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2007年10月 1日

人は音楽にストーリーを求めるのか

昨日、あるライブバーのオーナーさんと音楽について語った。

普通の人が音楽を聴く場合、やはりきっかけとして、楽曲やアーティスト本人のバックボーンとか、生まれた背景とか、時代のこととか、そういう付加情報がなければ、なかなか受け入れられにくいよね、という話になった。音楽を音楽として独立したものとして受け入れるのは、普通の人にとっては敷居が高いらしい。

オレ自身の考えは、ここで言い続けているとおり、

メディアは限りなく透明なのが良いし、ヴォーカリストやプレイヤーも、作曲家にとっての「メディア」である、と考えるのなら、その勝手な解釈による改悪は言語道断だし*1、音楽が純粋に音楽のみで評価されるのが、究極の理想形なんじゃないか、


ということなわけですが、

そうは言ってもですね、この2~3回のエントリで語ったとおり、言葉やアレンジ音色、なんてものでは語られることが多くても、肝心の楽曲を特定する要素の歌メロ(と和声進行)について語られることはないわけで、いや、全然専門的でなくても良くて、「なんかこのメロディ綺麗ね」でもいいわけですが、それすらなくて、今の時代、歌メロなんかさして重要ではない音楽も多いので、しょうがないのはしょうがないのですが、その実、チャートの上位はほとんど歌メロものじゃないすか、みたいなことも思う。

そこいらへんの矛盾というか、普段はメロに無関心を装っても、あんた口ずさんでるのは、他ならぬ「歌メロ」じゃないすか?と。
なんだか、ゴチャゴチャしてきましたが、楽曲においてすべての装飾を取っ払った状態、っていうのが、「歌詞、コード、歌メロ」の3要素になってしまうわけですよ。

そんで思ったのは、オレ個人の考え方である「楽曲にとってはアーティストもプレイヤーもメディア」っていう部分と、現実としての管理状況をあわせると、おそらく「歌詞、コード、歌メロ」以外のすべて、いや、ひょっとすると歌詞も要らないか。つまり、それ以外のすべてが、そのオーナーさん言うところの「ストーリー」なんじゃないか?って思ったわけです。

そうすると納得がいく。人が歌メロ以外の部分を語りやすいのは、それらがストーリーだからなんだな。たぶん。

作曲やってる人なら分かると思うけど、和声進行と旋律書いた時点で、作曲家としての「ストーリー」は、ほぼ完成している。つまり、メロ対コード、というその時間軸の流れを完成させることこそが、作曲家にとってのストーリー構築に当たるからだ。その次に歌詞が加わり、ヴォーカリスト、プレイヤー*3はただのストーリーテラーである。アレンジは舞台設定かな。だから作家としては、それらのストーリーテラーに忠実な再現を求めたくなるのも当然の欲求である、とも言えるのですよね。

こっから下は余談になるけど。

打ち込み音楽の発展*4によって、そのストーリーテラーも、作者本人のコントロールが効くポジションになった。人力最後の砦であるヴォーカルもミク(もしくはその発展型)の登場で変わって行く *5かもしれんわけだし。そうするとですね。自分の作品世界ってものが、ますますパーソナルになってゆく。個室化ですよ。

今ここでは作家にとってのメリットについて語ってるように見えるけど、実は実演者にとってもすごく良いことだったんだよね。つまり「機械*6」が代用できるようなレベルの半端なやつは要らん、ってことになったじゃん。ってことは、個性とか唯一無二な存在にならなきゃ生身の人間使う意味なくなるんだから。単にテクニックとして優れているだけなら「機械」にだってやってもらえるんだからね。

まぁそういうことで、ゴチャゴチャ話しましたが、読んでるほうは、まったくチンプンカンプンでしょうが、オレとしては実に脳内がスッキリしたのでした。

これ良い話なので、何ヶ月かかってもいいから、しっかり読解してください。



*1:上手すぎるヴォーカリストは時に邪魔である。
*3:作曲家とこれらが同一であった場合も、人格としては分離が望ましい。つまり逆に言うと、著作物を汚す権利は、著作者本人にすらない、ってこと。たとえ作者本人でも、一度世に放たれた作品を無闇にいじくるのは同義的に許されないと思う。
*4:初期は「打ち込み」というジャンルだったので現状とは別物と考え、今通常に行なわれている打ち込みDTMといったことを指す
*5:プレゼン用の仮歌なんかがそうなったら怖いね…。ならないと思うけどねw
*6:なんかいい響きだなあ。機械。

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