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2007年8月23日

肉体に支配される脳

思ったまま何にも囚われず、本能の赴くまま行動に起こせる人が羨ましいという記事を最近どこかで見かけた。 実はオレもそう思ってずっと生きて来たので、それ読んで驚いたんだよな。結構そういう人は多いんだろう。特にオレみたいな育ち方をしてると、常に人の目を気にして生きるから、その対象に我を忘れて心から没頭する、ってことは滅多に起こらないのだ。

これは音楽をやる人間にとっては致命的欠陥だと思っていた。

つまり。

音楽をプレイする時ってのは、頭で浮かんだフレーズを瞬間的に演奏として表現しなければならない。特に、壮絶なインプロビゼーションの最中であれば、そこに脳による判断を挟む隙は無いとも言え、それはおそらく、ある種のスポーツにも準えることが出来る。昔、インプロを格闘技に例えた方がいたが、というよりは、個人的にはサッカーとかそういう集団型に近い気がする。一人のプレイヤーの一瞬の判断によって流れが決まるからね。

そうすると、やっぱり、頭で思いついた次の瞬間には、もう指でその音列がプレイされていなければならない。「この音でいいかな…。大丈夫かな…。流れ止めたりしないかな。空気読んでるかな。」とかなんとか、迷ってる隙などあるはずがない。

よくスポーツ選手のことを「脳みそが筋肉で出来ている」といった例え方で表現するけども、さしずめこれは「脳みそが音符で出来ている」といった感じだろうかね。

でも、「脳が音符で出来てる」なんて、なんだかバカっぽくもあり、自己陶酔なんて恥ずかしいこと、と思ってたオレは、そんなことはできなくても構わないと思っても居た。

それは今思えばすべてに通じるコンプレックスだったね。音楽に限らず、気の赴くまま本能のまま行動するやつはバカだと思っていつつ、それを出来ない自分にコンプレックスを持っていたのだ。

それを覆されたのが、King Crimson のライブだった。リーダー、ロバート・フリップはロック界随一の知性派理性派理論家として知られ、すべての言動、フレージング、プレイは緻密な計算の元、行なわれていると思われていた。

ところが。初めて生で見たフリップはどうだったか。そんな前提や先入観などすべて吹っ飛ぶようなエキサイティングでアグレッシヴなプレイを次々に繰り出し、会場のオレらを圧倒した。

これは。

脳と肉体のコラボレーションか?

どっちがどっちを支配してるんだ?

まったく判らん。

しかしすげえ。


バカっぽく見えないのに熱い

こんな人いねえ。そう思った。

 

今でも好きな彼の言葉がある(意訳)。


「音楽の神は準備が整った肉体にだけ降りる」

「いつ何が降りてきても大丈夫なように日々訓練している」

 

これは音楽だけでなく、すべてに通じると思うのだが、いかがでしょう?



追記。
素敵なエントリ見つけましたわ。
ロバート・フリップに抱かれたい - YAMDAS現更新履歴

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