誰でも当事者になりうる。つい忘れがちだけど
音楽配信メモ 生方則孝氏の住友生命のサウンドロゴ裁判和解報告記事と著作権保護期間延長問題について
先日のスミセイ関連でこちらの素晴らしい記事を紹介したい。
この記事を読んで思い出したのが電車男である。皆さんは電車男事件、そして、それに関連した掲示板ログの書籍化問題というのがあったのを覚えているだろうか?
2ちゃんねるの、ある掲示板に書き込まれた多数のログが、投稿者の了解を得ないまま出版社によって書籍化され、それに便乗し他のログも各社による書籍化の動きとなり、住人の一部が激しく抵抗、管理人ひろゆき氏を巻き込む論争となり、結果、書き込み時の投稿確認文言が変更されるという事態になった。
スミセイ問題と同様、こちらのウォッチングも追わなくなってしまったのだが、電車男に関しては結局「壮大なネタだったよん」というオチが付いて有耶無耶になってしまった記憶がある(合ってる?)。
先日の「おふくろさん問題」やら「同一性保持」の件やら、一般の人には「ハァ?好きにやってろアホ」という感じだろうと思うけど、これは決して特殊な話ではない。
津田大介氏の言葉を借りるなら 一部の『芸術村』のルールをテーマにした特殊な話 ではないということだ。
掲示板ログの書籍化問題過去ログを読んでいただくと判るが、(一部の人間かもしれないにしても)自分達の書き込みが許可なく勝手に書籍にされることに、かなりの抵抗感を抱いていることが判る。
ご存じのように、日本では何らかの著作物が生まれた瞬間から著作権が発生するということになっている。上記の例は2ちゃんねるという掲示板の特殊な事例ではあるかもしれないが、誰にでも起こりうることなのだ。
著作権というのは「一部の芸術家に与えられる特殊な権利」ではない。
そういうことである。
当事者となったとき、
はじめて「される人」の気持ちが理解できる。
サウンドロゴも、2ちゃんねるの書き込みも、アナタがどこかに書いたネコのイラストも。
気持ちとしては同じなのである。
さて。
あれらの出来事から現在は2年経過している。その間状況は若干変わった。ブログはすっかり市民権を得たし、パクリや勝手に引用などの問題も、お互いの立場を尊重するという考えが浸透しつつあり、そうそう起こらなくなった(よな?)。それでも、たとえば
のまネコ騒動
なんてことは突発的に起こり得るのだ。
自分達の生んだものが勝手に使用されて怒る気持ちはよくわかる。
同じように。
勝手に人の著作物を改変したりする行為を正当化していることに不快感を感じる著作者も居ても普通だろ?ってことだ。
オレ個人としては、絶対にやってはいかん!とまでは思ってない。
正当化。
「やるのは当たり前」と開き直るのは勘弁してほしい、ということ。
個人的感想だが、ネット上の「文章」に関してはこの2年の間に、若干意識が変化した気がする。名もないネット上の匿名論者も、その内容で存在が評価されるようになったし、かなりの人々が潜在的にでもその存在を意識してると思う。2ちゃんねるを観てる、と言って変人扱いされたのも、ほんの数年前のことだ。こうして何事も常識となってゆく。その黎明期に活躍した無名戦士?の方々をオレは決して忘れん。
そして音楽コンテンツに関しても同じように、今後の常識の浸透を願っている。叩かれても何を言われても屈しない漢となることを目指したい。非力ではあるが。
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