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2007年7月31日

粗食も目標があってこそだ

貧窮状態だったとき、胚芽米を炊き、それにふりかけをかけて食う、という食生活を半年ばかり送ったことがある。もちろんそれでは倒れてしまうから、時々はトマトや納豆など食ったが、週のうち半分は「ふりかけ定食」だった気がする。本当に「米とふりかけ」だけ食っていたのだ。

もちろん周りの知人達には「辞めたほうが良い」と忠告された。その忠告には、健康上の問題だけでなく、そんな暮らしをしてどうなるのか?という批判も含まれていた。

ちょうどその頃付き合ってたセンパイで、実家が寺の人がいて、既に何ヶ月も修行なんかに行ってたんだが、一時帰宅するってんで、みんなで会うことになったんだよ。

そんで集まった際に、オレのそんな食生活のことが話題になり「どうよ」って話になったんだが、意外にもそのセンパイが言うには、だ。

「オマエのことだ、何か目標があるからやっているのだろう。目標があるのなら、やる意味はあるんだ。ただ金がないとか、人生捨てたとか、そんなことでそういうことをしてるわけではあるまい。何かに繋がることなのであれば、今はそれで良いのだ。意味はあるのだ」


思いもしない肯定に一同黙ってしまった。


ちょうどそれは、前々回のエントリで書いた「あるヒトに全否定された事件」から半年後くらいのことだった。

精神的どん底状態から、なんとかやり直そうと足掻いてた頃だったと記憶する。

今思うと、粗食をすることで、無理矢理自分を飢餓状態にしていたのではないか、と。そんな気がした。禁欲生活だ*1

満足感、達成感は仕事のみで得る。他の事で簡易的に満たしてはならない。


そんな気持ちだったと思う。


今でもオレは、理由がなければ美食はしない。風俗博打その他での浪費活動は一切なし。マニアックな研究以外の趣味もない。

そんな自分は、実際は、誰よりも美食家だし飲酒もザルであり性的欲望も誰よりも激しい、と皆から言われる。煩悩過多な人間である。

しかし、それらのいずれも理由がなければ絶対に実行動に移らない。そうすることで自らを律し、エネルギーを貯めてるのだ。

思えば、それも粗食と似ている。確かに味気ない毎日かもしれん。

しかし。

目標があるのなら、それでじゅうぶん耐えられる毎日なのだ。

*1:そういえば、そのセンパイが行なっていた仏門修行も似たようなものだった。

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