« 演奏至上主義からの脱却 | トップページ | 過酷なレース。 »

2007年11月26日

私の人生暗かった

ネガティヴなことを書くとネットで人気のようだから書くことにしよう。

痛いニュース(ノ∀`):生徒「ペアの相手が見つかりません」 教師「探せ!」と尻を蹴り手首を骨折させる

ちょうどこういった話題もあり、いろいろ振り返って思い出していたところだ。

オレの学生時代は、上記ブクマではないが、ハブラレ人生だった。体操で組になってくれるヤツなど誰もいなかったし、遠足の班もそう。席替えでも「ハズレくじ」扱い。昼飯も一人。最後のそういう経験は、高校の修学旅行の班決めだったな。
もちろんイジメのターゲットでもあった。ひとつひとつ覚えてないが、何かと難癖つけられて嫌がらせもされた。廊下の壁に書かれた級友の悪口の落書きの犯人扱いされ、放課後の数時間集団でボコられたこともある。高校時代、一人で弁当を食ってたら、いきなりそこに唾を吐かれたこともあった(かろうじて弁当からは外れた)。

部活のセンパイのいびり対象でもあり、他の部員は決して課せられることのない、過酷な「特訓」を何度も受けた。

そんなオレでありながら、ただ暗いというのではなく、あり得ない妙な悪戯などをしたりしたものだから、本当にこいつは真性なんじゃないか、と思われていたと思う。国立大付属の小中に通っていたオレは、ほぼ毎日のように教師に呼び出され「迷惑だから早く辞めろ(公立に行け)」と言われた。それでも辞めなかったのは、当時から意地だけはあったのだろうかね。そんなわけだから、教師にもろくな印象はない。常に自分は不当に扱われていると感じていた。平等扱いなど程遠く、明らかに全員の教師がオレを疎んじていた。数人で同じことをしても怒られるのは自分だけ。これって個人的欲求不満解消じゃないの?と思うくらい、延々とぶん殴られたこともある(この時オレを殴り続けた教師は、その後問題を起こし転勤した)。ともかく、大人にとってもオレという人間は、癪に障る存在だったことは確かだ*2

前述した体育教師のブクマ。骨折はさすがに言語道断だが、先ほど書いたように、怒られるのは必ず「こっち」なのだ。いくら「オレはみんなからハブられてるんです」と訴えたところで「うるせえ。オマエが悪い」と言われるだけだ。
それを良く判っていたので、「またハブだろうけど、気にしない」という態度を表面上はとり続け、教師の逆鱗に触れぬよう気を付けていた。もちろん傷つかないわけないよ?「またハブだ」がどれほどの苦痛であるか。しかし人間、なんでも順応してくるものだからなあ。

さて。そんな中三の頃起こったのが「教育実習の女先生」事件だ。このとき実習にやってきた女子大生*3は、以前から何かと眼をかけてくれていて、ハブで虐げられてたオレを、名前に君付けで呼び、何かと構ってくれたのだ。もちろん、最初は戸惑ったけど、嬉しかったね。そして体育の時間、組になれず余ってたオレに声をかけ、「さぁ。一緒にやろっ♪」と言ってくれたわけだ。もちろんミッチリ柔軟&組体操しましたよ♪

授業が終わったあと、クラスの男子10数人に囲まれ「てめえ、羨ましすぎるんだよ!!!!」とフルボッコにされる。しかし、以前とは違う空気があった。同じフルボッコでも、どこか暖かい空気を感じたのである。こいつ変でウザいけど、まぁおもしれえヤツかもな、というような*4

その後、その教育実習「女先生」とはどうなったかというと、これがきっかけで、オレは妙に気恥ずかしくなり彼女をなんとなく避けるようになってしまったので、残念ながら青春映画みたいな展開にはならなかった。

オレの学校での地位も扱いも、その後もさして変わらなかったが、なんとなく気持ちに余裕が出来た気はする。それ以前の諦め的な感情ではなく、「生きてればたまには良いこともあるな」という感じに思えるようになったということだな。

今でも彼女に対してはとてつもなく感謝している。逢ってみたいけどな。夢は壊さないほうがいいだろうな。

*2:家庭でも同様だった
*3:今思うと教育実習だから二十歳くらいだよね。すげえウラヤマシス>当時の自分w
*4:なぜならみんなの顔が若干笑っていたのだ。

|

« 演奏至上主義からの脱却 | トップページ | 過酷なレース。 »