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2008年8月21日

それを生んでいるのも人間である、という想像力

せっかくの機会なので、この件に付いて記しておく。

これは日本人特有のメンタリティなのかどうか、オレには知る術がないが、確かに、ある時代までは、自分の好きな対象を「貶しながら褒める」という評価の仕方があったと思う。それは例えば親しい友人に対して「こいつはもう変態だからさ」とか半分からかいながら人に紹介する、といったものだ。それは実際は褒めたいのに素直に言えない、というような照れ隠しだったり、親しい仲ならではの遠慮のないやり取りだったりするのだが、そういう価値観って一世代前の感覚だよなあ、とも思う*1

一昔前までのポピュラー音楽評論にも、このような風潮があった。音楽家の、表面上にみえる何かの行動の奇抜さや、作品の中に見出す不整合性などといったものを抽出し、それらを晒しながらも「だがそれがいい」と表明するやり方だ*2

こないだの鬼束さん記事を見たとき、オレは即座にブライアンウィルソンを思い出した。言うまでもない。ビーチボーイズの創立者だ。彼はロックスターとして生きるにはあまりに精神が繊細だった。ゆえに、あのような死ぬほど美しい音楽を生むことも出来たのだが、引き換えに精神に破綻をきたしたのだ。彼の危行は虚実ない交ぜにされまことしやかに語られた。数々の文献を読み返すと、それらの原因は、回りの無理解にあった、と今になって判る。繊細な芸術家であるが故の発想や危行(と呼ぶのも好きじゃないが)を、正面から向き合い理解しようとせず、「さすが天才は考える事が違うわ」と、ある種、紙一重的に扱い、決め付けることで、こちら側への侵食を阻止する。それは実質的に受け入れ拒否でもある。それによって、どれだけその相手がダメージを受けるか。また、その決め付けは、自身の思考停止でもある。考える事が難しいから、「こうである」と決めることによって、その先の深追いをやめてしまうのだ。

一般的音楽ファンにまで、それを背負わせる必要はないと思うし、音楽などもっと気軽に楽しむべきものだ。しかし、音楽に携わったり、それにまつわるメディア、という、クリエイターに極めて近い位置に居る方々が、そのような排除的な発言を行う、ということは、個人的には、不用意で配慮に欠ける行為、とやっぱり思う。彼らは一般人ではない。選ばれて、あるいは、自ら選んでその職に就いている。つまり、そういう立場の人間であることの責任と義務が生じるってことなのだ。

音楽家も芸術家も一人の人間である。自分も同じ人間であるなら、すこし想像力を研ぎ澄ませれば、その相手を理解できないはずがないのだ。いや、結果的に理解できなくても良い。でも判ろうとした、という努力の痕跡は示すべきじゃないんだろうか。

もうひとつ。「作品」というのは、その辺の石ころみたいに最初からそこに転がっているものではない。たとえば、しつこいようだが「サンマは漁師が採って来る」というのと同じ。作品を産んだ人間がいる*3。人間である、ってことは自分と同じように傷ついたりするってことなのだ。人は常に理解者を求めている。自分は誰からも理解されない、と。そうして孤独になってゆく。そういった気持ちが良い作品を産んでゆく原動力になる、というのは、それは確かなことではあるんだが、それでも、いま自分の目の前に居る記者なりインタビュアに「壁を作られた」と感じ取ったときの、この疎外感はどれだけのものか。また先に書いたような、落として持ち上げるようなやり方が(たとえ善意であっても)、どれだけアーティストを傷つけるか。そして、そこから生まれた感情は当事者間だけでなく、あらゆる人に伝わってゆくのだ。何故なら、それは誰もがみんな共通して持っている感覚だからだ。

少なくともそこまでの想像力を働かせる事が出来る人でなければ、メディア関連の仕事に携わる事などできないのではないか、と強く思うのである。

今のブライアンは、幸いな事に正当に評価されているし、理解してくれる友人仲間に囲まれて穏やかに精力的に過ごしているようだ。しかし、ロックポップス界全体を思うとき、そういった例は少ないほうだと判るはずだ。ブライアンはあれでも、愛される人に恵まれていたほうなのだ。60年代のアメリカ。そして今の日本*4。同じ轍を踏まないよう、日々心がける事は出来ると思うよ。


関連エントリ

「悪気はない」ことの罪深さ

*1:この系列で、オレが個人的に一番嫌いな言葉は「愚妻」である。「亭主」が「嫁」の事を「うちの愚妻が」などという。へりくだってるつもりなのかも知らんが、この極めてデリカシーのない表現は、現在最も通用しない価値観だろうと思う(同じような理由で「俺の嫁」という表現もあまり好きではない。ネタならまあ目くじら立てないけど)。
*2:このような評論の仕方が、いったいどこから始まったのか、昔いろいろ考えた事があるのだが、音楽がジャズ→ロックンロール→ポップスと進んでくる段階で増えてきたように思う。クラシックが見事な職人芸&高度な専門芸として成り立っているのに対し、ジャズ→ロックンロールっていうのは大衆音楽なので、確かに稚拙だったり親しみやすかったりした。要するに突っ込みどころが有ったのだ。新規参入評論家の付け入る隙ができたということである。評論のハードルが、上記で示した矢印の流れに沿ってどんどん下がったのではないかな、と。
*3:この件は以前ここで書いてる。正確には「産んだ」という風にはオレは捉えていないのだが、ここでは便宜上そう書く。
*4:岡村ちゃん…

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2008年8月19日

文句言いながら恩恵受けるな~サンマ休漁

サンマ船が一斉休漁 230隻、燃料高窮状訴え

なんとなく、このニュースうちの実家のほうだなーとか思いつつぼーっと眺めてた。実はオレは日本有数の漁業都市に生まれ育ちながら、魚介類全般がものすごく苦手だった。幼少の頃から、あの生臭い匂いとか生々しさに、どうしても慣れなかったのだ。そんなこともあって、物心ついてから成人するまで、強制的に親に食わされた事を除けば、魚料理というものを殆ど食べた事がない*1。人にそういうと「えーーーなんでー??すげえ勿体無い」と今でも言われるが、こういう人はオレだけじゃないと思う。実家が食い物屋で、生まれたときからその匂いに囲まれ、いまや見たくもない、という人は多いんでない?

魚介類からことさら距離を置いていたのには、実はもうひとつ理由があった。それは、漁業町独特の気性やら風習にどうしても慣れなかったからだ。人間的に狩猟系なわけだし、そら荒々しく男らしいのは当然で、幼少の頃から適当で弱っちいオレは、常に、そういう人々のからかいの対象にされたのだ*2

そんな自分がやっと故郷脱出に成功し、それらから開放され社会人になり落ち着いた頃、たまたま先輩に連れて行かれた居酒屋で「ほっけ」が出てきた。先輩が「これうめえんだよ、お前も食え」と言った。内心「オレは魚介類は食わないんだよ、嫌だな」と思ったが、席上断れるわけないじゃん。なので、しぶしぶ箸を伸ばして一口食ったわけだ。

「う、うまい」。

その経験のあと、オレは積極的に魚系料理を食べるようになり、その魅力も十分理解できるようになり、かつての偏見も薄れていったのだった。

今日のこのニュースで、漁港の様子と地元の漁師のインタビュー映像が放送された。それらを見たとき、幼少の頃の自分の気持ちや出来事が、一気に思い出されて「あー、そうそうそんな感じだった。やっぱりオレ魚は好きになったけど、漁港や漁師にはあまり近づきたくねえな…」と当初思った。

でも、しかし。当時感じてたような嫌悪感みたいな、自分の人生から排斥したいほどのウザさみたいなものはあまり感じなかった。うーん、なんでだろう、と考えた結果、それは今の自分が「魚を美味いと思って食ってる」ことに理由があるのではないか、と思ったのだ。

その対象物を「美味い」と思って食ってるってことは、その恩恵にあずかってるということになるんで、そうやっていい思いをしておきながら、それを採った人やその環境の事を悪く言うのは、ひどく筋違いな感じがしたのだ。確かに人として気の合わない人種かもしれない。野蛮な人たちで社会的にどうかと思う人も多いかもしれない*3、でもあなた達の仕事はありがたいよ、と尊敬しても別にいいんじゃないか、と思ったのだ。

こういうことを思ったあと、例えば普段音楽を聴いたりしてるくせに、音楽家はクズとかメンヘラとか、薬物やら乱交やらでろくな人間ではない、とか思われるのも、ちょっとなんだか違うような気がしてきて、それは確かに社会的にどうか、と思うけども、とか言いながら、音楽を聴くって事は遠回りでもそれらを容認してることになりゃしないか、っていうか、旨みは享受するくせに、その生んだ対象を侮蔑するって言うその感覚がよくわからないな、と思ったりした。

オレが以前よくここで書いてた、パクリとか二次創作とかしてその対象を使ってるくせに文句言う、って言う感覚が理解できない、ってことにも繋がっているのだなあと。ニコとかMADみたいなものはオレはおもしろければ黙認したい気分でいっぱいだけど、だからって、好き勝手にしてもいい、とか、それを使う側が言うのはどうなんだろう、という意識が凄くあって、だからこそ、そういう気持ちが使う側に薄いからこそ、クリエイター側も頑固に折れないんだろう、って思う。コピワンとかそういうことでね。

例えばオレが以前のままの感覚で「漁港くっせー、きたねえ、漁師うざい」とか言っててさ、でも「新さんま、バリうめーなー」って、それは漁師も「おまえ食うなゴラ!」って言うでしょ。調子よすぎるんだよてめー、ってことにならないかな?

僕とあなたは人間的に気は合いませんが、それを採ってくれて食わせてくれることには感謝してるんだぜ、みたいな気持ちがないと、それは自分の中で折り合いがつかないってことを凄く思ったわけだね*4

追記
今ひとつわかりにくかったようなので端的に書き直してみる。

オレは魚が嫌いだった。それはオレの生まれ故郷の、漁師とか漁港がなんか下品で嫌だったからだ。しかし大人になって食ってみ て魚がうまいものだと気付いた。美味いものだと思って食うようになってから、漁師や漁港の事を下品とか思うのも失礼な気がした。なぜなら食ってるからだ。

人 の著作物とか勝手に使って編集したりミックスしたり二次創作物を創ったりするのは、100歩譲っておもしろけりゃいいや、と思えないこともないが、勝手に 使う立場の人間が、でかい態度で「別にかまわねえだろ」って開き直って言うのは失礼じゃないのか、と。見世物扱いしてバカにしてるのもどうなのか、と。物 創る人間としては、漁師と同じ気分だ、と。食っておいて好き勝手言うなよ、と。人をき○がい扱いするなよ、と。

クリエイター側のみんながコピワンだのなんだの駄々をこねてるのも、お前らの態度が気に食わない、ってことなんじゃないか、と。そんなずうずうしい奴らには死んでも許可なんかしたくないぜ、と思いたくもなるだろ。少なくともオレはそう感じるぞ。

ここんとこ、自分の事が忙しいので静観を心がけてたのだが、一連の最近の流れ、池田氏の椎名って誰?から始まり、二次創作、と連続されると、さすがの私も腹に据えかねてくる。この件はまた続き書く。


参考エントリ。まさにこんな感じです。
アフィリエイトは儲かんないってば:著作権の話で感じたもやもやを図にしてみた【追記】 - livedoor Blog(ブログ)


関連エントリ。
誰でも当事者になりうる。つい忘れがちだけど



関連ブクマ。
はてなブックマーク - ぼくの描いたこなかが絵がニコニコ動画に無断転載された話 - E.L.H. Electric Lover Hinagiku

関連エントリ。
これってオレの言いたいこと端的に表わしてる気がする。

アフィリエイトは儲かんないってば:著作権の話で感じたもやもやを図にしてみた【追記】 - livedoor Blog(ブログ)

アフィリエイトは儲かんないってば:二次著作でもやもやした話のあとがき - livedoor Blog(ブログ)

ことの始まり。
ぼくの描いたこなかが絵がニコニコ動画に無断転載された話 - ビジネスから1000000光年

*1:寿司を除く
*2:ちなみに母の実家は、これまたなんと酪農家であり手広く乳牛など飼うなどというカウボーイみたいな「荒馬と女」みたいな人たちだったから、そんな親類縁者からも自分は疎まれたw
*3:インタビューの漁師が、ではない
*4:日ごろ、サンマ美味いとか思っても、実際は昔のオレみたいに、漁業関係者のことなんかなんとも思ってないってことが正直に現れた出来事だと思うんだよなこれ。ありがたいとか思ったら、その対象も大事にしてやれ、って思うのが当然じゃないかと思うのだが。そんでオレはその感覚が創作物にも準える事が出来るだろうと今回思ったわけだ。

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