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2008年2月19日

恐竜の退場

前回のエントリを書いた翌日、知人がやってた音楽プロダクションのうわさを聞いた。「カバー曲をやるイベントばかりしていて仕事が減った」というものだった。あまりのタイムリーさにびっくり。

もちろん、その事務所も最初からカバーアーティストばかりだったわけではない。しかしワンマンで通っていた事務所代表が、前回書いた典型的な「カバーする事で天才の音楽に触れたい派」だったのだ。彼は、そういったタイプの人によくあるように、若者に「音楽とはこうあるべき」論を押し付け*1、自身も先達の優れた音楽を率先して演奏し、その素晴らしさを布教していた。結果、ライブやイベントごとでの、オリジナル対カバーの比率が2:8程度となってしまい、その結果がそういうことらしかった。

以前散々書いたけど、オレは昔から、自分らの世代の上にどーんと君臨してる、そういった世代が大嫌いだった。何につけ「するべき論」で語り、彼らの文化や考えを押し付けてきた。そのワンマン代表も典型的なそんな世代だった。ともかく「命令絶対規則はいっぱい音楽共和国」だったのだ。

その常識が覆るときが来る。それが90年代前後からのCD再発ブーム。過去の名盤から知られてなかった逸品から、ともかく片っ端にCD化。加えて、渋谷系元祖とも言える人々が、今まで隅に追いやられていたソフトロック、サントラなどと言った音楽に光を当て、その存在と素晴らしさを若者に広く告知。それまでマニアしか知る由の無かったそれらの情報が若い音楽ファンの一般常識となったのだ。

そうして逆襲が始まる。それらの新発見音楽に、旧来の世代はほとんど着いていけなかった。旧来世代の提唱する音楽に飽き飽きしていた若者は、新発見音楽こそ自分たちの音、と理解。そうした音楽に影響されたアーティストの書くオリジナルも当然また素晴らしく、国内での楽曲レベル平均をどんどん上げた。自分の言葉と音を持つものには、誰も敵わなかった。

結局、いまや旧来ロックはかつてのジャズのような立場となっている。年齢が上のマニアックな人々が楽しむもの、みたいな。あるいは、バーなどと言ったラウンジ向け音楽*2

この話は個人的におもしろいな。次回もまた続けようと思うよ。

*1:本人は押し付けているつもりは無い
*2:反体制の象徴だったのにねえ…

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