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2007年11月11日

本当の言葉を見抜く

長いことメディアを見続けて、なおかつ言葉を紡ぐような仕事に携わっていると、言葉の裏や奥にある本音を、自ずと求めるようになってくる。

勝手な自論だが、80年代中盤以降産まれの若者は、自分を一番魅力的に見せられる「決めフレーズ」に長けている気がするな、と思っている。生まれたときからビデオカメラが身近にあったので、動画の被写体として撮られ慣れているからだろう、と理由を勝手に想像している。

ビートたけしはツービートで、それまでのメディアや世間の「お約束」というやつを片っ端から破壊した。刑事ドラマも青春ドラマもすべてパロディやお笑いのネタになり、真面目に捉えられなくなった。しかし、80年代中盤のバブル文化で、また別なスタイルの「お約束」が生まれてしまった。クリスマスには彼女とホテルで、とかそういうやつだな。

現在の文化は基本的にその流れの延長上にあり、誰もが知らずのうちにその「お約束」の下で生きている。その場その場で、その空気を読んで行動している。たとえその場に自分以外誰も居なくとも、まるで上から誰かが見ているかのように、あるいはひょっとしたら「ドッキリ」なんじゃないか?と疑うかのように、いつも誰かの視線を気にし、客観的フレーズで行動し続ける。自分の行動を他人の行動のように、人に説明する。

オレが人に求めるのは「本心かどうか」だけだ。装飾過多の言葉など要らない。何度も言っているが、意味があるのは「たとえ稚拙でもオリジナル」なものだけだ。言葉でも音楽でも同じだ。スカウトとして人を見つける際も重視するのはそこだけだ。言葉だけは決して嘘を付かないのだ。


ということで長くなったが、これの件でちょっと書いてみる。

まずここから行こう。久々の「玄倉川の岸辺」氏だ。彼のブログと出会って3年ほどになるだろうか。休むことなく書き続けていた。そして今回、久々に琴線に触れるエントリがアップされ、思わずコメントした。読んでもらえれば判るが「久々の玄倉川節」だと感じた。さらに、彼が被TB先で残したコメントも紹介する。まずこちら

それならなぜidiotope氏に批判の矛先を向けたかといえば、上に書いたように単純に不快だったからです。

それからこちら

私が嫌いなのは自意識過剰な誠実ぶりっ子です。それをjo_30さんが「妬み」「いじめ好き」と見るならそれでもかまいません。

これはまさしく彼の本音だ。内容の是非ではない。本音かそうでないか。それが重要なのだ。ネット上というかブログで、ここまで単純明快に本音を述べた文章ってのは久々に出会った。それが玄倉川氏だった、というのも意外というか嬉しかったというか*1

付け加えておくなら、騒動の勃発点、というのも失礼なのだが、hashigotanさん(現在閲覧不可になっている 復活したので参照記事変更→)のこのエントリも満身で本音を訴えている*2。これも是非ではなく、本音であるかそうでないか、が重要。

ということで、ここに戻る。正直な感想を言うぞ。「なにこれ??」。

支離滅裂でも文脈破綻でもいい。その嬉しさを満身で、率直な言葉で表現していたらここまで叩かれてないと思うがどうかね?

ある年齢以上になると自分は冷静沈着でなきゃいけない、とか思うのか知らないが、過剰に客観的になる傾向がある気がする。日頃ベランメエ口調なくせに喧嘩になると急に丁寧語になったりする奴がいるが、いや、実はかつてのオレもそうだったが、そんな客観的言葉なんてのは今どき人の心など打たないのだ。


以前ここでさりげなく書いたが、「なかなか自分を解放できない、というこの自分の特性は、音楽家としては致命的欠陥のひとつではないだろうか?」、というコンプレックスを長年持っているオレは、本音全開で感情をぶつけている表現に出会うと、内容はともかく、無条件にリスペクトしてしまう傾向にある。
この一連の出来事で、いちばん無責任に楽しんでる人間はこのオレである。誤解を恐れず言うと、個人的には誰が傷ついたとかほとんど関係ないのだ。ただ、表現として優れているか、オレの琴線に触れたか、それのみで捉えている。

オレはかつてバンド仲間に「アンタは恐ろしく冷たいな」と言われたことがある。対象への興味が冷めると、さっさと離れてしまうからだそうだ。バンドメンバーも、バンドに不利益と思ったら無条件に切った。情などない。常に優先するのは「自分の音楽の成就」のみ。それを阻害するものは悉く排した。今のオレのレコーディングは、打ち込みも含め、ほとんどが自分による演奏である。人を使うということはメンドクサイ。説明して理解を求めるより自分でやったほうが早い。それでも、非常に優れてたメンバーとの出会いも、少ないもののいくつかあり、今でも彼らには「ここぞ」という際に手伝ってもらう。彼らはありがたいことに、気質もオレと似ており、お互い距離を置くことに非常に長けている。お互いを繋いでいるものは何か、ということをちゃんと知っている。お互いに甘えたり寄りかかったりしない。超インディペンデントな表現体どうしなのだ。

エントリに頂いた、

彼のために一生懸命弁護したり怒っている人がいることを「いいことだ」と思ってます。

というコメントを読めば判るように、こんなオレに比べるとid:kurokuragawaの人ははるかに良い人だ。そしてブクマコメントにあるように、

「hashigotan 被言及 kanimasterさんへの記事は今は言い過ぎたなあと反省しています。いい親父さんのようですからね」

hashigotanさんの人も良い人だ。どちらのコメントからも、その攻撃的言葉の裏にある本来の優しさみたいなものが垣間見れる。

これらコメントで判りやすくはなっているけども、前回取り上げた、オレが「これは本音だ」と言ったそれぞれのエントリでも、言葉だけでは一見そうは見えないかもしれないけど、この方々の優しさというものが、それとなく伝わって来た。玄倉川氏のほうはどうだか判らないけど、hashigotanさんは、あの文章を、或いは騒動の発火点となったこちらのほうも、恐ろしい速さで打ったのではないか、と想像した。だから躊躇とか一切感じられない、直球な言葉になっていて、だからこそオレの琴線に触れたのである。

6年ほどネットや電子掲示板界隈をウォッチしているオレだが、最近の「美談」「美文」を絶賛する傾向は、別な意味でのウヨ化なんじゃないかと思って、非常に危惧している。まだ「全米が泣いた」と半分茶化してるうちはいいが、本気で「泣いた」とかいうコメを読むと「じゃあその顔アップしろや」と確かに言いたくなる。「お茶吹いた」と同じで、実際には吹いてないのだろうが、「お茶吹いた」には素直に笑えても、「泣いた」には騙されない、と逆らう自分が居る。
荒唐無稽なことだろう、と思いつつ、実は誰か黒幕がいるのではないか、と疑心暗鬼な自分が居る。「電車男」は壮大な実験だった。これでネットの奴らは簡単に騙せるな、と味を占め、奴らは次の段階に進んだ。「美談」で愚民を掃除してしまう作戦だ…。

はは。まぁオレの想像であってくれることを願うよ。

ともかく「全オレが泣いた」→「全ネット住民が泣いた」→「全日本人民が泣いた」にならずに安心した。

そして、未だ自分に、こんな感性が残っていたことを気付かせてくれた玄倉川氏hashigotanさんには感謝したい気もするし、叩かれること覚悟で、ブログというメディアで本音を書いてくれた、その勇気、というか、その「空気の読まなさぶり」にも敬意を表してみようかな、と。


追記。
似たような視点の方が居られました。

2007-11-09 - 萌えるローマ帝国HAPPYMAX

なんだか救われる感じがしますね。


*1:「私の気に触ったのは、idiotape氏の語り口が「誠実さの衣をまぶした武勇伝」になっていったからです。」これもいいね。
*2:まさにロックだ。

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