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2008年1月12日

脱ぎ捨てた服

昨日のエントリ含め、最近の記事は偏見に満ちているように感じられる方も多いかもしれない。しかし、全て自分の実体験から導き出した結論であり、「そういう傾向がある」のは否めない事実だと感じている。

過去もそうだったが、オレがこういうことを言い始めると、大概周りの人間は黙り始め、孤独な状態になる。オレは第一印象がとても好印象らしく、また物腰も口調も柔らかなので、その裏に隠されたオレの実際の性格を知ったとき、その落差に驚いてみんな退いてしまうのだ。決して嫌われるわけではないのだが、気軽な友人、という間柄から脱落するんだと思う。

接客業から音楽家に転身する、その前後で非常にこういうことが多かった。それまでの友人はほとんど離れてしまい、かといって誰も理解してくれず、毎日孤独で、泣き喚きたいのを必死にこらえながら暮らした。そのとき満身の思いで製作していたアルバムが結果的に認められたわけだから、結局「そういうこと」なのかもしれない。

音楽家に転身しアルバム製作が終わってから、徐々に新しい交友関係が開けていった。それまで決して会うことのなかった種類や職種の方々と知り合った。そしてその誰もが、オレと同じ悩みを共有していて、お互いに「わかる、わかる」と言い合い、がんばろう、と励ましあった。悪い言い方をすれば「傷の舐めあい」ではあるが、それでも舐めあう相手が居るというだけで、明日も生きてみるか、という気持ちになったのは事実だ。

彼らは決して助けてはくれない。自分を救えるのは自分だけと判っているからだ。だから「頑張ってくれ」しか言えない。安易な「頑張って」は昨今とかく非難されがちだが、この「頑張って」は本当に価値があるよ。本当に価値がある「頑張って」はそれを言われたものにしかわからない。そして、それを受け入れられる準備が整った人間しかわからない。

先日書いたことだが、オレは同じ場所に留まるのが嫌いな性格だ。だから誰かのマニアをいつまでも続けている人が理解できないし、他人を信仰し続けるような種類の人とも理解し合えない。
それは別に、オレが飽きっぽいからということではない。対象を食い尽くすと次に行きたくなってしまうのだ。もう充分得る物は得た、と身体が判断し、受け入れなくなってしまうのだ。

昨年末アルバムの製作が終了し、会社も終わり、季節も変わる。つまり衣替え。お世話になった古い冬服を脱ぎ捨てる時が来たってこと。この「衣替え」という概念は、15年前の転身の時に気付いた考え方だった。そっか。オレは古い服を脱ぎ捨てたんだな。と。

まぁ凹んで居ないといえば嘘になる最近であったが、少し時間が経ってから、表に現れない部分でいくつか応援メッセージを頂いた*1

心からお礼を言いたい。


さて。新しい服探しに行かねば。ギャル系にしようかな(は?)。

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