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2008年3月14日

表現者の生命力についての考察

子供の頃から何かと過敏症で、ともかく物事に集中できなかった。

夏は汗疹。ちょっとでも出るともう痒いわけ。アトピーではないけど、そういう人の気持ちが夏だけはわかる。冬は冬でリアル毛糸のニットとか着ると触れてる肌の部分が、ちくちくしてともかく痒い。タートルとか着ると、首の部分をずっと引っ張って延ばしてたりしてた。あとは、ベルトとかゴムとか、締め付ける部分ね。あれも痒いね。

あとは通年で鼻炎。ともかく鼻水が出るわけだ。ティッシュ突っ込んでいたい気分。鼻用のタンポンとかなんでないのかね?って思うくらい。そんでクシャミ。昔は目立とうと思ってわざとでかい声でくしゃみしてた事もある。ストレス解消。いまはそんな、おっさんくさい事はしない。

それで気管支喘息も持ってる。これは通年ではないんだけど、季節の変わり目とか、部屋が変わったり、人の家訪ねてそこの環境やらハウスダスト環境によっては、出る事もある。

喘息の人は良く判ると思うが、本当に苦しい。でもおとなしくしてると、何とか普通にしてられる。それがまた他人には「具合悪いと言っていながら元気そうじゃん」ということになり、その疑いの目がすごく嫌だ。

この喘息の発作はいつおきるか判らない。だから、毎日ひやひやしながら生きていた。気分的にすごく落ち着かない。

ということで、勉強でも図工とかでも、とにかく集中できないのよ。何かに打ち込む、ってことは、オレにとってはものすっごくハードルの高い事だった。
だってさ、作業してれば鼻水ズルーだぜ?ほんで身体中なんだか痒い。おまけに近所のやつが騒いでバタバタホコリとか立ててみろ?それ喘息フラグですから。
それで修学旅行とか合宿とかあるじゃん。あれがもうとてつもなく怖い。どうか世界中の神様、喘息だけはご勘弁を。と祈っても出るものは出る。泊まった翌朝、起きて呼吸を確認し、喘息になっていなかったときの、もう天にものぼる気持ちは、ほかの人には理解できないだろう。

そういうわけで、ともかく集中力は5分くらいしか続かないような子供だったのだが、それでもそのハードルを越えて集中できたもの。それが音楽だったというわけですな

なので、オレとしては、それが自分の本能なのだと理解し、そこに生きる道を求めたということだ。

音楽の道に入っても大変だったけどね。でもそこに人生かけてみるか、という気概が生まれたので、今までの経験から、どのような状況で、痒いだの喘息だの発生しやすかったか、綿密に自己分析し、なるべく回避できるよう対処するようになった。つまり、目的がはっきりしたので、ちゃんと生きようかな、とそこではじめて思ったということである。

それでおもしろかったのは、例えば知人に「夏って汗かくからアセモでない?困るよね」と聴いたりすると、ちゃんと答えが返ってくることだった。たとえば「きみは本当にばかだな。こまめに拭いたりするんだよ」とかね。

ほかにも「おまえ、あったかい部屋とか寒い戸外とか環境変わっても、服脱いだり着たりしないよな、それじゃ風邪引くだろ?」と言われた事もある。

生まれてから長年悩ませ続けた、体質問題の解決法がこんな簡単な場所に潜んでたのだ。これらが常識と思ってた人には、なんていうゆとりなんだ?って思うかもしれないが、だが、オレはそういうことを教わってなかった。

というか、教わってたのかもしれないけど、ともかく親とか大人が嫌いだったので、言われてても無視してたんだろうと思う。「ふんっ」って感じで。

結局、結果には原因がある、全面解決できなくとも、可能な限り回避する事ってできるんだなあ。と。すっごく大人になってから知ったのだった。

 

さて。音楽が自分の本能だと心より認識した後、ちゃんと生きようと決心するようになったと書いた。それは、ほかでもない、この自分自身の身体が商売道具であり売り物であると認識した結果でもある。

それまでも少しその気配はあったのだが、オレはなぜかオバサマに人気があった*1。オレの分析はまずそこから始めた。オバサマがオレの中にみる魅力というものを自分なりに分析し、まず外見をその方向性に徹底する。そうしてそれを拡大し、下の世代、同姓にまで広げて行くよう心がけた。もちろんそれは音楽性もそうだ。自分の各作品の中にある、もっとも映える魅力の部分をしっかり分析し、そこをさりげなくフィーチャリングするよう心がけた。

そして上で書いたように、いつ何時どんな依頼があっても困らないように、部屋の環境、健康維持、体調管理などもろもろ徹底した。どんなときでも「最高にかっこいいオレ」であること、そうやって生き続ける事を至上の命題とした。

全部誰かのためではない。自分自身のためだ。そうすることによって人気を得て、人々に認めてもらうことが最高に気分良かったからそうしたのだ。

そうして少しずつオファーなどが来るようになり、いろんな人が適切な意見を言ってくれるようになる。そうして、その人たちが言ってくれる自分の魅力データの蓄積がますます増え、その後の行動がとりやすくなった。

ちょっとずれるけど、オレにとってすごく意外だったのが「あなたは声が良いねー」という意見だった。それまでの人生でオレは自分の声*2を貶されてばかりいて、周りの人も一度も褒めてくれた事がなかった。それゆえ、自分は歌は好きだが、歌で仕事する事は無理だろう、だから作家とかアレンジャーになるしかないな、と思っていた。それなのに、だ。ある時期以降、特に「業界」の方々は「声が良いんだよ」と口々に言うのだ。これは本当に物凄くびっくりしたしショックでもあった。

人は自分のことを知ってるつもりでも、全然知らないんだなあ、と。そして、ごく若い頃の心無い意見は確かに傷つくけど、そんなの一過性のものだ、と。広い世界に出れば、全然ありえないような自分の「売り」を発見してくれる人などたくさん居るってことなんである。
そんなんで、今のオレは、そうした周りの方々に生かされているとも言える*3。そうでなかったら、とっくの昔にメタボ路上生活者とかになって朽ち果てていたのではないだろうか。

どちらも今へヴィーリスナーではないけど、以前オレが好きだったアーティストにビートルズとビーチボーイズが居る。どちらのグループも、オリジナルメンバーのうち2名は亡くなっている。オレはこの生き残ったメンバーの中に「強い生命力」というものを見る。

例えばビーチボーイズのブライアンウィルソンはどうだ?彼なんか、メンバーの中では一番最初に死にそうだったのに、結局ウィルソン兄弟のなかで最後まで生き残ってしまった。ポールマッカートニーなんか見るからに絶倫で生命力強そうだし。対してジョージハリスンのほうは、最後までなんだか頼りない弟のままだった*4。まぁジョンレノンは射殺だったのでなんとも言えないが、今生きてたとしたらマッカートニーとどっちが元気だったか、興味はあるね。

そんな現実と生命力の残酷さを、早々に*5見せ付けられたのが、例のストーンズのブライアンジョーンズだろう。元々結成者でリーダーだったのに、その座をジャガーに取られ、恋人も取られ、バンド内での居場所もなくなった。ロックンロールサーカスでのお客さんぶりは、本当に観るたび辛くなるばかりだ。一般的には、ゴダールの映画の中でのブライアンのことをそう見ることが多いけど、オレは真に残酷なのはロックンロールサーカスだと思う。あの大勢の仲間の中で明らかに一人だけ「お客さん」だとわかるからだ。

誤解を覚悟で言うと、何かの表現者が、すべてを言い尽くしたとき、生命力というものが潰えるような気がしてる*6。ジョーンズのほうのブライアンも、例えば地味辺やシドヴィシャスといった人たちも、もし生きてたらどんな作品を産んだだろう、というIFみたいな興味はわくけども、実際にあれ以上何かの作品を産んだ、という想像はしにくいのだ。ハリスンにしても、過去ログのリマスターが残っていたし、それに付随する回顧録とか残した仕事はある。しかし新譜をあれ以上残すとは思えなかったし、リスナーもそれを望んでいなかった気がする。あちこちのセッションに顔を出しつつ優雅で楽しい余生、それがハリスンのイメージだった。


今回のインスパイアもとはこちらだ。

404 Blog Not Found:バイキング式のレストランで給仕を待つ君たちへ

今回のエントリに関連して言えば、つまり、生きようと思わなければ、そこにある食い物も食おうとは思わないってことだ。

始めのほうで書いたように、様々な障害があって物事に集中する事が本当に難しかったオレは、何かの最中に「ええーい!もういいわっ」と投げ出す事がとても多かった。そして、生きること自体に対してもそう思うのは時間の問題だったと思うのだ。それが、「自分は音楽で生かされている」と気付かされたとき、むくむくと「生きたい」という欲望というか本来の本能が目覚めてきたのだ。

喫煙者は緩慢な自殺をしている、という言い回しがあるけど、まあその言葉の是非はおいておいて、生きたいと思ってない人はみんな「緩慢な自殺」を望んでるんじゃないのかな。もちろんオレもそうだった。さっさと人生過ぎてくれって思ってた。「今は死ねない」と思ってから、初めてその為に動き出すのだ。

*1:その前兆がこんなところにw 私の人生暗かった
*2:歌じゃない。声。うまいし音域も広い、でも声が嫌い、と言われ続けてきたのだorz
*3:今のオレは体型と体調と声の維持を至上命題として生きている
*4:貶してるわけではない。反論無用
*5:ロック創世記で一番最初に亡くなった有名人が彼じゃないか、と。
*6:自殺を除く。自殺っていうのはまた何かの表現なんじゃないかという気もする。

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