« 魑魅魍魎 | トップページ | 修・再生工場&毒抜きの初演 »

2010年1月 9日

すべらない演劇、すべらない音楽 ~ 類型からの脱出

M-1の話。
http://d.hatena.ne.jp/toronei/20100105/A

これを読んでちょっと気付いた事があった。

もともと音楽人と演劇人は正反対の人種、という偏見が僕にはあって(僕の周りの人もそうだった)、大学時代や、オペラの大道具手伝い時代を除けば、ほとんど関わってこなかったです。

その偏見の理由がなんなのか、自分でもよくわかってないところがあったけど、最近、あるきっかけから芝居によく触れるようになり、と同時に、いくつか、その理由めいたものが見えたので、せっかくなので書こうと思った。

こないだ人に言ってびっくりされたのだが、実はオレはお笑い好きの人間である。東京時代は寄席も良く行ったし。別に自分がお笑いに詳しいとか言うつもりはないが、そういう意味では、滑る小ネタにはかなり厳しいと思う。

よく偉い人が講演などで、ちょっとした息抜きにギャグを言う事がある。それは偉い人が喋ってる、という緊張感の中でボソッとジョークを混ぜるから、その緩急でふと可笑しくなるのだろう。

では、芝居にそういうものは必要なのだろうか。いや、合ってもいいんだろうケド、偉い人が講演でボソッと言う、程度のことでは受けないでしょうね。

僕が引っかかる部分はまさしく「そこ」なのだ、と気付いた。誤解してもらったら困るのだが、これは長崎で見た芝居だけの事を言ってるのではない。思い返せば、東京でもどこでも、僕が見た芝居は、ほとんどがそういうものだったのだ。せっかくの良い話なのに、必ず、滑る「ギャグもどき」みたいなものが入ってて、その瞬間、一気に冷める。そこに必然があってギャグが挟み込んであるならいいが、「なければいけない」「受けなくてはいけない」という理由で無理やり入ってるようなものが多いのだ。

芝居はラーメンズとは違うのだ。なぜそこに、わざわざ無茶振りみたいに小ネタが入ってるのか。

でも好きな芝居もあったよ。ココ何年かの間で、僕が見た芝居のうち、自分の中で評価が高かったものは、
その「小ネタ」部分が少なかった芝居だ、と気付いた。もしくは、その小ネタが、センスがよくて、ちゃんと笑えるものだった、とか。


僕は前にココの日記でジャズについていろいろ書いたでしょ。楽曲第一主義。これって同じなんだなあと思った。僕の希望は、一度でいいから、まったく滑らない、ひとつも小ネタが入ってない芝居を見ることです。


だれか叶えてくれたら嬉しいなあ。


追記。
コメントをいくつか頂いて補足しますね。

芝居の類型について語ってるけど、じゃあJPOPはどうなのさ?ABサビ大サビー、とか型が決まってんじゃん、と言われるとそのとおり。これもまさしく「型」が決まっていて、そこへ向かってドドーっと完成させてゆくものですね。だから、これも苦手な人は苦手だと思いますよ。

この場合の滑るってのは、つまらない曲になったときでしょうね。歌詞が聴いたことあるような慣用句ばかりとか
そんなものはいくらでもあります。メロディもそう。どっかで聴いたような、しかも練られてないような。


最近、僕の音楽歴をラジオ番組でやってるけど、聴けば判るように、僕の最初は型にハマらず破天荒な作品作りを徹底していました。僕は自分の音楽が通りすがられるのが嫌で、絶対に印象を残さないと気がすまなかったのです。なので嫌がられてもいい、ともかく「印象」を残す。これを徹底していました。それを何年も繰り返したあと、つき物が落ちたようにすっきりして、JPOPという形式美のなかに入っていったのです。

僕の創作のポリシーは「デジャブ」なんですよね。音楽は僕の中にあるんじゃない。聴く人の中にある。それを思い出すための手助けをしてあげる。何かの記憶と共に、です。その際に、なにか陳腐なものだと失礼でしょ、と。人の思い出を汚すことになるでしょ、と。だから精一杯良い物を提供するんです。その辺は、ホテルでの接客を思い出します。まさに「サービス」なんです。


そうして、芝居の話に戻ると、芝居も同じようなものだとすれば、昨日とまりさんが書かれた3番の形式の中に
向かって完成させてゆくんでしょうね。形式があるってことは、小ネタも必要不可欠なんだろうと思う。であれば、それは滑らないようにするしかない、ということですね。JPOPが型の音楽だとすれば、そこからは逃れられないから滑らない内容にするしかないのと一緒ですね。

ただ、長年型モノをやってきて、僕の中ではそろそろ次ね、という部分が気持ちの中にある。自分ではまだ手がけてないが例えば人のプロデュース、ピロリーナとかジールとか、そういうものの中に、JPOP型ではない音楽を
見出してやっている。そういう意味では昔と同じですね。

通り過ぎられず印象を残すこと、でも昔みたいに不快なんじゃなく、もっと違う印象を。そんで型からの脱出、ですね。これなんじゃないかなあ。これからは。と個人的に思います。

|

« 魑魅魍魎 | トップページ | 修・再生工場&毒抜きの初演 »

コメント

昨日妹から「演劇ぶっく」という本を貸してもらいました。
なんで妹が持ってるのかと驚いたら

表紙がラーメンズだったのです。
6月に観に行ったラーメンズの公演のことが巻頭で特集されてました。

妹に雑誌全部読んだの?ときくと
「いや、ラーメンズだけ」と返ってきました。
妹は芝居には興味は無いですからね。

> 音楽人と演劇人は正反対の人種

こう言われると、一体私はなんなんだろう、と思うのですが(;^ω^)
でもキッカケがミュージカルなので音楽人でしょうね。
まだ芝居のことはよくわかりませんが、ただ正反対だとは感じません。
でも感じないことが、音楽人でも演劇人でも何者でもない未完成の私…で
悔しい面も?・・・。

ただ音楽人でも、楽器を演奏する人、歌をうたう人、創る人、といろいろなので
それによっても違うかもですね。演劇人ってのも範囲が広いと思いますし。
役者と演出家、劇作家…。
どこに一番重点を置いて活動してるか…。
それによってより正反対の人種になるのでしょうかね?

例えばミュージカルはあれはやっぱり演劇よりというより
ダンスや音楽よりですよね。それに楽しいからストーリーも合わせました、みたいな?
でもなんでもアリの分野だと思います。あの人種はなんなんでしょう。

ただ映画とか映像の役者は、よりリアルな芝居が伝わってきて、表情とか読み取れるけど
舞台の演劇は大袈裟になりがちなところを、リアルに芝居ができる人を尊敬します。
はっきり声が通るのにわざとらしくなく、まっすぐこっちに響いてくるってことが
出来たら凄いなぁって思います。そこが私にとって未知の世界かも。

あと私は、根はクラシック出身なので
芝居よりダンスのほうが、音楽を学ぶ事に似てますね(演奏かな?)
アスリート的にこなして快感を覚えるということが!

芝居より迷いがあまり発生しないし、反復に比例して努力すれば報われる
というほうが、精神的には楽かも?とは思います。
かといって、上手く踊れることとは別ですが。

投稿: P | 2010年1月18日 11:51

>Pさん

ありがとう。
ラーメンズはよく出来てるよねえ。

「偏見」って書いてあるから僕自身、
その見方はないよなって今は思っていますよ。
正反対とは思ってない。
ただ何となく、合わないよなあって昔思ってた。

そう。
音楽人と言っても多種多様な役割があるように
演劇人と言っても様々ですね。

僕がこの日記で言いたいことは、
多分「演出する人」か「脚本書く人」のことだと思う。

僕が前のジャズに日記で言いたかったことは
優れたプレイヤーが相手の場合、
元の楽曲がしょぼかったら、
プレイヤーの好き勝手に遊ばれてしまいますよ、ってことでした。

俳優さんが個々に優れた力持ってるのに
演出や本の人が、それを活かせないとしたらどうでしょう。

逆に、アドリブ得意だからって
その俳優の暴走を許したらどうでしょう。

どっちも収集付かない芝居になるのではないかな。

音楽も一緒ですよね。

そういうのを「ライブだから」
それ含めて楽しむのだ、っていうのはもちろんいいのだけど、
やる側が、そこに逃げるとまずいんじゃないかって思うのです。

たとえば、
小ネタを無理矢理入れるようなことって
別に必要不可欠なものじゃないんじゃない?
って思ったんですよ。

ミュージカルだってオペラだって
完成品の美学じゃないですか。
素材と本と演出とすべてが整った。


何かの肉体的技術を持ってるアスリートは素晴らしいよね。
せっかくのそういう素材(俳優&演奏者)がありながら
活かせないのは、僕ら創る側の力不足だと思うな。

なので、反省も含めて書いてみました。

投稿: kara | 2010年1月18日 11:52

以前のジャズについての日記、読ませていただきました。
コメントさせていただこうかと思っていたのですが、しそびれてしまいました。

話はその話に戻りますが、ジャズに限らず、音楽で、最重要で一番力を持ち、敬意を払われるべきものは、メロディーであると思います。

そう思えるには、私は、それなりの時間と経験を要しました。

20代の頃、とても美しいメロディーを持つジャズバラッドを演奏していて、ついつい安易にメロディーをフェイクして演奏していたら、かつて長崎に居を構えていた世界的ドラマー、エルビンジョーンズ氏に演奏中に「NO!」と一喝されたことを、忘れることができません。

エルビン氏は、メロディーがいかに大事なものなのかを、演奏後、私に説いてくれました。

ストレートメロディーをそのまま伝えるということは、今もこれからも私の課題の一つであると思っています。


また、ジャズにおけるアドリブも、瞬間的な作曲とも言われますが、ごく一握りの本当の天才を除けば、そうではないと思います。

積み重ねて得た自分の語彙の中から、取捨選択して、その場に合うもの、自分が伝えたいものに沿って、組み立てていくことがアドリブではないかと思います。

何かを伝えるからには、より多くの方に伝わるほうが良いと思いますし、そうであれば、自ずからアドリブが独りよがりの自慰的行為であってはいけないと思います。

このあたりから、今回の話につなげたいのですが・・・

ジャズ演奏におけるインタープレイとか、有名な曲のフレーズをアドリブの中に引用するなどという事は、ひとつ間違えると、今回書かれている滑る小ネタと同じ事になると認識しています。

もちろん演劇の場合とジャズの演奏の場合は、役割分担の具合など明らかに違う面がありますが、かならずそれを仕掛けているのはどちらも、「誰か」であることには変わりないわけですから、聴いてもらう、観てもらう以上は、そこに責任があるのは共通していることであると思います。

オーディエンスにべったりと擦り寄りすぎず、奇をてらわず、自分に正直に、そして謙虚に、品を持ったものを伝えることができたらと、私は思います。

良いものは、小ネタなんか必要ないですよね。

投稿: S | 2010年1月18日 11:53

>Sさん

ありがとうございます!
コメント読んで、僕もあることを思い出しました。
バンドの先輩につれられて赤羽の古いバーで飲んでたとき、そのバーの古くからの常連の紳士を紹介されました。そのときに先輩が「こいつ(私)は凄い歌うまいので聴いてやってくれ」と言い、紳士が「それでは古い日本の○○という曲は知ってるか?」と僕に訊きました。偶然僕はその曲を学校で習ったばかりでしたので、「知ってますよ!」といって調子に乗って歌い始めたら、紳士は凄くお怒りになってしまって「こんな不快な歌は初めて聴いたな!」と言うのです。
気難しい人だから、と言って店の人も先輩も慰めてくれたのですが、僕はそのことが長いこと忘れられませんでした。
多分そのときの僕は、歌心も何もない、メロディも大切にしないような歌だったのでしょうね。

エルビンジョーンズ氏の件は感動しました。やはり若いころにそのようなことがあると、身が引き締まりますよね。昨今アドリブでなんでもやって良いのだ、という風潮もある中、そのような大事なエピソードを拝見でき、大変嬉しく思います。
Sさんの演奏は音色が綺麗でメロディを大切にする感じがありましたが、そういったことが有ったのでしたらなるほど納得も行くと思いました。

アドリブとか小ネタというのは「飛び道具」だと思うのです。誰かが最初にやって、そのときは多分受けたのでしょうが、そこに味を占めて毎回それが「お約束」になってしまうと、それは逆に、作者も演者も縛ってしまうことになる。そういうものの積み重ねが閉塞状況を生むような気がするんですよ。形骸化、ですよね。僕はそれが一番怖いんです。

僕は自分で何かをする場合、それが「作品にとって」必要とされてることか、考えるようにしています。そうしないと、以前も書いたように流されてしまうんですよね。

Sさんの、最後の3行の言葉を思いつつ、僕も今後も自分を律していこうと思います。

投稿: kara | 2010年1月18日 11:53

私なんかがコメントしていいものかわかりませんが…

私は、今は主婦だけど以前は美容室でジャンルこそ違うけれど創作者でした

その時の経験ですけど、すごい尊敬している方が話していたことを思い出しました。

世界の一流ブランドに共通の考え方はクオリティーは絶対に落とさずに時代に流行に合わせてデザインを変えていくことなんだ。だから、本物を見ろ
って何回も言われました。

クリエーターとして大事にしてる
変えちゃいけないとこ「こだわり」があるならそれは絶対貫いてほしいです

ただ目的や目標だったりを見失ってはそれは、こだわりじゃなくて、とらわれてることだと思うんです。
小ネタもアドリブも結局、芝居を見てる側や音楽を聴いてる側からしてみると、技術がうまいか下手かはそれぞれの世界の中での評価で、
お客さんの評価は
次に観たいか、観たくないか。
聴きたいか、聴きたくないか。
だと思うから…。

何を言いたいのかわけわかんなくなってきたけれど…
大丈夫か?わたし…あせあせ(飛び散る汗)

小ネタやアドリブ見栄えのいいテクニックなんかどうでもいいから本当に伝えたいことを表現してよほっとした顔って感じですね

ちなみに私は年配の女性のお客さんに
派手なテクニックはいらないからちゃんと切ってよ
って言われたことがあります

良いものには余計な装飾は必要ないと思います

投稿: Y | 2010年1月18日 11:54

>Yさん

いえいえー。ありがとうー!
そういえば美容師さんでしたよね。

そうですね。
あんまりにも自分の考えに固まると頑固になってしまうけど、
それでも最低のこだわりは持っていたいと思います。

そして、もちろん、お客さんが喜んでくれる事が一番です。
それを僕はホテルのときに学びましたよ。
接客も音楽も同じサービス業だって。
お客さんの要望をちゃんと先読みし、
しかも邪魔にならないようにお手伝いするのは
セッションと変らないじゃないか、と思っていました。
ホテル時代は随分たくさんの事を学んだと思います。


何かを作っていると、ついつい自己追求しがちなのですが、
下手な小細工に走って、
どっちを向いているのか判らなくなるのは、
一番怖いですね。

いくら頑張って創っても、誰も食べてくれないディナーは捨てるしかない。

その辺を忘れずに続けていければなと思います。

投稿: kara | 2010年1月18日 11:55

“書く側”からのコメントです。
難しい問題ですが、演劇では、①笑わせたい演劇、と②笑い無しの演劇、と③手段の1つとして笑いも入れる演劇、の3種類あるんじゃないかと思います。
ほとんどの芝居は③じゃないかと思います。
三谷コーキ氏の芝居は①でしょうね。
②はほとんど観たことありません。

で、③について。
お客は“笑い”は“気が緩む(もちろん良い意味で)”という効果を生みます。
気が緩むと、例えばその後のシリアスなシーンにもより入り込んでもらえます。
といった効果を狙って、序盤、まず小ネタのようなジャブを打っていきます。
このジャブで笑わない人も居ます。
しかし笑ってる人が居ると客席そのものが緩んできます。
ジャブを適度に放ちつつ、構造で笑わせようとする“仕掛け”を忍ばせます。
仕掛けが効いてくるのは後半です。
そこまで小ネタ、中ネタで温めておいて、最後に大きな仕掛けで客を突き落とします(笑わせたり、驚かせたり)。
これはあくまでも技術的なお話。
うまくいくこともありますし、スベル場合もあります。
笑いとはセンスでもあるし、コミュニケーションでもあります。

喜怒哀楽を描くのが演劇だと思っていますから、笑いは重要な要素のひとつだと思ってます。

もっとも滑っちゃうと目も当てられませんが・・・。

投稿: tomari | 2010年1月18日 11:56

>tomariさん

ありがとうございます。
なるほど、その3種類は判りました。
書いていただいて気付きましたが僕は、
その1番もあまり好みじゃないですね。
ということは、芝居に笑いがあること、それ自体が嫌なのかもしれない。
とすると、これはどうしようもない好みの問題ですね。
笑いは難しいですね。
モンティパイソンくらいになると違うのだけど。

で、その3の構造のことは大変参考になりました。
そういう構造を持ったものが多いから、
どうも僕にとっては類型的に感じて、拒否感があるのかもしれません。

ただ、あくまで個人的好みでしょうけど、
面白いものもあったし、上手いな、と思ったものもありました。
笑えなくても、上手いなと思ったものは、
良い作品だった、と自分では思っています。
決して上から目線とかじゃなく、純粋にそう思うってことです。
そういう点では、例えば銀河鉄道もすごくよかったのです。

それは別として、会場を緩ませる方法論としては、
それは有効だと言うのは判ります。
前説で笑わせるADの人とか、そういうことですよね。
客席を解す、ということですね。

それはよくわかります。
ただ、その役割以外で、
本当に必要な部分なのか、という疑問はあると思います。

ラーメンになるとは必須だから、というような意味でなら、
それはしょうがないですけども。

喜怒哀楽のことは、さっき出かけたとき道々考えていました。

喜怒哀楽が不可欠なことは僕もわかってる。
でも僕が「笑い」だけに厳しいのか、それ以外もなのか、
その辺は微妙です。

他の感情は鑑賞中に感じますよ。ビンビン。
見てる最中に叫びそうになることもあります。
ただ、笑いだけはどうもダメなんだなあ。

やっぱり好みですかね。


私の心の師匠の一人、大瀧詠一氏も、
音楽には喜怒哀楽、と実行されています。

でもその師匠でさえ、笑いはダメです。

笑いの神、というくらいだから、笑いは難しいんじゃないかな。

だから滑るくらいならやめればいいのにって思ってしまう。
そのほかの部分でじゅうぶんなんだから、って思ってしまう。

たとえ無い物ねだりだとしても
そこは望んでいる自分が居ますね。

投稿: kara | 2010年1月18日 11:57

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/48085/47326495

この記事へのトラックバック一覧です: すべらない演劇、すべらない音楽 ~ 類型からの脱出:

« 魑魅魍魎 | トップページ | 修・再生工場&毒抜きの初演 »