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2009年11月 9日

「40センチメンタリズム」な母との戦い

9月10月とこれに忙殺された(半分嘘)。

ばななさんの居酒屋の一件(参考→クリック)から大野さん(id:ohnosakiko)、有村悠氏、font-daさんの考察や秀逸エントリ(ばななと日本人)との関連など含めて、本当なら言いたいことも議論したいこともたくさんあった。しかし、僕はネットだけでなく、リアルでこうした関係を抱えていて、そうすると、ばななや大野さんの件で考え始めると、そっちのリアルな方の対処がぶれてしまう気がして、すごく残念だったけど、議論に参加せず降りた。

僕がリアルで対処に追われていた「40センチメンタリズム」はいずれも「母」である。「母」じゃなくともじゅうぶん不快なのに、さらに「母」であることで、自分の生い立ちのこともつい準えてしまい、僕にとっては怒り倍増計画みたいになってしまった。オマエら自分の子どもの育て方鑑みろ、オレがアンタの息子ならこんな母はとてつもなく嫌だ、と。

さらに偶然なのだが、彼女たちはみなある信仰をしていて、その件でね、別な真摯な方にいろいろ相談したのだが、その「母」な方々の考えや行動から想像するに、どうしても「にわか」で「ハック」な感がぬぐえない、ということであった。

まあつまり、彼女たちは自らの言動で常にトラブルを巻き起こし、それについて悩んだあげく、「お助けください」と縋ってるわけである。おまえらなあ、お助けくださいじゃなくてさ、よーく自分の言動を振り返ってみろってんだ。と思ってね、むらむらと怒り倍増計画になってきたわけやね。

ただね、僕の家庭もそうだったように、その「母」たちだけを責めるのも酷という気がして、というのは、必ずそのバックには家庭内不和、というか、もっと言うとダンナがヒドい、とか舅がどうの、とかいう具体的原因があって、さらに言うと、その「母」の両親にまで遡ってそこに原因があったりして、そうすっと、確かにそれらを「全部」背負わされてるその「母」は、誰でも良いから「お助けください」と言いたくもなるわな。そんでそれが、他者への異様な執着とか価値観の押しつけとか、オリーブ的物欲とか、想いが募りすぎて犯罪とか、そういうことになってくるん。

というわけでね、痛い行動にも、そういった様々な複合的って言うか、ミルフィーユみたいな幾層にも重なった原因とか有るじゃない。そうすると、やっぱり一概に「うざい」と言って邪険にするのも、僕としては忍びない。もうちょっと彼女たちを何とかしてあげられないか頑張ってみたい、と言う気にもなるでしょ。それを判ってしまった僕なら。

そんで、こないだの、と言ってももうずいぶん前だけど、ばななとか大野さんとかの話になってくる。うざいのはうざい。でもその理由が想像できるだけに、一概に責めたりするのはちょっと気が引ける。

じゃあどうしたらいいんだろう。

でも結局、僕が出来たことはなく。

戦ったあげく「切る」という結論になってしまったのが無念というか。

そうした結果を今ふまえてね、今ならもう一回振り返って、ばなな40センチメンタリズムな話も冷静に読める気もするんだよなあ。


彼女達の世代というのは、もちろん自分の世代とも近いわけで、彼女たちが現役だった頃の時代の空気感というものを、頭でなくて身体でなんとなく覚えてて、どこか惹かれつつも自分が進むのはこの道ではない、と思い距離を置いてた部分があり、それが今になって、諍いや誤解という形で吹き出してる感じなんだよね。だからもう、ばななさんにしても大野さんにしても、彼女たち感の考えの相違なんてどうでも良くて、ともかく、当時の世界観のデジャブとしか僕は捉えられなかったんだよね。ほんと一瞬。においから空気から全てが蘇るんだよね。彼女たちの言動を拝見すると。

多分に思い込み入ってるのだけど、彼女たちは、気に入った相手を対象として楽しまずに、どこか自分のフィールドに引き込もうとするようなところがあって、ってホントに偏見ですが、ともかく僕にはそういうイメージがあって、そう考えると、ばなな氏も居酒屋を自分のフィールドに引き込もうとする作戦じゃないですか。そういう感覚自体、もう今はないんだよ、と僕は言いたかった気がするんだよね。


そんなんで、最近ある知人と話した内容がおもしろいので、ちょっと書いてみたくなった。


ともかく僕らの周りは最近そんなんばっかりなんだけど、なんでだと思う?

そーねー、40代で音楽とか芝居見に来て、それについてゴタゴタ語りたがるなんて、生活に何か不満があるからに決まってるから、今回たまたま周りに集まってきた人がそういう人って事なんでしょ。

そうよねえ。ちゃんと家族や生活に向き合ってる人が、頻繁に長文の日記書いたり、人の日記に意味不明な長文コメントしたりしないよねえ。

うん、ただね、僕らの音楽というのは、そういうつらい人のためにね、ちょっとでも日常を忘れさせてあげたい、っていうことで存在してるでしょ、そうすると無碍にも出来ないのだけど、そこはかっちり壁って言うか、距離は置かないと、一度許すとどんどこ入り込んで来るからさ。

でもね、若い子だとそれは許すじゃん、なんで差別じゃないの?

なんで差別なん?いい年ぶっこいて、そんな常識ない奴、冷たくあしらうに決まってるだろ、40代にもなって、オマエいつまで少女やねんっていう。

それに、ちゃんと痛くない40代の方もいて、そういう人には真摯に応対するし、そういう人は常識人だし。それにちゃんとお金も使ってくれるよ。ああいう痛い40娘は、そもそも金も使わん、そもそも「お客」ですらないよね。人に絡みたいだけのために存在するのだ。僕の事を「ただの自分の不満の捌け口の道具」と思ってるんだよ。


…などと。


僕が何かの段階から抜け出すとき、それまでの関係を繋げたままでは出来なくて、必ず切って去ってくる。昔からそうなんだ。そうしないと、退路が準備されてたりエクスキューズがあると、なんか嘘みたいな気がしてしまうんだな。いまでも、全くの無名で最底辺から徐々に上がっていくということが好きなんだと思う。

三年前この土地に来て、まったく誰も知らないところから初めて、かつての僕じゃあり得ないくらい、いろんな人に頭下げて挨拶して営業して、ってことをやった。やりながら、これは自分じゃねえな、と思ってた。ここ最近のトラブルはそれの反動が来たんだろうし、また、遂にそこから去るときが来たって言うことなんだと思った。


土地からは去らないよ。

でも今までの交友関係はもうない。
僕とあなた達の生きる世界は違うのよ、と。

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