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2008年4月21日

福山のアホ

1800キロも離れたわが故郷より父が来訪中。
一緒に長崎美術館の福山雅治写真展「残響」を観にいった。

私が東京から長崎へ初めて来たとき、
偶然市内の書店で福山氏のインタビューを読んだ。

長崎という街が嫌でしょうがなかった、
逃げ出したくて、原チャで走っていつも挫折した、とか。
東京に出て成功しても、殆どこっちには帰ってこなかった、とか。

それを読むまで、彼がそんな事を思ってたとはまったく知る由もなかったわけですが。
ひとつひとつのその言葉が、まるで自分の事のように、心に刺さってきた。

今の僕も、自分の故郷が嫌で
恐らく二度と帰りたくない、住みたくない、そう思っている。
それは、親との確執や、環境の事や、
または、前にも書いた友人たちとの決別のこともある。
ともかく僕は故郷を捨てたのだ。

そうして1800キロも離れたこの場所で今暮らしている。

同じようにこの街を嫌い出て行った福山氏に
僕は少なからずシンパシーを憶えるよ。

そんな福山氏が、今になって故郷のことを思い、
それを写真にしたり、言葉にしたりしてる。

あれほどまで憎んだ父親と、今ふたりで、
その福山氏の写真展を観ている、ということが、
どこか和解の暗示というか、
もう、お互いが許してもいいんじゃないか、と。

今そうして語り合っておかなければ、
来年再来年が同じようにあるとは限らないではないか。

福山氏も、吹っ切れるのはもっともっと先かもしれないけど
どこか他人じゃないような気もして、看ていたいなと思ったりしてる。


福山といえば。

僕がホテルで働いてたとき、
偶然そのホテルに福山氏が宿泊に来た事があったのですが、
そのときフロントで働いてた女の子が、
「あたしっ!福山の大大大ファンなのー、サインもらってくるっ!」
といって部屋まで押しかけたという事件があって、
福山氏は「えぇ…しょうがねぇえな」と言いながらもサインはしてくれたんだけど、
そのあと「仕事なのにこんなことしていいのかよ?」って怒られたって言う。

そんな話を思い出すのです。

まぁ普通はやっちゃいけませんね。
でもサインはあげたんだね。

クーー。

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コメント

写真展、僕も行かなきゃと思ってました☆

自分は長崎が故郷で、ここには仲間もたくさんいるので、気持ちが想像しかできませんが…あせあせ(飛び散る汗)

長崎はいいとこですよ電球
なぜかって?
僕がいるからです手(チョキ)

投稿: よ〜へ〜 | 2008年4月21日 17:03

Karaさんもいろんな思いがあって、長崎におられるのですね。
私も長崎が嫌で数回出ました。
そしたらなんだか変なもので、遠くから見たら素敵に思えたりもしました。
その土地土地でも、いろんな出会いがあり、言い面悪い面も見たりして、どこに住んでいようと、環境が変わっただけで、自分は自分なんですよね。
正直今の私も両親と確執中です。
でも次の日になったら、普通に電話もかけてきたりもして、
昨日言ったのは何?って感じです。
私も時々、遠くに行きたい衝動にかられますが、
今は逃げないで、逆に立ち向かおうって思ってます。
お父様と今はいい関係になられて良かったですね。
なんだか、一緒に写真を眺めてらっしゃるKaraさんがほほえましいです。

投稿: Lily | 2008年4月21日 17:20

いい話だね…
親との和解、すばらしいね。

捨てることもないよ、故郷。

「ケンタッキーの我が家」とか
「カントリーロード」とか聴くとさ、
ふるさとって人はもちろんだけど
自然も環境もすべてが自分を育んでくれたものだと思える時がくるんだなあって思う。

私は故郷に帰る家がなくなりました。

だから帰るとしてもホテル泊かな。

けどやはり懐かしいのよ。
一番それを感じる器官は鼻です。
匂い…。
空気の匂い、みかんの花(くだもののみかんじゃなくて、みかんの匂いの雑草)の匂い、
釧路デパートの匂い、丸三の匂い、山下書店の匂い…(なくなってるものも多いけどね)

鼻が覚えてるんだね、ふるさとを。

しばらく帰ってないけど、なかなか帰れないもんさ。

投稿: めりーゆみ | 2008年4月21日 17:57

>よ〜へ〜さん

いやあ、あなたはいつも素晴らしいよ。笑。
そういう前向きな考えは十分見習いたいものです。
そうそう。自分が居るから、とね。そして仲間も。
良い故郷を持ってうらやましいです。




>Lilyさん

確かに外に一旦出ると良さがわかったりします。
でも、おととし10年ぶりに釧路に帰ったのですけど、
完全に思い出めぐりみたいになって、
自分にとっては現在進行ではなく、過去の中にあるんだと思いました。
あとは、僕は、昔の自分がとても嫌いなので、
故郷に戻ると、その時の自分にまた戻ってしまいそうで嫌なんですね。
釧路は僕にとって、スゴロクの「振り出し」なんです。
こまを進めて今ここに居るんですよね。そんな複雑な思いで今見ています。




>めりー@PRISM

なるほど。
僕はまだ実家も家もそのまま残ってるから、
そういう意味ではまだ安心な部分があってそう思っていられるのかもしれない。
あなたのように、家がなくなってしまったら、
そのとき初めて、本当の意味で何か気付くのかもですね。
不思議なもので、僕は今でも、何もかもが当時のまま残ってるような気がするんです。
記憶がすごく鮮明だからだよね。
ただ、父から聞いた話や、情報とかで、
僕らが良く行ってた食い物やとかがなくなってしまって、
もうあれは食えないんだなあ、とか思うのはちょっと寂しいです。
そんななか、泉屋が残ってるだけでも、僕らはシアワセですよね!

みかんのはな!なつかしいね!

投稿: kara_ヽ(^o^)丿 | 2008年4月23日 12:49

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