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2009年9月13日

言霊と絵文字スマイル

kobeni_08さんが興味深い事を書かれていました。

皆がwebで「活字の文章」だけで、コミュニケーションをしているということの意味について。日本には「言霊」といって、言葉に魂がこもりやすい、とか言われますよね。それは本来、日本人が、言葉や文章(もちろん、活字のそれにも)に心を動かされやすい民族だからでは?と思いました。(かつては紙にサラサラ書かれた短歌ばっかりでコミュニケーションしてた貴族もいる国だし) それで、maicouさんの言うような「心象風景のデッサン」のように、豊かな方に言葉が駆使されていく分にはいいんだけど、やっぱり「言葉」が非常に怖い武器になってしまってるのでは?ということ。本来、言葉に非常に敏感な民族なので、それをマイナス方向に使うと、傷つける度合いがすごく強いような。言葉を駆使したネット上でのいじめが、小中学生でも起こってると聞きますが、私はそれは、想像以上に陰湿なのでは…?という気がしてしまいます。 その理由として、「活字には言霊がこもりやすい=相手の心に、独特の強さで刻まれる」ということがあるのでは?と思います。その場の雰囲気、間合い、身振り手振り、表情などが一切存在しない、時間の流れも現実とは違うところで言葉を「活字」で駆使するのは、実はwebの手軽さにはほど遠い難しさがある、のかもしれません。


僕はWEBが登場する以前から文章を書いたり、普通の人の文章を読んだりするのが好きで、基本は自分は文字で考えるタイプなんだろうなと思ってます。どんな状況で読んだ文章でも、その目に見える情報、読める部分だけの文字列でも、書いた人の人となりみたいなモノは行間から透けて見えてきます。そういうのが透けて見える瞬間が好きなんですよ。頭に浮かんだ文字がそのままキーボードに直結して打たれたみたいな文字列がとても好きです。

kobeni_08さんの文章は、やはりお仕事にされてただけあって、すごい整った印象を僕は受けるんです。読み手さんに配慮した、読み手さんをとても意識した文章のような気がします。

勝手な想いですけど、それは、どことなく自分の「音楽」にも似ていました。音楽もやはり、脳や心から直結したみたいな音はあります。それに憧れていますけど、自分はそれが出来ない、というコンプレックスがある。いや、僕だってあの、一見整った音列に、思いの丈やら本音やら思いっきり込めているんですけど、それでも、どう頑張っても出来上がったモノは、人にはそう聴かれないんです。勝手にそんなことを思って重ねてしまいました。自由な文字列を産む人に憧れるのも、自分がそういうことを出来ないからでしょうね。それでも、きっと伝えられる方法はあるはず、と諦めずに続けていますけど…。

「言霊」のことは、確かにそう思った。僕の言葉はすごいトゲがあると良く言われます。元々は、フラットに活字のみの情報を届けたいがため、編み出した書き方だったのですが、いつしか、それが攻撃性を持つ自分独自の文体になり、ここ何年かは、自分でもそれを十分理解した上で、人を叩くときはわざとそうしてる部分もありました。攻撃こそ最大の防御という言葉通り、自分が傷つきたくないので、そういう言葉を駆使して先制攻撃することもありました。

でも、最近になって、そういった負の連鎖はよくないことなんじゃないかと、また気づいたんですよね。今さらそんなこと言っても遅いのですけど、大人は大人らしくしていないと、やっぱりダメなんじゃないかと思うのですよ。だって子どもは大人のすることを真似るんですからね。

どこかの国の文化で、自分はあなたの敵ではない、という意思表示で、相手に微笑みかける、というのがあったと思うけど、言葉の場合も、フラットに伝えるためには、逆にそういった何か装飾を纏うような「活字ハック」みたいなことが必要なのかも知れないなと。

それが絵文字だったりするのかな。

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