野飲み
一人で眼鏡橋のたもとで飲んでる。夜行列車のボックス席で寝るみたいにベンチで寝てる。ランタン祭りの飾りも全部あかりが消えてる。今日は暖かいからこういうことができる。
これからいいことあるんかねぇ。もう「皮残す」みたいなことでいいやんな。やることはやりつくしたやんな。そんな心の言葉が毎日聞こえるんだよ。もぅえんちゃうん?て。確かにそう。
今日も褒められた。ありがとう。でも本当にそう言われたい人からは絶対言われないんだょ。僕が褒められたいんは、認めてほしいんは一人だけ。その願いは一生叶わない。
河の水の流れの音がするなあ。ここが鴨川だったらいいのに。
今日はいいこともあったけど、嫌なこともあったな。知り合いの送別会に誘われてなくて知らないうちに終わってたこととか。別に僕は送別会とかそういう行事モノに積極的に参加するタイプの人ではないんだけど、その彼のことはおもしろくて好きだったので、東京に戻ると聞いたとき、心から残念だと思ったのだ。
去年ここで書いた内容で、放火の話があったと思うけど、その彼との出会いもそれ関連だった。そのとき書いたように僕はその後それ関係のラインとは縁を切ってしまったから会う機会は減ったけど、別ラインとかでたまに仕事であい、相変わらずな感じで話をしてた間柄だっただけに、そこで外されたのはなんかショックだった。気を利かせてくれたのかなあ。いや、そんなこともないように思う。
僕は、自分の存在や歌とかが、「愛されてる」ってほどではないにしても、ちゃんと認められてるとか見てくれてはいるとか、心に留められてはいる、とか、まあともかく空気扱いじゃなければ、どこでもいくのだけど、以前からそのラインの人々は、僕に対してその辺、距離置かれてるな、っていう空気をいつも感じていて、ライブの企画とか持っていっても、やってはくれるのだけど、なにかイチモツありそうな、というか、お義理でやってあげてます感が伝わってくる人々で、そこがすごく僕は辛かった。義理で付き合われてます、という空気が伝わってくることほど辛いものもない。かつてのクラスでのハブ状態とかのこと思い出す。
僕がいつもいうのは、「僕という人はどうでもいい。作品を気に入ってくれたら嬉しい」ということなのだけど、そういう関係から一番遠い、というか、そもそも作品も気に入られてないんだと思った。でもイベントとかやってる以上は、僕の企画とかも請けなきゃいけなくて、ほんとにお義理な感じがするんだな。
ただ、まったくのお義理が嫌かって言うと、実はそうでもない。仕事としてちゃんとしてくれるなら僕はそれでかまわない。
例えば、ライブハウスやライブバーのマスターで、ホントにこの人、音楽とか好きなんだろうか?と言う人がたまにいる。彼らは、お店が儲かり、若い女の子でもたくさん来れば、それで喜ぶタイプだ。そんな店でやるのはいやだ、と嫌うアーティストもいるけど、僕はかえってそういうタイプのほうが、分かりやすくて付き合いやすいのだ。だって相手が求めてるものははっきりしてるから、相手のそこを喜ばせてあげればいいんだから。で、僕のやりたいこともはっきりしてるから、その上で企画を実現させてあげれば、その後もそれはお互い上手くいく。
なので前者みたいに、なんだか好きでもないのに愛想笑いで付き合ってあげてます、みたいな人が一番いやだ。自分のタイプの音楽じゃないし、店にも合わないのでご遠慮ください、とかはっきり言えばいいのに、不承不承請けてる観がものすごく嫌なんだ。
僕はホテルの仕事をやってたので、人の喜ぶ顔には敏感だ。本心から嬉しがってるかどうかって、見れば分かるよ。
まあそんなんで、送別会はぶられた話から、なんだか川のほとりで寝ころんで飲みながら夜空見上げて、いろいろ考えてしまったなあ。結局僕は誰からも愛されてないなあ、とつくづく思った日だった。
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