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2008年1月31日

セサミストリート 2

ということで第2回目。

えっと、順番は特に決まりはないんですが、
すぐ消えては困るものを優先してます。

今日はグローバーが歌ったこの名曲。

「What Do I Do When I'm Alone?」
http://www.youtube.com/watch?v=Wnw7hNjex_k

連動してるこのコーナーでも語ってるように、これは大人になって、子供のころ録りだめしたテープを聞き返した際に発見したのです。もうね。ものすっごく感動したのですよ。
そんで、すぐにギター取り出してコードを完コピーしました(耳コピはだいたいギターでやります)。

夢のような進行に夢のようなアレンジが付いて夢みたいに完成しています。こんなの自分で作ったら、もうその後の人生、音楽やめてもいいって思うかもしれないなあ。それくらいすごい曲だと思います。

ペットサウンズもそうだけど、音楽を聴いて演奏して歌って、いろいろ耳が勉強してなれた頃に出会ったんですよ。だから、すごく自然にするーーーっと入ってきたのです。まったく違和感なかった。「この曲が良い曲だと理解できる自分に感謝します」と本当に思ったわけです。

幸せな出会いでした。

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2008年1月30日

セサミストリートという原風景 1

予告したとおり、
僕の音楽性の基本となったセサミストリートの挿入曲を、
これから毎日紹介していきます。

これは僕のサイトの「マペットの歌」というコーナー、
http://homepage.mac.com/marco_/archives/sesame_street.html
と連動しています。

それで!!!記念すべき第1回!!

本日ついに発見しましたっ!!!
オリジナルの「SING」です!
http://www.youtube.com/watch?v=EOFY52PAPoc

上のサイトで書いてるとおり、
僕はカーペンターズが好きではありません。
(好きな人すいません)

理由なんですが、リチャードが勝手に、
曲のコードやらメロディを改悪するからなんです。
ともかくそういう癖があるんですよ。あの人は。

それでね。セサミのSINGを聴いてみてください。
「ランらららら〜」という部分が違うでしょ?
僕はこっちを先に聴いたのです。
というか、こっちがもともと先でオリジナルなんですよ。

なので、あとになってカーペンターズがカバーしたとき、
オリジナルのメロディのほうが良いのに何で変えたの??
って思って、ものすごく悲しくなったわけです。

こっちは別バージョンですね。
http://www.youtube.com/watch?v=Pwr-zib2gIc

オクターブ違ったりはするけど、
メロはほぼ同じです。

リチャードという人は、イェスタディワンスモアのコードも
後に改悪してるんですよね。
ほんとにわからない。まったく理解できません。

僕の音楽活動は、こういった悔しさとか、
理不尽なことに対する怒りから始まったんです。

音楽があるべき形で正しく浸透してほしい、っていう純粋な
というか、ある種、無謀な理念というか、挑戦ですよね。

それが30年以上続いてるわけです。

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2008年1月18日

「萌え」でオタクが「イタリア人」化される件

ちょっと前だが、id:ymScott氏界隈で「萌えってのはつまり性的に欲情しているってことを言い換えてるだけでは?」みたいな話題を読み、なるほどと思っていた*1

僕が思うに、「萌え」っていうのはオタクジャンルの人たちに与えられた、初めての「欲情語彙」だったんじゃないかなと思う。

以前ちょっと九州男子の事を書いたけど、古来「男」という動物は、異性を見れば欲情するものなのであって、街角だろうがバイト先だろうが、良いと思ったら「よーネエチャンいいねー」とか言うのが男らしいみたいな風潮が確かにあったよな。

最近ケーブルで昔のドラマたくさん見れるじゃん。「俺たちの旅」の中村雅俊氏とか「探偵物語」みたいなのとか観てると、なんか主人公みんな普通に、街角の女性のオッパイや脚眺めて「イイね~」とか言ってるんだよな。今じゃありえんよな、と思ってちょっとびっくりするよね。中村雅俊氏の視線ってのは普通にエロいんだけど、まぁ個人の好みとは思うけど、彼のキャラのお陰で、それほど不快感も感じないように上手く作られてた気はする。

こういう風に単刀直入に欲情するのって、昔はある一定のキャラ以上の人とかに許された行為だったと思う*2。それがだんだん普通の人でも、そういうこと冗談で言ってもいいんだ、という風潮になってきて、そんでセンスのない人が大量流入、冗談と思えないような引かれる言い方をしてしまい、結果セクハラみたいになってるんだろうと思う*3

「足を見るオジサンはチカン」

この事件なんか、それをもっとも端的に表してるじゃん。

所謂オタク系の人って、そういうことを本来いちばん言ってはいけないジャンルの人たちだった。これは自分もそうだったから判るけど、なんか生理的にキモイんだってうのはよく判る。オレも中学時代とかはよく言われたよ。気持ち悪い、観るな、触るな、とかですよ。「あの子かわいいよね」とか言ったらクラスじゅうドン引きですよ。可愛いと言われたほうはその日から同情の対象ですよ。何にも悪いことしてないのに、ってw


「おーネエチャンいいねー」という言葉を持たず、ヒュ~ヒュ~と口笛も吹けず、ジトーーっと眺めるだけで行動もせず、その不気味さに気持ち悪がられる、という不遇な市民生活を強いられてきたジャンルの人々に、初めて与えられた言葉「萌え」。やっと独自の言葉が生まれたってことか、と。感慨深いわけです*4

こうして、キモキャラの人でも、とりあえず「萌え」とか言っておけば、いくらジトっと脚見てようが何してようが、その場は取り繕えるようになる。挙動不審がられることも少なくなる。そんな、新式の処世術みたいなものだろう、と。

こうなると10年後くらいの会社の宴会がたのしみですね。空気読めないおっさんが、若い子相手に「き、きみって萌えだよね、ッヒッヒ」とか言ってセクハラで訴えられてる場面が、ものすごく想像つくんですが、どうでしょうか。



関連
:「足を見るオジサンはチカン」…アイドル「AKB48」大島ブログが大炎上

追記。
発信元のほうで話題が広がっていましたのでリンク。

・・・何でオレが「萌え」について語ってんだ。 - Scott’s scribble - 雑記。
「萌え」って何?という話 - 5100度の炎

確かに元々はこういうことだと思います。フェチと紙一重な感じではありますよね。

*1:始まりは初音ミクの話題からだった
*2:スケベをエロに見せる才能とか、或いは元々かっこいいとか、或いはイタリア人であるとか
*3:それをセクハラと感じるか否かって言うのは、やっぱり「そのやりかた」だと思うから(2015年追記。当時の見解です)
*4:2次元のことについては今回敢えて触れなかった

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2008年1月14日

私は初音ミクじゃないっ!

オレが長いことプロデュースしてる女性のレコーディングが昨日久々にあった。この方の場合ちょっと関係が特殊で、他の子のようになかなかスムーズには事が運ばない。何故なら、この方は自己存在証明のために歌を歌っているからだ。もちろん他の子もそうなのだけど、昨日の方の場合、それがもっと繊細で複雑、というか、自分の中でのイメージと、実際の完成度との違いに「これでいいのだろうか?」とものすごく悩む人なのだった。
そんなわけで彼女とはよく喧嘩になるのだが、昨日はその頂点だったとも言えた。休憩中にたまたま観たビデオで流れた、某アニメ声優さん(SH)の歌がきっかけだった。


「なにこれ?ちょっと声が良いからってなにこれ?」
「修正しまくりで、それでもこうやって売ってるわけだ」
「こんなこと自分がされても意味ない、そんなの私じゃないっ」
「こんなんでいいんだったら、さっさと他の子探してくれば?」
「私は初音ミクじゃないっ!貴方の言いなりのお人形じゃない!」

おー!
彼女の口から「初音ミク」!
否定的意味合いでの「ミク」言及キターーーー!
笑。


この発言は嬉しかった。実はちょっと前までオレらは「初音ミクはおもしろいよね」と言って喜んでいたのだ。しかし実際は、様々な想いや葛藤があったってことだよね。こうして思いを吐き出したあとレコーディングは再開、その日のベストテイクをものにすることが出来た。

以前も書いたが、実はオレも自分のプロデュース作品に、べったり「自分色」を着ける人間である。しかし、自分がそうされることの拒否感もよく知っているので、相手が不快に感じる、というその気持ちや、そうならない寸止め加減もよく知ってるつもりだ。今のオレは、相手に「どうしたいか?」必ず尋ねる。なんでもいい。イメージでも言葉ひとつでもいいから言ってくれ、という。
たとえばそれで相手がひとこと「オレンジ。かな…。」と言ったとしよう。そこからイメージを膨らませて「オレンジ」な曲を創るのだ(オレが作るのは「曲」。サウンドではないことに着目。オレは常に「曲」で完結させることが究極の目標なので)。

この話は語りきれないな。またそのうち続きを書きたい気はする。

関連過去ログ(両極端)。
ヴォーカリストを不在化させる初音ミク
自分の存在の証が欲しいのです。

関連ブクマ。
POP2*0

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2008年1月12日

脱ぎ捨てた服

昨日のエントリ含め、最近の記事は偏見に満ちているように感じられる方も多いかもしれない。しかし、全て自分の実体験から導き出した結論であり、「そういう傾向がある」のは否めない事実だと感じている。

過去もそうだったが、オレがこういうことを言い始めると、大概周りの人間は黙り始め、孤独な状態になる。オレは第一印象がとても好印象らしく、また物腰も口調も柔らかなので、その裏に隠されたオレの実際の性格を知ったとき、その落差に驚いてみんな退いてしまうのだ。決して嫌われるわけではないのだが、気軽な友人、という間柄から脱落するんだと思う。

接客業から音楽家に転身する、その前後で非常にこういうことが多かった。それまでの友人はほとんど離れてしまい、かといって誰も理解してくれず、毎日孤独で、泣き喚きたいのを必死にこらえながら暮らした。そのとき満身の思いで製作していたアルバムが結果的に認められたわけだから、結局「そういうこと」なのかもしれない。

音楽家に転身しアルバム製作が終わってから、徐々に新しい交友関係が開けていった。それまで決して会うことのなかった種類や職種の方々と知り合った。そしてその誰もが、オレと同じ悩みを共有していて、お互いに「わかる、わかる」と言い合い、がんばろう、と励ましあった。悪い言い方をすれば「傷の舐めあい」ではあるが、それでも舐めあう相手が居るというだけで、明日も生きてみるか、という気持ちになったのは事実だ。

彼らは決して助けてはくれない。自分を救えるのは自分だけと判っているからだ。だから「頑張ってくれ」しか言えない。安易な「頑張って」は昨今とかく非難されがちだが、この「頑張って」は本当に価値があるよ。本当に価値がある「頑張って」はそれを言われたものにしかわからない。そして、それを受け入れられる準備が整った人間しかわからない。

先日書いたことだが、オレは同じ場所に留まるのが嫌いな性格だ。だから誰かのマニアをいつまでも続けている人が理解できないし、他人を信仰し続けるような種類の人とも理解し合えない。
それは別に、オレが飽きっぽいからということではない。対象を食い尽くすと次に行きたくなってしまうのだ。もう充分得る物は得た、と身体が判断し、受け入れなくなってしまうのだ。

昨年末アルバムの製作が終了し、会社も終わり、季節も変わる。つまり衣替え。お世話になった古い冬服を脱ぎ捨てる時が来たってこと。この「衣替え」という概念は、15年前の転身の時に気付いた考え方だった。そっか。オレは古い服を脱ぎ捨てたんだな。と。

まぁ凹んで居ないといえば嘘になる最近であったが、少し時間が経ってから、表に現れない部分でいくつか応援メッセージを頂いた*1

心からお礼を言いたい。


さて。新しい服探しに行かねば。ギャル系にしようかな(は?)。

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2008年1月10日

誰かのマニアであるということ

自分が音楽をやっている身でこんなことを言うのは甚だ失礼だと思うのだが、特定のアーティストなりバンドの熱烈なマニア(ファンではない)というのは、つまりその事実だけで、どこか人間的欠陥がある人だと思っている(もちろん自分も含む)。
彼らは、自分がその対象の一番の理解者で全てを知っていると誤解し、日々の言動もその信念を元に行なう。ほとんどの場合、誰に指摘されても、自説はまったくと言っていいほど曲げない。なので、ファン同士、マニア同士で諍いが頻繁に起こる。こうなると宗教だよな。
これが一般人だと「まぁしょうがないねえ」で済むが、こういうマニアというのは熱が講じて、その世界の一人者になってしまうことがままあるので、そうなると実害を撒き散らすことになり、始末に終えない。
たとえば、そういう方々の出版するアーティスト研究本などというものに顕著である。マニアとしては一流だからそのデータは確かに素晴らしいものであるが、人間的欠陥がある方々なので、読んでいて不快になることが多いのだ。そのアーティストをべた褒めし、返す刀で敵対アーティストを貶しまくるとか*2、読者やファンの殆どが「それは間違いですよ、あなたの勘違いですよ」と指摘しているのに、絶対訂正しないとか。それはもう大人気ないことこの上ない*3

そんな彼らと付き合ったり著作を読んだりすると、本当なら関係ない筈の、そのアーティスト自体も嫌いになってしまう。実際に過去オレは、そういう事情で聴かなくなった、或いはファン熱が冷めてしまったアーティストが結構居る。

なので今のオレは、誰かのことが好きでも、決して口外しないようになった。汚されたくないからね。そして、そういった自称マニア連中からも距離を置くようになったのだ。

以前ここで書いた、カバー曲をやらない主義という考えはこういう過程で生まれた。おっさん世代はあまり娯楽がなかったからか、ともかく「思いが重い」人が多いのだ。しかし時代が昔なので洋楽データの輸入絶対数が少なく、少ないデータのみで勝手に思い込み勘違いしていることが多く、またそれを訂正してあげても直さない。本当に困る人たちである。
オレが勝手に今の30代以下の世代に期待してるのは、彼らの世代にはこういったことがあまり見られない気がするからなのだ。全てのメディア関係の価値観を、一旦フラットにしてほしいと心から願っている。

焼き野原の後から新しい文化が生まれる。自分もその時に生き抜いていけるよう準備はしておこう。

*2:ただ褒めてりゃ良いのに貶すほうは余計
*3:以前からよく書いているビートルズ関係のマニア本出版利権などがそれに当たる。

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2008年1月 4日

正のエネルギー

朝から、過去いろんな人に頂いた応援メールなどを見返していた。「力を貰いました、ありがとう」とか「がんばってください」とか、まぁありがちな内容なのだが嬉しいものだ。 よくオリンピックやなんかでほら、TVあてに応援ファックス送って、とかあるじゃん。こんなん送っても別に何も変わらんのに、と普段は思うんだけど、こうして見ると、いややっぱり変わるかもね、って思うんだよね。

日本人というのは割と悲観的な国民柄で、マイナー(短調)な曲のほうが受けが良いのよね。その傾向が端的に現れてるのがネットだと思ってるんだけど、例えば、直接ライブとかに見に来る人だとね、オレの曲も前向きで明るい曲のほうが受けがいいわけさ。でも、ネット投票とかになると、悲観的でマイナーな曲のほうが凄く点数集めたりしてね、おもしろい現象だと思った。

その話を以前音大出の知人と話したことがあったんだけど、短調の音楽は感情移入しやすいんだよね、とか言ってて、ああそうかもねえ、と。まぁクラシック音楽自体ヨーロッパ中心なんだから、あの辺もまた悲観的地域だからさw、確かにそうかもと妙に納得した。
このブログは毒抜きみたいな部分があって、やっぱり外面で「頑張ります!」とかばかり書いてても疲れるわけで、精神的バランスを取るために始めたんですよ。でも結局オレの資質は変わらないわけでね、負のエネルギー撒き散らすより、正のエネルギー出したほうがいいんじゃないか、ってなるのよね。

ネット始めた頃はそれほど顕著じゃなかったけど、最近、負のエネルギーって凄く蔓延してるなって思って、しかもね、こないだのid:hashigotanさんみたいな、ある意味「センスある負w」っていうのではなくて、ただ、ダラダラと「負」、なんとなく「負」みたいな人が多くて、辟易してた部分もある。もちろんそれも真実だから「オマエラ変だ」とまでは言わないけど、そういう「ネット民性」なんだろね、とは思ってた。

オレもクリエーターの端くれとして、そういう村民に受けそうなマイナー曲というのは書けるだろう。前述したネットで人気の曲みたいなジャンルのヤツ。でもね。今ライブでも実際その曲取り上げてやってるんだけど、やっぱりそういうの歌うとね、自分も暗くなってくるんだよね。そして、「わかるわかる」っていう負の共感エネルギーっていうものが集まってくるのも如実に判る。
そのエネルギー浴びてると、「あーここに埋没するとまずいっ」って凄い危機感覚えるのですよ。

オレらの周りには幸い前向きな人が集まってくれて、負に埋没することはそれほどなく済んでる。それは自分自身も負に溺れないよう気をつけるようになったっていうのもあるだろう。ここで散々書いたように、オレの過去はお世辞にも明るい幼少時代とは言えなかったがね。いつまでもそれ言ってても始まらないからね。

ましてや今は、注目を浴びる立場でもあるわけだし、であれば尚更、「負」ではないよう日々気を付けて居なければならない、それが責任だと思っているよ。

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