ひとりで生きてゆければ
滅多にカラオケは行かないけど、行くと必ず歌う歌がこれ。
私にとって小田和正とは、これですね。これです。これ以外の何者でもないです。この1曲で彼は人生に於いて言いたいことを全部言っていると思う。その後の活動は、全部これのバリエーション。強いてあげれば、あとは「風に吹かれて」だけですね。
ところで先日。銀河鉄道の夜、というお芝居を観ました。脚本は泊さん。
http://www.e-avanti.com/kita/ind/item/8338
僕は今年の3月に市民参加舞台も見てますが、そちらの脚本も泊さんなので、同じ脚本家さんの作品を続けて2本見た事になります。1本目では、わからなかったことなどが、2本目で初めて線となり繋がり、いろいろわかったりしたわけですね。
先日ココで、メロディと言葉とコード進行のこと話したじゃないですか。自分は常に同じ場所にいるんだ、と。自分の周りが回っていて、その外側から相対で自分を見た姿。それをおとにしたいんだ、と。そこと繋がってゆくと思います。
これは限られた人しか知りませんが、実は先日、ある方の仕事を断りました。それに関しては非常に葛藤があって、人に相談などしながら、とても長い時間考えたのです。そして出した結論が、その方のやりたいことには私は同意できない、というものでした。しかしそれを断ると言うことは、その方の生き方を否定することにも繋がる恐れがあって、だかしかし、その人の生き方を否定しないために、自分のほうは否定しなきゃいけないの?ということになり。そんなわけで、断りのメールは、それはそれはそれは、非常に重たい内容となりました。
僕が感じてる大きなコンプレックスのひとつに、「自分の人生において大きな不幸ごとがひとつもなかった」というのがあります。その、仕事を断った相手も含め、自分の周りには、いろんな不幸ごとが起こった人がたくさん居ます。そんな中自分は、今のところ両親も健在だし、経済的にも恵まれ(親は非常に苦労したようです)、何一つ不自由なく生きているように人には思われるようです。
そうしますと、何を言いたくて、例えば音楽をやってるのか、とか思いません?自分の人生は平坦ですベイベー♪とか歌うんですか?しかしながら、実は見えない部分で家庭内では、いろいろ大変な事があって、全然平坦ではないんですけどね。
まあともかく、自分がこんな立場でありながら、人に対して、お前はしっかり生きろよ、とはとても言えない気がする。でも言うんです。それは、自分が気付いてしまったからですね。この人にはそれを言わなくてはいけない。誰も言わないのなら、自分だけがそれを言えるなら、心を鬼にして言う、と。そういうことしかないんです。
自分は自分の道を行くのですよ。それは自分で決めなきゃなりませんね。それは大変ですよ。しかし、少なくとも見つけようとあがいてる人が好きだね。何もしない人よりは。
そういう人と今後も良い仕事をしたいと、そう思っています。
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