くじらと等身大とマントラと多面体
昨日の鯨イベント、ご来場皆様、本当にありがとうございました!
途中ぐだぐだな部分も多少ありましたが、なんとか終了しよかったです。鯨も美味しかった、と評判でした。しかしながら、昨日は、かつてないほどの大量の反省材料もいただき、今後の糧にしたく存じます。
私個人としては、名曲、等身大メモリーズの初の成功パフォーマンスが披露でき、これは最高の気分でした。MCでも言いましたが、本当にこれだけは最高の気分でした。もちろんマサオミの協力があってのことです。実は、彼がこの曲に参加してくれることが決まったのは前日です。それでも、ああやって弾けるのだから、奴はすごいのです。初めてこの曲の真の姿の一部を見せることが出来た気がしました。その後、私は舞い上がってしまい、超爆裂トーキングを致しましたが、まあ許してくれろ、と。
僕の中では、誰がなんと言おうと、歌詞も曲も歌唱も全て含めて、あれが言いたいことの全てです。どこから何処にどう突っ込まれようとも、あれが判らないオマエが悪い、的な傍若無人な自画自賛で今後も頑張ります!
あと、田中マサオミCDお買いあげありがとうございました。今後も良いものを創っていきたく存じます。ご来場ほんとありがとう。心から感謝してます。マジで。普段は腹黒な私ですが、これは嘘ではありません。
ところで、歌詞について言葉が少ない、繰り返しが多い、というご意見があったことについて、その意見は真摯に受け止めるとして、せっかくなので僕の考えを書いておきますね。
まず、歌詞に関してはそのとおりです。僕の個人的ポリシーは、1曲の中に言葉が多すぎると、情報が多すぎて、
音楽本来の魅力を損ねる、というものです。手抜きはしないが、決して邪魔はしないということですね。
なぜならこれは「音楽」だから。
言葉の方が大事なら、それは朗読です。
それから、同じ言葉の繰り返しでも、その背景が違えば意味あいは変わる、ということ。背景、とは音楽で言えば、例えばコード進行やアレンジです。僕の場合、言葉だけでなく、メロディそのものも繰り返します。繰り返していますが、そのバックの和声進行は全部異なっています。そうすると相対位置が変わるんです。たとえば、コードCに対して、ドーと歌った場合、コードEmで、ドーと歌った場合では、ドはドで同じですが、相対的には、同じドではないと言うことです。これが僕のよく言う、メロに対するコードのミラクル多面体構造なのです。全ては相対でできているんです。
あなたにとって私は右にいる、しかし、別な人にとっては左にいるかも知れない。でも同じ自分です。
また、音楽というのは時間の流れなんですね。1番での言葉、2番での同じ言葉も意味合いが変わります。ただのコピペではないということです。
同じ言葉で同じメロディを繰り返す、というのはマントラに似ています。インド音楽旋法はワンコードしかありませんが、音が音にぶつかって、多彩な色を産んでいます。僕がやりたいのは例えばそういうことなんです。僕の曲でそれが一番最初に成功したのは、「きみが好きだよ Song」ですね。サビで「きみが好きだよー」が3回続きますが、コードが違っていますね。あれを思いついたとき、僕は「あー、ついに発見した!」と思いました。これだ!と。
自分は常にここにいるんです。
変化しているのは周りの景色だけ。
自分は常に人の相対として存在している。
それが僕の考えです。
ありがとうございました。(拍手!)
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