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2007年7月29日

匿名な音楽を創る

匿名実名論というのが、未だに飽きもせず続いてるわけだけども、オレの自論は、重要なのはその内容であって、誰が言ったかということではない、というものである*1

さて。

最近になって気付いたのだが、オレの音楽の嗜好も実は似ている。つまり、何処の誰が作ったのか、演奏しているのか、唄って居るのかはわからないが、純粋に音のみで浸透する、というのが理想だと思ってるふしがある。

これはたとえば、CMの(タイアップではない)音楽や、電車バス等で流れる音楽、放送局のジングルみたいなものなど。実はこれらの仕事がオレは大好きなのだ。先日の、大先輩である生方さんのサウンドロゴの話もあるが、もちろんオレだって手は抜かない。一瞬で耳に残る言葉とメロディ、音色、構成、ごく短い10数秒間に存在する音、すべてが計算ずくである。出来上がったときは「やったー」と思うし溜飲下げまくりだしアドレナリン放出。「おつかれ。自分」とささやかな自分褒めを行なう。

そんな代物でも、世の中のほとんどの人が、何処の誰が創って歌っているのか知らない*2。記名性ほとんどゼロ。音のみで評価されてる。これこそ究極のスタイルのような気もするわけだ。

それでも報酬はクライアントさんから頂いている。純粋に、音とそれを構築したという技術に対しての報酬だ。

そうして個人的満足感は、自分のまったく知らないところで、無記名の音が聴かれ歌われている、という事実のみでじゅうぶん得られる。

見過ごされがちだが、覚えられて歌われる、ということは実はすごいことなんである。ある種の刷り込みに近い感覚、というか。人の脳の中に、そうして無意識に浸透する、脳細胞を構築する一部分になる、ということが。

名乗って得になるのなら名乗ればいい。だけど、とりあえずオレは、自分のメロディを口ずさんでる子供の前に行き「それオレが作った」なんて野暮なこと言いたくないけどな。だってその子供は、それからというもの、そのメロディ歌うたびオレの顔思い出すんだぜ?

ちょっと遠慮したいな。


*1:過去ログのある記事で、実際にそういうことを行なって情報の流れを確認した、と書いた。今回、も少し具体的に書いてみるが、つまり非常にマニアックな詳細データを無記名でネット上に大量に流し、それ以前に常識となっていた概念と価値観をひっくり返したのだ。これは痛快だった。今でも思うね。「オマエラできるもんならやってみろ」って言いたいね。笑

*2:オレの音楽はそんなに知られてるのはないが

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