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2007年4月14日

音楽のメディアリテラシー

個人的にいつも感じてることだが、音楽に関する意見、主張、評、というものは、残酷なほど、その人のメディアリテラシーを暴露してしまうと思う。その他の部門、例えばマスコミ、政治、ITなどにかかわることでは優れた能力を持っている人でも、こと音楽となると、その見解、理解度に「??」となることも多い*1

特に洋楽ロックにおける、40代以前と以降の人々の捉え方の差は、想像以上に大きいと感じている。悲しいほど差が付いている。これは彼らのせいだけではない。日本における洋楽の紹介のされ方が、そもそも限られた情報と偏見によるものだったのであり、まぁそれに関しては、当時のメディアやレコード会社宣伝部長といった方々に対し言いたいことも山ほどあるけど、彼らにすべての責任を押し付けるのも、ちょっと酷というものだな。彼らだって少ない情報の中で一生懸命やってたはずだからである。

ロック音楽に関して何かを述べる、ある一定の年齢以上の人々の特徴は言い切り形が多いということである。

長年の洞察力と研究により導き出した自説には自信がある模様だ。しかしそもそも情報量が違っていた、という不利なスタートだったため限界がある。問題は「限界がある」ということを、本人が理解していないところにある。メディアリテラシーというものが重要だとわかっていても、それがロック音楽を語る場合にも当てはまるということに気付かない場合が多いのだ。

音楽は大多数の人々にとっては趣味嗜好の分野であり、気軽に語れるものだ。しかし、偏見かもしれないが、30代より以下の人々は、その「気軽に語った」文章でも一定のレベル以上にある、という印象がある。それは情報量の差によるものだろう。生まれた時点で、既に知っている情報を多数取り入れることが出来るのだから。

主にロック音楽について語ったから、そのラインを40代としたが、これは生まれたジャンルによって異なるであろう。

つまり例えばビバップであれば、そのラインは50代にあるかもしれない。ヒップホップであれば20代にあるかもしれない。

個人的には、90年代以降はほぼすべてのジャンルが平行ラインに並んだという印象を持っている。情報が、全ての人々に対しほぼ同条件下で呈示され、すべて分析されつくし、ヴィンテージものから最新ものまで、すべて同等と扱われた。

日本の音楽の始まりはそこからだと捉えている。

オレは未来を悲観していない。
日本の音楽はこれからであるし、すべてきみらのものである。


*1:津田大介氏はバランスの取れた稀有な方と思う

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