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2008年1月10日

誰かのマニアであるということ

自分が音楽をやっている身でこんなことを言うのは甚だ失礼だと思うのだが、特定のアーティストなりバンドの熱烈なマニア(ファンではない)というのは、つまりその事実だけで、どこか人間的欠陥がある人だと思っている(もちろん自分も含む)。
彼らは、自分がその対象の一番の理解者で全てを知っていると誤解し、日々の言動もその信念を元に行なう。ほとんどの場合、誰に指摘されても、自説はまったくと言っていいほど曲げない。なので、ファン同士、マニア同士で諍いが頻繁に起こる。こうなると宗教だよな。
これが一般人だと「まぁしょうがないねえ」で済むが、こういうマニアというのは熱が講じて、その世界の一人者になってしまうことがままあるので、そうなると実害を撒き散らすことになり、始末に終えない。
たとえば、そういう方々の出版するアーティスト研究本などというものに顕著である。マニアとしては一流だからそのデータは確かに素晴らしいものであるが、人間的欠陥がある方々なので、読んでいて不快になることが多いのだ。そのアーティストをべた褒めし、返す刀で敵対アーティストを貶しまくるとか*2、読者やファンの殆どが「それは間違いですよ、あなたの勘違いですよ」と指摘しているのに、絶対訂正しないとか。それはもう大人気ないことこの上ない*3

そんな彼らと付き合ったり著作を読んだりすると、本当なら関係ない筈の、そのアーティスト自体も嫌いになってしまう。実際に過去オレは、そういう事情で聴かなくなった、或いはファン熱が冷めてしまったアーティストが結構居る。

なので今のオレは、誰かのことが好きでも、決して口外しないようになった。汚されたくないからね。そして、そういった自称マニア連中からも距離を置くようになったのだ。

以前ここで書いた、カバー曲をやらない主義という考えはこういう過程で生まれた。おっさん世代はあまり娯楽がなかったからか、ともかく「思いが重い」人が多いのだ。しかし時代が昔なので洋楽データの輸入絶対数が少なく、少ないデータのみで勝手に思い込み勘違いしていることが多く、またそれを訂正してあげても直さない。本当に困る人たちである。
オレが勝手に今の30代以下の世代に期待してるのは、彼らの世代にはこういったことがあまり見られない気がするからなのだ。全てのメディア関係の価値観を、一旦フラットにしてほしいと心から願っている。

焼き野原の後から新しい文化が生まれる。自分もその時に生き抜いていけるよう準備はしておこう。

*2:ただ褒めてりゃ良いのに貶すほうは余計
*3:以前からよく書いているビートルズ関係のマニア本出版利権などがそれに当たる。

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