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2008年3月16日

unloved

よくよく落ち着いて考えれば例えばオレなんか、ネットのほかの人たちに比べれば破格に愛されてるはずなのに、なんで自分は全然愛されてないって感じるのだろうか。

それはたとえば。

B → オレ → A

みたいなベクトルになってるからだろう。Bはオレの音楽とか気に入ってくれたり、なんかオレの中に見出して好きになってくれてる人。でも自分はAのほうを見てるわけ。いくらB群の人に好かれても認められても、自分としてはA群の人に見られて認められて好かれなければ意味がないと考えてる。


実は以前、似たような事をここで書いてるんだ。

餌付けピラミッド

元々、人に愛される事が少なかったオレは、B群の人にちょっと人気が出始めた頃、嬉しくて調子に乗ってしまい、それまではAのほうを向いて頑張ってたのに、B群の人たちのほうに向き直ってしまったのだ。そしてB群の人たちに向けていろんなことを発信してるうち、すっかり落ちぶれてしまったというわけ。

その辺の事を書いたのが以下のエントリでしたね。

ありのままの自分を受け入れられると努力しなくなる

それで教訓だったのは、B群の人にいくら愛されても呼ばれても、振り向いたりしてはいけないってこと。しっかりとA群を見つめて進んでいかなければならない。B群の人たちも、Aを見つめて進んでるオレのことが好きなのだ。自分たちのほうに向き直る人なんて魅力などないのだから。

だからね。余談ですが、そういうAに向かって強く進んでた人がさ、なんか最近、B群のほうに向き直ってるなって感じたら、その人はちょっと疲れてるかもよ。周りにそういう人居ないですか、そうですか。

ということで、もう判ったと思うけど、これはAの人にも言えるのね。いくらオレが必死に、振り向いてくれ!愛してくれっ!て叫んでも、A群の人がこっちに向き直ってはダメ。それは「ゲィムオーヴァー」なんだよ。Aの人も、A足りうる為には前を向いてなきゃいけない。

愛されていない、と感じ続けるのは非常に苦しくつらい。しかし、Aに振り向かれて受け入れられるのは困る。だからオレの「愛されたい渇望」も一生満たされる事はない。

しかし、それでいいのだ。

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