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2007年10月16日

ヴォーカリストを不在化させる初音ミク

「歌メロ」書いたやつが偉い、とか、楽曲を特定するのはメロディだ、とか最近しつこく書いていた。これには実は理由がある。
コラボでヴォーカリストと組んだ場合、その出来上がった作品はたいがい「ヴォーカリストの作品」とされてしまう。それがどうにも納得いかないってことなんだな。つまり半分愚痴なんである。だって、メロディ書いてアレンジしてトラック創って、すべての入れ物を準備したのはこっちなわけだ。しかし、美味しいところは歌ったやつが持っていく。だからオレは歌手が嫌いだ。

有名なスタンダード曲で「明日に架ける橋」というのがある。オリジナルは「サイモン&ガーファンクル」というデュオというかユニットというか、その二人の大ヒット曲。実はこのデュオのうち、ガーファンクルのほうは歌うだけで、ほとんど曲を書いていない。ヒット曲の多いグループだが、全てが相方のポール・サイモン作による物である。それでは、サイモンのほうは歌が歌えなかったのか、というとそうではない。普通に上手いアーティストである。ただ、相方のガーファンクルの声は、とっても美声だったのだ。

「明日に架ける橋」もそれまでの曲に倣い、サイモンが曲の全般を書き、ガーファンクルに歌わせた。この曲はバラードだったのでほとんどハモる部分がなく、ほぼガーファンクルの独唱になった。この曲は大ヒットしアメリカポップス史を代表するような名曲となり、歌うたび大喝采を浴びた。

しかし大喝采を浴びたのは、いつも、歌ったガーファンクルだった、というわけ。サイモンは横でそれを見るたび、内心悔しさでいっぱいになったと言う、などと音楽書の類には実しやかに書かれているけども、まぁあながちデタラメでもないと思う。

彼らは程なく解散する。ガーファンクルが俳優など個人行動を頻繁にするようになり、サイモンが頭に来た、という説がある。そこには何がしかの驕りみたいな気持ちもあったかもしれないが。

ということで、そんな悔しい思いを経験し、金輪際、人のためになんかしてやるもんか、とかいう方や、手柄は全部自分のものにしたい、みたいなクリエーターにとって、歌までコントロールできる「初音ミク」みたいな存在は素晴らしいと思う。ガーファンクルの声で出来たヴォーカロイドがあったとして、サイモンが自作「明日に架ける橋」を完璧に歌わせたら、名声はサイモン一人のものになったであろう。

歌というのは、結局ほとんどの場合歌手のものだ。作家としては、別にそれでも構わないと思うのだけど、歌った歌手のほうに、楽曲を提供してくれた作家に対する、感謝とまではいかないまでも、なにかリスペクトのような気持ちか配慮が少しでもあれば、トラブルになりにくいのは確かだ。「おふくろさん」の話題も、今や懐かしいけども、どっちが上とか偉いではないんだな。お互いが認め合うって事が大事なんだろう。どの仕事でもそうだが。

オレもコラボはいくつかやった(幸いオレも歌えるので相手が居なくてもそれほど困らないのだが)あまり良い気持ちでできなかった作品は、いまでも気持ちよく聴けない。別にこいつに歌わせんでも、初音ミクでもあればな。と思ったね。

ポールサイモンは、デュオ解散後リリースしたソロアルバムで、本人の予想に反して、成功を収めた。その後も全米1位のアルバムが数枚続いたし、そのうちの1枚は70年代を代表する名盤とされている。もちろん作品だけでなく、彼自身の歌声が認められた結果である。彼のガーファンクルに対する羨望や熱い葛藤は払拭されただろうかね?


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