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2007年9月 7日

餌付けピラミッド

ミクシとかブログでのコメント方式がどうも苦手な理由が急に判って来た。それはおそらく、全員が書き主(親)にぶら下がって、羽パタパタさせながら、レスくださーい!って言ってるからなんだよな。どんなにコメントのレス数が増えようとも、コメント同士のコミュニケーション皆無。

でもこれに違和感感じるって、従来型の掲示板や2ちゃんねる(久々に正式名称で書くと照れるなw)方式に慣れてしまったからなんだよねえ。親子方式のコメント見ると、オマエラもっと活発な議論の展開とかないの?って言いたくなる。

これの弊害はね、親の提示した話題にコメントしてレスすることを目的にする(ことが多い)から、ほとんどの場合は親を超えられないってことなんだよな。つまりコメントのレベルが親の書いたエントリに比例するってこと。だから、集まるのは似たような人たちばかりなわけでさ。

その親にぶら下がってる限りは、親最高という前提があるから、逆らったりしてもいけないし、虐めてもいけない。外から見ると、なにこいつら皆で褒めあってキモって思う。

ミクシ日記のコメントも基本的にそう出来てる。オレ過去何度も話題広げようと思ってコメしたけど、親がレスくれるだけで広がらないんだよ。

もし万が一ほかのコメヌシからレスがあって話題が広がったりすると、今度は親がいじけるしね。きみらうちの日記で勝手に盛り上がらないでくれる?みたいな、ね。

芸能人有名人のブログって、コメ欄開けてても最近レスしてくれないことも多いけど、それは正解だと思う。これは記帳なんだよ、記帳。

そんで、一般人のブログとかミクシ日記は、レスのある記帳。そんで親は「自分はかまわれてる、愛されてる」って安心するわけだ。

…なるほどねえ。

自分の過去の行いの動機が今わかった、みたいなちょっと新鮮な発見だった。

そうすると、ある場所で親であり、コメントする子供にレスという餌を与えていた人は、また別な場所で、今度は子供となり、レスくださーい、って羽パタパタさせてることが在り得るわけですな。親であった人も、今度は子供となりレスという餌をもらっている。そんで、その親は自分よりも少しだけ大きい親なわけで。そんでまた、その親も別な場所に、少しだけ大きな親がいて、そこでは子供となり餌をもらっている…。

子供は永遠に親を越えられないから、そうすると、どこがいったい最下層なんだろうか、という疑問が湧く。

これを平衡なコミュニケーションだと捉えていないところがオレらしいでしょうw

つまり上下関係がある、と思ってる。思っていますとも。

人はみんな特別なオンリーだとか何とか言ってるが、実際に現実がそうだったら、そりゃあ望ましいけれど、実際はそうでないから、不平不満があるんじゃないのかね?

その最下層で、小さな親を相手に必死に羽ばたつかせて「餌くれー」って言ってる人たちには、オレもおせっかいだからね、「一歩外出れば、もっと良い親がいくらでもいるってば!」と言いたくなってしまう*1

ネットもミクシも、網じゃなくてピラミッドなんだ、と。そういう現実を認めなきゃいつまで経っても変わらないんじゃないかな。自分も。

*1:でも実際は、自分の親って一組しかいないんだよね…

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