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2007年8月28日

底辺の底上げで焦る私たち。

市井の人々がチラ裏であれ詳細オタク的研究成果であれ、ウェブなんかで発信できるというのは、その分野の底上げのためにはとても良いことだと思っていて、つまり、のほほんとその特殊分野の上に胡坐かいて「大御所でござい」と威張ってた連中が居たわけだよね実際。本当に尊敬できる方ならいいけどね、特にビートルズとかそういう利権がでかい分野は、本当にいくらでも自称大御所はいるからね。そういうの悉く駆逐してくれるってのがウェブの良いところで、それによって、プロの方々の仕事も良くなっていくだろう、っていうのがオレの3年前の自論だったの。

だいたいね。普通の方々のそんな仕事がいくら素晴らしいからって、それに負けてるっつうーのは、プロとは言えないと思うよ。それは例えば、音楽もそうだし、動画もそうだし、2chネタスレとかもそうでしょ。プロはそれでメシ食ってるからプロなんであってさ、素人のアップするそれらコンテンツに負けてる、っていうのがもう信じられないことなわけだし、プロが信用を失うことになるし、一発屋が金鉱発見的山師に見られたり、例の管理団体が巨悪扱いされているのは、オレらとすれば悲しすぎる現実なのよ。

それはひとえにプロというものの仕事に世間の人々が絶望してるからこその扱いに他ならないと思うのよね。

今も昔も、人に勝てるっていうのは、唯一無二だからなのであって、タレント、という言葉のそもそもの意味のとおり、何か持ってなきゃ、それは職人さんでも卓越した技術とかなんでもいいけども、ともかく普通の人に出来ないから、それでメシ食うんだ、っていうその意識が不足してるんじゃねえか、って思うのよ。

どっかのスレッド書籍にしたりとか、それはオマエラ仕事として胸はって、良い仕事したって言えますか、って。それで食っていったり家族食わしたりしなきゃいけないんだろうけど、例えば戦後にヤミ米は食わん、と言って餓死された方が居たって話があるけど、汚い金で買ったメシって、果たして美味いのか?って一度訊いてみたいんであって、それでも彼らは、同じメシに変わりはないって言うのかもしれないけど、オレは嫌だね。

それって役得というか、たとえばAV撮影現場だと裸見れるぜ、っていうのと変わらんっていうかさ。裸見れるからAVの中の人になったのかい?って。まぁそれは少しはそういうのあるだろうけど、そんなんで続くんだろうかって。そりゃあオレも大昔はストリップのバックで演奏なんかして、さして綺麗でもないおねいさんのオマ○コ見れましたが、その為に演奏してたってことは別にねえんだよね。

それを、就職しちまえばこっちのもんだと言わんばかりに、会社のデカイ名前に隠れて好き放題しまくるって、それも利権なんじゃないか、って思うわけだよ。やったー会社のボールペン使い放題だぜ、っていうのと、やったー2chスレ本にし放題だぜ、っていうのとさして変わらんじゃないか。

前どっかで書いたけど、プロとかメインとか、ともかくその中心たる人たちがちゃんとしないと、サブとか、セミプロとか素人とか、その区別がつかなくなるんだってば。

今はね。素人や市井の人々が凄いんじゃなくて、プロの側が凄く無さ過ぎるんだと思うんだ。底辺が底上げされた結果、自称プロだった人たちが全員その底に埋もれちゃったんだよ。

上のエントリで既出の ymScott氏エントリーより。

全員が作者になったら、それはつまり「求められるクオリティの底上げ」に他ならんですよ。芸術作品の評価は相対によるものが少なくないので。

うん。
気付いたのなら、やるなら今だよな。>自分。
まだ間に合うと思うんだけどな。

正規雇用の反対側 - アンカテ

ということで、この関連。まぁ参加のハードルは低いほうが良いんだけどね。ここ昨今の一部の不甲斐なさ(自分含む)から言えば、言われてもしょうがなくはあるね。うん。

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2007年8月23日

肉体に支配される脳

思ったまま何にも囚われず、本能の赴くまま行動に起こせる人が羨ましいという記事を最近どこかで見かけた。 実はオレもそう思ってずっと生きて来たので、それ読んで驚いたんだよな。結構そういう人は多いんだろう。特にオレみたいな育ち方をしてると、常に人の目を気にして生きるから、その対象に我を忘れて心から没頭する、ってことは滅多に起こらないのだ。

これは音楽をやる人間にとっては致命的欠陥だと思っていた。

つまり。

音楽をプレイする時ってのは、頭で浮かんだフレーズを瞬間的に演奏として表現しなければならない。特に、壮絶なインプロビゼーションの最中であれば、そこに脳による判断を挟む隙は無いとも言え、それはおそらく、ある種のスポーツにも準えることが出来る。昔、インプロを格闘技に例えた方がいたが、というよりは、個人的にはサッカーとかそういう集団型に近い気がする。一人のプレイヤーの一瞬の判断によって流れが決まるからね。

そうすると、やっぱり、頭で思いついた次の瞬間には、もう指でその音列がプレイされていなければならない。「この音でいいかな…。大丈夫かな…。流れ止めたりしないかな。空気読んでるかな。」とかなんとか、迷ってる隙などあるはずがない。

よくスポーツ選手のことを「脳みそが筋肉で出来ている」といった例え方で表現するけども、さしずめこれは「脳みそが音符で出来ている」といった感じだろうかね。

でも、「脳が音符で出来てる」なんて、なんだかバカっぽくもあり、自己陶酔なんて恥ずかしいこと、と思ってたオレは、そんなことはできなくても構わないと思っても居た。

それは今思えばすべてに通じるコンプレックスだったね。音楽に限らず、気の赴くまま本能のまま行動するやつはバカだと思っていつつ、それを出来ない自分にコンプレックスを持っていたのだ。

それを覆されたのが、King Crimson のライブだった。リーダー、ロバート・フリップはロック界随一の知性派理性派理論家として知られ、すべての言動、フレージング、プレイは緻密な計算の元、行なわれていると思われていた。

ところが。初めて生で見たフリップはどうだったか。そんな前提や先入観などすべて吹っ飛ぶようなエキサイティングでアグレッシヴなプレイを次々に繰り出し、会場のオレらを圧倒した。

これは。

脳と肉体のコラボレーションか?

どっちがどっちを支配してるんだ?

まったく判らん。

しかしすげえ。


バカっぽく見えないのに熱い

こんな人いねえ。そう思った。

 

今でも好きな彼の言葉がある(意訳)。


「音楽の神は準備が整った肉体にだけ降りる」

「いつ何が降りてきても大丈夫なように日々訓練している」

 

これは音楽だけでなく、すべてに通じると思うのだが、いかがでしょう?



追記。
素敵なエントリ見つけましたわ。
ロバート・フリップに抱かれたい - YAMDAS現更新履歴

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2007年8月22日

福岡 - 納涼の旅 2

その後、5月に稀有な体験をしたお店、ORGAさんへ行きました。

spangle call lilli lineを聴いたお店ですね。

このお店の窓から見える景色、つまり道路を挟んだ向かい側のマンションの壁が好きなんですよ、と言ったら、ほかのお客さんはみんな、これが無ければ良いのに、ってみんな言うのに、って笑っていました。いやいや、これが都市ってものじゃないですか、と私。

栗本慎一郎氏ではないけど、清濁すべてフラットな価値観で飲み込む都市が、私も好きなのだと実感する。

ラムを3杯飲んで解散。

翌日はRiZさんのライブ。

というか24時間テレビチャリティステージでした。
大丸のパサージュ広場。

意外にもRiZお二人のみのライブを見るのは初。良かったですねー

長崎でもライブ出来ると良いのですが。
なんとか頑張ってみようかと思いました。

最後の写真は某所で食べた、焼きうどん。

意外にも小倉発祥なんだって。

前回食べようとしたら、
「うどんが切れた」と言われて食えなかったのでね。
リベンジでやっと食えたわけです。

これは本当にバリウマだったよ。
ソースの味思い浮かべると今でもヨダレ出る。
福岡での唯一の食事。
いいもん食べた。ほんと。

ということで24時間に満たない滞在でしたが、良い一日でした。またこんど行くよ。

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2007年8月20日

福岡 - 納涼の旅 1

先週の金曜日、福岡に行こうと準備してたのに、
急にラジオの収録が入り。

ゲストは映画ロケのため長崎を訪れていた、
清水美那さん。
http://blog.livedoor.jp/chibikko_kozaru/
収録は楽しかったのです。

がしかし。

担当Sen-bay氏が言うには4時には終わる、と。
ところが5時になり、5時半になり、5時40分になり…。

5時50分のかもめに乗らないとアンタ、
ミルキーノートのライブに間に合わねえんだよっ!
と言ったら、S-bay氏。
魚の町のスタジオから5分で駅に車すっ飛ばし。
歩道橋下で飛び降りた私は改札まで猛ダッシュ

笛を吹いてまさにドアを閉めようとしてた係員さんに、
手を上げて「乗せてけろーー」とアピール。
なんとか間に合いましたわ。ふぅ。

博多着いても、会場が良く判ってない。
とりあえずキャナル辺りに行けば判るかと思ったが、
実際は中州のほうだった。
ちょっと離れてたね…。
Jerryさんの日記にアップしてあった地図が、
すごく役立った。多謝!

そんなんで汗だくで辿り着いたライブ会場は、
博多川の上に作った特設ステージ。
このために作ったんだって(写真3枚目-下が川面)。
バリ気持ちよかった。

着いたとたん、リハの「So Far Away」の歌声が。
素敵な歌声と柔らかい音に癒されて良い気持ち。
mikaさんの声はスルーっと風に溶けるのよね。
来てよかった、と思う一瞬。

3ヶ月ぶり。みんなに会えたし、良かったです。
私を忘れずに居てくれてありがとございます。

続く。

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2007年8月19日

辛い時は去って

オノヨーコとレノンが組むようになり、彼ら二人による様々な提案が作品発表と共に行なわれるようになった。
そんななかでオレが、これは良い、と感じ実践しようと心がけているもの、それが「どうせ何か言うならいいことを言おう」路線である。

いちばん有名なのは、いまやクリスマス曲の定番となった「Happy Xmas」の副題「戦争は終わった。もしあなたが望むなら」である。

当時、レコードリリースと前後し、世界中の街でこのコピーを掲げたポスターが貼られたということだ。

このコピーはいささか親切に出来ていて「もしあなたが望むなら」と付け加えられているが、確かにこれが無ければなんだか判らないかもしれない。

この曲発表当時、世界中で戦争や紛争が行なわれていて、「戦争は終わった」などという状態では決して無かった*1

「終わってねえよ、何言ってるんだよ、毎日人が死んでんだよ、この平和ボケ野郎!」と突っ込まれること必至のコピーであろう。

しかし、「終わった」ということによって。しかも超有名人である自分達が言うことによって、「終わった」という気分に人々をさせること。それを狙ったのだ。これは想像ではなく、本人達が至る所で述べていることなので、ほぼこの見解であってるはず(違ってたら誰か突っ込んで)。

その路線は、レノンの遺作「ダブルファンタジー」収録の「辛い時は去って」にも継承されている。この曲の作者オノ氏は「実際は、辛い時は去っていない。しかし、去った、とあえて言うことで、前向きに方向を変えたい」というようなことをインタビューで述べてたと思う。

その辺を追求してゆくと「イマジン」ってことになるわけで、単なる平和ボケソングではないというのを判ってもらえたら嬉しいわけだが。

さて。
最近いろんな人たちの日記ブログエントリを読む。様々なブクマコメントも見る。

未来は悲観的な状況か、その原因の一端をオレらの世代も担っているのか、お前は恵まれてるじゃないか、パリスヒルトンほどでないにしても。何が美しい国だアホ、東大出のお前をぶん殴ってやる、と。
まぁ気持ちは痛いほど判るどころか自分だって、いつ明日にでも路頭に迷うか判らん定収入などない身であるが、それでも、「よくなる」と思いたいわけだ。

これは「きっと上手くゆく」とか「大丈夫さ」とかいうのとは違う。そんな3流の「元気出せよ」ソングみたいなことではない。

もっと現実的に「よくなる」という確信なのだ。

一応言っておくがオレは宗教などまったくやっていないよ。人のことなど知るか。前にも書いたが、怠け者のオマエなんかに何かを譲ってやるような、寛大な心の持ち主ではない。

しかし、それでも、そんな怠け者のオレやオマエでも、「よくなる」のだよ。根拠なんかない。ただ「よくなる」だけ。

そう思うだけで随分毎日も違うんだよな。


*1:特に当時泥沼状態だったベトナム戦争を強く意識していると思われる。

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2007年8月17日

元弱者だった人は弱者の気持ちを理解しない。

理解できない、じゃ無くて、理解しない、んだと思うな。

オレも弱者だと思って昔生きてきたし、泣き言も言ってたが、ふとしたことで努力のコツをつかみ、一時的にでも強者の美味しさを味わってしまってからと言うもの、弱者など怠け者だ、という偏見を持つようになった。

というかだね。自分は努力して頑張った、その結果としてその地位がある、という自覚症状があったわけだよ。それなのに、怠け者のオマエと一緒の扱いたぁどういう料簡だい?ってことなわけだ。

それは今現在のことではないよ。具体的に言うと高校受験のとき。まだガキだった頃だ。

何をやってもダメで、成績ですらクラスでも下のほうに属してたオレは、ふとしたことがきっかけで勉強のコツをつかみ、県内有数の進学校へ進むことが出来たのだ。
進んだからといって、そこからバラ色の人生が始まったわけではないのは以前も書いたが、気分としては「今こそ絶頂」だったし、それをきっかけとして、弱者は怠け者と決め付け、努力した自分と怠け者の弱者と同じ待遇っていうのは、どうしても許せないと思うようになり、当時旬だった赤っぽい教育(今もか?)も、偽善である、と見るようになったのだ。

そんなオレは今でも小泉的な主張にはコロッと騙される。

アレは上手いと思うよ。つまり人間、生きてりゃ、誰でも一度くらいはさ、努力で何かできるようになったってことがあるはずなんだよ。自転車乗れるようになったとか、難しい漢字いっこ覚えたとか、ギターで1曲弾けるようになったとかだね。

そんな部分を実に上手く、絶妙に刺激してくるって言うかさ、「きみだって努力すれば勝ち組になれるんだ!」って言えば、言われたほうは、ガキの頃のそんな記憶を思い出して、そうだよな!って思うんだよ。

そんで、こんなに努力した自分と、怠け者のアンタが同じ待遇なんて許せん!って思うわけだね。

そもそも成長期のガキなんて、黙ってても大きくなったり習得してったりとかするわけで、それは特別でもなんでもない部分も多いと思うんだけど、成長が止まった大人に、そんなガキの頃の記憶を上手く刺激してさ、「ほーらほーら、キミはやれば出来るんですよー」って洗脳するわけだよね。

ということで。

今のオレか?

もちろん、その偏見は持ったままだよ。

偏見、だとすら思ってないよ。

怖い話だな。


このエントリを書くに当たってインスパイアされたブログ。
深夜のシマネコBlog: なぜ左翼は若者が自分たちの味方になるなどと(以下略) アーカイブ
ありがとうございます。

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2007年8月16日

【重要】ウルトラセブンに「マン」は付かないっ!!~ヲタク考察。

オレはウルトラセブンヲタクである。
そんな自分を含め、世界中のセブンオタクの人間が世の中で最も忌み嫌う言葉。

それが ウルトラ マン セブン である。 言うまでもないが。

セブンに「マン」は付かない



ウルトラセブン

である。

日頃、ヲタクは痛いよな、とか、おまいらもちつけ、などと冷静を装っているオレだが、今、目の前のオマエが「ウルトラマンセブン」と言ったとき、いきなりぶん殴りたくなる衝動を抑えられるかどうか疑わしい。

同じように、たとえば元チャイドルの有名人の方かなんかが、日記で「ウルトラマンセブン、すっごく良かったですー!感動しましたっ!アンヌ隊員の役は絶対私がやりますっ!」などと書いてたら、身体中の血が燃えたぎり、ハラワタ煮えくり返るのは明らかである*1

しかしオレも少しは大人である。そこを必死でこらえ、冷静に訂正エントリを書きトラックバックでもしようと試みるだろう。

しかし、とろいオレがそんなことをするまでもなく、おそらく同じような仲間が、さっさと同じことを実行に移す。それを見たオレは。仲間が替わりに言ってくれた、と思い満足するだろう。


吉野紗香『GHOST IN THE SHELL』の日記について謝罪

吉野さんには同情を感じつつも、この事件に複雑な思いを抱いてしまうのは、おそらく、叩くほうの気持ちもわかってしまうからである。以前ここで書いた悪気はないということの罪深さってやつだろうか。

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2007年8月15日

テレ東が見れません

長崎暮らしも楽しいもんだが、
ひとつだけ淋しいことがあって、
それはテレビ東京が見られないことですよ。ダンナ。

ホントに良く見てたからなあ。
地上波がとてつもなくツマラなくなったこの10年間において
テレ東と3ちゃん(NHK教育)はオアシスのようでしたからなあ。

それでもケーブルでBS Japanたまに見ると
懐かしいアナウンサーの顔とか見られて嬉しいわけです。

(隅田川花火特番見たかったなあー)

ということで大江麻理子さんファンの貴方に対抗し、
あえてこの写真をアップするぜ。

大橋さん今日誕生日だって。

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2007年8月14日

ウルトラマンが見れません

ウルトラセブンマニアの私ですが、
ウルトラマンには興味がありません。

ですが、ファミ劇で放送してるので、
有名なやつくらいは見ようと思ったりするのですが、
たまに見ると、いつも見たことがある話ばかりで、
メフィラス星人とかギャンゴとか、
何度再放送されても、見ることができません。

再放送してると、
今度こそは、そういった未見の話を見るぞ、
と思っても、いつも見たことがある、
つまらないペスターの話とかしか見れません。

いつになったら全部見れるようになるのでしょうか。

ほかにも悩みがあります。

僕は「帰って来たウルトラマン」も
ずーーーっと見たいと思ってるのですが、
それも、気付くといつも再放送が終わっています。

見たいと思ってからもう十数年は見逃してると思います。

そういうものはいつになったら見れるのでしょうか?

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2007年8月 5日

ハードル破壊~走りながら考えるということ

何かの演奏ごとを経験した人なら判るはずだが、一番訓練になり、身に付くのは、「本番を経験する」ということだ。

間違えても中途半端でも良い。ざけんなと客に座布団投げられても良い。ともかく「やること」。これこそが重要なことなのだ。

オナニーを何十万回繰り返してもセックスは上手くならない。「小さいね」「早いねー」「痛いよっ」とか相手に罵倒されても気にせずに。イク時の顔は人類史上最も情けない顔だろうが、それもあえて相手に見せることで自己解放への一歩となり。ともかくやってみることで成長し上達し、気持ち良くなっていく、というわけだ。

それと一緒でね。演奏や歌というものも、おそらく、たった一回のライブ本番は、100回のリハに相当するのではないだろうかね*1

昔気質の音楽人やマジメな方々は、実に厳しい目をお持ちで、生半可な考え、中途半端な態度、出来損ないの技術とかに対しては非常に厳しい。ヘラヘラやってたら「音楽を舐めている」と叱り飛ばされることもある。結果、何年も修行し、やっと表舞台に立てた、とか、苦節何年ってことになるわけだが、オレ個人として今いちばん興味があるのは、そういったハードルを無くすことなのだ。

そこそこ走れるようになったと見たら、さっさと走らせてしまえ、ってことである。ちゃんとできるようになるまで待ってたら、人生の半分は終わってしまうだろう。

「やってみたい」という芽を潰したくはない。何処に才能や素質が隠れてるか判らない。やらせてみて初めて開花する場合もあるだろうし、本人すら気付かない部分だって見えるかもしれない。どんなに小さな萌芽だったとしても、指導する立場の人間は、それを見逃してはいけないと思うし、つまらない禅問答なんか食らわして蹴り出したりするよりも、どんどん参加させて見たほうが、こっちもおもしろいと思う。

やってみなけりゃ判らないことはたくさんある。

*1:個人的な感触

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