« どこにも所属できない寂しさ。 | トップページ | 作曲家にとって音の一字一句は命である。 »

2007年3月23日

色付けなしのメディアこそ理想

先日面白いことがあったので書いておこう。
昨年の暮れにある本が出版された。ある洋楽トップグループのレコーディング秘話について詳細に書かれた本だ。オレも仕事柄この本を読んだ。とてつもなく分厚い本だったが寝食昼夜忘れて没頭し読破した。読後の感慨もひとしおであり、本当に良い時間をありがとう!と感謝して止まなかった。

ところが。偶然ある SNS 内で、この本の翻訳者という人が、この本を読んだと思われる方々に足跡を残し*1、その足跡を辿って来た人々に感想やらお礼を言われてる、という場面を発見したのだ。それを見たオレは、「はたしてこれはどうなんだろう…」と疑問を感じた。「この仕事は私がやったのです。どうですか?」と言って回ってるということなのだ。実際にそう言ってなくても、SNSで足跡を残すということは、「私を見てください」と言っていると同じことだと思うのだが*2

オレはその現場を見た後、その本を以前と同じ感覚で読めなくなってしまった。どうしても、その翻訳者が足跡を付け回り、読者からお礼を言われてる場面を思い出してしまうのだ。
その本がらみではサイン会や、関係者によるトークショーなどもあったと聴く。そういったものは、行くか行かないかは読者が決められる。そんなものいらねえ、と思ったら無視してれば良いし、興味があるなら足を運んでイベントに参加すればよい。

しかしだ。

SNSの足跡はそうはいかない。無差別に付けて回れるし、名前登録も翻訳者名そのままではないから、誰なのか足跡のみでは判明せず、結果、何も判らずに訪問してしまうことになってしまうのだ。その本の著者ならともかく。翻訳者がそうした行動をとることに強く疑問を感じた。本来関係がないはずなのに、彼の行動による余計な色が付加されてしまったのである。

以前も堀江氏がらみで書いたことがあるが、メディアというものは、元ネタを限りなく元に近い状態で伝えるのが使命である、というのがオレの個人的考えである。
記者の個人的感想などどうでも良い。起こったことと詳細を伝えれば、あるいは、記事にすればよく、その判断、是非は、読み取る側の判断に委ねるべき、ということである*3

これは一般的事件事故や、ものごとの批評にも関係するのだが、個人的に一番そうして欲しいと願うのが、やはり音楽ネタなのである。

アーティストの伝記、仕事紹介バイオグラフィの類がよく有るけども、特に昔のロックアーティストものの本やCDライナーなどは、何故か判らないがその著者の個人的感想が多い。その感想が優れてるかそうでないかは関係なく、そういった色付けそのものがいかがなものか?と思っているのだ。

オレの知りたいのはアーティストそのものとその人の作品であって、アナタの文章とか感想ではない、ということだ。

これが無名な人や新聞社の文藝担当記者などの意見であるなら、まぁそれなりに流すこともできるが、著名な方であった場合、「彼が褒めているのだからさぞかし名盤であろう」などということになってしまう。
ま、そういう選択の方法もある。ロキノンで取り上げられてるならばアナタも安心、なんてことは典型な例であろう。これこそ音楽ポータル雑誌、ということになるかもしれない。

また逆もありうる。好きな音楽だったのに、嫌な批評家に褒められてるのを見て、なんだか嫌な気分になることもある。「コイツには好きだと言われたくない」ということだ。嗜好ってのはデリケートなものですからなあ。「アイツが褒めてたから、なんだか嫌になった」ということは往々にしてあるのではないだろうか。

限りなく透明なメディア。誰が言おうとも、その内容のみで判断されるべき。誰が言ったかではない。何を言ったか。

そして音楽も。

主体が演奏者ならば演奏者のプレイの本質に迫るべきと考えるし、著作者が主体であるならば、メディアはそれを忠実に再現するのが使命であると考える。

著作があるものは、改変は極力避ける。それを産んだ作者がどういった和声進行で旋律との関係を構築したかったのか、すべてのメッセージを受け取るためには、邪魔なものは排除するのが理想である。例えそれが不完全でも、その不完全状態が作者の本質であったなら、それもまたその作品からのメッセージなのである。

いかなるものも、それを変える権利などない。

メディアに携わるもの(演奏者含)は、まずそれが基本であり、色付け、改変を行なうのなら、それ相応の、かなりの覚悟が必要である、と認識していただけるととても嬉しい。

お互いを尊重できない仕事など F○CK OFF である。


*1:SNS内の日記やレビュー検索機能で書籍タイトル名を検索し読者を見つけたと思われる。
*2:追記脚注:最近は読み逃げが禁止されてるそうだし、こんな心理も働く→告げグチ機能w。
*3:もう忘れてる人が多いと思うので書いておくが、そもそもこのネタは、ライブドアフジサンケイ事件(笑)で、堀江氏が主張した「メディアは色付けや脚色せずに物事の本質のみを伝えるべき!」という考えが、オレ個人の考え方と非常に似ていたことから始まったものだった。

|

« どこにも所属できない寂しさ。 | トップページ | 作曲家にとって音の一字一句は命である。 »