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2007年9月 8日

作品を汚す権利はそれを産んだ著作者にすらない

前に、研究本の翻訳者がミクシで足跡残し、訪問読者に褒められてたのがなんだか嫌だった、と書いたけど、音楽にしろ、文章にしろ、ともかく中間メディアは色付けしてはならない、という気持ちがあるのだ。例えばこの翻訳本だとすれば、著作者こそオリジナルの発信者であり、その後の翻訳者、文体、書籍という物体、フォントなど、それ以外のすべては中間メディアと考えていて、それらが、本体であるオリジナル著作者のカラーを越えてはならない、歪めてはならない、と考える。

同じように音楽も、オリジナルの著作物、極論すれば楽曲(歌詞とメロディ。たとえ鼻歌でも!)こそが元であり、それ以外のものは余計なものである、と考える。まぁ自作自演であったら、そこに歌唱と演奏も加わるのだけど、それでも
「良い曲なのに何この歌い方はー!?」

というのがあるし

「良い曲創る人なのに何この態度や発言はー!?」

というのがあるでしょう。

著作物を産んでいる人でメディアに携わる人は、作品を産んだ責任というものがある。

偉いのは産んだ人ではなく産まれた作品である。

その作品を汚す権利は、それを産んだ著作者にすらない、と言ったら言いすぎだろうか。
その辺、忘れている人が多いのではないかな?

まぁ長くなりましたが、そういったことで極力自分のカラーが他に及ばないよう気を付けているのです。ってことです。自分自身への戒めを含め、改めて書いておきたいですね。

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