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2007年11月28日

過酷なレース。

http://yaplog.jp/kara_marco/archive/562
元記事。

ということで、今朝ミックスが一曲終わった。
その前が金曜に終わったので、こっちは4日間かかったのかな。
月曜のライブ前に上げたかったのだけど、間に合わなかったんだよな。

今回やってたのはBABYBABYの自分バージョン。
(オリジナル歌手はピロリーナさん)

この次に創った「春のコート(SWAN)」はデモのつもりで録ったのだけど、
こっちは、自分のバージョンも完成版と思って録ってたので
ボツにするのがもったいなくて、ちゃんと仕上げた。

ピロリーナバージョンから、彼女のコーラスとギターのカッティング2個を
こっちにインポートして、トランスポーズして、ツギハギ編集しまくり。

大変だけど、実に楽しいと言うか、まぁ経験として面白かったので
やってよかったと思います。

どんなに大変でもすべてのことが糧になるというか。
面倒なことも、チャレンジャーとしては決して端折ってはいけません。

さて。
アルバム用の曲、出揃った感がある。
これからどうしよう…笑。

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2007年11月26日

私の人生暗かった

ネガティヴなことを書くとネットで人気のようだから書くことにしよう。

痛いニュース(ノ∀`):生徒「ペアの相手が見つかりません」 教師「探せ!」と尻を蹴り手首を骨折させる

ちょうどこういった話題もあり、いろいろ振り返って思い出していたところだ。

オレの学生時代は、上記ブクマではないが、ハブラレ人生だった。体操で組になってくれるヤツなど誰もいなかったし、遠足の班もそう。席替えでも「ハズレくじ」扱い。昼飯も一人。最後のそういう経験は、高校の修学旅行の班決めだったな。
もちろんイジメのターゲットでもあった。ひとつひとつ覚えてないが、何かと難癖つけられて嫌がらせもされた。廊下の壁に書かれた級友の悪口の落書きの犯人扱いされ、放課後の数時間集団でボコられたこともある。高校時代、一人で弁当を食ってたら、いきなりそこに唾を吐かれたこともあった(かろうじて弁当からは外れた)。

部活のセンパイのいびり対象でもあり、他の部員は決して課せられることのない、過酷な「特訓」を何度も受けた。

そんなオレでありながら、ただ暗いというのではなく、あり得ない妙な悪戯などをしたりしたものだから、本当にこいつは真性なんじゃないか、と思われていたと思う。国立大付属の小中に通っていたオレは、ほぼ毎日のように教師に呼び出され「迷惑だから早く辞めろ(公立に行け)」と言われた。それでも辞めなかったのは、当時から意地だけはあったのだろうかね。そんなわけだから、教師にもろくな印象はない。常に自分は不当に扱われていると感じていた。平等扱いなど程遠く、明らかに全員の教師がオレを疎んじていた。数人で同じことをしても怒られるのは自分だけ。これって個人的欲求不満解消じゃないの?と思うくらい、延々とぶん殴られたこともある(この時オレを殴り続けた教師は、その後問題を起こし転勤した)。ともかく、大人にとってもオレという人間は、癪に障る存在だったことは確かだ*2

前述した体育教師のブクマ。骨折はさすがに言語道断だが、先ほど書いたように、怒られるのは必ず「こっち」なのだ。いくら「オレはみんなからハブられてるんです」と訴えたところで「うるせえ。オマエが悪い」と言われるだけだ。
それを良く判っていたので、「またハブだろうけど、気にしない」という態度を表面上はとり続け、教師の逆鱗に触れぬよう気を付けていた。もちろん傷つかないわけないよ?「またハブだ」がどれほどの苦痛であるか。しかし人間、なんでも順応してくるものだからなあ。

さて。そんな中三の頃起こったのが「教育実習の女先生」事件だ。このとき実習にやってきた女子大生*3は、以前から何かと眼をかけてくれていて、ハブで虐げられてたオレを、名前に君付けで呼び、何かと構ってくれたのだ。もちろん、最初は戸惑ったけど、嬉しかったね。そして体育の時間、組になれず余ってたオレに声をかけ、「さぁ。一緒にやろっ♪」と言ってくれたわけだ。もちろんミッチリ柔軟&組体操しましたよ♪

授業が終わったあと、クラスの男子10数人に囲まれ「てめえ、羨ましすぎるんだよ!!!!」とフルボッコにされる。しかし、以前とは違う空気があった。同じフルボッコでも、どこか暖かい空気を感じたのである。こいつ変でウザいけど、まぁおもしれえヤツかもな、というような*4

その後、その教育実習「女先生」とはどうなったかというと、これがきっかけで、オレは妙に気恥ずかしくなり彼女をなんとなく避けるようになってしまったので、残念ながら青春映画みたいな展開にはならなかった。

オレの学校での地位も扱いも、その後もさして変わらなかったが、なんとなく気持ちに余裕が出来た気はする。それ以前の諦め的な感情ではなく、「生きてればたまには良いこともあるな」という感じに思えるようになったということだな。

今でも彼女に対してはとてつもなく感謝している。逢ってみたいけどな。夢は壊さないほうがいいだろうな。

*2:家庭でも同様だった
*3:今思うと教育実習だから二十歳くらいだよね。すげえウラヤマシス>当時の自分w
*4:なぜならみんなの顔が若干笑っていたのだ。

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2007年11月24日

演奏至上主義からの脱却

もともと楽器のプレイヤーだったオレは、聴く音楽のほうも、演奏の面白さや上手さなどで、その価値を判断するような選択を一時期していた。ポップな音楽は「流行歌だ」と、ジャズやロックなんかより一段下に見ていた時期も、信じられないことだが、実はあったのだ。

誰しも子供の頃は、覚えやすい歌を歌い好む。しかし、成長して来る過程で、そういうものは軽率というか、なんか安易な気がして遠ざかる時期が来る。広い意味での、これも中二病なのかもしれない。

そんな考えが根底からひっくり返ったのは*1、ブライアンウィルソンの楽曲と出会ってからなんだが、実はその前に知り合った友人の影響がかなりデカかったりもする。彼は純粋に「楽曲至上主義」を貫いていた男。今のオレの考えの発祥である。彼は、演奏というものは楽曲の邪魔をしない最低限のものがとりあえずあれば良いのであり、一番重要で大切なのは楽曲なのだ、と事あるごとに主張していた*2
その後、活動していくにつれ、その考えは正しかったことが判ってくる。演奏者とクリエーターでは、仕事の種類が違うのである。今オレがこうして曲がりなりにも印税とやらを貰えてるのも、言わば彼の触発のお陰だ。感謝しなければならない。

なんでも一人で出来るもん的な偏執狂のオレだが、それでもバンドでの演奏はライブでは避けられない。オレの曲を演奏する演奏者は一様に口を揃えてこう言う。

「アンタの曲は難しいよっ!!!」

そうなのだ。ガチガチに固まった構成とコード進行で出来ているオレの曲は、演奏中も常に気を抜くことが出来ない。アドリブ演奏などもってのほか、遊ぶ要素もほとんど無し。

最近気付いたのだが、これはオレの、演奏者に対する「嫌がらせ」なんだろうと思った。「オマエラの好きには絶対させないよ」という信念、というか、悪意がそのコード進行のそこかしこに満ちているのだ。

こう書くと、いったいオマエの曲はどれだけ偏屈なのだ?と思うだろう。

しかしオレの創るメロディと唄は、とてつもなく覚えやすくわかりやすい、と、皆様に言って頂くことが多く*3、それがオレの作風の主な特徴でもあるのだ。

これはまるで、第一印象がとてつもなく人当たりがいいのに、第2印象での毒気に引かれてしまう、という正に「オレの性格」そのもののようではないか、と思って笑ってしまう。表面上はとても素敵な「スイーツ」なのに、そこに込められた「悪意」に気付くのは演奏者だけ、という…。ガクブル。

しかし、これはオレだけが特別なわけでは、まったくない。

優れたポップ音楽というものは、覚えやすい、判りやすい、の裏に必ず「難しい」が潜んでいるものであり、しかもその「難しい」を聞き手に1ミリたりとも感じさせてはいけない音楽なのである。

そうしてオレの、演奏至上主義者に対する復讐は続いていくのだ。フフーン。

*1:正確に言えば、ひっくり返ったのではなく「元に戻った」のだ。子供の頃の感覚に。
*2:その彼自身は今も優れたプロの演奏家である。
*3:これはマジで嬉しい。

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2007年11月20日

NHKを見たら負けだと思っている。

極北の地方都市出身のオレは、子供時代、公務員という職業の有利さを嫌というほど味わって過ごした。それは両親二人とも公務員だったというのも大きい。今こんな不安定な職に就いているから尚更実感するが、安定という意味では本当に素晴らしい職業だ。もちろん両親は仕事は苦労していたけどね。福利厚生やら待遇やら、子供の自分はずいぶんお世話になった部分もあり。

当時の街の様子を最近いろいろ調べて判明したのだが、実は組合や労働者が非常に強いエリアでもあったらしい。確かにそういわれりゃそうだった。革新系政党支持者が多数派だったし、他所と比較は出来ないので、あくまで子供の自分の印象ではあるが、労働者の権利もずいぶん大きかった気がする。

そして就学。これは前にも書いたことだが、当時は教師の団体が非常に強くて、その授業内容などにも、微妙ではあるが赤い雰囲気をそこかしこに感じた。子供のオレにもわかるのだから、本当に赤寄りだったんだと思う。

そんな子供時代。職場のオススメのグッズを使い、両親オススメの音楽、書籍を読み、そして推奨テレビ番組はすべてNHKだった。民放なんか低俗でくだらない、決して観るな。と。だから情報源は全てNHK。NHKが取り上げたニュースを知り、音楽を聴き、映画を見、そして中学生日記を見る(笑)。理想の女性像は朝ドラのヒロイン。人格者はキャスターや解説者、紅白の司会者。ともかく彼らが提案する価値観をまったく疑うことなく過ごしたわけだ*1
当時の理想の女性というと、派手ではないが、しっかりとした信条を持ち、凛として立っている、という感じ。

これは女性の理想であるが、実は全ての理想像は同じような価値観だった。メディアも音楽も政治家も製品も。ともかくなんでも。見た目の派手さに騙されてはいけない、地味でも正しいものを見分ける眼力がなければいけない、派手さの裏にある実像を見抜かなければならない。そう教わって来た気がする。

大学進学のため上京し、その生活は一変した。まず驚いたのは街の「色」だ。これは比喩ではない。田舎のオレの街に比べて東京の街は、本当に「色数」が半端じゃなく多かったのだ。人も広告も。ともかく色が多かった(というより、オレの出身地が灰色過ぎたのだ、とやがて気付くが)。

そして人も音楽もメディアもすべてが自由だった。そんなことない、大衆はいつだってメディアに踊らされているじゃないか!という方も居るだろう。しかし、ほぼひとつの傾向の考えのみに固まっていた自分からすれば、じゅうぶんすぎるほど自由だった。選択肢はほぼ無限にあり、自分自身に全ての選択権があり…。

話が長くなったな。

オレのいろいろなエントリを読むと、今でも本質主義であることはわかるのではないかと思うが*3、その本質主義でさえも、オレは人にできるだけ頼らないで決めたい、というのが今の考えだ。つまり、その本質を掴もうとする過程で、本質主義なメディアに頼ってしまうことがないよう、非常に気を付けている、ということだ。

つまり、難しいが…。「本質主義なメディア」でさえも、実は「メディアである」という矛盾を忘れたくない、ということである。「これは事実だよ」という誰かの情報も、実は伝聞じゃないか、ということなんである。それは別にNHKを指しているわけではない。2ちゃんねるとかそんなものでも一緒である。こうして考えると、オレがその昔、堀江氏の考えに同意したくなったのもわかる

オレが現在、決してNHKを見ないのは、実は自分と似ているからかもしれない*5。彼らの創作物がある一定以上のクォリティにあるのは、様々な条件を鑑みれば「当たり前」なのであり、そこに没入してしまうことは「自分自身の終わり」じゃないだろうか、と思ってしまうのだ。

五つ星レストランが美味いのはわかるさ、でも初めから美味いとわかっている料理よりも、これはあたりかはずれか、スリリングなジャンクフードの方が、時には楽しい、って感覚。ある種の夢追い人かもな。


今回のインスパイア元。

はてなブックマーク - 琥珀色の戯言 - 結局、マスコミには勝てないんじゃないかな

*1:実際は徐々にそのことに気付き、成長とともに反逆するようになってくる。萌芽は中高時代。
*3:たとえば、楽曲の真の姿はアレンジではなく歌唱でもなく、コードとメロディである、という考えなど
*5:どっちかというと近親憎悪的なものかも知れぬ

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2007年11月11日

本当の言葉を見抜く

長いことメディアを見続けて、なおかつ言葉を紡ぐような仕事に携わっていると、言葉の裏や奥にある本音を、自ずと求めるようになってくる。

勝手な自論だが、80年代中盤以降産まれの若者は、自分を一番魅力的に見せられる「決めフレーズ」に長けている気がするな、と思っている。生まれたときからビデオカメラが身近にあったので、動画の被写体として撮られ慣れているからだろう、と理由を勝手に想像している。

ビートたけしはツービートで、それまでのメディアや世間の「お約束」というやつを片っ端から破壊した。刑事ドラマも青春ドラマもすべてパロディやお笑いのネタになり、真面目に捉えられなくなった。しかし、80年代中盤のバブル文化で、また別なスタイルの「お約束」が生まれてしまった。クリスマスには彼女とホテルで、とかそういうやつだな。

現在の文化は基本的にその流れの延長上にあり、誰もが知らずのうちにその「お約束」の下で生きている。その場その場で、その空気を読んで行動している。たとえその場に自分以外誰も居なくとも、まるで上から誰かが見ているかのように、あるいはひょっとしたら「ドッキリ」なんじゃないか?と疑うかのように、いつも誰かの視線を気にし、客観的フレーズで行動し続ける。自分の行動を他人の行動のように、人に説明する。

オレが人に求めるのは「本心かどうか」だけだ。装飾過多の言葉など要らない。何度も言っているが、意味があるのは「たとえ稚拙でもオリジナル」なものだけだ。言葉でも音楽でも同じだ。スカウトとして人を見つける際も重視するのはそこだけだ。言葉だけは決して嘘を付かないのだ。


ということで長くなったが、これの件でちょっと書いてみる。

まずここから行こう。久々の「玄倉川の岸辺」氏だ。彼のブログと出会って3年ほどになるだろうか。休むことなく書き続けていた。そして今回、久々に琴線に触れるエントリがアップされ、思わずコメントした。読んでもらえれば判るが「久々の玄倉川節」だと感じた。さらに、彼が被TB先で残したコメントも紹介する。まずこちら

それならなぜidiotope氏に批判の矛先を向けたかといえば、上に書いたように単純に不快だったからです。

それからこちら

私が嫌いなのは自意識過剰な誠実ぶりっ子です。それをjo_30さんが「妬み」「いじめ好き」と見るならそれでもかまいません。

これはまさしく彼の本音だ。内容の是非ではない。本音かそうでないか。それが重要なのだ。ネット上というかブログで、ここまで単純明快に本音を述べた文章ってのは久々に出会った。それが玄倉川氏だった、というのも意外というか嬉しかったというか*1

付け加えておくなら、騒動の勃発点、というのも失礼なのだが、hashigotanさん(現在閲覧不可になっている 復活したので参照記事変更→)のこのエントリも満身で本音を訴えている*2。これも是非ではなく、本音であるかそうでないか、が重要。

ということで、ここに戻る。正直な感想を言うぞ。「なにこれ??」。

支離滅裂でも文脈破綻でもいい。その嬉しさを満身で、率直な言葉で表現していたらここまで叩かれてないと思うがどうかね?

ある年齢以上になると自分は冷静沈着でなきゃいけない、とか思うのか知らないが、過剰に客観的になる傾向がある気がする。日頃ベランメエ口調なくせに喧嘩になると急に丁寧語になったりする奴がいるが、いや、実はかつてのオレもそうだったが、そんな客観的言葉なんてのは今どき人の心など打たないのだ。


以前ここでさりげなく書いたが、「なかなか自分を解放できない、というこの自分の特性は、音楽家としては致命的欠陥のひとつではないだろうか?」、というコンプレックスを長年持っているオレは、本音全開で感情をぶつけている表現に出会うと、内容はともかく、無条件にリスペクトしてしまう傾向にある。
この一連の出来事で、いちばん無責任に楽しんでる人間はこのオレである。誤解を恐れず言うと、個人的には誰が傷ついたとかほとんど関係ないのだ。ただ、表現として優れているか、オレの琴線に触れたか、それのみで捉えている。

オレはかつてバンド仲間に「アンタは恐ろしく冷たいな」と言われたことがある。対象への興味が冷めると、さっさと離れてしまうからだそうだ。バンドメンバーも、バンドに不利益と思ったら無条件に切った。情などない。常に優先するのは「自分の音楽の成就」のみ。それを阻害するものは悉く排した。今のオレのレコーディングは、打ち込みも含め、ほとんどが自分による演奏である。人を使うということはメンドクサイ。説明して理解を求めるより自分でやったほうが早い。それでも、非常に優れてたメンバーとの出会いも、少ないもののいくつかあり、今でも彼らには「ここぞ」という際に手伝ってもらう。彼らはありがたいことに、気質もオレと似ており、お互い距離を置くことに非常に長けている。お互いを繋いでいるものは何か、ということをちゃんと知っている。お互いに甘えたり寄りかかったりしない。超インディペンデントな表現体どうしなのだ。

エントリに頂いた、

彼のために一生懸命弁護したり怒っている人がいることを「いいことだ」と思ってます。

というコメントを読めば判るように、こんなオレに比べるとid:kurokuragawaの人ははるかに良い人だ。そしてブクマコメントにあるように、

「hashigotan 被言及 kanimasterさんへの記事は今は言い過ぎたなあと反省しています。いい親父さんのようですからね」

hashigotanさんの人も良い人だ。どちらのコメントからも、その攻撃的言葉の裏にある本来の優しさみたいなものが垣間見れる。

これらコメントで判りやすくはなっているけども、前回取り上げた、オレが「これは本音だ」と言ったそれぞれのエントリでも、言葉だけでは一見そうは見えないかもしれないけど、この方々の優しさというものが、それとなく伝わって来た。玄倉川氏のほうはどうだか判らないけど、hashigotanさんは、あの文章を、或いは騒動の発火点となったこちらのほうも、恐ろしい速さで打ったのではないか、と想像した。だから躊躇とか一切感じられない、直球な言葉になっていて、だからこそオレの琴線に触れたのである。

6年ほどネットや電子掲示板界隈をウォッチしているオレだが、最近の「美談」「美文」を絶賛する傾向は、別な意味でのウヨ化なんじゃないかと思って、非常に危惧している。まだ「全米が泣いた」と半分茶化してるうちはいいが、本気で「泣いた」とかいうコメを読むと「じゃあその顔アップしろや」と確かに言いたくなる。「お茶吹いた」と同じで、実際には吹いてないのだろうが、「お茶吹いた」には素直に笑えても、「泣いた」には騙されない、と逆らう自分が居る。
荒唐無稽なことだろう、と思いつつ、実は誰か黒幕がいるのではないか、と疑心暗鬼な自分が居る。「電車男」は壮大な実験だった。これでネットの奴らは簡単に騙せるな、と味を占め、奴らは次の段階に進んだ。「美談」で愚民を掃除してしまう作戦だ…。

はは。まぁオレの想像であってくれることを願うよ。

ともかく「全オレが泣いた」→「全ネット住民が泣いた」→「全日本人民が泣いた」にならずに安心した。

そして、未だ自分に、こんな感性が残っていたことを気付かせてくれた玄倉川氏hashigotanさんには感謝したい気もするし、叩かれること覚悟で、ブログというメディアで本音を書いてくれた、その勇気、というか、その「空気の読まなさぶり」にも敬意を表してみようかな、と。


追記。
似たような視点の方が居られました。

2007-11-09 - 萌えるローマ帝国HAPPYMAX

なんだか救われる感じがしますね。


*1:「私の気に触ったのは、idiotape氏の語り口が「誠実さの衣をまぶした武勇伝」になっていったからです。」これもいいね。
*2:まさにロックだ。

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2007年11月 7日

こんな「萌え」もあるよ。

萌え系音楽、というのは別に声優キャラな人がたどたどしく歌うだけのものではないです。高度なテクニックに裏打ちされたパフォーマンスでもありうる、と。


ショパン。革命のエチュード。
彼女なりの感情が込められてて「ぐっと」来ますね。




リスト。ラ・カンパネラ。
この曲が、こんなに大変な運動を要する曲だったなんて、動画見るまで知らなかったよ。有名な曲なのにねえ…。

 

オリジナル創れ、話はそれからだ。などと日頃言っていますが、クラシック音楽というのは逆に、オリジナルを創って演奏するなんてことは、ほとんどないジャンルなんじゃないかと思います。それでも成り立っている。それは、演奏できる、というだけでテクニカル面で一定のレベル以上のものが約束されているからでしょうね。音楽を聴き、芸を聴き、人を聴く。そしてその人の人生を見る。それらすべてが、そのパフォーマーの解釈であり、すなわち、それがオリジナル「的」なものと言い換えられるからでしょうね。

テクニックには基本的に「上限」というものがなく、パフォーマーに対して上手い、下手、っていう指摘もいくらでも言えます。でも、そこのみに意味合いを見つけてもつまらないし発展は望めないとも思う。

クラシック演奏の醍醐味のひとつに、リアルタイムでパフォーマーの頑張りや音楽的&人間的成長を追うことができる、という部分があると思う。そこにオレは「ジャンクではない萌え」を見るわけです*1


追記。
ロックや路上系ってのは、そういうハードルを取っ払って表現可能にしたジャンルだよな。稚拙でも構わない。テクなんて関係ない。そこに表現があれば良い。せっかくのそういうジャンルなのだから、それを利用しない手はないと思うがな。

*1:つまり「頑張ってくださいっ(はぁと。」ってことです。

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