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2009年10月27日

愛されたくないが愛されたい

よーし。ものすごく反感買うことこれから書いてやるぞー。ってほどでもないけどw

ここ1年くらいネットストーカー的なものに悩まされてきた。いや、最初は全然ストーカーじゃなくて普通に僕の「ブログ」のファンだった。その人は僕の創作論のようなものに感銘を受けたらしかった。まあそれで、最初はそんな僕の駄文をたまに読んでるだけだったのがね、それがだんだんはてなダイアリからはてなハイクからツイッターから、僕の書くもの表現するものあらゆるものを追いかけられはじめて、全てがブクマされ、リブログされ引用されるようになって、どこで何を言っても全てがその人にチェックされるようになり、ともかくね、雁字搦めで身動きが取れないわけ。その人は、僕の音楽も全部買ってくれて聴いたようで、音楽も好きなようなのだが、ご存じの通り、僕は自分の曲の中で自分の考えをちゃんと言ってる(つもり)ので、そういうような接し方は一番僕が忌み嫌うとわかるはずなのに、ともかくまったく無頓着で、一方通行の一途で僕を、ウキウキウォッチングつづけるのだった。

多分思うに、その人はまったく悪気はないのだった。僕の言葉を引用してネット上にばらまくのも、よかれと思ってやってるのだった。しかし僕はそれが本当に精神的にキツく、毎日毎日、死にそうな気分になっていた。相手は悪気もなく楽しくよかれと思ってやってるんだろう?なんで僕だけがこんなに苦しく辛い思いをして我慢しなければならないのだ?変じゃないか。へんだろ?それ。

そんで、昨日のことだが、遂に言った。もうじゅうぶんだ、と。もう僕から搾り取るのはやめてくれ、と。あなたのやってることは搾取だと。あなたが私の情報を欲しいほしいといって盗るたびに僕がどんどん減ってゆくのだ、と。剽窃だ、と。

そういう気持ちだった。僕はあんなにたくさん曲を書いて歌ってなんでもあげてるじゃないか、と。それなのにそれなのに、まだ何か欲しいのか?と。どこまで僕を削り取るのか?と。僕はあなたの人生の部品じゃない!と。

さて。最後のこの言葉はデジャブですね。先日まったく同じ言葉をある人に言いました。ココで書いたですね。僕は多分ヒドいことを言ってヒドいことをしたんです。でもね、自分の人生をどこかの誰かのために削り取って上げるなんてまっぴらなんです。

僕はこの数日で1年分くらい年取った気がする。


追記。
「悪気はないということの恐ろしさ」

先週僕はあちこち営業に歩いてたのですがね、ある有名なお寺に行ってそちらの住職様と話したときに、たまたまこういう話が出たんですよね。悪気がないとか善意からの行動って言うのは、こっちが文句を言えないのでつらい、と。文句言うと逆切れされたりしますからね。怖いですよほんと。悪気あったりとか直接攻撃された方が、こっちも反撃できるのでまだいいです。それに、理由がはっきりしてるし。善意からの迷惑な行動って言うのはどうにも対処のしようがないので。

昨日の件でね、僕が一番切れた部分は、僕の音楽が好きだという割には、まったく正反対の行動をする、という部分です。それは、僕のことを、いや、僕の作品を愛してるとは言わない。なんだか別な何か、虚像って言うか、自分が勝手に作り上げた架空のものに何か囚われてるんですよね。別に僕に限らず、何かのファンだったりする人にはたまにいますね。たとえば、普通の話をしていてもたまにそんな人がいます。こっちが話してる内容とまったく噛み合わない反応をしてきて、こっちを固まらせる人とかいるじゃないですか。昨日の人や、そういう人って、僕の音楽や話に反応してるんじゃないんですよね。それに乗っかって、自分の話をしようとしてるんです。僕の音楽や話を「自分語りの部品」として使ってるわけです。そんで、もっと自分語りしたいから僕にきっかけをください、って言ってるわけです。これはコミュニケーションとは言わない。

15年くらい前だったかな。僕が自分で曲を作り始めたとき、一貫して「コミュニケーションブレイクダウン」ということを歌おうと決めました。それは当時の知りあいとかもみんな判ってて、そうだよね、唐川さんの曲はそういう感じだよね、と言ってくれました。今でも、僕の曲のテーマは全部がそれですね。だからこそ、昨日のようなことは無性に腹が立った、ということです。僕の音楽が、その彼にとって全然意味がなかったって事ですもん。ものすごい無力感ですね。自己嫌悪です。


それでも、今後も伝えられるように精進して頑張っていきたいですよね。

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