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2008年3月30日

歌なんだから語りかけるな。

これはもう昔からの僕の個人的趣味なので、しょうがないので許してほしいんだけど、ともかく、歌とか音楽というのは、歌や音楽である以上、音楽として成り立たなければ存在の意味がないと考えている。

だから、語りかけるように歌う、とか、言葉が染み渡る、とか、そういうジャンルの音楽(って言えるのか?)が大嫌いだ。よくいるでしょう。どっかの田舎に行って大自然の中でアコギで歌ったりする人*1

たとえば歌を歌っている人に対して、詩がいいとか言葉がいい、という褒め言葉は、それはイコール曲はつまらない、と言われてるのと同義だと捉えるべきなのだ。そんな褒め言葉は文芸の分野なんであって、僕にとっては音楽に対する褒め言葉ではない。
そういう事を重視するなら、例えばトラックだけ流して朗読とかラップにすればいいだろうと思う。その言葉にメロディが付いてる理由を考えてほしいのだ。歌というのは総合芸術。言葉とメロディと和声進行による感情の動きが、すべて見事にリンクしたときにだけ起こる相乗効果のリアリティ。そのどれが欠落しても音楽とはいえない。

音楽を創っている、と自負するならば、言葉に費やす時間とエネルギーを、ちゃんとメロディと和声進行のほうにも費やせ、サボるな、と言いたい。そうしてサボった結果、完成度の低い楽曲になってもそれ自体は自己責任でしょうがないけど、それを持って歩いて、路上だの慰問だので、弱者に媚びたり押し売りするなと言いたい。

アーティストみたいな人を見慣れていない、そういった音楽弱者な人々は、目の前で目を見つめられながら「語りかけられる」ように歌われると、「素敵…」って騙されてしまうだろうが。極めて卑劣なやり方だ。

なぜここまで厳しい事を書くかというと、それは、その手の方々が絶対に手を抜いていると確信するからである。何度でも書くが、これは「音楽」なのである。朗読ではない。歌詞に費やすのと同じだけの努力と時間を、音のほうになぜ割かなかったのか。それができないのなら、なぜコラボレーションなり共作者を見つける努力をしなかったのか。それはメロとか音楽というものを舐めてるのではないか。適当に音程の高低が付いていて、あとはパフォーマンスや歌声でごまかせば、楽曲「風」なものになるだろう、的な傲慢さがなかったか?

そういうことは中高生にのみ許される事であって、いい年をした大人のやることではない。音楽と言うのは、そういった傲慢な人を惹きたてるための道具ではない。そういう行為を日々犯しながら、「音楽とは音を楽しむ事だ」などと詭弁をほざく人は、全員音楽の前にひれ伏すべきだ。

*1:一応断っておくけど、そのジャンルでもプロの人はちゃんと、それなりの完成度あります。

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