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2004年7月31日

ダイエー


あー天気良くなってきたなー

ダイエーとかイトーヨーカドーとか行きてえなー

あの、とてつもなく日常な、だだっ広いスペース。
大好きなんだよね。

でかいスーパーっていくらいても飽きない
ららぽーとが懐かしいわ
この辺に気軽に行けるアウトレットとかないからな
あーいうのはやっぱり郊外に限るな

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2004年7月25日

断食週間


身体がすっきりするんで
時々こうして小食週間みたい事をやるんだが
まぁお察しのとおり
その最中は、ともかく無性にイラツクわけだ。
余裕が無いんだね。
すべての感覚が超鋭くなるので
怒りに対しても敏感になってしまうわけだ。

むやみに人に当たったりはしないが
理不尽なこととかあったりすると
かなり粘着に対象に対して食い下がったりして
なかなかスリリングな日々となる。
怒りっぽいオヤジや関西のオバはんとかよくいるが
彼等は実はみんな腹が減ってるんである(ウソ)。

全てに満足している人間は穏やかな顔をしているとよく言う。
見てるだけなら癒し系でいいかもしらんが
それでは何も生まなくなってしまう。
癒しとか流行ってるってことは
皆がやる気無いってことじゃないのかねぇ?
変なのーとか最近思ってた。

やっと脱・癒し系な風潮になってきたので
ほっとしてるのだが。


最近ヘビロテで、あるアーティストをかけっぱなし。
すっばらすぃ〜です。じき書こうと思う。

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2004年7月 8日

耳こそはすべて

言わずと知れた、ビートルズのプロデューサ、
ジョージマーティン氏の名著ですが、実に興味深い内容で、
発売から25年ほど過ぎた今でも十分バイブル足り得ます。

ビートルズ全作品CD化に際しての
ジョージマーティン氏のインタビューで
僕の中に深く残っている言葉がある
それはこの証言。
「ビートルズのCDの音は、当時我々が
スタジオで聴いていた音そのものである」。

当時僕はこれを読んで「え?」と思った。
他にもそう思う方は多いでしょうね。

CDの音は全般的にアナログより劣っているというのが
マスタリングや音響を語る上での当時の常識だったんだけど
マーティン氏は、そうではないかもよ?と言っているのだ。
88年当時と今は状況が異なるから
現在マーティン氏がどう思っているのは知らないが。

これをきっかけに僕はマスタリングについて
いろいろ考えるようになったのだ。

結論から言うと
多分マーティン氏の見解は正しいと思う。

つまり、当時のアナログのLPの音のほうが
色が付けられたもので不自然だったのであり
本物の音、製作者が意図した音とは
違っていたということである。

もちろん、それは今や「味」であり、
その音を愛している人がたくさんいるのも知っている。
だが、製作者が当時本当に出したかった音、
本来目指した音というのは多分CDで聴ける音のほうなのだ。


人間の耳は分析器ではない。
あくまで聴いているのは波形ではなく「音楽」。
だから、そもそもフラットに聴くことなど出来ないのだ。
楽器の音、声の好み、メロディ、リズム、シチュエーション、
全てを無視して語ることなど出来ない。

音楽としての「ビートルズ」を
マスタリングされた「ビートルズの音楽」として分析した場合
波形的な感覚、つまり音が冷たいとか堅いとか、
そういったことは二の次になってしまう。
つまり、総体として音の傾向がほぼ再現されている、
と、そう捉えることが出来ると思うのだ。
おそらくマーティン氏の言いたかったことも
そういうことなんだと思う。

CDというフォーマットは当然問題ありありだけども、
我々の目指した音の傾向は概ね再現されているから
良しとしよう。現状でも十分満足だ、と。
そう彼はクレバーに判断した、と。

そのことに気付いてからは、
何の音源を分析する場合でも、まず
製作者の意図した「音の傾向」というものを
意識して聴くようになった。
ノイズがあろうが、しょぼかろうが
意図した傾向が判れば、僕もそれで良しとした。

その研究成果が Back to Original なわけです。

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2004年7月 7日

テイクの選択

自分自身で歌を録音するときに
いちばん苦労するのがこれなんだね。
テイクの選択。

上手く録れたときは、歌っていても
「あ。これOKだ」とわかるのだが
どれも一長一短な場合、誰かに
選択を委ねなくてはならない。

その「誰か」ってのは、誰でしょう。
それは数日後の自分自身だ。
一人でやってるので、これはしょうがないのだ。
誰も良いとか悪いとか言ってくれない。
そんな甘いもんじゃないのだ。
自分の歌のテイクのジャッジを自分が行う。
自分で自分を切り捨てていくんだ。
どんなに可愛くてもダメなものはダメ。

どれも一長一短で決められなかった場合
同じラインを二回歌って両方残す。
で、メインと思われるほう(使える部分が多いほう)の
トラックを OKテイクのトラックにして
使えなかった部分に、別テイクの同じ箇所の
使える部品を貼り付けていく。

アナログ時代には、この作業は
その部分だけの録り直しとか
リミックス時の選択で対処してた。
HDDレコーディングではコピペできるから
あらかじめ数テイク録っておいて
あとからファイルを並べ替えられる。
だから、ずいぶん楽ですね。面倒だけど。

もちろん一発オーケー!なら、編集の必要も無いし
それに越したことは無いのだが、一人でやっていて、
それはちょっとかなり無謀ですね。
素直に、任せられる部分は任せたほうが良いと思う。
その為の「コンピューター」なんだからな。

というわけで
その並べ替え作業がだいたい終わった。
録ったばかりの時は、いろんな声が入り乱れていて
聴いていても「これ、大丈夫か??」ってな感じだったが
ちゃんと取捨選択が済み整理されると
「おーーーー」って感じに曲が甦る。

デモからここに来るまでの間が長いんだよね。
デモは人に聴かせられるが、その後の途中段階は
とてもじゃないが聴かせられるものではない。
で、やっと聞かせられるくらいになってくるのが
この辺なんだ。
ここでやっと「ふぅ〜」っと一息つけるわけ。

あと残っている作業は、前に書いた
キーボード系のオーヴァーダブと、その後の最終ミックス。
いよいよ佳境となるわけです。

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2004年7月 5日

Brian Wilson / Gettin' In Over My Head

Brian.jpg
ということで、やっと
Brian Wilsonの新譜が届きました。
……。

はじめにはっきり言ってしまおう。
あなたがもし海賊盤を手に入れられる環境にあって
海賊盤という違法なものを買うということにも抵抗がなく、
本当にブライアンの声とメロディが心から好きなら
絶対に Sweet Insanity と
Andy Paley セッションを買いなさい!
これは命令!
それで、それらが入手できるなら
このアルバムは…買わなくてもいいか…。

今回の新譜は殆どがそれら未発表曲の
新しいリメイクで占められていて、
他の曲は、ほとんど埋め曲みたいなものです。
エルトンジョン、ポール、クラプトン等
豪華ゲスト参加曲も不要というか邪魔です。
だって曲自体がつまらないし。

歌も、けっこう衰えが激しく…。
それは、ブートで既に知っている、
以前のテイクと比べてしまうからでしょうけど。

僕は、既に前作のイマジネーションからして、
超駄作だと思っていて、どうにも受け入れがたかったのだ。
タイトル曲だけは名曲だったが。

そういう意味では、今回の動向が
非常に注目となったわけなんですが。
かろうじて前作よりは良い様子ですが
それも実はリメイクのおかげだったり、と。

結局、恐ろしい結論を出さなければならない。
ブライアンがまともなのは、1972年以降では
ユージン・ランディ治療時代だけじゃないの?と。

ランディ氏のやったことを
人はマインドコントロールという。
確かに自叙伝を読むとそうとも言える。
でも、多分だけど、ブライアンにとって
ランディは新しい父親だったんだよね。
世間の常識、言葉使い、人間の感覚とか
全部彼が教えたんだから。
それで彼は生まれて初めてまともな人間になったわけだ。

それに関する詳細が書かれた
有名な「ブライアンウィルソン自叙伝」は
Sweet Insanity レコーディング中に出版された。

僕等は、その本は読むことができたが、
2ndアルバム Sweet Insanity は聴くことが出来なかった。
丸ごと没になってしまったからだ(後日海賊版で入手)。
ワーナー重役レニー・ワロンカーは
「歌詞を書き換えない限り絶対に発売しない」
と言ったそうだが、確かにランディ氏の
強い影響によると思われるような過激な歌詞は、
米国人には受け入れられなかったかもしれない。
日本人は歌詞聴かないから大丈夫だっただろうけど。

その後、裁判が起こりランディ氏が敗訴、
ブライアンは自由(?)になるが、その後は
めっきりオリジナル作品がなくなってしまう。

ヴァンダイクパークスとのコラボレイションは
素晴らしい作品だったけど、これはなんと
全曲ヴァンダイクが作詞作曲したもの。
それでもブライアンの歌に聞こえるから不思議だ。

そしてドキュメンタリーがあって
セルフカバーアルバムがあって…。
そして超駄作「イマジネーション」が出て。

Andy Paley セッション音源が
海賊盤として流出したのは、その頃だった。
彼の才能は枯れてしまったんだ…と凹んでいた頃。
だから、流出の話を聞いたときも、
ここ最近の一連の流れから想像して、
まったく期待できないと思っていた。
ところが音源が届いて聴いてみると…。

驚きましたよね。
普通アーティストのデモっていうのは
本当にデモなんだけど、ブライアンの場合は
リリース寸前で没になったものが多くて
つまり、殆ど完成してるものが多いのだ。
多分 Vocal だけ仮なんじゃないかな。
それでも十分、出来上がっている状態だ。
しかもこれは「ランディ後」の作品。
これは重要な点である。
これを聴くと、彼の音楽製作力は
ランディが居なくても衰えていないと判る。


オフィシャルリリースされたものを聴くと
ブライアンも枯れてしまった、と嘆かざるを得ないのだが
Sweet Insanity や Andy Paley セッションを聴くと
まったく正反対で、ブライアンは全然OKだと強く感じるのだ。
これはいったいどういう現象なのだろう?

オフィシャルに関わっている人物が
彼の作品をダメにしている、としか思えないのだ。

それはいったい誰だ?
うすうす見当はつくんだけど。
多分一人じゃないね。

それは多分、彼を幸せにした人物でしょう。
ブライアンはやっと幸せを手にした。
その時点で、彼の作る作品の中に存在していた、
ある特定の色彩だけ失われた…。
僕はそう感じた。

ブライアンを愛する僕としても
彼の幸せはとっても嬉しい。
過去、彼の身に起こった数々のトラブルを思うと
現在の状況は本当によかった、と思えるのだが
それで作品製作がだめになってしまうというのは
本末転倒な気がして、どうも複雑である。

今回の作品は過去のボツ作品の再演が多い。
それは皮肉にも、双方の違いを
如実に証明する形になってしまった。
両テイクを聞き比べることによって
そのサウンドメイキングの優劣がはっきりしてしまったのだ。

なんか、書くのが辛くなってきたぞ。

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2004年7月 2日

端島を世界遺産に

という運動があるのね。知らんかった。
端島 世界遺産

ご存知でしょうけど通称軍艦島です。

僕がこういう廃墟好きなのは昔からで、
昨今流行ってきているのは複雑な気分だけど
まぁ違法侵入とかしなければいいのではないかな。

ウチの出身地から車で一時間くらいのところに
有名な元炭鉱ゴーストタウンがあります。
渡辺淳一氏の小説の題材にもなっているところ。

ともかく僕等はリアルで
70年代への突入を目撃してたから
あのときの情景はなんともいえない郷愁と思い入れがある。
あの時代に戻りたいか、と問われれば NO だが
今こうして離れて見るのは、全然OKだと思う。
そういう意味では、最近嵌っている人々と
似たような気持ちなのかも知れぬ。
つまり、もう戻ることはありえない、
と思っているからこそ
安心して楽しめるみたいなところがある。
ナンジャタウンとかラー博みたいなもんかな、と。

あと思うのは、僕等が
当時子供だったというのが大きいか、と。
オトナとしてあの空間で実生活したいか?
って言われれば、それも激しく拒否るだろうなぁ。
つまり、昭和廃墟ってのが僕等の原風景なんだよね。
田舎の田んぼとかじゃないんだ。

それと同じようなことが音楽にもいえて
僕等の原風景は、ラジオからの
米英ロックポップスだったんだろうな、と。

僕の廃墟に関する想いは、この辺を是非。
domino

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