。

あとは、最近気付いたのだけど、おもしろいんだけど、たぶん今の自分は過去のドラマーだった自分に嫉妬してるんだって思った。ドラム叩いてるのがよかったとか、人に言われてたでしょ最初のうち。ちがう!僕は歌うの!あんなの嫌々やってたの、ドラムなんか好きでもなーんでもないの!って言うことで、歌う自分のほうが冴えないことを誤魔化してたんだよね。

まあでもね、一度は封印しないと、やっぱり別な道は拓けなかったと思うよ。器用貧乏っていうか、二兎を追うものは、って言うじゃん。やっぱり表現者として、創って歌う以外の道を全部封鎖したからこそ、エクスキューズみたいなものをあえて全部排除したからこそ、創って歌う人として開花できたんだと今でも思ってるから。

まあそんで、いろんな子プロデュースするようになって、やっぱりレコーディングだけじゃなくて、何かイベントあったら自分も演奏に参加したいやん。その時に今までは、わざわざ Bass と Drum の人とか頼んでたわけよ。でもそうすっと、自分はなにやる?ってなってギターとか弾いてたんだけど、やっぱりなんか「舞台上のお客さん」なんだよね。バンドに自分要らないって言うか。そんでいろいろ考えたときに、ああそっか、自分がドラムやればギャラだって払うこたねえし(笑)、楽しく出来んじゃね?みたいな事を思いついた。

その時に一番思ったのは、そのさっき書いた過去のこだわり。なんかまたドラムやり始めて、こっちのほうがいいとか思って戻っちゃうんじゃないの?自分、とか。んで恐る恐るやり始めたら、これが意外に楽しいわけですよ。ヒキコモリレコーディング作業の息抜きにもなるし、なんか大丈夫だった。

あと、ライブでやってみると、やっぱり「ドラムの姿もいいね」と言われた。でも不思議に「ちがう!オレは歌う人だし!!」とかなかったよ。なんか嬉しかった。それは、自分が歌う人として確立した世界でドラムやったからだって思った。昔は「ドラマーだった人が歌も始めてみました」だった。それが「今は歌ってるけど、ドラマーで活躍してたこともある」に変った。なんか嬉しかったよね。

いまは、そこも営業戦略としてじゅうぶん役立つってわかったので、積極的に何かできる場面があったらドラマーとしてやるようにしてる。

過去を否定し続けてたのに、ふと認めるときも来るんだなって思った。人生って長いね。そういうもんだね。

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2010年2月15日

非モテ非コミュっこの逆襲

昨日は、僕がプロデュースしてるバンドが独自で企画した、バレンタインライブだった。出演は僕含めて全員男子のグループで、お客様はみんなチョコ持参、どのメンバーが一番チョコもらったか、最後に発表!みたいなベタなw イベントだった。

僕が参加した理由は、出演だけでなくPA等の音響設備を提供しなければならなかったから。なので半分はスタッフだったんだけど、僕も歌えということで歌ったのね。どう考えたって僕にチョコなんかないし、そもそも一人だけ場違いだから、と思ってたんだけど、なんか義理、でもないけど、ファンチョコみたいなものを数個いただけて、意外だったし嬉しかったな。まあネタとして、というかオチとして僕がゼロ!でもじゅうぶん良かったのですが。

前々からブログでは書いてたけど、高校時代までの僕は本当に悲惨な生活を送ってた。でも僕は自分を天才wと信じて進み続け、自分に何が足りないのか、いろんな修行をしながら必死に探し続け、結果的にいまこうなってる。

今の僕はどの歳でも「奇跡の○歳」と言われ、若い人たちのイベントにも呼ばれ、違和感なく過ごしたりしてる。声も外見も水準を死守するため毎日節制とかしてる。

今それが、(たとえ必死だとしても)出来てるのは、高校時代までの不遇の経験があったからこそだし、自分としては頑張った成果なんだから、これくらいの還元はあっていいじゃない、と思ってる。

僕は常に同性の、特に同年代以上から疎ましがられる存在だった。高校時代までは、性格が先輩からかわいがられるタイプじゃないってのもあったし、明らかに普通と違ってたので煙たがられてたんだと思う。

それが大人になってくると、別な意味で叩かれるようになってきて、自分としてはその理由がなんなのかよくわからなかったのだけど、去年ある女性に言われたのだけど「あなたはすごい妬まれてるはずです。その歳でその外見でその声で曲で、同年代からするとホント嫌ですw」と。

その女性にそう言われたとき、ちょうどこないだラジオで言ったけど、僕がある系列の曲を発表し始めると、過去の友人がみんな離れて、僕のこと叩いたり意見するようになった、って。そのことを思い出した。

10年前CDを発売して、喜んでくれたファンの方たちもたくさん居たんだけど、旧来の知り合いがみんな文句言ってきたのは、そういうことだったのかな、と思ったりした。でもそんなの当時の僕は分からないから、本当に傷ついたんだよね。そのトラウマを10年引きずったんだ。そして今回のアルバムになるんだけどね。

僕の中では、今も自分は高校時代までの非モテ非コミュのヒキコモリという感覚と変ってない。こういうことにいちいち傷ついたり、なんでだー?って憤ったりするってことは、そういうことなんだろうなあ。


チョコたくさん嬉しかった。

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2010年2月10日

音楽教師と体育教師の結婚

僕プロデュースのライブ第2弾が無事終了。

僕は、自分の音楽性が近いこともあって、音大関係の女性と出会うことも多い。音大出たからといって、その後何か将来が約束されているわけでもなく、そんでまあ音大まで行くとなると、それなりの資産がある家の出なことも多く、結局は周囲から「花嫁修行」的に捉えられ、自然な流れで家庭に入る人も多いだろう。しかし本人の「創作したい欲」は消えるわけではないから、現実のギャップで苦しんだりし、精神的にへたれてくる人も多かった。

こういう人に会うたび僕は、大昔に見た結婚式の事を思い出すのだ。それは音大を出て音楽教師になった女性(先輩)の結婚式だった。相手は同僚の体育教師だった。披露宴には、その女性の音大時代の仲間が多数出席し、ゲスト演奏したりするなど、楽しい宴だった。ところが最後の新郎挨拶で体育教師が放った言葉にみんな唖然とした。その体育教師は全員の前で「家庭に入ったら、今後このような道楽めいたことは妻にはさせない、付き合いも控えてもらうようにするつもりだ。」と言い放ったのだ。

新婦友人一同は、表面上は穏やかな顔をしつつ、内心憤慨してその場を後にした。その後も僕らは何度かそのときの話題を出して「あれはほんとに悲しかった」「彼女は幸せなんだろうか」などと話した。


今その二人の家庭がどうなってるのかは知らない。でも、こういうこれに似た話はその後も良く聴いた。家庭というのはある種の人にとっては未だに封建制なんだろう。

僕はその話をずっと忘れなかった。忘れられなかったね。だから今でも、音大関係の人でなにか沈んでたりする人を見ると、僕に出来ることはないだろうか、と思ってしまうのだった。

僕はボランティアとかそういうことを決してしない人間だけれども、そういうひとには手助けしたい、と思うし、そういう目に見えない部分で傷ついてる人をもっと救うことは大事なんじゃないかって思ってるんだ。

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